第6話:ダブルバトル
シルバーは廊下を疾駆しながらヘアゴムで長髪をひと結びにすると、壁を蹴ってキャビネットの上に着地する。しばらくして、マントをはためかせながらワタルが現れた。誰もが憧れるチャンピオンを翻弄するのは気分がいい。彼はワタルを見下ろしながら、中指を立てて挑発する。
「ポケモン使って捕まえてみろよ!」
「できるわけないだろう、プロは……」
プロは無闇にポケモンを使うことができない――と告げるより早く、シルバーがパスケースを天井へ掲げた。
「これがどうなってもいいのか?」
万が一免許が破壊されても、こまめにバックアップを取っているので損害は少ないだろう。だがあの中には他にも重要なカードが入っている。チャンピオンであることを証明するブラックのプロトレーナー証に、ここまで歩む原点となったサカキの名刺。
今、ここに『チャンピオン』として存在する自分の全てが、あのケースには詰まっている。それを傷つけられたくない――ワタルは腰のモンスターボールを手に取った。
容易く挑発に乗ってきた彼を見て、シルバーは目を細めて喜んだ。
「そうでないとさ」
「すぐに捕まえるよ」
そう言いながら彼がボールから繰り出したのは、ハクリュー。4mの身体がさっと床を這いながら、キャビネットの上に立つシルバーへ襲い掛かる。彼は宙返りをしながらその攻撃をかわして廊下へ着地した。主人のパスケースを取り戻そうと睨みつけるハクリューの眼差しに、シルバーは怯みつつも負けじと悪態をついた。
「オレに傷つけたら傷害罪だよ。チャンピオンの座も剥奪されるんじゃない?」
「そんなヘマはしないよ。ハクリュー、まきつく!」
その指示を聞き、間髪入れず飛びかかってくるハクリューめがけ、シルバーは傍に置いていたゴミ箱を蹴り上げて攻撃を防ぐ。竜はそれを身体に巻き取ると、中のゴミをこぼすことなく受け止めた。その隙にシルバーは廊下の奥、二階へと続く階段向けて走り出した。
「ポケモンなんかに、負けてたまるか!」
ポケモンなんかいなくたって、夢は叶えられる。
オレはパルクールでトップになってやるんだ。あいつと同じ――チャンピオンに!
シルバーは階段を跳ねるように駆け上がっていく。五段ずつ飛ばして、踊り場で軽やかにターン。あっという間に2階へ到着した。その後をハクリューが追っていくが、蛇のような身体は段差の移動に手間取る。すかさずワタルは竜を抱え上げ、後に続いた。ハクリューはその身長に反して体重は16キロ程度のため、人間の手でも比較的運びやすいのだ。
「なぜあれほど敵視しているんだろう……」
できることなら理由を聞きたい――彼はそんなことを考えながら、階段を上りきった。
廊下へ急ぐと、少し離れた所でシルバーが待っていた。「遅いって」彼がにやりと微笑む。
「君、なんでこんなこと……」
ワタルが尋ねようとした刹那、二人の間にあった窓ガラスが割れて氷のつぶてが飛び込んできた。「!!」ワタルは反射的に床へ伏せると、驚愕のあまり硬直しているシルバーめがけてハクリューをけしかける。再び飛来した氷の弾丸が隣の窓ガラスを撃ち破ったが、竜はその身を挺して少年を守りきった。
「大丈夫かい!?」
窓を気にしつつ、ワタルは直ぐにシルバーの元へ駆け寄った。彼はハクリューの下敷きになりながら、ぽかんと口を開けていた。外傷はないようだ。
「なんでいきなり……あっ!」
ワタルが胸を撫で下ろしながら窓の外へ視線を向けると、そこにはポケモンバトルをしている四天王の姿があった。大はしゃぎする施設関係者の声援を受け、公式戦さながらのダブルバトルを展開している。ナッシーとマタドガス対、カポエラーとマニューラの試合ということが一目で分かった。
「なんで……、みんな……!」
唖然とするワタルの横を、我に返ったシルバーがパスケースを持ってすり抜けていく。まだガラス片が残っている窓枠に足を掛けると、そのまま無言で外へ飛び出した。
「君、危ないよ!」
慌ててワタルが顔を出すと、彼は外壁の雨どいを伝って軽やかに屋上へと上っていく。何と身軽な少年だろう。さすがにこれは真似できない。
そして目の前では四天王のポケモンバトルが繰り広げられている……ワタルの不満は爆発しそうになった。「……ったく!」と地団駄を踏み、擦り傷を舐めているハクリューをボールへ戻して階段へと向かった。そこから屋上へ出られるのだ。
(何でこんなことに……)
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「ちょっと!リフレクターで建物は守っていたんじゃないの!?」
割れた窓ガラスを見て、カリンは声を上げた。先ほど窓を破った攻撃は、彼女のマニューラによるものである。罪悪感を感じて職員に視線を向けるが、彼らは意に介していないようだった。
「おかしいな……あんな粒程度じゃ3重に張ったリフレクターは破れないはずなんだが……。イツキ、ちゃんとやったか?」
キョウが首を傾げながら隣のイツキに尋ねると、彼はさっと青ざめた。
「あっ……、2階は三重バリアにしてない……届かないかなって……」
「おいおい、いつもスタジアムじゃフェンス中段辺りまで攻撃をぶつけてるだろうが。届くに決まってるだろ。器物破損だよ」
「ヤバい!?どうしよう」
狼狽えるパートナーにやや呆れつつ、キョウは観客席を見渡した。皆ポケモンバトルに夢中で、割れた窓など気にしていない。
「まあこの盛り上がりを見てると、示談で解決できるだろう。早くリカバリーさせろ。他に手を抜いてるところがあったらすぐに補強!」
「う、うん!その間、二人の相手よろしくねっ。ココ、ちょっと行ってくる」
イツキはその場を離れて手持ちのナッシーに一声かけると、建物の隅で待機しているドータクンへ向かって走って行った。こういう時、相方もサインをマスターしていればすぐに対応できるのに――キョウがダブルバトルの不便さに辟易していると、シバの罵声と共にカポエラーの蹴りが飛んでくる。
「何をこそこそ話している!どんどん攻めていくぞ!」
「おいっ……トレーナー片方不在だぞ!――“守る”!」
キョウは呆れつつ、自身のマタドガスに指示してその蹴りをガードさせた。蹴りの衝撃でガスが空へと吹き上がったが、攻撃は完全に防ぎきれたようだ。しかしほっとしたのもつかの間、横からカリンのマニューラが飛び出してくる。
「ルールは嫌いなんでしょ?……マニューラ、“猫騙し”よ」
マニューラは即座に両手を突き出すと、マタドガスを引っ叩く様に攻撃しながら相手を怯ませる。「さあ……べのむ!攻めなさい」そう言いながら、彼女はシバへ目くばせした。
「ああ……。とどめを――」
カポエラーが動こうとした途端、空気が歪んで四方を不思議な空間が取り囲んだ。高速でスピンしようとしたカポエラーの動きが止まり、イツキのナッシーがヒーロー達のポケモンの前に躍り出る。
「はーい、トリックルームでーす♪僕のココが一番に先制させていただきます!――伯爵っ、リクエストは?」
イツキがステッキを振り回しながら、ポジションへと戻ってくる。おどけた様にキョウに尋ねると、彼はマタドガスにハンドシグナルを送りながらぽつりと呟いた。
「……竜巻を見たいね」
「オッケー、それではリクエストにお応えしまして――リーフストォーーム!!」
ぱちんと指を鳴らすなり、ナッシーが足元から鋭利な青葉が混ざった竜巻を巻き起こした。吹き荒れる豪風はカポエラーとマニューラを蹴散らし、空高々と舞い上がらせる。施設に植えられた木々が激しく揺れ始めたが、リフレクターに守られている子供達はその髪の毛一本さえも微動だにしない。
「すごい……」
彼らは見えない壁一つ隔てた先で発生した嵐をぽかんと見つめている。その反応を楽しそうに眺めつつ、キョウはマタドガスへ指示を送った。
「じゃ、マタドガス……浮いてる奴らをスモッグで包み込め」
(同時に例のガスを)
マタドガスは嵐に近寄ると、渾身の力を込めて毒ガスを噴射する。一見すればただのスモッグだが、サインを使って双子の兄弟それぞれに異なる指示を出している。イツキはそれを横目で確認しつつ、こっそりと彼に尋ねた。
「……それ、どういう合図?」
「ナッシーに“守る”を指示しとけよってサイン」
二人は企むような笑顔を浮かべながら、顔を見合わせる。
「了解!――ココ」
ナッシーは頷くと、後退して守りの態勢を取り始める。これを見たカリンも、異変に気が付いた。この毒ガスが渦巻く竜巻の中にいては大変危険である。
「ねえ。カポエラーの脚にマニューラを絡めとって、高速スピンであそこから一緒に脱出できない?」
「分かった、やってみよう。カポエラー、“手助け”しろ!」
シバの指示を受け、カポエラーは強烈なガスに鼻を曲げながら、身体にスピンをかけて竜巻に巻き込まれているマニューラへ接近した。だが、風に混ざった木の葉が足を伸ばすカポエラーを切りつけ、救助を妨害する。シバは思わず「難しいな……」と舌打ちした。
「ワイドガードは?使える!?」
「ああ……」
「じゃあ、すぐに――」
「よし、行け!マタドガス、10万ボルト!」
キョウは竜巻を夢中で眺めていたイツキの腕を引っ張り、後方へ離れて行きながら声を張り上げた。マタドガスが電撃を放つと、ガスの竜巻にスパークが引火して大爆発の火柱が噴き上がる。施設の建物の高さを悠々と越え、葉っぱを燃やし尽くしてカポエラーとマニューラを圧倒した。爆風でカリンも転倒したが、すぐに火柱へ目を向ける。
「遅かった……!」
もつれ込みながら地面へ墜落する2匹を見て、子供たちが悲鳴を上げた。彼らはすっかりヒーローの味方だ。マニューラに覆いかぶさったカポエラーは微動だにしない。
「私たちの負けかしら……」
ため息をつくカリンの前に、シバが仁王立ちして咆哮した。
「いや――マニューラだけは守り切ったっ!」
カポエラーが僅かな意識を頼りに身体を剥がすと、そこから軽傷のマニューラが起き上がった。捨て身で仲間を守り切った勇者の姿に、子供たちは拍手喝采。職員も含めて、カポエラーの健闘を称える歓声が巻き起こった。これにはカリンも目を輝かせ、喜びを露わにしてシバに飛びつく。
「やーん、シバ素敵っ♪」
「お、おう……」
グラマラスな美女に突然抱きつかれ、シバは平静を装いつつもまんざらではなさそうだ。それを見るなり、イツキは色を成して地団駄を踏む。
「ちょっと、何やってんの!そういうのズルイよ!ココ、たまご爆弾っ」
二人の間を引き裂く様に、ナッシーがタマゴ爆弾を投げつけた。カリンはすぐに目を光らせる。
「マニューラ!それ、“横取り”して返してあげなさい!」
目の前に飛んで来た複数のタマゴ爆弾をマニューラは器用な動きで奪い取ると、アンダースローでナッシーとマタドガスめがけて投げつけ、次々に爆破させた。爆風を凌ぎながら、キョウはイツキを怒鳴りつける。
「馬鹿野郎ッ、勝手に動くな!ちょっと冷静になれ!」
「ご、ごめん……。キョウさん、僕をサポートして!ソーラービームで倒すからさ……」
イツキが両手を合わせて懇願すると、キョウはうんざりしつつナッシーの実を指差した。「なら――それ、よこせ」彼は直ぐに頷くと、マニューラからの爆弾攻撃をナッシーの背で防ぎつつ、実を3個ほどキョウヘ手渡した。
「マニューラ、まずはナッシーから狙いなさい!爆弾を受けた背中を斬りつければ、より大きなダメージを与えられるはず!――辻斬りっ」
爆弾が無くなったところで、カリンは攻撃を切り替えた。
マニューラがナッシーめがけて疾駆する。長い爪を振り上げたところで、ナッシーが振りかぶって実を投げつけた。「かわしなさいっ」主人の命を受け、彼女はヤシの実を踏み越えながら華麗にその攻撃を回避する――が、足の裏が実に触れた瞬間、殻が破裂してヘドロがマニューラのくるぶしを捕らえる。
「ふふっ……、ココとマタドガスのコラボ爆弾だよ!」
イツキが自信たっぷりに、白い歯を見せて嘲笑する。
「さあココ、マニューラが止まった隙に――ソーラービーム!!」
相手がヘドロに気を取られている間にエネルギーを充填していたナッシーが、渾身のソーラービームをマニューラめがけて叩き込んだ。ノーガードだった彼女に光線は直撃し、後方の衝立まで弾き飛ばす。そのままマニューラは昏倒、誰が見ても戦闘不能の状態である。
「やっほう!」
イツキはキョウと拳を突き合わせて喜びを分かち合ったが、二人以外は唖然としており、何とも言えない寒々とした空気が施設の庭に吹き荒れていた。まさかヒーローたちが負けるなんて……。子供たちは泣き出しそうな目でカリンとシバを見つめる。彼女はマニューラを抱き起しながら、慌てて建物向けてわざとらしい悲鳴を上げた。
「たっ……、大変!ドラゴンスター助けて〜。このままじゃ悪者に施設を取られちゃう〜っ」
まさか脚本通りの展開になるなんて……。
だが、ここまでワタルが出てこなければ意味がない。
まだ油を売っている気なら次のポケモンで引き延ばすまでだけど、いい加減にしろ――波立つ怒りを抑えながら、カリンが割れた窓ガラスを睨みつけていると、そのすぐ上、屋上から爽やかな声が聞こえた。
「そこまでだ、悪党ども!」
聞き覚えのある声に、子どもたちが一斉にそちらを向いた。屋上から現れたのは、深紅のマントをはためかせ、ブルーのボディスーツを纏ったスーパーヒーロー。
「ドラゴンスターだあっ!!」
ワタルが拳を振りあげ子供たちにアピールするなり、職員含めて大歓声が巻き起こった。
(なにあれ……!?)
一方、四天王は目を点にして呆然と立ち尽くしていた。