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第1章
第27話:王者の証明・前編
 5年も経験したいつもの動作が、今、ワタルにはとても新鮮に感じられていた。
 アンパイヤ席の前向かう僅か数メートルの移動さえも、まるで初めての経験のようだった。
 割れんばかりの大歓声も、膨らみすぎている期待の眼差し、仲間たちの声援も――何もかもが新しい。
(チャンピオンとして見る景色はこんなにも違うのか……)
 ふと、両手が震えていることに気付いた。強く握りしめ、緊張をかき消すように息を整える。
 そして、アンパイヤ席の前でレッドと対峙した。この場面に出くわすのは二度目である。唇を一文字に結び、レッドはただじっと新チャンピオンを睨み据えていた。竜へ挑む勇者の眼差し――相変わらず、とても良い目だ。ワタルの唇が、ほんの僅かに緩む。
「……こんなにも早く再戦できるなんて、光栄だよ」
「僕もです」
 彼をまっすぐに見つめながら、レッドは小さく頷く。対峙する二人を記録しようと、スタンドのあちこちからフラッシュの星々が煌めいた。
「お互い、正々堂々いい試合をしよう」
 それ以上余計な話はせず、ワタルが右手を差し出して、レッドもそれを握りしめた。更に多くの光が瞬く。
「もちろんです。プロの力を見せてください」
 勇壮な視線が交錯する。手を握った以上の強い力が両者に伝達されてきた。握手が解かれると、二人はすぐに身を翻してポジションへ戻る――一切の無駄がない互いに劣らぬ王者の風格に、観客は思わず息を呑んだ。どちらもまだ若いが、チャンピオンに相応しい品位を備えている。
 
「僕、レッドの試合を初めて生で見るんだ!それがワタルとなんて……超楽しみ!すっごい強いんだよね」
 イツキは緊張を解すように手を擦り合わせながら、後列のベンチシートで騒ぎ立てていた。隣に座っているシバがそれを煙たがりつつ、大きく頷く。
「うむ、あいつは確かに相当な実力者だ。おれも前にストレート負けを期してしまった」
 一方で、前列ベンチはやや冷静な眼差しでフィールドを眺めていた。
「ふぅん、そうなの。有名だけど、実は私……あの子のことあんまり知らないのよね」
「俺も」
 カリンの言葉にキョウも隣で頷いた。それを聞いて、イツキが後ろから顔を出す。
「えっ、キョウさんはジムで戦ってるでしょ?ジョウトとカントーすべてのバッジを持ってるらしいし。超有名人じゃん!」
「……さっき俺と当たった奴も前に戦ったことがあるらしいんだが、挑戦者の顔なんていちいち覚えてないよ。ジムリーダーは多い日で30人くらい捌くからな、勝っても負けてもほとんど記憶に残らない」
 キョウは怪訝そうな口ぶりで答えた。イツキはやや不服そうに唇を尖らせる。
「そうなの?僕、エンジュジムのマツバと友達だけど、結構挑戦者の顔は覚えてるみたいだよー?」
「あいつは確か就任してまだ1年そこらだろ?10年もやってると気にしてられないよ。特にスタメンのバランスが取れているトレーナーなんて、普通すぎてすぐ忘れる。タイプが偏ってるとちょっと気になるんだが……」
 その意見はカリンも同意した。
「うん、その気持ち分かる。接客業でもそうだもの。あんまり会話もなかった一見さんなんて殆ど覚えてないし。あの子、雰囲気はあるけどあんまり印象に残らない顔立ちだものね」
「……覚えてないとは勿体ないな、素晴らしいトレーナーなんだが」
 その話を聞きながら、シバは残念そうに息を吐いた。
 
+++
 
『このチャンピオンズマッチのルールを今一度皆様にお知らせしましょう!手持ちはそれぞれ6匹、装備品なし、途中交代なしで一対一の勝負を6セット行います。チャンピオン達のガチンコバトルをお楽しみくださいっ』
 スタジアムDJはスタンドを盛り立てながら補足解説をすると、フィールドを足早に去っていった。はち切れそうな程膨らんだ、試合開始を待つ眼差しが新旧チャンピオンに集中する。それを気にしないよう言い聞かせ、ワタルはポジションに立つと、ベルトに装着したボールから迷わずひとつ選び出した。
「……トップバッターは君だ。頼むよ」
 ボールの中のポケモンと顔を見合わせ、頷き合う。フィールドのセンターライン上に、アンパイヤ席から赤いフラッグが降りた。いよいよ、試合が始まる――スタートを煽る歓声が徐々に厚みを増していく。
『プレイボール!!』
 地鳴りのような声援と共に、新旧チャンピオンはフィールドへ一斉にボールを投げ込んだ。
「行け、チルタリス!」
 ワタルが繰り出したのは、綿雲を纏った小さなドラゴン。
「頑張れ、ネス!」
 一方、レッドはラプラスを召喚する。体格はチルタリスより倍ほど大きく、タイプ的にもワタルが不利である。熱に浮かされていたスタンドから、感心の声が上がった。いきなり勝負は決まったか?そんな空気である。
(……プロにタイプの弱点は関係ないさ)
 不利な勝負など望むところ、ワタルはやや頬を緩ませる。直ぐにレッドが目を見開きながら先制をかけた。
「ネス、氷のつぶて!」
 ラプラスの周囲に無数の雹がふわりと渦巻き、チルタリスに照準を定める。反射的にワタルは指示を出した。
「コットンガードで吸収しよう」
 言い終わると同時に、雹がマシンガンのように一斉発射された。チルタリスは直ぐに綿雲を硬化させて防弾する。それを弾除けにするように、ワタルが背後へ回り込んだ。剃刀ような氷の粒手がチルタリスへ次々食い込んでいく――だが頑丈な綿の盾はこの程度ではびくともしない。スタンドから感嘆の声が上がる。流れ弾は北側ベンチへ飛んできて、四天王も身体を屈めてなんとか避けた。半分ほど被弾したところで、ワタルが反撃を命じる。
「追い風で反撃だ!」
 チルタリスは素早く身体を捻ると、豪風を巻き起こしながら体毛に食い込んだ氷の粒手を一斉に跳ね返した。避ける隙さえ与えない僅かなスピードに、ラプラスは返り討ちに遭う。
「ネス!前!」怯んでいるラプラスの隙を狙って、チルタリスが眼前に跳び込んでくる。「竜の波動っ!」
 ラプラスが動く前に、チルタリスは即座に衝撃波を発射した。至近距離の攻撃は、200キロを超えるラプラスの巨体をもひっくり返す。
「いいぞチルタリス。……上へ飛んで、さらに攻撃!」
 ワタルの声を聞き、チルタリスは更に攻撃を撃ち込むべく、ラプラスの上空へと舞い上がる。そこへレッドは素早く指示を出した。
「ネス、冷凍ビーム!!」
 チルタリスが浮き上がった瞬間、ラプラスは首を捻りながらすかさず冷凍ビームを放った。綿毛を撃ち抜かれたチルタリスは悲鳴を上げながら、弧を描いて空中へ。「ハイドロポンプだっ!」ボールのように軽々と跳ね上がったチルタリスを逃さず、今度は地上から無数の水柱が襲い掛かろうとした。ワタルはチルタリスの落下点を追いながら声を張る。
「チルタリス、少し右へ避けるんだ……!」
 我に返ったチルタリスは宙を回転し、間一髪でハイドロポンプを回避した。その水柱の延長線上に、ラプラスが仁王立ちしている。目ざとく見つけたチルタリスが、主人へ向けて美しい声を上げた。ワタルは頷きながら声を出す。
「ゴッドバ−ド!」
 チルタリスは身を翻すと、ハイドロポンプの水柱に沿いながらラプラスの死角を選んで避けられないように急降下――弾丸の如きスピードは、回避の隙さえ与えない。チルタリスは頭を引っ込めると、コットンガードで硬化させていた綿雲で殴り掛かるようにラプラスへ衝突した。その衝撃はフィールドを揺らし、ラプラスをフェンス際へ弾き飛ばす。これだけではタフなラプラスを気絶させるに足りないことはワタルには分かっていた。追い打ちをかけるように、チルタリスをけしかける。
「チルタリス、ドラゴンクロー!」
 チルタリスはすかさずラプラスの横腹めがけ、鋭い爪を振り上げた。
「頑張れ、ネス!のしかかれっ」
 ラプラスがその鉤爪を踏み潰すように、チルタリスへと覆いかぶさろうとする。この巨体が小柄で軽いチルタリスに圧し掛かれば、たやすく骨を折ってしまうだろう――ワタルは右腕を振り払いながら、「退け!」その指示通り、チルタリスは大きくバック転しながら距離を取った。ラプラスは思わずつんのめる。
「チャンスだ!そのまま……、つばめ返し!」
 宙に浮かんだまま、チルタリスは前のめりにバランスを崩したラプラスめがけて疾風の刃を一閃する。ノーガードで叩き込まれ、ターゲットはフィールド中央まで跳ね飛ばされた。ここまで相当なダメージを負っているものの、ラプラスは苦痛をおくびにも出さずに全力で頭を持ち上げる。
(……あれだけダメージを受けても必死で体制を整える。やはり、相当訓練されているな)
 ワタルは感心しながらチルタリスの後ろへ回り込むと、その耳元で囁いた。
「……とどめを刺そう」
「ネス、吹雪っ!渾身の一撃を食らわせてやるんだ」
 レッドの声を聞いてラプラスは体内にエネルギーを結集させる。なんとか隙を作らせないよう気を張っているとはいえ、既に相当な負荷がかかっていた。何が何でも、この一撃でチルタリスを仕留めたい――レッドと、ラプラスの思惑がシンクロする。
 チルタリスが脇目も振らず突進してきた。開いたくちばしから光の粒が溢れだす。
「今だ、ネス――」
「チルタリス、破壊光線!」
 レッドの指示を遮るように、閃光がスタジアムに煌めいた。強大な光線が、吹雪が放たれる前にラプラスをいとも容易く一掃する。つい先ほどの試合で、カリンがラフレシアに指示したそれとは比にならない程の破壊力。その威力はラプラスの巨体を弾き飛ばし、スタンド中段のフェンスへ突き当てるほど。レッドは唖然としながら天を仰いだ。
(やっぱり強い……)
 軽々舞い上がったラプラスは、音を立てながらフィールドへ落下した。レッドが駆け寄るより早く、フラッグが気絶を知らせる。
「ラプラス、戦闘不能!」
 その刹那、地鳴りのような大歓声が沸き上がった。
『チャンピオン、まずは初戦白星ィ!』
 DJの声が響き、スコアボードのワタルの枠に白星が点灯する。それが目に入った途端、まるで布を払うようにワタルの中から緊張が消え去った。同時に込み上げてくる、熱で身体が浮き上がる様な高揚感。
(勝った……!)
 拳を握りしめ、喜びを噛み締める。ワタルは誇らしげな面持ちで飛んでくるチルタリスに駆け寄ると、その頭を優しく何度も撫で回した。
「ありがとう、よくやった!」
 チルタリスは彼の胸に頭を擦り付けながら歓喜した。これほど喜んでいる仲間の姿を見るのはワタルも久しぶりである。思わず頬が緩んでしまうが、まだ一戦目ということを思い出して再度気を引き締め直した。
「君のお陰で、いいスタートを切れたよ。ありがとう!じゃ、戻ろうか。……いいね?」
 まだまだ褒めてほしそうなチルタリスの顔を彼は両手で包み込み、笑顔で言い聞かせると、ドラゴンはすぐに納得してボールへと戻った。徐にフィールドへ顔を向けると、レッドがこちらをじっと睨み据えている。
「……次は、負けません」
「望むところだ。次も負けないよ」
 両者、次のボールへ手を伸ばした。
 
+++
 
 北側ベンチ上のスタンドで観戦していた総監に、マツノがビールを持って駆け寄ってくる。彼は自分の評価を上げようと、ずっと機会を窺っていたのだ。周りを取り囲んでいた役員の一人が携帯で呼び出され、席を立った隙を狙う。
「総監、お酒はいかがですか?」
「私はね、観戦中は酒を飲まないんだよ。集中したいからね。試合前に気分を上げる程度で十分」
 総監はマツノに目を合わせることなく、ワタルに注視しながら冷ややかに突っぱねた。
「す、すみません……」
 マツノの身体から瞬く間に血の気が引いていく。
「ちゃんと見てる?我らがチャンピオンの晴れ舞台なんだよ。余計なおべっか使ってる場合じゃない」
「は、はい……。申し訳ございませんでした……」
「支配人として、ちゃんと仕事をしてくれたまえ」
 総監はマツノを追い返すと、座席に座り直して足を組んだ。隣で付き添っていた副総監のフジが、感心するように微笑みかける。
「ふふ、総監は彼を相当お気に入りで……」
「まあね。自ら立候補して大口叩いてたんだから、相応の実力を見せてもらわんと。さっきの様な展開ならば今後も問題ないだろう。……それにしても、ちょっと大げさに暴れるくらいが面白いねえ。見えない壁の効果が際立つ」
「ええ、間近に技やポケモンが飛んでくると思わずヒヤリとしてしまいますが……。なかなか迫力があっていいですよ、これは」
「導入は成功だな。うん、このまま勝てたらもうパーフェクト。言うことなし!彼にボーナスあげようかな」
 総監は機嫌よくワタルの背中を見つめる。黒いマントを背負った後姿は、非常に心強く感じられた。
 
+++
 
 初戦を白星で飾った新チャンピオンを称え、スタジアムからワタルコールが巻き起こる。それはワタルにとってまだ重苦しいプレッシャーでしかなかったが、小さく息を整えて二匹目のボールを手に取った。
「次は……、君だ。勝つぞ!」
 ボールの中のポケモンが頷く。
「行け、ボーマンダ!」
 フィールドへ投げ入れたボールから、ボーマンダが雄たけびを上げながら現れた。猛々しい竜の姿に、観衆は一層盛り上がった。
「次はプッス!君に決めたっ」
 レッドが繰り出したのは、カビゴンである。のそりと立ち上がったその巨大な姿は、さながらそびえ立つ大岩のようだ。ワタルは少しも臆することなく、ボーマンダへ近付き技を命じる。
「ボーマンダ、先制をかけよう!ドラゴンクロー!」
 ボーマンダは頷くと、そのまま翼を広げ一直線にカビゴンへ飛んでいった。そのまま腕を振り上げ、相手を切り裂く――鍛え上げられた腕力は、その巨体をもたじろがせた。二発目を仕掛けようとしたところで、カビゴンが動く。
「プッス、腹太鼓だ!」
 カビゴンはすっくと立ち上がると、厚い脂肪に覆われた腹を勢いよく叩き始め、アドレナリンを一斉に放出した。その振動は空気さえも震わせる。ワタルは思わず息を呑んだ。
(……まずいな。早めに仕掛けないと)
「ボーマンダ、空を飛んで距離を取ろう」
 荒ぶっているカビゴンの攻撃は致命傷になりかねない。ワタルがボーマンダを飛翔させる一方で、レッドは余裕の表情を見せていた。
「逃がさないですよ!プッス、ころがる!」
 カビゴンは助走をつけて身体を丸めると、フェンスへ体当たりしてそのままゴムボールのように跳ね上がった。その見た目からは考えられない程の軽快な動きに、スタンドから驚きの声が沸く。カビゴンはボーマンダをロックオンすると、身体にスピンをかけながら奇襲をしかけた。ワタルはテクニカルエリアから飛翔したボーマンダの影を追いつつ、指示を出す。
「左へ避けろ!」
 隕石のような攻撃を、ボーマンダがすれすれで回避する。だがその威力は絶大で、前足を僅かに掠っただけで軽い火傷を負ってしまった。カビゴンはそのままフェンスへ激突し、再び跳ね上がった。スタンドが鈍く振動する――空高く浮き上がったところで、レッドが技を叫んだ。
「影分身だ、プッス!」
 その瞬間、巨大な毬が無数に分かれてスタジアムの空に散らばった。その異様な光景は、岩石が降り注ぐより恐ろしい恐怖感を生み出す。だが実際に攻撃を受けるのは、そのうちの一つだけ。そう思い直せば気が楽になるのだが、ボーマンダは目を白黒させながら跳ね上がる幾多のカビゴンに翻弄された。
「ボーマンダ、フィールドに降りてくるんだ!」
 主人にフォローの言葉を聞いて慌てて踵を返すボーマンダに、カビゴンはしっかりと狙いを定めていた。それに気づいたワタルがすぐに動こうとするが――。
「来る……!ボーマンダ、守……」
 その命令を引き裂くように、カビゴンは一直線にボーマンダ目掛けて落下した。ボーマンダは素早くガードを取ろうとしたが、それより早く巨大な身体が激突する。落下スピードにより攻撃力を高めた400キロ超の巨体の衝撃は、ワタルのマントを大きく翻し、ボーマンダを容易くフェンス上段へ叩きつけた。
「とどめだ、プッス!」
 ボーマンダがフィールドへ落下する前に、カビゴンが再び跳ね上がる。次にまたこの攻撃を受けてしまえば、気絶は確実だ。ワタルはボーマンダの元へ走った。
「頑張れ、ボーマンダ!空へ逃げるんだ」
 その声に弾かれるように、ボーマンダは体制を立て直して宙へ飛び立った。間一髪で、カビゴンがその位置へ衝突してくる。大きく振動し、傍にいたワタルの身体を揺らした。彼は転倒しないようにバランスを取りながら、ボーマンダを目線で追う。
「ボーマンダ……、そのまま、攻めろ!」
 カビゴンの攻撃を回避したボーマンダは、宙で回転しながら急下降し、相手がこちらへ振り向く前にその頭に追突した。二匹はそのままフィールドへ落下する。レッドは目を見張った。
「プッス!」
 ワタルはボーマンダが起き上がる前に疾呼する。
「ボーマンダ、竜の波動っ!」
 ボーマンダは身を起こしながらカビゴンに衝撃波を与えると、その勢いで縺れた身体を引き離した。両者、既に息も絶え絶えだ。レッドは足早にカビゴンに駆け寄った。
「プッス、大丈夫か?」
 カビゴンがボーマンダを睨みつけながら、勢いよく頷いた。そして、次の指示を主人に求める。何が何でも負けたくない――そんな心情がレッドに伝わってくる。
(……僕だって、負けたくないよ。ポケモンバトルはいつでも負けたくない)
 深呼吸して、彼は声を張り上げた。
「プッス!勝とう……!ギガインパクト!!」
 カビゴンは持てるすべての力を振り絞ると、床を蹴ってボーマンダに突撃した。
「ボーマンダ、とどめの破壊光線っ!!」
 それを迎え撃つように、ボーマンダは足を踏み込み口を大きく開いて壮烈な光線を発射する。カビゴンは身体を屈めると、破壊光線を突き破ってボーマンダへ襲い掛かってきた。
「な……!?」あまりに無謀な突進に、ワタルは仰天する。
 破壊光線をもろともしない大きな盾が、ボーマンダへ渾身のタックルを食らわせた。二匹は交錯すると、フィールドへどっと倒れ込み――しばらく動かない。無茶な挑戦に観衆も唖然とする中、カビゴンが床に足を突き立て、よろめきながらも勇ましく立ち上がった。
「プッス!」レッドが甲高い声を上げる。
 カビゴンは昏倒したままのボーマンダを得意げに見下ろしながら、主人に向けて右腕を振り上げた。少し遅れて、カビゴンの勝利を確定させるフラッグが宙に舞う。その途端、やや困惑の色を含んだ歓声がスタジアムを包み込んだ。
「やったあ!」
 会場の空気を気にせずにレッドがカビゴンに駆け寄ると、彼は緊張の糸が切れたようにフィールドへ崩れ落ちた。
「プッス……。お疲れ様。ありがとう!」
 レッドはそっとカビゴンを抱きしめると、労わるようにボールへと帰還させる。
 ほんの僅かな差での敗北――ワタルは言葉を失い、立ち尽くしていた。
(負けた……)
 挑戦者のレベルが四天王とは違いすぎるとはいえ、初黒星を上げてしまったのがチャンピオンの自分である。ワタルはあまりの悔しさに、血が滲むほど唇を噛みしめた。
(すまない、みんな……)
 ベンチを振り返ることを躊躇していると、親友の野太い声が背中に飛んでくる。
「まだ一勝一敗だぞ!落胆するに早すぎる!」
 そう、まだ勝負は五分である。
 その声を聞いて彼は一度目を閉じると、気持ちを次のカードへ切り替えた。そして次のボールを手にする。
 
+++
 
 ワタルを激励したシバは、彼の後姿を満足そうに眺めながらシートへ腰を下ろした。
「あー惜しかったなぁ!僅差だったのにね!」
 イツキが歯ぎしりしながら悔しさを露わにする。
「でも負けは負けだからな。デビュー戦の初黒星がチャンピオンってマズいんじゃないか?残りを余裕で全勝するくらいしないと」
 キョウは険しい顔をしながら腕を組んだ。カリンもやや残念そうにため息をつく。
「そうよねー……。レッドに全勝はキツイってワタルに言ったけど、いざ負けるとちょっとガッカリかも……」
「二人ともシビアだなぁっ。でもさ、内容も大事でしょ?ドンマイ、だよ!」
 イツキは狼狽えながら、同意を求めるように仲間を見回した。だが彼らは冷ややかな眼差しで、プロ意識がまだまだ甘いイツキを睨みつける。委縮する彼に、キョウがシビアに言い放った。
「どんなに内容が良い敗北でも、勝ち星を超えることはできない。これはプロの試合なんだから、勝利しないと意味がない。内容がどうとか、慰めにしかならないぞ。明日の普通紙のスコアにはカビゴン勝利、ボーマンダ敗北くらいしか書かれないだろうしな」
 それを聞いて、シバも頷く。
「……うむ、確かにな。キョウの言うとおりだ。だが、ワタルは会見で『負けない』とは言ったが、別に全勝するとは宣言していない!!ここから挽回すればいいのだ」
「うんうん、そうだよ!ワタルならきっとやってくれる!」
 イツキは明るさを取り戻すと、ベンチシートから身を乗り出しながら試合を見守る。
 
+++
 
「……次は君だ。勝利を収めて、ゲームを立て直そう」
 ワタルはモンスターボールを握りしめながら、そっと囁いた。
「行け、ガブリアス!」
 フィールドへボールを投げ入れるなり、荒々しい唸り声を上げながらガブリアスが現れた。漆黒に輝く翼を広げ、スタジアムに鳴き声が反響すると、その神秘的な姿に観客席から嘆声が噴き上がった。
「次も勝とう!行け、パメラ!」
 レッドはやや余裕の笑みを浮かべながら、ボールをフィールドへ投げる。現れたのは、フシギバナ。互いに2メートル近くある大きな体躯が睨み合う姿は壮観である。
『さあ第3ラウンド!次に勝利するのはどちらだーッ!?』
 DJの絶叫が響き、それにつられて大歓声がチャンピオンたちに降り注いだ。ワタルはそれに応えるように先制をかける。
「行け、ガブリアス!炎の牙!」
 ガブリアスは身体を屈め、フシギバナめがけて弾丸のように飛んでいく。間髪入れずにフシギバナが背負った巨大な花を、燃え盛る牙で切り裂いた。
「パメラ、ツルの鞭で捕まえろ!」
 炎に花を焼かれようとも、フシギバナは少しも怯むことなくガブリアスを素早く蔓で捕えた。俊敏な動作で首と四肢に巻きついて、ドラゴンをフィールドに叩きつける。
「ガブリアス、ドラゴンダイブだ。君の力ならロープを解ける!」
 ワタルに激励され、ガブリアスは床に身体を擦り付けながら蔦ごとフシギバナに突進した。正面からではなく、横からボディーへ体当たり。フシギバナはよろめきつつもそれでも蔦を離さず、ガブリアスが空へ飛び立つことを制した。
「……なかなか綱引きが強いようだね」
 ワタルは余裕なく苦笑する。
「スピードのあるガブリアスには、飛ばれると厄介なので」
 レッドはくすりとも笑わずに、彼を睨みつけた。そして更に指示を命じる。
「パメラ!葉っぱカッターでガブリアスを切り裂くんだっ」
 無数の木の葉がフシギバナの周囲に浮き上がった。それを見て、ワタルの脳裏にある策が浮かぶ。
(身体を切られて毒を塗られるかもしれない)
 カリンのメガニウム戦で、キョウが感心したように話していた会話を思い出す。万が一、動脈を切られてそこへ毒を塗られては致命傷を負ってしまう。それだけは避けたかった。
「避けろ、ガブリアス!上手くかわせばそこから抜け出せる」
 ワタルの声を聞いて、ガブリアスは頷いた。可能な限り宙に飛び上がり、絡みついた蔦を盾にするように暴れると、襲い来る葉っぱカッターで右足の枷がぷつりと途切れる。続いて、左足に絡まっていた蔦も木の葉を上手く誘導して断ち切ることができた。しかし、まだ両腕は拘束されたままである。蔓の枷を容易く解かれ、レッドとフシギバナが呆気にとられているところへ、ガブリアスは両脚をひらりと振り上げた。
「蔦を切れ!……ドラゴンクロー!」
 そのまま目にも留まらぬ速さでフシギバナを蔦ごと叩き斬る。相手は剣圧に圧倒されて横転した。直ぐに起き上るも、既にガブリアスは空高く飛び上がっていた。
「ガブリアス、地震だ!」
 主人の声を聞き、ガブリアスが地響きのような鈍い唸り声を上げた。それに続くように、フィールドに大規模な地震が襲いかかる――レッドはフィールドへ伏せながら喚叫した。
「踏ん張れパメラ、タネマシンガンだっ!とっておきのやつ、お見舞いしてやれ!」
 振動に耐えながら、フシギバナが空中のガブリアスめがけて種を撒き散らした。地震の揺れで照準はぶれていたが、文字通りマシンガンの如く発射される幾千を超える種をガブリアスが全て回避することは不可能だった。被弾した直後に、皮膚へめり込んだ種が芽吹いてガブリアスに絡みつく。
「……宿り木の種!」
 ワタルは目を見張った。宿木の芽はガブリアスを包み込むように翼に絡みついて動きを封じ、高度を下げる。
「そして……、ソーラービーム!!」
 動きが鈍ったところを狙い、フシギバナは間髪入れずにガブリアスめがけてソーラービームを叩き込んだ。彼は避けきれずに見えない壁へ直撃する。落ちてくるドラゴンを待ち受けるフシギバナを見て、ワタルは素早く声を張り上げた。
「ガブリアス、落ちると危険だ……!砂嵐!」
 ガブリアスは慌てて気を持ち直し、フィールドに砂嵐を巻き起こすと、その風に乗ってフシギバナから距離を取る。その動きをワタルはじっと観察していた。ガブリアス身体にはまだ宿り木が絡みついているが、先ほどのソーラービームで半数は焼切られたようで、身体の自由を取り戻しつつある。
(……だが、飛行速度は落ちている。もう体力もあまりなさそうだ)
「パメラ、光合成!」
 レッドの指示を耳にしたフシギバナが照明の光を集めると、ガブリアスに絡みついていた宿り木が徐々に成長して身体を締め付けた。体勢を崩したところを見て、フシギバナは再びガブリアスに狙いを定める。
「ソーラー……」
「ガブリアス、竜巻を起こして飛行速度を上げろ!」
 砂嵐にマントを煽られながら、ワタルは対策を叫んだ。フシギバナが光を集めるより素早く、ガブリアスは身体をスピンさせて竜巻を巻き起こす。砂嵐は更に勢いを増し、突風に乗る彼をより高々と浮き上がらせた。
「そのまま――渦潮!」
 主の声を聞き、ガブリアスは風に水分を纏わせる。渦潮は砂嵐を吸収し、泥の鎧へと変貌させた。突如として現れた大きな渦に、レッドは目を見張る。
「あれを食らうのは危ない……。パメラっ、宿り木で動きを封じ込めろっ」
 宿り木は更にガブリアスに絡みつき、身体をきつく締め上げた。飛行はますます困難になっていき、苦痛を堪えるのも限界だったが、ここまで準備できれば体当たりの一撃でフシギバナを仕留められる。ガブリアスは、フィールド上でこちらを睨み据えているフシギバナに照準を絞った。絶対に当ててやる――このカードに勝利するのは自分、そして主!牙を噛みしめ、身体を折り畳んだ。
「行け、ドラゴンダイブ!!」
 特大の泥の弾丸が、フシギバナに奇襲をかける。ジェット戦闘機をも凌駕するそのスピードを回避するのはほぼ不可能だ。
「パメラ!“成長”で動きを止めるんだっ」
 だが、衝突数メートル手前というところで宿り木が瞬く間に大きな蔦へと成長し、ガブリアスの軌道を大きくぶれさせた。いくつかはフィールドに張り付き、ガブリアスの動きをさらに鈍らせる。そこへ、間髪入れずにレッドが叫んだ。
「ソーラービーム!」
 先ほど撃ち損ねたため、光線の用意は既にできていた。視界を遮るように閃光が煌めく――ワタルが吼えた。
「ガブリアス、身代わりで抜けられないか!?」
 ガブリアスは無我夢中で分身を作ると、宿り木の呪縛から脱出しようとした。その刹那、ソーラービームが一閃し、宿り木ごと焼きつくす。全身が燃えるような衝撃がガブリアスを劈いた。意識があっという間に遠のいていき、敗北の二文字が横切る。
「ガブリアス!」
 ワタルが自分の名を呼ぶ声が聞こえる。
 誰よりも尊敬する、天才的なポケモンマスター。彼に捕獲され、ここまで育ててくれたことを誇らしく思っていた。
 今、この栄光の舞台に立てているのは他でもない、ワタルのお陰である。この試合でチャンピオンの実力を、他の人間やポケモンに見せつけてやりたかった。
 そう思うと、このまま無様に負けるわけにはいかない――ガブリアスは牙を唇に食い込ませると、余力を振り絞って身を翻した。目と鼻の先で、『勝った』と誇らしげな面構えをしているフシギバナめがけ、命を取らんばかりの殺気を放ちながら身体ごと攻めかかる。速度を限界まで上げフシギバナをまき込み、後方のフェンスへと突っ込んだ。轟音と共に、凄まじい衝撃がスタンドを揺らす。
 悪あがきともいえるガブリアスの捨て身の攻撃に、ワタルは愕然と立ち尽くしていた。レッドを始め四天王、観客とスタジアム全体が息を呑む。二匹はフェンス際でもつれ込んで昏倒していた。どちらもぴくりとも動かない。
 
 しばらくしてアンパイヤが立ち上がると、二つのフラッグを両サイドへ振り上げた。
『ドロー!』
 この判定に、スタンドから大きなざわめきが沸き起こった。ほぼ互角のチャンピオン新旧対決に、観客たちは興奮気味に舌を巻く。
「おお、新旧チャンピオンの実力はほとんど互角!史上稀にみる大接戦が繰り広げられております!!」
 実況席から、アナウンサーが息巻きながらテレビ中継の視聴者に向けて捲し立てる。隣に解説者として座っているオーキドも、勢いよく頷いていた。
「うんうん、これは素晴らしい!わしと今のリーグ総監が若かりし頃、よくこういう風に試合をしていたことを思い出すなぁ……」
「……あの、失礼ですが、博士がお若いころはセキエイリーグはありませんでしたよね?」
「でも、企業スポンサーのリーグが既にいくつか存在しておったんだよ!二人……あ、キクコもか。三人で賞金王争いしとったなー、懐かしい!あのころのワシはちょっとしたもので……、」
 脱線するオーキドの話を遮って、実況アナウンサーがハイテンションで煽り立てた。
「……さて、次はいよいよ第4ラウンドです!白熱のチャンピオンマッチも折り返しにきました!シーソーゲームが続いていますが――両者、この辺りでそろそろ試合の流れを変えたいところ!!」
 
+++
 
 瀕死のガブリアスをボールに戻すと、ワタルはそれを固く握りしめた。
「……よくやった」
 あわや敗北しそうなところで、ガブリアスはよく動いてくれたものである。己の額にボールを当て、感謝の意を表した。
 ここまで1勝1敗1分け。
 観客は両者の健闘を称えているが、ワタルは非常に不服であった。
(これじゃ、オレが一番情けない試合をしている……)
 レッドは10年に一度の逸材と呼ばれるほど傑出しているトレーナーだけあり、苦戦するのは当然なのだが、それでも先ほどまで無敗で挑戦者を破ってきた四天王の戦いを見ているので、ワタルは自分の戦いに不甲斐なさを感じていた。
「僕のこと、楽に倒せると思ってました?」
 悔しさを滲ませるワタルを見て、レッドがフィールドの反対側から声を掛ける。心を読んでいるようなその言葉に、ワタルは思わず言葉を濁す。
「……いや?オレは一度君に負けているからね。やはり君は、強い」
 屈辱を覆い隠すように、ワタルは苦笑する。だがレッドは射抜くような瞳で真っ直ぐに彼を見つめていた。
「舐めないでくださいよ。僕はあなたに全国のトレーナーの未来がかかっているとしても、手を抜くつもりはありません。いちアマチュアトレーナー……セキエイに挑む挑戦者として、チャンピオンを倒したいだけ」
「もちろん、分かっているよ」
 それは承知の上。11歳とはいえ、その実力を甘く見ているつもりはない。
(つもりは、ないんだが……)
 やはり、様々な重圧が焦燥を駆り立てる。
 もっと圧倒的な力を見せねば――人々の期待に応えなければ。
 次に出すポケモンを考えていると、ふいに一つのモンスターボールが激しく振動する。相棒のカイリューがボール内で大暴れしていた。ワタルはそれを手に取ると、鼻先に掲げて首を傾けた。
「……君の出番はもう少し先だよ」
 カイリューは大きく頷き、自覚していることをアピールした。
 では何の用なのか?首を捻る主人めがけ、カイリューは勢いよくボールの壁に頭をぶつけた。まるでワタルに向けて頭突きをしているかのよう。
「……!」
 主人の焦りを察知したかのような行動に、ワタルは思わず目を丸くする。
 相棒はボール越しに自分の焦燥感を見抜いていた。言葉は分からないものの、「逸るな」と喝を入れてくれているに違いないが――こんな情けない姿はポケモンにすぐ影響してしまうため、ポケモントレーナーとして仲間に見せてはならないのだ。これまでどんなバッシングを受けようとも耐えてきた理由はそこにある。彼は深く反省した。
「戦うのは、君たちなのに。オレが焦ってどうするんだろうな。……ごめん」
 彼は両手でボールを包み込み、目を閉じて深呼吸すると、頭の中を仕切り直した。
 
 まずは勝利。
 とにかく白星を一つでも増やすことだけを考えなければ。
 自分の仕事はポケモンを勝利へ導くこと。
 
 ゆっくりと瞼を上げた。
「……よし、行こう!」
 
 幕が、再び上がったように感じられた。


鈴志木 ( 2013/07/29(月) 15:45 )