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第3章
第3話:命知らずのツケ
 ワタルがその報せを受けたのは、帰宅しようとスタジアムのロッカールームを出たまさにその時だった。直ちにカイリューを召喚し、通路の窓を開けて飛び出すほど急いだのはこれが初めてである。タマムシでキョウが刺され、病院へ搬送され意識不明――セキエイリーグを揺るがす大事件だ。昨年、シバも似たような騒動に巻き込まれたが、彼は救出時に意識が残っていたしタフで回復も早かった。だがキョウはシバに比べて肉体的に劣っているし、最近ひどく疲弊しているようだったから万が一も考えられる。手綱を握る両手はみるみる汗ばみ、夕立が過ぎた生温い外気がワタルをぞっとするほど不穏にさせた。
(ほんの小一時間前まで、一緒に笑っていたのに)
 サカキの名刺を見せた直後の、高らかな笑い声がワタルの脳裏に鮮明に蘇る。肩の荷が下りたような笑顔が印象的で、明日からまた気軽に会話できるはずだと安心していたのに。スケジュールを確認し、飲みに行く日の候補も挙げられる用意はできていた。それなのに――
 暗幕が降り、寝静まっていたはずのカントーの街並みがふいに騒がしくなって、ワタルはタマムシシティが近付いたことを理解した。カイリューの高度を下げ、目的の総合病院へ一直線に飛行する。さすが約十六時間で地球を一周できると言われているポケモンだけに、最大限に速度を出さずともセキエイから僅か三十分ほどで病院へ到着することができた。受付が終わった正面玄関は情報を聞きつけたマスコミでごった返しており、彼は既に入場が規制されている時間外入口へとドラゴンを切り返す。ワタルの存在に気付いた記者達が一斉にカメラを向けるが、それを気にしている暇はない。裏口へと回り込み、鞍の安全ベルトを外して地上二メートル地点からアスファルトの上へと軽やかに着地。そこでようやく入り口で項垂れていたマツノが彼に気付き、今にも決壊しそうな相好で縋り付く。
「ワタルくん! 来てくれたんだね」
「マツノさん、キョウさんの容体はいかがですか」
「通報が早かったお陰で何とか一命は取り留めたようだけど……まだ意識が戻らない。今、集中治療室に居ます」
 小刻みに唇を震わせながら、マツノは真っ青な顔で目的の部屋へと続く通路を指差した。すると、背後でバタバタと騒がしい足音がして同じく本部から報告を受けた四天王も駆けつける。皆、この状況が呑み込めておらず衝撃の色が隠せない様子だ。
「キョウさん、どこ!?」
 ラフなジャージ姿で着の身着のまま自宅を飛び出してきたと思しきイツキが、血相を変えてワタルに詰め寄る。「集中治療室に……」と言いかけると、彼はそちらへ疾駆していった。愕然としているシバとカリンを引き連れ、ワタルも後を追う。
 受付が終了した院内はしんと静まり返り、緊張の色を呈している。昨年カイリキーが故障した際も、別の病院で絶望的で息苦しい空間を作り上げていたが、その中で不安をおくびも出さず立ち回ってくれていたのは他でもないキョウである。しかし彼は今、ガラス一枚隔てた先のベッドで身体に様々な管を通され目を閉じている――ようやく治療室へたどり着いた時、ワタルの目に留まったのはそんな同僚と、目を真っ赤に染めてぐちゃぐちゃに泣きはらしたアンズの姿だった。
「ワ、ワタルさん……お、お父さんが……お父さんが……!」
 普段は太陽のように明るく快活な彼女がこれほど憔悴している場面は初めてで、ワタルを始め四天王は励ましの言葉さえ気軽に紡ぐことができなかった。しんがりにいたシバは特にやるせないのか、引き結んだ唇を激しく打ち震わせている。
「大丈夫ですよ、お嬢様。旦那様はきっと目を覚ましますから……」
 彼女に付き添う老家政婦のアキコがアンズを抱きしめ、落ち着かせるように背中をさすっていた。しかし彼女のしわくちゃの右手も小刻みに揺れており、ベッドに横たわったまま意識戻らぬ主人の現状を受け入れられない心中が現れている。
 ワタルはどうすることもできずにただ立ち尽くしていた。
 この見守ることしかできない状況では不用意な励ましは逆効果かもしれないし、アンズはそれを聞き入れる余裕がないほど疲弊している。
 それでも何か声をかけるべきだと一歩踏み出そうとした時、イツキが一人踵を返して非常階段へと駆け込んで行った。彼は二段飛ばしで踊り場へと滑り込むと、持参したボディバッグから相棒の入ったボールを取り出してその場で召喚する。人間向けの病院でポケモンを繰り出すことはマナーに反するが、今はそんなことを気にする余裕はなく、ネイティオの肩を掴んで鬼気迫る顔付きで詰め寄った。
「ネオ、君は未来が見えるって言われてるよね。一度もやってるとこ見たことがないけど……お願い、キョウさんの安否を確認して!」
 踊り場の蛍光灯だけがぼんやりと周囲を照らす閑寂な非常階段に、イツキの切羽詰まった悲鳴が反響する。主人がこれほど縋りついてくるのは初めてで、ポーカーフェイスのネイティオも困惑を隠せなかった。
「頼むよ、一生のお願い!」
 イツキは日頃から些細なことで未来予知をせがもうとするため、ネイティオは彼の成長を案じてその能力を使うことは殆どなかったし自ら主人の将来を覗くこともしなかった。だが、今回ばかりは事情が異なる。キョウには主人共々色々気をかけて貰っていたし、治療室前のどん底の様子を目の当たりにすれば拒否する理由なんて見当たらない。
 ネイティオは呼吸を整え、ゆっくりと瞼を下ろす。
 すっかり錆びついた予知能力へ念力で油を差して徐々に稼働させていくと、膨大な情報がノイズとなってネイティオの頭の中を支配した。意識が羽を広げて遥か遠く、先が見えない暗闇の空へと飛んでいく。目指すはネイティオ自身が目的の人物と会える、直近の未来――そこはまるで一度主人の付き添いで訪れた映画館のようだった。ふいに袖幕が両端にぱっと開いたかと思うと、舞台袖から浴衣の上に黒いカーディガンを羽織ったキョウが現れた。ノイズが舞う不鮮明な映像の中で、彼はお辞儀して悠々と微笑む――そこで幕が下りて、ネイティオはひどい眩暈と共に現実へと引き戻される。これも映画館から出た時の、後引く興奮そっくりだった。
「どう? キョウさん、生きてるよね!」
 やや夢見心地のネイティオを強引に目覚めさせるように、イツキがその身体を激しく揺さぶる。ネイティオは目をぱちぱちと瞬かせつつ、おそらくそうだと頷いた。
「ちなみにいつの未来?」
 それは分からない――首を捻ると、主人はぽんぽんと頭を撫でて褒めてくれる。
「でも無事ってことが分かればそれでいいよ! ありがとっ」
 イツキはそう言いながら相棒をボールに戻すと、手摺を使って階段を滑り下り、治療室前へと帰還した。いつの間にか話を聞きつけたキョウの元弟子らも十人ほど駆けつけており、屈強な男達が整列した廊下は窮屈だ。イツキは彼らの脇をすり抜けると、どこへ行っていたのかと咎めるカリンを振り切り、アンズの前に躍り出る。
「アンズちゃん、大丈夫だよ、安心して! キョウさんは必ず意識を取り戻すから!」
 その言動に場が騒然とする中――目を真っ赤に腫らし、頬を涙で濡らすアンズは事情が理解できずぽかんと口を開けたままだ。イツキはネイティオのボールを掲げると、彼女を安心させるように微笑んだ。
「具体的な時間は分からないけど、僕のネイティオが未来を予知したから間違いないよ! ネオは僕の手持ちの中でも一番の念力を誇っているんだ。この間のリハーサルでもその力は目の当たりにしたでしょ? だから絶対にお父さんは目を覚ます。信じて!」
 それを裏付ける証拠を提示することはできなかったが、この報告はアンズにとって絶望の闇の中に差す一筋の光だ。イツキのさっぱりと明るい笑顔も相まって、少女の大きな双眸はみるみる潤んで雨のように零れ落ちていく。
「あ、ありがとうございます……イツキさん……」
 窓の向こうで目を閉じている父を背に、嗚咽を漏らしながら何度も頭を下げる少女の姿は痛々しく、ワタルは憔悴しているアキコの傍へ寄ってそっと耳打ちする。
「お二人とも、少し休まれた方がいいのでは? ここは我々にお任せください」
 快活なイツキとはまた異なり、穏やかなワタルの微笑は安堵と信頼を与えてくれる。アキコは深々と頭を下げると、アンズの肩を抱いて一旦裏口に停めていた自家用車へと戻るよう促した。この重苦しい病院の空気から離れるだけでほんの少し気が楽になることは、ワタル自身が良く理解している。車へ戻る際、言伝を思い出したアキコが足を止めて振り返った。 
「あの、今ヤナギさんが警察の方とお話ししてくださっていて、旦那様のポケモンを預かっているそうなんです。これから病院に来られますので、もしお会いされた際は……」 
「はい、受け取っておきますよ」
 ワタルは屈託のない笑顔で頷いてアキコ達を送り出す。二人の背中が僅かによろめいたのを見て、元弟子が一人付き添いへ追いかけて行った。その姿が見えなくなるなり、シバがイツキの前に出て恭しく頭を下げる。
「イツキ、ありがとう」
 彼がこれほど素直にお辞儀するのは非常に珍しく、イツキは仰天し、カリンも眉を動かす。密かにアンズへ好意を寄せていることを知っているワタルは、肝を冷やしつつそのやり取りを遠巻きに眺める。
「な、何! どうしたの」
「いや……ああやって娘を安心させるのはお前しかできない。正直、見直したぞ」
「相変わらず言い方考えないよねえ……こんなのやって当然だし」
 唇を尖らせながら集中治療室の窓へ視線を向けるイツキは誰よりも同僚のことを心配していた。「兄さん、俺達からもお礼言わせてください! あざす!」と、元弟子らが一斉に頭を下げても得意にならず素っ気なく会釈するだけだ。窓の向こうで一定の間隔で刻まれていく心電図をぼんやり眺めながら、少年はぽつりと呟いた。
「僕、来年バイクの免許取ったらデスモに乗って、真っ先にキョウさんちに遊びに行こうと思ってたんだ。で、今まで負担してくれた分の維持費、ぽーんとまとめて返そうって思っててさ……借りを返せないまま終わりたくない。他にも沢山お世話になって……世間知らずのままプロデビューした僕に色々教えてくれたのはあの人だから」
 イツキの声音は徐々に霞んでいき、ガラスに映りこんだ両目はすっかり潤んで蛍光灯の光に反射している。それでも何とか堪えているようだったので、ワタルは彼を安心させるように肩をぽんと叩いた。泣き顔は見ないように努めた。
「うん、一緒に応援しよう」
「さっきの話はオジサマには内緒にしておいてあげる」
 カリンもイツキの背を擦りながら励ましてくれる。こんな最悪の事態でも冷静にフォローしてくれる同僚の存在は非常に頼もしく、彼は目頭を押さえながら仕切りの向こうで眠っているキョウの早い回復を祈るのだった。
 だがイツキを落ち着かせた一方で、ワタルも内心ではまだ動揺が収まっていなかった。その後やって来た医者に詳細を聞いたが、すぐに意識が戻るのかは分からないという。腹部を深く刺されており、通報があと数分遅ければ最悪の結果になっていたそうだ。現場が病院から近距離のタマムシ市街地だったことも幸いしたらしい。明日の試合は中止が確定し、マツノは病院の外でひっきりなしの対応に追われる羽目になった。しばらくすれば本部がマツノを経由してプロ達に明日からの行動の通達があるだろう。ワタル達は治療室前の待合ソファに腰を下ろし、じっとその時を待つ。前科者の元弟子らすらその気迫に押し黙ってしまう程、プロ達の相好は厳格だ。それは仲間を殺傷された怒りに他ならない。
「……容体はどうだ」
 ふいに院内の重々しい静寂を破る靴音がして、杖を突いた小柄な老人が現れた。イツキが目を丸くし、腰を浮かせる。一時彼の師でもあった、チョウジジムリーダーのヤナギだ。
「一命は取り留めましたが、まだ意識は戻らずです」
 ワタルはヤナギと顔を合わせるのはこれが初めてだったが、挨拶は二の次だと思い、速やかに腰を上げて回答する。するとヤナギは真っ直ぐに彼の元へ向かい、白い紙袋を突きつけた。ざかざかと擦れ合う耳慣れた音で、中身は直ぐに分かった。キョウのモンスターボールだ。
「代わりに警察へ行ってポケモンを回収してきた。クロバットのボールだけは血痕等が付着しているため、返却は少し時間が掛かるそうだ。世話の仕方は教えておいた」
「わざわざ……お世話様です」
 ヤナギが眉をひそめるほど丁重にお辞儀して、ワタルは紙袋を受け取る。中を覗き込むと、ポケモン達は状況が呑み込めておらず困惑した様子だ。あとで言って聞かせなければならない。ワタルがそんなことを考えていると、及び腰になっていたイツキが口を挟んだ。
「な、なんでヤナさんがここにいるの?」
 ヤナギは集中治療室を覗き込むことなく踵を返し、彼らに背を向けながら素っ気なく答える。
「タマムシへ来る用があったから、あいつを食事に誘ったんだ。それがこんなことになって……日頃から恨みを買うような立ち振る舞いをしていたからだ」
 にべもない発言に血の気が引く周囲に対し、イツキは真っ先に反発する。
「その言い方はないでしょ! まだ刺された事情とか何にも分かってないのに!」
「何を軽々しく! 貴様はあいつが今までやってきたことを知らんだろう。ペーパーが十年そこらで街の名士にまで成り上がるには立派な理念や綺麗事だけじゃやっていけんだろうが、あいつは自分自身の毒が強すぎだ。ポケモンと違って人間の毒は我が身を滅ぼす」
 その怒声に、イツキの陳腐なフォローがみるみる凍りついて粉々に砕け散る。
 キョウのそういう一面はポケモンバトルにも現れているし、反論できずに俯いている前科者達を残らず手懐けられている事実から見てもワタルや四天王はその事情を理解できた。
「……確かに、オジキはちょっと無茶しすぎてた所があります。弟子だった頃、オレがヤクザに目ェ付けられた時も直接事務所に行って話つけてくれたりとか……命を助けてくれたことには今でも感謝してますけど、一度話しただけで終わるかなって……」
 口を噤んだままの元弟子の一人が訥々と懺悔する。キョウはこちらから尋ねなければリーダー時代の話を一切口にしないので、同僚らには寝耳に水だ。同じく初耳だったヤナギも、心底呆れながら当時の現状を彼らに説明する。
「ジムリーダーに年齢制限があり地元に密着した運営を強いられていた頃は、暴力団との付き合いは避けて通れなかった。常識的で“平凡”なリーダーは団体機関を幾重にも経由し、遠縁のような関係を築いてなるべく関わらないのが定石。しかし確かな後ろ盾を得られれば一層活躍の場が広がり、より思い通りの運営が可能になるだろう――リスクは馬鹿みたいに高いから、手を出そうとする者は滅多におらんがな。奴らに関わった私の弟子はマフィアに身を落とし、そのまた弟子はあのザマだ。バトルに専念させる最近のジムの方針がよっぽどマシに見える。本部も少しずつ業務を見直しているようだし……君のお陰だよ、チャンピオン。あのリハーサルで、上に思い知らせてくれてありがとう」
 彼は僅かに頬を緩めてワタルに会釈すると、再び身を翻してその場を去る。コツコツと小気味よく反響する杖と革靴の足音が、同僚の矜持を跡形もなく粉砕しているように思えてワタルは腑に落ちなかった。恐らく彼のことはヤナギの方が良く理解しているだろうが、ワタルにも三年の付き合いで見出した人格だってある。
「いいえ、とんでもない。私は恩人の信条を貫いているだけです。“闘争心を忘れずに進め、挑戦者は常に誇り高くあるべきだ”、と」
 聞き覚えのある発言に、ヤナギははたと足を止めた。ワタルは話を続ける。
「だからリーグが危機に瀕したり上層部がプロとポケモンを軽んじた時も、誇りを捨てず挑戦者の意志をもって戦いました。それはキョウさんだって同じです。彼は清濁併せ呑むトレーナーで、その信念は“毒使い”でも決して腐っていないはずだ」
 師への尊敬が滲む言動からは自分と同じ志を持っていたはず――度々窮地を救ってくれたあの意気込みをワタルは自業自得だと簡単に切り捨てることはできなかった。何より彼らの意志はワタルの原点でもある。毅然とした発言は竜の咆哮の如くその場にいた人間を圧倒し、後ろめたい感情を残らず薙ぎ払った。ヤナギは大きく揺さぶられ、崩れ落ちそうな身体をなんとか杖で踏みとどまる。
 それは世襲が一般的なジムリーダー社会において、初めてそのセオリーを破ってトキワジムに就任したサカキが見出した信念だ。どれほど非難されようと、彼はその言葉通り挑戦者として戦い、そして一流のトレーナーになり――ロケットのように跡を濁して去って行った。あの事例を繰り返すことはできない。今夜料亭に誘ったのも、ナーバスになっているキョウを諭そうと思ったからだった。
「私もあいつと同様、結果を重んじるトレーナーだが……身の危険を承知で事を進めようとは思わんし、立場上君の考えに賛同することはできない。私は現在若手リーダーの育成に労を要している。悪しき習慣にとらわれず、そして“第二のサカキ”を生まぬよう彼らには道徳的な指導をしたいんだ」
 それが“弟子の失態は師匠の責任”という慣習が今だ根付くジムリーダー社会において、ベテランに課せられた罪滅ぼしだ。その立場も考えるとワタルはこれ以上意見を通すことができなかったが、イツキはまだ感情にあおられるまま食って掛かる。
「ぼ、僕には“プロは時に非情になることも必要だ”って言ったじゃないですか!」
「それはバトルに関してだ。それ以外の業務にも命を懸けるのは馬鹿げているし、あいつには家族も、ハンデ持ちのポケモンもいる。自己責任で捕獲した癖に“おや”の方が先に死ぬようなことがあってみろ、誰の手にも負えなくなれば最悪は保健所行きだ。実際に事件の時はボールから出してもらえなかったようで、クロバットはボロボロに傷ついていると聞いた。地元の鑑となるべきジムリーダーがああいう人間ばかりじゃいかん」
 冷静に言い包められると更に反発することが出来なくなり、イツキは歯を食いしばって子供っぽく悪あがきするしかなかった。
「し、死なないし! キョウさん死なないし!」
「ジムリーダーにはジムリーダーの立場があるんだ。おれ達と一緒にはできん」
 見かねたシバがうんざりしながら彼を引き留める。ワタルやカリンも同意するように頷き、孤立したイツキはふてくされながらソファの上に座り込んだ。ヤナギはその言動に呆れつつも、昨年とさして変わらぬ素直な内面にどこか安心感を覚えた。この同僚らに囲まれれば、現在取り組んでいる高潔な若手育成の見本となることだろう。そして鑑はもう一人存在する。 
「……だが、君がその信念を持っていることに安心したよ」
 ヤナギは背を向けたまま、ワタルへ呟いた。
「上手くやってれば……サカキも君のような高尚なヒーローになれたかもしれんな」
 後悔の吐息には本音が混ざっているような気がした。
 力ない足音を刻みながら、小さな後姿は病院の出口へと消えていく。待ち人が事件に巻き込まれたとはいえ、すぐに警察の対応をしてくれたヤナギを見るにワタルは一連の言動が建前にも思えた。自分の活躍は少しでもヤナギの気休めになるだろうか――ぼんやり考えていると、カリンが近づいてきて率直な疑問を溢す。
「オジサマ、あのお爺様の弟子だったの? 関係がよく分からないんだけど……」
「直接の師弟関係じゃないよ。ジムリーダーには就任一年目は先輩の指導を受ける慣習があって、ヤナギさんの弟子がサカキだ。その弟子がキョウさん。キョウさんがリーダー時代の話を今まで全くしなかったのは、こういう背景があったからかもしれない」
 ヤナギとの会話の中で薄々気付いていたようだが、それが事実だと確定し四天王は絶句していた。何せサカキと言えば指名手配中のロケット団首領として全国にその名を知られている。一方、キョウの元弟子らは既に織り込み済みのようで、当然とばかりに頷いていた。
「オジキは元々過去をベラベラ話すタイプじゃないんスよ。基本、成果主義だから昔のことは気にしないのかも」
 それならば保護司を務めていた理由も頷ける。感心するワタルをよそに、シバはソファに座り込みながら何やら神妙な様子だ。
「サカキは去年、ハナダの洞窟で遭遇したが……その話は初耳だ。早くに聞いておけばよかった」
 意外な新事実に、ワタルを含むメンバー達は再び言葉を失った。
「そ、それも初耳なんだが……」
 シバは昨年末にハナダの洞窟でロケット団絡みの事件に巻き込まれ、カイリキー共々負傷したのだが詳細は彼の口から何も聞かされることはなかった。警察には事実を説明し、先方がロケット団事件を慎重に捜査している関係上詳細は公にされていない。仲間達がシバの怪我ばかりを気にかけ、あえて事件に触れなかったことが今更裏目に出たようだ。呆然とする院内に、カリンの溜め息が響き渡る。
「明日はリーグ休止になるだろうから、私達はもう少し互いに踏み込む必要がありそうね」
 
+++

『十九日午後八時頃、タマムシシティ商業区域内のコインパーキングにてポケモンリーグ所属、プロトレーナーのキョウさんから何者かに刺されたとの通報があり、現在意識不明の重体。犯人は今だ逃走中、警察は捜査を急いでおり……』
 サカキの一番弟子が一般紙及びスポーツ紙の一面を独占したのは、彼がペーパーからジムリーダーに就任した時以来だった。あまり華がない専門タイプとプレースタイル故にポケモンバトルでトップに躍り出ることは少ないが、相変わらず話題には事欠かない。しかしリーダー就任時に比べて概ね好意的に人格が紹介されているのは現在までプロを続けた奮励の賜物だろうか。一面の下部に掲載されている記者コラムにもそんなことが書かれている。
 朝刊に目を通したサカキは紙面を畳んでデスクの隅に滑らせた。脇に控えていたアポロがそそくさとそれを回収する。
「これでは会合は困難ですね。お気の毒に」
 苦笑するふりをするアポロの頬はすっかり緩んで、ほくそ笑む胸中が剥き出しになっていた。それを見たサカキは小さく息を吐いて呆れつつも、別件の書類に目を通し始めた。
「元弟子ということもあり、警察がこちらを一層警戒して動きにくくなるが、今更大した問題ではないだろう」
 まるで他人事のような口ぶりだ。あれだけ実力を買っていたはずなのに、サカキは元弟子の事を少しも惜しむ様子がない。目を見張るアポロを察して、サカキが答える。
「居ると便利、という程度だ」
 なんだ、たったその程度!――ここ数日アポロを蝕み続けていた嫉妬がすっと立ち消えていくような気がした。幹部候補にも掛からないようなつれない言葉にぱっと相好を輝かせ、彼は新聞を抱えながら首領のオフィスを退室する。その姿は傍から見れば呆れるほど浮ついており、ちょうど入室しようとすれ違ったミュウツーもひどく軽蔑しながらその背中を見送った。直後に用件を急かすようなサカキの眼差しを受け、デスクの上へ数字が羅列された書類の束を置く。
「“B”のテストが完了した。ほぼ問題なく動きそうだ」
 報告書という様式をまるで考慮していない、データだけ並べた書類にサカキは「ご苦労」とだけ一言告げてすぐ脇へどかした。
「しかし“B”には貴様が言っていた通りの欠点があり……」
「そこはこちらでカバーする」
「では次に別件のテストをしたい。サポートを頼む」
 サカキは露骨に眉をひそめた。
「人材は既に十人近くよこしてやっただろう。それもとっておきの経験者を」
「今は塵だ」
 ポケモンは悪びれることなくはっきりと答えた。雇ってから半年ほど経過しているが、消された構成員を数えるとうんざりする。ロケット団首領はすっかり呆れ返り、ミュウツーを憎悪を込めて見据えながら毅然と言い放った。
「今は見逃してやっているが、計画に賛同し、協力する以上はこちらの言い分にも従ってもらう。いいか、よく聞け――その利口な頭で、人間を使うことも少しは考えろ」
 侮蔑を露わにした双眸はミュウツーが最も嫌いな人間に酷似していた。混沌とした闇の中で四十年近く積もり続けた怨恨がみるみる膨み、あの忌々しい過去を引き出す。
『こいつはセキエイリーグの目玉となるはずだったのに……やはり駄目だ、使えなかった。史上最強と謳われたポケモンでも所詮この程度か』
 頭が割れるような痛みと共に熱を帯び、押しとどめていた理性の蓋が音を立てて弾け飛ぶ。その奥にあるのは破壊の衝動だ。
「何を偉そうに……」
 感情が煽るまま掌をサカキに向けるが、彼は少しも怖気づくことなく、椅子に悠々と身を預けたままほくそ笑む。
「殺したいなら殺せ。が、お前の目的はこちらが作る土台が無ければ確実に失敗するだろう。知能は高いくせに、短絡的な性格は本能のまま動く野生のポケモンそのものだな」
 こちらの混乱を全て見透かすような眼差しは、あの頃受けたダメージと似ていて全身が凍てつく冷たさだ。ミュウツーは渋々腕を下げ、抵抗を諦めた。サカキの発言は最もな意見である。
「物は使いようだ。それなりに使えると評判の“とっておき”を手配するから、それを使え」
 ミュウツーは素直に頷き、その場を去ろうとくるりと背を向ける。人に近い身体つきをしているが、紫がかった弾力のある肌は人のそれではなく生々しく不気味だ。サカキは軽蔑の視線を向けながらその背中に告げる。
「そうやって蓄積した力は計画の日に解放しろ。さぞ気が晴れることだろう」
 ミュウツーは沈黙を守ったまま部屋を出た。 

鈴志木 ( 2014/09/11(木) 19:28 )