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第3章
第12話:ボーダーライン
「カイリュー、はかいこうせん」
 そう告げられた瞬間、カイリューは我が耳を疑い主人を凝視した。バトルフィールドの先にポケモンはおらず、青ざめながら手榴弾を握る黒づくめの男がへたり込んでいるのみ。彼女はポケモン以外に技を放った前例はなく、主人がそれを手持ちに命じるのも初めてだった。戸惑いを隠せず弁明を求めようとしても、ワタルは憎悪に満ちた眼差しを男に向けるばかり。こちらを気に掛けようともしない。こんな反応も今までになかったので、ドラゴンは益々困惑する。
 数秒の緊迫した沈黙が流れ、声なき相棒に業を煮やしたワタルがそちらに目を向けた途端、視線を遮るように後方から水色の杖が伸びてきた。
「君に人間を罰する権利はない。我々に許されているのはポケモンの暴走を抑えることだけだ」
 凍える風のように冷たい声音が、燃え盛るワタルの怒りを急冷していく。振り向くと、背後にヤナギが立っていた。ピンと背を伸ばす小柄な姿には多くのリーダーが信頼を寄せる古豪の風格が滲んでおり、ワタルの理性を引き戻す。
「つまらんことで人生を棒に振るな。カイリューも困惑しているぞ」
 ヤナギは杖を地に戻し、目線でカイリューを示した。彼女は光線を発射する口元を両手で押さえながら、ワタルに“人を撃てない”とアピールしている。そこで彼はようやく自身の過ちを恥じた。
「すみません……怒りで何も見えなくなっていました……」
 手持ちの意思を無視して人間を殺めようとしていた――我を忘れてそんな暴挙に出ようとしていたなんて、思い返せばぞっとする。
「君はよくやっている、まるでヒーローのようだ。しかし越えてはならん境界線はあるし、立場は弁えろ。人を捕えるのは彼らの役目だ」
 ヤナギは顎の先を黒づくめを確保する機動隊らへ向ける。彼の言う通りである。プロは犯罪者のポケモンを戦闘不能にする協力許可は得ているが、対人にはそれがない。ワタルはカイリューに詫びながら深い息を吐いた。
 チャンピオンが冷静になったところで、ヤナギは重々しい口調で彼に告げる。
「だが、彼らの活動を見守っているだけではいかん。状況は把握しているか?」

+++

 一時間ほど前――ヤナギはコガネシティ某ビル内の会議室に拘束されていた。足元には突然乗り込んできた十名の武装グループによって腿を撃たれたマチスが蹲っており、背後にはカントー・ジョウト地方のジムリーダーと副総監のフジ、そして彼の部下数名が立たされている。モンスターボールとポケギアは会議テーブルの上に集められ、下手に動こうものならリーダー格の腕の中で銃器を突きつけられているミカンに危害が及ぶ。絶体絶命の状況だ。
 自分はポケモンが無ければ非力な人間で、それは後ろで立ち竦んでいるリーダー達も同様である。腕っぷしの良いシジマさえ慄いて動けない。彼はスポーツとして格闘技を嗜み、ポケモンと共に日々訓練に励んでいるが実戦となれば話は別で、人質を取られた際の対処さえままならないのだ。ヤナギは唇を噛み締めた。武装グループが武器を手にし、強力なポケモンを隠し持っていようともジムリーダーの地位が証明する自らの手持ちならあっという間に彼らを制圧できたはず。それが敵わなかったのは後にも先にもサカキ一人だけ――ヤナギはそこで気付いた。
「貴様達、ロケット団か?」
 するとリーダー格はニヤリと笑みながら、襟の裏に装着した“R”のバッジを見せつける。サカキはボールの緊急開放機能を付けたポケギアのリプレース案件にも噛んでいた。合同会議でボールを封印してリーダーを一網打尽にし、真っ先に退役軍人のマチスを戦闘不能にさせる辺り計画性がある。拳を震わせるヤナギをよそに、リーダーの男は傍で立ち尽くしている派手な服の少年にマシンガンの銃口を向けた。少年の肩がびくりと跳ねる。
「おいガキ、さっさとその鳥をボールにしまいな。目障りなんだよ」
 室内で唯一ボールから出ているのは、会議のゲストとして招かれていたイツキの相棒ネイティオである。鳥は会議テーブルの下で微動だにせず押し黙ったままだ。四天王の相棒だけに実力は申し分ないことはヤナギも十分理解しており、この場にただ一つ残された希望ではあるのだが、いかんせんトレーナーに問題がある。
「ボール、そっちに置いたんで……」
 身体が硬直し、顔も真っ青のイツキは口元だけをぼそぼそと動かしながらテーブルに置かれたボールの山を示した。こんな事態は初めてで、どう対応すればいいのかまるで分からず頭は真っ白だ。
「どれだ、言え!」
 ボールを乱暴に探る武装グループ数名から罵声を浴びせられ、イツキは涙目になった。
「えーと……どれだったかなぁ……」
 掠れる声で誤魔化しながら、ヤナギとネイティオを交互に見比べる。どちらも“仕舞わせるな”と言わんばかりだ。唯一残されたポケモンをボールに戻してはいよいよ終わりだからロケット団に従いたくはなかったが、ヤナギの足元で息も絶え絶えのマチスを見ていると迂闊な抵抗できない。何せ彼らは部屋に乗り込んでくるなり、テーブルの向かいで気のいい笑顔を見せていたマチスを躊躇なく撃てる人間だ。ポケモンとはまるで異なる殺気を孕む人種と対峙するのは初めてで、本能が全ての動きをロックする。
 強豪ポケモンと対峙するセキエイのバトルフィールドなら勝手に身体が動くのに、いざとなれば何もできない。彼らは親しい同僚へ刃を向けた犯人と関係しているはずで、ここは仇を討たねばならないのに――悔しくて、情けなくて、両目がみるみる潤んでいく。
「それとポケギアが一つ足りねえぞ。どこへ隠した!」
 テーブルの上でポケギアの数を数えていた黒づくめが、イツキの葛藤を一蹴するかの如く声を荒げる。それに気付く余裕すらないイツキが慌てて弁解しようとした時、背後から飛んできた明瞭な声がそれを制した。
「リーダーが一人遅刻している。嘘じゃない」
 声を上げたのはグリーンだった。彼は諦めを湛えるジムリーダー達において、ひしと顔を上げながら落ち着いた調子で言葉を続ける。
「オレの弟子なんだが、立ち寄る場所があって時間が掛かっているようだ。連絡も取れない」
「なぁにい? これで万が一のことがあったら、どう責任とってくれるんですかねェ……ジムリーダーって弟子の失態は師匠の責任なんだろ」
 黒づくめの一人が、マシンガンをちらつかせながらグリーンへ詰め寄る。敵の矛先が若手に向いてしまいヤナギは狼狽したが、少年は毅然と頷いた。
「その通りだ。いざとなったら、この地位だって捨ててやる。それぐらいの覚悟で面倒見てるんだよ」
 絶望のどん底に落とされたことを経験したグリーンは、ようやく自身を認めてくれたジムリーダー社会に土足で踏み入るテロリストが許せなかった。唇を引き結び、おめず臆さず敵を睨み据えるその姿は子供ながら一度は上り詰めたポケモントレーナーの王そのものだ。
 ヤナギは度肝を抜かれた。自分はそこまでの覚悟を持ってリーダー業に取り組んでいたことはない。むしろ闇に堕ちた一番弟子に対処できず、こんな事態まで招いてしまっている。
「おいグリーン、あんまり挑発するな……」
 グリーンの傍で生きた心地がしないタケシが必死で我が弟子を諭す。しかしグリーンは真っ直ぐ黒づくめを睨んだままだ。男は舌打ちし、少年にマシンガンを突きつける。
「気に入らねえ目だ。ガキの癖に」
「年は関係ねーよ、ポケモントレーナーには」
 グリーンの反発に煽られた男は、彼を後ろに突き飛ばしながらサッと銃口を向けた。「やめろ!」ヤナギが反射的に手を伸ばし、イツキや他のリーダーらが悲鳴を上げる――その刹那、閉ざされていた両開きの出入り口が軽妙なリズムで三回ノックされた。
「なんだ」
 リーダーががなり立てるように応答すると、扉の向こうからくぐもった男の声がした。
「セキチクシティのジムリーダーが先ほど到着し、こちらで確保しました。どうします、リーダー?」
 それを聞いて一番に動揺を露わにしたのは他ならぬグリーンだ。つい先ほどまでの命知らずな相好がさっと青ざめたのを見て、マシンガンを向けていた男がリーダーへ愉快気に提案する。
「入れてやりましょうや。弟子の責任おっ被る師匠の最期、そいつに見せてやろうじゃないの」
 それに同意したリーダーは下品な笑いを浮かべながら、出入り口付近にいた部下にドアを開くよう合図する。するとそれに弾かれるように両開きの扉が廊下側から開いて、紺色の浴衣に黒いリネンカーディガンを羽織った中年の男がにこやかに現れた。
「遅れて申し訳ない。セキチクシティジムリーダー、代理で馳せ参じました」
 室内にいた誰もが二の句も継げず、唖然とする中――男は後ろへ撫でつけた黒髪を揺らしながら、両手を広げて大げさにお辞儀する。
「キョウさん!」
 恐怖で身体が硬直していたイツキが真っ先に明るい声を上げ、次いで中年の旋毛に向けて武装グループが一斉にマシンガンの銃口を向ける。すると彼はさっと身を起こし、余裕たっぷりに窘めた。
「おっと、蜂の巣にするのはまだ早い。私ならポケギアの緊急開放システムを解除できますよ。ほら、端末よこしな」
 左手を向けるキョウに、リーダーは引き金に指を置きながら眉を顰める。
「どうやってここへ来た。お前、意識不明の重体だったはずじゃ……」
「急に刺されたもんだから、六文銭を忘れて取りに戻ってきた。そこで娘が合同会議に遅刻していると聞き、リーダー長のご機嫌損ねちゃ悪いと思って代理で駆けつけ、まんまと捕まったって訳だ」
 彼は取ってつけたように弁解する。武装集団に臆さぬ姿は、無鉄砲にテロリストへ刃向かうグリーンとは異なる経験の差が窺えた。この男がサカキの弟子で、その後は保護司も務めていたことはロケット団の誰もが知る情報である。こちらの目的を達成するまでマシンガンが火を噴かないこともよく理解しているのだろう。リーダーは更に質問を重ねる。
「それで何故、オレ達の目的がポケギアだと?」
「地方のボールを全てロックした上でリーダー合同会議に乗り込み、ボールとポケギアを取り上げてるこの光景を見りゃ緊急開放システムが目的だってことはすぐ分かる。それの導入を勧めたのは俺で、バックアップしてくれたのはお前らのボスだからな。リーグ本部のシステムに異常が発生し、ボールが開けなくなった際にジムリーダーが先導して対応できるように――と言う名目で搭載したが、正直リーダーだけの特権にしたのは失敗だった。その頃のリーダーは働き盛りばかりで、これほど若い面子になるとは思ってなかったから、こうも容易く一網打尽にされるとは想定外だ」
 彼はヤナギやカツラ、そしてフジを小突くように見比べた。それは救援のサインではなく単なる皮肉で、これを察したリーダーは泣きじゃくるミカンの頬に銃口をめり込ませ、キョウに見せつけた。
「なるほど……じゃ、その最後の命綱を切って貰おうじゃないか。妙な行動したら、この子は蜂の巣だ」
 差し出されたノート端末は会議テーブルの上を滑ってキョウの前で止まる。
「そのパソコンは本部内システム部の設定になってる。そっからアクセスできるな。五分でやれ」
「分かった」
 彼は端末を開くと、CUI画面を呼び出してコマンドを入力し始めた。躊躇なく作業を始める姿にヤナギを始めとする人質らは絶望でいよいよ生きた心地がしなくなり、傍にいたイツキも困惑気味だ。やがて彼は傍にあった椅子を引いて、ごく自然に腰を下ろす。まるで緊張感がない様子にリーダーは苛立ったが、キョウがすかさず疲弊した様子で訴えた。
「病み上がりに配慮してくれよ。まだ時々、立ちくらみがする」
 そう言って彼は重々しく息を吐くと、鼻梁を摘まみながら左目と右目の瞼を交互に押し――目線をほんの一瞬、イツキへと滑らせた。他には誰一人気付かない些細な仕草が、親しい同僚の登場に硬直を解き身構えていた少年のスイッチを入れる。イツキは手汗を拭うふりをしながらテーパードパンツの生地を摘まみ、机の下でじっと動かない相棒へ合図を送る。鳥はようやく首を動かした。ロケット団の誰かが気付く、その前に――少年がぱちんと指を弾く。
「ネオ、サイドチェンジ!」
 リーダーの男の瞬きに合わせ、彼が腕の中に抱え込んでいた少女がネイティオへと変わる。イツキは机の下へやって来たミカンを保護しながら、すかさず追撃の指示を出した。
「からの……テレキネシス!」
 ロケット団が呆気にとられた隙をつき、彼らが持参した全ての武器が念力によって支配される。マシンガンや黒いモンスターボールが磁石に吸い寄せられるように天井へピタリと貼り付き、手ぶらになったところで端末の操作を放棄したキョウが椅子にもたれ掛りながら両手を叩いた。
「よーし、お前ら入ってこい」
 その直後、通路側の窓と出入り口が一斉に開いて、ファインティングポーズを取った屈強な男達が乗り込んでくる。体格が一回り大きく、もれなく入れ墨のある人相の悪い面々にロケット団達は息を呑んだ。武器もなければポケモンも使えない人質と同じ状況において、乱入者らは容赦せず腕を振り回す。
「ポケモン使えなきゃあ、素手ゴロよォ。コウキの仇だ、思い知れ!」
 すかさずネイティオがリーダーの胸を蹴って突き放すと、その先で待ち構えていた大男がギャラドスの入れ墨を彫った丸太のような腕からボディブローを放ち、見事一撃で昏倒させた。他のロケット団構成員も次々首根っこを掴まれ、床へ押さえつけられる。乱入したキョウの元弟子の数はロケット団と同じ、だが腕っぷしの良さは彼らの方が遥かに上で、もれなく前科付きだ。その後ろ姿は格闘ポケモンにも劣らず、興奮に駆られたイツキは男達の背後に回り込んで試合さながらの声援を送った。
「行けー! 右、右の空手チョップだ!」元弟子の一人が右のジャブを繰り出しながら、怯むロケット団と距離を詰める。「そこで腰を落として――インファイト!」懐へ潜り込んでからの、腹を抉るような豪快な右ストレート。渾身の一打が決まり、敵はそのまま床へ伏した。 
「やったーっ、ロケット団・戦闘不能!」
 イツキは思わず椅子へ駆け上がって右手を元弟子に掲げ、スタジアム審判の真似をする。その一方で、キョウはテーブルの上に集められたポケギアを一つ取って緊急ボール解除機能を実行すると、ヤナギの足元で蹲るマチスの傍へ歩み寄ってあり合わせで応急処置を施した。彼は即座に昔の弟子を呼ぶ。
「エリカ、マチスを病院へ連れて行け。携帯は繋がらないから、ポケモンを使って急げ。ボールは開くようにしておいた。傷口が膿むかもしれんから、花粉を撒き散らす奴は辞めておけよ。通路の見張りは片付けている」
「わ、分かりました。じゃあドダイトスで……後ですぐ戻ってきます!」
 エリカはテーブルに置いた自身のモンスターボールをかき集めると、その中からドダイトスを召喚してマチスを乗せる。彼は朦朧とする意識の中で「キョウサン、アリガトゴザイマス……」とぼそぼそ呟きながら、会議室を後にした。まだ状況も把握していないのに元弟子とはいえジムリーダーを二人も退室させるなんて――ヤナギが食って掛かる前に、キョウは膝を上げ彼を見下ろしながら事態を説明する。
「では状況を簡単に。外では通信インフラがほぼ全滅、コガネとタマムシではオフィス街の電話基地局が占拠され、化け物みたいなポケモンが降臨して暴れているようです。他の街でも武装集団が通信ケーブルを切断する事件が多発している。その上リーグ本部のシステムが乗っ取られ、一般トレーナーのボールがロックされている状態です。タマムシ市警によると本部には緊急回線からも連絡が取れず、復旧作業に取り掛かっているのかさえ把握出来ていないそうです。基地局テロなどの事件の対応に追われ、そっちは後手に回っている。ここまで病院からの移動中に確認済みです。途中で携帯の通信は切断されてしまいましたが……そうそう、私がここへ来たのは娘の代理じゃない。ボールを開くためだ」
 この報告に場は騒然となる。この会議室に閉じ込められている間に地元が一大事になっている事実はジムリーダー達を激震させ、自然と足を出入り口へ向かわせるが、ヤナギの力強い問いがそれを引き止めた。
「敵の目的は何だ?」
 ヤナギとキョウは押さえ込められたロケット団に視線を移すが、時すでに遅しで一人残らず昏倒させられていた。やり過ぎに対する元門下生らの謝罪を聞き流しながら、キョウは話を戻す。
「まあこいつらの口を割らずとも、おおよそ想像はつきます。これらの犯行はロケット団絡み――警察はテロの対応を優先していますが、奴らの狙いはリーグ本部だと思うんですよ。昔あの人は言っていましたからね……“バベルの塔に制裁する”、と。連絡が取れないことから、本部は既にジャックされている可能性が高い」
 それでヤナギは計画の意図を理解した。主導しているのはかつて世襲ではないからと蔑まれ、それでも頂点に立ち、将来のトレーナー社会を担うために本部の改革を語り合った一番弟子のサカキだ。思えば彼はいつでも有言実行だった。逆境に折れることなく成績首位を更新し続け、押し付けられたペーパーを優秀な二番手に成長させ――そして彼はいよいよ、本部への報復に乗り出そうとしている。八年近く前、氷の抜け道で弟子を取り逃がしてしまったことをヤナギは改めて恥じた。あの時痛めた膝の古傷が、砂を噛んだ屈辱を思い起こさせる。
「警察に連絡しなければ。総監や職員の皆さんの命が危ない!」
 二人の間に今にも泣きそうなフジが割って入る。そうしたいのは山々だが、その場所にサカキがいるとなれば話は別だ。
「しかし……サカキのポケモンに勝てるトレーナーがどれだけいると思う? 警察じゃ到底……」
「レッドなら勝てます! あいつ、サカキに勝って予備のグリーンバッジ付与してもらってます!」
 すかさず口を挟んだのはグリーンだった。幼馴染のレッドはカントー・ジョウトすべてのジムを制覇し、一度はチャンピオンの座に上り詰めた伝説のトレーナーである。ところが現在、彼は存在自体も伝説となっており、「今どこにいる」とキョウに鋭く指摘されるとここ最近音信不通のグリーンは何も言い返せなかった。すると今度はイツキが別の提案をする。
「ワタルなら勝てるよ! レッドに勝ったワタルなら、多分サカキにだって!」
 彼は先ほどロケット団を撃退した際に妙な自信をつけてしまったらしく、会議デスクに身を乗り出しながら饒舌に裏付けを語り始める。
「それとワタルに事情を聴いたけど、キョウさんってサカキのプレースタイルを受け継いでるんでしょ。だったら三年近く一緒に戦ってきた僕らにも対応が可能だ。つまり――セキエイの危機を救えるのは、僕らしかいない!」
 ヤナギとキョウが互いの反応を確認するように顔を見合わせ、周囲も呆れ返る中、いち早く食って掛かったのは少年の友人であるマツバである。
「こんな時に何を馬鹿なこと言ってるんだよ!」
 彼は室内にいる者の総意を代弁したつもりだったが、傍にいた同期のイブキがすぐに反発する。
「いや、彼の言う通りよ。お兄様なら絶対に勝てる! なんたって四天王すら敵わない、無敗のチャンピオンだもの」
 ワタルの従妹であるイブキは、彼こそ史上最強のトレーナーだと信じて疑わない。こんな時でもそれを押し付ける姿に周囲は辟易したが、イツキは話をレールに戻しながらヤナギ達に悠然と問いかける。
「その言い方ムカつくな。でも僕が推さなくたって、ワタルは事情を知ればセキエイにすっ飛んでいくと思うけどね。そんな時に僕ら四天王はワタルを止めんの? それとも外野で応援? ロケット団はセキエイに挑戦しに来てるんだよ。各地を制覇して、王座を狙いね。それを迎え撃つのが僕らの役目でしょ!」
「ポケモンだけで何とかなると……」
 ヤナギの反論をキョウが絶つ。
「いや、なります。我々の手持ちは、法が制限するだけの力がある。それが子供のトレーナーだとしても、警察だって頼りたくなるものでしょう。これだけ不手際があれば、どう転んでも最終的に本部は四方八方から袋叩きですよ。だったら傍観しているより、プロだけでもサポートに加わった方が良い。腹括りますか、ヤナさん。サカキを野放しにした責任の一端は我々にある」
 たとえ事態が収束しても、簡単にシステムを乗っ取られテロの対応を遅らせた責任は大きいだろう。どちらにせよ組織を大きく揺るがす事態には変わりないが、こちらには武装グループを圧倒できるだけの戦力とボールを解放できる切り札がある。これが上手く作用すれば、本部との共倒れは防げることだろう。ヤナギより先に乗り気になりつつあるフジの顔を確認したキョウが、上着のポケットから車のキーを取り出して「先行ってろ」とイツキに投げる。少年はさっと身を翻し、ネイティオと一緒に部屋を飛び出していった。後に引けなくしたところで、キョウはフジの秘書を手招きして念書を書かせる。
「それじゃあフジさん、手書きで構いませんのでプロのポケモンの使用に許可を出す証明書を作成してもらえますか。プロのポケモンはトレーナーに害を与えられないが、さっきのネイティオ程度の立ち回りくらいなら大目に見て貰えると有り難い」
 藁にも縋る思いのフジは、二つ返事で承諾する。しかしヤナギは今だ戸惑いを隠せずにいた。本来ならばここで若手をテロ対策に駆り出すべきではないし、彼らのポケモンもそれを目的に日々鍛錬を積んでいる訳ではない。今更若手の育成に励むことで、罪滅ぼしをしたつもりになっていたことをひどく後悔した。重要なのは問題を解決することだったのに――歯噛みするヤナギに、キョウが問いかける。
「あの時、サカキを止めておけばと思いました? 私もですよ。娘を危機に晒していることを、後悔しています」
 穏やかに寄り添うように告げた後、彼の相好からふっと同情の色が消え失せる。
「だからこそここで戦わないと、親としてもトレーナーとしても二流の腰抜けですよ。特に我々はね」
 身の蓋もない発言はヤナギの心に刃を突き立てた。このストレートに毒づく口ぶりは、かつての一番弟子そっくりだ。現状に妥協や満足をするのは二流の腑抜けだと、教えてもないのによく彼に言っていた。キョウの双眸はその時のサカキそのもので、ヤナギを憤りと共に奮い立たせる。彼は感情に煽られるままポケットからコインケースを取り出すと、硬貨を数枚掴んで自身のポケギアと共にキョウの掌へ捻じ込んだ。
「私も後で合流する。お前は今度こそ死ぬ気で戦え」
 金額は二百数十円――六文に相当する。戦うからには命を賭けろと言うことなのだろうが、素直に受け取り難い餞別である。キョウは顔を引き攣らせながらも、上着のポケットにそれを突っ込んで出入り口へ踵を返した。弟子がセキエイにいる手前グリーンも後に続こうとしたが、師に殺到するセキエイ門下生らの背中に阻まれる。
「オジキ、オレらもご一緒します。今朝目覚めて、体調は万全じゃないでしょう」
「お前達はセキチクに戻ってポケギアのデータセンターを守れ。そこが潰れたらまたボールが使えなくなる。それとケーブル切断犯の対応」
 と、師に窘められても元弟子達は不満顔だ。かつての仲間を失った憤りによる抵抗なのかもしれないが、先ほどロケット団を過剰にのした顛末を見るに、下手に動かすと暴走しかねない。キョウは懐からモンスターボールを取り出すと、主人の復活に歓喜するクロバットを見せながら口元をほんの少し緩ませる。
「俺にはポケモンもいるし、警察がいるから何とかなる。それに、この活躍次第でお前達は街のヒーローになれる。完全に堅気に戻れるチャンスだ。それをコウキに思い知らせてやってくれ」
 ジム門下生として更生し、斡旋してもらった仕事を懸命にこなしても前科者と言う烙印が消えた訳ではない。その台詞はまだまだ苦労も多い彼らへの気遣いだった。元弟子らは渋々納得し、託された役目に気持ちを切り替える。
 多くのトレーナーが勇んで退室する一方で、目まぐるしく展開していく状況を傍観しながら今だ躊躇する者もいた。その筆頭がカツラだ。カントーリーダー長とはいえ、ここまでほぼ蚊帳の外。頼りにしていた右腕のエリカもマチスを病院に連れて行き不在、残った若手らから浴びせられる視線が痛い。困惑する彼を見て、ヤナギが残ったリーダー達を速やかに捌いていく。
「カツラ、お前はタマムシのテロをサポートしろ。私はこのままコガネ側を担当する、シジマも手伝え。若いのはこのまま半休でも咎めん。私一人でこの街を真冬にできるからな」
 そう言ってヤナギはテーブルに置かれた手持ちのボールと、復帰が難しいマチスのポケギアを持って杖をつきながら出口を目指す。次いでシジマがそれに続こうとしたが、先に動いたのはイブキだった。
「今月バッジ保持率二位、ジョウトではトップクラスの実力を持つこのイブキが自宅待機なんてありえないわ!」
 彼女は周囲を嘲笑うとも取れる発言で自身を奮い立たせると、テーブルに置いたボールを回収してヤナギの後を追う。これで他のリーダーが黙っているはずがない。ジョウトリーダーは皆続いて、室内にはカントーリーダー五名とロケット団構成員を縛る作業に追われているフジ達が残された。焦燥を露わにするカツラをグリーンが急かす。
「カツラさん、オレ達も行きましょう。ジョウトに後れを取ってていいんですか」
 他の若手リーダーもそれに便乗し始め、カツラは引くに引けなくなった。こちらは三人も戦力を欠いている以上、より連携が求められる。思えばリーダーとしてデビューして以降、何もかも同期のサカキに後れを取ってばかりだ。ここで少しでも挽回しなければ、この先もうだつの上がらない日々を送ることになるのかもしれない。カツラはようやく決心がついた。「そ、そうだな、よし……」と息を吸い込み、自身に活を入れるように声を張った。
「オッケエエイ! オレについてこい! 気合なら誰にも負けんぞ!」
 カツラはありったけの空元気を披露すると、テーブルに残ったボールを両腕に抱え込んでそのまま通路へと飛び出した。しかし部屋を出た途端、その惨状を見て思わず素っ頓狂な悲鳴を上げる。先を行くジョウトリーダー達もぎょっとしているが、廊下で見張りをしていたロケット団構成員らはキョウの元弟子達によって残らず気絶させられていた。
 
+++

 以上の顛末を、ヤナギは四天王がセキエイに向かっている事実を伏せて説明した。彼はじっと話に聞き入っていたチャンピオンを観察する。少しも口を挟まず、同僚が復帰したことを告げられた時に少しだけ表情が明るくなった以外は理性的で真摯な顔つきをしていた。怒りさえ通り越したのだろうか、それとも――顔色を窺うヤナギに向けて、ワタルがゆっくりと口を開く。
「状況は理解しました。それではヤナギさん、後をお願いしてもよろしいでしょうか。私はセキエイに向かいます」
 やはりイツキが予想した通りの答えが返ってきた。勇ましい声音でしと紡がれる台詞は、覚悟を決めた本人の気迫と相まってヤナギも思わず息を呑む。これぞチャンピオンだろう。確かに彼ならばサカキの野望を阻止することができるかもしれない。ヤナギはあえて尋ねてみた。
「そこにはコガネとは比較できない程の脅威がいるかもしれない。先ほど抱いた殺意が蘇るほどの」
「勿論、我がトレーナー生命を賭けて挑みます。セキエイの危機を黙って見ている訳にはいかない」
 つられて感情が高ぶってしまう程、彼は猛勇に言明してくれる。ドラゴン使いにして、どんな竜よりもそれらしい眼差しを持っていた。ヤナギは素直に頷いて、ポケギアをワタルに向ける。
「分かった。では、君のボールを開くようにしてあげよう」
「チョウジでも電信ケーブル切断事件が発生しているようですが、お弟子さん達が対応に当たるそうです。ご安心ください。それと、もし伝説のポケモンに乗っている赤い髪の少年が居たら手を差し伸べてあげてください。彼は人生を棒に振るには若すぎる」
「なるほど……承知した。他のリーダーにも知らせておこう。伝説のポケモンはまだ姿を見せてくれんようだがね」
 ヤナギが虹の鳥なき空を見上げ、肩をすくめるとワタルが落ち着いた調子で補足する。
「先ほど暴れていたホウオウは強敵ですが、それを操るトレーナー自身のスキルは低い。我々で十分対応可能です」
 すっかり冷静を取り戻し、あちこちを気に掛ける様子からはトレーナーの手本として努力している姿が窺える。一体どんな経歴を歩めば、ここまで成長することができるのだろう。機会があればプロを志したきっかけから話を聞いてみたいものだが、そんな余裕はない。
 ヤナギがボールを解除している間に、ワタルは公園の外へ視線を動かしてみた。他のジムリーダー達が機動隊と状況を確認し、場は一層慌ただしくなっている。八人ものプロがいるのだから、後は任せて問題ないだろう。そして先ほど光線で撃ちそうになった構成員は隊員二人掛かりで連行されていく。カイリューに圧倒されていた彼は我に返り、足をばたつかせながらワタルを口汚く罵った。
「セキエイへ行けると思うなよ、ケーブル切断チームがあちこちで目を光らせているぜ。そもそもお前みたいなイカれ野郎は、“こっち側”がお似合いだけどな!」
 冷静になってみるとスタジアムの観客席から投げかけられる野次程度の罵声なのに、理性を失えばそれが殺意にさえ変わる――恐ろしいことだ。
「耳を貸すな。道を外れるのは容易いが、戻るのは困難だ」
 淡々とポケギアを操作しながらヤナギが告げる。
 確かにその通りだ。ワタルは上着のポケットからオフライン状態の免許端末をこっそり取り出し、フラップ裏のポケットからチャンピオンであることを示す黒いトレーナー証明証とサカキの名刺を並べて覗かせてみる。サカキはジムリーダーの立場を捨てて、境界線を踏み越えた。そこにはどうしようもない状況や葛藤があったのかもしれないが、こうなっては二度と堅気に戻ることはできない。そしてワタル自身もあやうく後に続きかねない所だった。彼は名刺と並ぶ黒光りするカード型証明証を瞳の奥に焼き付ける。
 自分はチャンピオンだ。
 その立場に許された、最大限の手助けをする。王者として、リーグに挑む挑戦者を迎え撃つ。その信念を二枚の札に秘め、ケースを閉じて上着の胸ポケットに仕舞いこんだ。主の動向を見守っていたカイリューが穏やかな微笑みを浮かべ、背中を預けてくれる。彼女も覚悟を決めているのだ。安心してフルフェイスを被り直すと、ヤナギがポケギアを掲げながら微笑んだ。
「ロック解除が終わったよ。キョウとイツキもセキエイに向かっている。王者とは言え、出遅れないようにな」
「勿論です。それでは!」
 ワタルはヤナギに会釈しながらカイリューの鞍にひらりと跨り、手綱を引く。瞬く間に足元から衝撃波が放たれ、公園内の木々を大きく揺らしながらドラゴンが弾丸のように空へ飛翔した。よろめいたヤナギが空へ視線を向けた頃には彼らの後姿は既に豆粒大ほどになっており、瞬きしている間に消えてなくなった。なるほど、これなら先にセキエイへ行った四天王に追いつき追い越せる。ヤナギは体勢を立て直すと、感心したように息を吐いた。

鈴志木 ( 2014/11/13(木) 21:37 )