HEROSHOW










小説トップ
第1章
第16話:逆転タイムリー
 バッジ紛失から4日経過、世間は大きなニュースもなく比較的平和な時を過ごしていた。マスターバッジを手に入れてから、ランスはテレビやネットのニュースに張り付いていたが、流れてくるのはタレントのゴシップに政治家の揚げ足取りやほのぼのとしたポケモンのネタばかり。
(おかしい……)
 バッジ紛失の件はすぐにでもニュースなっておかしくないはずなのに。
 各番組に必ず出てくるセキエイの近況報告が苛立ちを増幅させる。現在は『見えない壁』という特殊なフェンスを設置する話題でもちきりだ。チケットも少しずつ売れ出してきたらしい。
「くそっ……、報道規制されているのか!?」
 思わずアポロに助言を求めようとしたとき、デスクの電話が鳴った。
『チョウジ開発のアポロさんからです。いかが……』
「すぐ繋げ!」
 怒鳴り返すと、担当者が慌てて電話を取り繋ぐ。すぐにアポロの穏やかな声が聞こえてきた。
『お世話になります、チョウジ開発アポロです。例の件ですが……マスターを手に入れさせたようですね。すごいじゃないですか。それがあれば大スキャンダルを作れる』
「ええ……。でもそれから4日も経過しているのに、まだニュースになってないんですよ。おかしいですよね?」
 ランスは手元でピンクバッジのマスターを弄びながら、やきもきしていた。
『変ですね。公になれば、大変なことになりますからね。隠蔽しているのかもしれない』
「隠蔽!?そ、そんな……何て姑息なんだ!」
 彼は義憤を感じて思わず立ち上がった。
『ええ、それも含めて公開すれば今度こそセキエイは終わりですよ。我々で悪の根源を叩き潰しましょう』
「では早速マスコミに情報を……、」
『そうですね。明日朝8時――当社から、情報をリークします。そうすればセキエイ本部に問い合わせが殺到し。1時間足らずで速報が駆け巡るでしょう』
「分かりました。我々も総出で本部に向い、チャンピオンらを吊るし上げます!アポロさんも来ませんか」
『ご一緒したいところですが、残念ながら来客の対応などがありまして……。テレビでランスさんの勇姿を応援させていただきます。頑張ってください』
 と、言ってアポロからの電話は切れた。ランスは高く昇った太陽に向け、覚悟を決めてマスターバッジを掲げる。
 
 決戦は、明日だ。
 
+++
 
 仕事が立て込んできたため、ワタルはここ暫くセキエイのホテルに部屋を借りて寝泊まりしていた。最近は見えない壁の設置を手伝ったり、取材に応じたり、時間が空けばトレーニングなど――なかなか心休まらない日ばかりである。今朝も早めに起きて出勤の支度をしていた。
(……でも、仕方ないな。セキエイのためだ)
 鏡の前でワイシャツの襟元を正していると、テーブルに置いたスマートフォンが振動した。
「?」
 マツノからだった。彼はすぐに通話アイコンをタップする。
「なんでしょう?」
『た……、大変だよワタルくん!』
 切羽詰まったようなマツノの声。後ろではけたたましく電話の鳴り響く音が聞こえている。だが一つではない。オフィス全ての電話が大合唱しているような騒音に、ただ事ではないことがすぐに分かった。
「どうしたんですか?」
『とにかく来てくれ!!一大事なんだ……、とんでもないことになった。総監がカンカンに怒ってる』
「分かりました!」
 彼は急いでバッグを引っ掴むと、電話を切ってドアへ向かう。鍵を開けようとしたとき、ノック音がした。
 
+++
 
 総監室をノックする音。
 平和的な音に苛立ちを感じた総監が、怒気の籠った低い声で答える。
「入れ」
「失礼します」
 恭しく入室してきたのは、一人の男。
「何で君ひとりなのかね。ワタルくんも呼んだはずだが」
 総監の噛み締めるような怒りの声に、男――キョウは顔を上げた。彼は全く悪びれることなく、涼しい口調で答える。
「彼は、下です」
「は?」
 やきもきしつつも、総監は思わず窓の下に目をやった。
 本部の玄関に集まる、大勢の人だかり。マスコミや、鳳凰会……それに通りがかりの野次馬も。
「君は、自分が置かれている状況が分かっているのかね?」
 総監はなんとか冷静さを保ちながら彼に尋ねる。一触即発――だがキョウは意に介さず、応接テーブルの上に置かれたテレビのリモコンを手に取って電源を入れる。すぐに玄関の中継映像が現れた。
『今朝セキチクジムのマスターバッジが紛失したとのニュースがあり、現在ポケモンリーグ本部前は鳳凰会メンバーと多くの報道陣でごった返しています!関係者は未だ現れておらず……』
『セキエイはバッジ紛失を隠蔽していた!前回は仲間の負傷!こんな不祥事続きの本部をほっといていいのか!』
 鳳凰会のリーダー、ランスの絶叫を聞き、怒り心頭とばかりに総監は席を蹴ってキョウの元に詰め寄った。
「貴様!今どういう事態か分かって……」
「ま、これ見ててくださいよ」
 トレーナー界のトップの逆鱗に触れているにもかかわらず、彼はやんわりとリモコンでテレビを示す。
『あっ……、今チャンピオンのワタルさんが現れました!!』
 総監は思わずテレビに顔を向けた。
 
+++
 
 本部とは反対の方面から、ワタルが一人颯爽と現れる。怖めず臆さず歩んでくるその姿に、記者陣からどよめきの声が上がる中――ランスが誰よりも早く動き、ワタルの前に立ちはだかった。対峙する二人を、記者たちが取り囲んで一斉にフラッシュを焚きつける。ワタルは瞬きすることなく真っ直ぐにランスを見据えると、静かに尋ねた。
「あなたはセキエイ……いや、ポケモンリーグを潰すのが目的なんですか?」
 その問いかけにランスは頭に血が上り、カッとなった勢いそのままで捲し立てた。
「ポケモンにとって……バトルは必要ない!ポケモンはとても尊い存在、守るべきものだ!不祥事ばかりのお前たちがここでスター面しているなんて、おかしいだろ!」
「確かに訓練で仲間を傷付けてしまったことは、申し訳ないと思っています。……しかし、我々はセキエイをこのまま休止させておくわけにはいきません。ここの利益は、全国のポケモントレーナーや関連施設の活動資金に充てられています。このまま負債を負い続ければ、トレーナーは旅を続けることができない。それは同時に、野生の凶悪なポケモンを蔓延らせる原因となります。トレーナーがある程度ポケモンを捕獲しているからこそ、この世界は均衡を保てているのではないでしょうか」
 真摯に問いかけるワタルに、ランスは思わず口を噤んだ。
 これまで一言も反論せず、バッシングされっぱなしだったチャンピオンが初めて彼に矛先を向けたのだ。まるでドラゴンのような圧倒的な威圧感に、周囲に立っていた者は次々に背筋をピンと伸ばした。
「スター面するつもりはありません。我々はトレーナーの手本となるべきプロとして、その職務を全うするだけです。戦うのはポケモンの本能ですが、それをある程度セーブして勝利に導くべきだと思っています。過剰な危害を加えるつもりもない。気絶したポケモンに、更にとどめを刺そうなんて思っていません」
「う……、嘘だ!こんなシステム、絶対おかしい!バトルで金もうけするなんて間違ってる!!ポケモンを道具にしているだけじゃないのか?」
 その問いかけにワタルは一瞬耳を疑った。レッドがチャンピオンを拒否した言葉、そのままだった。彼は唇を一文字に結ぶ。
「答えられないのか?……やっぱり!ほらね!おかしいでしょ、みなさん」
 ランスが勝ち誇ったように記者陣に語りかける。フラッシュが降り注いだ。
 
 それはまるでスポットライトの様だと、ワタルは今初めて気が付いた。
 向けられたカメラの奥では多くの観客がこの“ショー”を見ていることだろう。これは逆転のチャンスだ。
 
「オレにとって……、」
 彼は腰のベルトに取り付けたモンスターボールから、迷わず相棒を選んで召喚した。突然現れたカイリューに、場が思わずどよめく。
「オレにとって、ポケモンは夢です。目標を達成するための、仲間であり、夢そのもの。チャンピオンになりたくてずっとこいつや他の仲間たちと戦ってきたんですよ」
 すり寄ってくるカイリューの頭をそっと撫でると、彼女はとても嬉しそうに微笑んだ。
「最初はそっぽを向かれたり……、深手を負わせてしまった時もありました。でも、一緒に乗り越えてくれた。オレの夢のために、ついてきてくれたんです。種族も違うし、言葉も通じない。でも……意志は共有できる。共に成長し……試合で勝利を喜び合える。それは決して道具などではない、素晴らしい存在だと思いませんか?あなたもいるでしょう。そういう仲間が」
 ワタルに同意を求められ、ランスはたじろいだ。シバ達とトレーニングしていた頃の手持ちは、バトルをさせたくなくて持て余している。それがストレスになって、最近言うことを聞かない――無性に悔しくなった。ワタルに甘えるカイリューは、何と幸せな顔をしているのだろう……。マスターバッジを使ってようやく従わせている自分とはまるで違う。
「仲間はポケモンだけではありません。このポケモンリーグ本部には、トレーナーを支えるべく利益度外視でセキエイの復旧に向け、尽力してくれている大勢のスタッフがいます。それから、共に戦ってくれる四天王も。その存在はポケモンを含め、オレにとって誇りです。だから……」
 彼は一歩前に出ると、ランスに竜の如き眼差しを向けた。
「たとえどんな手を使って阻もうとも、オレは誇りを守るために迎え撃つ。このセキエイにはすべての夢がかかっているんだ」
 もう気にしないそぶりなど、見せない。真っ向から戦ってやる――そう言わんばかりの瞳に、ランスは絶望しながら閉口した。必死で、返す言葉を考えていた。向けられているカメラの無言の圧力が、彼の心を逸らせる。
「はは……、自分で怪我させて仲間なんて都合良いよな!バッジの件も揉み消して……」
「僕なら大丈夫だよ」
 人だかりの後方から突然、声がした。そちらへ顔を向けると、記者陣を割って車椅子のイツキが入ってくる。後ろにはシバも付き添っていた。
「イツキ……」
 ワタルは思わず目を見開いた。あれから見舞いに行けておらず、シバやカリンにフォローを任せっきりだった。そんな後ろめたい感情も気にせず、イツキは涼しい顔をしながら二人の前で止まると記者陣に向き直って頭を下げる。
「あの事故、僕が仲間の注意も聞かずに調子に乗って引き起こしたことなんです。騒がせてごめんなさい」
「な……、言わせてるだけだ!これはやらせだっ!」
 喚き散らすランスに、すかさずイツキが口を挟む。
「僕の意志だよ、やらせなんて失礼な。ずっと弁解できなくて、ないことないこと言われ放題だったから、訂正しに来ただけだよ」
 その生意気な態度に唖然とするランスは、思わずシバへ矛先を向けた。
「シバ……、お前が仕組んだのか!?」
 彼は無言で首を振り、旧友を睨みつける。
「もうやめろ。カンナが失望する。これ以上醜態を晒すな」
「オ……、オレは間違ってない!絶対に……セキエイなんてあっちゃおかしいんだよ!オレはポケモンを守りたいんだ!!」
 頭を掻き毟りながら、ランスは周囲を見回した。白けた顔でこちらにカメラを向ける記者たちに、冷ややかに見つめる野次馬――その奥でちらほらと逃げ出す、鳳凰会のメンバーたちの姿が目に留まる。
(なんで……)
 何故、誰も助けてくれない?俯いて、必死で反撃を考えた。――まだ、打つ手はある。
「……バ、バッジの件はどう説明するんだ!紛失したジムリーダー!どう責任を取る!?」
 ランスは勢いよく顔を上げると、ワタルに詰め寄った。彼はとても苦い顔をして後ずさる。正直、これは怪我よりも格段に効果があるスキャンダルなのだ。
「それは……」
 ワタルが言いかけたその時。人ごみの股の下を縫って、黒い影がさっと二人の間に割り込んできた。目の前でヤミカラスが飛び上がり、ランスのジャケットから金色に輝くバッジを抜き取る。あまりに鮮やかなアクションに、場は瞬時に騒然となった。これにはワタルや四天王らも度肝を抜かれる。
「あら、可愛いハート形。まるでピンクバッジみたいね」
 カメラマンを押しのけ、カリンが颯爽と現れると、ヤミカラスが彼女の前にバッジを差し出した。彼女はそれをハンカチで摘まみ上げると、カメラの前に掲げて見せる。
「ビンゴー♪ピンクバッジでした」
「返せ!それは、オレがジムに挑んで入手したものだっ」
 カリンはニヤリと微笑んでバッジを放り投げた。放物線を描き、ランスを飛び越えてバッジはワタルの手元へ。彼も同じく、事前に用意していたハンカチ越しにそれをキャッチし、パンツのポケットからリモコンのような装置を取り出した。
「……本当はこんなこと、したくなかった」
「それは……」
「これは、本部から借用したバッジの検査機です。マスターか否かが分かります。ランスさん、分かってますよ。あなたがセキチクジムからマスターバッジを盗んだこと」
 と、言いながら彼がバッジを検査機にかざすと、直ぐにマスターを示す音がその場に鳴り響いた。周囲のざわめきが増し、フラッシュが雨のように降り注がれる。ランスはみるみる青ざめた。
 ……終わった。
 しかし、なぜ自分がやったことになっているのだろう?
「いや……オレは!」
「それから……、ジムに盗聴器を仕掛けたのもあなたですか?」
 畳み掛けるように、ワタルは盗聴器を取り出す。どよめきが一層高まる。四天王たちも、それを見て言葉を失っていた。
「犯罪にまで手を染めるなんて、見損なった……」
 ランスの背中越しに、シバが呆れるような声を漏らす。
「違うんだ、オレは……!盗んでない!嵌められたんだよ、信じてくれよ!」
 ランスはシバにすがり付くが、彼は聞く耳を持たない。懸命に周囲に哀願するが、フラッシュや報道陣の罵声、質問が嵐の如く吹き荒れ取りつく島もない。彼はそのまま力なく石畳の上にへたりこんだ。
「ランス、窃盗および不法侵入の容疑で逮捕状が出ている!」
 追い打ちをかける様に人混みをかき分け、警察が飛んできた。放心状態のランスを引きずるように連行し、記者たちの半分が彼を追いかけていく。ランスはひたすら「違う……違うんだ」と念仏を唱えるように繰り返していた。だが彼が見えなくなるや、報道陣は四人を取り囲み、一斉にマイク向けて称賛の拍手を送った。
「素晴らしい!さすが、マスターズだ!!」「コメントをお願いします」「現在の心境を……」
 先ほどまでバッシングのネタを何とか引き出そうしていたというのに、この掌を返すような態度。4人は心底辟易したが、シバ以外は気持ちを切り替えて何とか愛想をふりまく。ワタルはイツキにそっと近寄ると、小声で礼を言った。
「来てくれるとは思わなかったよ。ありがとう」
「ううん、僕も見返したかったから。キョウさんが連絡くれたんだ。シバと一緒に見返して来いって」
 イツキはシバと顔を見合わせて頷く。
「キョウさんが……?」
 ワタルは目を丸くした。そこへカリンも口を挟む。
「私も。バッジを盗られたから、取り返して来てって言われたの」
「あいつ、結構食わせ者だな……」
 シバが呆れるように漏らした。
「あの人、今どこにいるの?」
「……上で、総監に怒られてる」
 ワタルは顔をしかめながら、本部タワーの最上階を指差した。
 
「なるほどね、まんまと嵌めたわけだ」
 テレビの中継で一部始終を見ながら、総監はやられたとばかりに肩をすくめた。
「嵌めたなんて、とんでもない。盗られたものを取り返しただけです。我々は何も法に触れることはしてませんよ」
 キョウは俯きながらとても楽しそうに微笑んでいる。――食えない男だ。総監は彼を睨み据えた。
「本当かね?君の弟子は元犯罪者じゃないか。毒を以て毒を制すことなんて簡単だろうね」
「誰もが疑う前科者を利用するなんて、愚かしいと思いませんか」
 彼は自信たっぷりにそれを否定した。これ以上、聞くだけ無駄だろう。
「……君も下へ行かなくていいのかね?ついでに写っとけばいいだろう」
「ええ、若いほうがカメラ映えしますから」
「せっかく“君が”、新生セキエイのプロモーション・パフォーマンスを考えたのに、謙虚すぎるんじゃないのかね」
「私が出て行って証拠突きつけるより、ヒーローが悪党を追い詰めた方が様になりますよ」
 総監はテレビを一瞥する。大勢の記者に囲まれ、まるでスポットライトを浴びるように賞賛されているワタルの姿が映っていた。これぞまさしく、チャンピオンのあるべき姿。
「私はワタル君のこと、気に入ってるんだよ。あんまりコケにしないでくれるかな」
「そんなつもりは全くありません」
 彼はきっぱりと否定し、真っ直ぐに告げる。
「理想のヒーローですよ、彼は。羨ましいくらい。俺なんかとは全く、違いますね」
 キョウは丁寧に一礼し、総監室を後にした。部屋に一人残された総監はテレビを消してデスクへと戻る。窓の下の喧騒を眺めながら、引き出しの奥から一枚の写真を取り出す――古びた写真には、若い男が二人映っていた。それはかつての自分と、それからもう一人。
「……お前は、最期にとんでもない毒を仕掛けてきたもんだよ」
 彼は二人の間を割くように写真を破り捨てると、そのままゴミ箱に投げ捨てた。
 
+++
 
 マサラタウンの一角にある家。荒れ果てた部屋の中で、グリーンはぼんやりとテレビを眺めていた。
『ご覧いただけましたでしょうか!これが、新しいチャンピオン・ワタルさんです!』
 枠の中では大騒ぎする人々に、拍手を受けるワタルの姿。スポットライトのようにフラッシュを受けて、彼はひときわ輝いて見えた。
 かつては自分も、こんな風に賞賛を受けていた。
 だが、誰からも信用されていなかった。四天王にも、スタッフにも。
 その反動は大きく、たった一つの過ちで嵐のようなバッシングに襲われた。
「……」
 しかしこの新しいチャンピオンはどうだろう。
 仲間のことを誇りに思っている上に、どんな批判にも屈しなかった。
 結果、それに打ち勝ったのだ。グリーンの身体に、電流のような衝撃が駆け巡る。
 
 ――素晴らしい存在だと思いませんか?あなたにもいるでしょう、そういう仲間が。
 
 ふと、部屋の隅に転がっているモンスターボールを拾い上げた。相棒のフシギバナは心配そうにこちらを見つめている。
「なんで……」
 ずっと放置していたのに、何故まだ信じてくれているのか。
 涙が溢れてきた。頭の中がただただ熱い。霞む視界の中、部屋の中に投げ捨てた他のボールも必死で探す。
 全て拾い上げ、思い切り抱きしめた。
 
「グリーン?今日もレッド君が来てくれているんだけど……」
 ドアの向こう側で弱々しい姉の声が聞こえる。言うだけ無駄……そんな諦めも含んだ声。
 しかし、彼はそのままドアを開いた。唖然とする姉にすかさず目をそらし、「ごめん」と呟いてすり抜けていく。階段を下りる足取りが軽い。そのまま、ごく普通に玄関の扉を開いた。目を見開いている幼馴染が出迎えてくれる。
「グリーン……!」
 彼はすぐに穏やかな笑顔を浮かべた。背中に乗っているピカチュウも嬉しそうだ。
「よかった、立ち直ったんだね。心配してたんだよ。良かったら、少し外歩かないか?」
「……いや」
 グリーンはぽつりと呟く。
「えっ?」
「そんな暇はない。オレさ、もう一度旅に出るよ。それで、チャンピオン倒すんだ」
 そう言うと、彼はそのまま扉を閉めた。
 レッドは拍子抜けしつつ、ピカチュウと顔を見合わせる。
「……何があったんだろ。僕たち……もうセキエイには挑めないのに」
 とはいえ、チャンピオンを倒す……そう言い放った彼の顔は、精悍で闘争心に溢れていた。切磋琢磨しあった、旅のライバル。あの頃の顔に戻っていたのだ。レッドは首を傾げつつも、嬉しそうに幼馴染の自宅を後にした。

鈴志木 ( 2013/07/23(火) 16:26 )