第3話:新チャンピオン
翌日、ワタルは総監に呼ばれポケモンリーグ本部タワーの最上階――70階の総監室にやって来た。
このフロアは総監室しかなく、本部スタッフの間では『謁見の間』とも呼ばれている。ワタルがここへ来たのは四天王に就任して以来だ。
4人の美人秘書がいる区画に入ると、第一秘書が愛想よく彼を奥へ通してくれる。
「総監、ワタル様がいらっしゃいました」
「はいはい、どうぞ」
総監のしゃがれた声が聞こえ、ワタルは一礼してその部屋に足を踏み入れた。
「失礼します」
その部屋は50畳程度の広さで、入り口付近に飾り棚、応接セットが置かれていた。あちこちに飾られている調度品は一目見ただけでかなりの価値があるものだと分かる。総監はギャロップとオニドリルがお気に入りらしく、特にそのモチーフの骨董品があちこちに鎮座していた。
「悪いね、忙しいのに急に呼び出して」
部屋の一番奥、カントー・ジョウト地方が一望できる窓の前に置かれたデスクから総監が立ち上がる。
白い髭を生やした、ロマンスグレーの壮年の男だ。大樹のような豪胆で落ち着いた雰囲気を醸し出し、相手を圧倒させる。ワタルの背筋も自然にピンと伸びた。
「いえ……、私もお話ししたいことがありましたので」
「チャンピオンになりたいって言い出したことだよね。うん、まさにそれだ。……そっち、座って」
総監はワタルを応接スペースのソファへ座るように促した。
「失礼します」
柔らかなソファの上に腰を下ろす。その反対側に総監が座ると、すぐに秘書がお茶を運んできた。二人の前に湯呑が置かれたあと、総監は無表情で口を開く。
「やってくれるなー、君は」
「申し訳ございません」
ワタルはすかさず頭を下げた。
「ま、レッド君のプロ入り拒否は止められないし、グリーン君を担ぎすぎたうちにも責任があるんだけど。でもね、規定通りとはいえ、自分が繰り上がってそのうえ四天王解散って、泣きっ面に蜂もいいとこだよ。抜けたとこに人入れるだけじゃ駄目なのかい?新しくやり直すというのは、時間も金も膨大にかかってしまうんだよ。ただでさえ、セキエイは火の車なのに」
総監はあからさまに渋い表情をしながら、頭を伏せたままのワタルを睨みつけた。
「申し訳ございません。しかし、肝胆を砕き対応にあたる所存です。必ず期待以上の結果を出して見せます」
居住まいを正し、ワタルは総監の目を見据えながら言明する。その真っ直ぐで勇壮な瞳は、ドラゴンそのものだ。これまで幾多の人間、ポケモンと交流してきた総監も詰責の手を緩めてしまいそうになる。
「口で言うのは簡単だよ。口だけなら、誰でもチャンピオンになれる。……だが、現実は甘くない。繰り上がりの補欠チャンピオンなんて揶揄されるのがオチだ。猛烈に非難されるだろう。君んとこの立派な家名にも傷がつく。…それでも、なりたいのかね?」
総監の鋭い眼光がワタルを貫く。
この一月で見たグリーンの零落ぶりは、彼も目を覆いたくなるほど凄まじかった。失敗すればあれが我が身に降りかかってくることは明白だ。しかし今はその恐怖より使命感が勝っている。ワタルの覚悟は揺らぎなかった。
「望むところです。オレはプロです。どんな挑戦も迎え撃ちますよ。『臆病者は、戦士にあらず』です」
迷いなど感じられない、一流プロトレーナーの精悍な顔つき。
「なるほどねえ……、実に良い心構えだ。」
総監はほんの少しだけ嬉しくなった。初めて彼に会った時も、こんな表情を見せてくれたものだ。その際、彼はいつかチャンピオンの座に上り詰めるだろうな、と思っていたので、この就任は総監にとってやや不本意ではあるのだが。
(ふーん、彼ならやってくれるかもなぁ……)
感心した総監は、微笑みながらワタルの目の前に右手を差し出した。
「ならば、よろしく頼もうかな。……チャンピオン殿」
「あ……、ありがとうございます!」
ワタルは飛びつくそうにその手を両手で包み込むと、何度も頭を下げた。あまりこういった礼をしないワタルだが、一切気にすることなく深々とお辞儀する。
「私は君と心中する気はないからね?でも、まあなるべく私も力になるよ。金はできるだけ使いすぎないようにね。あとはプロジェクトリーダーのオーキドに相談して進めなさい」
「はい」
「そうそう、最重要指令を言っておかねばな」
総監は真剣な面持ちでワタルに向き直る。神妙な顔つきに、彼は思わず息を飲んだ。
「なんでしょうか?」
「実力重視といえど、ちゃんと四天王に女の子は入れるんだよ!男ばっかりだとむさ苦しいし、フェミニスト団体もうるさいからねぇ……。あの、できれば若い子をね。もうキクコみたいなのは勘弁してほしい」
あっけらかんと笑う総監に、ワタルは思わず苦笑しながら頷いた。
+++
総監との話が終わると、ワタルは早速オーキドと打ち合わせの予定を取り付ける。
総監からすぐオーキドに話が行っていたようで、その日の午後にミーティングを実施することが確定した。マツノも参加するらしい。ワタルは普段スタジアムでずっと訓練をしているので、ここまで長時間本部タワービルに居座っているのは新鮮な気分だった。シャツとパンツという姿でオフィスを駆け巡る姿は、さながら会社員である。
「お待たせしました!」
押さえた会議室へ行くと、オーキドとマツノがノートPCを見ながら話し込んでいる最中だった。オーキドがすぐに気付いて立ち上がる。
「いやいや、待ってないさ。君も色々大変だろう」
「大変なのはこれからです」
「頑張ってくださいよぉ、新チャンピオン様!」
持て囃すマツノを会釈しながらさらりと流し、彼は席につく。
「博士、あのプロジェクトを進めましょう。オレは興行化には賛成です」
「うむ、もはや背に腹は変えられんからな。まずは四天王を新しく決めなおさなければならん」
「前の改組が5年前ですか。オレが採用された時の。あの時は……、」
ワタルは当時の記憶を引き出した。多くの審査を突破して、やっと選ばれた四天王。あれはもともとどうやって集められたのだったか。
「あの時も、これだよ」
オーキドはノートPCを彼の前に見せる。
そこにはワタルの経歴やリーグの受賞歴、手持ちポケモンの傾向などを記したトレーナー情報が事細かに分析されていた。
「これは……!」
「これはな、本部が管理しているトレーナーの免許データを基にしたプロファイルだ。ここだけの機密データだよ。ほら、ポケモン免許でポケモンの体調管理やバッジのデータなどが見られるだろ?あれ、ここのサーバで管理しているんだよ」
「ああ、なるほど」
10歳になると取得できるポケモン免許は、小型タブレット型の端末である。
これ一台で捕獲したポケモンのデータ、マップやトレーナー自身の情報が閲覧できる。また、電子マネー機能も搭載されており、旅に出たトレーナーへ修行資金として一定額が本部より支給されるようになっていた。追加でアプリをインストールすればさらに利用の幅が広がるなど、トレーナー必須のアイテムである。
「全国には本部から派遣されたスカウトがいてね。評判のトレーナーを聞き回りながら、未来のポケモンマスターの調査を行っているんだ」
「ああ、噂は耳にしたことがあります。本当だったんですね」
「ワタル君ももしかすると会ったことがあるかもなぁ……。君の評判は凄かったから」
「『フスベシティのドラゴン使い一族本家の長男に、素晴らしいドラゴンマスターがいます!50年に一度の逸材です』ってスカウトが息巻いてましたよね!いやあ〜、あの時の本部の盛り上がりはすごかったなぁ……」
マツノが興奮気味に口を挟んで脱線させた。ワタルの顔が引きつってきたところで、オーキドが軌道修正する。
「話戻すよ。で、そのスカウトが今のところチェックしてるトレーナーに試験召集をかけようと思うのだが……その数500人!うむ……、多いなぁ。」
「書類審査が必要ですね」
「そうだな。だが今回は時間もあまりない中で、前回を上回る人材を集めなければならん。より大衆に信頼をしてもらえる、心を掴む強いトレーナーが必要だ。試験はかなり厳しくしていきたい」
「同感です」
「でも、セキエイの評判が落ちてる中でみんな試験受けてくれますかね……。そりゃ、少し前まで四天王といえばトレーナー界のスターで、目標でしたけれども……」
不安げで頼りない支配人を、ワタルはポジティブに励ました。
「今は一時的に評価が落ちているだけで、職業的価値はまだ高いと思います。興行化に納得し、一緒に戦って貰える人材を発掘しましょう!」
その言葉にオーキドも頷いた。
「そうだな!ではまず3人で手分けして候補者の審査を……」
机の端に伏せていた二台のノートPCをオーキドが持ってくる。すかさず、作業を引き留めるようにワタルが立ち上がった。
「いえ、オレは全員に目を通させてください。これから苦楽を共にする仲間ですから、妥協したくないんです。お二人は半分ずつ手分けしていただけますか。それで最後に候補者を突き合わせましょう。期限は必ず守ります」
オーキドとマツノは絶句して顔を見合わせた。500人分のデータを一人でチェックするのはあまりに無謀だが、チャンピオンの気迫は凄まじく、二人とも口を挟むことができない。
「う、うむ。1週間ほどで大丈夫かね?」
「もちろんです!博士、お忙しいのにありがとうございます」
ワタルは一礼し、早速ノートPCを広げて電源を入れた。
「構わんよ。こうなったのも、わしの孫に原因があるからな」
「彼は……、大丈夫ですか?」
ワタルの問いに、オーキドは首を横に振る。
「今は、まだ。だが、時間が解決してくれるだろう」
「回復を祈ります。彼の才能は、このまま埋もれさせるのは惜しい」
「うむ、ありがとう。あいつが少し持ち直したら、もう一度全国を旅させるつもりだよ。そこでトレーナーの本質を再確認させるつもりだ」
真摯に語るオーキドに、ワタルは無言で頷いた。
+++
それから3日経過した。
ワタルは本部ミーティングスペースの1区画を1週間予約し、そこでずっとトレーナーの選定作業を行っていた。
8畳ほどの窓がない空間は、昼夜が見えないため時間を気にせず集中できる。疲労や空腹も感じなかった。心配したカイリューがボールの中から動いて知らせるほど、自身は何も苦にならない。
気になったトレーナーの情報を片っ端からプリントアウトし、手持ちのポケモン情報やスカウトのレポートからどんなバトルをするのかをシュミレーションする。
10歳になってすぐポケモン免許を取得し、それから12年間ほぼバトル一筋の生活。崖に落ちた自分を救ってくれたサカキのように強くなりたくて、彼を追い抜きたくて、ヒーローになりたくて、とにかく修行を積んだ。
どんなバトルもなるべく記録している。カイリューのロゴが入った分厚いノートは20冊に及んだ。それを机の上に積み上げ、プリントした書類と突き合わせて分析。レッドやグリーンに負けない者を選びたかった。
「ワタル、いるか?」
部屋のドアがノックされ、磨りガラスの上から友人の顔が覗く。
「やあ、シバ!入ってくれよ」
ワタルはプリントした書類とノートPCを伏せると、シバを部屋に招き入れた。彼は足を踏み入れるなり、机から零れ落ちそうなほど積まれているノートや書類の山を見て愕然とする。
「す、すごいな」
「ああ、四天王の選定しててね。資料はちょっと、見せられないけど……」
「盗み見するつもりはない」
はっきりと答えるシバに、ワタルは安堵の笑顔を浮かべて彼に椅子を勧めた。
「何の用だ?」
「ああ、ここで仕事しているとマツノに聞いて、差し入れをな」
そう言ってシバはワタルにお茶と弁当を差し出した。スタジアムの売店で販売されているものだ。
「ありがとう!夕食はこれにするよ。わざわざすまないな」
「いや、構わん。それと……聞いたぞ。チャンピオン確定らしいな」
「ああ、晴れて繰り上がり当選。公になるのはもう少し先かな。もうマスコミでは予想されているけど」
ワタルは自嘲的な笑顔を浮かべた。
「いいのか?それで」
親友の問いに、ワタルは楽しそうに一笑する。
「障害は大きいほど挑み甲斐がある。お前も同じだろ?」
「そうだな」
シバは安心したように微笑むと、ワタルに向き直り、姿勢を正してきっぱりと告げた。
「おれも、やはりプロを続けようと思う」
和やかな空気を断ち切るような、とても真摯な言葉にワタルも顔つきを変えた。自分がそうであったように、彼も相当な覚悟を決めている。
「四天王に、とは言わん。トライアウトを受けてでも、やはりこの世界に残りたいのだ。おれは、ポケモンバトルがしたい。強さを極めたい。その為にはアマチュアでは駄目だ」
「……お前らしいな」
「プロトレーナーは天職だからな」
真面目で硬派で寝ても覚めてもポケモンバトルのことを考えている彼が、プロトレーナー以外の仕事をやるなどワタルにも考えられなかった。ワタルはしばらく考え込むと、シバに尋ねる。
「四天王に推薦してもいいかい?その実力なら、間違いなく加入できる」
「ありがとう。実を言うと、またお前と仕事がしたくてな。四天王になれるのは嬉しいが……、試験は受けさせてほしい」
思わぬ発言に、ワタルは目を丸くする。
「無試験で加入してお荷物にはなりたくない。お前の顔に泥を塗る可能性だってある」
「シバらしいな。……分かった!それじゃ、書類審査をパスする待遇だけにしよう」
「ありがとう。必ず、試験は通過するぞ」
彼はそう言いながら、勢いよく立ち上がった。
「では、これ以上邪魔するのは辞める。帰るぞ」
「いい息抜きになったよ。ありがとう」
ワタルも親友を見送るべく立ち上がると、シバはふとあることを思い出して彼へ振り返った。
「それと、夕方6時からキクコの引退会見が開かれるらしいぞ。テレビとラジオで中継されるとか」
「ああ、そうなのか。見ないとな」
「四天王の解散発表はいつだ?」
「来週かな。その時、オレの繰り上がりチャンピオン発表もするらしい。まあ、どうせキクコが今日の会見で暴露するだろうから、またマスコミに火がつくだろうなぁ……。お前も気をつけろよ、しばらくは『逃げるのか』って非難されるだろうから」
「おれは外野の文句など気にせん。四天王に戻るため、修行に励むのみ」
「やっぱりね」
「仕事、頑張れよ」
シバはドアの前で立ち止まると、親友へ拳を向けた。ワタルも右の拳を出してそれに応える。
彼は四天王採用試験からのワタルの大親友、そして良きライバルだ。互いに切磋琢磨し、ここまでの地位を築いてきた。また同じ仕事ができるよう願いながら、ワタルは再び席に戻ると、腕時計を外して机に置いているカイリューのモンスターボールへ話しかけた。
「すまないけど、18時になったら知らせてくれ」
相棒のカイリュー♀がぺこぺこと頷いた。ワタルはボールの隣に腕時計を置き、仕事に戻る。
通算200人目のトレーナー情報を見終わったとき、ワタルの手元でカイリューのボールが小刻みに揺れだした。時計を見ると、17時55分である。律儀な相棒に彼は苦笑しながら、自身のスマートフォンを手に取りワンセグを起動した。
『間もなく、四天王キクコさんの引退会見が行われます!噂では四天王も解散するとのことですが、真相はご本人の口から聞けるのでしょうか!?』
「やっぱり漏れてるんだな……」
ワタルはため息をついた。リーグ本部はこれだけ大きな組織である。情報を完全に防ぐことは難しい。
しばらくCMや煽りが続いた後、会見場の中継に切り替わる。場所はすぐ分かった。スタジアムのロッカールームである。ここを選ぶとはなんとも彼女らしい……とワタルは感じた。
『キクコさんが現れました!』
涼しい顔をして現れたキクコに、嵐のようにフラッシュが焚かれマイクが向けられる。総監やオーキド博士と同じ70歳。3人は昔、研究や修行をしていた仲らしい。小柄な身体からは想像できない、巧みなバトルを展開する女トレーナーの草分け的存在だった。歯に衣着せぬ物言いで、役員たちからは敬遠されていたのだが。
『この度はお集まりいただき、ありがとうございます』
一応礼儀として、キクコは恭しく頭を下げる。記者たちはすぐに切り込んだ。
『突然引退を発表されましたが、今のお気持ちは?』
『まああたしも年だったしね。年寄りは大人しくして、若い連中に引導を渡さなきゃって思ってね』
すぐにキクコは普段通りの軽い調子で話し始めた。この飾らない性格も、結局最後まで変わることがなかった。
『後任の方は決まっているのですか?』
『今選んでるところらしいよ。ワタルが頑張ってるから、みんな応援してね!セキエイは生まれ変わるんだよ』
『あの、それはワタルさんがチャンピオンに繰り上がったと……?』
『そーそ!つまり、四天王も解散して真っ新からやり直すんだよ。……ああ、勘違いするかもしれないから言っとくけど、あたしらは逃げるんじゃないよ!ちゃんとオーキドのガキのケツは拭くさあ!見てろォ、アマトレーナーども!!プロが本気出すとどんだけ凄いか、見せてやろうじゃないの!』
記者陣はどよめき、一層強いフラッシュが焚かれていく。そこはもはや、引退会見というより暴露会場と化していた。彼女の性格上、こうなることは予想できていたが……ご丁寧にメディアへ向けて宣戦布告までしてくれるとは。ワタルは苦笑しながら、ワンセグを止めた。
「やってくれるなぁ……」
今頃、この本部ビルの上の方では台風が吹き荒れていることだろう。他のミーティングスペースでもこれを見ている社員がいたらしく、悲鳴を上げながら飛び出して行く声が聞こえた。そんな喧騒を気に留めることなく、ワタルは思い切り背伸びすると、ボールの中のカイリューに目配せする。
「さて、仕事だ。仕事」
相棒はにこやかに頷く。ワタルはノートPCを開くと、再度プロファイルデータを呼び出した。