HEROSHOW










小説トップ
第1章
第5話:二番手の秀才
 翌月、本部にて四天王選考試験の一次審査が実施された。
 内容は筆記試験で、本部タワー内にある個室学習スペースを利用し、時間も区切り他の受験者とは一切顔を合わせないように配慮されていた。問題はオーキドを中心に本部内で選ばれた数名の担当者で作成。ポケモンに関する問題と一般常識問題が出題され、それぞれ100点満点、計200点となる。
 ワタルも別室で受けてみたが、ポケモンの方はともかく一般常識は高校生レベルの問題で、学校に行っていないトレーナーは苦戦するのではないかと思われた。
 トレーナーは10歳で免許を取得すると基本3年は修行の旅に出られるが、その間は学業が疎かになりやすい。旅に出ず通学している者と、修行に出たトレーナーとで学力格差が広がってしまうのは長年本部が抱える問題であった。3年の旅でバッジをあまり得られなかったり、オフィシャルリーグで勝利できなければ学校教育の場に戻されてしまうという法律があるものの、そこでもやはりブランクが問題になっている。
 ちなみにワタルは旅や訓練をしつつトレーナー向けの定時制学校に通学していたため、高校生程度までの学力は備えておりなんとか問題を解くことができた。オーキドが自慢していた、タマムシ大学レベルの問題は全く理解できなかったのだが。
(そもそも、そういう問題を出すのがおかしい……。トレーナー馬鹿にしてるのか?まあタマ大だから普通の大学出た人でも解けないだろうけど……)
 テストを終えて給湯室でコーヒーを飲んでいると、同じく試験終わりらしきシバが疲弊しながら部屋へ入ってくる。
「お!お疲れ様」
「……」
 シバは無言でベンチへ座る。その表情は昨月バトルした時とはうって変わり、陰鬱としていた。声を掛けるのも憚られたが、ワタルは一応彼に尋ねてみる。
「どうだった?」
 シバは蚊の鳴くような声で呟いた。
「いきなり脱落するかもしれない……」
 
+++
 
 翌日、早速採点結果が出たらしい。ワタルはマツノと共にオーキドから会議室に呼び出された。気にかかるのは、ただ一つ。シバの点数である。
「えー、平均点は120.5点!あんまり良くないのう……。やはり、ポケモンの方は良かったが一般常識が高くなかったな。トレーナーの学力向上は課題だなぁ……」
 オーキドは溜め息をつきながらタブレット上の資料を見る。
「それで、選考ラインは?」
「上位60名までとすることにした。ほら、これ」
 そう言いながら、オーキドはワタルとマツノにタブレットを見せた。すぐにシバを確認する。
 
 ……60位。
 
(何て運のいいやつなんだ……)
 ワタルはほっと息をつく。点数は見ないように努めた。
「ちなみにワタルくんは173点だったな。さすがチャンピオン。しっかり勉強しておる」
「ありがとうございます。そんな褒めていただくような数字でもないんですが……」
 大げさに拍手するマツノをスルーして、ワタルはオーキドに軽く頭を下げた。
「ああ。それと、やっぱりタマ大の問題は解けませんでした。ああいうの辞めてくださいよ」
「ははは、ちょっとしたイジワルじゃ!……でもな、正解者が一人いたんだぞ?」
「へえ、凄いな。大学生ですか?」
「いや、そこの大学を出とる者だな。わしも昔、大学で授業してた頃にちょっとだけ教えたことがある。大体いつも2位くらいの成績で、秀才だったなー」
 誇らしげに語るオーキドは過去を回想して満足げだ。
「この1位の人ですか?……おおっ、198点!すごいなーっ!!あれ?この人……」
 マツノが端末のパネルに触れながら、驚きの声を上げた。ワタルもピックアップされた首位の情報を覗き込む。
 
+++
 
 タマムシシティ、コミュニティセンターの会議室。
 そこではカントー地方ジムリーダーによる月例会議が行われていた。進行はリーダー長のカツラ。グレンタウンのジムリーダーで、現在カントージムリーダーで一番の古株である。
「以上を持ちまして、今月のカントージムリーダー会議を終わります!」
 会議テーブルの一番奥に座ってたカツラがそう告げると、他のジムリーダー達が各々退出の準備を始めた。カツラの隣、窓際の席に座っていた和装の中年男性が書類やタブレット端末を速やかに帆布の鞄に突っ込み、左手でバッグを掴んで椅子から立ち上がった。彼はセキチクシティジムリーダーのキョウである。真っ先に退室しようとするが、出入り口はすかさず彼より一回り大きな白人によって塞がれた。
「Hey.Kyo-san !! Will you translate documents?」
 クチバシティジムリーダーのマチスである。
 彼は書類を示しながら、満面の笑みで翻訳を要求する。それとは対照的に、キョウは俯くと眉をひそめて舌打ちした。
「No. You should leave the work to your subordinate.」
 流暢な英語できっぱりと依頼を断ったが、マチスはびくともしない。
「Have a heart! Your work is early and correct.」
「You see. I'm busy!! Don't ask me many times.」
 キョウは語気を強めてマチスを睨み据える。射る様な鋭い眼光は、元軍人さえ怯み上がらせた。
「sorry...」
「Hotoke no kao mo sando made.」
「What do you mean?」
「Three strikes and you're out!」
「I see.」
 しょんぼりと肩をすぼめるマチスを押し退け、キョウ無理矢理部屋を出るが――今度はタマムシシティジムリーダーのエリカに捕まった。
「キョウさん、見積もりの確認してもらってもいいですか?」
 彼女は滑り込むようにキョウの前に現れると、遠慮せずに書類を突きつけた。彼は思わず顔をしかめたが、渋々書類を受け取って内容を確認する。
「今度ジムにポケモン用の医療器具を導入したくて、本部に申請をと。タマムシの会社が作っているポケモンセンターの装置を小型化したものがあって……。これ、その資料です。それで……」
「おい、キョウ!ちょっと、話……っ!」
 二人の間にカツラが割り込み、キョウの袖を強引に掴んで引き離した。彼はまたも舌打ちする。
「何するんですかっ」
「ご、ごめんねエリカちゃん。“先生”、少し借りるよー」
 カツラは平謝りしながら、機嫌の悪いキョウを通路の隅まで連れていく。エリカには小声がぎりぎり聞こえない距離だ。
「何だよ」
「聞いたぞ!……四天王目指すの?」
「ああ、この間一次試験受けてきた。もうそっちに話行ってるのか」
 キョウは書類に目を落としながら淡々と答える。
「そりゃ私はリーダー長だからね!本部とかリーダー協会の話は入ってくるよ。凄いね、カントーのジムリーダーで話が来てるの君だけだよ。私の方が2年先輩なのに……。でも、何で相談してくれなかったんだ」
「いや、試験受けるだけで相談いるか?公言して落ちたら居たたまれない」
「ハードルは上げといたほうがいいだろうよ!私だったら皆に言うけどなー。……ちなみに、一次試験は何だった?」
「筆記」
「おお、それなら!ダントツ首位間違いなし」
「さあ……。おいエリカ、これ高すぎだぞ!無理無理、通らない」
 キョウは不意打ちの様に声を張り上げながら、後ろで控えているエリカを呼んだ。カツラは思わず狼狽えたが、彼女に話は聞こえていなかったようで、不服そうに近寄ってくる。
「えー……、そうですか?」
「本部も今余裕ないからなー。100万以下にすれば導入できるかもしれんが」
「えっ、無理です!その什器の本体180万なんですよ?でも早めに入れたくて……」
「エリカちゃん結構大胆だねぇ……」
 しょげるエリカを、カツラが苦笑しながら慰めた。若いリーダーは世間知らずで時に大胆だ。
「私のジムで怪我をしたポケモンの保護をやっていて、今ケア装置が必要なんです」
「最悪、体力の回復だけでいいだろう?細かいところはお前のポケモンや薬でカバーすれば……」
 キョウの問いにエリカはやや不満げな表情を浮かべつつも、妥協するように小さく頷く。彼は什器の資料と見積もりを見比べながら少し考え込むと、エリカに向かって口を開いた。
「じゃ、この前の型にしろ。一度に治療できるポケモンの数が6から3に減るが、そこは妥協できるだろう?で、オプションはメンテのみ。状態異常の回復機能も外して……これは本部支給の薬使った方が安い。それで、128万……」
 説明しながら、彼は左手で『書くものをくれ』とアクションする。すかさずエリカは彼にペンを差し出した。資料の裏に、項目と金額が書き連なる。削れる箇所を15項目ピックアップしたところで、キョウは3秒ほどで金額の合計をはじき出した。
「98万7千円。まあこれなら、ギリギリなんとか。それと什器申請なら、この人にお伺い立てておくように。好物は“ニビ最中」
 キョウは懐から分厚い名刺入れを取り出すと、顔見知りである本部役員の名刺を添えて書類と共に突き返した。エリカはそれを破顔しながら受け取り、恭しく頭を下げる。
「もう一度作り直します!ありがとうございました。タケシさんにも協力してもらわなくちゃ!」
 早足で会議室へ戻るエリカの後姿を見送ったあと、カツラは彼に称賛の拍手を送った。
「ブラボー!うんうん、四天王なんて夢見てないで君はジムリーダーを続けるべきだな!同じプロでも、その二つには越えられない壁がある。ジムリーダーがレベルの制限がある戦いを強いられていても、だ」
 英語も喋れて計算も早く、世渡りも達者。これほど器用なジムリーダーはカントー、そしてジョウトにおいても彼しかいない。便利屋を手放すのは惜しいと、カツラは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そうだよなあ。……でも、ま。トレーナー10年の節目だ、記念にね。向こうもわざわざ手書きの招待状をくれたことだし」
「へぇー、凝ってるねえ」
 感心するカツラを置いて、キョウは一人廊下を歩き出した。会釈する職員達に応えながら、ぼんやりと出口を目指す。
(俺もようやく10年か…)
 駐車場へ行って自家用のレクサスに乗り込むと、ドアポケットに入れていた煙草を取り出し、一本取って火を付ける。一服しつつ、助手席に置いた鞄からおもむろにファイルを取り出した。タイトルは『バッジ保持率』。
 それはジムリーダーを評価する最も重要なバロメーターで、挑戦者トレーナー達にバッジを与えなかった成績を数値化したものだ。彼は10年前にジムリーダーに就任してから蓄積されている資料を、最初のページからめくり始めた。リーダー開始3年目以降から、ずっと安定して2位をキープしている好成績。5年前にサカキがジムリーダーを退任してからは、首位になる年も多くあった。
 これでいいと思っていた。プロに大事なのは安定感……。だが、ふと眼光炯々なサカキの顔を思い出してしまう。
『お前が私に勝てないのは、野心がないからだ。ジムを安定させることだけを考えてきた結果だな。まあ、プロとしてはそれもいいだろう。あの状況では仕方ない部分もある。しかし、一流のトレーナーは現状に妥協も満足もしないのだ。常に上を目指す』
「……」
 彼はファイルを閉じて助手席に投げると、エンジンボタンを押しながら車を発進させた。
 
 そのままタマムシを出て、セキチクへと繋がる高速に乗る。30分ほどで地元に到着した。
 カントー南部にある、中規模都市セキチクシティ。
 彼はこの町の名家の生まれで、ジム以外にも市政のサポートや地元企業のアドバイザーなどを行っており、地元では知らぬ者がいない程の有名人である。車の運転中にも、歩道から顔見知りの地元民が次々会釈していく。そのままジムへ行き、車を停めた。
 大きな道場風のジムに入ると、30人ほどの弟子たちが一斉に声を張り上げながら、彼に向けてお辞儀する。
「おざーーっす!!!!」
 弟子はもれなくガラの悪そうな連中ばかりである。経歴も前科者ばかりで、元々はサイクリングロードで暴れていた暴走族や、セキチクのチンピラ、元暴力団など。キョウは保護司も勤めており、出所した犯罪者を受け入れジムを更正施設代わりにしていた。
「おー、ただいま。ジョージ、誰か来たか?」
 彼は近寄ってきた弟子のジョージに尋ねる。両腕に入れ墨を施した、彼より一回りほど大きな見るからに凶悪そうな男だったが、キョウの前では背筋を伸ばして丁寧に答えた。
「オジキの留守にトレーナーが8人来ましたけど、全員倒しました。これ、スコアとコーヒーっす」
 そう言いながら、ジョージはキョウに試合データが記録されたスコアブックと缶コーヒーを手渡す。
「ありがとう」
「それから、サファリの副園長が新しいポケモンを入れたいって相談しに来ました。あと、電話で市長からゴルフのお誘い。それと漁師のコヤノさんって人から……」
 メモ書きをダラダラと読み上げる弟子に苛立った彼は、紙をひったくって要件を確認する。
「いやー、忙しいっすね!」
「殆どジムリーダーの仕事じゃねえなあ」
 キョウは自嘲気味な笑みを浮かべた。
 弟子の仕事先を斡旋するために、地元の支援は基本的に何でもしている。厳しく指導しているので、大半の弟子は真面目に人の道へ戻っていった。相乗効果で彼は地元ではかなりの名士と謳われている。
「でも、仕事漬けでお嬢さん寂しがらせちゃ駄目ッスよ〜。あんなにパパっ子なのに……」
「だったらもう少し俺の仕事減らしてくれよ。仲間につまんねえ喧嘩するなって言っとけ!」
 キョウはメモをジョージに突き返すと、コーヒーの缶を開けた。弟子たちの修行風景を眺めながら、少し上を向いてそれを口にする。味気ない、木目の天井……5メートル程の高さがあるはずなのに、とても窮屈に感じた。ポケモンのレベルを挑戦者によって調整しなければならないジムリーダーとどこか似ている気もする。
(四天王になったら制限もなくなるよなァ……)
 そんなことを考えていると、一人の弟子の野太い声がジム内に響いた。
「オジキー、お客さんッス!」
 顔を出入り口へ向けると、そこには強面の弟子たちに委縮しきっている作業着の中年がぽつんと立っている。キョウはその男に向かって会釈すると、奥の応接間へ来るように促した。
 
「す、すみませんお忙しいところ……」
 応接間へ入るなり、作業着の男性は背が折れるほどの猛烈な礼をする。キョウは呆気にとられた。
「あ、いや……顔を上げてください」
「も、もう頼れる人がキョウさんしかいなくて……!」
 男はすがり付くように悲鳴を上げた。年齢はキョウと大差なさそうだが、声は掠れ双眸は赤みが差している。
「とりあえず座りましょうよ。えー……、ケーシィ・テックのイイダ社長」
 キョウは入り口で交換した名刺と、彼を交互に見る。その社名は地元の町工場だとすぐにピンときた。
「ああ、セキチクの広報誌で読みましたよ。ポケモンのリフレクターを応用して、かなり精度の良い『見えない壁』を開発されたとか……」
「そうなんです。でも、全く売れないんですよ……」
「防犯にはもってこいだと思いますがね。警察やサファリには売り込んでみました?」
「ええ、サファリで試験導入していただいたんです。透過度が高すぎてぶつかる人が続出して……。その上コスト面で継続が難しく、契約は続きませんでした。警察も同じく、です」
「贅沢な悩みですね」
 キョウは苦笑いを浮かべた。
「品質は自信があります!でも、どうしてもコスト面で折り合いがつかなくて……。顔の広いキョウさんなら、何か伝があると思いまして……。失礼千万なのは承知ですが、開発に金をかけすぎて宣伝にあまり負担ができず……」
 社長は縮こまりながら懺悔する。
 見るからに不器用そうな男だなぁ、とキョウは感じた。このような男は鬼籍に入っている家族を彷彿とさせ、見捨てておくことができない。
「確かにコストがね……。いや、クオリティに見合った価格だと思いますよ。我が家の防犯にも使いたいくらいなんですが……うちのお転婆娘は頭をぶつけてしまいそうだ」
「ですよね……」
「いや、でも防犯には最適ですよ。ヤマブキ製薬に紹介してみます。ご近所のシルフカンパニーが襲撃された後だから、何か対策を検討しているところでしょうし」
「ヤマブキ製薬に!?」
 ヤマブキ製薬といえば、製薬会社の国内最大手である。ケーシィ・テックには雲の上のような存在であり、社長は腰を抜かした。
「ああ、私ジムリーダーやる前にそこで働いていたものでね。まだパイプがあるんですよ」
「そうなんですかぁ!羨ましいなぁ、高学歴で地位もあって……タマムシ大学をお出になられているんですよね」
「ええ……。でも、もともとジム継ぐ気ありませんでしたから。兄が急死して押し付けられただけですよ。存命してればまだまだしがない会社員で……」
「いやいや、やっぱりキョウさんに相談して良かったです!あなたは、我が社のヒーローですよ」
 その言葉にキョウは思わず吹き出し、声を上げて笑った。
「ヒーローですか。私に最も似合わない言葉だなァ!それに、感謝は結果が出てから……」
「いえいえ、何と言おうとキョウさんは我が社を救ってくださるヒーローです。今後とも、何卒よろしくお願いいたします!」
 社長は三つ指をついて丁寧に頭を下げた。不器用で押し付けがましい彼を見て、キョウの笑いが次第に呆れへと変わっていく。
(俺はジムリーダーなのか、町の便利屋なのか……)
 
+++
 
 事務作業やジムの日次レポート作成など、いつも通りの残業をこなし、キョウはようやく23時に帰宅した。彼は高名な忍者の家系に生まれ、家も文化遺産への登録を打診されるほどの歴史ある和風建築の屋敷である。とはいえ、妻と別れ現在は娘と二人暮らしなのでただ持て余していた。
 キョウはいつも通り車を車庫に入れ、屋敷門へ回る。自宅の灯りは落ち、すっかり寝静まっている中――音を立てないようにそっと玄関を開け、廊下に明かりを灯すとアンズのズバットが彼を出迎えてくれた。
「ただいま」
 ズバットはキーと鳴いて嬉しそうに一回転した。本音を言えば娘に出迎えてもらいたいのだが、帰宅はいつも深夜なので仕方がない。シャワーを浴びて浴衣に着替え、そっと娘の部屋を覗き込む。布団の中でニドランと共に寝息を立てる彼女を見ると、安堵と罪悪感が込み上げて来た。
(3日も寝顔しか見てない…)
 夜は遅く、朝が早い生活では顔を合わせない日も多い。彼は気だるい身体を引きずりながら、居間へ入った。座卓の上に、フードカバーと可愛らしい便せんに書かれた手紙が置かれているのが目に留まる。
 
 《お父さんへ。お仕事おつかれさま。ご飯あたためて食べてね♪オムレツとサラダはあたしが作ったよ!明日もお仕事頑張ってね。それと、今週の土曜日サファリに連れてってね! アンズ》
 
 カバーを開けると、おかずが四品。筑前煮、鯖の竜田揚げ、オムレツ、サラダ――前者二つは通いの家政婦のアキコが作ったものだろう。温めるのも面倒なので、そのまま酒のつまみにすることにした。
 相棒のクロバット♀をボールから出し、慣れた手つきでピントレンズをかけさせる。彼女は弱視で、とても目が悪いのだ。
 そして相棒とおかずを分けながら一人晩酌をする。テレビを聞き流しながらボンヤリ食べていると、せっかくの愛娘の手料理も味気なく感じられた。金も、地位も、名声も、家族もあるのに、ふと息をつくと、いつも傍にポケモンしかいない孤独感。
(何やってるんだろうなぁ俺……)
 テレビでは、家族が戯れる温かなCMが流れる。傷口に塩を塗るような仕打ちに、彼は深い溜め息をついた。一方で、クロバットは孤独感を埋められない自分に不甲斐なさを感じたのか、悲しげな表情を浮かべている。
「そんな顔するなよ……。晩酌付き合ってくれるだけで嬉しいよ」
 キョウは苦笑しつつ、相棒をフォローするように頭を撫でてやった。
『今ご帰宅された方、おかえりなさい。本日のニュースをまとめてお送りします』
 CMが明け、可愛らしいニュースキャスターの声が耳に留まり、思わず視線をそちらへ向けた。クロバットは不満げにキャスターを睨んでいたが、主人には気づかれず。
『本日午後2時に、ポケモンリーグ本部にて四天王の解散会見が行われました。新チャンピオンは前四天王のワタルさんに内定し…、』
「お、やっぱりワタルなのか」
 キョウはテレビ台の下に飾られた、ワタルのフィギュアコレクションを一瞥する。アンズがコンプリートに勤しんでいた食玩で、彼女はワタルの大ファンなのだ。
『それでは、ワタルさんのコメントをお聞きください』
 映像が会見場に切り替わる。
『この度、新チャンピオンに就任することが決まりましたワタルです。皆様には大変なご迷惑をお掛けしている中、セキエイを一からやり直すことになったことをお詫びいたします。詳細はお話しできませんが、現在新しい四天王を迅速に選出しており……』
『四天王からの繰り上がりということで、ワタルさん自身の実力は大丈夫なんですか?』
 記者席から嫌味な質問が飛ぶ。しかし彼は迷いなく答えた。
『はい。歴代最強の実力を備えられるよう、修練に励んでおります。トレーナーの皆さんには、心してかかってきていただきたい。もちろん、四天王も一流のプロを揃えますよ!』
 辺りを払うその態度にキョウは思わず感心する。それと共に、あの招待状の存在を思い出した。何故自分に届いたのかは分からなかったが、記念に受けてみようと思った選考試験。筆記は楽勝だったが、この先どこかで落ちると思っていた。ジムリーダーの実力を以てしても、やはり四天王には敵わない、と。
 しかし、この威風堂々としたチャンピオン。「一流を揃える」という言葉は、プロトレーナーである彼への挑戦状のような気がした。
「……」
 彼はテレビの電源を切ると、戸棚の引き出しから扇子を一本取出し縁側から庭に出る。クロバットは身体を振ってピントレンズを取り外すと、そっと座卓に置いて主人に追従した。
「行け。自由に飛んでいい」
 閉じた扇子を上へ振り払うと、相棒が羽音を立てずに夜空へ消える。その間に浴衣の袖から煙草を取出し、一本咥えて火を点けた。静寂に包まれた庭園の木々が夜風に揺れる。塀の向こう側、杉林の中にヨルノズクがじっと留まっていた。身体を低く構え、月に浮かぶクロバットのシルエットをじりじりと狙っている。
(あれにするか…)
 キョウは扇子を叩きながら、少し手前へ振った。これは弱視のクロバットを操るために彼が考えた指示サインである。
(クロバット、その位置から北西4メートル先にいるヨルノズクを狙え)
 その音を聞き、クロバットは杉林の前でターゲットを煽る様にひらりと舞った。その挑発にヨルノズクが乗ってくる。翼を広げ、悠々空を泳ぐクロバットへ念力の波動を送ると――煙草の煙だけが大きく揺れた。ヨルノズクの視界から蝙蝠はすでに消えている。
(爪に毒を乗せ、首の後ろを狙え。ヨルノズクはそこが弱い)
 キョウは扇子で己の首筋をトンと叩く。
 指示を耳にしたクロバットが素早く敵の背後を取った。直後、ヨルノズクの首元に鋭い痛みが走る。相手はすかさず反撃を試みるが、攻撃は空を切った。すでにクロバットは距離を取って、ヒラヒラとヨルノズクの周りを音もなく飛んでいる。それを目で追っていると視界が霞み、身体全体を締め付けられていくような感覚が襲う。急所を撃たれ、毒があっという間に身体を蝕んでいたのだ。
(左から襲え、トドメは下から仕掛けようか)
 ヨルノズクが毒の痛みに怯んだ瞬間――サッと扇子が開く、軽快な音が響いた。同時にクロバットが横から襲い掛かり、4枚の翼でヨルノズクを撃つ。間髪入れずに蝙蝠は下へ回り込み、弱ったヨルノズクを杉林へ弾き飛ばした。
 キョウは扇子を一振りで閉じると、半分まで燃えた煙草を宙へ放り投げた。それはすぐに微塵切りとなり、誇らしげな表情を浮かべたクロバットが彼の傍へピタリと着地する。
「応答問題なし。……今から裏山でもう少し練習するか」
 コンディションチェックだと思っていたクロバットは目を見張るが、いつになく真剣な主人の雰囲気を察し、すぐに気持ちを切り替え後に続いた。
 
 5年前。
 サカキがジムを去る直前、ポケモンバトルを挑んだ記憶を思い出す。
 自分が新人の頃から、一度も彼には勝てなかった。どれほど実力がついても、その差は埋められず結局最後まで勝利は得られなかった。項垂れる自分に、サカキは鋭く言い放つ。
『お前が俺にいつまでも勝てないのは、野心がないからだ。街の便利屋として動き……ジムを安定させることだけを考えてきた結果だな。まあ、プロとしてはそれもいいだろう。あの状況では仕方ない部分もある。しかし、一流のトレーナーは現状に妥協も満足もしないのだ。常に上を目指す』
『……プロは常に一流であれ、って飲み屋でいつも話していましたね。忘れていませんよ』
『だが、それでも俺に勝てないのは、まだまだ二流ということだ』
『……』
 その時、血が滲むほど唇を噛みしめた。あの時味わった鉄の味と共に、朧げになっていた過去が徐々に鮮明になっていた。
『お前はまだまだ上へ行けるだろう。誰もが認める実力になったとき……いつか俺のところへ来るがいい!』
 そう言って渡された黒い名刺は、赤文字で「R」と真ん中に大きく印刷されているのみ。当時から世間を賑わせている犯罪組織のロゴマークだった。その組織に彼が関わっていることを知らされ、キョウはひどく落胆する。
『……なんでアンタみたいなゴミクズを師匠だと思ってたんだか』
 呆れながら、名刺を迷わず二つに破り捨てた。足元に散らばる名刺を踏みしめながら、サカキが自分の前に歩み出て拳を突き出す。
『健闘を祈る』
『……それ、嫌いなんだよ』
『ふん、最後までクソ憎たらしい男だなお前は。しかし、今までの弟子の中では一番の傑作だった。これからも立ち止まらず進め、挑戦者は誇り高くあれ!せいぜい精進したまえ』
 自分の拳は出さなかった。手を伸ばせば、無意識のうちに思い切りぶん殴っていただろう。師と仰いでいた人物が犯罪組織に関わっていた衝撃と、それを止められなかった自身の不甲斐なさは、この5年の間で薄れかかっていた。しかし今――ワタルの一言を引き金に、あの時の屈辱が蘇る。
(上等だ。プロの矜持、見せてやるよ)

鈴志木 ( 2013/07/19(金) 11:32 )