第7話:夢を掴む少年
二次選考から約2週間半経過し、候補者60名が20名に絞り込まれ三次選考が実施されることになった。
三次選考はポケモンの捕獲試験である。指定されたポケモンを見つけ、キャッチ&リリース。猶予は1週間で、トレーナーの捕獲スキルが試される。モンスターボールは本部支給の特殊なモデルで、レコード機能が付いており、捕獲した瞬間データが本部へ転送される仕組みだ。
捕獲対象のリストを貰ったワタルは、どれも伝説級の遭遇率の低さに驚愕する。あまりに捕獲率が悪い場合はこれまでの試験内容で選定するとオーキドは言っていたが、『一流のプロには運も味方する』と笑っていた。
さて、ワタルの親友シバは火の鳥ファイヤーが指定されており、激励のため練習場へいくと、予想通り彼は地図と激しい睨み合いを繰り広げていた。
「ファイヤーって、大丈夫か?オレも見たことないんだが」
ワタルはテーブルを回り、シバの反対側の席に腰を下ろした。机の上は、雑誌や新聞が散乱しており、ファイヤーの情報を収集しているらしい。
「セキエイ近くの洞窟にいる、という話は聞いている。この辺りを重点的に捜すさ」
「捕獲できたら、十分な戦力のになるだろうに。勿体無い試験だよな」
その一言に、シバは色を成して反発した。
「おれは格闘と岩しか使わん!それがポリシーだ!ファイヤーなど、断固として……」
「はは、相変わらずだな。くれぐれも、火傷しないでくれよ。……ほら、これ」
そう言って、ワタルはテーブルへ餞別の火傷治しを3個置いた。
「こんなもの、使わん!」
「備えあれば憂いなし、さ」
避けようとするシバの腕を止めると、ワタルは一笑した。
+++
古都エンジュシティのポケモンジムの前に、砂利を蹴散らしながら赤いリトルカブが停まる。大きなサングラスをかけた小柄な運転手は、派手な星柄のヘルメットを外すと、そのまま玄関へ直行し入り口の扉を開いた。
「マツー!マツいるー?」
彼はスニーカーを脱ぎ捨て、古風な内装のジムへ勝手に上がりこんだ。訓練に励んでいた老人トレーナーたちが一斉に原付ライダーの少年に注目すると、途端に破願一笑。
「あらー、イッちゃんじゃないのー!」
「元気だったー?相変わらず、トレーニング頑張ってる?」
老人たちは次々顔を綻ばせ、少年に近寄ってくる。彼もまるで祖父母に可愛がられる孫のように、機嫌よさそうに微笑んだ。
「うんー、この間フスベへ行って訓練してきたよ。……ところで、マツは?」
「奥で事務作業してるのよ。呼んでくるわね!……あ、イッちゃんお饅頭食べる?美味しいのよー」
「食べる食べるー」
少年は子犬のような笑顔を振りまきながら、元気よく頷いた。差し出された座布団にちょこんと座り、ポケモン免許をいじくりながら饅頭片手に待っていると、奥からジムリーダーのマツバが現れた。金髪で長身痩躯の好青年。子供っぽい少年とは対照的だ。
「なんだよ、イツキ!俺はジム始めたばかりで忙しいんだよ」
「話はすぐ終わるから!……あのさ、この間スイクン見たって言ってたでしょ?あのデータ、僕にも分けて」
「はぁ〜?横取りは許さん!」
マツバは不愉快さを露わにしながら少年――イツキに詰め寄った。
「横取りなんてしないよ。捕まえて、逃がすだけ。お願いっ!」
イツキは勢い良く両手を合わせ、友人に頭を下げた。
この二人、同じ15歳のトレーナー仲間である。一度として同い年に見られたことはないが、それなりに仲が良く共に訓練をすることも多い。今年マツバはジムリーダーに、イツキもつい数か月前にジムバッジを8個揃えることができた実力者だ。
「それ、意味あるのか?無駄な捕獲をしないって悟り開いて鳳凰会のメンバー入りしたの?」
「違うよ、四天王試験!」
「えっ、お前二次受かったの?14勝5敗とか微妙な成績だったのに…」
「うるさいな、通ったもの勝ちでしょ!?……で、三次がポケモンの捕獲なワケ。スイクンを今日から1週間以内に捕まえてこいって。だからさ、マツのデータ借りたくて。GPSチップ付けられたんでしょ?」
軽々しく口にする友人に、マツバは苦い顔をする。逃げ易いポケモンの位置情報を把握するため、マイクロチップを埋め込む銃型の装置があるのだが、彼は苦労してスイクンにそれを撃ち込むことに成功した。スイクンという伝説のポケモンを捕獲することはマツバはもちろんのこと、ポケモントレーナー達の永遠の夢である。彼の別の友人には、それを捕獲するために人生を賭けている者もいる。
「……てかなんで、急に四天王なんか目指してるんだよ。この間まで、バッジ揃えてチャンピオンになるって言ってなかった?」
「そ、れ、は!僕がセキエイに挑もうとしたら、あのチャンピオンが不祥事起こして四天王解散しちゃってさ……そしたらワタルが就任したでしょ?四天王から、チャンピオンだよ?すごい経歴じゃん。僕も負けたくなくて」
「いや、アレ繰り上がりだろ?散々マスコミに叩かれてるじゃん。かわいそ……」
マツバは同情するように息を吐いた。新チャンピオンはやり過ぎというほど毎日のようにバッシングされており、同じプロとして哀れに思えてくる。しかし、ワタル本人はあまり気にしているようには見えないのだが。
「ワタルは僕のライバルなんだよ!ドラゴン率いてカッコつけて、子供の憧れのヒーローでさ……。僕もあんな風に――……あ、いや。とにかく、ワタルを倒すのは僕の目標なんだよ。だから、経歴もワタルに負けたくないの!」
イツキは勢いよく立ち上がり、一通り捲し立てた。
5年前にテレビで四天王ワタルの試合を見て、一目で夢中になった。自分もあんな風に、カッコいいヒーローになりたいと思い立ったその足で免許を取りに行き、修行の旅に出た。そして現在、実力は十分につき、ボックスに届いた案内状。ポケモンセンター内で狂喜乱舞し、周囲の空気を凍りつかせたものだ。
もう15歳というのに未だヒーローに憧れ、目を輝かせて夢一直線のイツキを見ているとマツバも断る気が引けてくる。
「……分かったよ。データやるよ」
「マジ!?」
イツキは相好を崩し、マツバに詰め寄った。
「近いっ!!……ほら、ポケ免貸してみろ。赤外線で送るから」
「ありがとう、友よ〜っ」
大げさに目を潤ませながら、イツキは友人に免許を差し出した。マツバはむくれながらデータを送信する。
「言っとくけどな、こんな他力本願だと四天王になんか絶対なれねーぞ!万が一、天文学的確率でなれたとしてもお前みたいなの、すぐ躓くに決まってる」
「そんなこと分かんないよ。夢を追う者はどんな障害も乗り越える!」
イツキが大げさに右手を振り上げた瞬間、電子音がしてデータの送信が完了した。スイクンはコガネシティ南部の34番道路を示している。
「近い!すぐ行かなきゃ!……ありがと、マツ!見ててよ、これでさくっと捕まえてさ、僕がセキエイを救うヒーローになる!」
ワタルのシルエットに《DREAM CATCHER》と描かれたステッカーが貼られた派手なヘルメットを見せつけながら、イツキは屈託のない笑顔を浮かべる。とても楽しそうに夢を語る彼を見ていると、マツバもあまり口出しできなかった。
(夢を叶えるチャンスの順番が来たってことかな、こいつにも……)
そう考えると、マツバも何となく友を応援したい気持ちになった。
老いた弟子たちに見送られながら、イツキはリトルカブでジムを去っていく。相変わらず行動は早い。
バイクを飛ばして34番道路へ向かったが、時すでに遅し。到着して免許を開いた頃には、スイクンはフスベシティ近辺まで移動してしまっていた。
「あーあ……」
空は薄暮が迫っており、今から移動する気力も湧いてこない。彼は相棒のネイティオ♂をボールから出すと、荷台に留まらせてため息をついた。
「カブごと飛べないよね?」
ネイティオは、表情ひとつ変えずかぶりを振った。
身長1.5メートル体重僅か15キロの彼が、小柄とはいえいっぱしの少年と80キロ近くあるバイクを掴んで飛べるはずがない。
「そんなに甘くないかー。でもさ、居場所が分かるようになっただけでも、進歩かな!いいスタート切ったぞ〜っ!」
前向きな主人にネイティオも頷く。
「じゃーもう暗いし、コガネのネカフェに泊まろ!あそこのトレーナー宿はどこも混んでるしね。ネットもできるし本も読めるし、ネカフェの方がいいよねー」
その話を聞いて、ネイティオの眉間にやや皺が寄る。いつも彼は主人の抱き枕にされているのだが、ネットカフェの個室は狭い上にそもそもソファで寝るため、大変にストレスなのだ。しかし持ち前のポーカーフェイスではそんな不満はイツキに伝わらない。コインパーキングにカブを駐車し、ネットカフェのナイトプランを選んで個室に入ることになった。シャワーを浴びて簡単な食事を済ませると、イツキはポケモンの専門誌を大量に持ち込んでスイクンの情報を調べ始める。備え付けのPCも利用した。
「スイクンが現れるときは、北風が吹くんだってさー。ふーん……。何か好きな食べ物とか、匂いとかないのかな」
ぱらぱらと雑誌をめくっていると、ゴシップのページが目に留まる。
『新チャンピオン、メディア露出なし。逃亡か!?』
『四天王情報一切明かされず!候補者不足との噂』
根も葉もない記事に、イツキは顔をしかめた。
ワタルが殆どメディア出演していないのは確かだが、それはきっと裏で訓練をしているためだ。選考試験もこの通り、三次まで行われている!彼はなるべくいい方に考えるが、憧れのトレーナーを蔑ろにされ、腸が煮えくり返る思いだった。
「ひどいよね、ちゃんと確かめもせずこんなこと書いてさ」
ネイティオのくちばしの前に雑誌を突き付ける。文字が読めない相棒は特に反応しない。イツキはため息をつきながらソファに寝転がると、ポケモン免許を開いてスイクンの位置情報を確認する。GPSはヨシノシティ西部を示していた。
「……ヨシノシティかぁ」
バイクを飛ばしても半日ほどかかる。
「運だよねぇ、これ。ヤマ張ろうかな。コガネ近辺を拠点にして、近くに来たら追いかけよう!ネオも予知で教えてよ?」
ネイティオは未来が予知できると言われている。相棒は静かに頷いた。
+++
翌日。
イツキは朝からアサギシティに向けて出発することにした。スイクンはワカバタウン辺りにいるので、適当に動いて近くに来るのを待つ案だ。荷台にネイティオを乗せ、スピードを落として周囲を気にしながら走るが、現れる気配すらない。
コガネから少し行った場所に自然公園がある。イツキは一旦降車し、バイクを押しながら公園を横切ることにした。ふと、広場でイベントが行われているのが目に入る。
(鳳凰会だ……)
それは前四天王カンナも支援していることで有名なNPOのポケモン保護団体である。エンジュを拠点としており、『神聖なポケモンを無益なバトルから守る』というシビアなスローガンを掲げているのでトレーナーからはあまり良く思われていなかった。実際、イベントに集まっている客はまばらだ。
ステージ上では、精悍な顔立ちの青年がスピーチを行っていた。
『皆様!ポケモントレーナーの平均ポケモン所有数をご存じですか?その数、50です!これはあまりに多すぎる数字です。いいですか、この世界には人間の半分程度しかポケモンはいないと言われており、それらを乱獲することなど、あってはならないことです!いきすぎたバトルもよくない!これはもはや虐待だ!トレーナーのセキエイ信仰などはその最たる例であり……』
熱がこもった演説とは対照的に、周囲からは次々に人が去っていった。その殆どが彼に非難されているポケモントレーナーだからである。多くのトレーナーの目標は、様々なポケモンを集め共に切磋琢磨し、ポケモンマスター、――つまり、四天王やチャンピオンを目指すことにある。実際、イツキも不満そうに聞いていた。
「えー、セキエイを目指すのはみんなの夢だよ。仲良しこよしなんてつまんないよねえ……?」
イツキが文句を言いながらネイティオを向き、ふわりと風がなびいた、その時。
ネイティオの身体が電撃が走ったように震え、そのミステリアスな瞳が鈍く輝いた。何の情報をキャッチしたのか、イツキはすぐに察しがつく。すぐに免許を開き、GPS情報を見るとスイクンの居場所はこの公園を示していた。居所はすぐそこ――人々がどよめく先、ステージ後ろの草むらが青い輝きを発している。
「……いた!」
イツキはリトルカブを放り出すと、ネイティオと共にその場所へ疾駆する。柵を飛び越え、草むらへ着地した。まだ日の登りきっていない太陽に照らされた、神秘的で光彩陸離なその姿にイツキは思わず息を飲む。眼前に、聖獣スイクンがいるのだ。突然すぎる登場に手が震えたが、ネイティオの視線を感じてすぐに指示を出した。
「……ネオ、シャドーボール!!」
ネイティオはすかさず翼を広げ、闇の波動を解き放った。技は見事命中したが、スイクンはすかさず体勢を立て直し、ネイティオをねめつける。戦う気にさせた?いけるか?イツキの脳裏にそんな考えが浮かんだ時――「君!何をしてる!やめないかっ」ステージから先ほどの青年が飛び降り、対峙する二匹の間に割って入ってきた。
「邪魔しないでよ!」
「かの聖獣スイクンを目の前にして、捕獲なんて下劣な真似をするなど何事だ!スイクンは世界の財産だぞ」
青年は眦を決し、怒鳴り散らした。だがこの捕獲に四天王加入がかかっているイツキは、臆することなく反発する。
「手持ちにする気はない!僕の夢のためにスイクンを捕まえる必要があるだけで……っ」
言い争いをしている隙を見て、スイクンは呆れるような顔をすると、風のように去って行った。余韻のように草むらが虚しく揺れる。
「逃げられちゃったじゃん!どうしてくれるんだよ!」
イツキが地団駄を踏んで悔しがると、青年は学生を諭す教師のような顔つきで言明する。
「君は間違っている!スイクンを捕まえることなど言語道断、攻撃することも本来許されないことなのだ!」
「そんなルールないじゃん、アンタが勝手に言ってるだけだろ。自己満を押し付けないでよ!」
怒り心頭のイツキをネイティオが掴み、無言で柵の外へ連れて行こうとする。『こういうのは話すだけ無駄。分かり合えない』とでも言うかのようだ。事の顛末を見ていたトレーナーの野次馬たちは、冷めた目で青年を睨んでいた。険悪な空気を察し、青年は思わず狼狽えながらイツキに問いかける。
「オ、オレが間違っているというのか?」
「うるさいなっ、ポケモントレーナーだったらポケモンを捕まえて戦わせて、ってのは当然じゃん。ポケモンだって戦わせないとストレスになるしね!そんなの当たり前のことなのに、トレーナーに『バトルは駄目、捕獲も駄目』って説いても誰も頷かないよ。バーーーカ!」
イツキは青年に向かって舌を出すと、柵を飛び越えてバイクまで駆け寄り、さっさとその場を立ち去った。
他のトレーナー達も、その言葉に頷きながら次々と散っていく。やがて、青年の周囲は数名のNPOスタッフしかいなくなった。
「ランスさん、気にすることないですよ。我々は我々で、活動を続けましょう。心配しなくても、ランスさんはポケモン達のヒーローなんですから!」
スタッフが彼を気遣って慰める。
「あ、ああ……」
しかし、青年――ランスは呆然とその場に立ち尽くしながら、ふと腰のベルトに装着しているモンスターボールを一瞥した。ボールの中でもう何年もバトル機会に恵まれていないポケモン達が一斉に彼から目を背ける。胸が締め付けられる気がした。
+++
結局その日、イツキは公園以外でスイクンに出会うことはできなかった。
苛立ちを抑えることができず、夕食はコガネシティのファストフード店で暴飲暴食。すぐに腹痛に見舞われネットカフェの個室で悶絶する。薬を飲んで痛みは落ち着いたが、怒りの火はまだ消えない。
「うー……最悪、最悪ー!!」
ソファを蹴りながら喚いていると、両端の利用者から壁を叩かれた。イツキはすぐに大人しくなる。
「あいつ、なんなの?ポケモンってさ、戦ってナンボでしょ?ネオも、もっともっと強くなりたいでしょ?」
ソファの肘掛けに留まっているネイティオは黙って頷いた。念のため『私の場合は、ですが』と付け加えたいが、主人に伝える術がない。
「もう二日無駄にしちゃった……。あと五日で会えるかなぁ」
天井を見上げると、蛍光灯の光がいつになく眩しく感じられた。じりじりと近寄る焦燥感。バッグからアイマスクを取り出し、現状を一時的に忘れるかのように目を覆う。
しかし、逃避しても時間というのは残酷に過ぎ去っていくもので、イツキはスイクンと出会えないまま遂に最終日を迎えた。
ここまでヤマを張り続け、コガネを拠点にあちこち足を延ばしていたが一向に出会える気配がない。日に日に強まっていく焦燥から来る身体の震えは、ピークに達していた。
前日は全く眠れず、免許を一晩眺めて過ごしていた。スイクンはワカバタウンへ飛んだり、かと思えばイツキの地元タンバシティにいる。
(僕もワタルみたいに、カイリューとか空を飛べる大きなポケモンがいれば……)
育成が難しいカイリューやリザードンをすぐに入手することは困難だ。何度悔やんでも即対策は打てない。あれこれ思いを巡らせているうちに、夜明けを迎えた。時刻は朝の5時。隣で寝ているネイティオを起こし、簡易な栄養食品で朝食をとってネットカフェを出る。彼はコガネの朝の空気を吸いながら、コインパーキングにバイクを取りに向かった。
「今日はアサギに行ってみようと思う」
ネイティオは荷台に留まりながら、静かに頷いた。
「最後だから、悔いのないようにしないとね!徹底的に、探すぞ!」
威勢よく言ったものの、ハンドルを握る両手はひどく震えていた。認めたくないが、自分は泣きたいほどに絶望している――サングラス越しの視界が次第に霞んでくる。唇を思い切り噛み締めると、背中を軽く小突かれた。振り向くと、ネイティオがまっすぐな瞳でイツキを見据えている。
「……」
言葉は通じないが、何を言いたいのかは分かる。
「うん、行こう!」
イツキは白い歯を見せ、ヘルメットを被ってエンジンをかけた。朝の柔らかな陽光に《DREAM CATCHER》のステッカーが反射して煌めいた。
ハンドルの前に免許端末を固定し、スイクンの動向を追いながらアサギへと向かう。相変わらずあちこちを飛び回っており、コガネ近辺にマークが表示されると心臓が掴まれるような焦りを覚え、ハンドルを握る手が一層汗ばんだ。
(戻った方がいいか……でも、その頃には多分、もう……)
もう一度免許に目を落とすと、スイクンは自然公園へと移動していた。4日前に取り逃がしたあの場所である。しかしここはエンジュシティ西部。すぐに引き返すことができず、もどかしさが募る。何とか冷静になるよう自分を宥めた。
(北上してる……はず?)
しばらくすれば、この辺りに来るかもしれない。
バイクのスピードを緩めた。
時間は刻々と過ぎていき――GPSはチョウジタウンを示した。
「……」
気付けばアサギシティに到着し、既に昼の13時を回っている。
がっくりと肩を落としながら、彼はまた来た道を戻ることにした。海岸沿いの道でおにぎり屋を発見すると途端に空腹が襲ってきたので、仕方なく昼食をとることにした。《ハピナスおにぎり》の看板がイツキの絶望感を煽る。そこは小さな店舗で、小柄な老婆が店先に座っていた。
「いらっしゃい。あら、可愛いライダーさんね」
「……卵おにぎりと、シャケおにぎりください」
微笑む老婆を受け流しつつ、イツキは無表情でショーケース越しに目に留まったおにぎりを注文する。いつも愛想が良く、おばあちゃんっ子のため老人受けが良いイツキだが、今日ばかりは反応する気力も湧いてこなかった。
「300円になります。食べていく?外のベンチ席なら、海が見えるわよ」
彼は無言で頷いた。
親切でお茶まで出してもらったが、味は何も感じない。隣で餌を啄んでいるネイティオも、意気消沈しているイツキに不安げだ。
彼はぼんやりと、アサギの海を仰ぐ。静かに波を立てる紺青の海は雄大で、この焦燥感さえもとてもつまらないことのような気がしてきた。この先に繋がっているタンバの田舎に住んでいた頃は、いつも海を眺めて過ごしていたっけ。
「試験駄目だったら、田舎帰ろ……」
あの古びた船宿へ、帰ろう。家族はたぶん、温かく迎えてくれる。いつでもそう。
「あ、その前にセキエイに挑戦しなきゃ……」
バッジはまだ八個手元に残っている。
これはワタルへの挑戦権で、チャンピオンになれるチャンスは十分にあった。
「ほんとはさ……、憧れのワタルと一緒に仕事がしたかったんだけど。僕がチャンピオンになったらそれもできないね。元チャンプが四天王に降格ってのはできないから」
ネイティオには主人が強がっていることがお見通しだ。恥ずかしさがこみ上げ、つい本音がこぼれてしまう。
「……試験、いけると思ったのになあ〜。そんなに甘くはないかあ……。あーあ」
「何をしょげているの?」
イツキの文句を耳にした老婆が店先から顔を出す。先ほど彼女に対して無愛想な対応をしてしまったことに少し罪悪感を覚えた彼は、思わず弱音を吐いた。
「……試験に落ちそうなんだ。今日締め切りで、捕まえなきゃいけないポケモンがまだ見つからなくて」
「あらあ、まだお昼なのにもう諦めてるの?」
「諦めてるわけじゃ……」
イツキは手元の免許を見た。GPSはフスベシティをマークしている。
「今日が終わるにはまだ10時間もあるわよー?勿体無いと思わない?」
老婆はにこやかに微笑んだ。
そんなこと、言われなくても分かっている。諦めかけてはいるがまだ捨てたわけではない――イツキは腹を決めた。すぐにヘルメットを被り、空の食器を老婆へ突き返してバイクに跨がる。
「美味しかったよ、ありがと!」
「最後まで頑張りなね」
荷台にネイティオを乗せ、バイクはあっという間に走り去っていった。小さくて可愛いらしい男の子だと老婆は思っていたが、別れ際の勇敢な姿には思わず感心してしまう。
「ふふ、最近の男の子は素敵ねぇ」
半年前にも、似たような雰囲気の少年が来店したことがある。赤い帽子を被って、自転車に乗った男の子。彼もあんな感じだった。ピカチュウを荷台に乗せて、颯爽と走り去っていったものだ。
+++
「ネオ、間に合わないかもしれないけどフスベへ行くよ!」
イツキはバイクのスピードを上げながら、アサギの町を駆け抜けていく。GPSはまだフスベシティを指していた。
「行かずに後悔するくらいなら、行って後悔する!僕は、諦めないぞー!」
初めて限界までスピードを出した。警察に見つかったら確実にアウト。罪悪感を覚えつつも、速度を緩めることはできなかった。事故に遭いそうになったら、ネイティオに何とかしてもらえばいい。そんなことを考えつつ39番道路に出た。
身体を吹き抜けるこの疾風が、《あの風》ならどんなにいいことか、と考える。これでもしスイクンが捕獲できれば、ワタルに文句の一つでも言ってやりたい気分だ。
(言ってやるんだ、絶対……、必ず。そう、例えば……)
ハンドルを強く握りしめた瞬間――風の雰囲気が一変した。
その変化に、ネイティオも敏感に反応する。彼は目を光らせ、右側を向いた。イツキでさえ、よそ見をしなくてもその纏った風とオーラで何者かすぐに気付く。草むらの影が蒼い彩光を放っていた。
(――来た!)
その姿が完全に現れる前に、イツキは叫んだ。
「サイコキネシス!」
主の命を受け、ネイティオは両翼を広げながらターゲットに向けて強力な念力を叩きつける。草むらから待ちに待ったスイクンがはじき出され、イツキの目の前に転がった。彼は急ブレーキをかける。
「ネオ、ナイトヘッ……」
言葉が紡がれる前に、スイクンは身を持ち直して逃亡する。
「あっ、逃げる!」
直ぐにアクセルを入れ、その後を追った。ポケモンの中には時速数百キロという速度で移動するものもいるが、スイクンはそこまで早くはないらしい。なんとか後ろからバイクで追うことができた。スイクンはイツキを気にしながら草むらへ入る。彼もそれに続いた。鋭い草木がイツキを襲い、サングラスを弾き飛ばす。しかし、気にしている暇はない。
「全部刈り取っちゃえー!……つばめ返し!」
草むらの奥へ消えるスイクンを、ネイティオの翼から放たれた疾風が周囲の草ごと切り裂いた。聖獣は這う這うの体で草むらから飛び出す。横へ逃げたスイクンを追って、イツキは急いでバイクを傾けながら外へ飛び出た。
しかし、その十数メートル先は谷間。行き止まりになっている。スイクンはぼろぼろの身体に鞭打って、なんとか崖を飛び越えその先へ着地した。イツキに振り返り、勝ち誇った笑みを浮かべるが――それは彼の闘争心に火を点けた。
「ポケモンマスター目指してる僕を舐めんなよっ」
最大までギアを入れ、崖まで疾駆する。ネイティオが両翼を広げ、瞳から光を放った。
「飛べーーーー!!テレキネシーーース!!!」
鍛え上げた渾身の念力は崖を飛び出したリトルカブを持ち上げ、5メートルはあろう谷間を悠々と飛び越えさせた。
着地するより早く、呆気にとられるスイクンの顔めがけてイツキは渾身のモンスターボールを投げつける。弱った聖獣はあっという間にその中へ吸い込まれていった。
「やっ……た―――うああああっ!!!!」
着地と同時にバイクは大きくバウンドし、そのまま転倒した。あちこち擦りむいたが、骨は折れていないようだ。しかしそれよりも、スイクンである。
イツキは飛び起きてボールへ駆け寄る。モンスターボールの中に、不満そうな顔をしたスイクンが収まっていた。後ろから覗きに来たネイティオの首に勢いよく巻きつき、イツキは飛び跳ねて歓喜した。
「やったー!捕まえたぞおお〜〜っ!うわーっ、やったぁあああ!」
恥ずかしげもなく子供のようにはしゃぐ主人を見て、ネイティオは呆気にとられつつも、やがて心から安堵した。
彼がここまで跳ねまわって喜んでいる姿を見たのは、自分を捕獲した時以来である。トレーナーをスタートして、一番最初に捕獲したポケモン。それが自分だった。それ以来、相棒として共にポケモンマスターを目指してきた。彼の夢は自分の夢。今、そこへ一歩近づけたことをネイティオは嬉しく感じていた。