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第1章
第2話:白紙
 グリーンの失態はレッドの殿堂入りを超えるセンセーショナルなニュースとなり、全国を駆け巡った。
 チャンピオン戦はテレビ、ラジオ、ネットで中継されており、カントー・ジョウト民の半数は視聴していると言われている。それ故に、反動も凄まじかった。
 ありとあらゆるメディアで思想が一致した大バッシング。グリーンを広告にしていたスポンサーは引き潮のように彼を一斉に降板させた。起用してすぐの所も多く、彼を売り込んでいたポケモンリーグ本部は多額のペナルティを背負わされ、グリーンはあっという間に解雇された。しかし言われずとも彼は失態後すぐにマサラタウンの実家に戻っており、部屋に引き篭もって出てこなくなったという。
 もちろん実家は狙われたが、祖父であるオーキド博士の尽力でマサラタウンの出入りが規制され、地元民しか入れなくなったため、ひとまず身の安全は守られることになった。
 
 それから一月経過し、ようやく炎は弱まりかけていた。しかし依然メディアやネットではグリーン叩きが行われており、その火の粉は四天王たちにも掛かっている。あまりに事が大きくなりすぎたため、セキエイタイトルマッチは事件以降しばらく休止されることになった。
 だがスタジアムが稼働しなくなったことにより、セキエイ周辺の施設は大損害を被る。ショッピングモールは閑古鳥が鳴いており、ホテルはキャンセルが続出。本部も毎日クレーム処理に追われ、一触即発の張りつめたムードが流れていた。
 ワタルはがらんとしたスタジアムの北側控えベンチに座り、ぼんやりとフィールドを眺めていた。今はスタジアムのあちこちで、広告を消す作業が行われている。
 カイリューが飛翔したとき、テレビに映り込んだサイコソーダの広告。翌週、メーカーからダースで届いたことがある。そんな事も遠き思い出で、先ほどその看板は外されてしまった。
 競技場内を囲むフェンスに描かれた企業のロゴも、上から容赦なく消されていく。
(年月をかけて築いた栄光も、こんなにもあっけなく白紙に戻るのか……)
 老いた作業員が近寄ってきて、ベンチ前で作業を始めた。
「寂しいねえ」
 作業員の男がワタルに向かってぽつりと呟く。
「そうですね」
「栄枯盛衰って言うけどさ、こうもあっという間なんだなあ……」
 ワタルは苦笑した。
「そういう世界ですから」
「でもさ、ここまでとはね」
 確かにそうだ。
 厳しいプロの世界を改めて思い知らされた気がした。激昂していたとはいえ、チャンピオンが負けて喚き散らし、あまつさえモンスターボールを神聖なフィールドに叩きつけるなど言語道断である。しかし十分すぎるほどの制裁を受けることになってしまった。
 あのたった一分足らずの行為で『NEW HERO』は失墜した。またもヒーローを見損なってしまったのである。
「…あんた、これからどうするの?」
 老人がひょっこりと顔を出す。
「オレですか?……うーん、まだ分かりませんね。プロは続けたいんですけど」
「続けてくれよ。ワシね、あんたのバトル好きなんだ」
「そうですか。ありがとう」
 ワタルはにっこりと微笑んだ。
「たまに試合がテレビでやるとね、孫と一緒に見てるんだよ。孫もあんたのこと大好きでねー、もっとテレビで放送してくれれば良いのになあ」
「……」
 タイトルマッチはメディア視聴率が非常に高く、スタジアムも毎回満員御礼なのだが、試合数が少ない。それは『ポケモンバトルの見世物化』を咎める声が少なからずあるためだ。
 ワタル自身も、興行化には戸惑いがある。
 だがこの広大なスタジアムを埋め尽くす観衆から受ける声援は、筆舌尽くしがたいほど心地よい。
 このステージに立つとき、自分はヒーローになれた気がした。
 その瞬間は、現実が夢に重なるのだ。だからマントを翻しても、違和感なく振る舞うことができる。
(まだまだここへ立ちたい……)
 ワタルはベンチから立ち上がると、テクニカルエリアまで歩み、フィールドに向かって頭を下げた。栄光の舞台で戦うことができた感謝と共に、またここへ戻ってこれるようにと願う。
「ねえ、サインいいかい?いつか貰おうと思ってたんだよ」
 ロッカールームへ戻ろうと身を翻した彼に、先程の老人が帽子を取って微笑んだ。
「今の自分で良ければ」
「まだまだ、やれるよゥ!」
 老人は帽子とペンを彼に差し出した。
「ありがとう。価値が出るようにしないとな……」
 ワタルは帽子のつばに流れるようにサインを書くと、老人へそれを返す。
「おう!応援してるよ」
 まだ見捨てていないファンがいることは、純粋に嬉しかった。ワタルは老人に会釈すると、ロッカールームへと戻ることにした。
 
+++
 
 その日の午後、ワタルは本部の40階会議室に呼ばれた。緊急会議を行うらしい。
 時間より少し早めに到着すると、既にキクコが窓際の席についていた。
 彼女は机に背を向け、窓の外に広がるセキエイ地区の風景を眺めている。スタジアムや周辺施設、そしてシロガネの山々を一望できる最高のポジションだ。
 その反対側の席に、ワタルは無言で腰を降ろした。
「……あたしが四天王になった頃はさ、この辺山しかなかったのにねえ。変わったもんだよ」
 キクコが窓を向いたまま口を開く。
「それを本部が山潰してスタジアムやら何やら作ってポケモン追い出してさ。トレーナーの総本山の癖に何やってんだ、と上に噛みついたもんだよ。……今も言ってるけどね」
「確かにな。しかし、オレ達もその恩恵を受けているから難しいところだ」
 ワタルは苦笑する。
 セキエイ周辺施設やスタジアムの利益の多くはトレーナーの修行資金などに利用されており、重要なライフラインである。
『君は、全国5000万人のトレーナーを背負って舞台に立つんだよ』
 これはワタルが四天王になった際に本部のトップ、総監に言われた台詞だ。当時はまだその自覚が薄かったものだが、今はそれなりに自覚している。
「そそ。あたし矛盾してるよねえ。役員連中にも言われたよ。『だったら四天王に居座り続けなくて結構!』ってさ。でもスターみたいな扱いが心地よかったんだろうね。結局、今日までぬるま湯に浸かっちゃってさ……。すっかりシワシワのばばあだよ」
「気持ち、分かるよ」
「ふふ、だよねぇ。なんか今考えるとさ、異常だったよ。ポケモンに技の指示するだけで富も名声も手に入れてさ。若いころは貧乏で苦労したから余計に、ね。アンタは名家のお坊ちゃんだからあんまり実感湧かないかもしれないが」
「いや、そんなことは」
 ワタルは椅子の背にもたれ掛って天井を仰いだ。
「ポケモンとの共存ってやつは難しいな。分かんないからさ、いつも本部に口だけ出して、金だけもらって。あたしも結局、オーキドの孫と一緒なんだ。嫌になるよ、自分が」
「そうかな……」
「だからさ、あたしは引退するよ」
「……」
「逃げてるって、思わないでよね」
 半回転した椅子に座っていたキクコは、引きつった笑いを浮かべていた。
「そんなこと、全く思ってないよ」
「これからは好きなことして、金儲けなんて考えずに穏やかな老後を過ごすんだよ」
「キクコが?信じられないな!」
「うるさいね、あたしだってそろそろ落ち着きたいんだよ」
 そして二人でくすくすと笑い合う。 キクコは気が置けない仲間だ。笑顔を見せていたが、内心ワタルは残念で仕方がなかった。
 
 5分ほどして、シバとカンナが会議室に入ってきた。
 カンナはキクコ、シバはワタルの隣にそれぞれ座り、四天王同士談笑でもしようかという雰囲気になったとき――本部の役員たちが10名ほど現れ、空気は一気に引き締まる。最後にスタジアム支配人のマツノと、本部相談役のオーキド博士が現れ、席に着いた。
 博士はノーベル賞も受賞したポケモン研究の世界的権威で、国内最高峰の教育機関・タマムシ大学の名誉教授でもある超有名人だ。そしてグリーンの祖父である。
「博士、彼は?」
 マツノがオーキドに耳打ちする。
「ちょっと遅れてるようで……、あと10分後に来るそうだ」
「遅刻……って!」
 慌てるマツノをよそに、オーキドは勢いよく立ち上がると、よく通る声で話し始めた。
「えー、皆さん!話の席を設けていただき、ありがとう。そしてまずは、我が孫の非礼をお詫びしたい。……本当に、申し訳ありませんでした」
 深々と頭を下げるオーキドに会議室は思わずどよめく。
 ワタルの目の端に、舌打ちする役員の姿も引っかかったのだが。
「そういうのは、本人が直接詫びるのが筋なんだけどね。子供だから仕方ないね」
 キクコがちくりとオーキドを刺す。
「申し訳ない。孫は今、とても外へ出られるようなメンタルじゃなくてね。いつか体調が戻ったとき、必ず本人から謝罪はさせていただく。今はセキエイの立て直しが急務だ。そしてわしは本部総監より、そのプロジェクトリーダーに任命された」
 本部総監といえば、ポケモンリーグ本部トップの人間である。あまりにも雲の上の役職すぎて、ワタルも殆ど会ったことがなかった。総監と聞いて、不満そうだった役員たちも顔を引き締める。
 空気が整ったところで、オーキドは資料を全員に配り、立て直しの案を説明した。
「急務なのはとにかく、信頼と利益の回復だ。よく存じていると思うが、本部はジムの運営、トレーナーの修行資金や免許システム、専用宿泊施設の維持費なども負担しており、ポケモントレーナーの生命線でもある。その膨大なコストを税金より多く賄っているのはセキエイなのだ。……だが、窓の外を見てくれ。現在、毎試合満員のスタジアムは休止。ショッピングモールやホテルなどの商業施設は閑古鳥が鳴いている。このままでは、未来のポケモンマスター達を潰してしまうことになってしまう」
 ワタルは視線を手元に落とす。
「そこで……、」
 オーキドが話を繋げようとしたとき、ドアがノックされた。
「お、来たかな。どうぞ、入りなさい」
「失礼します……」
 さっと部屋に入ってきたのは、赤い帽子を被った少年だった。
「遅れてすみません」彼は脱帽後、皆に向けて一礼する。ワタルはすぐに顔を上げ、目を見張った。
 彼こそつい先月、ワタルのドラゴンポケモン軍団をものの見事に撃破したポケモンマスター、レッドだ。グリーンに次いで、連日ニュースで取り上げられていたがメディアには殆ど顔を出していなかった。ワタルも顔を見るのはフィールドにグリーンのボールを拾いに行った時以来である。
 グリーンと同い年の11歳らしいが、彼のように背伸びせず年相応に見えた。見るからに大人しそうで、あの時の勇往邁進なバトルをする少年にはとても見えない。
「先月、見事殿堂入りを果たしたレッドくんだ」
「よろしくお願いします……」
 控えめに頭を下げたレッドに、シバが拍手を送る。
「おめでとう。お前とのバトルはとても素晴らしかった!」
 彼は謙虚だが勇敢なバトルをするレッドをとても気に入っていた。
 つられてぱらぱらと、拍手が巻き起こる。ワタルも笑顔で賞賛を送った。レッドはほんの少し口角を上げて、照れるような仕草を見せる。
「さて、レッドくん。ワタルくんの隣が空いてるからそこに座ってくれ。これ、資料」
「はい」
 レッドはオーキドから資料を受け取ると、そそくさとワタルの隣に腰を下ろした。近くで見ると、どこにでもいる普通の子供である。
「えー、では全員揃ったところで話を続けるが、我々はトレーナー界維持のためにこの状況から這い上がらなければならない!バッジを八個揃えた者を迎え撃つタイトルマッチの再開も急務だ。まず、レッド君をチャンピオンに据え、現行メンバーでの運営を行おうと思う。そして、これまで一部のみだった試合のメディア中継を全試合やろうと考えている。スタジアムでの試合数も増やして集客を伸ばすつもりだ」
「なるほど、完全に興行化するわけですね」
 資料を読みながらワタルは相槌を打つ。
「そう。多少叩かれるだろうが、仕方ない。これはトレーナー界を思ってのことだから」
「そうですか……?」
 ふいにレッドが口を挟んだ。会議室じゅうの視線が彼に集中する。
「僕の立場で言うのも何ですけど、トレーナーっていうのはやっぱりポケモンあっての存在です。中継したり、試合数を増やしたりっていうのはポケモンの負担も大きいし……これじゃあ見世物じゃないですか。ポケモンやバトルは、お金儲けの道具や手段ではないと思います」
 きっぱりと言い放った台詞に、思わずその場がどよめいた。ワタルも目を見張る。
「で、でもね、レッドくん……」
 オーキドは慌てて口を挟もうとしたが、彼は話を辞めなかった。
「僕はこの案には反対です。ごめんなさい、他の案を出せって言っても思い浮かばないんですけど……。プロ入りも考えていません。博士には先に言えばよかったんですけど、グリーンの件で忙しくされててお話しできなくて……」
「そんな……」
 あっさりと拒絶され、オーキドは力が抜けたように椅子の背もたれへ寄り掛かった。カンナが狼狽えながら腰を浮かせてレッドに尋ねる。
「あなた、今ここでチャンピオンに就任したらセキエイの救世主としてスーパーヒーローになれるのよ?どうして拒絶するの?」
「……僕はヒーローになんかなりたくありません。ポケモンのことを一番に考えたいだけです。バトルはポケモンと喜びを共有できる最も良い方法だけど、仕事にすると負担が大きすぎる」
 カンナは目を見開き、複雑そうな表情で席に着いた。彼女はポケモンの保護団体の支援も行っているから、何か思うところがあったのだろう。その隣でキクコは楽しそうに話を聞いており、シバも頷いていた。
 ワタルもレッドの言い分に納得するところはあったのだが、一方で5000万のトレーナーの未来を背負って立たねばならない側面も拭いきれずにいた。
 
 自分にはプロトレーナーとしての立場がある。
 応援してくれるファンがいる。
 そして何より、まだ現実と夢を繋ぎとめていたかった。
 
 このまま何も解決しないなんて、『ヒーロー』じゃない。
 
「で、でも新しいチャンピオンがね……?あの、セキエイは四天王とチャンピオンがいないと成り立たないんだぞ」
 問い詰めるオーキドに、レッドは思わず口を噤んだ。攻勢をかけようとする博士より早く、ワタルがすかさず立ち上がる。
「博士、オレにチャンピオンをやらせてください」
「な……!!!」
 その僅かな言葉に、会議室は騒然となった。役員やマツノは腰を抜かし、レッドは目を見開く。四天王たちも動揺を隠せないでいたが、唯一キクコだけ楽しそうに笑っていた。
「タイトルマッチの規約に、記述があります。『チャンピオンに勝利したトレーナーは殿堂入り、及びプロ入りの権利が与えられる。それを拒否した場合、前チャンピオンは残留することができる。何らかの理由でそれが困難な場合、配下の四天王から後任を選出する』」
「た、確かにあ、あるけど……」
 オーキドは狼狽しながら、他の四天王を見た。いち早く反応したのは、やはりキクコだ。
「そりゃ賛成だね!ああ、でもあたしは年も年だし引退しようと思うけどね。これだけ抜けるなら、いっそ四天王も解散して選び直した方がいいんじゃないのかい?」
 カンナもあっさりと頷いた。
「そうね……、一度やり直してもいいと思うわ」
「シバくんは?」
 オーキドは黙り込んでいたシバに向かって、縋り付くように尋ねた。
「オレは……、チャンピオンにワタルは相応しいと思う」
 最後の砦も崩壊する。ワタルは言明した。
「これだけの騒ぎを起こしてしまったんです、この際振出しに戻り、一から信頼を取り戻しましょう。時間が多少かかっても、今は仕方ありません。オレも総監に頭を下げます。だから理解してください、夜明け前が最も暗いんです」
 ドラゴンポケモン使いに相応しい威風堂々とした風格は、オーキドや役員達に口を挟む隙を与えない。彼は唖然としているレッドを見下ろしながら告げた。
「君の意見はある意味正しいと思う。でもオレはまだプロでありたいから、それでも前に進み続ける道を選ぶんだよ」
「そこまでしがみ付きたいものですか……」
 こちらを睨み据えるレッドの表情には、怒りや懐疑が浮かんでいた。だが他の案を出せない彼は、特に反論せずすぐに沈黙する。
 険悪な空気を察したマツノが、必死で笑顔を張り付けて立ち上がった。
「他の方はどうですか?ワタルくんの意見……」
 場は沈黙したが、あちこちでコクコクと頷く様子が目に留まる。オーキドは深い溜め息をつき、呆れ返ったように身体を起こした。
「えー、じゃあワタルくんをチャンピオンにすることに賛成の方は?挙手願います」
 一人くらい反対の意見が出るとワタルは思っていたのだが、結果はまさかの満場一致。
 会議はそこで中止となった。
 マツノや役員たちは目も合わせず足早に退出し、レッドもオーキドと共にどこかへ去ってしまった。取り残された四天王だけが、夕日が差し込む会議室にしばらく無言で座っている。誰も動こうとしない中、キクコがいたずらっぽい笑顔を見せた。
「……まさか、自分がチャンピオンになりたいと言い出すとか。やるじゃない?」
「すまないね、みんなに相談もなく思いつきで言い出して」
「いいのよ、私もちょうど辞めたいと考えてたし。ほら、鳳凰会の支援もしてるでしょ?いつもランスがうるさくって……ちょうどいいわ」
 カンナは肩をすくめて苦笑する。鳳凰会は彼女が支援しているポケモン保護団体で、カンナはそこのリーダー・ランスと交際しているのだ。彼はシバとも旧知の仲なのだが、その話を聞き、大男は顔をしかめた。
「あの少年、ランスのようなことを言っていたな。オレもあの意見は正しいとは思うのだが……ワタルの言い分も一理ある。妥協も必要だが……難しいな、難しい。オレはこれからもプロを続けていくか、悩んでいる」
 頭を抱える友に、ワタルは笑顔を向けた。
「また四天王に戻りたいならいつでも言ってくれ。オレは何と非難されようと、プロを続けるつもりだ。これから博士や総監、支配人たちと話をまとめていくよ。勿論ポケモンは大切だが、いちトレーナーとしてこの世界を見捨てるわけにはいかないからな」
「ありがとう、お前はやはり無二の友だ」
 シバは会釈して立ち上がった。ワタルは大男の前に拳を突き出す。シバは一笑しながら己の拳を出し、それに答えて部屋を出ていく。
「それじゃ、頑張ってね。ワタルなら、上手くやれると思うわ」
 カンナもワタルの元に駆け寄ってグーを合わせた。その後ろにはキクコも控えており、同じく拳を構えている。
「代わって良かったって思わせるようなチャンピオンになるんだよ!」
「ああ、任せてくれ」
 突き出した拳を合わせる、フィストバンプ。健闘や勝利、栄光を称え合う仕草だ。
 ワタルは目を細めながら、戦友たちを見送った。
 
 やがて空は蒼黒に染まり、スタジアムの灯りが落ちたセキエイは幕が下ろされたように暗く静まり返っていた。
 ワタルは未だ会議室に留まっており、電気もつけずにキクコの座っていた席から窓の風景を眺める。
 
(そう、夜明け前が最も暗い)
 
 窓の外はつい先月とはうって変わり、閑寂で明かりもほとんどなく、虚無に満ちている。
 この惨状を体現しているかのようだ。
 
(ヒーローに頼るんじゃない。オレが、ヒーローになる)
 
 ワタルは椅子から立ち上がる。
 
(誰も見たことがない太陽が昇るんだ)
 
 彼は身を翻すと、そのまま部屋を出た。  

鈴志木 ( 2013/07/19(金) 11:14 )