エピローグ
それから二週間後。
イツキは変装も一切せず、世間一般に知られている派手な格好のままネイティオを引き連れ、リトルカブでチョウジタウンの老舗いかり饅頭店を訪れた。アポイントもなく現れたポケモントレーナー界のスター、四天王イツキの登場に店内は騒然となる。ばつの悪そうな相棒とは対照的に、イツキは周囲の空気を気にかける様子もなく、ショーケース越しに店の奥を覗き込んだ。すぐに小さな男の子が興奮気味に顔を出す。
「イツキさんっ!!」
「こんにちはー!」
イツキが赤いフレームの眼鏡越しに満面の笑みで挨拶すると、男の子は一か月前に店を訪れた彼似の少年を思い出した。
「やっぱりこないだ来てくれたのは……」
「あいつは僕じゃないよ。僕の遠いとおーい親戚なんだ。あいつから君が僕のファンだって聞いて、来ちゃったー!」
主人のわざとらしい話ぶりにネイティオは怪訝そうな表情を浮かべたが、男の子はたちまち信じ込んだ。今は何より、大ファンのポケモントレーナーが目の前にいることが重要なのだ。
「は、はい!ぼく、イツキさんのファンです。ネイティオも好き!」
「僕の復帰戦見てくれた!?ネオの活躍、すごかったでしょ」
弾むような口調で尋ねるイツキに、少年も気を良くして勢いよく頷く。
「う、うん!とってもかっこよかった!アシストパワー!」
彼は胸元で手を組み、力を溜めるような仕草をした後、それを一気に放出するように両手を広げる。これはチャンピオン戦後、子供たちの中で流行っているポージングである。実際のところイツキはこのようなアクションはしていなかったのだが、尾ひれがついて進化していた。この遊びは彼自身も気に入っており、男の子に向けてネイティオと共に「アシストパワー!」と大げさにアピールすると、たちまち店内は拍手喝采。
「かっこいい〜!!!」
と、少年も飛び跳ねる。純粋に喜ぶ様子に、茶番に付き合ったネイティオもまんざらではなさそうだ。イツキはますます気を良くした。
「ありがとうっ!嬉しいから元祖いかり饅頭24個入りを10箱ください」
気前のいい注文に、傍で見ていた女将が目を丸くする。
「そんなに……。ありがとうございます!もしかしてヤナギさんに差し上げるんですか?」
イツキが謹慎中にヤナギに弟子入りしていたことは、チャンピオン戦を通じ、世間に風の如く広まっていた。地元では堅物で知られていた彼が、若さ溢れるこの少年の不調を救った事実は評判を呼び、ヤナギはチョウジタウンではちょっとしたヒーローとなっている。しかし、そういった持ち上げ方を嫌う彼は、憤慨してイツキとの連絡を絶ってしまった。
「あ、いや……。ヤナさんはあの復帰戦から着信拒否にされてて……。噂では全国ネットで間抜け面を晒したからとか聞いてます……。もしこのお店に来たら、許してあげてくださいって一言伝えてもらってもいいですか」
「いいよー。ヤナギおじいちゃん、お店によく来るから!」
得意げに話す男の子を見て、イツキは大仰に「へえ!」と感心する。
「そうなんですよ。でもヤナギさん、最近またジムにお弟子さんを取られたから、その方達がお使いに来られることが多くなりましたけどね」
弟子、と聞いてイツキの表情はさらに明るくなった。
「ヤナさん弟子取ったんだー!ふふふっ、僕の功績かな……」
「そうなんじゃないかしらって、みんな言ってますよ」
「さすがお兄ちゃん!」
「ありがとう〜!そうそう、ここへ来たのはお饅頭買いに来たっていうのもあるけど、君へのありがとうの気持ちを伝えたくて。これ、よかったら貰ってよ」
そう言いながら、彼はボディバッグから昨日まで使っていたレイバンの大判サングラスと、サイン入りのハイパーボールを取り出し、ショーケースの上に置いた。突然のサプライズに、男の子は度肝を抜かれる。
「いいの!?」
「うん、君は僕の一番のファンだから!」
サングラスを取ろうとした少年の手を、母親である女将が慌てて制した。
「そんな、こんな良い物をいただくのは!お饅頭代もいりませんので、どうか……」
「大丈夫です、ヒーローはお金とか気にしないんでっ♪お金もちゃんと、払います!」
イツキは女将の言葉を遮りながら財布の中から躊躇なく万札を出し、そっとキャッシュトレイの上に置く。内心は緊張していたし札も行きがけにATMで下してきたばかりだったが、普段金に執着しない同僚に囲まれているので、善意に甘えるのは器が小さいと言い聞かせた。そんなイツキの葛藤を知る由もなく、無垢な男の子は大きな瞳を輝かせながら羨望の眼差しを送る。
「ありがとう、イツキお兄ちゃん!僕、ずっとずーっと……お兄ちゃんのことを応援してるからね!10歳になったらポケモン始めて、お兄ちゃんみたいなカッコいいエスパー使いになるんだ!」
「OK、僕はいつでもセキエイで待ってるよ」
イツキは少年にピースサインを送ると、饅頭の箱を抱え、ネイティオと共に颯爽と店を出て行った。その場にいた客達もうかつに話しかけられないオーラを放ちながら、彼はバケツやデッキブラシが吊り下がっているリトルカブの荷台に饅頭を積み、最後に相棒を乗せて走り去って行く。少年はサングラスを大切に抱えながら、惚けた様に呟いた。
「かっこいー……」
そして徐にサングラスをかけると、窓越しにサイン入りのボールを晴天の青空へ掲げて見せた。
バイクを走らせエンジュジムに到着したイツキは、デッキブラシと饅頭の箱を持ってジムの門を叩いた。
「ちわ〜っ、エスパーハウスクリーニングで〜す!予約されてたトイレ掃除に上がりましたあ!」
わざとらしい声を上げると、玄関からマツバが待ち伏せしていたかのように現れた。
「遅いぞ、5分も遅刻しやがって!」
「ごめーん、手土産買ってた。これ、みんなで食べてよ!いかり饅頭、超美味しいよ!」
イツキの腕に抱えられた大量のいかり饅頭の箱を見て、マツバは思わず眉をひそめる。
「……この間、ヤナギさんに貰ったばかりで余っているんだが」
「えええっ!?なんでヤナさんが……」
「最近、時間が合ったら鍛えてもらってるんだよ。お前をきっかけに色々サポートするようになったらしい。……認めたくないがな!それと、馴れ馴れしくヤナさんって呼ぶなって言ってるだろうがっ」
マツバは不快感を露わにしたが、当のイツキはまるで気にするそぶりもなく、まるで自分の手柄の様に得意げだ。
「僕の謹慎も結果オーライだったのかなあ。何でかよく分からないけど、あの試合を見てポケモントレーナーも増えたらしいし……。お給料増えるかな〜」
「ふざけるなっ、挑戦者が増えたおかげで俺の仕事もよりハードになったんだぞ!ジムリーダーの身にもなれよっ」
「仕事があるうちが花だよ、マツ……」
と、悟ったようなイツキの態度は、マツバの怒りを増長させる。
「調子に乗りやがって!この後トイレ掃除だということを忘れるなよ。俺、そして弟子の掃除に対する目は厳しいぞ。ジョウト一といっても過言ではなく……!」
友人の言葉を遮るように、イツキはデッキブラシをバトンの様に振り回すと、自信たっぷりに声を弾ませる。
「僕は四天王だよ?掃除くらい、朝飯前だからね!毎日磨き上げてるこのリトルカブのように、ジムのトイレもピッカピカにするよ!そんでバッチリだったら、ハーレーよろしく〜っ」
イツキはそう言いながら、「エスパーハウスクリーニングで〜すっ」と軽妙な足取りでジムの中へ飛び込んでいく。弟子たちが修行の手を止め、歓声を上げながら彼を出迎える声が聞こえてきた。いつもの明るさを完全に取り戻した友人を見てマツバは安堵したが、バケツの取っ手を咥えたまま自分を凝視しているネイティオに気付いて、すぐに態度を急変させた。
「なんでそうなるんだ!厳しく見てやるから、覚悟しろ!」
彼は友人の後を追いかけながら、ジムへ戻って行く。
そんな微笑ましい光景を見送りながら、ネイティオはほっと息をつき、空を見上げる。
抜けるような青空は、すっかり梅雨開け。すぐそばに迫っている夏を感じさせていた。