HEROSHOW










小説トップ
第1章
第6話:美女の憂鬱
 一次選考から2週間後、二次選考が実施された。
 二次選考は試験者同士のポケモンバトルである。スタジアム横の練習場で実施され、20人1グループの総当たり戦。
 ワタルは別室でオーキド達と試合を観戦し、朝から1日かけてすべてのポケモンバトルを消化させた。3つのフィールドで同時進行し、トレーナー同士を引き合わせないように配慮したり、バトルの入れ替えをスムーズに実施するために多くのスタッフを投入。そのことに関してマツノがブツブツ文句を言っていたが、ワタルは聞こえないふりをした。
 トレーナーはここまで選ばれたというだけあり、皆百戦錬磨の実力者揃いであった。多種多様なバトル展開に、ワタルも一戦交えたいと心がうずく。その楽しそうな横顔を見て、オーキドが提案する。
「四天王もチャンピオンに挑めると面白そうだと思わんかね?」
「ああ、いいですね!そういうの、やっていきましょう。プロ同士の試合というのは迫力があるし、一般トレーナーにとっていい研究材料になると思います」
「うむ。タイトルマッチだけでなく、色々増やすか!せっかくだからな、楽しく盛り上げねば……」
 オーキドはメモにアイデアを書き連ねていった。
 こうして少しずつ、新しいセキエイが出来上がっていく――ワタルは新チャンピオンの重圧と共に、夜明けを生む楽しみも感じ始めていた。最後のバトルがようやく終わっても、観戦や記録に伴う疲労感はあまりない。とはいえ、実際に試合をしていた“彼”は困憊していることだろう。労をねぎらうため、ビールと弁当を持って専用の控室に向かった。
「お疲れ!」
 開きっぱなしのドアをノックし部屋に入ると、友は肩で息をしながら椅子に腰かけている。
「……お、おう」
「さすがに19連戦は辛いか?」
「い、いやそんなことはない!おれはプロだ!」
 シバは眦を決して声を荒げたが、鍛え抜かれた上半身は汗だくで疲労困憊しているのは誰の目にも明らかだった。ワタルは何も言わず、弁当とビールを差し出す。
「おお、すまん。ちょうど腹が減っていたところだ」
「オレも座りっぱなしで疲れたよ……。見応えはあったけどね」
 二人は缶ビールを開け、乾杯して思い切り煽った。仕事を終えた後のビールは疲労を洗い流し、心地よい癒しを与えてくれる。
「……で、どうだった?」
「17勝2敗。全勝できなかった……。くっ!四天王とあろうおれが……」
 シバはあっという間に飲み干したビールの缶を握りつぶす。相当悔しかったようで、アルミ缶は棒のように圧縮された。
「その負けた2人は、どれほどの実力だったんだ?」
「一人はギリギリまでもつれたんだが、もう一人はかなり楽にやられてしまった。悪タイプ中心の……、おそらく女だ。キラキラしたICマーカーをつけていたからな!」
 ICマーカーとは、セットしたポケモンの情報を読み取り、内蔵している近距離無線でポケモン免許へデータを送ることができる小型の精密機械だ。トレーナーはこの装置を捕獲したポケモンに取り付けることが義務付けられている。種類も多様で、最近はファッションの一面もあるのだが、そういうものを嫌うシバはモンスターボールを買うと付いてくる飾り気のないマーカーを使用していた。
「格闘タイプ使いのお前が悪タイプに苦戦するのか。なかなかの強者だな」
「格闘ポケモンは、ゴーストにやられた……。明日からシロガネで特訓だ!!」
 弁当にがっつくシバを見て、ワタルは苦笑しつつ慰める。しかし内心ではそのトレーナーのことを思い出していた。
 十分な実力に、多彩で華麗なバトルはとても印象に残っている。
(そのトレーナーだけバトル試験負けなし。相当な実力者のようだね)
 プロファイルに出ていた顔写真を思い出す。確か名前は……。
 
+++
 
 大都市コガネシティ。
 高層ビルが乱立し、洗礼された町並みを多くの人々やポケモンが行き交う。一度すれ違えば、きっともう再会することもないだろう。交通機関も充実しており、リニアや電車はもちろん、その下にも何本もの地下鉄が通っていた。
 アサギシティ新人ジムリーダーのミカンは、地元から電車を乗り継ぎ『コガネ百貨店前』駅で降車した。文字通り、百貨店に直結している地下鉄駅だ。雑踏に飲み込まれないように注意して歩きながら、彼女は待ち合わせ場所へと急ぐ。
「ミカン、ミカン!こっちー」
 百貨店の地下出入り口前で飛び跳ねている赤毛の少女の声を聞き、ミカンはそちらへ駆け寄った。
「ごめん、アカネちゃん。待った?」
「ううん、うちもさっきついたとこ」
 アカネと呼ばれた少女が満面の笑みで返す。彼女はこの大都市のジムに就任したばかりのジムリーダーである。
 同期の二人は性格こそ真逆なのだが、同い年ということもありすぐに仲良くなった。ジムの運営開始は来月だったが、今日は揃ってオフだったので二人で買い物に来たのだ。
「私、ここ来るの初めてで……。すっごく広いんだよね……」
 ファッショナブルで洗礼された百貨店の内装にミカンは思わず気後れするが、それを取り払うようにアカネが彼女の肩を叩いた。
「大丈夫!うちには庭みたいなとこやもん。可愛い店紹介したげる!」
「うん、よろしくね」
「じゃ、マストな店から!」
「えっ?い……、いきなり?」
「どうしても会いたい人がおって……」
 アカネはミカンの華奢な腕を引っ張るようにエスカレーターへ向かっていった。地上2階、レディースファッションのフロアに到着し、エスカレーター出てすぐ右側にある店へと案内する。『ローレライ』と表記された店舗は、この百貨店にある百十数のファッションテナントで一番の売り上げと坪面積を誇る人気店である。
「ローレライね!」
「そーそー、ここめっちゃ好きなん!」
 アカネは鼻息荒く混雑するその店に乗り込んでいった。このブランドはアサギシティにも店舗があるのだが、ここは旗艦店らしくそれとは比べ物にならないほど内装も店員もクオリティが高い。ファッショナブルな客に、モデル級の店員。ミカンはたじろいでいたが、アカネに引っ張られて渋々入店する。
「いらっしゃいませー♪あら、アカネちゃん。こんにちは」
 トップモデルと見紛う程スタイルの整った美女に近寄られ、ミカンの身体は瞬時に硬直した。流れるような美しいロングパーマに、女優顔負けの麗しい顔立ち。
「カリンさーん!」
 アカネがうっとりするような甘い声を上げる。
「聞いたわよ、ジムリーダーに決まったって……」
「そうなんですー!来月からオープンするんで、ぜひ!ぜひ!」
「あら、じゃあ私も挑戦してみようかしら♪まだバッジ一つも持ってないの」
 女神のような柔らかな笑顔と、瑞々しく輝く唇に二人は釘づけになる。
「そちらの方はお友達?」
 カリンは前かがみになってミカンに視線を向ける。少女の頬はたちまち朱に染まった。レースのワンピースから覗く、自分とは段違いの胸元に目が行くなんて……。
「うんっ、同期のミカンなんです。ジムで着る服とか買おうと思って……!あ、ミカン。この人カリンさん!ローレライのカリスマ店員なんやで!」
「えー?何それ、嬉しいじゃない。あ、そうだ。良かったらジムの服、コーディネートしてあげましょうか?」
「「いいんですかっ!?」」
 声を揃える二人に、カリンは穏やかな微笑みを投げかけた。その優美な笑顔にあっという間に惹き込まれる。周囲で服を選んでいる他の客も、カリンに見とれているのが分かった。
「ふふ、まかせて♪お洒落してついた自信とか高揚した気分はね、ポケモンに伝わるのよ。相乗効果なの」
「へえ……」
「じゃあまず……、ミカンちゃんは清楚で可愛らしい雰囲気があるから、白のレースワンピはどう?」
 そう言ってカリンはワンピースの陳列コーナーから、胸元に黒いリボンのアクセントがある少し大人っぽいレースのワンピースを紹介した。
「か、可愛いです……」
 ミカンは惚けながら、ようやくそれだけ呟いた。
「これにグレーの大判ストールを合わせて……、足元は“ミカン”ちゃんだけに、このオレンジゴールドのビジューパンプスはどうかしら?これ、昨日入ってきた新作なの。ヒールもそんなに高くないし……凝ってていいアクセントになると思うんだけど」
「は、ハイ……」
 カリンは鏡の前でミカンに服を合わせて提案すると、心まで酔いそうな甘い良い香りが漂ってきた。ミカンは夢心地でただぼんやり頷くばかり。最後に試着を促され、言われるがまま着替えてカーテンを開く。
「きゃー!めっちゃ可愛いやーん!」
 アカネの嬌声にはっとして鏡を見ると、そこには野暮ったさを気にしていた少女はいなかった。スタイリッシュなコガネシティを歩くにふさわしい、お洒落な女の子に変身していたのだ。
「素敵だと思うわ。元々がお人形みたいに可愛いからよく似合うわね」
 目を疑って立ち尽くしているミカンの耳元でカリンが囁く。理性が吹き飛びそうな甘い声に、彼女は再び硬直しながら言葉を紡ぎだした。
「か、買います……。あと、これ……着ていってもいいですか……?」
「もちろん♪次はアカネちゃんね」
「はーい、うちもよろしくお願いしますう!」
 待ってましたとばかり、アカネはカリンの後ろを付いて行った。まだ夢心地のミカンがふと周りを見ると、自分とコーディネートされた服を次々手に取る女性客の姿が目に入る。
(すごいんだなぁ、カリンさん……)
 一方、カリンがアカネの前に広げたのは、裾にスタッズ、脇の一部がレースになっているデニムのショートパンツだった。
「今年はスタッズとレースが流行ってるの。……で、その両方が入ったのがこ・れ♪」
「可愛い〜〜!!!これにします」
 アカネは興奮しながらパンツをもぎ取り、覚悟を決めた。
「早いわね……」
「だってカリンさんの紹介する奴、すぐ売り切れるんやもん……」
 周りを見回しながら、アカネはこっそりと呟く。彼女はこの店ナンバーワンの売り子で、商品を着用しているだけで飛ぶように服が売れるのだ。
「ふふ、嬉しいわ♪ボトムがハードだから、トップスは少し甘めにした方がいいわね。……だから、このシフォンシャツ。襟が別素材で流行りのビジューが付いてるのよ。そしてしかも、キャミタンクもオマケで5.900円……」
「買います買います!」
「足元は豹柄のパンプスとかどうかしら?これもスタッズが付いてて……」
「買いまーーす!!」
「あ、ありがと……」
 その勢いに圧倒されつつ、カリンは苦笑しながら礼を言った。
 一応服を試着したアカネは、ミカンと同じく買ったものをそのまま着用していくことにした。着飾った彼女たちは、満足げにレジへと向かう。するとアカネはレジ前に置かれたアクセサリーに目を留めた。
「これ可愛い!」
 手に取ったのは、スワロフスキーが散りばめられたICマーカーのセットである。イニシャルやブランドロゴなど、6個1ケースで十数種類が並べられていた。レジに商品コードを打ち込みながら、カリンが答える。
「それ、最近うちが出したマーカーなの。可愛いでしょ?……そうだ。服の社割ができない代わりに、好きなのプレゼントするわ。ジム就任祝いにね♪」
「えっ、いいんですか!?」
「お得意様がジムリーダーになったんだもの♪そのかわり、ジムで宣伝してね」
 カリンは片目をつむって微笑んでみせると、二人はうっとりしながら揃って頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「そ、れ、と。今日、6時から屋上でお店対抗のバトルイベントをやるの。良かったら見に来てね♪フードも充実してるから」
 と、言ってカリンはレジ脇に置いていたイベントのパンフレットを見せる。
「カリンさん出られるんですか?」
 案内を読みながら、興味津々に尋ねるミカンにカリンは笑顔で答えた。
「ええ、ローレライ代表なの」
「応援しますっ!ね、ミカン」
「うん♪」
「ありがとう。張り切っちゃうわ」
 カリンは相好を崩し、二人を見送った。
 店を出た少女二人組は早足でそこから離れ、しばらく歩いた後、抱き合って興奮を共有する。
「やばーい!めっちゃ嬉しすぎるんやけどっ」
「カリンさん、すごく素敵だったねぇ……」
 ミカンはうっとりと夢のひと時を思い出す。同性なのに、変な気を起こしてしまいそうだった……。とは友人に言えなかったのだが。
「あの人にコーディネートしてもらえるなんてラッキーなんやで。雑誌とかにもよく載ってて。あっ、今月の『サブリナ』のショップ店員のコーデコーナーにも出てたんやった!あーあ、言っとけばよかった……」
 『サブリナ』とは若い女性向けのファッション誌である。それを聞いた途端、ミカンは神妙な顔つきになり、アカネに詰め寄った。
「……アカネちゃん、この百貨店って本屋さん入ってる?」
「な、7階に……。ど、どしたん?」
「私も『サブリナ』買う!」
 
+++
 
 14時を過ぎ、カリンは昼休憩に入ることにした。
 バックヤードへバッグを取りに行くと、微かに紙がこすれる音がしていたので、不審に思い自身の荷物棚スペースへ急ぐ。自分のバッグにファストフードの包み紙が詰められ、モンスターボールの中に入れられた相棒のヘルガー♂がそれをどかそうと必死に抵抗していた。カリンはすぐにゴミを掴むと、丸めて叩きつけるようにゴミ箱へ突っ込んだ。
「ねー邪魔なんだけど」
 ローレライの女店長が入ってきて、わざと彼女にぶつかりながら在庫を探す。カリンは眉間にしわを寄せながら、抑えた口調で尋ねた。
「……私のバッグにゴミ入れたの、あなた?」
「何、濡れ衣?辞めてよね、そういうの。お客さん聞いたら幻滅しちゃーう。貧乏人は心も貧しいのね」
「……」
 すっかり聞き慣れた嫌味。カリンは顔色一つ変えずにバッグを掴み、無言で外へ向かう。
「ってかゴミをゴミ箱に捨てて、何が悪いのかしら」
 店長の嫌味な言葉を聞き流し、スタイリッシュなクラブサウンドが響く華やかな店舗へ出た。客の注目を浴びながら、何事もなかったかのように笑顔で百貨店の外を目指す。このステージでは自分は人々が羨む輝かしいモデルなのだ。たとえ裏ではどんな陰湿なやりとりがあろうとも。
(ほんと、くだらない……。面倒くさい)
 人より目を引く彼女は、それだけ嫉妬の対象となった。元々育った環境も良くなかったため、それも状況を悪化させている。気にせず乗り切っているが、ポケモンにストレスを掛けることは避けたい。彼らはカリンにとって大切なパートナーたちなのだ。
「ごめんね、ヘルガー」
 早足で通路を歩きながら、彼女はバッグの中からこちらを心配そうに見ているヘルガーに謝罪する。彼は気にしない、とばかりにかぶりを振った。
「あら、カリンじゃない!」
 声を呼ばれて思わず顔を傾けると、そこには両手に大きな紙袋を抱えた旧友が立っていた。
「カンナ……」
「久しぶり。これからお昼?」
 元四天王のカンナは、大きなサングラスに女優帽をして大袈裟に変装していた。エレガントな出で立ちだが、紙袋から覗くふわふわのぬいぐるみがアンバランスでカリンは思わず口元を緩ませる。
「ええ。……あなたも?」
「そうなの!さっき買い物が終わったところで……よかったらどう?」
「そうね。いつも一人で寂しいから、付き合わせてもらうわ」
 
+++
 
 二人は百貨店を出ると、路地裏を3分ほど歩いた先にあるオープンカフェに入った。ランチを注文して料理を待つ間、カンナはぬいぐるみで膨れ上がった紙袋を空いた席に積んでいた。
「彼も連れてくれば荷物持ってもらえたのにね」
 カリンは呆れたように肩をすくませる。
「仕事でね、だめだったの。今なかなか支援者が集まらなくて……大変なのよ」
「エンジュでNPOをしてるのよね?」
「そ。鳳凰会って、ポケモンの保護団体を立ち上げててね。私もサポートしてるの」
「いいの?助けてあげなくて」
「あんまり手を貸すと、私が広告塔みたいになるから嫌なんだって。『なるべくカンナの力は借りない』とか……。男ってそんなもの?」
 残念そうに話すカンナに、カリンは穏やかに微笑みかけた。この二人はカンナの方が3歳年上なのだが、雰囲気的にカリンが幾分大人びている。
「ふふ、そんなものよ。ただでさえ、ランスさんとあなたには地位や収入の格差があるんだから……。そういうのは、コンプレックスになりやすい」
 それはこの二人においても同等なのだが、カンナは全く気付いていない様子だった。その鈍さは彼女の魅力の一つではあるのだが。
「だけど恋人としてはもっと何かしてあげたいのよねえ……。お金の支援は……駄目よね」
「それこそ男のプライド傷つけるわよ?ヒモならともかく……」
「そうよねー……」
 会話を遮るように、料理が運ばれてくる。カンナにグラタンセット、そしてカリンは魚介のリゾットのセット。とてもお洒落で女心をくすぐる盛り付けに、元四天王は浮足立つ。
「美味しそう!ブログに載せちゃう」
 カンナはスマートフォンのカメラを起動し、自分のグラタンセットを撮影した。トイカメラテイストのお洒落な写真を見せつける彼女を微笑みながら受け流しつつ、カリンはふと湧いた疑問を投げかける。
「今、何してるの?」
「休業中♪忙しかったから、少し休もうと思って。でも、キャスターとかの話が来てるのよ。休みが明けたら、引き受けようかしら」
「セキエイが忙しいのに、相変わらずマイペースね……」
「でも辞めた私は本部にも入れないから、どうしようもないのよね。……あ、セキエイといえば、招待状きたんでしょ?試験どうだった?」
「この間二次審査をやったのよ。バトル審査。19戦、負・け・な・し♪」
 カリンは片目を瞑り、コケティッシュに微笑む。
「すごいじゃなーい!それ、いけるわ、絶対!」
 つい最近までその地位にいた彼女に言われると、ついその気になってしまう。四天王なんて、夢のそのまた夢なのに……我慢してこの職場に留まっているのに、楽観的なカンナにほんの僅かな苛立ちを覚えた。カリンは苦笑しながら話を合わせる。
「でも通過したら、次は指定されたポケモンの捕獲に行かなくちゃいけないらしいのよ。有給足りるかしら?簡単じゃないんでしょう」
「そうね、難しいと思うわ。でも、夢を掴むためなら時に安定を捨てることも大事だと思うの!」
 カンナは居住まいを正し、真面目くさった口調で友人に言明する。突然の様変わりに、彼女は思わず吹き出した。
「なあに、それ?」
「元プロとしての忠告よー!笑わないでよ、恥ずかしいじゃない!」
 テレビ越しに見るあの凛とした佇まいとは別人かと思う程、カンナは頬を染め初々しく喚いた。こんな反応を見せられては、先ほどの苛立ちも収まり自然と頬が緩んでしまう。
「ふふ、ありがと♪そうね、仕事は辞めてもいいかなって思ってたところだから」
「女の嫉妬、すごそうだものねえ……」
「あら、分かるの?」
「そんなの、あなたの店に行けば伝わってくるわよ。よく耐えてるわね。私なら仕事変えるわ」
「そんなこと言ってたら、女の職場では働けないわよ。そこそこお給料もよくて、やっといい生活ができていたんだけど……。だめね」
 リゾットを掬いながら、カリンはぼんやりと呟く。
「もし四天王になれたら……、もっといい世界が見られるのかしら」
「そうね、ポケモンバトル第一だからドロドロした女の僻みもないし!仕事でそれどころじゃないっていうか……」
 真摯に語るカンナの話だけで、プロ世界のストイックさが伝わってくる。急に堅苦しい雰囲気になったので、カリンは友人を茶化してみることにした。
「あなたの他に、女性ってキクコさんだけだったんでしょ。男にモテモテだったんじゃないの〜?」
「ないない!私、シバやワタルと何ともなかったわよ?」
「……あら、それって逆にちょっと寂しくない?」
 カンナはハッとしたように何かに気付くと、真っ赤にした顔を突き出しながら喚き立てた。
「プ……、プロに職場恋愛はい・ら・な・い!早くしないとお昼休み終わるわよ!」
「はぁーい、先輩♪」
 まるで猫のように首を傾けながら、カリンはリゾットを口にする。普段はポケモンを隣に置いて一人でランチをしていたが、気の置けない友人と食事するのはとても居心地がいい。
(こういう楽な空気感があるところに行きたいわ……)
 四天王になれば、そういう仲間と出会えるのだろうか?カンナを見ていていると、挑戦に意欲が湧いてくる。
 心休まる居場所が欲しい。
 それから、金銭的な安定も。今はただ、それだけでいい。
 でも、ようやく手に入れた職場を、簡単に手放すのは……。
 
+++
 
 その日の17時にカリンは仕事から上がると、屋上でのバトルイベントの支度をすることにした。
 接客で履いていた15cmヒールのパンプスを、動きやすい7cmの物へ履き替える。レースのワンピースの上にレザーのライダースジャケットを羽織り、少しハードな出で立ちで店を出た。
「お店に泥を塗るのは辞めてよね」
 店長が苦い顔をしながら“激励”する。他の職場仲間たちからも、無視して見送られた。特に気にはならない。いつものことだ。まっすぐ向かった屋上では出店が並んでおり、バトルを観戦しながら食事ができるという趣向らしい。既にテーブル席は半分埋まっていた。メインステージ裏へ行くと、トーナメント表を渡される。
「ローレライさんは三戦目からです!」
「ありがとう」
 表を見ながら隅で順番を待っていると、若い男が下品な笑いを浮かべながら寄ってきた。
「ローレライのカリンちゃん?」
 彼女は無言で目だけを男に向ける。
「オレ、対戦相手。ほら、5階『エアシューター』の!よろしく」
「……よろしく」
「あのさ、普通にバトルするだけだとつまらないから、何か賭けようよ」
「いいわよ?」
 ルージュを引いた唇が、初めて上へ動いた。男の視線は釘づけだ。
「じゃ、オレが勝ったら今夜、ね?いいでしょ?」
「ええ。私が勝ったら……、店辞めて。もう目の前に現れないでね」
 猫のような鋭い瞳に射られ、男は思わずたじろいだ。
「……わ、わかった。受けて立つ!」
「それじゃ、頑張りましょう」
「三戦目、始まりまーす!準備してください」
 スタッフの声を耳にするなり、カリンは男に微笑みかけステージへ上がった。
 このイベントは各ショップ店員のファッション及び、ポケモン用の装飾品などをアピールすることが目的である。各テナント代表同士が戦い、優勝すると一階エントランスの最も目立つ場所に商品をディスプレイする権利を得られる。また、一般客も優勝するテナントを予想し、見事的中すれば抽選でその店舗の商品を貰えるとあって、会場はかなりの人で溢れていた。
「続きまして、大人気店ローレライ対メンズファッションのエアシューターとの対決です!」
 カリンが現れるや、会場から歓声が巻き起こった。ステージ脇のテーブル席では、アカネとミカンが彼女に手を振っている。にこやかな笑顔を返すと、飛び上がってはしゃいでいた。
「それでは、構えて……」
 カリンと男はテクニカルエリアに入ると、向かい合ってボールを構える。勝負は一対一。
「プレイボール!!」
 アナウンスとともに、二つのボールがフィールド上に舞う。男はウィンディを、カリンはヘルガーを繰り出した。
「炎タイプって奇遇〜っ。オレたち気が合うね!」
 黄ばんだ歯を見せながら笑っている男には見向きもせず、カリンはヘルガーを引き寄せると身体を屈めて耳元で囁く。
「ちょっと体格差があるわね。素早さも同じくらい。あの尻尾の陰に隠れて機を狙いましょ。火では攻めない。……じゃ、行きなさい」
 ヘルガーはコクリと頷くと、空高く遠吠えを放った。辺りを払う風格に、会場にいた誰もが息を飲む。男も一瞬怯んだが、すぐに持ち直してウィンディに指示を送った。
「ウィンディ、噛みつけ!」
 飛びかかってくる猛獣をヘルガーは身を翻してサラリと回避した。そのままウィンディの尾にぴたりとくっつき、相手の隙を狙って腰に鋭利な牙を突き立てる。下半身に走る焼けつくような痛みに、ウィンディは思わず飛び上がった。
「か、火炎放射!」
 男はテクニカルエリア内のウィンディの顔が見える位置まで走ると、慌てて指示を出した。ウィンディは後方を振り向いてヘルガーを探し、口内に溜めた業火を発射。しかしヘルガーは半月を描いて飛び上がり、華麗にそれを回避――炎は虚しくフィールドを焦がしただけで終わった。大急ぎで前を向くと、少し離れた場所に前足に引火した小さな炎を払っているヘルガーの姿がいるではないか。火力が強すぎて、避けきれなかったのか。
「チャンス!突進だ!」
 男は指を鳴らしてウィンディに命令する。伝説ポケモンが風を切ってヘルガーに突進するが――相手は不敵な笑みを浮かべ、身を低くしてウィンディの腹へ潜り込みカギ爪で切り裂いた。男はそこで初めて、炎を消すヘルガーの行動がフェイクだったということに気付く。
「だまし討ち、よ」
 カリンは嘲笑しながら「トドメ刺しなさい」と指示を出す。ウィンディが大きくバランスを崩したところへ、ヘルガーは更に追い打ちをかけるように前足を噛み砕いた。これが決定打となり、ウィンディはフィールドへ崩れ落ちる。
「勝者、ローレライ!」
 バトルエリアの外、審判台の上に座っていたアンパイアがカリンの方へ旗を振った。観客は湧きあがり、あちこちからスタンディングオベーションが巻き起こる。
「カリンさん素敵―!」
 アカネも立ち上がって歓声を上げるが、一方でミカンは想像以上の実力に愕然としていた。
「すごいね、ほとんど指示してない……。ポケモンの意志に任せてるのかな」
「ああ、言われてみればそうやな!あんまり指示してなかったかも」
 友人の指摘に、アカネもふと冷静になって席に着く。
「ポケモンとの信頼関係、すごいんだね……。私たちより強かったりして」
「うっそ!新米とはいえ、うちらジムリーダーやで!あのきっつい試験を通った……プロや、プロ!アマとは格が違うもん」
「そうだけど……。あんな人ばっかりジムに挑戦しに来るのかなぁ。不安だよねえ……」
 すっかり自信を無くしているミカンを見て、アカネの心に火が灯る。
「……リーダー認定証の交付、明後日やったな」
 
+++
 
 カリンは余裕たっぷりにトーナメントを勝ち抜いていき、あっさりと優勝を決めた。ジムを回って修行していないとはいえ、四天王選考二次試験を全勝で突破した彼女としては、一般トレーナーを倒すことなど容易いことだ。
 大勢の観客から雨のような拍手を送られながら、にこやかに優勝トロフィーを手にする。会場を見回しても、ローレライの同僚たちは誰も来ていなかった。共有できない勝利に、ふっと心は覚めていく。それに反し、司会は会場を盛り上げる。
「優勝したローレライさんには、来週から2週間!当百貨店1階の陳列スペースを提供します!皆様、お楽しみに!さらに、ローレライさんの優勝を予想したお客様、抽選で20名様に特製福袋をプレゼント!カリンさん、どんな中身になるんでしょう?」
「この先の季節に活躍する、アウターなどを入れる予定です♪」
「皆様、お楽しみにー!」
 歓声や口笛があちこちで湧き上がり、イベントはすっかりこれでお開きというムードになっている。
「ではこれを持ちまして、コガネ百貨店バトル大会を終了しまーす!ありがとうございました!……それと皆様、試合後カリンさんにポケモンバトルを挑むのはご遠慮くださいね!明日の業務に支障が出てしまいますゆえ……」
 ステージ前で明らかに闘志を燃やすアカネを見て、司会者は苦笑しながらフォローを出す。その姿は、カリンの目にも留まった。店舗で会った時はごく普通の天真爛漫な女の子だと思っていたが、カリンを睨み据えて待ち構えるその姿は、雄気堂々とした紛れもないプロトレーナーである。挑戦的な眼差しを受け、カリンは思わず口元を綻ばせた。
「なんでや!殴り込みさせてよぉ!」
 声を張り上げるアカネに、会場の空気がさっと引いていく。ミカンは慌てて彼女を制止した。
「ア、アカネちゃん駄目だよ。私たちジムリーダーだよ?プロだからこういうバトルはできないよ」
「でもまだゴールドカード交付されてへんやん!うちはただ……、ミカンにプロの力を見せたくて……」
 言い争う二人の姿を見るなり、カリンは司会のマイクを奪って手招きした。「いいわよ。上がってきなさいよ」
「え……、カリンさん!」
 司会やスタッフは騒然とするが、カリンは艶麗な笑みを浮かべさらりと流した。
「あの子、この町の新しいジムリーダーなの。いい宣伝になると思うわ」
「ジムリーダーって……!プロとアマが勝手に試合したら大変なことに……」
 慌てふためく司会を押しのけ、アカネが大手を振ってステージへと上がってきた。
「まだ認定証交付されてないから大丈夫やって!」
 カリンからマイクを受け取ったアカネは、一呼吸置くと、静まり返る観客に向けて溢れんばかりの元気と笑顔を振りまいた。
「みなさんこんばんは!来月からコガネジムを受け持つことになったアカネで〜っす★ジムリーダー証明証・ゴールドカード交付前に、イベント飛び入り参加でその実力を皆さんにお披露目しちゃうでー!……あっ、ちなみにこの服はカリンさんにコーディネートしてもらったローレライのやつで……、可愛いやろ〜?」
 アカネが大げさにポーズをとると、途端に会場から爆笑と拍手が起こった。場の空気はたちまち緩んだが、ミカンは恥ずかしくなってテーブルに頭を伏せる。
「ちなみにな、今日はアサギジムのルーキーも来てて……。ミカン、ステージ上がってこん?」
 手招きする友人に、ミカンは全力で首を振って断りの意を示す。
「恥ずかしがり屋やからなー。まあ、ええわ。……じゃ、カリンさん!」
 アカネはマイクを持って、カリンを振り返る。
「お手合わせ願います」
「望むところよ」
 勇壮なアカネの挑戦に対して、カリンは艶のある微笑みを浮かべながら引き受けた。相手がジムリーダーだというのに、全く怯む様子がない彼女にアカネは動揺する。やはり相当な実力者なのだろう。
「イチイチ(一対一)でお願いしますね。それじゃ、TA(テクニカルエリア)についてください」
 司会は二人を立ち位置へ移動するよう促し、アンパイアが審判台に上ったことを確認すると、気持ちを切り替えて会場を鼓舞した。
「さあ、それでは皆様!飛び入り参加のニューヒロイン、我らがコガネのジムリーダーアカネさんと百貨店のチャンピオン、カリンさんの試合を始めまーす!!」
 会場の雰囲気は一気にヒートアップし、嵐のような歓声や拍手が吹き荒れる。ミカンは思わず委縮しつつ、つられるように小さく手を叩いた。
(アカネちゃん、頑張れ……)
 
 テクニカルエリアのポジションにつきながら、アカネは耳に手を当て、自信満々にカリンに尋ねる。
「レベル指定いりますう?」
「ふふ、これはジムバトルじゃないんだから、気にしなくていいわ。あなたのとっておきで来なさいな」
 カリンは不敵な笑みを浮かべながらボールを構える。挑戦的な表情に、アカネの闘争心は更に燃え上がった。
「分かりました!全力でいかせてもらうから!」
 審判台の上から、フィールドのセンターラインに沿ってフラッグが降ろされた。
「それでは……、プレイボール!!!」
 開始のアナウンスと同時に、フィールドへ投げ入れられるモンスターボール。カリンはアブソルを召喚。対するアカネはミルタンクを繰り出すと、すかさず声を上げた。
「先手必勝!ミルちゃん、踏みつけや!」
 ステージを揺らしながら、ミルタンクが蹴りを仕掛ける。
「あら、早いわね。あんなの食らっちゃだめよ。……“不意打ち”」
 指示を聞き、アブソルは蹴りが飛んでくるより早くミルタンクの横へ回り込むと、その脚に打撃を食らわした。そのままバランスを崩したミルタンクへ噛みつこうと試みたが、彼女は転がって距離を取り、すぐに体勢を立て直しす。
「やるやん!じゃ、ミルちゃんとっておき見せてあげよ!」
 アカネがミルタンクに目配せすると、彼女はタイヤのように丸まってアブソルへ突進する。その動きには一切無駄がなく、避けきれずに衝突してしまった。
「“転がる”……ね。厄介なのが来たわね」
 さすが相手はジムリーダーというだけあり、一筋縄ではいかない。さて、どうする?カリンの闘争心も次第に湧き立っていく。
「さあ、どう出ます〜?」
 カリンは息を吐くと、アブソルに近寄って耳元で指示を囁いた。彼は頷くと、静かに目を閉じて全身の毛を逆立てる。何か仕掛けたが、すぐには攻撃の手が出てこない。
 ミルタンクは特に気にすることなく、ステージを周回しながら再度アブソルに狙いを定めた。彼女の前を走りながら、アブソルは影分身を仕掛けるが――分身する寸前にミルタンクが急加速を掛けて突撃、その小さな身体はボールが跳ねる様に軽々と宙へ舞い上がった。
「やったーっ!」
 アカネは快哉を叫びながら両手を上げた。その声を聞き、ミルタンクも丸まりながら宙へ跳ねた相手を一瞥する。その僅かな隙をつき、アブソルは身を翻しながら刀を振り下ろすように鋭利な爪を一閃――“辻斬り”だ。油断していたミルタンクはそのまま数メートル吹っ飛ばされ、すぐに体勢を立て直そうとするも膝が上がらない。急所を突かれたのだ。
「うわ……っ、ミルちゃん!」
 アカネは急いでテクニカルエリアを回り、ミルタンクの様子を確認に走った。ポケモンの前に回り込もうとしたその時、風のような波動がミルタンクの後頭部を強く打ちつけ、意識を奪ってフィールドに倒させた。
「ミルちゃん……。あっ……」
 はっとして顔を上げると、フィールドの反対側で不敵な笑みを浮かべるカリンの姿があった。“みらいよち”が命中したのだと、すぐに察知する。“転がる”の一発目が当たった後に仕掛けられていたのだろう。アカネがその場にへたれこむなり、会場が弾かれたように湧きあがった。カリンの勝利を称える大きな拍手と共に、アカネもよくやったと温かな声も多く聞こえてくる。
「……負けてしもた」
「いい勝負だったわよ。ありがとう」
 カリンがテクニカルエリアを歩みながら、アカネの前に屈みこんだ。優しく包み込むような眼差しに、彼女の視界は霞んで目頭が熱くなる。
「デビュー戦で……負けちゃったぁぁ……」
 ぼろぼろと大粒の涙を流すアカネにカリンは目を丸くしたが、すぐに思い直して彼女をそっと抱きしめる。柔らかな感触と甘い花の香りが広がり、敗北の悔しさを和らげてくれた。
「デビューは来月、でしょ?それまで、たっぷり対策していらっしゃい」
「……」
「あなたはまだ、これからよ。ね?」
 カリンが首を傾け柔和な笑顔で求めると、アカネは涙と鼻水にまみれた顔で「……はいっ!」と勢いよく頷いた。会場はますます二人を称え、ミカンも嬉しそうに手を叩く。
 その後ミルタンクと共にステージ裏へ下がっていくアカネを見送っていると、カリンはふと自分の右手が震えていることに気が付いた。それは恐怖ではない。
(ルーキーとはいえ、ジムリーダーに勝った……)
 嬉しいのだ。今この瞬間、溜飲が下がっていくのが手に取るようにわかる。
(……四天王、目指してみようかしら)
 ぼんやりとした迷いに見えた、小さな晴れ間。彼女は覚悟を決めることにした。

鈴志木 ( 2013/07/19(金) 11:41 )