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第3章
第20話:四天王対ミュウツー
 周囲の空気に念力が混じる気配をいち早く察したのはフーディンとブーピッグだった。彼らはさっと目配せし、傍にいたベトベトンにも視線を送るとフーディンがイツキを抱え、ブーピッグが素早く縮小したベトベトンを拾って後ろへ距離を取る。その直後、先ほど立っていた場所に念の刃が突き刺さった。切り刻まれたカーペットが埃を散らして派手に舞い上がり、床板にひびを入れる。コンマ一秒でも遅れていれば、誰かの命はなかっただろう。フーディンに抱えられていたイツキは肝を冷やし、その目にようやく標的を捉えた。
「あの、ミュウっぽい奴!」
 ミュウ、と聞いて殺気に満ちた異種ポケモンの眼がぎらりと研ぎ澄まされる。どうやらひどく気に障ったらしい。相手は重々しく否定した。
「我が名はミュウツー」
 その迫力に圧倒され、頭が真っ白になったイツキは「あ、惜しい……」とだけ溢す。
「先ほど窓へ落としたトレーナーだな。まずは貴様からだ!」
 さっと振り上げた右手から強力なサイコキネシスが放たれ、通路に嵐を発生させる。それは上階から落下してきた瓦礫やガラス片を巻き込み、周囲を切り刻む勢いで蹴散らしていたが、フーディンとブーピッグは互いにリフレクターと光の壁を張ってやり過ごした。ただならぬ騒音は無線にも届いており、十五階下でポケモンの処置を行っているキョウが動揺している様子が耳に響く。
『何だ、もう奴に遭遇したのか? 上のフロアの職員は――』
「まずは僕からみたい……まだなんじゃないかな……」
 イツキはそうでありたいと願った。ボールをロックされ、無力な職員達がこの化け物に迎え撃てるはずがない。立ち向かえるのは自分一人だと言い聞かせ、歯を食いしばった。
「ぼ、僕のエスパーポケモンはこの地方でも指折りの強豪だ! チャンピオンだって目指してる、ポッと出のお前なんかに負けるもんか!」
 と、息巻いてみせるとそれに煽られたミュウツーが嵐を纏いながら力強く咆哮する。
「ならばその力を見せてみろ、人間に侍る愚かなポケモン共め!」
 イツキはその気迫に圧倒されつつ、フーディンから距離を取る。超能力による暴風で窓の外へ投げ出されそうになったが、壁に付き出していた柱へ掴まってポケモンに技を命じた。
「ディン、サイコキネシス!」
 向こうが超能力を最大限に操っているのなら、こちらもエスパータイプ最上位技で格を見せつけてやる――フーディンは柱にしがみ付く主の盾となる位置へ移動し、標的へ念力を解き放ったが、この嵐の前には敵の肌へすら届かない。ポケモンリーグ挑戦者のエスパーポケモンならば、タイプ半減技とはいえそれなりのダメージを与えられたはずなのに――絶句するイツキへ追い打ちをかけるように、キョウが耳元でがなり立てた。
『こんな時に、エスパーポケモンへサイコキネシスを撃ってどうする! リーグのように余裕を見せている暇はないだろう!』
「そんなに怒らなくても……」
 年長者の怒声に身を竦ませた弾みでイツキの両手が滑り、身体が柱から離れてガラスのない窓へ飛ばされた。フーディンがテレポートで先回りし、再び主を担ぎ上げるも、そこへミュウツーが突進し右腕を振るう。イツキは悲鳴を上げた。
「ピギー、助けてェ!」
 それを合図にフーディンが敵の背後で守りの体勢を取っていたブーピッグとサイドチェンジで入れ替わり、間一髪で攻撃を受け流す。すかさずフーディンは背中を取ったミュウツーへ技を放とうとしたが、相手が振り向きざまに足元の瓦礫を念力で支配し、豪快に振り上げたため慌ててバックステップで後退した。この通路内にはイツキが身を隠して指示を出せるテクニカルエリアは存在しない。主の安全を気にして苦戦するフーディンを、異形のエスパーポケモンが嘲笑う。
「早くその荷物を捨てて私と戦え」
 フーディンは躊躇いなく首を横に振った。ケーシィの頃から見守っている縁を、何故そう簡単に断ち切れる。そんな眼差しが相手の眉間に皺を刻み付けた。
「超能力使いの恥さらしめ!」
 憎悪が滲む叫喚により、フロア中に転がっていた瓦礫がふわりと浮いてフーディンとイツキに狙いを定める。リーグ本戦で得意とする戦法を先取りされ、彼らはぎょっとした様子で顔を見合わせた。
「終わりだ!」
「ディン、重力」
 すかさずイツキが指示を挟むと、浮遊する瓦礫は集中砲火の直前で糸が途切れたようにばらばらと床へ崩れ落ちた。すると向かい側にいたブーピッグが技の成功を確認すると同時に動き出す。
「ピギー、電磁波!」
 敵の背中を強襲し、動きを封じる電撃を放つ。当たるまいとミュウツーが視線を滑らせた刹那、イツキとフーディンもさっと前へ動いた。
「さっきの技、アンコールしてもいいかな! この状況で強いるのもなんだけど!」
 たちまちミュウツーの頭脳は瓦礫操作のアルゴリズムに支配され、両手が縛り付けられる。ところが重力によって瓦礫は持ち上がらずガクガクと無意味に振動するだけだ。不意打ちによって電磁波まで食らってしまい、身体は完全に麻痺して動かせなくなった。
「く……!」
 まさに磔の状態は、ミュウツーの忌まわしき過去を蘇らせる。
 四十数年前、このセキエイの地で休みなく袋叩きにされたあの過去が破壊の遺伝子を衝き動かす。今度こそ人間には屈しない。負けてはならない、全てを破壊し尽くすまで。
「よおし、動きは封じだぞ! ディン、ピギー、シャドーボール!」
 前後を挟むフーディンとブーピッグが闇の念を発生させ、同時にシャドーボールを放つ。人が命じた陳腐な技に膝を折りたくない、ミュウツーが意地になって迎撃を強く念じると破壊衝動が急激に高まってフーディンが打ち付けていた呪いの楔を引きちぎった。
「させるか!」
 絶叫と共に破裂した執念のサイコキネシスが、瓦礫を蹴散らしフロアを駆け抜けてフーディンとブーピッグを圧倒する。強い眩暈さえ引き起こすこの念力に、イツキも吐き気を催してその場に膝をついた。早く周囲を確認して、ポケモンに指示を出さなければ――焦燥に駆られると、意識はどこか遠くへ逃げ出しそうになる。彼は耳元の同僚に縋りついた。
「ヤバイ、あいつアンコールや電磁波が効かないよ。どうしよう」
『神秘の守りか?』
「違うっぽい。気合で何とかした。ワタルでもこんなこと出来ない」
『ほう、それは挑み甲斐があるな』
 キョウは外野で試合を観戦しているような感想をさらりと呟いた。幻惑と現実の境目が曖昧になっている今、それはイツキにリーグ本戦でホームベンチを背にした際の頼もしさを感じさせ、判断力を引き戻す。喉の奥を濡らす酸っぱい刺激を押しとどめ、イツキはベルトに装着していたモンスターボールを全て取り外した。視界はまだ揺れており、ボールとポケモンの紐付ができない。
「僕が駄目だったら、確かめなよ」
 そう言って、手当たり次第に開閉スイッチを押す。
『分かった。いつも通り構えておく』
 キョウが答えた。
 でも、世話になるつもりはない。イツキは甘えを断ち切り、最初に現れたチリーンとヤドランをすぐに嗾ける。
「リンリン、アイツを突き放せ!」
 チリーンは身体の空洞に音を反響させ、時に敵を吹き飛ばす。その力を最大限に活かしてミュウツーを後退させると、次いでヤドランがトリックルームをフロアに発動させようとする。
「のろまが調子に乗るな!」
 すかさずミュウツーが波動弾を放ち、ヤドランを転倒させてその技を阻んだ。そこへ体勢を立て直したブーピッグが迫り、身を返そうとしたミュウツーの動きに合わせてカウンターパンチ。ばねの反発力を活かしたパワーは大きく相手をよろめかせ、白目を剥いてほんの一瞬、意識を飛ばした。それをイツキは見逃さず、今度はルージュラに攻撃を命じる。
「アンジー、悪魔の……」
 ややローテンポな命令がミュウツーの聴覚を刺激する。先手を打たねばやられる、とすぐに念を組み合わせて“神秘の守り”を繰り出した。低質な発動は効果が薄く、ルージュラによる悪魔のキッスの盾にしかならない。次々に迫りくる敵は単騎で挑んでいたかつてのセキエイリーグを彷彿とさせ、ミュウツーをひどく苛立たせる。あの時のように、敵は一度では倒れない。
「ディン、大丈夫? あともうひと頑張り頼むよ!」
 相手の少年トレーナーが疲労が顕著なフーディンに遠くから声を掛けると、ポケモンはさっと膝を上げた。ミュウツーはフーディンを軽蔑する。この面子の中では屈指の実力を誇っているくせに、トレーナーの支えがなければ動くことすらままならぬのか、と。それでも相手は気に留める様子など微塵も見せなかった。それがまた不愉快だ。
「ディン、金縛り!」
 酷い頭痛がミュウツーを襲う。息をするように編み出すことができる、かつてフジに叩き込まれた幾多の技の中から、先ほど使用したばかりの“神秘の守り”に鍵がかけられた。トレーナーがしてやったりと白い歯を見せる。始めからこれを狙って悪魔のキッスを命じたのかもしれない。急かされて繰り出した神秘の加護はとっくに消えてなくなっていた。こんな連係プレーは、いくら人の言葉を話せるとはいえミュウツー単体では困難だろう。
「脆弱な人間へ寄り集まらねば戦えぬ輩になど負けん!」
 ミュウツーは侮蔑を吐き捨てると、即座にテレポートで間合いを詰めてイツキの前に躍り出た。念力で吹き飛ばそうとした直前で、チャーレムが割り込み、技を見切って受け流す。
「僕はセキエイリーグに所属する四天王で、ポケモンはそれに相応しい強さを持っているんだけどな!」
 イツキがエレベーターホールへ後退しながら言い放つと、彼のエスパーポケモン達がミュウツーの背後に襲い掛かる。四方八方からの一斉攻撃はミュウツーの肌にようやく傷を付けたが、破壊の化身は更なる念力を解放し、イツキのポケモンを蹴散らした。日々訓練を重ね、数多の挑戦者の希望を阻んできた自慢の手持ち達がこうも容易く組み伏せられると少年の闘争心もいよいよ揺らぐ。だが敗北の可能性を抵抗せずに受け入れるようではプロ失格だ。経験した挫折を噛み締め、イツキはまだ動けるエルレイドを差し向けた。
「僕は最後まで諦めない……エル!」
 エルレイドが床を蹴り、正面切ってミュウツーへと挑む。彼は迎撃を仕掛けようとしたミュウツーの死角へ回り込み、脇へ渾身の辻斬りを仕掛けた。悪意の籠った一打は相手の体勢を崩したが、ミュウツーはさっと身を捻ってエルレイドに至近距離からのシャドーボールを放つ。効果は抜群、刃ポケモンの全身に激しい悪寒が走る。
「トドメだ!」
 背中を丸めたエルレイドへ、ミュウツーが右手を向けた。イツキが叫ぶ。
「エル!」
 相手の考えを敏感に読み取るエルレイドは、主が望む次の行動を理解した。左手をさっと横へ出すなり、ピンポン玉大のヘドロが弾んでそこへ乗る。それを確認したエルレイドが、球を目の前へ飛ばして右手の手刀で切りこむ鋭いサーブを放った。
「さっきも言ったけど、僕の肩書は四天王だ。僕が倒れたって後ろにはまだ人がいるんだよ。四天王の恐ろしさ、思い知れ!」
 はっと目を見開いたミュウツーの眼前に小型化したベトベトンが迫り、すぐに実寸大へと戻って盛大に毒を浴びせかけた。猛毒は傷口から瞬く間に染み渡り、体内からミュウツーの動きを縛り上げる。激しい手足の痺れに加え、強烈な悪臭に眩暈と吐き気を覚えた。
『爪痕を残してくれたことに礼を言う。後は任せろ』
 イツキの耳元へ届くキョウの声は、さながらセキエイリーグ第二戦を思わせた。挑戦者に敗れ、ベンチへと戻る際に二人目の四天王とすれ違う、あの瞬間を体感しイツキはほっと胸を撫で下ろす。彼はエルレイドを残して疲弊した手持ちをボールへ戻すと、エレベーターホールへ避難して遠巻きに観戦しながらやや余裕を溢した。
「僕にブロックサインを教えてくれれば指示が出せるよ」
『その必要はない』
 そこにおやトレーナーは居なかったが、ベトベトンははっきりと敵を見据え勇ましく身構える。相性は最悪、その上イツキのポケモンに並ぶ超能力を操るのだから一撃でも食らってしまえば早くも幕引きだ。相手もそれを理解しており、肩で息をしながらもこちらを見下している。
「こんなゴミ、毒が回る前に片付けてしまえばいい」
 その侮蔑から、相手は容易く一掃できると思い込んでいる。ベトベトンは前の戦闘で粉々に砕けた瓦礫が転がる床に身体を溶かし、その下に潜り込んだ。ヘドロポケモンは地面に溶け出すと目視が困難と言われており、そこにはひどい悪臭だけが残って不気味な空気を醸し出す。
「それで隠れたつもりなのか」
 じとりと足元を睨むミュウツーの反応に、イツキも同様の懸念を抱いた。
「ベトベトンが床に溶けたけど……念力でカーペットごと吹き飛ばされたら終わりだよ?」
 ミュウツーが右手を構える。
『これが効かないのは、フィールドごとひっくり返すサカキだけだ。床を掃くだけの超能力なんぞに負けてたまるか――クロバット』
 キョウが余裕を見せながら相棒の名を呼ぶと、大きな蝙蝠がフロアの外をぐるりと一周しながら低周波の超音波を室内へ放った。混乱を引き起こす力はなく、届けるのはベトベトンへの指示だ。
 床へ狙いを定めるミュウツーの背後へ回り込み、起き上ったヘドロは傍に転がっていた大きな瓦礫を掴んで相手に投げつける。不意打ちの攻撃はミュウツーの肩口に深手を負わせ、反撃に振り向いたころには既にベトベトンは床へ身を隠していた。
『奴に“どくどく”を仕掛けた時、肩に振りかかったか?』
 キョウの問いに、イツキは鼻をつまんで頷いた。
「うん。可哀想に、頭からヘドロを被って猛毒塗れ。明らかに動きが鈍ってて、エレベーターホールまで悪臭が漂ってきてる」
『なら好都合。クロバット、肩を狙うよう伝えろ』
 それは超音波となってすぐに反映され、またもベトベトンはミュウツーの不意を突いて先ほど狙った方へ特殊な毒液を浴びせかけた。その技、ベノムショックによる攻撃は猛毒に反応する成分が痛みを倍増させ、ミュウツーは悲鳴を漏らしながらがくりと膝を折る。
「なるほど、超音波で攻撃するポイントを教えてるんだ」
 これなら相手に見抜かれにくい、とイツキは感心する。こっそりと傍にいたエルレイドに目配せし、仕組みを盗めるよう頷き合った。
「小賢しい……!」
 みるみるうちに身体を蝕んでいく猛毒はミュウツーの調子を狂わせ、憤りを増幅させる。尚も敵は通路のどこかに身を潜め、時折窓の外を音もなく漂う影が潜在的な恐怖心に爪を立てた。警戒している間にも体力は着々と削り取られていく。相性的にこちらが有利なはずなのに、術中に嵌っているのは癪だ。昔はベトベトンなど一撃で仕留めていたので、毒を浴びる屈辱など経験しなかった。足元で視線を感じ、そちらへ目をやると瓦礫の隙間から不愉快なヘドロの両目がこちらを蔑むように睨み据えている。
「何が言いたい」 
 すると脳裏にあの男の声が響く。
 ――史上最強と謳われたポケモンでも所詮この程度か。
「この程度だと? 私はまだ戦える」
 視界の隅で閃光が瞬いて、サカキが罵倒する。
 ――それで史上最強のポケモンだと? 笑わせるな!
「解毒さえできれば戦える!」
 だが今、その術はなくミュウツーは無力だ。視界に入る瓦礫や看板、カーペットの破片などが一斉に揺れ動いてミュウツーを嘲笑した。それはやがてハナダの洞窟で打ち倒した野生ポケモン達へと変化し、ケタケタと横に揺れながら戻って来いとばかりに手招きする。黄泉の国の亡者が地獄を脱出した仲間をまた引きずりこもうとしているかのようだった。
 頭を抱え、幻覚と猛毒にうなされるミュウツーは傍から見れば異質で、エレベーターホールから様子を窺っていたイツキもこれまでとは異なる畏怖を抱いた。
「あいつ、さっきからブツブツ呟いてて気味が悪いよ。様子がおかしい。毒で頭やられるケースってあるの?」
『投薬されていたり、アレルギーが出やすい個体はポケモンの毒で思わぬ反応が出たりすることもあるが……早くカタを付けた方が良いな』
 窓の外から控え目な超音波が放たれ、ベトベトンにメッセージを送る。
 そんな些細な反応も、感覚機能がかき乱されているミュウツーにとっては頭を割れんばかりの刺激となった。内臓を引きちぎるような猛毒の激痛に犯され、脳裏には悪しき記憶ばかりが席巻する。戦場で背中を丸め、無防備に蹲っている現状を何としてでも打破すべく、ミュウツーは躍起になった。反射的に念を編んでもそれが解決に繋がることはない。牢獄に横たわっていた十数年間のように今は無力だ。
 投獄される前は、他者に麻痺などを解消してもらっていたこともある。それを思い出し、ほんの一瞬、数十年ぶりに誰かの手を借りたい欲求が芽生えた。真っ先に思い浮かんだのはあの顔だ。
 ――動きにくかったらあたしも手伝いますから!
 瞳の奥で湧いた温かな光を、あの白い影が不気味な笑顔で後押しする。――あの子に付いていけば、あなたは穏やかに暮らせたのに。押し付けがましい言葉に嫌悪感を覚え、ミュウツーはその光を即座に否定した。
「私は人の手を借りずとも戦える! 人に縋るポケモンなど恥晒した!」
 増幅した憎しみが全身に注がれると、錆びついていた念力が油を差したようにぐんと稼働し始める。“自己再生”が即座に紡がれ、脂汗さえ滲んでいた猛毒の苦痛を薄めて感覚機能を研ぎ澄ませ、ミュウツーはベトベトンが潜む場所へ顔を向けた。先ほど視線を感じた位置とは真逆の方向だ。異変を感じて速やかに瓦礫を掴み、ダストシュートを放とうとするヘドロをミュウツーはサイコキネシス一撃で吹き飛ばす。
「ふ、復活した……」
 瞬く間の形勢逆転にイツキは唖然となった。
『ザングースの毒暴走のような特性を持っている奴だったのか? ロケット団のポケモンならそれもありえるかもしれん……』
 キョウも無線の先で唇を噛んでいるようだった。身軽になったミュウツーは、もう一度自己再生を発動して傷だらけになっていた身体の大部分を修復する。吹っ切れた顔つきは再びイツキへと向けられた。
「ヤバイ……エル、もう一度スタンバイして! キョウさん、ネオの回復はまだ時間かかりそう?」
『あと少し……三分だけ時間稼ぎしてくれれば』
 キョウは窓の外から上階の様子を確認しつつ、ネイティオの治療を行っているらしい。彼の周囲が途端に慌ただしくなった。すると無線を装着していないイツキの反対側の耳で、何かが倒れる音がする。目の端に床に崩れ落ちたエルレイドが入り込んでいた。敵は想像以上の覚醒を見せたらしい。
「それ、もう少し早まらないかな……」
 唇を震わせるイツキの後頭部を、生温い念力の風が撫でる。
 彼が終焉を予期した時、傍にあった一基のエレベーターの扉が豪快に弾け飛んでその恐怖を断ち切った。ブーメランのように投げられた扉がミュウツーを強襲し、ポケモンはすかさず守りの体勢を取る。ところが巧みに受け流した直後、扉の後ろから筋骨隆々の肉体を持つポケモンが懐へ飛び込み、その拳でミュウツーのしなやかな身体をいともたやすく通路の突き当りまで吹っ飛ばした。目にも留まらぬパンチを繰り出したのは、その一撃で電車さえ破壊するカイリキーである。
「見つけたぞ!」
 ぽかんと口を開けたままのイツキの頭上で、聞き慣れた野太い声が響き渡る。扉が外れたエレベーターから降りてきたのは、煤けたスラックスに赤茶けたワイシャツを腕まくりした同僚のシバだ。防弾ベストや包帯が覗くはち切れそうな胸板と、袖から伸びる鍛え上げた二の腕が頼もしく、イツキはとうとう感極まって両目を潤ませる。
「アニキ、最高」
 不意打ちを食らい、通路の突き当りで伏せていたミュウツーは窓の前で即座に膝を上げその目にカイリキーを捉えた。互いの距離はおよそ三メートル、怪力ポケモンはその鉄板並みの強度を誇る足の裏で床を蹴り、相手が念力を繰り出す前に四本腕で掴みかかる。相性はカイリキーが劣る。エスパーポケモンが余裕の笑みを浮かべた時、窓の外に緑の鳥が現れた。
『ネイティオ、バトンタッチだ! アシストパワー向けに急いで高めた力を託す、後は頼んだ』
 先ほどのイツキの歓声は無線越しにも届いており、十五階下からキョウが解き放ったネイティオが窓の外からカイリキーの傍へテレポートし、彼の右腕二本に翼を触れ合わせる。そこはちょうど怪我が完治した場所だ。復帰を待ちわびていた戦友からのエールはカイリキーを鼓舞させ、その期待が血潮となって全身に駆け巡る。直後にサイコキネシスが身体を突き抜け膝を揺らしたが、その鎧を纏えばダメージは大幅に軽減された。
「礼を言うぞ! カイリキー、爆裂パンチだ!」
 予想外の手ごたえのなさに目を見張るミュウツーの耳朶を、シバの咆哮が震わせる。痺れる刺激はやがて脇腹を抉る衝撃へ変わり、ポケモンの体勢を大きく崩した。かつてない重量級の拳に、耐えきれると高をくくっていたミュウツーの思考が混乱をきたす。格闘ポケモンなんて、これまで一撃で沈めてきたはずなのに。目の前にいるカイリキーは未知のエスパーポケモンに臆することなく、勇ましく仁王立ちしている。
「勝手に飛び出して行くのはやめなさいよ。さっきもワタルに注意されていたじゃない。まあ結果オーライだったようだけど、さすがのカイリキーもアイツをパンチ一発で仕留められなかったようね。長期戦は不利よ、代わりなさい」
 エレベーターから流れる涼しい声が、鼻息荒い格闘ポケモンを引き留める。髪をボールペンでアップにし、クールな佇まいのカリンがヘルガーを引き連れ籠から現れた。
「ヘルガー、悪巧み」
 彼女は相棒にそう短く告げると、呆気にとられるイツキの傍を通り過ぎ、すこぶる不満気なシバを強引に押しのけ、カイリキーに目配せしてバトルフィールドから退かせる。ヘルガーと共に颯爽と通路を歩く姿はファッションショーのモデル顔負けだ。彼女はランウェイの先端までやって来ると、顎を上向かせながらやや傲慢に言い放った。
「あなたの挑戦は今度こそ終わり。四天王を討てないようじゃ、チャンピオンに挑む資格はないわ。ヘルガー、悪の波動」
 ミュウツーに反発する猶予も与えず、カリンの前へ現れたヘルガーが悪意に満ちた暗黒の波動を解き放った。それは先ほど受けたカイリキーのパンチとはまた異なる致命的な衝撃で、猛毒や混乱に疲弊していたミュウツーへの決定打となった。遺伝子ポケモンはあっけなく床へ崩れ落ち、しかしそれでもなお、僅かな余力で自己再生を試みようとする。それを察知したカリンが仲間に振り返った。
「誰か空のボールを持ってない? 危険だから捕獲した方が良いわ」
 それはミュウツーにとって、最悪の結末だ。
 全てのポケモンはあのボールに抗う事が出来ず、それに封印されれば最後、窮屈な空間に押し込められ人間の奴隷となる運命だ。このトレーナー達の盾となり、死ぬまで戦場に身を置くポケモンとは肩を並べたくない。そんな屈辱、考えるだけで吐き気がする。ミュウツーは即座に夜風が吹き込む窓の外へ寄りかかると、そのまま六十階の空へ身を預けた。カリンが慌ててそちらを確認した頃には、青白い影はサーチライトに紛れて姿を捉えることはできなかった。人より丈夫なポケモンとはいえ、満身創痍でこの高さから身を投げれば命はないだろう。後味の悪い結果に、さしもの彼女も顔を歪める。すぐにヘルガーが傍へ擦り寄って主人をフォローした。
「人間を憎んでたようだし、意地でも捕獲されたくなかったみたいだね」
 イツキも彼女を宥める。シバも頷いた。
「そういうポケモンは少なくない。相手がこちらを殺しにかかってきた以上、この結果は割り切るしかないな……」
 弱らせた野生ポケモンを取り逃がし、彼らに最悪の結果をもたらすことはトレーナーにとって日常茶飯事で、道端でそれらしき亡骸を目撃することもこの世の中ではありふれた光景である。彼らはミュウツーの取った選択をそれらに重ね、割り切ることにした。そうしなければ死を与えた罪悪感はいつまでも付き纏う。それはバトルを生業にする彼らにとって、度々向き合うには負担が大きかった。
「そうね。ロケット団に良いように利用されて同情はするけど、今までの悪行には目を瞑れないわ。スタジアムに向かいましょう」
 カリンは窓の外へこっそりと手を合わせ、仲間達に振り返った。その吹っ切れたような表情を見たイツキは胸を撫で下ろし、肩の力を抜く。
「皆が来てくれて助かったよ。ネオもすっかり元気になって良かった」
 復帰したネイティオは艶のある毛並みを取り戻し、万全の状態を作り上げている。そこに無線からキョウが補足した。
『引き上げた能力、全てカイリキーに手渡したから“自己暗示”でまた戻しておいてくれ。アシストパワーが最大出力で撃てるはずだ』
 どうやら治療に手間取っていたのは、わざわざ能力を高めてくれたことにも起因しているらしい。シバのカイリキーは見るからに気迫漲っており、あのサイコキネシスに耐えられる力を戻せば先ほど欠けた戦力分は補える。イツキはネイティオと顔を見合わせ、目尻を下げた。
「ありがとう、さすが分かってるゥ。僕らはスタジアムに向かうから、本部ビルの方頼むね。何かあったら連絡するから!」
 礼を言っている間に、カリンとシバは再びエレベーターへ乗り込んでいく。
 自分が倒れても、後ろで敵を阻んでくれる頼もしい存在にイツキは安堵の息を吐き、その背中に心からの感謝を送った。そして後ろ盾のないワタルの元へ急ぐべく、覚悟を決めて後に続く。

鈴志木 ( 2015/02/19(木) 19:50 )