第1話:チャリティショー
4月初旬の開幕戦から2週間が経過した。
今日はついにイツキが敗北を期してしまったものの、四天王は去年と変わらず快進撃を続けており、ワタルの出番はまだない。昨年2試合しか出番がなかったとのことで、解説向けに衣装もフォーマルなタキシードに変わってしまったほどである。その夜も彼は登板の機会がなく、解説席で試合を観戦して終わった。
ワタルは肩を落としながらロッカールームへと向かう。
(出番がないことは喜ばしいことなんだが……身体がなまってしまいそうだ)
毎月四天王同士が戦い、勝ち抜いた者がワタルに挑戦できるマスターシリーズ以外ではほぼ解説。複雑な心境であった。もっと試合がしたい――最近、そんなもどかしさが高まっていた。
(だが……それがチャンピオンだ。自分で選んだ道。ただ突き進むのみ……)
ひたすら言い聞かせながら歩いていると、後ろから聞き慣れた声に呼び止められた。
「ワタル君!ちょっといいかね?」
「博士……!」
声の主は直ぐに分かった。ワタルは反射的に振り向くと、早歩きで近寄ってくるオーキドに会釈する。彼のすぐ後ろに、見慣れぬ若い女性が付き添っていることに気が付いた。
「いいタイミングで会えて良かった!ちょっと、時間いいかな」
「大丈夫ですよ。……えっと、そちらは」
ワタルが視線を女性に移すと、彼女は緊張した面持ちで頭を下げた。ロングヘアの清楚で大人しそうな女性である。
「孫のナナミです。は……初めまして!」
「可愛いだろー?グリーンの姉だよ」
得意げな笑みを浮かべるオーキドに、ワタルはやや呆気にとられつつ軽く頭を下げた。
「初めまして、チャンピオンのワタルです。へえ……博士、お孫さんもう一人いらっしゃったんですね。失礼ながら、初耳でした」
「普段はトキワの児童養護施設の職員をしとるからな。知らんのも無理はない」
「はい、トキワシティ郊外の“ときわ子どもの森”という施設で働いています。あの……そのことで、少し相談がありまして……」
ナナミは震える手でワタルに名刺を渡しながら、声を絞り出した。
祖父から何度も彼のことを聞かされていたが、間近で見るチャンピオンは圧倒的なオーラがあり自然と手が汗ばんでくる。しかし彼はそれを少しも鼻に掛ける様子もなく、真摯に自分の話に耳を傾けてくれた。
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一方、ロッカールームではイツキがソファで項垂れながらコーラを口にしていた。
「あーあ……僕だけ負けた……」
今日の試合でとうとう、今季初の黒星を貰ってしまったのである。
彼は悔しそうに寝ころびながら、スマートフォンをいじくり始めた。SNSやネットの掲示板を巡回ながら試合の感想をチェックしていく。その姿をカリンは呆れた様子で見下ろしていた。
「惜しかったわね。と言うか、あなたネイティオ使いすぎじゃない?酷使のストレスはポケモンセンターでは癒せないわよ」
「そんなにネオは使ってないよ〜。あ……、今回は出したけどさ……。だって、僕のトレードマークだし」
彼はネイティオ柄のシャツをつまみながら、唇を尖らせた。イツキと言えばネイティオ、という図式はすっかり世間に定着しており、気に入っているブランドに相棒をモチーフにした衣装を特注しているほどである。彼は自分の試合の評判が、概ね『惜しかった。内容は悪くないから、次は勝ってくれるだろう』という内容だったことを確認すると、スマートフォンをソファへ投げ捨て気持ちを入れ替えた。
「……ま、いっか!明日は勝つ!」
「口だけか!プロならこうやって、試合後に映像で研究し直すものだぞ」
調子のいいイツキに、シバがタブレット端末を押し付けた。
彼はいつも試合後、スタッフに試合の映像を端末へ送ってもらっている。デジタルに疎い彼でも操作ができる専用インタフェースを作ってもらい、こうして熱心に研究しているのだ。だが、イツキはその熱意を撥ね退けるように顔をしかめた。
「後でやるからいーいー。試合後は休みたいよ。テクニカルエリア走りすぎて疲れちゃった……」
「貴様!気が緩んでるっ」
声を荒げようとしたシバを、すかさずキョウが制した。
「はいはい、“先輩”厳しすぎ。いまどきの若いのはガチガチに縛るとついてこないよ。――俺、煙草行ってくるわ」
煙草の箱を示しながらロッカールームを出ようとしたとき、出入り口のドアが開いてワタルが現れる。緩んでいた空気が一気に引き締まり、四天王が一斉に彼を向いた。その注目をワタルは受け流しつつ、外へ出ようとしていたキョウを制す。
「あ……、皆揃ってるね。キョウさん、煙草ちょっと待ってください。少し話があるので……」
「話?」
イツキがソファから首を伸ばす。
「うん、突然だけど児童養護施設でチャリティイベントをやらないか、って提案が来ていてね。オフシーズンだと各自ピンで仕事が来てスケジュールが合わせにくくなるから、みんな揃ってるシーズン中に開催したいと思って……。急で申し訳ないけど、再来週の水曜日のオフがちょうど空いてて、どうかな?」
セキエイスタジアムの稼働シーズンは4月〜11月初旬までである。それ以外はオフとなるが、メディア出演や取材があり、トレーニングも欠かせないため各々多忙であった。昨年のオフシーズンに訓練漬けの毎日を送っていたシバはすぐに反論した。
「ワタル、おれ達の仕事はポケモンバトルだ!シーズン中のオフはトレーニング一択!そんなイベントなどありえない」
「お前ならそう言うと思ったけど……たまにはいいじゃないか。子供たちに夢を与えるのも、我々の仕事の一つだよ」
「そうよね。……ところで、イベントって何するの?」
カリンはやや乗り気である。ワタルは嬉しそうに彼女に書類を見せた。
「まず、ポケモンとの触れ合い。ちょっとしたポケモンバトル教室もやりたいな、と」
それを聞いて、キョウはすかさず拒否する。
「それを毒ポケモンでやったら阿鼻叫喚になるから、俺もパス」
毒ポケモンの多くはそのヴィジュアルから女子供層の支持をあまり得られていない。キョウが四天王になったことでやや人気は高まったものの、毎年ポケモンセンター協会が集計している『好きなポケモンのタイプランキング』で最下位争いをしている現状には変わりなかった。
仏頂面の彼を諭しながら、ワタルは楽しそうに話を続ける。
「いやいや、大丈夫ですよ!……それから、メインイベント。ポケモンとの絆の大切さを説くヒーローステージショーをやろうとね!どうかな!?」
自信たっぷり披露したワタルだが、四天王とは明らかに温度差があった。
何故ヒーローショー?彼らの目が点になる。凍りついた空気を更に冷やすように、イツキが不満を口にした。
「えーっ!?ステージショーとかダサイ。デパートの屋上でやってる奴じゃん。それに僕、演技できないし。パスパス!」
「そんな……いい案だと思うけどな……。施設の人が頑張って内容を考えてきてくれたんだよ」
ワタルはがっくりと肩を落とした。
「ふーん、その後ろにいる子が?」
彼の背後で小さくなっている影をカリンが目ざとく見つけると、重い足取りで泣きそうになっている女性が現れる。
「あ……あの、施設職員のナナミと申します……」
艶やかなロングヘアに、男の後ろを三歩下がってついてきそうな、大人しそうでエレガントな雰囲気。
そして何より、その美貌である。
(可愛い……)
男四天王は瞬時にスイッチを切り替えた。
「私の考えた企画、しょうもなくて申し訳ありません!」
即座に頭を下げるナナミを見て、イツキがヘアスタイルを整えながら励ました。
「そんなことないよー!すっごく良いと思う!」
キョウも頷く。
「子供のことを考えたいい企画だと思うよ」
「まあ……1日だけだしな。協力してやってもいい」
清楚な女性が好みのシバも、すっかり気を入れ替えていた。
男たちのあからさまな反応にカリンは眉をひそめる。
(何なのこいつら!)
ワタルも同様なのだろうか……?
だが彼はあまりナナミを見つめておらず、何やら満足げに思いをはせている。
(ヒーローショーか……。一度あの舞台に立ってみたかったんだ……嬉しいな)
ヒーローであることは、ずっと昔から自分の憧れであった。
まだ免許も取得していなかった頃、両親に連れられて行ったコガネデパートの屋上で見たヒーロー戦隊ショー。弱きを助け悪をくじく、そんな彼らは輝いて見えた。だからこそ、自分を助けてくれたサカキに強い憧れを抱いたものだ。
その舞台に立てるなんて、夢の様だ。
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「聞いて、グリーン。夢のようなの!ワタルさんがね、施設でチャリティをやってくれるって!」
その夜、ナナミはダイニングテーブルに手料理を並べながら、帰宅したばかりのグリーンに興奮気味に話しかけた。珍しく浮かれている姉を見て、弟のグリーンは目を丸くする。
「そ……そう。シーズン中なのに、よくOKしてもらったな。オレの頃より、スケジュールきつくなってるのに……」
彼は席に着きながら、忘れたい過去を思い出して伏し目がちに呟いた。それを見ていないナナミは、楽しそうに答える。
「むしろオフは個別に仕事が入るから、皆さんがまとまっているシーズン中の方がいいんですって。どうせやるなら全員揃っていた方が子供たちも喜びますよね、ってワタルさんが言ってくださって。嬉しいわ♪すごくファンのこと想ってくれてるのね」
「ふーん、そう……」
やや天然が入っている姉は悪気なく言っているだろうが、かつてファンを蔑ろにして奢っていた自分の姿を思い出し、グリーンは更に顔をしかめた。
「ねえ、グリーンもイベント見に来ない?大騒ぎになるからメディアは完全にシャットアウトして、近所の人も呼ばないことになってるんだけど……あなたなら!」
「ごめん、無理。試験があるんだ」
「ジムリーダーの?あ、そういえばイベントの日と被ってるのね。ごめんなさい……」
しょんぼりと肩を落とす姉を見て、グリーンは苦笑する。
「いや……ずれてても見に行くつもりはないよ。今更、ワタルやシバに合わせる顔もないし」
「そう……」
「結局レッドのようにチャンピオンへの挑戦権は得られなかったけど……。でも、まだチャンスはあると思ってる。いつか必ず挑戦するから、ってワタルによろしく言っておいてくれないかな」
去年バッシングから立ち直った彼は、ワタルのようなチャンピオンをもう一度目指したくてポケモンバトル修行の旅を再開した。多くの非難を全て受け止め、恥じることのない実力をつけて本部に再戦を打診したが、一時期セキエイを傾かせた戦犯である彼の希望など聞いてくれるはずもなく。
だが諦めることはしなかった。自分にはポケモンバトルしかないと思っている。気高く誇りある挑戦者として、プロトレーナーとして成功したい。そこで、試験を受ければ就任できる可能性があるジムリーダーを目指すことにしたのだ。
現在、カントー地方のジムはトキワとセキチクがリーダー不在であるため、チャンスはある。
自分なら、きっとやれると信じていた。
「うん、分かった。グリーンは一歩一歩前を向いて進んでいます、って伝えておくわ」
かつての精悍な姿を取り戻したグリーンに、ナナミは嬉しそうに微笑む。それが少し照れくさくて、彼は「そこまで言わなくてもいいよ……」と小声で否定しながら夕食を口へ運んだ。