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第3章
第21話:インフラを復旧せよ!
 日付が変わったコガネシティ上空は、創造神が誕生した瞬間の世界と見紛う混沌の闇が覆っていた。重苦しい空に佇むアルセウスは夜明けを許さず、コガネ電話基地局の屋上をぎろりと睨む。そこには三人のトレーナーと、三匹のポケモンが立っていた。ジバコイルの上に胡坐をかき、アルセウスの傍を浮遊するラムダが顎をしゃくり上げながら、彼らを品定めする。
「エエ……我らロケット団を迎え撃つはジョウトの枯れた老害ヤナギを筆頭に、タンバの中年太りシジマ、それとどこの担当だか知らねえけど、ブリキのポケモンを引き連れた育ち良さげなお嬢ちゃん。おいおい、オズの魔法使いでも始めるつもりかい? それならオレ様も手伝ってやろうじゃないの。まずはモノクロの世界をカラフルに」
 彼は陽気に笑いながら、懐から取り出した緑色の丸いサングラスをアルセウスに装着する。
「そして冒頭はもちろんあの歌。サムウェア……」
 腰を浮かせてジバコイルの上で立ち上がったラムダが、弾むような裏声で「オーバー・ザ・レインボゥ!」と歌い上げながらアルセウスを睨むと、七色に揺らめくポケモンの身体が瞬いて、そこから湧いた数多の光弾がビル屋上へと降り注ぐ。容赦のない虹の矢は屋上のコンクリート壁を削り、ジムリーダーやそのポケモンに襲い掛かる。ヤナギ達はポケモンを連れ射程圏内からさっと退き、そしてシジマがニョロボンを嗾けた。
「行け、滝登り!」
 ニョロボンが足元から水流を噴射し、その身を浮かせて空に浮遊するアルセウスへと迫る。ポケモンはすぐに影分身を発動、いずれの分身も拳を構え相手を翻弄しようとするが、ラムダは冷静だ。
「“もしもアルセウスに雷タイプさえ付けば、あんなカエル一撃で黒焦げにしてやるさァ”」
 彼は替え歌を口ずさみながら胡坐の上に乗せた辞典サイズの端末を開き、右手で四ケタのコードナンバーを入力する。すると無数のニョロボンがアルセウスへ飛びかかる前に、端末の脇から赤いカプセルが零れ落ちた。その形状は一見するとポケモンの能力を引き上げる薬、プラスパワーだ。それを目に留めたヤナギが同僚に鋭く指摘する。
「またタイプを変えるつもりだ、気を付けろ、シジマ!」
「遅ぇよ。十万ボルト!」
 シジマが対策に動く前にプラスパワーはアルセウスに投与され、影分身を蹴散らす電撃波が周囲を圧倒する。電気の属性を得たアルセウスが放つ、威力を増した神の雷はニョロボンを一撃で仕留め、おたまポケモンはビルの谷間へと落下していく。
「エンペルト!」
 そこへすかさずミカンのエンペルトがアクアジェットで滑り込み、気絶したニョロボンを抱えて屋上まで浮上する。シジマの元へ帰還させようと水流の方向を切り返す皇帝ポケモンを狙い、アルセウスが再び電撃を放とうとしたが、ヤナギのユキメノコがエンペルトの背にさっと飛び乗り、そこから冷凍ビームを放って技を妨害した。
「ウゼェ……だが、“もしも悪タイプのヨクアタールがあれば、小賢しい雪女も怖くない”」
 ラムダはそんなフレーズを口ずさみながら端末に次のコードを入力する。再び端末の脇から新たな薬が完成し、流れる手つきで投与するとアルセウスの虹色の身体が黒ずんで、悪タイプの様相を呈した。ヤナギはエンペルトに騎乗していたユキメノコを一旦退かせ、悔しげに舌打ちする。
「アルセウスは石板を用いて自らの属性を変化させると聞いたことがあるが、こちらはタイプを変えるドーピングか。同時に能力も引き上げられているから性質が悪いな。戦いが長引けば手に負えなくなるぞ」
「メタモンを改造してアルセウスを作り上げたばかりか、次々薬を投与するなんて本当に酷いです。あんなのトレーナーじゃない……」
 傍にいたミカンもこれに同意し、シジマもその流れに乗る。
「ああ、そうだ! ドーピングなんかしてっとポケモンに害が出るぞ! お前んとこのボスだって、昔それで手持ちを一匹潰して製薬会社勤務の弟子に注意されたことがあるんだ」
「うるせえな……いちいちボスの思い出話なんかするんじゃねえよ。雲の上のお人なんだ。それにこんなポケモン、一回ポッキリの使い捨てだから副作用なんて気にしないね」
 ラムダは鬱陶しげに耳垢を穿り、指先で丸めて屋上にいるジムリーダーへ弾き飛ばす。ポケモンの尊厳に目もくれない態度は相変わらずだが、彼はリーダー側がサカキの話を持ち出すと苛立ちを露わにそれを遮る。当初彼らの悪行に憤慨していたヤナギも、それが引っ掛かり始めた。だが模索している間にも敵は力を増していく。次のポケモンを場に繰り出そうとするシジマが、彼に尋ねた。
「ヤナさん、ビル内にいる若いのも呼んだ方がいいんじゃないか? あいつら長いこと何を油売ってるんだ?」
「下は下で問題が発生している。一応確認してみよう……」
 ヤナギは冷たい吐息を漏らしながら、うんざりした様子でコートの襟元に装着した無線に問いかける。
「機械室に入りこんでいるロトムは始末したか?」

「いえ、まだ……ロトム自体は一匹だけなんですが、奴に変身したメタモンも大量に忍び込んでおり、現場の方と連携を取って対応している所でして……」
 初夏の夕暮れ時に氷点下を記録したコガネ電話基地局内の一部では、日付が変わった深夜になってもその気温が下がることはなく、特にビルの中層部の交換機が並ぶ機械室は火気厳禁で炎ポケモンさえも立ち入ることが難しく、チョウジジムをそのまま再現したような極寒が続いていた。その中でヤナギからの連絡を受けたマツバは寒さに震えながらなんとか応答する。その後ろで、電話交換機からロトムがぴょんと飛び出し、直後にキングドラがそれをドラゴンテールで仕留めた。壁に叩きつけられたロトムは気を失い、その身が崩れてメタモンへと変化する。舌打ちするイブキの傍で、ひび割れた壁に基地局所属の作業員らが悲鳴を上げ、アカネが彼女を咎めた。
「イブキ姉さん、ここ室内! もう少しコンパクトに攻撃してって何べん言うたら分かるの!」
 後輩に注意されようと、いかなる時も決して手を抜かないドラゴン使いはポリシーを曲げない。白い息を撒き散らし、悪びれることなく食って掛かる。
「まどろっこしいのよ! 一刻も早くアルセウスを倒さなきゃいけないのに、どうしてバッジ保持率二位の私がビル担当なのよ。マツバ、早くロトムをおびき寄せなさい!」
 その怒りは近くで無線の対応しているマツバに飛び火し、彼は思わず顔をひきつらせた。甲高い声はヤナギの耳にも届いており、彼を慰める。
『若手ばかりで大変だろうが、下は君だけが頼りだ。終わり次第屋上へ来てくれ』
「は、はい、勿論です!」
 そこで通信は終了し、マツバは偉人の激励を噛み締めつつもこのまとまらない現状に肩を落とした。
「なんでオレが高飛車と泣き虫、そしてルーキーの面倒をまとめて見る羽目になるんだ……これならイツキの方がマシだ」
 人質を解放し、ビル内の安全を確認した基地局はインフラの復旧に急いでいたが、作業中に空調設備や一部電源、交換機に複数のロトムが侵入していることが判明し若手リーダー五名がその対応に追われていた。ヤナギに任命され、場を取りまとめるのはマツバである。彼もロトムを所有しており、設備に入りこませたところ先のテロリストが復旧を阻むため一匹のロトムと、それに変身させた無数のメタモンを放っていることを確認した。機械の内部に紛れたポケモンはシステムの復旧を長時間妨害し、エラーを検知した装置にマツバのロトムが入りこんで外へ追いやり、それを他のリーダーが総出で倒す作業をもう二時間も続けている。その間にも屋上ではアルセウスとヤナギ達の攻防が繰り広げられており、彼らは一刻も早くそちらのサポートに向かいたいのだが、機器に潜むロトムが人を襲わぬようにとヤナギがビル内にリーダーを多く配置したため、応援に呼ばれたのはミカンだけ。先の見えぬ状況に若手の鬱憤は募るばかりだ。特にジョウト最強を自負するイブキにとって、この状況は屈辱だった。
「大体マツバが時間かかりすぎなのよ。他のゴーストポケモンでも機械に入って対応できないの?」
 機器の内部からメタモンを追いたてたマツバのロトムに向かって、彼女は疑問を投げかける。既にロトムは困憊気味だが、彼は他の手持ちのボールに触れることはしなかった。
「何度も同じ質問をされたが、答えは一貫してノーだ。他でも対処できるなら、相手だっていろんなゴーストをビル内にばら撒きますよ。ルーキーも棒立ちしてないで何かアイディア出してくれ」
 彼はロトムを褒めつつ、傍で並んで立っているツクシとハヤトに目を向ける。彼らは未曾有の状況に今だ適応できていない様子だったが、それでも隅でオフラインの免許端末をいじくり、情報を収集していた。
「あの、メタモンって同族と出会ってしまうと張り合って相手そっくりの形に変身しようとする習性があるらしいですよ」
 恐る恐るメタモンの図鑑ページを掲げるツクシに、イブキが間髪を容れず反発する。
「だからここに潜んでるメタモンは皆ロトムに変身しているんでしょうが! これだから新人は、当たり前の意見しか出さない!」
 竜の方向にツクシはみるみる身を縮めた。イブキの尖った言動は新人リーダーが初めてぶつかる脅威である。それにすっかり慣れた彼女の一年後輩であるマツバは、手慣れた様子で彼女を諌めた。
「そうやってすぐに否定するのは良くないですよ。若い子落ち込みますって……だがまあ、それなら新しいメタモンを投入すれば反応するかもしれないな。捕獲した敵のメタモンは皆気絶させてしまったし――アカネ、持ってる?」
 マツバがノーマルタイプ使いのアカネに顔を向けると、彼女はパステルカラーで着色されたモンスターボールを得意げに掲げる。
「勿論。うちに任せといて!」
 そう言って繰り出された粘液のポケモンがびたんと床に着すと、皮膚が激しく震えだしていきなりの反応を現した。それと同時に、金属扉で囲われていた機器類のあちこちからも機材がこすれ合う振動音が鳴り響く。
「凄い、あちこちで“R”エラーを検知しています!」
 端末から各機器を監視していた作業員が吃驚の声を上げた。Rエラーとはロトムの侵入を検知した際に発せられるエラー信号で、多くの精密機器に備わっており、先ほどから作業員がこれを確認してはリーダーがポケモンを使って追い出す手順を繰り返している。
「検知した機器をお伝えしますね、まずは……」
 エラーがまとめて浮き彫りになった興奮で上ずる作業員の声を遮り、マツバはベルトに装着していたボールをまとめて取り外した。
「これだけの群れが一斉に高ぶっていれば、外からの刺激でも何とかなるでしょう。ムウマージ、ゲンガー、ヨノワール!」彼の背後から三体のゴーストポケモンがひらりと現れる。「さあ驚かせ!」
 その指示に弾かれ、ゴースト達は対象の機器へと走る。刺客のメタモンに敵対心を剥き出し、小刻みに振動する装置の後ろへ回り込み、大きな音を出して驚かすとそちらに気を引かれた仮初のロトム達がぱらぱらとフロアへ転がり落ちる。彼らは慌てて元居た場所へ戻ろうとしたが、そこへツクシのアリアドスが躍り出た。
「逃がさないぞ、蜘蛛の巣!」
 デンチュラの放った糸はロトム達をぐるりと取り囲み、一匹残らず捕縛した。後は気絶させるだけ。誰よりも早く動いたのはイブキだ。
「一掃してやる! キングドラ、竜の波動!」
 精密機器の安否などお構いなし、彼女が引き連れるキングドラが放った衝撃波は室内を大きく揺るがせ、蜘蛛の巣を千切って一網打尽にされていたロトムを残らず戦闘不能にさせた。その影響で物理的な異常を検知した機器類があちこちで悲鳴を上げ、ジムリーダーや作業員が呆気にとられる中、変身が解除されたメタモンの山の中から、オレンジ色の物体が毬のようにぽんと跳ねて出口へ逃げる。唯一変身が解けないその後ろ姿は、紛れもなく本物のロトムだ。
「あいつが本体!」
 それを仕留めればようやくこの役目が終わる。声を上げたマツバのこめかみを不穏な風が揺らし、傍にいたキングドラの吻から細かな水飛沫がぱちぱちと弾け出る。誰もが次の手を予想し、青ざめる中――イブキが勇ましく咆哮した。
「ハイドロポンプ!」
 機械室に二度目の衝撃波が駆け抜けた刹那、キングドラが渾身の激流を発射し出入り口へ逃げようとするロトムを狙い撃つ。水の粛清はポケモンを気絶させたばかりか、出入り口の扉を破り、通路の窓を貫通してビルの外へ追いやった。ロトムの身体は空を舞い、黄金色の夜景に照らされ小さな太陽のように輝きを放つ。ICマーカーもぱしんと外れ、そのままビルの谷間へ。さすがにやりすぎだ――がなり立てようとしたマツバの耳元で、リーダー長が穏やかに引き止める。
「良くやった。そのロトム、私が貰おう」
 
 ヤナギがそう告げると、ビルの窓から押し出された水流が瞬間冷凍されて氷のアーチへと変貌した。水浸しの通路を支柱に、割れた窓からロトムの先まで完全に凍り付き、その上に空のヒールボールを抱えたユキメノコが舞い降りる。彼女はアーチの切っ先で宙ぶらりんになっているロトムにこつんとボールのスイッチを当て、いともたやすくポケモンを捕獲した。呑気な姿はラムダの苛立ちを増幅させる。
「まだポケモンを集め終わってなかったのかよ、クソジジイ。こんな時にもまったり捕獲作業、無駄に年は取りたくねえもんだ!」
 ボールを抱え直すユキメノコへ、アルセウスが神速の突進を嗾けた。氷のアーチは粉々に破壊され、ユキメノコはビルの谷間へと落下していくが、それをアクアジェットで飛行するエンペルトが掬い上げ、ビルの壁を蹴って上昇する。そうして勢い付けながら飛び上がっていくと、彼らはあっという間に主の立つ屋上へ帰還することができた。ユキメノコはしっかりと胸に抱いていたボールをヤナギに投げ渡す。
「ジムリーダーは難易度毎に手数を用意する必要があり、その育成の負担を考えると専門外のポケモンはあまり捕獲しない。私の弟子もそうだった。命を持て余しているようでは一流のトレーナーにはなれん。神の紛い物を作り、薬で強化しながら戦っているうちは、この境地には到底届かんだろう」
 ヤナギはそう告げながら、ボールのスイッチを押してすっかり怪我を癒したロトムを召喚する。捕獲されたばかりのゴーストポケモンは小柄ながら氷山を思わせる彼の風格に圧倒され、すっかり身を縮めていたが、目の前に二つ折りの携帯電話を差し出されると目の色を変えた。
 その悠々と構える姿は彼の弟子であるサカキを思わせ、ジバコイルの上で胡坐をかいていたラムダの苛立ちに焦燥が混じってみるみる膨れ上がる。首領はこと向上心に関しては並々ならぬ執着があり、それはマフィアの野心よりアスリートの精神に近い。
「理想個体のトレーナー様の説教なんざ、ただの一つも身に沁みねえよ。この世にいる九分九厘のトレーナーは期待を胸に修行の旅に出てもろくすっぽ結果を残せず、ノコノコ田舎へ戻って来る凡人、カスばかりさ」
 首領のバトルセンスは部下の誰一人も受け継ぐことができなかった。そこで首領はグリーンバッジの複製を作らせ、それを自分達に付与してくれた。結果的に彼の技術を継承したのは、組織外の人間だったのだが。
「出戻った奴らは無駄に過ごした時を後悔しながら、セキエイリーグのテレビ中継を観てこう思う。“こんなに強いポケモンが居れば、バッジ四個で終わらなかったのに”。そこでオレの出番と言う訳だ。強いポケモンを作り――」
 せめてポケモン単体の力で首領に追いつきたい。ラムダの不満と弁明を断ち切るように、ヤナギは冷徹に言い放った。
「一時的な優越感を与える、薄っぺらいヒーロー。いや、ペテン師だ」
 ふいに背筋に寒気を覚えて振り返った途端、現れたユキメノコがオレンジ色の携帯電話をラムダに投げつける。反射的に身をよじって回避した時、彼はようやくそれが電話に憑りついたロトムだと認識した。事前にロケット団が持ち込んでいたゴーストポケモンは、ICマーカーを外され敵に回った。ロトムは電話から身体を引き剥がすと、今度はラムダが持っていた調合端末へ転移し、のびのびと悪戯を披露する。
「てめえ……!」
 絶句するラムダを差し置いてロトムはプログラムを弄り倒し、滅茶苦茶に配合したどす黒いプラスパワーを吐き出して手中に収めようとする。その一連の動作で、ラムダはヤナギの狙いを理解した。慌ててそちらに手を伸ばすも、「トリック!」と声を張ったヤナギの指示が早く、ロトムが持っていたプラスパワーとアルセウスの持ち物が入れ替わる。一拍遅れてラムダが掴んだのは、先ほど掛けさせた緑色のサングラスだ。
「おいアルセウス、その薬を捨てろ!」
 眼鏡を放り投げながらラムダがそちらを向く。妙なアイテムを持たされ、困惑するアルセウスの手元をシジマのコジョンドが攻撃する。
「波動弾!」
 アルセウスが手放す前にプラスパワーが破裂し、液体が降りかかる。ロトムが適当に弄り倒した薬品は、数時間に及ぶドーピングにより負荷が掛かっていた身体に異常をきたしメタモン数体で構成していた身体を徐々に分裂させていく。コガネの空を眩く照らしていた高貴な存在が醜く崩れていく様子は、三文芝居の終焉を意味していた。不安定なまま浮遊する偽りの創造神へ、ミカンのエンペルトがアクアジェットで接近し、新たな水撃を構える。
「エンペルト、ハイドロカノン!」
 この放たれた水の大砲が決定打となり、激流に洗い流されたアルセウスの身体は三つに弾け飛び、みるみる縮んでメタモンの形状へと戻る。彼らはそのまま屋上へ落下し、目を回したまま床に伏す。あれほど威厳を放っていた創造神が、メタモン三匹で作った張りぼてだったことにシジマとミカンは改めて吃驚した。
 立ち尽くす後輩を尻目に、ヤナギはジバコイルの上で固まっているラムダをふり仰ぐ。敵は背後をユキメノコに取られ、一切の抵抗を許されていなかった。
「サカキを尊敬しているのなら、何故自身の鍛錬を積まなかった。あの背中を追いたいと思ったのなら、相応の努力が必要だ。オズの魔法使いに他力本願しようと甘えているうちは、無理な話だな」
 ヤナギの苦言に反発できず、ラムダは悔しげに歯噛みしたまま背を丸めた。

+++

 同時刻のタマムシシティは依然として長い嵐が続いていた。
 海の神ルギアはその巨大な両翼を羽ばたかせれば嵐が四十日間続くと言われているが、それは真実なのだと建物の中に避難した市民は思い知らされる。ルギアは眠らぬ大都市に広がる虹色の夜景を、そっくり暴風雨で洗い流してしまおうとしていた。この数時間の嵐の間に地上はあちこちで冠水、一部では停電も発生しており街から出ることもままならない。人々は身を寄せ合い、皆一様にテレビやラジオ中継に耳を傾ける。終焉を予期する大洪水が発生しているにも関わらず、希望を捨てている者は少なかった。画面やスピーカーから流れるのは、ルギアに対抗するポケモンのバトル中継である。それもこの地方で指折りのプロトレーナーの手持ちとなれば、さながらリーグ本戦と錯覚させる。
 人々が画面越しに見守る中、タマムシ電話基地局ビル内から後輩らを果敢に指揮するカントージムリーダー長のカツラは無線に告げた。
『海の神と呼ばれているのに、やっとタイプが判明したと思ったら飛行・エスパータイプか……マチスが撃たれなければなあ。もしくはヤナさんと持ち場を代わればよかった。こっちは元々三人も人員を欠いてるのに、この雨じゃ私とタケシは歯が立たん。そもそもこうなったのはキョウが勝手にエリカちゃんを病院へ向かわせたのが発端で……大体エリカちゃんもさあ、昔の師匠だからって条件反射で動きすぎなんだよな。マチスの搬送をフジさんの部下に任せていればこんなことには……』
 レインコートを纏い、基地局向かいのビル屋上からルギアの動向を窺っていたナツメはたまらずに耳元からイヤホンを離した。
「リーダー長の愚痴を聞いてる間に日付が変わってしまったわ。カスミ、私がルギアの動きを止めている間に冷凍ビームで攻撃しなさい」
 彼女が別の端末に告げると、この豪雨の中、ビルの谷間をスターミーにしがみ付いて旋回していたカスミが了解の合図を送る。水タイプを専門とし、マリンスポーツも嗜んでいる彼女はこの嵐でも振り落されずさすがの身のこなしを発揮していた。師であるナツメと連携もスムーズで、スターミーで煽るように振り動きながらルギアをナツメのフーディンの念力が届く射程圏内へと誘導する。そこですかさず空中にトリックルームを仕掛け、ルギアの動きを遅らせようと試みたのだが――そこは相手が一枚上手、空間が形成される前にすり抜けられ、エアロブラストで周囲を薙ぎ払った。フーディンに抱えられたナツメは念力による浮遊で直ちにその場を離れ、攻撃を回避しつつ弾き飛ばされたカスミを引き寄せる。彼女達は間一髪でルギアの爆撃を免れた。
「ごめんなさい、この嵐じゃ上手く動けないわ」
 肌を濡らす雨粒を悔しげに拭うカスミを、ナツメが優しく諭す。
「私も空中戦は苦手なの。いよいよ手持ちが尽きそうね……誰かさんみたいに、愚痴の一つや二つ零したくなるわ」
 夕方からの持久戦でジムリーダーの手持ちポケモンは枯渇しかけており、彼女達は窮地に立たされていた。元々戦力を欠いている上に、雨に弱いメンバーもいるためか状況はなかなか好転しない。屋上の片隅で身を隠していたシルバーは、ヒーローが怪獣を倒してくれることをひたすら祈り続けていたが、待てど暮らせど昨年養護施設で見た流れにはならなかった。
「助けてくれ……ドラゴンスター……」
 ヒーローのサイン入りカードが入った免許ケースを握りしめ、寒さに青ざめる唇で救いを求めた。そうすれば爽やかな声がして、格好悪いボディスーツにマントを背負ったヒーローがヴィランに立ち向かってくれる。ほんの数時間前はそれが自分の役割だと思っていたのに、今ではヒーローを呼ぶ弱者だ。それはこれまでと何も変わらない、本来の自分の姿だった。頂点を夢見て地元を飛び出した大半の人間が行きつく、バッジ四個で足踏みし、やがて旅を断念するありふれたポケモントレーナー。ルギアはそれを誤魔化していたに過ぎない。
(弱っちいままで終わりたくない!)
 そんな現実を直視するのが嫌で、ボディバッグの中を開けた。一カ月ぶりに対面したマグマラシが、さっと顔を上げてシルバーを見つめる。この一年、ずっと後ろをついてきた相棒はバッグの中に放置されていようと、まだ主を見限ってはいなかった。天候は炎ポケモンに味方しておらず、グレンジムのリーダーだって引っ込んでいる。だが憧れのヒーローなら、この暴風雨においてもリザードンでさえ立ち向かうはずだ。
 シルバーは深呼吸して雨粒を吸い込み、マグマラシのボールを放り投げた。すぐに現れた相棒はこの嵐に尻込みしていたが、ごく普段通り後ろに付き、背中を守ってくれている。背筋に感じる熱はいつになく温かく、距離が縮んでいる気がした。彼はポケットからルギアが入っていたボールを握りしめると、屋上の端まで駆け寄って、空を旋回するかつてのパートナーを挑発する。
「ルギア、お前を絶対ボールに戻してやる! 命を懸けてかかってきやがれ!」
 落下防止の柵を蹴り鳴らしながら絶叫すると、ジムリーダーを狙っていたルギアがこちらをぎろりと睨み据えた。身体を硬直させる眼光にシルバーとマグマラシはたじろいだが、息を整え緊張を振り切る。海の神は五メートルを越える巨大な身体を基地局屋上へと切り返し、大仰に翼を広げながら少年向けて真空波を発射した。雨のストロークが大きく歪み、屋上へ襲い掛かる。
「こっちだ!」
 シルバーは逃げる方向へ顎を動かし、マグマラシとそちらへ駆ける。床を這う配管を足場に、巨大な室外機へ軽快にジャンプすると間一髪でエアロブラストを凌ぐことができた。さっと身を翻し、こちらへ突進するルギアを見据える。足は尚もふらついていたが、サインカードの入った免許ケースを握りしめて恐怖を払拭した。ルギアが残り十数メートルと距離を詰める。マグマラシと目配せし、ひと月前のセキチクジム戦を思い出した。
(引きつけて――)
 視界がルギアで覆われるその時に、シルバーはマグマラシを嗾ける。
「今だ、燃やし尽くせ!」
 マグマラシは体内からありったけの火炎を放出し、それを纏いながらルギアの鼻先へ突進する。燃え盛る炎は触れれば確実に火傷を負うであろう威力で、シルバーも初めて見る技だ。
 いくら強いポケモンを手にしたって、愛情を注いで信頼関係を築き上げていかなければ真の力は引き出せないんだよ――ワタルに言われた台詞をようやく実感する。少年の目に希望が宿ったが、ルギアの放ったハイドロポンプがそれを無情に洗い流した。少年とマグマラシは室外機の上から放り出され、豪雨が打ち付ける屋上のコンクリート床へ落下する。すかさず身を起こしたシルバーの前には、ルギアが入っていたボールと激流の直撃を受け消火されたマグマラシが転がっていた。
 ほんの一瞬で鎮火された現実に少年の闘争心もみるみる燃え尽きていくが、その間にも上空を覆うルギアが頭を上げたばかりのシルバーを狙う。この距離であればICマーカーの信号も届くため、急いでボールを掴んでスイッチを押せばポケモンを封じ込めることができるかもしれない。ところがハイドロポンプの直撃を受け、身体は鉛を抱いたように鈍く重たい。
「駄目だ、やっぱりマグマラシじゃ勝てない……」
 もう何もかも間に合わない――目元の辺りが熱を帯び、豪雨に混じって雫が頬を伝う。シルバーを撃つべく、ルギアがゆっくりと口を開く。するとその背後から鋭い真空波が襲い掛かり、ルギアを基地局ビル屋上から突き放した。我が目を疑うシルバーの額に、濡れた羽根がぴたりと張り付く。グリーンのピジョットだった。
「馬鹿野郎、一度手にしたポケモンを簡単に見捨てるんじゃねえ! 責任持って戦え!」
 ピジョットに跨るグリーンは身を乗り出しながらシルバーを激しく叱責すると、鳥の肩を軽く叩いて追い風を吹かせながら果敢にルギアへと攻めかかっていく。トキワの若きリーダーは何度かポケモンを回復させながら一度も離脱することなく戦い続けていた。だが、残されたシルバーにそんな力はない。命を繋いだだけの結果が無念として胸中に居座り続け、降りやまぬ飛沫雨がシルバーの身体を甚振り続ける。
「オレだって何とかしたいさ! このまま惨めに負けたくない!」
 彼はたまらずに右手に握り締めていた免許ケースを開き、サインカードを取り出す。これを指をくわえて眺めているだけの人間で終わりたくなかった。あちら側へ行きたかったのに、焦って力の誘惑に飛びついたことをひどく後悔した。食玩のカードは紙製で、雨粒を吸って歪み始める。
「強くなりたい、チャンピオンみたいに……でも――」
 もう、遅い。
 シルバーは屋上の外へ右手を向け、腕を振り上げる。そのままカードを投げ捨てようとした時、ふいに肘が動きを止めた。
「希望を捨てるには早すぎるよ」
 穏やかだがどこか勇ましい声がして、背中がほんのりと温かくなる。それはあのヒーローを思わせ、シルバーは反射的に後ろを振り返った。この豪雨の中、激しく燃え盛る尾を揺らしながらこちらを見据えているリザードンと、赤い帽子を被った少年が立っていた。年はシルバーとあまり開いていない気がするが、勇壮なポケモンを引き連れ嵐も構わぬ姿には子供とは思えぬ風格がある。シルバーはこの少年をどこかで目にしたことがあった。
「お前は……」
 少年はシルバーを宥めるように口元を緩ませる。すると後ろから、嵐の中を飛行していたグリーンが彼を鋭く急き立てる。
「おせーよ。手伝え!」
 帽子の少年はそちらに白い歯を見せると、懐から空のヒールボールを取り出してワタルのサインカードと共にシルバーに握り直させた。ぎょっとする彼に、少年はそっと微笑む。
「君はルギアのICマーカーデータをこのボールに移行して。折角のサインカードも捨てちゃだめだ。ワタルさんにサインを貰う機会なんて滅多にないんだからさ、勿体無いよ」
 彼はシルバーに有無を言わさず身を翻すと、リザードンをボールに戻し屋上の端へと歩んでいく。小さな背中はワタルのように頼もしい。少年は帽子を向き直し、唾の先にルギアを捉える。鳥に押しのけられた海の神は、暴風を纏いながら再び基地局ビルへ突進を仕掛けようとしていた。そこへビルの谷間を縫いながら、グリーンがピジョットで接近する。
「ナツメさん、アシスト頼みます!」
 彼はモンスターボールを構えながら、向かいのビルの屋上に戻ったナツメに合図を送る。
「任せて」頷く彼女とフーディンの前で、グリーンのボールが開く。「フーディン、テレキネシス!」
 すると蓋が開いてフシギバナが現れた途端、種ポケモンは放たれた念力を纏って重力に逆らい、荒れ狂う嵐に乗ってルギアの前に躍り出る。その首筋に蔓の鞭を撒きつけ、遠心力を利用してルギアをビル壁に叩きつけた。強風に煽られ、フシギバナが反対側の基地局ビルの方角へ飛ばされていく。これもグリーンの想定内で、彼は屋上に立つ幼馴染の名を呼んだ。
「行け、レッド!」
 宙を舞うフシギバナが蔦を放ち、ビル屋上から飛び出してきた小さなポケモンを絡め取ると、そのまま勢いを付け、ルギア向けて投擲した。暴風雨と闇に包まれたタマムシの空にスパークが瞬く。
「アレン、雷!」
 たっぷりと蓄電した頬袋を揺らす電気ネズミが、ビル壁に頭を打ち付けて怯むルギアの頭上を狙って稲妻を撃ち落とした。雷の化身と見紛う電撃は空の暗幕を一瞬だけ消し飛ばし、海の神を麻痺させ意識を奪う。弱ったルギアを目に留めたレッドは、呆然と立ち尽くすシルバーに振り返った。
「今だよ」
 その短い言葉で、シルバーは渡されたヒールボールの役割を悟った。持ち前の瞬発力で屋上の端ぎりぎりまで駆け寄り、腕を伸ばしてボールのスイッチを押すと、なんとかマーカー信号が届いてルギアがその中へ帰還する。安堵するシルバーを、レッドは即座に屋上の内側へと押し戻した。
「それを持ってすぐにここから離れるべきだ。ルギアが従うよう、僕のグリーンバッジを貸してあげる」
 彼はスタジアムジャンパーの懐から羽根型のバッジを取り外すと、カードとボールを握るシルバーの手にそれを押し込む。見たくもない形状にシルバーは愕然としたが、そのバッジは光沢の質がまるで異なっており一目で正規品のジムバッジだと理解した。困惑する彼に、レッドは重要な使命を笑顔で託す。
「君の役目はルギアを遠くの島へ逃がし、安息を与えてあげることだ。過ちに気付いたのなら、いくらでもやり直せるよ」
 町中を洗い流す豪雨はみるみる勢いを失い、シルバーに新たな試練を突きつける。このまま屋上に留まればルギアは取り上げられ、警察の厄介になることは免れないだろう。これは伝説のトレーナーが与えてくれたチャンスだ。彼はその厚意を飲み込むように頷くと、レッドに会釈しながら屋上の反対側へと駈け出していく。
「これ、必ず返すから!」
 気絶したマグマラシを回収し、ボディバッグからゴルバットを召喚してビルを飛び下りた。こちらもあまり懐いていないが、今はバッジの効果でつい先日までのルギアのように自在に飛行することが出来る。すっかり明かりが落ちていた真夜中のタマムシシティは事態の収束を受けあちこちで明かりが灯り始め、雑多な色が混じって街の名を現す玉虫色の夜景へと変化する。それはシルバーにとって“ありふれたトレーナー”群を思わせ、そこに紛れかけた焦燥を思い起こさせる。だが、正規品のグリーンバッジを目に焼き付けて踏みとどまった。
(やり直そう。近道せずに修行して、強いトレーナーになるんだ)
 唯一の色で輝くため、少年は郊外を目指して羽ばたく。
 そんな後姿をレッドは基地局ビルの屋上から見守っていたが、やがて闇夜に紛れて消えてしまった。名残惜しげに小さく息を吐くと、屋上の外からピジョットに乗ったグリーンが現れ、レッドに向けてピカチュウを投げ渡す。電気ネズミは器用に宙返りすると、主の胸元へ収まった。
「来れるんだった連絡しろよな。通信障害起きてたけど」
 グリーンは眉を吊り上げながら、呆れた風に文句を垂れる。
「ごめん。こっちもちょっと、トラブルに遭って」
 レッドは苦笑しつつ、期待を込めて幼馴染に尋ねてみた。
「さっきの立ち回り、ヒーローみたいで格好良かった?」
 彼は即座に突っぱねる。
「それはオレの方だろ」

鈴志木 ( 2015/02/26(木) 19:29 )