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season.03 背中を認める瞬間
第4話:逃亡
 アンズは全てを放り投げ、逃げ出したい衝動に襲われていた。
 とうとうやってきた祭り当日の朝。冷房を効かせた自室内で、殻に閉じこもる様に布団へ潜り込む。
(どうしよう……!)
 更にアキコによれば、イツキとカリン、そしてワタルがお忍びで遊びに来るらしい。自分が不調に悩んでいるというのに、憧れのプロを家に招く父を激しく恨んだ。
(なんでなんでなんで)
 状況は最悪である。
 10時過ぎまで部屋に籠っていると、なかなか起きてこない彼女を見かねて、アキコが部屋の襖の前までやってきた。
「お嬢様、そろそろ起きてくださいませ。お昼過ぎにはお客様がお見えになるんですよ」
「お、起きてるよ!」
 アンズは勢いよく襖を開け放つと、寝ていたポケモンを引き連れて洗面台へと駆けて行った。冷房で涼しかった室内から飛び出ると、たちまち蒸し暑い外気がアンズの肌にへばり付く。それを洗い流すように洗顔を行い、無我夢中で歯を磨いた。
(ワタルさん達に格好悪い所見られちゃうよ〜っ!)
 足踏みしながら試合の対策を考える。
 とにかく、まずは相手に毒を仕込まなければ。保険を掛けたあとは、なるべく離れて攻める。父親が教えてくれた基本的な戦法の一つだが、今は余裕がないのでこれを採用するしかない。ヘアミストで寝癖を直していると、入り口からアキコが顔を覗かせた。
「お嬢様、お部屋を出るときはエアコンの電源をちゃんと切らないといけませんよ。朝ごはんはどうされます?あと2時間でお昼ですけど」
「い、いらない!……お父さんは何してるの?」
「まだお休み中ですよ。昨日はお酒を飲みに行かれていたようなので、親子共々寝坊です。そっくりですね」
 口元を緩ませるアキコに、アンズは反発しながら洗面所を飛び出していった。
「同じにしないでよ!あたし、先に出て友達と練習してくるっ。お昼は外で食べるから……」
「お送りしましょうか?」
「自転車で行くからいい!」
 友達と待ち合わせしているのは、もう少し遅い時間帯である。しかしアンズはワタル達と顔を合わせたくない一心で、嘘をついて屋敷を飛び出すことにした。浴衣を着たかったが、時間がないのでピンクのTシャツにデニムのショートパンツを合わせて髪を高く結い上げ、サンダルを突っかけて縁側から庭へと飛び出す。その着地音に、庭の木陰に置いてある水を張ったタライの中で涼んでいたクロバットが身体を跳ねあがらせた。
「あっ、クロちゃん驚かせてごめんね!」
 アンズは即座に謝りつつ、ふとあるアイディアを思いついてもう一度その姿を見た。
 結局祭りまで大した実力は付かなかった。しかし彼女がいれば、頼もしいことこの上ない。
 父親は今、眠っている……。少しだけ、借りるくらいなら。
「あ、あの。手伝ってほしいことがあるんだけど、いいかな……?」
 クロバットは目を丸くしながら狼狽える。
「夜までには終わるから!ちょっと来て!クロちゃんなら簡単なことだから!」
 アンズの頼みとあらば無下に断るわけにもいかないし、これをキッカケに主人と彼女の中を修復できるかもしれない――そう考えたクロバットは、小さく頷きながら身体を起こした。アキコが台所で作業をしていることを確認したアンズは、蝙蝠の翼を掴むと、手を引く様にこっそりと屋敷門へ駆けていく。

+++

「おっはよう〜!ちょっとフライングしちゃった!」
 2時間後、キョウは予定より数時間も早く訪れたイツキによって叩き起こされた。髪はぼさぼさ、寝間着の浴衣も着崩れている状態で、弾ける様な若者を縁側から出迎える。
「早すぎだろ……」
「お祭りが楽しみで仕方なくってさー!早めに来て、サファリとかも行こうと思って!」
 イツキは幼い子供の様に興奮しながら、古風な屋敷を見回した。まるで武家屋敷のような立派な佇まいは、時代劇の撮影などでもそのまま利用できそうなほど。キョウはあくびをしながら、縁側に置いてある下駄をつっかけ庭に降りた。
「今サファリは改装で縮小営業中なんだが……」
「そうなの!?何か遊べるとこ他にある?」
「あるある……」
 脳を刺激する同僚の声に、キョウは眉をひそめた。すかさず門で出迎えたアキコが小走りでやってきて、イツキを縁側から居間へ案内する。その表情は大変に幸せそうだ。どうやら彼女はイツキのファンらしい。
「近くで見ると本当にお可愛らしいですねえ。イツキさん、お昼はもう召し上がりました?」
「あ、まだです!もしかして今からお昼っ!?」
 わざとらしく喜ぶイツキに、キョウはすっかり呆れ返った。
「お前、狙ってきただろう……」
「えへへー。お金持ちのお昼ご飯ってさ、どんな豪華料理が出てくるのか気になって……」
「昨日、飲んでたから素麺です」
 一人暮らしで料理を全くしないイツキとしては、作ってくれるだけでも有り難い。二つ返事で了解し、アキコは嬉しそうに台所へと向かって行く。
「ちょうどお嬢様の分も用意していたので助かりました。イツキさんには天ぷら揚げますね。海老は平気ですか?」
「もっちろん!やったー!海老大好きー!」

 昼食は15分ほどして完成した。
 縁側をドラマでしか見たことがないというイツキがここで素麺を食べたいと言いだし、キョウは渋々それに従った。しかし忙しい蝉の鳴き声を聞きながら、屋敷を抜ける風を受け素麺をすするのも悪くない。涼を感じる心地よい空間に、キョウは再び眠気を覚えた。
「そういえばさ、アンズちゃんは?」
 イツキが海老天をほおばりながら尋ねる。
「……先に出て行った。友達と待ち合わせているんじゃないか」
「あ、そっかー。結局、和解できたの?」
 キョウは「まだ……」と力なく答えた。身支度が終わっていないまま肩を落とす姿からは、普段の威厳がまるで感じられない。イツキは箸を置くと、息を吸い込んできっぱりと告げた。
「僕、思うんだけど!アンズちゃんが嫌がってるのは、きっとキョウさんが家でこんなにだらしないからだよ!いつもと全然雰囲気違うもん。ピシッとしてなきゃ」
「それ、お前にだけは言われたくないんだが……。何だよその派手な格好。今に始まったことじゃないが……」
 キョウはイツキの頭からつま先まで、苦い顔で眺める。頭には赤いキャップ、アメコミタッチに描かれたエスパーポケモンがプリントされたTシャツに、腰ばきのパッチワーク・ハーフパンツはヴィヴィットカラー、大きなサングラスもシャツの襟から下がっている。今にもブレイクダンスを踊りだしそうな格好だ。
「変装だよー、変装!これなら僕が四天王のイツキってバレないでしょ?」
「ああ、そうか……。身分が分かれば騒ぎになるな。祭りは別行動だな……」
 地元の彼は変装をしないが、イツキは違う。行動を共にしては、すぐに正体がバレてしまうだろう。
 昼食を終え、キョウが自室で身支度をしているとワタルがカイリューに乗ってやって来た。部屋の外から、いつになく調子のいいアキコの声が筒抜けなのですぐに分かる。彼は髪を整えて着流しを纏うと、縁側へ行ってワタルを出迎えた。
「こんにちは、お邪魔します」
 ワタルはカイリューを伴い、キョウに向けて丁寧に頭を下げた。その手にはきちんと手土産も用意されている。手ぶらでやって来たイツキは、そっと顔を逸らした。
「ちょっと装いを変えるだけで、雰囲気変わるねえ」
 キョウは感心しながらワタルを見下ろす。普段オールアップにしているチャンピオンの赤毛は、前髪を作ってサイドの髪を後ろへ撫でつけていた。服装は薄い水色のストライプが入った半袖のリネンシャツに、紺色のチノパン、足元はグレーのデッキシューズと、露出は少ないが清涼感のあるマリンスタイル。一目ではマントが印象的なリーグチャンピオンだと分からないだろう。ワタルは嬉しそうに礼を言う。
「ありがとうございます、結構悩みました。イツキくんは派手だね」
「いいじゃん!僕もバレないように考えてきたんだよ!」
 イツキはキャップを被り直しながら憤慨する。派手な看板のような恰好に、キョウとワタルは不安になった。
「お前、悪目立ちするぞ……。ワタルのような装いの方がいいんじゃないのか」
「せっかくのお祭りなのにさ〜、ワタルみたいな地味な格好はやだよ!弾けなきゃ!」
 聞く耳を持たない少年に、二人は顔を見合わせ、肩をすくめた。相変わらず服のセンスは最悪である。そんなやり取りをしていると、蝉の声に混じって屋敷の外からエンジン音が聞こえ、アキコが三度歓喜しながらインターフォンに出た。今度はカリンが到着したようだ。
 しばらくして、門の外からモデルばりのウォーキングを見せつけながら大きなサングラスをかけたカリンが颯爽と現れる。髪はアップにしており、白のノースリーブブラウスとストライプのショートパンツからすらりと長い四肢が覗く。足元はゴールドのウェッジソールサンダル。真夏の青空のようなネイルが良いアクセントになっていた。
「お待たせ♪私が最後なのね」
 カリンはサングラスを外すと、ブラウスの襟に差し込んで仲間たちに微笑んだ。しばらく見とれていたイツキより先に、ワタルが彼女を褒める。
「その恰好、涼しげで良く似合ってるね」
「ありがと♪」心底嬉しそうなカリンを見て、先を越されたとイツキはショックを受けた。落ち込む彼を無視して、カリンは右手に持っていた紙袋を家主に手渡す。「はい、旦那様。これゼリーだけど」
「悪いな、気を遣わせちまって」
「お世話になるんだもの、当然でしょ」
 イツキはさらにそっぽを向く。ふいに屋敷の周りに清風が流れ、縁側の風鈴が鳴って家を取り囲む木々がゆったりとざわめいた。真夏というのに、ここは大変涼しげだ。大都会に暮らすカリンは、ほっとしたように深呼吸する。
「雰囲気があって素敵なお家ね!庭も広いし……。一戸建てはポケモンを放し飼いできるから羨ましいわ。マンションだと制限されちゃうのよね」
 庭園ではキョウのポケモン達が各々リラックスしながらくつろいでいる。彼はいつも自宅に帰ると、ストレスを溜めないよう手持ちポケモン達を敷地内に放し飼いにしているのだ。これにはワタルも羨望した。
「オレも羨ましいです。ドラゴンポケモンはサイズ的に全て放せないので……」
「ありがとう。ま、庭で立ち話も何だから居間に上がってくれよ。――アキコさん、茶菓子を」
 キョウは礼を言いつつ、アキコに手土産を渡す。縁側から居間に案内されるワタルとカリンを見ながら、イツキは不満そうに唇を尖らせた。
「皆揃ったのに、まだお祭り行かないの?」
「だってまだ4時じゃない。早いでしょ」
 カリンは腕時計を見ながら眉をひそめた。今年初のイベントに浮足立っていたイツキは「え〜……」と露骨に不満を漏らしたが、このような態度が彼女からの評価を下げているとは微塵も思っていないようだ。キョウは呆れつつ、先に出発するよう促した。
「先に行ってていいぞ。ところでお前、どうやってここまで来たんだ?」
「もちろんカブだよ!みんながいいなら先に行ってるけど、お祭り会場どこ?」
「サファリの近くにある市民公園。バイクだとこっから1時間くらいかかるな。道混んでるぞ」
「じゃあ尚更早く行く!ポケモンバトル大会は何時から?」
 イツキはスマートフォンで場所を確認しながら尋ねた。
「5時半だったかな」
 その答えに、カリンは再び腕時計に目を落としながら呆気にとられる。
「あら、アンズちゃんもそのイベントに出るのよね。悠長にお茶してていいの?」
「エントリー数が多いから、回ってくるの1時間後くらいだろうし。場所取りは弟子がしてるから問題なし」
 祭り関係者とはほぼ顔見知りなので、キョウはいつも気長に行動している。駐車場に場所取り、屋台の食事まで……一切の心配がないのだ。

 軽快な足取りで庭を飛び出していったイツキがいなくなると、屋敷に再び穏やかな時間が訪れる。日は傾き、ヒグラシが鳴き始めた。
「落ち着くなあ……」
 ワタルは麦茶を口にしながら、居間の畳の上でほっと息をついた。カリンも頷く。
「こういう空間って一日中いても飽きないわね」
「最近は、子供が刺々しいから落ち着かないけどな。俺が四天王を辞めれば、重圧が無くなってこの問題も解決するのかね……」
 キョウは縁側の柱にもたれながら、煙草をくゆらせていた。涼しげなしじら織の着流しを纏って庭を眺める姿は哀愁を感じ、ジョークと判断しがたい。ワタルはざわつく気持ちを抑えつつ、苦笑いを浮かべた。
「そういう冗談は困ります。明日からタイトルマッチ、よろしくお願いしますね」
「はいはい、厳しいボスだな。――さて、そろそろチェックしますか」
 キョウは冗談っぽく微笑むと、吸殻を庭にいたベトベトンへ投げて溶解させ、腰を上げる。「チェック?」カリンは首を傾げた。
「家でも定期的にコンディションを見ておかないと、技の精度が落ちるんだよ。こういう蒸し暑い時期は、特に体調が変化しやすい」
「毒ポケモンはデリケートですからね」
 ワタルは感心したように頷いた。毒ポケモンはちょっとした環境の変化が毒の精度に影響する。そのため、キョウは毎日定期的にポケモンのコンディションチェックを行っていた。
「娘もそれを分かってくれるといいんだがね」と、言いながら彼は戸棚から扇子を一本取りだした。それを持って縁側へ戻り、庭園にいるポケモンに掲げて打ち鳴らすと、彼らは弾かれるように居住まいを正し、主人の元へ集合する。この連携にワタルは感服した。
「……ん?クロバットはどうした?」
 キョウはすぐに違和感を覚えた。
 いつもなら真っ先に自分の元へ飛んでくる彼女がいない。屋根の上で寝ているのだろうか?しかしこの猛暑の中、瓦の上で過ごすのは自殺行為である。他のポケモン達も、不思議そうに顔を見合わせる。ワタルもすぐに異変を察知した。
「どうしたんですか?」
「クロバットが見当たらなくてな……」
「外にいるんじゃないの?敷地外に出ちゃうポケモンってよくいるじゃない」
 と、カリンは言うがクロバットをよく知るキョウは認めない。
「いや、あいつは目も悪いし放し飼いにしていても、外へ出ることはない」
 彼は免許端末を開き、クロバットの居場所検索をかけた。手持ちポケモンに装着が義務付けられているICマーカーにはGPS機能が備わっており、所在地が一目で分かる。しばらく待った後、画面がマップに切り替わってクロバットの位置情報が表示された。
「は!?市民公園!?」
 それは祭りの会場である。すぐに家を早くに飛び出していった娘の顔が浮かんできた。
「あいつ……!」
 ワタルも何となく状況を察する。「まさか……」キョウが舌打ちしながら頷いた。
「アンズが連れて行ったらしい」
「えっ、気付かなかったの!?」
 カリンは驚愕したが、敷地がこれだけ広大で手持ちも多いのである意味やむを得ない。
「普段在宅時は放し飼いにして、チェックまでノータッチだからな。マズイ、早く行かないと!」
「クロちゃん、よくついていったわね」
「普段はレンズをかけてるし、アンズには懐いてるからな……。油断した……。――アキコさん、車のキーを!」
 珍しく声を荒げる主人に、台所の掃除をしていたアキコは慌てて作業を中断し、キーボックスからレクサスのキーを抜いて彼に手渡した。キョウは鍵を受け取り、帯に扇子を差し込むと、縁側から下駄を履いて飛び出していく。そして真っ先に主人についてきたポケモン達をボールへ収めた。
「オレも行きます!」
 ワタルも靴を引っかけながら、後に続く。カリンも急いでサンダルを履き、男たちを追いかけた。屋敷の空き地に駐車した自身のミニクーパーを通り過ぎ、立派なガレージへ。黒いレクサスが出てきたので、ワタルと共に後部座席へ乗り込んだ。
「シートベルト忘れるなよ」
 乱暴に言い放つキョウに、ワタルがやや驚きつつ「はい!」と叫びながらシートベルトに手を掛けようとした時――レクサスが急発進して車道へ飛びだした。大きく車内は揺れ、彼はカリンに覆い被さる。鼻先に広がる、薔薇の香りに胸が高鳴ったのもつかの間、カーブに急ハンドルを切ったキョウのお陰で二人は引き離された。
「ス、スピード出し過ぎですよ!」
 ワタルは慌てて座席に座り直しながら、スピードメーターを確認する。法定速度は軽く振り切っており、景色があっという間に過ぎ去っていく。「チンタラ走っていられるかよ」と言い捨てながら、キョウは国道に合流した。
「お祭りで交通規制かかってるわよ、どうするの!?」
 青ざめるカリンに、キョウは「それは問題なし!」と断言すると、着物の袂からマタドガスのボールを取出し助手席の窓を開けながら召喚する。吹き込んでくる強風に耐えながら、マタドガスは助手席のシートに張り付いた。
 彼は前方を走る車を次々抜き去りながら、交通整理中の警察官を見つけては事前に煙幕で周囲を覆って辺りを翻弄する。プロのポケモンなので技の威力は抜群、得意なサインで指示をするタイミングも絶妙で、相手が気づく前に逃げ去ることができた。
「これはマズイです!本当にマズイ……!」
 警察を撒くたびに、ワタルは後ろを振り返りながら青ざめた。
「これって暴走族の常套手段よね。オジサマ昔ヤンチャしてたの?」
 アームレストにしがみ付きながら尋ねるカリンに、キョウは涼しい口調でさらりと流す。
「いやいや。車とバイクが好きなだけの、品行方正な若者だったよ」
 もちろん大方嘘であろうことは二人にも察しがついていた。荒い運転技術は、ライパチ始めとする悪友たちと遊んでいる間に身に付けたものだ。すっかり落ち着いた今でも、感覚はしっかりと残っている。試合会場まであと15分と迫ったとき、彼は突然ブレーキを踏んだ。ワタルは運転席の背もたれに顔を打ち付ける。
「な、なんですか!?」
 なんとか身体を起こすと、前方に整然と並んだ車の列が目に入ってくる。
「くそっ、渋滞してやがる!この辺から混むからな……」
 舌打ちするキョウを見て、カリンがシートベルトを外しながら腰を浮かせた。
「私が駐車しておくから、先に行って!早くクロちゃんを安心させてあげて」
 その提案に、キョウは躊躇することなく従った。「ありがとう、頼んだ」カリンと運転を入れ替わり、彼はポケモンをボールへ戻すと、祭りへ向かう客でごった返している歩道へと入っていく。ワタルも急いで後を追った。
「あとからお巡りさんが追ってこないといいけど……」
 男たちの後姿を見送りながら、カリンは小さく息をついた。

 ワタルとキョウの二人は歩道を行く人々の目を引いた。
 チャンピオンはともかくキョウはテレビのままの恰好をしているため、誰もが一目でこの街一番のスターだと認識する。そして後ろからついてくる赤毛のカジュアルな若者を見て、まさか……と気付くのだ。
「あれ、チャンピオン!?」「キョウさんもいる!」「本物かな!?」
 どよめきが増していき、次第に道が塞がれていく。ワタルは焦り始めていた。
「思いっきり、気付かれてますよ……!」
 すると前方から、いきなり若い女性が飛び出してきた。「握手してくださーい!」それを皮切りに、人ごみが一斉に二人に押しかけてくる。足止めを食らってしまう――ワタルが苦笑しつつどうやり過ごそうか考えていたとき、野太い声が辺りに響き渡った。
「おざっす、オジキ!!ご無沙汰しております!!」
 沿道の屋台から飛び出してきた大男を見るなり、野次馬は蜘蛛の子を散らすように距離を取った。腕からはギャラドスの入れ墨が覗き、唇の下にはピアスが刺さっている。どう見てもカタギの人間ではない。ワタルは硬直する。
「お待ちしておりましたっ!これ、俺の作ったイカ焼きなんスけど、ぜひ……」
 大男はキョウに向け丁寧に頭を下げると、彼の前へビニールに入った大量のイカ焼きを突き出した。ワタルが呆気にとられるのもつかの間――キョウはどすの利いた声で叱り飛ばす。
「そんなもん、今はどうでもいいだよ!お前、ちょっと前走って道開けろ!」
「へいっ!」大男はすぐに従った。彼が前を走るだけで、道が切り開かれる。
「……お、お知り合いですか?」
「弟子」
 キョウは早くも息切れしつつ、短く答える。
「そういえば保護司をされてましたっけ……」
「これでも昼間は真面目に働いているんだよ」
 彼はセキチクジムのリーダーだった頃、前科者を弟子にとって保護司をしていたのだ。その更生能力は定評があり、弟子達は今も彼に頭が上がらない。前を走っている彼は、恐る恐る師匠に尋ねた。
「オジキ、そんなに急いでどうしたんスか?」
「娘が俺のポケモンを持って大会に出たらしい。早く回収しないと……!」
「マジっスか!?他の奴らにも連絡しますよ!」
「頼む。持って行ったのはクロバットなんだが……」
「えっ!?やべえ!」
 この異様な光景に、テキヤをやっていた弟子たちも次々に客を放置して飛び出してくる。それは祭りに参加している地元の有志達も同じことだ。騒然とする場を見て、ワタルは改めてキョウという男の人望に度肝を抜かれていた。これほど地元から信頼されている元ジムリーダーはなかなかいない。
「あっ、ワタル!キョウさん!」 
 バトル会場へ近づいた時、人ごみに紛れて試合を観戦していたイツキが大量の屋台料理を抱えて駆け寄ってくる。
「大変だよ、今アンズちゃんがステージに上がってるんだけど……!」 
 青ざめるイツキを押しのけ、キョウは少し先に設置されているステージを見上げた。

+++

 その時、夏祭りバトル大会はアンズの予選一回戦を迎えていた。
 1メートルほどの高さに設営されたバトルステージにて、少女が繰り出したのは大変に手入れが行き届いたクロバット。このポケモンは育成が難しく、なかなかお目にかかれない。観衆は皆、惚れ惚れとその姿に注目する。アンズはテクニカルエリアから誇らしげにセキチクの地元民たちを見下ろした。客たちは誰一人、父親のポケモンを使っていることに気付いておらず、「さすがキョウさんのお子さん!」と舌を巻いている。それはクラスメイト達も同様であった。
 しかし唯一、審判を担当していたリーゼント頭のサファリゾーン副園長は眉をひそめる。
「アンズちゃん、そのクロバット……。お父さんのじゃ……」
「ち、違います!」
 アンズはクロバットの目に掛けられているレンズとICマーカーを隠すように、副園長の前に立ちふさがった。
「レンズしてるよね?お父さんの許可は貰ったの?」
 詰め寄る副園長に、アンズは言葉を濁す。
「これ、私のクロちゃんだから……!」
「……それならいいけど。お父さんのポケモンと似てたから気になったんだ」
 副園長は歯切れの悪いアンズを訝しんだが、これ以上詰め寄っては進行に支障が出る。他のスタッフからの視線が刺さるので、彼はそのまま試合を続けることにした。アンズはほっと胸を撫で下ろしながら、クロバットを鼓舞する。
「クロちゃん、よろしくね!かっこいいとこ見せよう!」
 抱きついてくるアンズに微笑みつつも、クロバットは内心不安で一杯だった。まさかポケモンバトルに駆り出されるとは思っておらず、これが主人に知れれば必ず叱責されるだろう。その上、分厚いピントレンズを掛けたままで試合に臨むなど初めてで、違和感が拭いきれない。視界が鮮明になっているため、観衆の顔も吐き気を催すほどによく見える。ストレスは怒涛の勢いで蓄積されていた。とにかく、何もかもが不安で仕方がない。早く主人の元へ帰りたい……。
「クロちゃんがいれば絶対勝てるよ!」
 しかしアンズは強力なポケモンを得られた喜びで、すっかり浮かれあがっていた。ステージ下で応援しているクラスメイト達の羨望の眼差しも、高まる気持ちに拍車をかける。タッグは温度差を保ったまま、試合に突入した。対戦相手が繰り出したのは、オニドリルである。
「クロちゃん、先制だよ!どくどくのキバ!」
 アンズの指示に、クロバットは困惑しつつオニドリルへ飛びかかった。通常ならば主の扇子からターゲットの位置、攻撃ポイント、毒の分量まで細かく指示が発せられるところだが当然アンズには不可能だ。クロバットはひとまず、オニドリルの長い首めがけて牙を剥いた。
「オニドリル、ドリルくちばしで応戦だっ!」 
 オニドリルは身体を捻りながらクチバシを繰り出しつつ、クロバットの攻撃を回避しようと試みた。しかしプロのポケモンの攻撃は鋭利なクチバシを押し切り、鳥の身体に牙を突き立てる。圧倒的な攻撃に会場は沸き上がった。それは同時に、アンズの自信を後押しする。
 強いポケモンが思い通りになるのは、なんと気持ちがいいのだろう……!
「いいよおっ、クロちゃん!」
 次の技を指示しようとしたとき、クロバットを突き離そうとしたオニドリルの翼が彼女の顔に触れ、レンズを跳ね飛ばした。途端に視界はぼやけて、すべての距離感が失われる。
「クロちゃん、エアスラッシュ!」
 声を上げるアンズ。
 しかしどこへ技を放てばいいのか分からない。その隙にオニドリルが動いた。
「オニドリル、つばめ返しだ!」
 動きが鈍ったクロバットに、オニドリルが軽やかに突進して彼女を跳ね飛ばした。「クロちゃん……!」どよめく場内。戸惑うアンズの視界に、フィールド内に転がっているレンズが目に留まる。
「あっ、レンズ……!」
 慌てて拾おうとテクニカルエリアのラインを越えようとしたとき、脇にスタンバイしていた審判の副園長がすかさず彼女を制した。
「テクニカルエリアから出ちゃだめだ!失格になるよ!」
 バトルフィールドはポケモンだけの聖域で、トレーナーはそこを取り囲むテクニカルエリア内から出てはならない――誰もが知っている常識だが、今はそれどころではないのだ。
「でも……、クロちゃんは……!」
「オニドリル、乱れ突き!」
 怯んだクロバットへ、オニドリルが次々にクチバシを突き立てていく。攻撃の一打一打に重みはないが、彼女を翻弄させるには十分すぎる。ついにその一手が額に命中した時――クロバットの理性の糸が途切れた。眉間にめり込む鋭い感覚は、封じ込めていたい過去を引きずり出し、生々しく蘇らせる。
 
 群れからはぐれて、たった一匹で彷徨っていたズバット。
 超音波を発しながら、闇の中を手探りで飛び続けた。すると、すぐ近くで声が聞こえる。
「またズバットかよ。こんな雑魚いらねえよ、鬱陶しい!」
 罵声と共に飛んできた鋭い石が眉間に突き刺さり、ズバットは地面に崩れ落ちた。
「せっかくサファリに来たのに、なんでつまんねえポケモンしか出てこないんだよ!入園料返せ!」
 激しく踏みつけられ、悲鳴を上げることすらままならない。石はさらにめり込み、激痛が身体を支配する。
「ったくよお……。ついてねーな」
 やがて暴力は止み、場は静かになった。

 真っ暗な闇の中、ズバットは血だまりに浮いていた。
 次第に身体は重くなっていき、無抵抗なまま、死だけを待っていた。

 それを助けてくれたのは――。 

『俺が目になってやるよ。この世は見ない方がいいものが多すぎる』

 どんな光よりも自分を照らしてくれる、自分の主人だ。

 クロバットは滅茶苦茶に絶叫しながら、空へ飛び上がった。
 微かに聞き慣れた扇子の音が聞こえたが、スピーカーにぶつかってしまい『おーっと!?クロバットどうした!?』という大音量の実況がそれをかき消し、彼女をパニックに陥らせた。
「クロちゃん!」
 アンズは急いでクロバットの背中を追う。
 その羽を掴もうとしたが、彼女はあっという間に飛翔し、闇夜の中へ吸い込まれるように消えて行った。どよめく観衆たちの視線が一斉にアンズへ集中する。みるみる血の気が引いていった。
「アンズちゃん、やっぱりあのクロバット……」
 副園長も真っ青になりながら、彼女の肩を叩く。
 アンズは硬直したままテクニカルエリアに立ち尽くしていた。舞台から見下ろす人々の目が、たちまち冷めていくのが痛いほどに実感できる。この騒然とした場は、あと数秒ですぐに嘲笑へと変わるだろう。クラスメイトにも軽蔑される。四天王の娘がバトル中にポケモンを逃がしてしまうなんて……父親のイメージダウンも免れられないだろう。
 恐怖に震えるアンズの視界が涙で霞み始めたとき――、
「あれーっ、チャンピオンのワタルさんじゃないですかぁ!どうしたんですかー、お忍びで!」
 と、観衆の後ろからわざとらしい声が上がった。アンズがその人生で、最も多く耳にした声音。
 皆、一斉にそちらを向く。
「キョウさ……、ちょっと!何言って……っ」
 視線はたちまち、慌てふためくワタルへ集中した。会場のどよめきが大きく波打ち始める。それに追い打ちをかける様に、キョウはイツキのキャップを取って放り投げた。
「おおっ、こちらには四天王のイツキさんまで!大スター勢揃いじゃないですかー!スペシャルゲストなのかな、ポケモンバトルとか披露してくれちゃうのかな!?見たいよねえ、例えば……ほら!イツキ復帰戦のタイトルマッチ!アレ再現できるんじゃないのォ!?」 
 ぽかんとするイツキを差し置き、弟子達はすかさず野太い声を揃えて「見たいっす!」と合わせる。それを引き金に、会場はポケモンバトル大会など忘れて大きく沸き上がった。セキチクシティでは視聴率80%越え、スタジアムチケットも既に今シーズンは全てソールドアウト――この地方で最も熱い娯楽『ポケモンバトル』を提供するプロトレーナー達がそこにいるのである。バトルを熱望するコールがあちこちから発せられ、ワタルとイツキを煽り立てた。
「……じゃ、あと頼んだ」
 キョウはワタルの肩を軽く叩くと、身を翻して弟子の陰に隠れる。チャンピオンは悲鳴を上げた。
「試合なんかできませんよ……!申請が……」 
「イツキ、申請何とかしろ。トキワのイベントで教えただろ?フェンスの張り方もな。俺はクロバットを追う」 
 イツキは「ラジャー!」と敬礼する。悪い大人の教育を受けている彼は既にこのようなことは手馴れていた。流れる様にポケモン申請を行いつつ、ふと思いついてベルトループに引っかけていたバイクのキーを取り外す。
「キョウさん、僕のリトルカブ使って!南第3駐車場ってとこに置いてるから」
「ありがとよ」
 弧を描く様に飛んできたネイティオのキーホルダーが付いた鍵を受け取り、キョウは人ごみをかき分け、出口へと走り出した。こうなってはワタルも止めることができない。アドリブでショーを行うのみだ。
「オジキ、オレらも手伝います!」
 弟子たちも各々散らばっていく。
 キョウはふと足を止め、ステージを振り向いた。立ち尽くしているアンズを叱り飛ばしたい衝動を抑え、ぽかんと口を開けているリーゼントの幼馴染に手振りでワタルとイツキを壇上へ上げる様に指示を出す。それを見て、ライパチは我に返った。
「そ、それでは――サプライズゲストの登場です!みなさ〜ん、道を開けてください!チャンピオンと四天王さん、どうぞこちらへ〜!」
 立ち見の観客たちが割れ、たちまち道ができる。勇ましく近寄ってくるワタル達を見て、アンズの硬直もようやく解き放たれた。
(クロちゃんを、追わなきゃ……っ)
 彼女は弾かれたようにステージを駆け下りると、友人や副園長たちの制止も振り切って駐輪場へと走り出した。
(どうしよう、どうしよう!!)
 スタートレーナーの登場に、屋台で買い物をしていた客たちも一斉にステージへ集まってくる。アンズはその流れに逆流しながら、必死で自らの自転車を探し出した。目的の物はすぐに見つかったが、駐輪場は取り出すのも困難なほど詰め込まれている。
(クロちゃん、目がほとんど見えないんだよ……。こんな夜に彷徨って車とかにはねられたら……!)
 アンズは大きな目いっぱいに涙を溜めながら、無我夢中でピンク色の自転車を引き出した。震える手でロックを解除し、サドルに跨ってペダルを踏みしめる。
(お父さん……っ、クロちゃん……!!!)
 会場から聞こえてくる大きな歓声を気にも留めず、アンズは急いで駐輪場を飛び出した。 

鈴志木 ( 2013/05/17(金) 17:34 )