第23話:突入
深夜二時を回ったセキエイスタジアム周辺はサーチライトや警察車両のランプの光が重なり、この時間帯にも関わらずひどく慌ただしい様相を呈していた。リーグ本部職員が避難したスタジアムにロケット団が乗り込んだという事実を受け、通用口周辺の警備も更に厚みを増していく。防弾盾とポケモンを引き連れた突入部隊が次々集まり、通用口をずらりと取り囲んで突入の合図を待った。
「ゴーが出れば乗り込むぞ。交渉の余地はない」
隊長が部下やポケモンに目線を送った。彼らのポケモンは広範囲で相手の動きを封じ込める技を得意とする、フシギバナやマタドガスなどがスタンバイされている。各々脇を引き締め、厳しい視線が出入り口に注がれる中、ふいにドアノブが回る音がした。すぐに扉が開き、動揺を見せる彼らの前に黒い武装服を纏った男が現れる。
「おっと、裏口も出待ちで溢れ返っているな。ご主人様の命令を待って、いつまでもフィールドで棒立ちしている間抜けなポケモンみてえだ」
一見下っ端の彼が黄ばんだ歯を隊員らに見せつけると、足元の影から無数のヨマワルが飛び出してきた。宵闇に紛れて今の今までその存在に気付かなかった隊員らは目を見開いたまま絶句したが、ヨマワルの不気味な眼差しを受け、たちまち耐えがたい睡眠欲に支配される。真夜中とはいえこの状況で横になるなどもっての外だが、ゴーストポケモンの術は強力だ。彼らは手持ちと共にあっけなくその場に崩れ落ちた。
「我々の計画を邪魔する悪い子は、このままあの世行きさ」
言いつけを守らなければ真夜中にヨマワルに連れて行かれるぞ――親が子供を躾ける際に使う脅し文句だ。それをそっくり再現すべく、構成員が倒れた機動隊を眺め渡す。するとその頭上で企みを否定する声がした。
「悪人はそちらの方だろう」
ロケット団構成員がそちらに視線を向ける手間を省き、ヨマワルの間を割ってサザンドラが着地する。折り目正しく、誰にもぶつからぬよう気を配りながら六枚の翼を翻し、ゴーストポケモンの群れへ三つの頭が咆哮した。礼儀正しい登場からはとても想像できない戦慄の衝撃、“悪の波動”はヨマワル達を一掃し格の違いを見せつけた。着地場所ができたところで、その真上を飛ぶカイリューに跨っていたワタルが跳躍する。彼は夜に溶け込むマントコートをはためかせ、軽やかにその場へ着地した。
「そして行先は堀の中」
ワタルがマントをさばいて構成員に向き直る。すると背後にいたサザンドラが背筋も凍りつく鬼の形相で男を睨みつけ、彼を気絶させた。分類・凶暴ポケモンの名に相応しい底知れぬ恐怖を掻き立てる顔つきは、ワタルが振り向いて労ってくれると和やかな笑顔に一変した。
サザンドラを褒めちぎった後、ワタルはトレーナーと並んで深い眠りにつくフシギバナに万能薬『なんでもなおし』を吹きかけて目覚めさせる。
「一ついいかな? そこで気絶しているロケット団を拘束してもらいたいんだ」
警察のポケモンは決して主以外には従わぬよう訓練されているが、真っ直ぐこちらを見つめるワタルの気迫と背後に構えるドラゴン、そして周囲に崩れ落ちる機動隊らの光景に狼狽えたフシギバナは素直に準ずることにした。ワタルは頬を緩めつつ、眠りこける人々を見る。
「ありがとう。だが残念ながら、君のご主人達はしばらく目を覚ますことはないだろう……トレーナーには効かないんだよな、これ」
と、言って『なんでもなおし』をサザンドラに見せると、生真面目な彼は大きく息を吸い込み、ハイパーボイスを放って周囲を叩き起こそうとする。宙に待機していたカイリューがすぐに飛んできて口を塞ぎ、それを阻止した。
「あまり騒ぐと中の状況に影響する。仕方がないからオレ達だけで対応しよう。応援を待っている暇はない」
先ほどから自分ばかり後手に回っている事情がワタルを逸らせる。少しでも早く行動しなければ、このままサカキを取り逃がしてしまう可能性もあるし人質の命も危ない。
「君はここでご主人達を守ってくれ」
強豪ドラゴンを前に身体を強張らせるフシギバナの緊張を解すように微笑みかけ、ワタルは通用口へ駆け寄った。中を覗き込んでも人の気配はなく、残業後に帰る情景そのままだ。
「残っているロケット団は連絡通路から流れているようだから、この辺りの見張りはまだ手薄なのかもしれない」
狭い入口でつっかえるカイリューとサザンドラをボールに戻し、ワタルは通用口へ飛び込んだ。蛍光灯の光が照らす群青色の通路は沈黙を貫いたままリーグトレーナーを迎え入れる。何度も往来していた馴染みの道なのに、それを拒否する空気が彼の肌を刺激した。
「デンチュラかな」
察したワタルがベルトに装着したボールを一つ弾いた刹那、周囲に閃光が弾けて通路内に幾重にも張り巡らされたエレキネットが露わになった。電流が流れる蜘蛛の巣は火花を撒き散らし、照明をショートさせて侵入者を襲う。ところが、それは鈴の羽音を響かせて現れたドラゴンによって阻まれた。
「フライゴン、砂嵐!」
砂漠の精霊は自ら電撃を無効化して主の盾となり、通路内に砂嵐を吹き荒れさせる。瞬く間に砂塵が駆け抜けると、物陰に身を隠していた二体のデンチュラがたまらずにその姿を現した。ワタルが目配せするなり、フライゴンは床を蹴ってそちらへ突進する。デンチュラが迎え撃つ前に鼻先へ飛び込み、身体を捻ってドラゴンダイブ。豪快な体当たりは二体の蜘蛛を確実に気絶させた。
「お見事」
ワタルは背広に付着した砂を軽く払いながらフライゴンに歩み寄る。ポケモンは得意げに微笑みながらも、通路曲がり角の先に潜む刺客の気配を察知してそちらに顔を向けた。通用口の長い通路を左に曲がってIC認証のゲートをくぐれば関係者専用の売店や医務室、事務所や練習場へと続き、その突き当りにある出入り口を抜けるとロッカールームやバトルフィールドへ繋がるエリアに到達する。
通用口の通路を砂嵐が通過したにも関わらず、ワタルの視界の先に見えるスタッフゲートはこの暗闇の中、カード認証を待つ平常時の緑ランプが煌々と点灯し、周囲はフライゴンの耳触りの良い羽音が反響するのみだ。ずっと奥にロケット団が潜んでいることが推測できるのに、反応がなくあまりにも静かすぎる。
「もしかすると、関係者用の通路は無人なのか? こんな時にイツキくんかキョウさんがいれば……」
中の状況が分かるのに、とワタルは零しかけるもキョウを引き留めた手前口には出せず、慌てて後悔を飲み込んだ。傍ではフライゴンが自身の力不足にぎりぎりと歯噛みしている。超能力は使えないが、クロバットと同じく超音波は使えるのに、と言わんばかりだ。それに目を付けたワタルが、フライゴンに手法をジェスチャーしながら尋ねる。
「やってみるかい? オレとオノノクスで試してみようか」
ワタルは傍にオノノクスを召喚して横に並ぶと、仕組みを理解しきれないフライゴンに超音波を命じる。それで人とポケモンの微妙な反響音の違いを掴ませようというのだ。フライゴンは彼らの前で超音波を発し、曖昧な反応を得た。ワタルはドラゴンをフォローするように微笑む。
「ポケモンか、そうでないか。それが分かればいいんだよ。それだけでも対処がずっと変わってくるから」
専門外の技のため、ポケモンに求めるハードルは低い。それを理解させると、フライゴンはほっとしたように表情を緩めた。甘えたがりの彼は主人の期待に応えようと無茶をしやすい。
「間違っても大丈夫。さあ、頼んだよ」
頭を引き寄せ、頬を撫でながら笑顔で言い聞かせてやるとフライゴンはすっかりその気になった。新しい技や戦法はこのように習得させる。ドラゴンは鈴の羽音を控え目に、ゲートの奥へ超音波を放った。幅広い通路へ人間が聞こえない繊細な超音波が駆け巡り、突き当りの扉に当たって跳ね返ってくる。音を拾った敵ポケモンの呻き声がどこかで上がった。ワタルはフライゴンに尋ねる。
「人間は」フライゴンは首を振る。「なし」
「ポケモンは」フライゴンは目を見開いて、餌を沢山与えられた際の大仰な喜びで結果を表現する。「多数」
徐々にゲートの向こうが騒がしくなるが、そこに人の声は混じらない。どうやら通路はほぼポケモンに占拠されているようだ。ワタルはフライゴンの首に手を回し、短時間で目一杯褒めあげた。何より主人が好きなフライゴンは得意げに表情を崩し、鈴を転がす音を鳴らしながら羽根を上下させる。
「さすがだな、助かるよ。君は一旦休憩だ」
額をそっと撫でてボールを掲げると、フライゴンは満面の笑みでその巣へと帰還する。これで残されたポケモンは背を丸めて押し黙るオノノクスのみ。ワタルは短く息を吐いてネクタイの位置を直すと、別のボールを取り出して宙に放り投げる。床の砂塵を撒き散らし、リザードンが現れた。
「援護を頼む」
ワタルが短く告げると、二匹のドラゴンはゆっくりと頷いた。彼らはプライドが高く、主に甘える性格ではない。フライゴンのように接すると逆効果だ。ワタルはオノノクスの背に軽やかに跨ると、ゲートを前に手持ちへ告げた。
「さあ、行こう」
その一言が引き金となり、リザードンは壁を蹴ってゲートの向こう側へと羽ばたいた。その先で待ち構えるのは長い通路で身体を伸ばすハガネールである。まるでそこが巣穴だと言わんばかりに居座っていたが、リザードンにとってはこれ以上ない狙い目だ。眼前へ飛び込み、炎の牙で噛みついて敵を薙ぎ倒すと、次いでオノノクスがゲートを飛び越える。するとハガネールの隙間からスピアーとテッカニンが合わせて五匹飛び出してきた。
「火災報知器が作動するから火炎放射やオーバーヒートはNGだ。リザードン、エアスラッシュ!」
ワタルの命を聞き、ハガネールから身体を離したリザードンが身を翻して空気の刃を放ち、虫ポケモンを一掃する。その隙をついて、身を屈めたオノノクスがハガネールの隙間を潜り抜けて尾の先へ出た。ワタルの目の前に真っ赤な身体が飛び込んでくる。シザリガーだ。気性の荒いならず者ポケモンは、戦歴を示す巨大なハサミを揮ってドラゴンの斧状の牙を挟み込み、そのままへし折ろうと試みる。だが腕は少しも動かなかった。相手はチャンピオンの所有するドラゴン、名を表す牙はそれ以上に鍛え上げられている。
「オノノクス、ドラゴンクロー!」
牙でハサミを抑え込んだオノノクスは、背負った主が浮き上がるほどに身を捻りながらシザリガーの柔らかな腹へ力強い痛打を叩き込んだ。ワタルは身体が浮いたタイミングで一旦床へ着地し、周囲を確認する。傍の売店にはシャッターが下りている。視線を動かすと、練習場へと繋がる通路の先から二匹のマッスグマがこちらへ突進してきた。このポケモンは一度走り出せば軌道修正が難しい。ワタルは左へ避けながら、オノノクスに指示を出す。
「ダブルチョップ」
すかさずオノノクスがマッスグマの前へ立ちはだかり、彼らをまとめて叩き落とした。練習場へ向かう通路はマッスグマを除けば無人だ。人の気配はなく、ここにはロケット団のポケモンしかいない。それを確信した背後にまた新たな気配を感じる。目の前に倒れたハガネールのくすんだ金属質の肌に緑の刃が映りこんだ。ワタルがそれを認識した刹那、リザードンが彼を抱えてその場を離れる。鋼の身体に無数の葉っぱカッターが突き刺さった。技の主ははす向かいの通路に潜んでいたジャローダだ。技が外れたと見るやロイヤルポケモンは素早い動作で蔓の鞭を放ち、リザードンと跳躍するワタルの右足を捕縛した。主を手放すことができないリザードンに付け込んで、ジャローダは強引に鞭を引いて草結びを試みる。身体を叩きつける先はハガネールの岩肌、その隙間から禍々しい眼光が見えた。鉄蛇の下に、また新たなポケモンが潜んでいる。
「オノノクス!」
足が引っ張られる寸前でワタルに呼ばれたオノノクスが飛びかかり、牙で蔦を切り裂いてジャローダの前へ着地した。自由になったリザードンの前にもハガネールの下に潜んでいた刺客、たっぷりの水を纏ったパルシェンが襲い掛かる。ワタルは二体のドラゴンに告げた。
「弾ける炎と、岩雪崩」
その命を受けた竜は、互いを振り返って標的を変更する。敵の意表を突いて、リザードンはジャローダに炎の弾丸を放ち、オノノクスはパルシェンに岩石攻撃。的確な攻撃は刺客を昏倒させ、リザードンの腕を潜り抜けたワタルが床に着地する。
「これでひと段落かな」
ワタルが再度周囲を眺め渡すと、ようやくポケモンの気配は無くなった。リザードンやオノノクスも警戒を緩めており、それは確信へと結びつく。
「お疲れ」
短い労いを掛けて、ロッカールームやバトルフィールドへと続く通路の扉に歩み寄った。ガラス張りの扉の先はやはり無人である。
「どうやらスタジアム外周はポケモンに任せて、フィールドから逃走を図るようだな」
総監室以外にいたロケット団構成員は殆ど拘束されてしまったから、こちらに人員を回せないのだろうし、ヘリなどを呼ぶのなら開けたバトルフィールドエリアが適している。だがスタジアムの屋根は開閉式ではないため、ポケモンによって破壊される危険性が高い。天井の破壊は本戦ならば当然、即刻退場となる行為だが相手はルールの通用しないポケモンマフィアだ。
「急がないと……」
ワタルはリザードンとオノノクスに目配せし、IC認証式の扉を開くためパスケースを取り出した。入講証は免許端末などとまとめてそちらにしまっている。そして、あの名刺も。ケースを認証端末にかざす前に、ワタルはそれをもう一度確認しようとした。ところがフラップを開く前に扉をコツンと叩く音に阻まれ、即座に顔を上げる。扉の反対側にイツキとネイティオが立っていた。
「裏口から入ったの?」
イツキはIC認証の要らない反対側の扉を開け、真っ先に事情を尋ねる。ワタルはほっと息を吐きながら頷いた。
「無事で良かった……そうだよ、通用口から。イツキくんは連絡通路から?」
イツキは周囲の様子を確認しつつ、神妙な面持ちでワタルに近寄る。
「うん、そこでランスに遭遇して今シバが戦ってるとこ。それよりヤバイよ。ネオに先見してもらったんだけど、ロケット団はバトルフィールドに移動していて、逃走用のヘリが近付いてきているみたい」
「避難した職員の皆さんはどこに?」
「次々とスタンドの座席に括り付けられているよ。ここに最初から待機していた機動隊の人達もね。それでさ、スタジアムの屋根って開かないじゃん? なのにフィールドでヘリを待つと言うことは……」
「君の想像通りだよ。早く動かないと大惨事になる」
最悪の事態をワタルに肯定され、イツキの表情からみるみる血の気が引いていく。彼も普段戦っているホームグラウンドの屋根が抜け落ちるなど今まで考えたことはなかったのだろう。
「い、一緒にフィールドへ乗り込む? だけどバトルの最中に、座席にいる人質まで目を配れない。敵は武器を持っているんだよ」
イツキが危惧するのはスタンドにネットを張っていた頃の悩みそのものだ。ワタルはそれを解決した設備の存在を提案する。
「スタジアムには流れ弾がスタンドに入らない装置があるじゃないか。破壊光線すら防ぐ見えないフェンスだから、マシンガンにも耐えられる。オレが敵を引きつけている間にそれを作動させてくれないかな」
イツキはたちまち目を輝かせたが、まだ舞台裏に疎い彼はすぐ眉間に皺を寄せた。
「あれ、スタジアムのどこで制御してるんだっけ? 機械の使い方も分からないけど、ディンに頼めば何とかなるかな」
「ロッカールームに建物内の見取り図があるはずだよ。確かマツノさんに、南側ベンチ裏付近の機械室って聞いたような……」
基本的にプロトレーナーはロッカールームとフィールド周辺しか行き来しないため、裏方の事情には詳しくない。ワタルとイツキはそれを悔やみつつ、数メートル先のロッカールームへ早足で歩み寄る。ぴたりと閉ざされた扉に二人は違和感を覚えた。夕方着替えて出動してから誰も立ち入っていないはずなのに、時折中でゴトリと物音がするのだ。ワタルはイツキとネイティオへ交互に視線を送った。
「ネオ」
イツキが相棒に付近の少し前の過去を見させた。ネイティオの脳内に、どかどかとロッカールームに入りこむ黒づくめと背広を着た男達、そしてマルマインの映像が流れ始める。やや不鮮明な扉の奥で「助けが来ればお仕舞いさ」と言った後、黒づくめの男達がそこから退出し、過去は途絶えた。ネイティオは壁に貼られていた求人ポスターのスタッフの写真を羽の先で示し、扉を開けると爆発するジェスチャーで内容を伝える。それでイツキは中の事情を把握した。
「中には人質がいて、扉には爆弾が仕掛けられているみたい。マルマインでもいるのかな」
ネイティオが首を縦に振る。ワタルは扉の傍に張り付きつつ、反対側にいるイツキに尋ねた。
「それじゃ、あの段取りで行ってみるかい?」
イツキも本部タワービル突入時に話し合っていた、あの計画を思い出す。
「そうだね。だけどこの距離ならガブリアスの出番はないよ。“リザードン様”も、火災報知器を鳴らすからNGね」
彼はオノノクスと並んでこちらの様子を窺っているリザードンに歯茎を見せつけ挑発する。リザードンはむっと顔を歪めながら、そっぽを向いた。
「それじゃ、三つカウントして突入だ」
ワタルは苦笑しながらリザードンをボールに戻し、オノノクスを引き寄せる。
「三」
イツキとネイティオが表情を引き締め、扉に注視する。
「二」
ワタルは息を吸い込み、オノノクスに視線を向けた。
「一」
ネイティオが扉の前へ滑り込む。イツキが素早く指示を出した。
「ネオ、金縛り!」
仲間のアシストによって高められた念力は扉を潜り抜けてロッカールーム内へ飛び込み、起爆装置になっていたマルマインの動きを封じ込める。くぐもった鳴き声を確認したワタルがすかさずオノノクスを嗾けた。
「行け、オノノクス――ドラゴンクロー!」
ドラゴンは斧状の牙を振るい、扉を突き破って突入すると、目に飛び込んできた標的へ抉るようなボディブローを叩き込んだ。一匹目をそれで仕留め、大きく身体を振り動かしながら二匹目、三匹目のマルマインをドラゴンテールで薙ぎ倒す。ボールポケモンは爆発寸前で気絶した。
「さすがだな」
ワタルがオノノクスを労いつつ室内に踏み入ると、昏倒したまま転がっているマルマインに囲まれ、目隠しをされたリーグ本部の役員達が蜘蛛の糸で縛られ並んで床に座らされていた。総監はいなかったが、その中にはスタジアム支配人のマツノも混じっている。ワタルは真っ先に彼へ駆け寄って拘束を解き、続くイツキが他の役員を自由にする。
「ワタルくん、それにイツキくんも……助けに来てくれるなんて思わなかったよ。他のプロも無事!?」
ようやく解放されたマツノがワタルの腕に飛びついた。すっかり憔悴しながらも、リーグ所属のプロの安否が気になって仕方ないらしい。即答できないワタルがイツキに助け舟を出すと、彼はしどろもどろに頷いた。
「う、うん! 後はサカキを倒すだけだよ」
ミュウツーやランスはきっと仲間が倒してくれるはず――そう信じて、曖昧な返事をするとマツノの表情がぐっと和らぐ。事情を知らないワタルも安堵し、この施設内を熟知する支配人に支援を求めた。
「丁度良かった。人質の安全を確保するためにスタンドに見えないフェンスを張りたいのですが、手伝っていただけませんか? 急がないとスタジアムが破壊されてしまう。応援を待つ時間はない」
「も、勿論!」
マツノは反射的に合意したが、装置を制御する部屋の位置を思い出して表情を強張らせた。
「で、でも機械室はここから反対側の挑戦者控え室付近で、わ、私一人で向かうのは、その……」
「僕がフォローするんで、操作よろしくお願いします!」
すかさずイツキが割り込み、彼の迷いを払拭する。それでも懸念は残った。
「それで、サカキはどうやって止めるの? 奴らは総監を連れてフィールドへ向かったが、ま、まさかワタルくん一人で……?」
マツノが濁した問いを、ワタルは否定しなかった。揺るぎ無い覚悟を湛えた眼差しは、グリーンが王座を降りて繰り上がりに立候補した時から何も変わらない。それを知らない他の役員が彼を激しく叱責する。
「馬鹿げてる、機動隊の到着を待つべきだ! 勝手な真似をすれば最悪の事態を招きかねない。相手はルールの通用しない外道マフィアだぞ、君も便乗して殺し合いをしようと言うのか?」
「いいえ、私はポケモントレーナーの範疇内で戦います。あくまで標的はポケモン。警察の許可は得ていますし、誰も傷つけずにここまで来ました」
真っ向から否定するワタルに、役員はやや怯みかけたが確証が得られないので踏みとどまる。
「そんなこと信じられるか! 君の実力は知っているが相手も元プロ、それも当時最強と謳われチャンピオンの器とさえ騒がれていたが、ジムリーダーの利益を優先してそれを蹴った男だ! 簡単には倒せるわけない、ヒーロー気取りで立ち向かえる相手じゃ……」
「何言ってんだ、こっちは現役最強なんですよ!」
役員とワタルの間にすかさずマツノが割って入った。
「トレーナーの気概なら、我がセキエイリーグの精鋭は他の地方リーグにも一切引けを取らない! 四方八方から叩かれ、時には逃げ出したくなったり、興行だからと専門外のタイプを押し付けられ、ポケモンがハンデを負ったり故障しても、それでも文句ひとつ言わずに戦ってるんだよ、この舞台に立ち続けるために! その信念があのリーグを舐めた男の前に簡単に折れるなど、私は到底信じられない」
プロの葛藤を傍で目の当たりにしてきたマツノにとって、これ以上上辺だけで彼らを判断されるのはとても耐えがたい屈辱だった。肌の穴から湯気を吹き出し、憤りを露わに迫られればさしもの役員も反論に戸惑う。その隙を付き、マツノは更に攻めかかった。
「敵がフィールドに乗り込んで来たのなら、それを迎え撃つのが我らセキエイリーグの使命ってもんです。望むところだ、どっちが強いか見せてやろうじゃありませんか。我らのヒーローは警察なんかより、ずっと頼りになりますよ! そのために私は全責任を負いますし、急いで安全を確保できる環境を整えましょう」
三月のリハーサルで総監に立ち向かった際に感じたようなひどい緊張はなかった。むしろ鬱憤を吐き出し、今は妙に清々しい。
「だから、ワタルくん!」
マツノは息を整え、ワタルに向き直ると出入り口へさっと右手を向ける。
「出番です」
それはリーグ本戦に挑むチャンピオンを誘導する仕草そのものだ。ワタルは支配人の心意気に目を見張りつつ、感謝を込めた会釈を返す。
「ありがとうございます。行ってきます」
ワタルはオノノクスをボールに帰還させると、マントを翻してロッカールームを去る。向かう先はバトルフィールドだ。イツキはその背中を激励一つかけずに黙って見送ると、興奮状態で震えの止まらないマツノを肘で小突いた。
「マツノさん、見直しちゃった。てっきりそっち側に同調するのかと思った」
唖然とする役員達を前に、マツノは彼らを牽制するように白い歯を見せた。
「上が傍観しててどうするの! ここで私も戦わなきゃスタジアム支配人の名が廃るってもんだよ。それにねえ、君達ってばどうせ私の言う事なんか聞かないんだから、尚更プロだけに任せておけないよ!」
「うん、止めても無駄だと思う」
イツキもやんちゃな笑顔で頷いた。すぐに批判を浴びぬよう、マツノはイツキの腕を掴んでそそくさとロッカールームを退出する。通路に出た彼は冷や汗をかきながら、こっそりと少年に懇願した。
「あの、でも護衛、よろしくね」
イツキは苦笑しながら頷くと、機械室を目指し駆けて行く。
+++
システムが復旧したサーバルームに、数多の精密機器が重なり合うファンの風が吹き抜ける。多くのサーバラックが立ち並び、煩く稼働する環境は身を隠すには最適で、傍にドクロッグを置いていてもそう簡単には見つからない。限界を迎えたキョウの息遣いも、周囲の風に紛れてかき消された。
(何だ、あの化け物)
部屋の隅のラックにもたれ掛りながら、彼は呼吸を整え、つい先ほど起きた事態を冷静に思い返す。出入り口へ向かおうとした際、人ではない声がして振り向いたらアリアドスとドラピオンが戦闘不能に陥っていた。
(それで他の手持ちで応戦したが……)
攻撃が相手に届く前にやられてしまった。ラックの隙間から、通路に転がる毒ポケモン達の四肢が覗く。ボールに戻したいがそれでは相手にこの場所を知らせてしまう。ミュウツーは今もまだこの部屋のどこかにいて自分を探している。見つかるのは時間の問題だ。敵と鉢合わせたマサキはその特異な姿を見て気絶してしまった。彼も放置しておけば命の保証はない。
ドクロッグが不安げな面持ちでキョウを見る。ミュウツーとの相性は悪いし、主の容体も悪化しているためすっかり青ざめていた。それを宥めるようにキョウは無理やり頬を緩ませる。
「応援は来る……恐らくカリンだ」
つい先ほど逃げ隠れてからそれをひたすら願い続けていたが、一分一秒が途方もない時間に感じられる。やがてひた、ひたと張り付くような足音がファンに混ざってはっきりと聞こえてきた。どうやら敵は奇跡を待つ暇も与えてくれないらしい。
――挑戦されたら逃げるな。全てを失う事になる。
とうとう討てなかった師の言葉が朦朧としていた頭を刺激し、徐々に怖気で冴え渡る。それで師と決別した、あの夏の感覚を思い出した。一切の抵抗ができずに二流の烙印を押され、家族への危機も感じた真夏の記憶は、今だ脳裏にこびり付いている。この状況はあの時と似ており、化け物を仕留めなければ手持ちポケモンやマサキ、そして娘に脅威が及ぶ可能性がある。ここで戦うべきは仲間ではなく、自分だ。キョウは長く深呼吸すると、傍で指示を待つドクロッグを見た。
「やるか」
その覚悟を予測していた毒突きポケモンは迷わず頷く。
残っているポケモンはドクロックの他に、二重床の下に落としたボールに入っているマタドガス、そしてビルの外を飛ぶクロバットだけだ。そんな逆境が彼らを奮い立たせる。キョウは上着の懐から扇子を取出すと、ドクロッグへサインを出しながら通路へと躍り出た。