第2話:雨に憂えば
マツバに薬を分けて貰ったお陰で、ひき始めの風邪は悪化することがなかった。
朝6時にマツバがセットしていた目覚まし時計が鳴り響き、すぐにソファで寝ていた彼が動き出す。イツキはその様子をベッドの中からぼんやりと眺めていた。窓の外から、しとしとと五月雨の音が聞こえてくる。
「……朝、早いんだね」
普段午後から出勤するイツキは、いつもこの時間は夢の中だ。
「ジムリーダーは朝早いんだよ。あと30分で出るから、体調回復してたらお前も起きろ」
「風邪は治ったっぽいけど、ねむい……」
「お前、今日はマスターシリーズだろ?いつまでも寝てんなっ。コーヒー飲むか?」
マツバは瞬間湯沸かし器をイツキに示しながら尋ねた。彼は布団を被りながら、まどろみつつ答える。
「コーヒー嫌い……。ミックスオレないの?」
「あんな甘ったるいの、うちにはない」
「ああそう……」
意識が再び夢へと旅立とうとしたとき、勢いよく布団を剥がされた。
「起きろって!」
+++
(結局何の解決にもなってないんだよなー……)
マツバのアパートを叩きだされたイツキは、コンビニで朝食を買ってスリバチ山麓付近の人気のない公園で食事をとっていた。屋根つきのベンチに腰を下ろし、長雨に目を向けているだけで時間は過ぎていく。張り付くような湿気が不快で、セキエイへ向かう気も失せてしまっていた。
(このままじゃまた負けるよ……。まだポケモンバトルはしたくない……)
だが時間は過ぎていくし、人々はポケモンバトルを楽しみにセキエイへやってくる。今日行われるマスターシリーズはプロ同士の試合と言うだけあり、特に人気のイベントである。
(今日の僕の相手はシバなんだよなぁ……。余計にやる気が出ない。シバは人気があるから……)
そんなことをベンチに座って考えている間に、昼にさしかかり、出勤時間が近づいてきた。
雨は相変わらず降り続いている。
(もう行かなきゃ……)
でも行きたくない……。
負けて罵声を浴びせられるのは、もううんざりだ。
逃げているのは分かっているが、フィールドに立つのが怖い。
とにかくバトルがしたくない。
まるでネガティブの蟻地獄に落ちた気分であった。
そのまま俯いていると、ジャケットのポケットに入れているスマートフォンが振動する。
そのリズムで電話だとすぐに気づいた。電話主は想像がつく。
現実を押し付けるようなバイブレーションに嫌気がさし、彼は衝動的に携帯の電源を切った。
(……アウト)
腕時計の時計を一瞥し、とっくに出勤時間が過ぎていることを確認する。
イツキは深いため息をついた。
吐き出された負い目が、雨に混ざって公園の砂に消えていく。
+++
「無断欠勤ねえ……」
セキエイへ降り注ぐ冷たい雨を、窓越しに眺めながら、総監は小さく息を吐いた。デスクの向かいに立っていたワタルは深く頭を下げる。
「申し訳ありません……、すぐに呼び戻しますので」
「その必要はないよ」
冷ややかな声を聞き、彼は驚愕しながら頭を上げた。
「あの、それは」
「そんな非常識で責任感のない者はプロとは言えません。解雇します」
総監は現実味を帯びている平坦な口調で、極めて事務的に言い放った。
ワタルの全身から血の気が引いていく。確かにイツキの行動は非常識だが、それでも仲間としてすぐに見限ることはできなかった。彼は身を乗り出し、必死で引き留めようと試みる。
「待ってください!さすがにそれは――」
総監はワタルへ向き直ると、涼しく流す。
「四天王になりたい者なんて、いくらでもいるしね。ほら、イツキ君は去年の試験でも成績6位だったし」
「でも彼はそこから挽回しました、今回の不調もきっと乗り越えるはずです。ですから……!」
「冗談だよ」
総監の満面の笑みに、ワタルは仰天した。
チャンピオンは真面目一筋で、誠実そのもの。総監は信頼していたが、からかうのも楽しみの一つとなっていた。彼は髭を伸ばしながら、罰を提案する。
「無断欠勤一回程度でクビにするほど、私は鬼じゃないよ。5万円の罰金と一か月の謹慎で手を打とうじゃないか」
「一か月……!」
解雇はもちろんのこと、たった一度の無断欠勤で一月も謹慎など、厳しすぎる処分だった。通常は罰金程度で十分である。眉をひそめるワタルに向かって、総監は含みのある笑みを浮かべた。
「それくらいあればスランプも抜けられるんじゃないかね?」
つまり恩情の意図もあるということらしい。
しかしワタルは、総監という男が何を考えているのか全く読むことができずに困惑していた。イツキのことを心配しているのだろうか?一人の不調のために一月も休ませる代償は大きいというのに。
「ですがマスターシリーズやタイトルマッチは……」
「“三”天王で乗り切るしかないね。まあ……彼らはとっても強いから、イツキ君の出番が来ることはないようにしてくれると思うよ。そして謹慎明けは復帰試合をしないとね」
総監は口角を上げたが、その表情からは笑顔が消えていた。ワタルを射る様に睨みつけ、重厚な口調で告げる。
「プロのスランプというのは、それだけでドラマだ。迷惑をかけた分、ショーにしてお客様に還元しなければ。スランプではないが、去年の君も似た状況に晒されていたねえ。“優秀な”君は充分な働きをしてくれた。さて、イツキ君はどうだろう?どんなエンターテイメント・ショーを見せてくれるかな?」
金も取れない興行になるのであれば、そのまま切り捨てるまで。そんな真意が本部トップの彼の言葉から伝わってくる。
ワタルは息を呑んだ。
反論などできない。
今、自分がやっていることはポケモンバトルも含め――全て、ファンやポケモンリーグのための『ショー』なのだと、チャンピオンになった際に受け入れたのだ。
(だが、いくらなんでもドライすぎるんじゃないだろうか……)
彼は心に生じた僅かな綻びを、隠すように押し込んだ。
ワタルはこの話をロッカールームに待機していた仲間に説明した。スランプをショーにする、という総監の言葉は気を悪くさせると判断して伝えず、イツキを謹慎処分にして一か月後に復帰戦を行うという内容だけだ。全て聞いたところで、キョウは感心したように微笑んだ。
「なるほど。あのタヌキジジイ、意外に優しいんだな。お気に入りのチャンピオン様のお陰かな?」
「茶化さないでくださいよ。……というわけで、すみませんが一か月フォローをお願いします」
ワタルが三人の仲間に会釈する。シバは素っ気なく答えた。
「イツキが抜けようと、挑戦者を一人目で食い止めるスタンスは変わらん」
「あら素敵。ところで、ネイティオちゃん達はどうするの?」
と、言いながらカリンはロッカールームの隅でしょんぼりと肩を落としているネイティオを示した。今日こそ迎えに来てくれると信じて、こうして待っていたのだ。だが謹慎と聞いて、彼はさらに項垂れた。
「オレがイツキくんに返しに行くよ」
塞ぎこむネイティオを見ていられず、手を伸ばそうとしたワタルを、すかさずシバが引き止める。
「そんなことはしなくていい。あいつには二軍を鍛えさせるべきだ」
「でも主人がいないと……。いつまでもここに置いておくべきじゃない」
「ネイティオがいるとあいつは頼り切って甘くなる。持っていくな」
不愛想に言いつつもイツキに対する心配が垣間見え、キョウは思わず頬を緩ませた。
「おっ、“アニキ”もイツキを心配しているのか。優しいな」
「茶化すな。あんな不甲斐ない男が同じ四天王など許さん。謹慎後に変わってなかったら、もう見限る」
「そうね、いくら未成年とはいえ……プロということを心得ていてほしいわ」
うんざりしている仲間達に目を逸らしながら、ワタルは小さくため息をついた。
このような反応は残念だが、プロとしては当然のことである。とはいえ、イツキのポケモン達に負い目を感じさせてはならない。ワタルはネイティオの元まで歩んで屈みこむと、その陰鬱な表情を覗き込んだ。
「それじゃ、イツキくんのポケモンはオレが預かっておくよ。いいね、ネイティオ?」
ネイティオは申し訳なさそうに頷いた。
普段ポーカーフェイスの彼でも、そのひどい落ち込みようは誰の目にも明らかだ。カリンもネイティオの傍に近寄ると、柔和な微笑みを浮かべてその頭をそっと撫でた。
「大丈夫、あなたは捨てられたわけじゃないのよ。むしろ、捨てられかけているのはご主人様の方だから」
「そこまで言わなくても……」
苦笑するワタルに、カリンはきっぱりと反論した。
「いいの、プロは甘くないのよ。ここでイツキが潰れたら、そこまでの男ってことよ」
ネイティオはいたたまれない気持ちになった。
――僕だけ足手まといになるのは嫌だ!
そう言って、デビュー前に大怪我をした時も、主は立ち上がったのに。
捕獲されて6年、危なっかしい所もあったが順調すぎるほど上手くいってきた。
この6年間は、まるで夢のようだった。
リングマに襲われて終わっていたかもしれない生涯が、こんなにも輝いているなんて。
――明日起きたら、夢でしたってことはないよね?
デビュー前夜にぽつりと呟いた言葉。夢は覚めることなく、まだ続いている。
どうか分かってほしい。
貴方はここで終わるようなトレーナーではないということを。
これはまだ、夢の通過点。
+++
『協議の結果、今回の無断欠勤の処分として、一か月の謹慎をしていただくことになりました。
復帰戦の予定は追って連絡するので、その間修練を怠らず、スキルアップを図ってください。 ワタル』
降り続く雨の中、イツキはぼんやりとスマートフォンの画面を眺めていた。
「一月謹慎……」
何となく連絡を拒否した代償は、思った以上に大きかった。
がっくりと肩を落とし、胸のつかえを取るようにたっぷりと息を吐く。みるみるうちに、ワタルからのメール画面が霞んでいった。
「そこまで厳しくなくてもいいじゃん……」
とはいえ、セキエイでは現在、マスターシリーズの試合が行われていることだろう。
四天王の一人として、それを逃げ出した罪は非常に大きい。
そして恐らく、テレビやネットでは去年のグリーン以上のバッシングを受けているのだろう。地面に打ち付ける雨音が、自分への罵声のようにも感じられた。コンビニで買った傘をさしてリトルカブを押しながら、イツキは空も薄暗いエンジュシティを行くあてもなくふら付いていた。目についた街頭のテレビは、どれもマスターシリーズを放送している。隅には、『イツキ不在!』のテロップがきっちりと表示されていた。たまに裏番組が放送されているテレビもあったが、謹慎の真相を確かめるべく彼の自宅アパート前に群がっている報道風景ばかりだ。これでは帰宅することもままならない。
「ねえ、あの子もしかして四天王のイツキじゃない?」
ふいに背中越しに声がして、イツキの肩が跳ね上がる。若い女性二人の会話が聞こえてきた。
「似てるけど……何でここにいるの?今日ってマスターシリーズでしょ」
「知らないの?何かペナルティを受けたから、しばらく休むんだって。負けまくってるから休養じゃないかって、もっぱらの噂だけど」
「マジ?あー、確かに情けないくらい負けてたけどさぁ……。ガッカリ!可愛いくてポケモン強いとこ、好きだったのに」
ストレートな言葉は、残酷にイツキに突き刺さる。だが今は反論することもできない。
「ってかさ、アレ本人だったらどうするの?ヤバくない?」
「聞いてみる?写真、ツイッターに上げようよ」
近づいてくる足音から逃げるように、イツキは傘を捨ててリトルカブに跨ると、そのまま走り去って行った。消えていく小さな背中を眺めながら、女性二人はぽかんと顔を見合わせる。
「……本物?」
夜22時を回ってマツバがアパートへ帰宅すると、ドアの前にヘルメットとボディバッグを抱えてずぶ濡れになっているイツキが座り込んでいた。
「おかえり」
彼は引きつったように笑う。
まるで捨て猫のようだとマツバは一瞬考えたが、仏心を出さず、冷たく平坦な口調で切り捨てた。
「風邪悪化させて、泊まりこもうって算段か」
「そうじゃないけど。ちょっと、居候させてくんない?」
「一月?」
その言葉に、イツキは目を見張る。
彼が謹慎を言い渡されたことは速報で全国を駆け巡っており、既にマツバの耳にも入っていたのだ。
「調整休暇か。羨ましいな、ジムリーダーならクビが飛んでる」
「……うん」
イツキは闇夜を濡らす雨を、うわの空で眺めながら頷く。本部に突き放され、一人投げ出された彼は、このまま雨粒に混じって消えてしまいそうなほど儚げだ。マツバは小さく息を吐くと、ドアを開けて友へ声をかける。
「入れよ」
目を丸くするイツキを、マツバは仏頂面のまま招き入れた。
「朝夜の食事込み、一泊1万で泊めてやる。特別だからな!今フリーだから泊めてやるだけで、彼女いたら断ってる!」
「あ、ありがとう……!ちょっと高いけど……、マツは親友だよ!」
感極まりつつ、水をしたたらせながら部屋に上がりこもうとするイツキに向けて、マツバはバスタオルと自分の部屋着を投げつけた。
彼はそれを抱え込むと、玄関の隣にある風呂場へ駆け込んで冷えた身体をシャワーで流す。温かなお湯は打ちのめされた心をも解してくれるようだった。外に振り続いている雨も、これくらい温かければいいのに、とイツキは考える。
しばらくシャワーを堪能し、マツバの部屋着に着替えて浴室を出ると、友人は冷蔵庫の中身を確認しながら夕食の献立を考えているところだった。
「もうメシ食ったのか?」
眼鏡を掛けながら近寄ってくるイツキに、彼は尋ねた。
「自販機のコーンスープだけでマツの帰り待ってて、お腹ペコペコ。……今からご飯作るの?食べに行こうよ」
それを聞いて、マツバは不快感を露わにした。
「お前な、栄養に気を遣ってるか?プロトレーナーはテクニカルエリアを走り回る為の体力作りが重要なんだ。うちでは自炊が基本なんだよ」
「すごいっ、そんなことまで考えてるんだ。僕ファストフードばっかりだった……」
「これはジムリーダー就任当時に、リーダー長のヤナギさんに言われたんだ。俺さ、あの人のこと前から尊敬してるんだよ。教育係もあの人が良かったんだけどなー」
ヤナギ、と聞いてイツキは昨日出会った老人の顔を思い出した。
「ヤナギ……。昨日氷の抜け道で会った」
「あの薄着でそんなところ行ったから、風邪ひいたのか……ってかお前、ヤナギさんを呼び捨てにするんじゃねえ!」
マツバは包丁をイツキに向けながら憤慨した。尋常ではない怒りっぷりに、彼は思わず身を縮める。
「ごめんごめん。何か手伝うよ」
「キッチン狭いからいい。俺は一人で台所に立ちたいタイプなんだ」
そう言うと、彼はイツキに背を向けて料理を作り始めた。気取った背中へ向けて、彼はぽつりと文句を投げかける。
「めんどくさ」
「うるせえよ!」
手持ち無沙汰になったイツキは、改めてマツバの自宅を見回した。物が少ないシンプルな部屋で、インテリアはモノトーンで統一されていた。広さは1DKといったところか。
「ところで、昨日は風邪気味で気づかなかったけど……。マツの家狭くない?ジムリーダーならもっといいとこ住めるんじゃないの。家賃いくら?」
「一人暮らしには1DKで十分だ。家賃は7万……。ジムリーダーってそれなりに給料は貰えるんだが、ポケモンの所持数が多いから毎月維持費がかさむんだ。本部からの補助じゃ足りない……。専門のゴーストタイプの餌代高いしな……」
調理しながら答えるマツバの言葉には、憂いが含まれていた。
どんなに小さなポケモンでも動物である以上、一匹当たりそれなりの維持コストがかかる。ポケモントレーナーは所持数の制限を条件に、リーグ本部から補助金が出るのだが、ポケモンが数十〜百数匹は必要なプロトレーナーはその金だけでは賄いきれなかった。収入は多いが、出ていく金もまた大きい。その上、タイプによってコストは様々で、マツバが専門とするゴーストタイプはデリケートな性質上、保険や餌代も平均以上にかさんでいた。
「はあ……。もう少し補助を出してくれたらな。お前も、金かかってるだろ?」
ため息をつくマツバに対し、イツキは楽観的だ。
「うーん、確かに四天王になってからポケモンの出費増えたかも……。でも、エスパーってそんなにお金かからないよ。タイプ転向したら?」
「馬鹿野郎、そう簡単にポリシーを変えられるかよ!俺はゴーストポケモンを極めるんだよ」
それは半ば意地でもあった。苛立ちを感じつつ、マツバは調理の手を速める。
そして40分後、料理が出来上がった。
出されたのは野菜がたっぷり入ったラタトゥイユに牛カルビとモヤシの塩コショウ炒め、卵と豆腐のチャンプルー、五穀米に根菜の味噌汁である。彩りも栄養もよく、イツキは目を輝かせながら早速料理に手を付けた。全てのメニューを一口ずつ味見した後、彼は浮かない顔で箸を置く。
「……マツ。この料理、超絶不味いんだけど。どういう味付けしたらこんなに不味くなるの?」
それは確かに不味かった。
どれもシンプルな味付けになるはずの料理だが、何故か余計なものが加えられてすべてをぶち壊している。パステルカラーの水彩画に、黒い絵の具を混ぜたような台無し具合なのだが、マツバはそれを次々に口へ運んでいった。
「うるせえな、黙って食えよ!俺はこれが美味いと思ってんだよ」
「うへえ……。ところで、さっき言ってたヤナギさんが教育係が良かったってどういうこと?」
イツキは味付けされていない五穀米を口に運びつつ、先ほど引っかかっていたことを尋ねた。
「ジムリーダーはさ、就任1年目に近場の町の先輩リーダーが手取り足取り見てくれるんだよ。この理屈でいくと、俺はヤナギさんになるはずだったんだが……、6年前から弟子を取るのを辞めたらしくて。ジムにも門下生がいないし、リーダーの教育係もやってないんだってよ」
「お爺ちゃんだしね」
と、軽々しく言うイツキに、彼は憤慨する。どうやら本気で心酔しているらしい。
「じいさん扱いするな!あの人はな、今も滝行や氷の上で座禅を組んで修行している凄い人なんだぞ。生きる伝説だ」
「すっご、シバと話が合いそう。僕にはそれやって何の効果があるのか分かんない」
「舐めんな、ジョウトやカントーのジムリーダーの大半がヤナギさんを目標にしてるんだぞ。育成もでき、バトルも申し分なし。何より現役であり続ける――まさに理想のプロトレーナーだから」
その言葉を聞いて、イツキは同僚の元ジムリーダーの顔を思い浮かべる。
「そうなんだ。キョウさん何も言ってなかったなー。そもそもあの人、リーダー時代の話自体あんまりしないけど……」
「ああ……、あの人はちょっと他のリーダーと方向性が違うから」
マツバは表情を曇らせつつ、やや声のトーンを抑えながら語り始める。
「俺も殆ど話したことなくて、これタンバジムのシジマさんに聞いた話な。ジムリーダーはプロのトレーナーとして、ポケモンの腕を磨くことに時間を費やしてるリーダーが多いんだが、あの人は昔から街のために時間を割いてきたらしい。街を盛り立て、経済を活性化させれば本部からの支援金も増額され、寄付も多くなってジムも運営しやすくなる。まさに『街の理想のリーダー』って感じだけど……誰もがあんなに器用には立ち回れねえんだよなぁ。街だけに力入れてるのかと思いきや、ポケモンもキッチリ育てて四天王になるし……」
彼は深く息を吐いた。
ジムリーダー歴三年目、なんとかやってこれたが未だに運営だけで精一杯。毎日バッジ保持率などの成績や、街の評判を気にして胃に穴が開きそうな不安と戦っており、気楽に遊ぶこともままならない。久々の友との食事に、彼は心中を吐露し始めた。
「実際、ジムリーダーはポケモンの実力だけじゃ街に認めてもらえない……。学校行ってない16のガキが手助けできることなんて限られてる。たまに市政会議に招かれても座ってるだけで、自分が情けないよ。通学しようかとも考えてるんだが、今の状態じゃ時間が全く取れないし。正直、リーダー試験受けるの早かったかなって後悔し始めてて……でもプロ入りのチャンスだったしなぁ」
普段は同年齢とは思えない程しっかりしているのに、珍しく肩を落とす友人を見ていると自然とイツキの頬が緩んだ。
「……なんだ、マツも悩みあるんだ」
悩んでいるのは、皆同じ。
「悩んでないように見えたのかよ」
マツバは唇を尖らせた。子供っぽい仕草を、イツキが笑う。
「そういう訳じゃないけど。いつも気取ってるからさ」
「うるせえな、取り繕ってないと潰れそうなんだよ。ほっといてくれ」
「ジムリーダーの話は理解しきれないけど、まあ同じプロとして頑張ろうよ」
「……そうだな」
「そして料理の腕も磨こう」
「うるさい!」
テーブルの上の料理は減らず、まだまだ時間がかかりそうだ。
それでも二人の話は尽きることがない。窓の外では、湿った闇夜の中で依然雨が降り続いていた。