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第3章
第9話:通信ジャック
 ヤナギ邸にて昼食を終えたワタルは屋敷を出る支度を始めていた。
 荷物をサイドバッグにまとめながらふと縁側へ目をやると、カイリューが庭に放し飼いにされている四匹のウリムーに纏わりつかれ困り顔だ。どうやら無邪気な子供らに懐かれてしまったらしく、その姿はさながら洗車機である。ワタルは頬を緩めながら肩に乗っていた一匹の顔を覗き込む。穏やかな表情から滲む王者の気迫にウリムーは思わずたじろいだ。
「お姉さんはこれからお出かけなんだ。解放してくれないかな」
 目線を合わせて静かに言い聞かせると、ウリムー達の緊張は解れ、素直に縁側へと離れてくれる。ワタルがそれを褒めるように顎の辺りをくすぐってやると、彼らはたちまち上機嫌になった。
 子供のポケモンとはいえ、四匹のポケモンをこれほど従順に躾けるのは容易ではない。おやのヤナギはベテランプロトレーナー故に難無く手懐けているが、並のトレーナーなら一匹躾けるだけで多くの時間と技量を費やすことになる。人の言葉に慣れさせ、関係を築き、そして“わざ”を徐々に引き出していく――修行の旅に出たトレーナーの大半は、与えられた三年という月日ではそれを達成できず日常生活に戻ってしまうことが多い。そこがプロへ繋がる第一関門で、その先にも気が遠くなるほどの試練が待ち構えている。
『オレは強いんだ、最強のトレーナーなんだよ! 愛とか信頼とか……甘えた事言わなくたってな、てめえに勝てるはずなんだ!』
 ワタルはここ二日、シルバーの一件がずっと頭の中に引っかかっていた。伝説のポケモンを手に入れ、ランスと手を組み切羽詰まったあの様相。ナナミから聞いた順風満帆に修行の旅をしているという報告は、彼女に対する虚言だったのかもしれない。ワタルはその立場故に、崖っぷちに立たされた人間を数えきれないほど目の当たりにしてきた。あの時のシルバーの顔つきは、まさにそれだ。
「誰もが成功する訳じゃないが、シルバー君に限っては何とかならなかったのか……あのままじゃ未来を棒に振る」
 縁側に腰を下ろし、膝に乗ってきたウリムーを撫でながらぽつりと呟く。ワタルは文字通り肩の荷が下りて安堵しているカイリューに向きながら話を続けた。
「あのルギア、まるで懐いていない様子だったがどうやって捕獲し、従えさせていたんだろう。一部のジムバッジには主従関係を明確にさせる効果があるけど、湖で技を見た限りだとレベル8のバッジでなんとか指示を聞いてくれそうなくらい強かった。でも、シルバーくんがバッジを八個揃えているとは考えづらいし……」
 バッジがなくともポケモンがトレーナーに畏敬の念を抱けば命令に従うこともあるが、ルギアのシルバーを露骨に軽蔑する眼差しを見るとそれも考えにくい。ワタルにはシルバーが犯罪に加担していると考えるよりはランスに付き合わされているような気がして、やはり彼の保護者であるナナミに連絡を取ってみることにした。
 電話はヤナギ邸の住込み門下生に手配してもらった、代替のスマートフォンだ。使っていた本体と免許端末のデータは水没により残らず抹消されてしまったが、毎晩クラウドバックアップをとっていた几帳面な性格が幸いして、どちらも代替機を用意すればこれまで通り機能する。物珍しい端末を見てウリムー達が腕にまとわりつくのを気に留めず、ワタルはホームボタンを押す。すると左上に表示された文字を見て、彼は目を見張った。
「圏外……」
 朝方通知を確認した際は、アンテナが四本表示されていたはずなのに――もう偶然とは思わなかった。それを決定付けるように、和室の廊下からヤナギの門下生が息急き切って駆け込んでくる。
「ワタルさん、大変です! 今テレビでテロが発生したってニュースがやってて……!」
 テロと聞くなり、ワタルは膝の上でスマートフォンを凝視していたウリムーを脇にどかせ、門下生の後を追う。庭から不安げに主を見送るカイリューの視線を感じ、ワタルは頬を僅かに緩めて言い聞かせた。
「飛ぶ用意をよろしく」
 カイリューは素直に頷くと、縁側に鞍やベルトを装着順に並べ始める。状況が理解できないウリムーらがそれに興味を示して傍に寄ろうとしたが、徐々に漲るドラゴンの覇気を感じてさっと軒下へ逃げ出した。
 一方、ワタルは大型テレビが置かれている居間へ移動し画面に群がっていた門下生達を驚かせながら、流れる映像で状況を把握した。灰色のオフィス街の上空を、報道ヘリに乗ったリポーターが中継している。そのすぐ下、要塞のようなビルから一筋の黒い煙が上がっていた。
『コガネシティ上空から中継です。現在、コガネシティとタマムシシティのオフィス街にある電話基地局にて黒づくめの武装グループが押し入り、ポケモンを使ってビルを占拠している模様。犯人グループが局内の通信機器の設定を書き換えたことにより、今現在インターネット及びモバイル回線が各地で不通、復旧作業が急がれています』
 コガネシティと聞いて、門下生達は一斉にどよめいた。そこは今朝、彼らの師が出向いて行った街だ。
「ヤナギさんは大丈夫だろうか……」
 リポーターの解説によると、ジョウト地方とカントー地方にはそれぞれ大手通信インフラ会社がインターネット及びモバイル電話回線を管理しており、各町に設置された基地局の機器を介して通信が繋がっているが、テログループが押し入ってその設定を書き換えたためあちこちで通信断が発生してしまったという。このインフラ会社が両地方の回線シェア七割を占めるキャリア最大手のため、被害は甚大だ。更にこの大手キャリアはポケモンリーグ管理の免許端末の通信網も提供しており、端末もオンライン操作ができない状態だという。それを聞いて門下生らは次々に端末を確認していたが、圏外の表示を見て直ぐに真っ青になっていた。リポーターは更に追い打ちを掛ける。
『また、こういった事態を想定して他キャリアの通信回線をバックアップ用に用意し、主回線切断後にフォローできるよう設定している企業組織も多数存在しますが、こちらは各地でハッサムやカイロスを従えた武装グループにより、物理的にケーブルが断線される事件が別で発生しており、地方所属の機動隊が出動する事態となっています』
「チョウジでも騒ぎになっているんじゃないか? ヤナギさんは留守だが、こういう時は警察に協力すべきだと常々言い聞かされている」
 リーダー格らしき勇ましい風貌の門弟が、いち早くテレビから視線を離し仲間達に尋ねる。ワタルも頷いた。
「オレも賛成です。プロトレーナーのポケモンはそれだけで大きな力になる」
 その門弟はチャンピオンから後押しを得られるとまでは思っていなかったらしく、たじろぎながらも会釈して仲間達の意志を確認する。未曾有の事態に怖気付いてはいるものの、反発する者は誰も居なかった。そんな中、免許端末の動作を確認していた一人の門下生が歓喜にも似た声を上げる。
「あっ、免許の電波が戻った!」
 皆が一斉にそちらを向いた刹那、彼の端末の画面がたちまちブラックアウトし、中央に赤い文字がじわりと浮かび上がる。門下生は無意識のうちにその文言を口にした。
「“Ball Killer”プログラム実行中?」
 ボールキラーという名称が、ここ一か月近くワタルの中で疑問に残り続けていた事象と結びつく。
「すぐにボールからポケモンを出してください!」
 彼は門下生達をがなり立てながら縁側へと踵を返した。そこで鞍を並べ、神妙な面持ちで主を待つ相棒に「カイリュー、バッグを投げてくれ!」と叫ぶと、彼女は目を丸くしつつ素早くサイドバックを放り投げる。ワタルは紐を掴みながらボールポケットを開け、整然と並べられたボールの開閉スイッチを次々に押していくが、既にその機能は停止していた。
「ボールが開かない……」
 元々免許端末には近距離無線を使ってボールを開く機能があるが、これを悪用して逆の細工を施したのだろう。総監が推測していた通りだ。
 ボールの中に納まったままのドラゴン達が、きょとんとした様子で声を失うワタルの顔を見つめている。その中でもリザードンはいち早く事情を察して悔しげに歯を鳴らしていた。あの四天王のようにはならないでくれ――と、言わんばかり。
「キョウさんはこのプログラムにやられたんだ……」
 無念を滲ませる主を見て、唯一難を逃れたカイリューは息を呑んだ。今、この場で彼の剣となり盾となれるのは自分しかいない。
「ワタルさん、ボールが開かなくなりました! これ、どういうことなんでしょう」
 居間からボールを手にした門下生達が、泣きそうな顔で次々とワタルの元へやってくる。間に合った者は誰もいなかったようだ。これは屋敷のみの事象なのか、それとも広域か――思考を巡らすワタルを遮るように、無人の居間からレポーターの悲鳴にも似た中継が響く。
『ご覧ください! 基地局ビル上空に謎の虹色の鳥が現れました!』
 ワタルはまた反射的に床板を踏み鳴らし、弟子をかき分け居間へ飛び込んだ。灰色の街を覆うような巨大な虹が黒い煙の上るビルを悠々と見据えている。
『あれはまさか……伝説上でしか存在していないと言われていたはずのポケモン、ホウオウ!?』
 レポーターがカメラを忘れ、一昨日のワタルと似たような反応を示した。その背中には青年らしきトレーナーが騎乗しており、更に周囲を騒然とさせる。ワタルはその後ろ姿に見覚えがあった。
「ランス……!」
 この一連の騒動にランスが深く関わっている。その中にはシルバーもいるに違いない。少年の未来が台無しになる前に止めなければ!――答えを出す前に、憤りが身体を勝手に動かしていた。テレビの画面を見て絶句する門下生達の間を擦り抜け、再びカイリューの元へ急ぐ。ワタルは外に置かれたワークブーツに足を通して立ち上がると、縁側に並んでいた鞍を相棒に装着する。それを目にした門下生らが不安げに尋ねた。
「ワタルさん、どこへ行かれるので!?」
「コガネへ行って、ホウオウを止めます。機動隊だけじゃあのポケモンは制御できないかもしれない」
 ワタルは鞍を装着し終えると、革のライダースジャケットに袖を通しグローブを嵌めながらカイリューに目配せする。相棒も既に臨戦態勢だ。騒動に首を突っ込む身分ではない、ただのヒーロー気取りであることは自覚していたが、ここ最近警察と関わり、そのポケモンスキルに疑問を持つ身としてはこのまま見過ごすことはできない。あの中にはシバのスクール生もいるはずで、そこに話を通せばリーグ本部に伺いを立てずともホウオウと戦えるだろう。今の本部の内情なら、きっと文句は言われない。
「我々はどうすればいいのでしょう?」
 手持ち無沙汰の門下生らが、縁側に立ち尽くしたままワタルに縋りつく。トレーナーはポケモンが使えなければただの人、という有り様を如実に現しているような絶望ぶりだ。しかし彼らはその中でもポケモンジムに所属している人間である。この分野に関してなら、元ジムリーダーの同僚の弟子達のように街から厚い信頼を得ているはずだとワタルは考えた。
「チョウジのボールの動作状況を確認してください。町中に被害が広がっていれば、トレーナー達にボールを無理にこじ開けたりしないよう、まずは落ち着くことを伝えて欲しい。ボールが開かないだけで今の所ポケモンに害はないはずです。ジムに勤める貴方がたから説明があれば、きっと町の人も納得するでしょう。それとこの屋敷には放し飼いになっているヤナギさんのポケモンがいる」
 ワタルは軒下からこの様子をこっそりと窺っているウリムー達に視線を滑らせた。彼らは慌てた様子で頭を引っ込める。
「もし貴方がたの指示も聞くようなら、警察と協力して他キャリアケーブル切断犯の対処に動くのも手だと思います。ハッサムやカイロスの鋏は重機並みですから大きな力になるはずだ」 
 もちろん放し飼いされているのはウリムーだけではない。姿を見せていないが、カイリューに圧倒されて裏庭へ避難しているマンムーやユキノオーも存在しているのだ。門下生達は一通りの覚悟を決めている様子だったが、残る気がかりは老いた師である。
「ヤナギさんは大丈夫でしょうか。電話が駄目になってるから連絡が取れなくて……」
「ヤナギさんは免許とは別にボールを開けられるポケギアを持っているから、それが機能することを信じるしかない。コガネへ行った際には警察に伝えておきます」
 他キャリアのモバイルも繋がらない状況でポケギアが使える確証はなかったが、不安を表に出さない佇まいは彼らの希望となった。
「ありがとうございます。よろしくお願いします!」
 それに応えるようにワタルは頬を少しだけ緩めると、軽やかにカイリューの背に飛び乗った。重々しいライダースの裾がふわりと浮き上がる。服装は異なれど、一昨年の開幕戦で一番観客を沸かせた新旧チャンピオン戦を思わせる姿に門下生達は感銘を受けた。
「オレのフルフェイス使います? ピジョット乗りなんです」
 それを見た一人の門下生が軒先に吊るしていた自身のフルフェイスを持って、ワタルに尋ねる。カイリューと同等のスピードを誇るピジョット用のヘルメットならドラゴンにも流用が可能だ。風の直撃を防ぎ、より速度を出すことができる。
「お借りします、ありがとう」
 彼はにこやかにそれを受け取ると、頭に装着して視点を調整する。
 フルフェイスを被り、視界を狭くしたのはプロ入り前以来だった。ポケモンバトルを生業としてから、カイリューは法定速度を守って飛んでいる。イツキやシバが事故に巻き込まれ、病院へ搬送した時も目的地の距離が短かったせいか本来の力は出していない。だが、このドラゴンは十六時間で地球を一周できると言われており、最大でマッハスピードを出力することが可能である。それは昔も今もポケモン乗りのロマンであり、当然ワタルもトレーナーの身体が耐えうる限界まで挑戦したことがあった。
「久々にギアを入れてみようか」
 そう尋ねると、相棒は待ちわびていたように頷いた。ここ最近、試合もなかったから力を持て余しているのだ。小さな翼を羽ばたかせると、庭先の木々が徐々に揺れはじめ足元の白砂利が波打ちながら脇へ転がっていく。初夏の空気を飲み込むそよ風に、門下生達は息を呑んだ。そして龍に騎乗するワタルがクイ、と手綱を引いた瞬間――庭先に旋風が巻き起こり、周囲を吹き飛ばす衝撃波を放ちながら、カイリューが真っ直ぐに上空へと発射された。黄金色の弾道はたちまちコガネ方面の雲間へと消え、後には和室へ飛ばされた門下生達がぽかんと座り込むばかり。庭を囲む生垣は根元からバッサリと切り裂かれ、木々はくの字に曲がって白砂利はこんもりと畳の上に散らばっている。彼らはその惨状をただ言葉もなく眺めていることしか出来なかった。

+++

 昼の一時過ぎ時点で、ヤマブキシティに籍を置く警察組織本部にて全国規模で発生している通信テロの対策本部が置かれることになった。彼らがようやく把握したところによるとコガネ及びタマムシの電話基地局が占拠され、設備を維持したまま通信ルート設定を書き換え実質ネットワークが不通の状態となっている。この通信回線がシェア七割のキャリア故、各地で大混乱を招いており、警察自身も連携が取れず対策が後手に回っている一因だ。また他のキャリアはさらに悲惨で、ポケモンによって強固なケーブルが切断されており、運良く回線が生き残っていたとしてもトラフィックが集中してパフォーマンスが極端に低下している状態に陥っていた。
「ポケモンの休日にポケモンを使ったテロが起きるとは……ロケット団の仕業か?」
 本部を取り仕切る捜査本部長の男が捜査員に尋ねると、三十人近くいる彼らのうちの一人が、立ち上がって掻き集めた状況を報告する。
「基地局に籠城している武装グループやケーブル切断グループは、各町の暴力団です。マル暴が登録を確認していなかった物騒なポケモンばかり引き連れてまして、バックに大きな組織が付いてるのは確かなんですが……それがロケット団だと言う裏は取れていません」
「ポケモンのレベルは?」
「おそらくプロに匹敵するかと。私はセキエイリーグの試合は欠かさず観ているんですがね、シオンでケーブルを焼切ったエンブオーは四天王シバのそれですよ」
 捜査本部長は眩暈を覚えた。彼も同じくリーグを楽しみながら視聴している、それもシバのファンなのであのエンブオーの力量は熟知していたのだ。相性の悪いオーダイルを炎の右ストレート一撃でフィールドへ伏した一戦がありありと脳裏に蘇り、嘆くように息を吐いた。
「SATの手持ちでなんとか互角と言ったところか」
 最近までリーグ本部の支援がなかったことが徒となり、警察のポケモン事情は圧倒的にプロに劣っている。それでも特殊部隊はバッジ七〜八個の腕前があるはずだが、捜査員の続く報告は室内を更に絶望へ叩き落とした。
「それでも怪しいくらいです。ただ、今もあちこちで報告が入っているんですがね……ボールが開かないんですよ、彼らの。警察どころか一般トレーナーも同様の事象が発生しています」
「ボールが開かない!?」
 本部長を始め、捜査本部全体がその事実に騒然となった。彼らは慌てて背広の裏ポケットに仕舞った手持ちのボールを確かめ、そして室内は虚しく鳴るだけのスイッチ音が大合奏を奏でる。
「どうやら武装グループは籠城しているだけでなく、中で通信ルートを書き換えながら街単位で限定的に免許端末網のネットワークを復旧させ、そこにボールをロックさせるプログラムを仕込んでまた通信を切断しているらしく。我々のボールも開きません。今は外に連れ歩いているポケモンだけが難を逃れた形ですが、連れ歩きはトレーナー一人辺り一匹と法で決まっており、この施設内でも戦力になるのは僅かでしょう。相手はプロ級が多勢、状況は最悪ですよ」
「リーグ本部は何をしているんだ! 免許端末を管理しているのはあそこだろう。システムを乗っ取られているのか? 電話は緊急連絡用回線があって繋がるはず――」
 どん詰まりの状況に、いよいよ本部長は待機していた職員らに喚き散らすことしか出来なかったが、ここで一人の捜査員が乗り込んできて、本部との電話が繋がったと殆ど悲鳴に近い速報を入れた。すぐに本部長のデスクに置かれた端末と接続され、会話が捜査員達のイヤホンにも流れてくる。
『やァどうも、警察の皆さん。お勤めご苦労様です』
 その人柄を反映する、ポケモンリーグ本部総監の老練で飄々とした声音だ。 
『お問い合わせいただいたボールの件ですが、お忘れじゃないでしょうね。今日は貴方がたのお仲間公務員さん達がお決めになった、“ポケモンの休日”ですよ。ポケモン達だって連日のバトルで疲れてるんです。抜け駆けする不届き者がいないよう、予めボールをロックしておきましたよ。後で色々問題が起こると面倒ですからね』
 嫌味溢れる口ぶりで捲し立てた後、本部長が反発する前に通話は途切れた。
 
「わざわざ忠告してやるなんて……くうっ、おれってやっぱいい人?」
 デスクの上で胡坐をかくラムダは緊急用の電話を切ると、ソファの前で拘束されている総監に向けてにんまりと下品な笑みを浮かべた。彼はラムダが引き連れてきた二人の部下によって後ろ手に動きを封じられていたが、堪らずに悪態をついた。
「私の声を使うな、下種が!」
「いやァ、だけど似てただろ? これとさっきの旧ボス演技、どっちも変声機使ってないのよ。アカデミー賞モノじゃない?」
 彼は総監のデスク奥にあった緊急用の電話回線が伸びているローゼットから電話線を取り外すと、その場に放置して再びデスクの上に行儀悪く腰掛ける。
 総監がソファの上で拘束されている一方で、秘書は彼女らのデスクの下に乱暴に詰め込まれ、モンジャラの蔦で括られている。周囲には種爆弾が地雷の如くばら撒かれており、少しでも動けば負傷は免れない。総監はこの扱いの違いを見て、秘書は逃げ出さなければそれでよく、自分だけを人質にしたいらしいことを悟った。更に絶望を煽るのは、ラムダが電源を入れたテレビから流れる各地の通信テロの実況である。
 地方ナンバーワンのシェアを誇る通信インフラ会社の基地局が乗っ取られ、インターネットおよびモバイル回線が不通。他キャリアの電信ケーブルは断線。七十年近く生きてきた中でも、このような大混乱は初めてだった。表面的は損害は少なくとも、このデジタル社会においてネットワークの断絶は死活問題である。そして各地から徐々に伝わり、先ほど警察からも問い合わせが入ったモンスターボールの開閉ロックトラブルの報告――これに一番戦慄した。
「本部の免許システムを乗っ取るのが目的だったのか!」
 瞬く間にボール封鎖が拡散している所を見るに、占領されたビル内にある免許システムを有するサーバを操作しているに違いない。
「それだけなら遠隔操作でどうとでもなる。ワタシの口上を聞いてなかったのかよ?」
 ラムダは軽やかにデスクから飛び降りると、総監の元へ歩み寄り、間髪を容れずにその頬へ蹴りを入れた。総監自慢の白い口髭が埃に汚れ、彼は鋭い悲鳴を上げながら床へ倒れてうずくまる。呻く鼻先を踵で小突きながら、ラムダはえらく威圧的な声音で総監に言い聞かせた。
「“俺”達はてめえを殴るためにここへ来たんだよ」
 ラムダの冗談めかした雰囲気が消え失せた、首筋に刃物を突きつけるような剣幕に総監は言葉も出ない。歯を食いしばって死さえ覚悟したが、開け放した出入り口からした女の声がそれを一旦引き止めた。
「人質を甚振るのはやめなさい。そいつはまだ使うのよ」
 ヒールを鳴らす音がして、タイトな白いワンピースを着た赤毛の女が現れる。銃火器を手にした十数名の黒ずくめの部下を引き連れ、更にその後ろには両手を拘束され目隠しした役員ら十名も引き連れていた。秘書に呼び出される直前まで、総監と会議をしていた面々だ。彼らはマシンガンの銃口で小突かれながら、秘書のオフィスの壁際に並んで座らされていた。その中にはスタジアム支配人のマツノも混ざっており、一際身体を震わせ慄いている。総監はその様子をソファの下でぐったりと見つめながら、何もできない無力さに唇を噛んだ。
「アテナか。準備は終わったのか?」
 ソファの背にもたれ掛りながら、ラムダはアテナと呼んだ女に尋ねる。この二人は黒づくめの構成員らとは服装も風格もまるで異なっており、幹部クラスの人間であることが予想できた。アテナは素っ気なく頷く。
「ええ。まだボールキラーの後処理が終わっていないから、ツーが四十五階のサーバルームにいるけど。そのうちここへ来るでしょ」
 それを聞いたラムダが背中を逸らしながら、ソファの奥で動けないままの総監へ目を向ける。
「良かったじゃん、総監。ミュウツーと涙のご対面だよ! そうそう、生みの親のフジはどこだ?」
 すぐにアテナが切り返す。
「そいつはタマムシの会議に出席して、ここにはいなかった」
「なんだそりゃ。間が悪い」
 ラムダは舌打ちを響かせ、そっぽを向いた。
 この悪夢のような状況で、あの『負の遺産』と対面しなければならないのか――総監はいよいよ終焉を予感した。拘束前に握り締めていたギャロップのボールはラムダに蹴飛ばされ、部屋の隅に転がっている。どの道ボールは開かないし、抵抗の意志はすっかり削ぎ落とされていた。
 擦り切れた頬の蹴り跡がじわじわと痛みを増し、押し黙って耐えていると、黒づくめの構成員達に強引に肩を持ち上げられ、総監はソファの前に立たされる。エレベーターホールから足音が響いて、新たな来客が訪れたことを理解した。七十階がこれほどの大所帯になるのは本部移転後初めてかもしれない。いよいよミュウツーのお出ましだろうか。総監は後ろ手に拘束された両手をぐっと握り締め、悪夢との再会に備える。そしてやって来たのは――
「どうもご無沙汰しています、総監。八年ぶりですかね」
 よどみない人間の声音を紡ぐ、中折れ帽を被った黒いコートの男。
 それは総監にとって、また別の悪夢だった。彼はこれまでの黒づくめより一層物々しい風貌の部下達を率いて総監に会釈すると、傍にいた細身の男に帽子を預けて薄手のコートを脱ぐ。後ろに撫でつけた艶やかな黒髪に、背が高く、ピンと背広が張った比較的大柄で筋肉質の肉体はあの頃のままだ。彼こそ元トキワシティジムリーダーにして、このビルを占領したマフィア組織ロケット団の首領、サカキである。
「リーグ本部は業績順調、景気が良い様で。ま、立ち話もなんですし、そこに座りましょう」
 彼は自社にやってきた懇意の取引先を案内するように、気兼ねなく向かいのソファへ腰かける。無理やりソファの後ろに立たされていた総監は、その不自然にくだけた対応に血の気が引いた。膝ががたがたと小刻みに震えて爪先すら動かせないでいると、黒づくめの一人が総監の首根っこを掴んで無理やりソファへ座らせる。サカキは眉一つ動かさずに話を切り出した。
「先にうちの幹部が話したでしょう。こちらの要求はあの通りだ」
「マフィアの資金源になれと」
 毅然と強がる総監をからかうように、ソファの後ろに立っていたラムダが彼の声真似をする。
「“ミュウツーの件、好きにばら撒くがいい。脅しには乗らん! 私は責任を取る覚悟はできているし、セキエイ地域はとっくにリーグ本部の権利だ。この栄光の舞台は私の首が飛んでも貴様ら三流ヤクザ共には渡さんぞ!”――って、断られましたけど」
 ボイスレコーダーを流しているような再現度に総監は肝を潰したが、その言葉に偽りや虚勢はなかった。
「そ、そうだ……この組織を渡すものか! ボールをロックするなんて荒業、事態が収束してもリーグ本部は責任を追及されるだろう。これだけ大事になれば政府が介入した改組だってありえる。そこにマフィアが入り込める隙があるものか。シルフの失態で学ばなかったのか?」
 ロケット団は三年近く前、同じようにシルフカンパニーを占拠するも今や伝説となっている少年トレーナー・レッドのポケモンによって計画は失敗に終わってしまったのだ。その反省を踏まえてボールのスイッチを施錠したのかもしれないが、後々を考えるとこの計画も短絡的だ。サカキは膝の上で両手を組みながら、悠々と返す。
「いやはや、相変わらず我々を舐め腐っておられるようで。こちらとしては首を挿げ替える手間が省けてちょうどいい。是非、責任を取って辞任していただきたい。その後釜には元弟子を据えたかったが、寝たきりじゃ仕方ない」
「まさかキョウくんを刺したのは……」
「さあ、分かりかねる。まあ、見栄えする者なら誰でも構わん。そこはさして重要ではない」 
 彼は大地のように揺るぎ無い貫録を見せつけながら、少しも表情を崩さない。彼は世襲が常識だったジムリーダー時代、冷やかな目を向ける周囲を気にせず淡々と頭角を現してその頂点に上り詰めた男であるが、目を掛けていた一番弟子さえ一言で切り捨てる冷酷さに身震いがした。
「こちらはモンスターボールを永久に封印することも可能なんですよ」
 彼の傍にいた幹部らしき細身の男がやんわりと総監を急き立てる。
「そんなトラブルのために、“鍵屋”がいるんだ」
 総監は浮かんだ言葉で反発した。一般的な鍵屋はあらゆる鍵のトラブルに対応できるだけでなく、故障したモンスターボールを分解して中のポケモンを救出する技能を持っている。
「“ボールキラー”プログラムは、スイッチ以外の方法でボールをこじ開けようとすると中を無酸素状態にしてポケモンを窒息させるよう設定済みです。既に何十匹も獄死してるでしょうね」
 細身の男――アポロは笑顔で総監に絶望被せる。恐ろしい速さで追い詰められていく中、総監はふいにワタルに依頼した用件を思い出す。緊急時にボールを開く、ポケギアの存在だ。あれを使ってボールを開くことができるのではないか? 僅かに明るくなった総監の表情をサカキは見逃さなかった。
「勿論、ポケギアの対策も万全だ」
 彼は穏やかに総監を奈落へと叩き落とす。

+++

 グリーンの苛立ちは限界に達していた。
 カントー・ジョウト合同会議前の勉強会などまるで頭に入らず、会議テーブルの端で一人貧乏揺すりしながら一分おきにスマートフォンのホームボタンを押していたが相変わらず画面に何らかの通知が表示されることはない。この会議室は元々何かに干渉されて電波が弱く、ギリギリアンテナ一本確保しても少し動かした拍子に圏外になることもままだ。それだけでも腹立たしいのに、会議テーブルの向こうで繰り広げされている、先輩リーダーのマツバと何故か勉強会に招待された四天王の下らない掛け合いが苛立ちを煽る。
「三角関数なんてこの先何の役に立つんだろ。頭痛いからIQ五千もあるディンに解いてもーらお。ってか数学ダルいから全部ディンでいいや」
 イツキは問題集を読まずに脇へどかし、テーブルの下でフーディンのボールを取り出したが、すかさず足元で見張っていたネイティオがそれを制した。念力が主の利き手をテーブルの上に戻し、隅へ転がしたペンを動かして指へ絡ませる。これには講師役のマチスも苦笑いだ。隣に座っていたマツバは憤慨する。
「お前、さっきからそればかりだな。前の英語だって聞く耳持たないし、何のために来たんだよ!」
「ヤナさんに顔見せに来ただけ。あとフジさんがスピーチしろって。急に勉強押し付けられてもできないよ」
 イツキは握らされたペンを一切動かさずに抵抗しながら、部屋の隅でエリカやフジと話し込んでいるヤナギをちらりと覗き見た。彼は一言挨拶を交わした後は、ずっとあんな調子である。後ろの時計によると会議まであと十分と迫っており、このままではろくに会話もできず終わってしまいそうだ。
 時計を見てやきもきしているのはグリーンも同様である。広々とした会議室には副総監と数名の部下、そして東西のジムリーダーが集まっているが、その数は自分を含めて十五名。あと十分で会議が始まるというのに、一人遅れている者がいるのだ。その上勉強会にもやって来ず、連絡もない――遅刻者の師であるグリーンは憤りが頂点に達し、ペンをへし折ってしまいたい衝動に駆られた。
「勉強進んでないぞ、グリーン師匠。そんな調子じゃ、タマ学の弟子に抜かれちまうぞ」
 彼の師であるタケシが傍にやってきて、弟子を窘める。グリーンは不服げに唇を尖らせた。
「あいつ、突然電話を切りやがった後は全く連絡をよこさないんですよ。最近サッパリ音信不通のレッドといい、何だよどいつもこいつも自分勝手だな……」
 と、乱暴に机を叩くと傍にいたミカンがびくりと肩を跳ね上がらせ、グリーンは慌てて小さく頭を下げた。その様子を見て、タケシは笑いを堪えるのに必死だ。弟子は二カ月ほど前からアンズの面倒を見るようになって一層リーダー業に張りが出たようだが、癖のある性格故に友人が少ないせいかプライベートまで何かと弟子を気に掛けている。特に最近は父親がずっと入院している彼女が心配で仕方がない様子で、このビルに入館前も少し早く来るようにと連絡を入れようとしていた。それは多くの不安を抱え込んで気を張っている弟子を少しでも孤独にさせないための気遣いなのだと、タケシは見通していた。
「ポケギアを使って連絡してみたらどうだ? コレは緊急用だから携帯が圏外でも使えるぞ」
 彼は傍に置いていたバッグの奥から、手のひら大のやや古めかしい端末を掲げる。弟子はそれを生まれて初めて見るかのように、きょとんと目を丸くした。予想外の反応にタケシは狼狽える。
「おいおい、グリーン君。君がオレに師事した時、初めにこの端末の事説明したよなぁ?」
「聞いてませんって。就任時に支給はされたけど……」
 グリーンは慌てて背もたれに置いていたボディバッグのポケットから同型の端末を取り出すと、ジムリーダー就任から初めてメニュー画面を操作し、まっさらな電話帳を師に見せつけた。
「ほら、誰の番号も登録されてない」
「ま、端末が古すぎてオッサン連中しか使ってないからな……」
 タケシは自身の説明不足をはぐらかすように、会議室の隅で何かを討論しているヤナギやフジ、それにとりえず混じっているカツラを一瞥する。その輪の中には同期のエリカも居た。
 ポケギアは十年ほど前まで本部が支給し、一般トレーナーにも広まっていた情報端末だったのだが、その後スマートフォンの普及とその機能を模した免許端末の所有に切り替わってしまい、すっかり過去の遺産となってしまっていた。通信網が免許端末と異なるとかでジムリーダーだけには緊急用の端末として支給され、所有義務が課せられているが若いリーダーは殆ど触れずにいる現状である。タケシもポケベルがフードコートの呼び出しくらいでしか使われなくなったようなものだと見くびっており、グリーンに使い方を説明することを忘れていた。しかしエリカは違うようで、いつもスマートフォンの隣に並べて会議に参加している姿を目にする。それは彼女の師がジムリーダーだった頃、同様のスタイルを貫いていたことに影響されているのかもしれない。議事録用のルーズリーフの傍に、スマートフォンとポケギア、ボイスレコーダー。守りの固いポケモンを三匹並べているような念の入れようだった。そんなに気合を入れなくたって――そんな事を思っているうちに、彼女とはトレーナーとしての実力以外の部分で、ジムリーダーとして大きく水をあけられてしまった。
「エリカ達はポケギアの件で何をあんなに話し込んでいるんだろ。こんなもん、所持義務がなければただのお荷物なのに」
 タケシは悔しさを擦り付けるようにポケギアを睨んだ。つい先ほどエリカに何の件でヤナギと話しているのか尋ねたのだが、ポケギア、と一言素っ気なく返されて終わってしまったのだ。カントー・ジョウトリーダーの伝説的存在ヤナギに同期が接近している姿を見るだけで酷い焦燥を覚えたが、弟子はそれを気にすることなく慣れないポケギアをいじっていた。
「これ赤外線も“ふるふる”も付いてないんですね。アンズの番号分かります?」
「端末は基本的に使い回しだからさ、昔登録したキョウさんの番号で繋がるはずだ。読み上げるから電話帳に入れとけよ、えーと……」
 タケシがゆっくりと三桁目まで読み上げた時、会議室に一つだけある出入り口が乱暴に開かれた。その場にいた者が、一斉にそちらへ視線を向ける――小型マシンガンを携えた黒づくめの男達が十名現れた。
「会議中お疲れ様でーす。ちょっとお邪魔しますね!」
 いち早く状況を察知したのは、退役軍人のマチスだった。彼は数学の参考書を放り投げ、ベルトに装着していたモンスターボールを手にする。しかし異変を感じて顔を歪ませた刹那、室内に銃声が響いて彼は床に崩れ落ちた。女性リーダーの悲鳴が響いて、机に向いにいたイツキは目を見張る。
「“ランボー”だけ潰しときゃあ、後は女子供とジジイだけだぜ」
 主犯と思しき男が弾丸が発射されたばかりのオートマチック銃片手に黄ばんだ歯を見せた。イツキの傍にいたマツバがこっそりとポケモンを召喚しようとするが、開閉スイッチを連打している間に銃口を向けられ硬直する。どうやらボールが開かない状況になっているようだ。
「ご自慢のポケモンは使わせねえぞ。さあ全員テーブルの上にポケギアとボールを置いて、部屋の隅へ移動しな」
 プロ中のプロであるジムリーダーと言えども、ポケモンが使えなければただの人――諦めたリーダー達が悔しげにその指示に従い、膝を抱えてうずくまるマチスを心配そうに見つめながら部屋の隅に移動した。何せ十人の武装者が握る引き金を弾けばジムリーダーはたちまち蜂の巣になるこの状況、入り口付近にいたグリーンさえも舌打ちしながら抵抗を見せない中、テーブルの下にネイティオを忍ばせたままのイツキだけは呆然と立ち尽くしたままだ。
 ボールが開かない事態はキョウが巻き込まれた事件を彷彿とさせる。こんな偶然が重なるはずないと、イツキは確信した。やはり自分に危機が回って来たという恐怖と、懇意にしてくれた同僚を傷つけた憤慨が反発し合い両足が床に吸い付いて離れない。友人のマツバが真っ青になってこちらへ来るよう何度も手招きしていたが、まるでネイティオに金縛りを掛けられたように動けないのだ。いつまでも立ち尽くしていては状況を更に悪くする――息を呑むジムリーダー達の不安の方向を変えるように、一人苦しむマチスの盾になりながらヤナギが前に歩み出た。
「要求は何だ」
 彼はそれだけ尋ね、武装グループのリーダーをねめつける。男は嬉しそうに黄色い歯を見せつけた。
「察しが良いねえ、さすが最年長。要求はシンプルだ。ポケギアの緊急ボール開放システムにアクセスしろ」
 男はそう言うと、肩に掛けていたショルダーバッグからノートパソコンを取り出してテーブルの上へ滑らせた。
「その件に関しては、こっちでシステムの洗い出しをしていた所だ。保守管理はほぼ委託業者任せ、関与していた人間がほとんど忘れている。その古い機種を見れば分かるだろう。我々では対応しかねる」
 ヤナギはテーブルの上にまとめられたポケギアの山を一瞥しながら、毅然と反発する。
 ポケギアの用途はジムリーダーのみに限定されているため、リーグ本部が経費を出し渋って機器のモデルチェンジを行っていなかったのだ。実際この端末が使われることは殆どないし、若手リーダーはその使い方さえ覚えようとしない現状だったのだが、ワタルが詳細を伝えてくれた四天王殺傷事件によってその用途は見直されようとしていた。
 リーダー格の男が部下に目配せした途端、マシンガンを携えた屈強な構成員がリーダーの集団の中にいた、最も華奢で小柄なミカンを無理やり引っ張ってヤナギの前に付きつける。
「なら切羽詰まれば思い出せるんじゃねえの、クソジジイ」
 マシンガンを押し当てられ涙ぐむ少女を見て、揺るぎ無い振る舞いをしていたヤナギの顔がたちまち歪む。リーダー格の男はそれを満足げに確認した後、硬直しているイツキを睨んだ。
「そこで棒立ちしてるビビリな四天王様も、机の下に隠してるネイティオを不要に動かすんじゃねえぞ。さもなきゃカワイコ子ちゃんの顔が吹っ飛ぶぜ」
 イツキは何もできなかった。
 この場を救うべきは唯一ポケモンを外に出している自分だというのに、未曾有の状況下においてはどう動けばよいのかさっぱり分からなかった。日頃、多くの観客を前にヒーローを演じているのに――舞台から降りてしまえば、ただの子供だ。

鈴志木 ( 2014/10/23(木) 19:58 )