第5話:ショーの幕開け
(玄関から踏み込んでくるだろうから……!)
シルバーは食堂のキッチンへ向かうと、通路を塞いでいたワゴンを軽々と飛び越えて裏口のドアの前に着地した。ドアノブに手を伸ばした瞬間――勝手に扉が開き、長身痩躯のヒーローと鉢合わせして驚愕する。
「!!」
「君だね、荷物を漁っていたのは。何を――」
ハロウィンで職員が扮装していた一番不評のヒーロー『ドラゴンスター』の衣装が、鍛え上げた彼の身体にとても良く似合っている。これほどぴったりと嵌ったキャスティングが他にあるだろうか。
「ワ……、ワタル!」
シルバーは思わず後ずさった。その右手に持っている見慣れた物を発見し、ワタルは驚愕する。
「それは、オレのパスケース……!」
「やべっ」
ワタルが飛びつくより早く、彼はバック転でキッチンワゴンを乗り越えると、空中でそれをワタルへ向けて蹴り飛ばした。相手が気を取られている隙に壁際の食糧棚へ着地し、舌を出して挑発する。
「取り返してみろよ、チャンピオン!」
「君、冗談はやめるんだ」
ぶつかったワゴンをどかしながら、ワタルがシルバーの元へ駆けていく。彼は自信に満ち溢れた笑みを浮かべてギリギリまで引きつけると、ワタルの肩を足場に跳躍し、背後へ飛び降りてキッチンを出て行った。
その鮮やかな躍動力にチャンピオンは呆気にとられる。
「なんて身軽さ……。パルクールってやつかな」
感心していると、腰に巻いたモンスターボールのベルトが振動する。カイリューが早く追って、と急かしていた。
「ご、ごめん。そうだね、免許を取り戻さないと!」
ワタルはキッチンを出てシルバーを追う。
+++
一方、舞台では春の日差しに照らされてカリンとシバという四天王の人気スターが立っているというのに、真冬のような寒風が吹き荒れていた。ピチューのぬいぐるみを挟んで、二人はぎこちない掛け合いをする。
「え、え〜と……この子なんだか怪我をしているみたい……。て、手当をしなきゃ!」
引きつった笑顔を浮かべてぬいぐるみを抱きかかえるカリンに、シバは素っ気なく感想を述べた。
「……別に、どこも悪くないが」
「当たり前でしょ、ぬいぐるみなんだから!バカ!空気読みなさいよっ」
「そうだった……。このシーンはどういう風に持っていくんだったかな。アドリブは苦手なんだ」
「私に聞かないでよ……」
ふと客席を一瞥すると、白けきった子供たちが二人をじっと見つめていた。そこにはスターを羨望する視線はない。「なんだか変なの」「つまんない」という不満がダイレクトに伝わり、ナナミも「ワタルさんは?」と真っ青な顔をして首を傾げている。カリンは一刻も早く舞台から降りたい気持ちに駆られた。
その様子を衝立の隙間から確認しながら、イツキは震えあがっていた。
「うわああ……あんな空気、吸いたくない!ここまで寒さが伝わってくる」
「ただでさえつまらんのに、素人にアドリブなんかさせるから……。失敗だな、こりゃ」
と、キョウは文句を言いながらマタドガスをボールから出し、小道具のパイプの先に煙草を取り付け喫煙していた。それを見たイツキは「ちょ……ここ全面禁煙!」と言いながら、慌てて袖に待機している職員を確認する。彼はカリン達に視線を向けており、バレてはいないようだ。マタドガスに煙や臭いを吸収させているらしい。人間同様、受動喫煙はポケモンに悪影響を与えるが毒ポケモンは例外である。特にニコチンやタールはドガース系の好物で、マタドガスは嬉しそうに煙を吸っていた。
「煙草行く時間なかったんだよ、もう限界」
キョウは全く悪びれる様子もなく、煙を吐き出した。
「悪い人だー。子供のヒーローになれないよ」
「どうせ悪役だろ?」と、キョウは諦めを含んだような苦笑を浮かべた。イツキもそれを思い出し、肩をすくめながら彼の隣に腰を下ろす。
「確かにそうだね。……あーあ、どうせならポケモンバトルしてあげたいよね。そりゃ僕たちが普通に戦ったらこんな施設壊れちゃうかもしれないけどさぁ……。午前中にちびっこからいっぱい言われたよ。ポケモンバトルしてくれないの、ってさ」
「ああ、俺もせがまれた。仕方ないさ、真面目なチャンピオン様が【セミナー】申請してるんだし。ここは【プロモーション】で登録しておくべきなんだよな。確か去年、セキチクでワタルとカリンが見えない壁のデモでポケモンバトルを行った時の事後申請は【プロモーション】だったはずなんだが」
そう言いながら、彼は自身のポケモン免許証を手に取りながらプロトレーナーポケモン使用申請画面を確認していた。鍛え上げられたプロのポケモンは『凶器』という側面があり、その使用は厳しく制限されている。ワタルはそのルールに則って申請を出したのだが、やはり大衆は娯楽を求めているのだ。イツキはその画面を覗き込みながら、唇を尖らせた。
「優等生だからお芝居ってことを真に受けて【セミナー】で出したんでしょ。駄目だよね、お客さんのニーズを理解しなきゃ!」
「おっ、言うねえ。板についてきたな」
去年の初々しさがなくなりつつあるイツキを見て、キョウはからかうように微笑んだ。だが彼はそんな冗談さえも真に受ける。
「まあね。僕もスターだし?」
「ふーん、調子乗ってるとそのうち躓くぞ。それはともかく、ワタルの奴……遅いな。何油売ってるんだ」
「このままワタル抜きで舞台終わっちゃうんじゃない?せっかく午前中盛り上がったのに……最後に台無しになるなんて、絶対嫌だ!何とかしようよ、盛り上がるアドリブ考えよう!」
このような提案をするようになったのも、彼が成長した証である。
キョウは感心しつつ少し考えてみるが、アドリブで盛り上げられるほど演技力がない。それはイツキや他のメンバーも同じことだ。ではどうすればいいか?全員に共通する特技は……。
「そうだな……。もうこの際……バトルをするか」
「だって申請……」
一度受理された申請は後から変更するのが難しい。申請者がワタルなので、第三者が変えるとなると尚更困難である。唖然とするイツキの目の前に、彼は免許を突き付けた。
「これな、リーダー時代に発見したんだが、裏技があって直ぐに申請変更できるんだよ。バグのくせにもう何年も残ってて……本部のシステムも程度が知れてるよな。今日まで攻撃されてないのが不思議だよ。――ああ、イツキ君は見ないように」
「ずるいよ、僕にも教えて!」
イツキは背を向けるキョウへ、興奮気味に飛びついた。
彼はタッチペンを手にすると、慣れた手つきで操作を始める。
「やりすぎるなよ。ここを……こうして……、これを選んで……。で、これを押すと――はい、【プロモーション】」
申請はあっという間に変更され、イツキは目を丸くした。
「うわっ、ほんとだ!キョウさんすごい。でもこれ、後でバレるんじゃないの?免許のボイスレコーダーに試合の音声録音されてるんでしょ」
ポケモンの使用許可が降り、申請時間になると自動で音声が録音される仕組みになっている。これは事件などが発生した際に、証拠として残しておくためである。
「そこは問題ない。免許のスピーカー穴をテープで塞いで『バッグに入れっぱなしで録音失敗した』って言えば見逃してもらえるから。それくらい、【プロモーション】カテゴリはチェックが甘い。事件や事故に巻き込まれた際に使う【緊急】カテゴリなら大目玉だが……。今回は報道関係者や地元の人間を遮断しているから、施設内で口裏を合わせて怪我人が出ないようにすれば問題ない。ワタルさえ落とせばあとは何とかなる」
イツキは呆気にとられつつ、その狡猾な手口に身震いする。こういう男が仲間で本当に良かった。恐らく、敵に回すと一番厄介なタイプである。現に四天王同士が戦うマスターシリーズでも、彼は何食わぬ顔をして巧妙なラフプレーを仕掛けてくる。やや不満ではあるのだが、試合以外ではとても人が良いしメンバーの中では最も親身に接してくれる。何より、その器用な生き方にイツキは小さな憧れを抱いていた。そのため今回も罪悪感は感じず、むしろ敬服していた。
「……で、フィールドはどうする?リフレクターでフェンスを張ればいけるかな」
イツキは思い直して、キョウに尋ねる。
「そうだな、まずアリアドスの糸で補強して……」
彼は落ちていた木の枝を手に取り、計算式やレイアウトを書きながらイツキに分かりやすく説明していく。熱中していると、彼らの出番がやって来た。待機していた職員が二人に声を掛けるが、彼らは話に夢中でそれが届かない。スターを無理やり引っ張っていくのは恐れ多くて、職員は気まずそうに視線を逸らした。
(悪役が出てこない……)
カリンは何とか最初の出番をこなしたものの、舞台袖にまだ悪役がスタンバイしていないのを見て、苛立ちを感じていた。
加えてワタルも現れない。一体どうなっているの?ピチューのぬいぐるみを千切れそうな程強く抱きしめていると、シバと子供たちの冷ややかな視線を感じてすぐに手を緩めた。
「おい……裏はどうなってるんだ?そろそろ悪役とシーン交代のはずだが」
シバもようやく異変に気づき、彼女に耳打ちする。
「おかしいわよね?仕方ないわ、炙りだしましょう」
カリンは大きく息を吸うと、裏へ聞こえるようなわざとらしい口調で演技を始めた。
「じゃあ、そろそろ私たちはパトロールへ戻らなきゃ〜」
だが裏手から反応はない。カリンは小道具の鞭を丸めると、衝立へ打ち付けながら「戻らなきゃ!」と急かした。するとその上から、ドータクンに乗ったイツキがふわりと浮き上がってくる。それを見るなり、退屈していた子供たちから歓声が上がった。これにはカリンも唖然とする。
「えっ、何……!?ドータクンを出すって打ち合わせしてた?」
イツキは危なっかしそうにドータクンの上から立ち上がると、ステッキを振り回しながらステップを踏む。
「何だかんだと聞かれたら〜、答えてあげるのが世の情け!ナゾナゾ大好き、なぞらー登場っ!じゃあここで問題でーす。頭から読んでもお尻から読んでも、守らないといけないものってな〜んだ??ヒントは僕の嫌いなもの〜!」
「な、何やってるんだお前は……」
ぽかんと立ち尽くしているシバを無視し、イツキは子供たち向けてわざとらしく両手を広げる。彼らは互いに見合わせながら、しばらく首を捻っていた。もたつく様子を見て、イツキは楽しそうに微笑みながら脅しをかける。
「答えられないと、この施設は僕のものだぞー!」
慌てて一人の少年が声を上げた。「……トマト!」
「ぶー!トマトは大好きだよ。答えは……『ルール』でした〜!じゃあ宣言通りにここを――支配する!ぺんぎん伯爵、いくよっ」
イツキがステッキを舞台袖に向けると、蝙蝠傘をつき、アリアドスを引き連れたキョウが現れる。
「はいよ、なぞらー君……サマになってるねえ。アリアドス、さっき話した通りに糸でフェンスを張り巡らせろ」
アリアドスは頷くなり、さっと糸を吐いて建物と観客席を取り囲んだ。蜘蛛の巣の防護ネットが完成したかと思うと、今度はイツキがドータクンへリフレクターを命じる。ネットの周囲に幾重にも壁を張り巡らし、建物と観客席に四方からの攻撃に耐えられる透明なフェンスが完成した。
「ちょっと、何してるの!?――まさかっ」
何をしようとしているのか察したカリンの声を聞き流し、キョウはアリアドスを連れて観客席のフェンスへ飛び移ると、その上を悠々と歩いてステージ上のヒーローへ向き直った。すぐ真上に人が立っていることで、子供たちは勿論のこと、職員さえも度肝を抜かれる。
「今からこの“ときわ子どもの森”は我々ヴィラン団が支配した!建物も子供たちもこの通り、リフレクターと蜘蛛の巣で完全に捕獲して逃げられない!このシールドは頑丈だぞ、私が計算してセキエイスタジアムの見えないフェンスと同等のクオリティにしているからな!貴様らはもちろんのこと、プロのポケモンの攻撃にも耐えうるのさ」
と、キョウは説明口調で話しながら蝙蝠傘をヒーローに向けて悪く微笑んだ。その隣にドータクンに乗ったイツキが寄り添って同調する。
「そうだ、伯爵は頭いいからなっ。ふふふ、これが僕たちが支配した証明書だぞー!」
わざとらしく笑いながら、彼はカリンとシバの前に自分のポケモン免許を掲げて見せた。提示したのはプロトレーナーポケモン使用許可の画面である。いつの間にか【セミナー】から【プロモーション】へ変わっているのを見て、カリンは全てを悟った。
「そういうことね……」
シバも察したようで、慌てて彼女で小声で問いかけた。
「ポケモンバトルをしろというのか?」
「他に何があるの?だからこんな茶番を仕掛けたんでしょ。……いいわ、乗ってやろうじゃないの」
「しかしワタルが何というか」
「そもそもこうなったのはワタルの責任よ!もう知らない。何かあっても彼に片付けてもらいましょう」
睨みつけるカリンに彼はやや怯むが、言われてみれば確かに事の発端はワタルである。シバもやや不満だったので、罪の意識は薄かった。試合ができる楽しみが勝り、興奮がこみ上げ浮足立ってくる。
「……そうだな」
「じゃあ、いくわよ」
彼女はシバと頷き合うと、深呼吸してわざとらしい演技を始める。
「そうはさせないわよ、悪人ども!ねこレディとべのむが成敗しちゃうんだから。悪いけど、ここを守るために本気で戦わせてもらうからドラゴンスターの出番はないかもね」
「ああ、手は抜かんぞ!」
二人はモンスターボールを一つずつ選び出すと、悪役向けて掲げる。大根役者の雰囲気は消し飛び、彼らの風格はあっという間に誰もが憧れるプロトレーナー・四天王へと変化した。子供達はもちろんのこと、職員達も状況を忘れて4人に釘付けになる。
「ふふんっ、僕らだって実力者だよ!それじゃ、ちょうど二対二だしダブルバトルといこうか!ねえ、伯爵」
乗ってきた二人を見て、イツキはさらに調子づいた。キョウも浮き立っているが、ドータクンを一瞥して彼に小声で注意を促す。
「そうだな。……分かっているとは思うが、万が一ドータクンが倒されるとリフレクターの効果が切れるから、そいつは使うなよ。アリアドスも除けておくが」
「もちろん、分かってるよ。隅に置いとくから、蜘蛛の巣でガードさせておいて」
彼はドータクンから飛び降りてキョウの隣へ着地すると、ステッキをバトンの様に振り回して空へ掲げた。
「それじゃあ、プレイボォール!」
プロのポケモンバトルが見られる!職員や子供たちの歓声と共に、四つのボールが空に舞う。