第3話:スター
レクサスの運転シートに座ったまま、キョウはバックミラーを一瞥する。
「君たち、俺の車は4人乗りなんだが」
後部座席には左からシバ、ワタル、カリンが窮屈そうに座っている。隣の助手席には上機嫌であちこち目移りしているイツキ。明らかな定員オーバーに関わらず、誰も降りようとはしない。それどころか、早く発車しろとカリンがせがんだ。
「だって車で施設に行くんでしょ?乗せてってくれたっていいじゃない」
「だからって何で全員乗ってくるんだよ!タクシー使え。ワタルはいつものカイリューで行けよ!」
「舞台でカイリューに騎乗するシーンがあるから、最初にカイリューで訪問したらインパクトが薄れると思ってね。でもいいね、ちょっと狭いけど……みんなでドライブっていうのも!」
真面目に話すワタルを見ていると無理やり降ろす気力も失せて、キョウは渋々車を発進させた。
セキエイスタジアムから養護施設への移動の際、彼はリトルカブでは時間に間に合わないと言うイツキだけ自分の車に乗せて出発するつもりだったのだが、いつの間にか全員が乗り込んでいたのである。
「狭いがさすがいい車だな。このシート、なかなか座り心地がいい」
スタジアムのベンチのような本革のシートを堪能し、シバも上機嫌だった。バックミラーに映る大男の満足げな表情は、運転手の不満を掻き立てる。
「F sportsに寿司詰めなんて野暮ったい……。せめて助手席は野郎じゃなくてカリンがいいんだが。イツキくん、それくらい気を遣ってくれないのかね?」
だが乗り物好きのイツキは、シートベルトを握りしめながら交代を拒否した。
「やだよー!最初にレクサスに乗せてもいいって言ったのキョウさんでしょ!?後ろに詰め込まれたら乗り心地分からないじゃん。……うーん、やっぱり超カッコいいね!シートもイケてるし!これ高かったでしょ?ローン何年?」
「はぁ?それ本気で言ってるのか?プロトレーナーがローン組めるわけないだろ。キャッシュだよ」
「えっ、プロってローン組めないの!?」
目を丸くして仰天するイツキに、ワタルが後ろから顔を出した。
「実力主義の、来年には契約更新されないかもしれない世界だしね。収入が不安定だから銀行に断られやすいよ」
「そもそも四天王クラスのトレーナーがローンなんて夢がない。車くらいキャッシュで買えよ」
キョウがイツキを一瞥しながら言明した。彼は裕福な家庭の生まれで、ずっとそれなりの地位を築いてきただけあり非常に気前がいい。普通家庭で育ち、まだ若いイツキはそんな考えは理解できず、複雑そうに頷いた。
「う、うん……。でも僕は18歳になったら車より先に、大型二輪の免許とってバイク買うんだ」
大型、と聞いてキョウが反応を示す。
「ああ、カブ乗ってるんだったな。普通すっ飛ばしていきなり大型か、やるな。何乗るんだ?」
「迷ってるんだ。XJR1300とか、いいなぁって……。でもスポーツバイクもカッコいいしさー。お金あるから考えるの楽しくて!」
「XJR……!お前センスあるな。あれ、スタイルいいよなぁ。エンジン回りが特に……試乗しただけなんだが、乗り心地も良かった」
「キョウさん大型持ってるの?試験難しかった?」
「全く。でもジムリーダーになってから時間なくなって乗れてなくてな……盆栽になってる」
盆栽とは、乗らずに手入れだけしているオートバイのことである。
「何乗ってるの!?見たい見たいー!」
「二台あるんだが、まず……普通二輪のninja」
それを聞いて、イツキだけ吹き出した。
「うは……、ベタすぎ。忍者の家系の人がninjaって……!」
「ベタだろ?これ、俺の鉄板バイクネタなんだよ。それともう一台、これが若い頃乗ってたとっておきで……」
朗らかな前方席の雰囲気を打ち破るように、仏頂面のカリンが口を挟む。
「ねえ、バイクの話超つまんないんだけど」
後部座席の三人は完全に話に取り残されており、白けきっていた。
「えーっ、今いいとこなのに!」
バイクトークに入るとイツキは意中の女も気に留めない。カリンが退屈そうに運転席へ目をやると、ボトルホルダーにカードが入ってることに気がついた。隣に座っているワタルに身体を近づけつつ、腕を伸ばしてそれを拾い上げる。
「あら、ワタル見つけた」
それはワタルとカイリューが並んで写っている、ホログラム加工されたトレーディングカードである。
「ああ、それ。菓子のオマケだよ」
キョウが運転しながら答えると、話を切られてふてくされていたイツキが機嫌を取り戻し、明るい口調で口を挟んだ。
「トレーナーチップスでしょ?僕も集めてるよ!今年出た第一弾の僕のカード、こないだやっとコンプリートしたんだ」
それはプロトレーナーとその手持ちポケモンが印刷されたトレーディングカード付きのポテトチップスである。数年前から販売されているのだが、去年セキエイが一新してから売り上げが倍になったという。買いすぎてポテトチップスが余っている、と武勇伝のように語るイツキに、キョウは呆れ果てていた。
「自分の集めてるのかよ……。うちは娘が好きで、出先で買うといつも家に帰る前に車内で開けちまうんだよ。被ってると車に放置してって、次の日弟子の誰かにやってたんだが……そういえば貰い手いなくなっちまったな。……やるよ」
「いらない」
間髪入れずにカリンは断った。隣に座っている当人が目を丸くする。
「カリン……オレの隣でそれを言うのかい?」
「あなたにこれあげるわ」
そう言って、彼女はワタルの掌に無理やりカードを押し付けた。企画時にサンプルを確認した程度だったが、改めて見ると食玩カードとは思えない程しっかりしたクオリティである。売れ筋です、と言っていたメーカー担当者の言葉にも納得する。眩しく輝く背景を背負う自分の姿は眺めていると気恥ずかしくなり、彼はそれをパスケースに仕舞い込んだ。
その姿を横目で眺めていたシバが、緊張気味に運転席のキョウに尋ねる。
「娘は誰のカードを集めているんだ?」
その言葉には自分目当てにコレクションしているのであって欲しい……という希望が込められているのだが、キョウはそれを打ち砕く様に声を上げて笑った。
「そりゃワタルに決まってるだろ。気を遣ってるんだか知らんが、四天王のは全て集めてるようだが。……そうそう、お前のカードは学校で人気らしくて、すぐクラスメイトに取られるらしい。さすがだな、“アニキ”」
それを聞き、シバが弾かれるように身を乗り出して運転席にしがみついた。
「な……!そこは取り返せしてこんかっ、親として!」
「はぁ!?……それより、揺らすなって!」
凄まじい力で座席を揺らされ、ハンドルを握る手が思わずぶれる。「ちょ……狭いから暴れるなよ……!」ワタルは吼えるシバを制しながら、彼を何とか落ち着かせた。
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それから30分ほどで一行は児童養護施設「ときわ子どもの森」に到着した。
施設外の駐車場へ入ると、ナナミが出迎えてくれる。彼女は高級車に目を輝かせつつ、フロントガラスごしに頭を下げた。
「おはようございます、ナナミさん」
各々降車したあと、ワタルは一番に彼女に近寄って会釈する。
「お待ちしていました。もう子供たちもそわそわしていますよ。……ところで、付き添いのマネージャーさんとかはいらっしゃらないんですね」
呆気にとられるナナミの声を聞いて、車をロックしながらキョウが苦笑いを浮かべる。
「聖人君子のワタル君がいれば大丈夫だろうって、上に丸投げされてきたんでね」
本来ならばスタッフを何人かつけるところなのだが、誠実なワタルに対する本部の信頼は絶大で、今回はメディアを完全シャットアウトして行われるため、彼へ全てを一任していた。これも日ごろからイベントの先導や仲間の喧嘩の仲裁など、リーダーシップを発揮している成果である。
駐車場から入口へ向かいながら、ワタルは施設を見回した。
「ところで、ここ結構大きいんですね」
敷地を取り囲む塀を一見しただけでも、かなりの規模だと分かる。すぐ後ろはトキワの森が隣接していた。
「祖父が土地を安い頃に購入してここを建てたんです。何故か趣味で池なんかもあるんですよ」
ナナミが照れながら、自嘲的な微笑みを浮かべた。出入り口の門が近づいてくると、そこから小さな池が見えた。カリンが感心したように声を漏らす。
「ふうん、やっぱり博士ってお金持ちなんだ」
「当たり前だろ。ああ見えて教授はノーベル賞受賞者で、その上本部のフロント役員だからな。相当な大物だぞ」
フォローを入れるキョウの話を耳にしたナナミが、苦笑しながら振り返った。
「でも収入の殆どを研究資金に使っちゃうんですよね……。だから大変なんです」
ワタルが同調するより早く、彼女の華奢な背中の奥から「ワタルだーっ!!」とハツラツな声が飛び込んでくる。建物の玄関から飛び出してくる子供たちを見て、プロ達は反射的に居住まいを正した。移動中とは別人のように気を引き締め、スタートレーナーの顔を瞬時に作り上げる。
一変した空気感に、ナナミは唖然と立ち尽くしていた。
(わあ……さすが、プロ!)
玄関前に他の職員と共に集合した子供たちに向かって、ワタルは良く通る声で挨拶する。
「ときわ子ども森のみんな、おはようございます!」
天下のポケモンチャンピオンを前に、子供たちは緊張の色を隠せないでいた。お互いに目を見合わせ、震える唇で「おはようございます……」と何とか言葉を紡ぎだす。ワタルはすかさず、一歩前に出て大げさに耳を傾ける仕草をした。
「あれっ、声が小さいなー?それじゃあピクシーにしか届かないよ?ではもう一度……おはようっ!」
彼がにこやかに両手を広げるなり、不安を打ち消すような活気ある挨拶が戻ってくる。『おはようございます!』という大合唱が施設の庭園に反響した。ワタルは満足そうに頷く。
「うん、これくらい元気な方がいいね。今回は呼んでいただいてありがとう!このイベントはナナミ先生が、みんなのために企画してくれたんだよ。みんな、ナナミ先生にお礼を言おうね!ありがとうございました!」
「ナナミ先生、ありがとうございました!」
あっという間に元気を取り戻した子供たちに、ナナミを始めとする数名の施設職員達も驚愕していた。このような対応はワタルの得意分野で、彼がヒーロー扱いされている一因でもある。四天王もそれを十分に理解しているのだが、改めて顔を見合わせワタルの力量に感心した。
「相変わらず、こういう場の対応は上手いな……。おれには真似できん」
腕を組みながら敬服するシバに、イツキが茶々を入れる。
「そりゃ“アニキ”は堅物で、ワタルみたいな爽やかさもないしね?」
「なんだと……!?」
掴みかかろうと動く彼の隣に、ワタルが引きつった笑顔を浮かべながら素早く入り込む。
「じゃあ早速!オレたちのポケモンを紹介するね!みんな、間近で見てみたいだろ?さあ、シバ!君のポケモンを出してみてよ」
急に話を振られて狼狽える親友を小突きながら、ワタルは早くポケモンを出すように視線で強く訴えた。シバは渋々、腰のベルトに装着したカイリキーのモンスターボールを手に取る。子供達の膨れ上がる期待の視線に、彼は思い直してハガネールを繰り出した。
ボールから伸びるように現れた鉄蛇は二階建ての施設の高さを軽く超え、子供たちは呆気にとられながらハガネールを見上げる。朝日に照らされ、その磨き上げられた身体は神秘的に輝いていた。
「すげえ……」「かっこいい……」「でかい!」
掴みは完璧。やはり、最初に出すなら大きいポケモンに限る。
息を飲んでハガネールを見つめる子供たちに、シバも気分が良くなってきた。
「そうか……、なら他のポケモンも見せてやろう」
「やったー!」
それを聞いて子供たちは一斉にシバに群がった。
この様子を、シルバーは自室のカーテンの隙間から眺めていた。
すぐに施設を抜け出す予定だったのだが、本当にエキスパートトレーナー達がやって来たとあっては自分も一度は見ずにはいられない。
(でけえ……)
窓越しとはいえ、間近で見るハガネールは相当な迫力である。彼は思わず息を飲んだ。他にも施設の庭には普段は見られないポケモンが集まっている。施設はトキワの森に隣接しているので稀に小さな虫ポケモンやピカチュウは見かけるが、育成が難しいクロバットやマニューラ、サーナイトなどはなかなかお目にかかれない。夢中になって目で追っていると、子供たちと戯れているワタルと目が合い身体が硬直した。
(あ……っ)
爽やかな笑顔がこちらへ向けられる。背が高く、テレビで見るよりしっかりとした体格。何より窓越しでも伝わってくる超一流のプロのオーラにシルバーは圧倒された。彼はすかさずカーテンを閉める。
その行動を不思議に思ったワタルは、すぐにナナミを呼びとめた。
「ナナミさん、子供たちはここにいる子達で全員ですか?」
すると彼女はぎこちなく答える。
「あ……ええと。実は一人、部屋にいるんですよ。ちょっと難しい子で、ポケモンには興味ないみたいで。ごめんなさい……」
「そうなんだ……。さっき、興味津々で覗いていたから好きなのかと」
それを聞いて、ナナミは目を丸くした。
「あら。素直じゃないだけなのかしら……」
「でも誰もがポケモンを好きなわけじゃないですからね、仕方ないか……。舞台だけでも見てくれると嬉しいんだけどな」
「わ、私……彼に言ってみますね!」
「そんな、無理しなくても」
「せっかくワタルさん達が来てくださっているんです。こんなチャンス、二度とないかもしれませんし」
「はあ……」
ナナミの心が少しずつ逸ってくる。
これは気難しいシルバーと打ち解けるチャンスである。幼い頃親に捨てられ、ここへ来た彼はずっと自分の殻に閉じこもっていた。何とか手を差し伸べたかったのだが、なかなか糸口が見つからないでいたのだ。これは絶好のチャンスである。