第19話:ファッションと初恋
ケーシィ・テックの打ち上げ翌日。
カリンはやや疲労気味の仲間とマツノを引き連れ、コガネ百貨店にやってきた。会議室に通されると、既に役員や店舗責任者がずらりと集結している。彼女は青ざめて俯いているローレライ店長を横目に、百貨店社長に向けて頭を下げた。
「お待たせしました」
「いえいえ、わざわざお越しいただきありがとうございます。……カリンさん、この度はおめでとうございます。我が百貨店から四天王が誕生するなんて、喜ばしい限りだ!」
社長が鼻の下を伸ばしながらカリンに近寄ってくる。
「コガネ百貨店さんには、大変お世話になりましたわ」
カリンは満面の作り笑いを浮かべながら、他のメンバーたちを席に座るよう促した。
「なんでこんなことをするんだっ!」
ワタルの隣に座ったシバが、小声で不平を漏らした。
「いいじゃないか、百貨店との衣装タイアップなんて面白いよな」
彼は友人の愚痴を聞き流しながら手元に置かれた【セキエイリーグ&コガネ百貨店 衣装タイアッププロジェクト】と表紙がついた資料をめくる。それはカリンが昨日、打ち上げへ行く直前にいきなり持ってきた案件であった。彼女がコガネ百貨店の元アパレル店員だったということで、百貨店側が何か支援させてほしいと言ってきたため、裏でタイアップの話をまとめていたのだという。あまり時間がないので、打ち合わせは本日すぐに実施されることになった。文句たらたらのシバを引きずり、メンバーたちとやってきたのだが――詳細を聞いて、シバはさらに激怒する。
「衣装だけでなく、ICマーカーも使用していただけるとのことで……。こちらに一部サンプルを用意しました」
担当者が嬉々としてマーカーのサンプルを見せた。シバは「なっ!?聞いてない……」と思わず腰を浮かせたが、すかさずワタルが制止する。
「わー、綺麗ー♪」
スワロフスキーが散りばめられた華美なICマーカーを見て、カリンはローレライ店長を睨みながら可愛らしい声を上げる。
「でもわたくしはローレライさんのマーカーを使わせていただきますわ。これは他の皆で使いま〜す♪」
「あ、ありがとうございます……」
店長は委縮しながら頭を下げた。この一連のやりとりに、二人の間柄を察したキョウがぽつりと溢した。
「女って怖えなあ……」
「えっ、何が?綺麗だよねー、あのマーカー。使っちゃおうかなぁ!」
隣に座る鈍感なイツキは首を傾げつつ、輝くマーカーをうっとりと眺めていた。
一通り説明が終わり、それぞれに百貨店のスタイリストがついて衣装を合わせることになった。各店舗へ移動する前に、シバがカリンを捕まえる。
「おいっ、ふざけるな!おれはチャラチャラした服なんぞ着ないしキラキラのマーカーも付けん!」
大人げないシバに、いい加減堪忍袋の尾が切れたカリンが鬼気迫る形相で詰め寄った。
「あなたプロなのよ。プロなら、そんな薄汚い服装やめなさいよ。人は見た目が9割なの。たとえ中身がどれほど良くても、みすぼらしい格好をしては多くの人に認めてもらえない。セキエイの品格を落とさないでくれる?」
その迫力に圧倒され、彼は何も言えずに口ごもった。カリンはそのまま身を翻すと、目的の店へと向かって行く。自信に溢れた後姿は、どこか影を落としているような気がした。
+++
「ワタルさんは、やっぱり爽やかなイメージがありますから!細身のスーツでいかがでしょう」
紳士服のフロアに通されたワタルは、さっそくオーダーメイドスーツの区画へ通された。上等な生地が彼を圧倒する。
「試合以外ではいつもシャツにパンツなので……それにはちょうどいいですね」
「今のお召し物もお似合いですよ!」
若いスタイリストが、ワタルの出で立ちを褒めちぎった。今日はボタンダウンのサックスブルーのシャツに、黒の細身パンツ、ギンガムチェックのネクタイというフレッシュで清潔感に溢れる装いである。
「でも、試合は指示で動き回りますからね。スーツはどうかな……。……あ、ひとつリクエストいいかな?」
「何でしょう?」
首をもたげるスタイリストに、ワタルは照れながら小声でこっそりと呟いた。「マントは必須で……」
「ああ!そうでしたね!ワタルさんといえばマントだもんなあっ」
「こ、声が大きい!」
衣装のマントは少し気恥ずかしくも、ヒーローの雰囲気が出るので気に入っていた。スタイリストはあっけらかんと笑って見せる。
「いやいや、任せてくださいよ。チャンピオンの風格が出る服を探してきますから。じゃ、先にマーカーの方見ててもらってもいいですか」
と、言ってスタイリストは、ワタルをICマーカー売り場に案内した。打ち合わせでは華美な物が多かったが、メンズ向けのマーカーはカフスボタンに似た落ち着いた雰囲気の物ばかりだ。
「へえ、これなら付けてもいいかな」
それまで本部支給のマーカーを利用していたワタルだったが、多種多様なデザインを見て心が揺らぐ。そこで、ボール越しにカイリューにマーカーを見せることにした。
「どれがいい?君は♀だから、もっと可愛らしい方がいいかな」
するとカイリューが脇目もふらず尻尾を動かす――示したのは、シルバーで『W』のイニシャルを型どったマーカーだった。これには売り場担当者も感嘆の声を漏らす。
「さすが、信頼関係ができてますね」
彼女は無二のパートナー。誇らしかった。
「これにします」
「ありがとうございます!……あ、ではこれ、カイリューさんに差し上げてください」
担当者がいそいそと在庫から持ってきたのは、同じく『W』のイニシャルをかたどったICマーカーである。異なるのは、空のように蒼いスワロフスキーで作られていることだ。
「パートナーでしたら少し特別感を出した方がいいと思います」
店員は微笑みながらカイリューにそれを見せる。相棒は目を輝かせながら食い入るようにそれを見つめていた。もう断る理由がない。
「ありがとうございます」
ワタルは会釈しながらそのマーカーを受け取った。
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イツキはデザイナーズブランドのフロアに通されていた。ワタルのいる紳士服フロアとは異なり、かなり個性的で独特なテナントがひしめき合っている。担当の男スタイリストは、イツキを見るなり感激しながら彼を抱きしめた。
「イツキちゃん可愛い〜っ」
どこか女々しい大の男に抱擁され、イツキは頭が真っ白になる。足の痛みも感じない。
「ねえねえ、どういうの着たい?」
「ど……、どれでもいいです……」
青ざめるイツキに、スタイリストが髪の毛を弄びながら耳元で囁いてくる。背筋が凍りついた。
「えーっ!?イツキちゃんの好みが知ーりーたーいー!」
「近い……」
「とりあえず派手なのが好き?でも四天王だからちょっとカッチリめじゃなきゃね♪」
スタイリストはイツキの手を固く握りしめ、松葉杖を取り上げて寄り添いながら、まるで付き合いたてのカップルのようにテナントを回る。彼は次々にイツキに似合いそうな服を選んでいった。
「タータンチェックのシャツにぃ、テーパードシルエットのえんじのパンツ!どうどう〜?これをねー、黒のベストで締めるのよ。首元は赤い蝶ネクタイ!」
提示されたコーディネートはイツキの心を鷲掴みにした。柄に柄を合わせる派手好きな彼には、最適な装いである。
「わっ……コレ、いい!」
「でしょー♪着てみてー!絶対、かわゆいから」
スタイリストはイツキを押し倒すように試着室へこじ入れた。イツキは死に物狂いですり抜け、ネイティオをボールから召喚する。
「いやいや、一人で着れるから!僕っ……!」
ネイティオは主人の危機をすぐに察し、彼をやや強引に引きずりながら隣の店舗の試着室へ避難させる。スタイリストは下唇を突き出し、残念そうにイツキを見送った。
+++
キョウは百貨店の隅にある着物専門エリアへ招かれた。初老のエリア担当者が、彼の着物を見るなり目の色を変える。
「とても良い生地をお使いですね。仕立てられたのですか?」
「ええ、着物は全て地元で誂えています」
「素晴らしい!今、なかなかそういう方は減っていまして……」
「確かに……」
世話話に興じていると、すかさず担当の若いスタイリストが着物を持って現れる。
「キョウさん、今かなりフォーマル寄りなのでもう少しカジュアルにいくべきと思うんですよ」
と、言いながら紹介したのは、かなりモードなデザイナーズ着物。ドット柄の紺色の長襦袢に、ドット+ストライプ柄の長着。それに無地の帯とモダンな柄の羽織という合わせである。彼は思わず目を丸くした。
「これ着るの?派っ手だなァ……。せめて襦袢だけに……」
「いやいや、着物ブームを巻き起こすためにはこれくらい攻めないと!僕も着物党なんですけど、キョウさんが着てくれたらきっと流行ります!」
スタイリストは目をきらめかせながら、派手な着物や小物を提案する。キョウは辟易しながら項垂れた。
「おっさんにこういうの似合わないから……」
「いえいえ、イケますって!むしろ普段着と差をつけなきゃ!」
「うーん……」
どう断ろうか考えていると、自分の携帯が振動した。これ幸いと、一旦店を離れる。着信画面には『アンズ』と表示されていた。
「何だ?」
『あ、お父さん?今大丈夫ー?夜帰ってくるのか聞きたくて』
「あー……少し遅くなる」
この後は、またセキエイに戻って細々とした打ち合わせがある。
『じゃ、じゃ!夕方にさーお弁当差し入れに行っていいっ?』
「別にいらん」
『いーじゃーん!ワタルに会いたーい!』
「そっちかよ。だったら来るな」
『だっていつまで経っても会わせてくれないからっ』
「お前なー……こっちは仕事なんだよ。娘とはいえ、特別扱いできるか」
『けーちー!お父さんにはもう晩御飯作ってやんないっ』
ふてくされたアンズは、そこで電話を切った。
「お子さんですか?大変ですね」
振り向くと、スタイリストや店員が同情の目で彼を見守っている。
「ま、そのうち機嫌直すから」
キョウは苦笑しつつ、スマートフォンを懐へ仕舞った。
+++
「おれは、上には何も着んしマーカーも変えんからなっ」
シバは紳士服フロアの一角にある、ジーンズブランドのテナントに案内されたが、丈夫なジーンズとカーゴパンツを選んで直ぐに帰ろうとする。慌ててスタイリストが引き止めようと試みたが、体格の良い大男はそれをいとも簡単に振りほどく。
「困りますよー。全身コーデしろって指示が出てるんです」
「うるさい!小汚ないと言われようが、ありのままの自分を信じ生きるのがおれの信条なのだ」
シバはスタイリストを一喝し、そのまま店を出た。清々しいほど堂々とした大きな背中。
(何か、かっこいい……)
スタイリストは惚れ惚れと見送った。
+++
一方、カリンはスタイリストをつけず、元勤務先『ローレライ』に直行した。今まで虐げてきた女が、あっという間に四天王になったということで、店員たちは掌を返すように顔色を伺う。店長だけが、俯いて沈黙していた。
「カリンさん、何でも似合いますう〜」
「これ、新作なんです。ぜひ!」
次々に差し出されるきらびやかな衣服を、カリンは貼り付けた様な笑顔で受け取る。
「ありがと♪そんなこと、現役の頃は言わなかったわね」
一同、沈黙。
カリンは気にせず、レジ前のICマーカーコーナーへと歩んだ。
「あら、新しいマーカー入ったのね。イニシャル可愛い」
手に取ったのは、ウール地で作ったイニシャルを樹脂で固めたICマーカー。
「そ、そうなんです。秋冬の新作なんてすよおっ、どうですか?リボン型とか、お髭の形もあります」
「そうねー、これもいただくわ。他のメンバーにも勧めてみるわね」
「ありがとうございます!」
店員は勢いよく頭を下げ、そして彼女の顔を伺うように小声で囁いた。
「あの……、カリンさんて男性メンバーの誰かとお付き合いされてるんですか?」
「なーに、急に?」
「いや……あの、」
察してほしいといわんばかりの言動に、カリンは眉をひそめる。
「もしかして……合コンしたいの?」
店員は興奮気味に頷いた。他のスタッフたちも、同じような期待の表情を浮かべている。それを見てカリンは余裕たっぷりに微笑んだ。
「この面子じゃ無理よね」
「え、でも……」
狼狽える店員たち。彼女らにとって、これはスターと交流できる絶好のチャンスなのだが。
「そうそう、私がいなくなって、ちゃんとしたゴミ箱用意してる?店が綺麗でも、バックヤードが汚いなんて、ねえ?人間性を象徴してるみたい。そんな女の子、彼らに紹介できると思う?」
「……すみませんでした」
カリンは勝ち誇ったように微笑みながら、選んだ服をレジ台に乗せた。
+++
衣装が決まるとメンバー達は本部に戻り、ミーティングスペースを借りて五人で打ち合わせをしていた。進行はワタルが担当である。
「……じゃ、来週はいよいよ会見だからね!各自コメントを考えておいてくれ。お陰さまでデビュー戦のチケット売り上げは上々!スポンサーも続々ついてるようだし、みんなありがとう」
「礼を言うのはこれからだ」
頭を下げるワタルに、シバがちくりといい放つ。他のメンバー達も次々に頷いた。
「失礼しまーす」威勢のいい挨拶つと共に、ワイシャツ姿のスタッフが部屋を覗き込む。「カリンさんに頼まれた荷物お持ちしました」
「来た〜♪机の上にお願い」
「はーい」
カリンが席を立ってスタッフを手招きすると、彼は台車で段ボール3箱を運び込み、机の上へ並べてそそくさと退出する。男性陣は目を丸くした。
「……これなに?」
テーブルに乗せられた段ボールを、イツキが恐る恐る覗き込む。
「提供してもらったICマーカーよ♪スタメン六匹分だけじゃなくて、手持ち全部に付けて欲しいって♪」
カリンが嬉々として段ボールをひっくり返すと、多種多様なマーカーがテーブルの上に山を作って占拠した。ワタルは絶句する。
「いやいや、オレ達の所有ポケモン、何匹いると思ってる?データ移行する時間もかかるし……」
「いいじゃない、宣伝になるのなら。少し位の手間をケチらなくたって、ね」
「ふざけるなっ!こんなもの、やってられるか!」
シバがテーブルを勢いよく叩きながら立ち上がった。「おれは変えんからなっ」
「もー、あんたは相変わらずね。そんなダサいマーカー使ってるとモテないわよ」
「関係ないだろうがっ!」
しかし、その横でイツキはそそくさとマーカーを選び始める。
「ぼ……僕、全部かーえよっ」
カリンのことが気になる彼は、こういう些細な発言が気になるらしい。その分かり易い姿を見て、キョウが吹き出す。
「……まあ、いいか」ワタルも宣伝になるならばと、山積みになっているマーカーを手に取った。
「ワタル!お前まで!」
「いや、宣伝ならいいんじゃないか?コガネ百貨店さんはスタジアムに看板も出してくれるって話だし……。これくらいはね」
シバは愕然としながら、藁をも掴む思いでキョウを見た。助け船を出され、彼は同意するように微笑む。
「俺のマーカーは地元の職人に特注した物だから変えないよ」
「あら、そうなの。先に言ってよ」
「すまん、マーカーまで変更するなんて聞いてなかったから」
「ほらな……!」
同志が現れ歓喜するシバを横目に、キョウは山の中からスワロフスキーでリボンを型どったマーカーを見つけ出す。
「でも娘は喜ぶなー、こういうキラキラのやつ。貰っとくかな」
「お前ら……!」
怒りにわななくシバの前に、イツキが能天気にボクシンググラブ型マーカーを押し付けた。
「いーじゃん、楽しいし。シバも変えちゃえばいいのに。このグラブのやつとか、エビワラーによくない?」
「いらん!」
「あーもー、うるさいわねー。じゃ、シバはいいわよ!私、データ移行機持ってくる」
断固拒否するシバに苛立ったカリンが席を立ち、ミーティングスペースを飛び出していく。マーカーのデータをまとめて移せる装置を総務から借りてくるようだ。これで部屋は男だけになり、シバは改めて仲間達に問い詰める。
「お前らっ……、あの女に甘くないか!?」
「まあ……紅一点だしな。やっぱり、男と一緒にはできないよ」
苦笑するワタルはイツキの鋭い視線を感じ、慌てて訂正した。
「……や、別に意識してる訳じゃ」
「僕はカリン好きだよ。美人だしーしっかりしてるし!思いっきり意識してるもんね」
イツキはわざとらしく周囲を牽制する。キョウも頷いた。
「確かに見た目はいい女だよな」
だがシバは断固反対する。
「どこが……!下品な格好してるし、化粧も濃い、髪もなんだあの明るい色は!性格も、男に歯向かってばかりで気に食わん」
「シバちょっと固すぎなんじゃないのー?」
と、イツキは呆れ気味だ。これにはさすがのワタルも苦笑してしまう。
「確かにちょっとな……、そういえばお前はどんな女の子がタイプなんだ?」
「それはもちろん、長い黒髪の大和撫子だ。おれを立てる女!それしかありえない!」
「直球……」
「なにを!?やはり女は黒だろう」
孤軍奮闘するシバに、キョウが素っ気なく言い放つ。
「黒はなー。飾り気がない地味なのか、男ひっかけるためにわざわざ黒にしてるのが多いぞ。地雷原だよな」
「それはお前が外ればかり引いてるからだろう。もう付き合ってられん!おれは練習場で訓練をする」
シバは我慢ならないとばかりに、席を蹴って部屋を出ていった。残された三人は相変わらずのの態度にすっかり呆れ返る。しばらくして、キョウがぽつりと呟いた。
「……あいつ、童貞だろ」
「オレからはなんとも」
これについてはワタルも回答ができない。イツキは愕然とした。
「ねえねえ、一応聞いとくけど……四天王ってモテるんじゃないの!?何であんなに女っ気がないの?」
「シバは合コンとか全く行かないからね。浮いた話は聞いたことないな。ちなみに女の子との交流の話はすごく来るよ」
「安心したあ、四天王はモテなきゃ意味ないよね。で、ワタルは?」
「そりゃお前、ワタルは絵に描いたようなイケメンだし。女に不自由しないだろ」
イツキとキョウが、彼にやや下品な眼差しを寄せる。しかし、誠実なワタルは苦笑しながらはぐらかした。
「いや、オレもあんまり……。今は恋愛とかは別に考えられないというか」
「つまんなー。夢がないよ!プロはモテて当たり前なんだからさ!僕なんかずっと旅してたから全然女の子と付き合えなくて……!カリンは絶対落とすんだっ」
「おー、頑張れ」
興奮気味にまくしたてるイツキに対し、キョウは冷静に一笑した。その様子からはかなりの余裕が窺え、ワタルも少し好奇心が湧いてくる。
「キョウさんは家柄も申し分ないし、良い大学や会社へ行ってジムリーダーになってたんだからいつでもモテてたんじゃないですか」
「いやいや。俺ペーパーだったからさ、そんなにね。それに女落としても付き合うのが面倒で……全然続かなくて評判悪いよ。子供できたら全くモテないね。寂しいよ、四天王になったからまた春が来るかな」
彼は冗談めいた口調で話しているが、その言葉の端々から女性に不自由しなかった過去が滲み出ている。改めて、ワタルはキョウの世渡りの上手さに感心した。一方で、イツキは少し異なる反応を示した。
「あー、それ……釣った魚に餌やらないタイプだ!ひっど、だからバツイチなんだね」
「いや元嫁は男作って逃げたから俺の責任ではない」
「再婚したらいいのに。ジムリーダーに良い子いなかったの?カントーのリーダー、可愛い子いっぱいいるじゃん」
イツキはそれとなく尋ねるが、同僚とはいえ親ほど年がかけ離れた元ジムリーダーによくここまで切り込めるものだと、ワタルは思わず舌を巻いた。その勇気は危なっかしい。だが、キョウは特に気にするそぶりもなく、呆れたように笑う。
「良い子って……あいつらとは二周りも違うんだよ。娘の方が年も近いのに、手を出そうなんて思わんよ。色気もないし」
娘と聞いて、ワタルはピッピ柄のポケットティッシュを差し入れてくれたことを思い出した。ちょうど鼻血が出ていた時に受け取ったため、とても感謝していたのだ。
「娘さんおいくつですか?」
「10歳。今小5で……そういえば弁当持ってくるって言ってたような」
「父親想いですね」
「そうかあ?君に会いたい口実らしいけど。断ったんだが、多分押しかけてくるだろうな」
キョウは複雑そうに苦笑する。
「それならオレもティッシュのお礼をしたいな……」
「ねえ、その子可愛い?写真見せてよ」
イツキにせがまれ、彼は渋々懐からスマートフォンを取り出すと、写真を探し始めた。
「待ち受けにしてないんだ?」
「もう10歳だからなー、そこまで親馬鹿じゃない。……はいこれ写真」
と、言って彼が見せてきたのは天真爛漫な笑顔を浮かべる黒い髪をしたポニーテールの美少女。二人は思わず声を上げた。
「うっわ、めっちゃ可愛いー!ってか似てなっ本当にキョウさんの娘?」
「離婚前にDNA検査したから間違いない」
真顔で断言する彼に、二人は重い空気を感じて沈黙した。
+++
「えっ、君ほんとにキョウさんの娘さん?全然似てないけど……」
「よく言われますけど、親子なんです!」
スタジアムの関係者通用口で、アンズは警備員の男に止められていた。10歳くらいの可憐な少女は、いつも自分に気軽に声をかけてくれるあの男とは似ても似つかず、不信感は募るばかり。
「君みたいなこと言って、入り込もうとする人は多いんだよ。証明できるものはある?」
「ないですけど……」
アンズは黙り込んで考えた。こうなったら連絡して父親に来てもらうしかない。折角持ってきたお弁当と、ワタルに会えるかもしれないチャンスを無駄にするわけにはいかないのだ。
「ちょっと、メールしてみます」
そう言うと彼女は警備員に背を向け、二つ折りの携帯を開いた。
「本当に娘さん?」
その時、首を傾げる警備員の背後からドアが開き、シバが現れる。
「……何をしている?」
「あっ、お疲れさまです。ちょうどよかった。今、キョウさんの娘を名乗る女の子が来ていて……ご存知ですか?」
警備員の声を聞き、アンズが振り返った。黒いポニーテールがふわりと揺れる。小さな顔、ぱっちりとした大きな目、艶のある唇――なんと可憐な少女なのであろうか。純粋そのもののオーラにシバは目を奪われた。
(……可愛い)
思わず口を噤むシバを見て、アンズが目を輝かせながら感嘆の声を漏らした。
「シ、シバだああっ……。ほ、本物!」
テレビでしか見たことがなく、父も全く話題にしないので雲の上の人物かと思っていたが、本人を目の前にアンズは興奮する。本物は長身で体格も良い。まさに、岩・格闘使いである。
「あのっ」
元気よく声をかけられ、シバの肩が跳ね上がった。
「な、なんだ……」
「あたし、キョウの娘のアンズです。父にお弁当を差し入れに来たんですけど」
と、言ってアンズはバッグからピチュー柄の風呂敷に包まれたお弁当を差し出す。
(父親に弁当の差し入れなんてなんて良い子なんだ……)
「似てないですよねえ」
せせら笑う警備員を、シバは鬼の形相で睨み返す。あまりの迫力に彼はそそくさと持ち場へ逃げるように去って行った。
「お……おれは、お前を信じるぞ」
ぎこちなく照れながらアンズを振り向くと、彼女はひまわりのような眩しい笑顔を浮かべた。
「良かった〜。ありがとうございます!」
その無垢な笑顔は、シバのハートを一発で撃ち抜いた。
「……それは、手作りなのか?」
「はい、一応」
本当はまだ練習中で、家政婦の手料理が八割なのだが、シバを信じこませるには十分である。
「お、おい……!」
加減が分からず、彼はつい声を荒げてしまう。アンズの背筋がぴんと伸びた。
「はっ、はい!」
「何ならおれが、キョウにその弁当届けてやるぞ」
勇気を振り絞った、彼なりの善意だった。
「えっ!?」
ワタル並みにシバという不器用な男を理解していなければ、到底彼の感情を掴むことはできないだろう。その顔は、傍から見れば真顔で《従え》と迫っているだけで、アンズは萎縮し小さく頷いた。
「は……、はい」
「うむ、気を付けて帰れ」
シバは弁当をアンズの手からひったくると、紅潮した顔を隠すように彼女に背を向けた。
「……あ、あの〜」
か細い声に、彼は少しだけ視線をそちらへ動かした。天使はまだそこにいる。
「頑張ってください……。応援してます」
彼女はぎこちない笑顔で頭を下げるが――シバのフィルターを通すと、その姿は柔和な微笑みを浮かべる可憐な女神となっていた。
「……っ!!」
真っ赤に染まった顔を押し隠すように、シバは通用口の中へと逆戻りする。その姿が見えなくなった後、アンズはがっくりと肩を落として項垂れた。
「ワタルに会えなかったあ……」
通用口のドアを閉めた後、シバは胸の高鳴りを壁を叩いて抑えようと試みる。しかし、何度殴っても気持ちは消すことができない。黒い髪に、揺れるポニーテール。太陽のような眩い笑顔。
(なぜあんな小娘に……)
しかし、彼の中ではこれまで出会ったどんな女より、可憐で清楚で美しい。一瞬で心を奪われるなんて。
(料理もできるし、身なりもいい。礼儀もできている。まあキョウの娘だから当然と言えば当然か。最高じゃないか……。ワタル達!カリンなど比にもならんぞ)
彼は軽やかな足取りで、ミーティングスペースへと逆戻りした。
+++
「あの堅物、結局帰ったの?」
移行機を手にして戻ってきたカリンが、一人欠けたミーティングスペースを見て呆れ返る。ワタルも苦笑いを浮かべた。
「シバは訓練に行ったよ」
「トレーニングマニアねー」
「黙れ、練習こそ基礎中の基礎!」
突然背後に大男が現れ、カリンが悲鳴を上げた。これには残っていた男たちも仰天する。
「忘れ物?」
「いや、これを届けに」
そう言って、シバはピチュー柄の風呂敷包みを掲げて見せる。キョウがそれにいち早く反応した。
「あ、それ」
「娘さんから預かった」
「ん?会わせたことあったか?よく分かったな」
弁当を受け取りつつ首を傾げるキョウに、シバは慌てて言葉を濁した。
「いや……。しかし本人がそう言ってたから、信じた」
「へー、お前すごいな」
この言葉には、会ったこともない人間の言うことを鵜呑みにするのか、という皮肉も込められていたのだがシバはまるで気付く素振りもない。気持ちが舞い上がり、それどころではなかった。他のメンバーはシバの心境の変化に気付かず、イツキはからかうように笑う。
「だよねえ、あんなに似てないのに」
「イツキ!貴様なぜあの子を知っている!?」
「まあまあ。オレたちさっきキョウさんに、娘さんの写真を見せてもらってたんだよ」
鬼気迫る顔でイツキに詰め寄るシバを、ワタルがいつものように制する。しかし彼すらも、様子が少し異なることには気付かなかった。
「写真だと!?」
それはぜひとも一枚貰いたいのだが、親が目の前にいる手前言い出しづらい――そんな中、カリンが唇を尖らせる。
「えー、私も会いたい。もう帰ったの?」
「あ、ああ……」
「ふーん。そうなのか」
キョウはますます不思議に思った。あれほどにワタルに会いたがっていたのに――シバで満足したのか、それとも急用ができたのか?いずれにせよ、あまり深くは考えないことにした。
「残念だわー。写真あるなら見せてよ」
「超可愛いよねー。クラスにいたら間違いなく一番人気だよ」
イツキの言葉に、シバはどきりとする。確かに、あれだけ可憐な少女はなかなかいない。ライバルも多いことだろう。
「……どうなんだろうな。はい、これ」
キョウは面倒そうにスマートフォンの写真を見せる。シバも背筋を伸ばしてそれとなく覗き見した。ここでようやくワタルは親友の不自然な動きに疑問を持つ。
「あら可愛いー!ってか似てない。本当にオジサマの娘?」
「お前らそればっかだな。遺伝子学上の親子ってことは証明されてるから」
「女の子は父親に似るって言うのにねー。あ、ティーン向けのICマーカー沢山あるわよ。私が選んであげる!どうせこの中に貰い手はいないから、全部持ってけば?」
カリンはガールズブランドのマーカーを山ほど抱えながら楽しそうに尋ねた。ワタルもそれに賛同する。
「そうだね、プレゼントしてあげてください」
「おう。じゃ、お言葉に甘えて」
和気藹々とマーカーを選ぶ姿を眺めながら、シバはカリンに言われた言葉を思い出す。『そんなダサいマーカー使っているとモテない』。モンスターボール付属のマーカーでは確かに素っ気ないかもしれない。ライバルが多そうなアンズが振り向いてくれるだろうか。葛藤はあっさりと決着がついた。無言で席に座り直す彼に、メンバー達は目を見張った。
「なんだ?おれも、スポンサーに協力してやるだけだ」
集中する視線をシバは睨んで跳ね返し、マーカーの山へ手を伸ばす。他が呆れる中、ワタルはやはり心境の変化に首を傾けていた。どういう風の吹き回しだろう?とはいえ、恐ろしいほど真剣にマーカーを選んでいる彼を見ていると何となく安心してしまい、問い詰めずにそっとしておくことにした。