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第3章
第25話:不屈の闘志
「君は昔からまるで変わらないな。口数少ない頑固者。体格がもう一回り大きくなったくらいだ」
 瞳の奥に希望を掴んだ虚ろな眼差しで、ランスは口角を引き上げる。それがシバには笑っているようには見えなかった。志の抜け落ちたかつての戦友に彼は素っ気なく告げる。
「そうか。お前はすっかり別人だな」
 こういう時、ワタルなら改心の説得を試みるのだろうか。カイリキーを戦力外にしようとした自分を諭したように。だがあの頃の自分と違い、ランスは既に迷いを断ち切っている風にも見えた。彼はまた笑うふりをする。
「そうだろう、オレはロケット団として新しく生まれ変わったのだから。サカキ様はホウオウを操るオレを見て、幹部クラスでの加入を約束してくれた。これほど名誉なことはない」
 話が噛み合わない。その上、あれほどポケモンバトルに反対していたかと思えば今はホウオウを従えている一貫性のなさにもシバは不満だった。よく見ると襟元にはロケット団の記章ともう一つ、あの羽根型のバッジまで装着されている。彼は共に訓練に励んでいた頃、トキワジムに一度も挑戦することなく終わったと聞いたことがあるので、あれは恐らくロケット団が所有する偽造品だろう。シバは失望の溜め息をついた。
「手持ちポケモンは捕獲に拘り、その後バトルを放棄したかと思えば、今度は偽造バッジを用いてまで伝説のポケモンで戦いたいのか」
「オレは気付いたんだよ、シバ」
 ランスは後ろめたさも感じさせずに続ける。
「そんなことはどうでもいい話だと」
 全く悪びれない姿にシバは目を見張る。ランスはかつての仲間に有無を言わせぬよう畳み掛けた。
「ポケモンなんてものは目的を達成するための道具なんだ、オレにとってはね。だからバトルや捕獲の内容なんて些細な問題で、重要なのはロケット団の敵を排除すること、ただ一つ」
 彼はさっと右手を掲げると、背後で翼を上下させていたホウオウを嗾ける。
「ホウオウ、大文字!」
 ホウオウは通路に開いた穴を蹴り、大きく口を開いて本部側出入り口に立つシバへと襲い掛かる。彼は両足を踏みしめ、逃げることなく伝説の大鳥を迎え撃った。
「カイリキー!」
 ホウオウ向けて投げたボールから最も多くの苦楽を共にした相棒が現れる。カイリキーは放たれた大文字の中へ果敢に飛び込むと、焦げ付く身体を物ともせずに鳥の喉を抑え込み、窓の外へ放り投げた。
「当て身投げ!」
 豪快なフルスイングは窓ガラスを突き破り、ホウオウをセキエイの夜空へと追放する。虹色の光が周囲を照らし、下を行き交う警察関係者は騒然となった。ホウオウはさっと両翼を広げて羽毛にまとわりつくガラス片を取り払うと、落下しかけた身体を空中で立て直す。
「ノーガードでよく突っ込んでくるな。さすが、脳味噌まで筋肉なだけある」
 そうせせら笑いながら、ランスは窓の外へ軽やかに身を投げた。すかさずホウオウがその下へ滑り込み、主を乗せて通路より上空へと飛翔する。上から攻撃を仕掛けてくるのだろう。シバは身構える前にぽつりと反論する。
「この強靭な肉体は、仲間のサポートがあってこそだ」
 炎に耐えられたのは日ごろの訓練は勿論だが、キョウがイツキのネイティオのために高めた能力を拝借したことが大きい。主の旧友相手だけにまだ若干の遠慮が残るカイリキーへ、シバはきっぱりと言い聞かせた。
「あいつはもう別人だ」
 それは自身への戒めも含んでいる。
「気にせず戦うぞ」
 その直後、天井から髪も焦げる熱が降り注ぎ、肌に汗が噴き出して腕まくりしたワイシャツがべっとりと張り付いた。ランスのホウオウが屋根に火を放ったのだろう。天井は元々穴が開いていた箇所から崩れ落ち、やがて夜空を虹に染める大鳥が姿を現す。徐々に支えが失われる連絡通路は不安定に軋みを上げていた。ここに留まって戦うのは危険だが、カイリキーは空を飛ぶ術がない。それをランスが嘲笑った。
「大人しく焼かれるがいい」
 シバは眉を潜め、そちらを睨み返す。
「甘く見るな。カイリキー!」
 カイリキーは焼け落ちかけている一部の天井を強引に引き剥がすと、腕を振り上げホウオウ目掛けて豪快に投げ飛ばす。風を切って突進する巨大なコンクリート片にランスとホウオウは仰天し、慌てて横に逸れようとしたが、免れることが出来ず右足を負傷した。悲鳴を上げるホウオウの喉にランスが爪を立てる。
「持ち直せ、通路ごと吹き飛ばすんだ!」
 ホウオウは渋々体勢を立て直し、七色の光を纏いながら上空で大きな弧を描く。夜空にかかる虹は殺気立つ双眸で大方屋根が抜け落ちた通路に立つカイリキーへ狙いを定めた。そこでランスがホウオウの腹を思いきり蹴り飛ばす。
「ゴッドバ−ド!」
 引き絞った虹の矢が光を放出しながら闇夜を切り裂き、真っ直ぐに怪力ポケモンへと襲い掛かる。シバは出入り口へと避難しながら相棒へ目配せした。察したカイリキーが頷いた刹那、奇襲を仕掛けたホウオウが天井を貫き、相手ポケモンを抑え込みながら床ごと破壊し、通路外へと押しのける。ポケモンと共に通路へと突っ込んだランスは、砂塵と血にまみれた顔を上げ、地上へと落下する瓦礫を見ながら高らかに笑う。
「見たか、これが神の力……」
 そう言いかけた背中が後ろに力強く引っ張られた。汗が噴き出る肌をセメントの砂塵で汚したカイリキーが果敢にもホウオウの尾にしがみ付いたまま、持ちこたえている。シバは通路が崩れ落ちないぎりぎりまで傍に寄りながら相棒を激励する。
「いいぞ、カイリキー! そのまま――」
「目障りだ、火炎放射!」
 指示を阻むようにランスがホウオウの腹を蹴り、神秘の炎をシバへ向ける。咄嗟にカイリキーが尾を引いて軌道を変えさせたが、近距離の攻撃を免れることが出来ず、ワイシャツの肩口を焼き焦がした。サカキとの一戦で受けた傷が疼いたが、さっと火を払えばさほど痛みは感じない。沈痛性のある毒で誤魔化している上に、戦いの興奮状態でいくらか緩和されているようだ。その旨を涼しい表情で相棒に向けた途端、ホウオウがカイリキーを尾に下げたまま空高く飛翔した。
「お前も鬱陶しい、上から振り落せ!」
 がなり立てるランスの命を受け、鳥はぐんぐんと高度を上げて通路から姿は見えなくなる。シバが相棒にできることは指示と見守ることだけだが、以前のようにポケモンを信じて遠くから傍観することはなかった。彼は急いで焦げ臭いワイシャツを取り払って包帯と防弾ベストだけの上半身を曝け出すと、革靴とソックスを脱ぎ捨てて素足になる。ガラスやコンクリート片が散らばる通路を気に留めず、窓枠へ足を掛けて穴だらけの屋根へ上った。ホウオウの猛火を浴びた連絡通路の屋根は大男を支えるには頼りなく、油断すれば簡単にへし折れてしまいそうなほど軋んでいる。彼はタワービル側の壁へと歩み寄りながら七色の光が照らす闇夜を見上げる。鳥は既に四十階の高さまで飛翔していた。
「故障した癖に、いつまでもポケモンバトルにしがみ付く! お前は主そっくりだな」
 ランスはホウオウの尾に掴まるカイリキーを足蹴にする。ところが怪力ポケモンは唇を引き結んだままじっとこちらを睨み据えている。そこに畏怖の色はなく、浮かんでいるのは憐れみだ。冷たい眼差しにランスは動揺する。
「そうやって、ずっと黙っている所もだ。オレがカンナを取った時だって奴は……」
 最初から何もかもシバに劣っていたから、あてつけのように仲間に手を出したものの、やはり彼は変わらなかった。悔いをホウオウへ転化するように、靴の先で鳥の腹を蹴り上げる。
「いいからさっさと振り落せよ!」
 四本の腕でがっしりと尾にしがみ付き、百六十キロ近くの重量を誇るカイリキーを引き離すのは容易ではない。そこでホウオウはビルの壁へと突進し、背に跨るトレーナーお構いなしで強引に身体を捻り、尾を振るいながらカイリキーを近くの壁に叩きつけた。ランスの身体が宙に浮き、両手が汗で濡れる。彼は慌ててホウオウの首にしがみつき、難を逃れた。
 一方、壁へ叩きつけられたカイリキーは数階分の距離を滑り落ちていたが、突き出した窓枠を上の右手で掴んで何とか持ちこたえる。タイル張りの高層ビルは凹凸が少なく、数メートルおきに幅五センチ程突き出している窓枠だけが頼りだ。日頃懸垂で鍛えている腕力をもってすれば、この高さでも怖気づくことはない。その度胸を察したシバは屋根を乱暴に蹴り上げ、ビル壁へと走りながらカイリキーに指示を出す。連絡通路の足場は大きく軋み、今にも陥落しかかっていたが意識は相棒に注がれていた。
「カイリキー、ロッククライムで壁を登れ!」
 万が一に備えて右手に握るボールは、指先に緊張の汗が滲んで零れ落ちてしまいそうだった。カイリキーも同様に気を緩めてしまえば故障どころか生命が絶たれてしまう。昨年の悲劇は二度と繰り返すな、しかし戦えと戦闘本能がシバを鼓舞する。
 トレーナーの闘志に触発されたカイリキーは四本腕を器用に使い、ホウオウと同じ高さまでするすると壁をよじ登っていく。指を滑らせれば最後。それを見たランスが更に上空へと飛翔するホウオウの向きを変えた。嘴を向けた先は壁を伝うカイリキーだ。
「今度こそ……ホウオウ!」
 ホウオウが壁に接近し、七色の光を放ち始める。カイリキーとの距離はおよそ三階分、壁を登るペースを上げれば間に合う。
「ゴッドバード!」
 伝説の鳥が大きく翼を広げる。長い隙を狙って、シバが声を張り上げた。
「攻撃が来る前に決めろ!」
 カイリキーは足の裏に張り付いていた窓を蹴り、上階の窓枠向けて飛び上がる。汗ばむ指先で枠にしがみ付き、素早く動きを繋いでいく。シロガネ山での崖登りの訓練で培った度胸と腕力を発揮すれば、一気にホウオウまで距離を詰めることができた。唖然とするポケモンとトレーナーを眼前に捉えると、足場にしていた窓枠から跳躍し、目にも留まらぬ速さで鳥の腹へと腕を振り上げる。
「爆裂パンチ!」
 故障していた右腕二本を重ねての疾風を纏ったアッパーはホウオウの腹を抉り、鈍い音を夜空に響かせながら痛烈な一打をお見舞いした。鳥はたまらず背中のランスを跳ね上げ、七色の羽根を撒き散らしながら発狂の悲鳴を上げる。
「たかだか格闘ポケモンのパンチ一発に怯えるな! さっさとトドメを刺せ!」
 背中の上で激しく揺さぶられながら、ランスはホウオウを叱責する。虹色ポケモンは自分の命などまるで考慮しない。混乱をきたす鳥の頭を強引にカイリキーへ向けると、トサカを引っ張って準備していた技の発動を急き立てた。ホウオウががむしゃらにそちらへ突進し、壁へ衝突する。乱暴な頭突きは窓枠に戻ろうとしていたカイリキーの右腕を弾き、支えを失ったポケモンはそのまま宙へと放り出された。カイリキーはなすすべなく地上へと吸い込まれ、灰色の身体はみるみる小さくなって石ころのように消えていく。
「勝った……」
 ランスは思わず興奮を口にした。ところがポケモンの表情に絶望は感じられなかったし、死を受け入れている様子も見受けられない。ただ一点、主を信じていると言いたげだ。お前とは違う、と突き離すように睨んでカイリキーは空中で身構える。
「任せろ!」
 すぐに連絡通路の屋根で勇ましい声がして、落下点へとシバが走った。崩壊寸前の足場を気にせず、彼はボールを持った腕を空へ突き出した。マーカーの信号が届く距離まで落下したカイリキーを、ボールが包み込むようにその中へ誘う。少しでも対応が遅れていれば、ポケモンは地上に叩きつけられていたことだろう。シバは汗ばむ右手でしっかりとボールを握りしめたまま、長い息を吐いた。
「間に合った……」
 指の隙間から、相棒の頼もしい顔が覗く。
「行くぞ。ここが踏ん張りどころだ」
 そう短く告げると、シバは虹の光が照らす夜空を仰ぎ、かつて志を同じくした友人に尽きぬ闘志を見せつける。
「惜しかったな。勝負はこれからだ!」
 シバは不安定な通路の屋根に立ったまま、相性の悪いカイリキーで戦闘を仕切り直そうとしている。この状況に感化され、跨るランスは高揚に震える唇で戦いへの欲求を口にした。
「勝機はこちらにあるんだぞ」
 ようやくシバに勝利することができるかもしれない――その手ごたえが彼の闘争心を震わせる。良い結果を持ってロケット団に戻れば待ちに待った称賛を受けるはずだ。首領も喜んでくれるに違いない。誰もが幹部の地位に納得し、アポロは膝を屈してアテナは見直してくれる。少し想像するだけで快感が身体を駆け抜けた。しかし、それ以上に。
「バトルに勝てる……」
 思えばいつも中途半端に終わっていたポケモンバトル、確たる勝利を掴んだのはいつ以来だろうか。勝機を見出し心が震える。その上、相手はあの四天王のシバだ。
「勝ちに行くぞ、ホウオウ!」
 力強く鳥に告げ、緩い夜風に揺れる通路を指さした。視線の先にいるシバを見ると、負けが続き、才能の限界を感じて退いたバトルフィールドを彷彿とさせる。常に痛めつけられてばかりの手持ちポケモンを見て、その後ろめたさがバトルの持つ野蛮性へと変わっていった。それでも根底には勝利への憧れと闘争心が残っている。
「ブレイブバードで降下し、聖なる炎を食らわせる」
 ランスはさっと右手を掲げ、ホウオウへ進撃の号令を出した。虹色の鳥は両翼を広げ、再びの光を放出させながらビルとスタジアムの間に渡された連絡通路に焦点を合わせる。狙うのはカイリキー、ただ一点のみ。鳥は風を切り、空を照らしながら急降下した。数百メートル先から迸る闘志にシバは唇の端を緩ませる。
「そうこなくては」
 彼は崩落を免れる可能性が高い、通路屋根の端へと駆けながら再び夜空へボールを投げ放った。
「カイリキー!」
 シバは全速力でビル側の通路で入口の真上へ駆ける。大男が屋根を揺らしたため、通路は既に大きく傾いていた。その中心へ、怪力ポケモンが火に油を注ぐ着地。通路全体が激しく振動し、追い打ちを掛けるように巨大な虹色の鳥が突っ込んで瀕死の通路を一刀両断した。真ん中から折れた通路は支えを失って、地上へと落下していく。屋根から通路内部へ投げ出されたシバは、きつい傾斜を気にせず窓枠にしがみ付きながら周囲を見渡した。枠に残ったガラスが腕に刺さっていたが、興奮と毒で痛みは感じない。
 それよりも優先すべきは状況把握だ。通路を破ったホウオウが眼前を飛翔し、その上に跨るランスは既に次の技を叫んでいる。技の指示が早すぎる。連携の取れていないホウオウは既に炎を迸らせながら、視界にカイリキーの影を捉えた途端にそれを放つつもりだ。がむしゃらな攻撃は狙いが散漫しており、ノーガードで突っ込んでもダメージをある程度緩和できる。そう確信したシバは姿なき相棒へ指示を叫んだ。
「決めろ!」
 すると頭上の梁が足型にへこんで窓枠がガクンと振動し、その後ろに潜んでいたカイリキーがホウオウの不意を突いて飛びかかる。そこへ間髪を容れず、ホウオウが溜め込んだ聖なる炎を放出した。カイリキーは即座に腰を落として鳥の正面へと突っ込んでいく。それがランスには会心の一撃に見えた。
「やった……」
 拳を握り、歓声を振り絞ろうとした時――ホウオウの身体が大きく横に揺れた。炎を掻い潜り、懐へ潜り込んだカイリキーがホウオウのボディに反撃の一打を叩き込んだのだ。鳥は鋭い悲鳴を上げながら残り火を吐く。カイリキーはその頬に、撫でるような軽いジャブを放った。それを機に、シバが号令を叫ぶ。
「ここまで溜め込んだリハビリの成果、そして倒れた者の分まで存分に殴れ――グロウパンチ!」
 二秒間に千発のパンチを放つことが可能と言われるカイリキーにとって、繰り返し打つことで拳を強化するその技は至当であった。上半身に力を注ぎ、長期に渡って傷を癒した四本腕でコンマ一秒刻みの鋭いジャブを絶え間なくホウオウに叩き込む。一打ごとに強度を増す拳の手ごたえに、故障をして以来、仲間の試合をフィールドから遠巻きに眺めながらサンドバッグに向かう日々を重ねる。打って、打って、少しでも早く確実に――そして戻る先は、四天王のエースポケモンの座だ。拳は鳥の熱と連打の影響で、打たれた鉄の如く赤く輝いている。息もつかせぬ拳の応酬、最後にカイリキーは四本腕のリーチを僅かに長引かせ、ホウオウの腹へ力強い灼熱の拳を振り入れた。撫でるような初めの一打からはとても想像のできない四発のストレートパンチはホウオウの意識を飛ばす衝撃を与え、鳥の身体を大きく跳ね上げる。
「トドメだ!」
 カイリキーは虹色の翼を掴み、崩れる通路の屋根に足を踏みしめると、身体を大きく捻りながら遠心力を活かしホウオウを夜空の彼方へと投げ飛ばす。振り落されたランスが通路へ落ち、ホウオウはそのままシロガネ山の峰々へと消えていった。虹色の身体はさながら流星、復帰後初の白星だろうか。
「よくやった。さすがだな、相棒」
 窓枠にしがみ付いたままのシバが、拳を丸めてガラスの刺さった腕を振り上げる。カイリキーもそれに応えようとした時、真っ二つに割れて両側の建物の壁に宙吊りになっていた通路がとうとう音を上げた。大きな音がして、視界は徐々に地上へと様変わりしていく。
「助けてくれ!」
 通路の端にしがみ付いていたランスが喚き散らし、地上で待機していた機動隊の動揺が高まる中、シバは冷静にカイリキーへ目配せすると、ベルトからボールを一つ取り出して短く呟いた。
「ハガネール、ランスを頼む」
 先に瓦礫が降り注ぎ、粉塵が舞い通路が地上へと接近する。残り僅かビル三階相当――そこまで降下すれば高さ九メートルのハガネールであれば軽く着地できる距離だ。ボールから鉄蛇が飛び出し、崩落する通路からランスを口の先で摘まみ上げる。同時に、カイリキーも主を抱えて仲間の背へと跳躍した。そこへひらりと飛び移った直後、地に叩きつけられた通路の本体が周囲を轟かし周囲を砂埃で包み込んだ。カイリキーから身を離し、ハガネールの背に降りたシバは鉄蛇にしっかりと咥えられたかつての仲間を向く。
「負けてしまったよ」
 ランスは観念したように擦れた声で無念を溢す。
「結局、お前には一度も勝てなかったな」
 無様な姿にそれ以上視線を浴びせぬよう、シバは背を向け短く告げた。
「次の再戦はスタジアムフィールドだ」
 激励も含まれていたが、ランスはただ呆れるように息を吐いた。
「馬鹿だな、もう受付のゲートは通れない」
 犯罪者は正規の方法でセキエイの門を叩くことは許されない。二人の最後の会話には無念だけが残された。シバはそれ以上何も言わず、カイリキーを引き連れてハガネールの背を降りていく。ここまで数多のトレーナーと出会い、共に頂点を目指して切磋琢磨していたはずなのに、別れは常に素っ気ない。上に行くほど仲間は少なくなる。バトルをライフラークとする人間には仕方のないことかもしれない。シバはカイリキーに告げた。
「これからも宜しく頼む」
 相棒が迷いなく頷く。
 辺りに立ちこめる灰色の粉塵が薄れ、地上で慌ただしく事態に構えていた機動隊の騒ぎ声が徐々に高まり始める。後処理に巻き込まれ、ワタル達との合流は大きく出遅れることだろう。ハガネールの尾から地上へと足を踏みしめたシバは背後にそびえるセキエイスタジアムをふり仰いだ。深夜を過ぎた空は若干藍色がかり、赤いサーチライト群に照らされて緊迫の色を成す。

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 スタジアムのロッカールームからバトルフィールドへと続く通路に、一つの靴音が反響する。灯りの落ちた小道はゲンガーくらい潜んでいそうなものなのに、彼を除いて生き物の気配はなかった。
 こつん、こつんと耳に響く革靴の音と、背中に擦れるマントの感触がワタルの覚悟を後押しする。それはリーグ本戦へ向かう心境に似ていた。直前にスタジアム支配人であるマツノの後押しを受けたから尚更だ。遠くに待つフィールドの照明が角膜を刺激し、徐々に気持ちを高ぶらせる。出口の先で万雷の拍手と歓声に出迎えられたのなら、王者を決めるショーの始まりだ。
 ところが暗闇の先からは声援は聞こえない。丸くかたどられた光の先から届くのは救いを待ち望む声なき懇願である。それを救うのは自分の使命だ。どれほど危機に直面しても、自らの無力を噛み締めることはなくなった。少年期の危機を救ってくれた彼と同じく、トレーナー界が誇る驚異的な実力を手にしている。それを以ってすれば、警察をも圧倒するあの男と十分に渡り合えるはずだ。
 ――強い?
 そう尋ねた記憶が蘇る。彼はその時、迷わず断言した。
 ――強いぞ。
 その風格に圧倒されると共に、心が震えた。あちこち傷付いても、ドラゴン使いの血に流れる闘争心が呼び起こされていたのかもしれない。あれから一度も顔を合わせずに時は経ち、今危機を救うべき状況なのに、心の隅は一番戦いたかった相手との決戦を前に高揚で焦げ付いている。栄光の舞台へと続く、無人の道がそれを引き立てた。彼はトレーナー人生を築き上げた重要なピースの一つで、今朝まで一介のプロトレーナーとして立ち回って来ただけに、その興奮が払拭できない。その欲求は、大怪我をして入院したにも関わらず彼にバトルを求めた少年期からあまり変化がなかった。
 ――今度、僕と勝負しようよ。
 臆さず告げると、彼は一枚の名刺をくれた。
 ワタルは徐に上着のポケットから免許ケースを取り出すと、片手でその紙を引き抜いて端末だけを元に戻した。掌にねじ込まれた名刺は元々あちこちに皺が寄って十数年による経年ですっかり黄ばんでいる。
 ――誰もが認める実力になったら、ここへ来るといい。いつでも受けてたとう。
 その場所では再会できなかった。
 だが何の因果か、挑戦の機会は最悪の状況でやってきた。その時まで、あと十数メートル。自らの足音ばかりを耳にしながら、ワタルはベルトに装着されたボールの中で息を潜めるドラゴン達に告げる。
「ついに戦う時が来た」
 イツキとマツノがスタンドにいる人質を守ってくれれば不安要素は何もない。自分は誰もが認めるチャンピオンだ。決戦を前に、これ以上の実力の証明はないだろう。その横顔を見せれば、手持ちポケモンは一匹たりとも臆することがなかった。
「行くぞ」
 ワタルはそう告げると、名刺を胸ポケットのチーフの後ろに差し込んで居住まいを正しフィールドへと歩を進める。やがて視界は明るさを増し、眩い照明と様々なざわめきがその舞台の王者を出迎えた。北側のゲートを潜り抜け、ベンチを過ぎた時、ワタルの背負っていたマントがふわりと翻る。
「ワタルさん!」
 スタンドのあちこちで、誰かが希望混じりの声で名を呼ぶ。
 ところが視界のあちこちで非日常的な黒づくめを纏い、銃火器を手にした構成員が目につくスタジアムの光景は張り詰めた緊迫で覆われている。ワタルは北側ベンチから真っ直ぐに歩んでいくと、テクニカルエリアへと降り立った。こつん、と澄んだ音が反響する。そのまま視線を前方に向けた先に、あの男がいた。
 彼は多くの部下に囲まれ、トレーナーが踏み入らぬフィールドの中央で仁王立ちしたまま、唇を引き結んでこちらを睨んでいる。十数年来の再会であるはずなのに、彼はニュース越しに見る顔写真とも、あの頃の記憶ともあまり変わりがない。長身の類に入るワタルより背が高く、がっしりとした体つきに沿うように纏ったダブルの仕立てのスーツ姿が照明の下、彼のシャープで冷酷な雰囲気を引き立てる。ワタルは息を呑んだ。あの頃と同じようで、この男はまるで違う。僅かな善意すらも感じられない。

鈴志木 ( 2015/05/27(水) 19:32 )