第4話:親友
書類選考開始から1週間後。
ワタルは500人いたトレーナーの中から130人選び抜き、オーキド、マツノと磨り合して100人に絞り込んだ。
ほとんど毎日ミーティング部屋に籠って同じ作業をしていたため、緊張の糸が切れると急に腰や目に負担がかかってくる。彼はひどいだるさに襲われていた。
オーキドやマツノも相当やつれていた。キクコの引退会見の件で、フォローの対応に追われることになったのも一因だろう。
3人は会議室で疲弊しつつ、話し合いを続けていた。
「では、この100人に招待状を送るぞ……。ポケモン免許に一斉送信だ」
オーキドはタブレット端末を用いて、招待状のレイアウトを二人に確認させる。洒落た電子文書で、マツノはすぐに褒め称えていた。しかしワタルには引っかかる。事務的で味気ないのだ。彼は思わずオーキドに尋ねた。
「博士、これは手紙で出させていただけないでしょうか?」
「て、手紙!?」
意外な提案に、オーキドはコメディ映画のように椅子から滑り落ちた。選定作業で腰を痛めたこともあり、しばらく立つことができない。
「もちろんオレが全て担当します。……熱意を試験者に示したいんです。手紙はポケモンセンターのボックスに送れば、各自読んでもらえるかと」
「しかし、時間が……」
「今日一日ください、必ず書き上げます」
ワタルは立ち上がって丁寧に頭を下げる。これで一体何度目だろうか……その誠意に、オーキドは口を噤んだ。だが、今回ばかりはマツノが黙ってはいられない。
「……ワタル君、それにも経費かかるんだよ?君の人件費も……」
「全て自腹でやりますので。……お願いします」
二人は顔を見合わせ、肩をすくめた。この熱意の塊の新チャンピオンを止められる者など、今ここにはいないのだ。
「う、うん……。じゃあ、一日待つよ。レターセットは総務から取り寄せなさい。経費は後から給料天引き!」
「ありがとうございます」
ワタルは再びオーキドへ向けて頭を下げる。もちろん、マツノに会釈することも忘れない。態度は良いので、尚更引き止めることが憚られる。
「まあ手紙はメールより、貰った時の喜びが違うからなぁ。わしはその間に試験のフローをまとめた書類を作り直すとしよう。手紙に同封せんとな」
「試験内容、決まったんですか?」
目を見張るワタルに、オーキドはタブレットで書類のたたき台を見せた。試験内容については、3人で色々アイディアを出し合って最終的にオーキドがまとめることになっていたのだ。
「四次選考までするつもりだ」
まず一次選考は筆記試験。ポケモンの知識と、一般常識を見る。
二次選考は、バトル試験である。試験者をグループ分けし、トレーナーを見えないようにして総当たり戦を行う。
そして三次選考はポケモンの捕獲試験である。指定されたポケモンを、本部支給の特殊なモンスターボールでキャッチ&リリース。すると本部に捕獲時のデータが送られるようになっているのだ。
これを基に一握りのトレーナーを選出し、オーキド、ワタル、マツノとの最終面接を経て合否が下される。長い道のりに、チャンピオンは思わず息を飲んだ。
「厳しいぞー!一昨日、筆記試験問題を徹夜で作ったけどイジワルしたくてタマムシ大学のテスト問題入れといたから!他の役員にも解けなかったぞ!ふはは!」
「そういうの辞めてください」
ワタルは浮かれるオーキドをすかさず制した。
シバは筆記に通るのだろうか?という心配が頭の隅をよぎる……。
+++
打ち合わせが終わると、早速ワタルは本部総務課に行った。前四天王の登場に、オフィスは当然ながら騒然となる。現在世間的に人気が落ち込んでいるとはいえ、本部内では彼はスーパースターだ。これから危機を救ってくれる救世主であることに加え、爽やかで端正な容姿。女性人気はとても高かった。
「ちょっと、いいかな」
ワタルは目についた女性に声をかけた。彼女は頬を染めながらたじろぐ。
「な、なんでしょう」
「レターセット、100組ちょっとほしいんだけど……すぐ用意できる?」
「えっ、100!?ど、どうするんですか。そんなに……」
彼女は仰天して金切り声をあげた。営業からの依頼ならば理解できるが、彼はプロトレーナーである。本来ならばデスクワークには縁がない人種のように思えた。
「急なんだけど、今日中に四天王の選考試験の招待状を手書きで出したくてね」
「手書き!?」
彼女はとうとう腰を抜かしてしまった。
「そう。誠意が伝わりやすいかと思ってね。……で、ある?」
「あ、あります。ありますけど、ワタルさん一人でやるんですか?」
「ああ、そのつもりだよ。何とかなるよ」
爽やかでソフトなワタルの微笑みに、女性職員は胸を射抜かれた。これは彼に接近する絶好のチャンスである。胸の高鳴りを抑えながら「あの……、私、手――」と声を振り絞ろうとしたとき、
「「「「手伝いますっっっ!!!」」」」
話を盗み聞きしていた女性職員たちが一斉に立ち上がった。その勢いにワタルの目は点になったが、書類選考で疲れていることもあり、その好意に甘えることにした。
「あ、ありがとう……。それじゃ手が空いていたら、お願いしようかな?」
希望者を募ったところ、次から次へと手が上がり総勢20名の有志が集まった。そうなると一人辺りの枚数も少なく、ワタルは5枚手書きして終わり、1時間も経たずに作業は終了した。あまりに早く終わったので、オーキドが担当するの書類の作成を急かしたほどである。彼はすぐに書類を仕上げると、総務へ印刷を依頼した。
「これは、きっと読んでくれますよ!嬉しいですよ、こういう手書きのお手紙が来たら!」
女性職員たちが楽しそうに封筒をシールする。
「そうだと嬉しいな。今はとにかく熱意を見せないとな」
同じ作業を行いながら、ワタルはぽつりと呟いた。まさかチャンピオンになって早々、このような地味な作業ばかりから始まるとは思わなかった。だが思い返せば、四天王になるために挑んだ試験の舞台裏でもスタッフの様々な苦労があったことだろう。彼らには感謝しきれない。
「みんな、ありがとう」
ワタルは作業の手を止め、徐に封をする女性たちへ頭を下げた。
「えっ!ちょっと、ワタルさん……」
「頭を上げてください!そんなことしないでください」
職員たちが慌てて止めようとするなり、ワタルは勇ましく顔を上げた。
「必ず、セキエイを盛り返すから!期待しててくれ」
端正なルックスに自信と実力が付加されると、これ以上ない信頼感が滲み出てくる。女性たちは惚けつつエールを送った。
「もちろんです。あたしたち、応援してます!」
「頑張ってくださいね!」
「手紙送る作業もやっておきます。ワタルさんは、他のお仕事をしてください」
そう言って、彼女たちは手紙をかき集めていく。
「ありがとう、よろしく頼む。……あ、これだけ手渡しするから貰っとくよ」
ワタルは隅に除けていた封筒を手に取ると、彼女たちに会釈してその場を去って行った。ピンストライプのワイシャツに黒の細身パンツ姿で颯爽と立ち去るワタルの背中を、女性職員たちがうっとりと見送る。
「超かっこいー……」
「本部にもあんな素敵な人、いないよねぇ……」
「あっ、あたしメアド聞いとけばよかったっ!」
思わず立ち上がった若い女子職員を、他の仲間たちが冷ややかな眼差しで睨みつけた。抜け駆けは禁止である。
+++
封筒を一枚持ったまま、ワタルはスタジアムへと続く連絡通路を歩いていた。
すれ違う職員達が、彼に会釈したり激励を送る。彼は本部の希望を背負う、ヒーローのように見られていた。とはいえ、まだ結果の一つも出ていないので浮かれている訳にはいかない。膨らんでいく期待分、応えなければならない。その重圧は途方もなかった。
スタジアムエリアへ足を踏み入れる。
通路に貼られていたスポンサーのポスターは殆ど外され、通路はすっかり寂れていた。関係者用の売店や医療施設は縮小営業していたが、来週休業するとの張り紙が貼られている。
ロッカールームの脇を通り、フィールドへと続く通路を歩く。いつも試合後にマスコミ対応で賑わっていたその場所はひっそりと静まり返っており、ワタルの足音だけが響いていた。
その通路を抜けるとプロ側の控えベンチに出る。クチバの老舗自動車シートメーカー特注の本革ベンチシートが五台二列ずつ並ぶ中、後列の右端に大柄な男が座っていた。そこは彼の指定席である。
「待たせたな、シバ」
ワタルは徐に、彼の隣へ腰を下ろした。
「別に待ってない」
相変わらず素っ気ない返答。
「ふふ、まあいいか。はい、これ」
ワタルは気にすることなく、手に持っていた封筒を彼に手渡した。シバは無言でそれを受け取り、中身を取り出す。
……この度、セキエイ高原ポケモンリーグ本部において、四天王を一新する運びとなりました。
つきましては、貴殿のトレーナースキルを見込んで、ぜひ選考試験へのご参加をご検討いただきますようお願い申し上げます。現在セキエイは深刻な状況下に置かれておりますが、これを機に面目を一新しトレーナー界の未来を守る所存です。……
「堅苦しいな……」
苦い表情を浮かべるシバに、ワタルは肩をすくめながら苦笑する。
「書状だからね。意図が伝わってくれればいいさ」
シバは徐に手紙を脇に置くと、フィールドを眺めながら呟いた。
「……ここも、全面閉鎖らしい」
「ああ、売店やメディカルセンターに張り紙貼ってたな。来週で休業するとか。」
「訓練ができんな……」
シバは思わず溜め息をつく。
「隣の練習場を使えばいいじゃないか?シロガネに籠るのはやめてくれよ。あそこは電波が届かないから。連絡が取りづらい」
「うむ……」
ポケモンとの鍛錬がライフワークである彼は、このフィールドで訓練することを何より気に入っていた。ここが押さえられなければ、セキエイからやや離れた場所にある、この地方最高峰のシロガネ山で特訓している。シロガネ山は起伏が激しい上、強豪な野生ポケモンが住んでいることから、プロと一部の実力者トレーナー以外は立ち入り禁止区域に指定されていた。そこの山の奥にシバはこっそり山小屋を建て、別荘のように使っている(本宅と化しているのだが)。シロガネ山は電波が入らないため、そこに行くときは必ず申告しろと、彼は上から口酸っぱく言われていた。
「また、ここで訓練できるといいな」
「そうなるように、試験には必ず通るぞ!」
「一次試験は筆記だが、大丈夫か?」
ワタルは少しいたずらっぽい笑顔を浮かべて冷やかすが――筆記と聞き、シバは動揺を露わにした。シバ25歳、ワタル以上に幼い頃からポケモンバトル漬けの彼は、人生から試験勉強を排除してやってきたたのだ。
「なっ……、なんだと!?そんなの、5年前もやったか……?」
「多分、やった気がするけどな。まあトレーナーのトップに立つ者として、一般常識はあった方がいいということさ」
「……ワタル、おれの待遇をもう少し良くしてもらえないだろうか」
「筆記もパスしろって?」
「……。い、いやっ、構わん!お前の力は借りん!!そんなの四天王にふさわしくないからな」
「はは、健闘を祈るよ」
とはいえ、ぶつぶつと悩んでいるシバを見ていると少し不安になってくる。
視界に広がる広大なバトルフィールドを前に、ワタルはふと気分転換を思いつき、シートから立ち上がった。
「よし、最後に手合せしようか」
「いいのか?」
シバの暗い表情が、途端に明るく輝いた。それを見ると、ワタルも気分が乗ってくる。
「最近デスクワークばかりしてたからな。バトルがしたくてうずうずしてた」
「オレもだ!……ああ、そういう仕事はしてないんだがな。よし、南側へ行く」
彼はベンチを飛び出すと、テクニカルエリアを回って南側のポイントへと向かった。そちらは普段、挑戦者が使うエリアだ。
「いいのかい?」
「お前はチャンピオン、オレは今のところ四天王崩れだからな。挑戦者だ」
「……分かった。長い時間やると怒られるからタイマンでいこうか。スコアボードも使えないしな」
「残念だが、仕方あるまい」
二人のやり取りを耳にして、スタンドから数人の清掃員たちが何事かと顔を出す。それを見たワタルは彼らに声をかけた。
「すみませーん!ちょっと使わせてください!」
清掃員たちはにこやかに頷くと、二人に向けて両手を振った。
「どうぞー」
「見てるよー」
「ほどほどにね!」
久々の練習試合、身体の奥底からふつふつと闘志が湧き上がってくる。二人は阿吽の呼吸で声を張り上げた。
『プレイボール!』
二つのモンスターボールが宙を舞う。
フィールドに現れたのは、カイリューとカポエラー。
「カイリュー、竜巻!」
ワタルの指示にカイリューは軽く飛翔すると、翼をはばたかせて竜巻を繰り出した。カポエラーは身体をひっくり返し、角を軸に駒のように回ってそれを軽やかに回避する。
「電光石火っ」
カポエラーはシバの声を聞いて、勢いそのままに高速回転しながらカイリューに接近する。竜は尻尾でドリルを弾くように払い除けながら、少し後ずさって距離をとった。
「カイリュー、高速移動。それから翼で攻撃!」
カイリューは頷くと、身を屈めカポエラー目掛けて疾駆する。2メートルを超える巨体の攻撃を、カポエラーはスピンしながら身体を浮かせ、見事かわしてみせた。そのままカイリューの頭まで高く浮き上がり、「メガトンキックだ!」シバの絶叫と共に三本の脚を振り下ろす。会心の一撃。カイリューは思わず顔を歪ませたが、痛みを堪えながら身体に食い込むカポエラーの脚に噛みつき、フィールドへなすりつけた。
「よく耐えた、カイリュー。そのまま、アイアンテール!」
ワタルはやや興奮気味に指示を叫ぶ。声が上ずってしまうのは、久しぶりのポケモンバトルだからだろう。
カイリューはカポエラーをフィールドに押し付けながら、身体を回転させて硬化させた尻尾を振り下ろした。咄嗟に、カポエラーは身を捻って三本の脚で尾を押さえつけるが、先ほど噛まれた痛みで思ったより力が入らない。ハンマーのように変化した尻尾は想像以上の威力を発揮し、カポエラーは軽々とフィールドへ叩きつけられてしまう。あまりの衝撃に、カポエラーはゴム毬のようにバウンドしてそのまま数メートル先へ飛ばされた。
しかし彼は、常にタフであれと主に鍛えられている格闘ポケモンである。すぐに身を立て直した。
「やれるか?」
近寄ってきたシバの問いかけに、カポエラーは黙って頷く。
「よし、行くぞ……インファイト!」
カポエラーは口に入った砂埃を吐き捨てると、再び身体を高速スピンさせながらカイリューの身体めがけて疾駆した。やや傾き気味に、竜の懐へ狙いを定める。
敏捷な動きは、巨体のカイリューでは避けきれない。ならば、迎撃するのみ。ワタルは咆哮を轟かせた。
「迎え撃て、カイリュー!かみなりパンチ!」
カイリューは主の指示に頷きながら、カポエラーに真っ向から勝負を挑む。
腕から雷光をほとばしらせ、身体を捻りながら渾身のスクリューパンチを叩き込んだ。稲妻と拳の凄まじい衝撃がカポエラーを駆け巡り、インファイトを仕掛ける意識さえ掻き消してしまう。そのままシバの前まで押し返した。彼の足元に気絶したカポエラーが転がる。
「ま……、負けた!」
シバが肩を落とすと同時に、スタンドから小さなスタンディングオベーションが巻き起こった。僅か数人分の歓声も心地よく、ワタルは客先向けて丁寧に頭を下げる。ぜひとも、これを満員の観衆から聞きたいものだ。
「いや、良かったよ。手合せしてくれてありがとう」
シバが不服そうな表情で北側のテクニカルエリアから戻ってくる。
「まだまだ訓練不足だな……。よし、おれは今から練習場へ行く!」
「頑張ってくれよ」
「そっちもな」
二人は拳を突き合わせると、閑散としたスタジアムから満足そうに立ち去った。