第15話:罠
『次のニュースです。昨日、昼過ぎにセキチクシティで新チャンピオン・ワタルさんと、四天王カリンさんとのバトルイベントが実施され、大いに盛り上がりました。事前告知はなく、地元町工場の新技術のテストに訪れていたとのことです。その場に居合わせていた方が撮影した動画がインターネットにアップされ、注目を集めています……』
ニュース画面が画質の荒い動画に切り替わる。迫力あるバトルに、沸き上がる歓声。
《これはセキエイのステマだ!》
《人間とポケモンを見殺しにしようとしたワタルを許すな》
ランスは動画サイトのコメント欄に誹謗中傷を書き込みながら、唇を強く噛み締めた。と、いうのも動画はアップされてから僅か1日で150万件以上再生されており、そこそこの高評価を博している上にワタルやカリンを擁護するコメントが多いのだ。
(卑怯だぞ……、これは本部の工作だ)
目を血走らせながら作業を続けていると、デスクの電話が鳴った。スタッフからで、チョウジ開発のアポロに取り次ぎたいのだという。ランスは二つ返事で了解した。
『お世話になります、チョウジ開発のアポロです。前回の電話から2週間ほど経ちましたが……例のアレ、使ってます?イツキ負傷以降、音沙汰ありませんが』
「は、はい。御社のボランティアの方にご協力いただき、自宅やジム、病院に設置しました。が、奴らは多忙でほぼ不在がちでして……あまり収穫が……」
ランスはデスクを引っ掻きながら悔しそうに答える。
『いやいや、駄目ですよランスさん。スキャンダル一発じゃ弱すぎる。それにチャンピオンは真っ直ぐに前を向いている』
受話器の向こう側で、アポロは冷然と言い放った。
「ど、どうすれば……。そうそう、四天王のキョウですが弟子が全て前科者です。保護司とはいえそこを上手く突けば……」
『そのリスクを負っているのに、ジムリーダーを10年続けられたんですよ?ほぼ確実に更生させると、その筋では有名です』
「……」
ランスは、絶望を味わいながら視線を手元に落とした。しかし、何としてでも一矢報いたい……。
『……しかし、あれは使えるかもしれない』
「どういうことですか?」
『犯罪者にはね、もはや病気みたいに罪を犯す者がいるんですよ。例えば、窃盗が辞められない。そこに物があると盗まずにはいられない――そして再犯を繰り返してしまう。シリアルキラーも似たようなものです。狂気に犯され、どんな人の手でも治らない』
淡々と語るアポロはどこか鬼気迫る雰囲気があり、ランスの背筋が凍りついた。
『そういう人間はね、ムショから出て大人しくしていても、すぐにまた犯罪に手を染めてしまうんです。彼の弟子の中にはそうなる可能性のある人間もいるでしょう。そこを取り込んで犯罪を犯させ、問題化すればいい。上手く誘導すれば、イツキ以上に大問題になりますよ』
「し、しかしどうやって見分ければ……」
『こちらで弟子たちの前科データを集めて、最も再犯の可能性が高そうな者を買収します。プロファイリングはお任せください』
「その根拠は……?」
慄くランスを弄ぶように、受話器の先はなぜか沈黙していた。しばらくして小さな笑い声が聞こえてくる。
『ふふ、当社は警察機関とも取引があるんです。その伝ですよ』
それを聞いて、彼は少しだけ安堵した。その後いくつか会話を交わして受話器を置く。ランスはアポロの底知れぬ暗部にやや疑問を抱いたものの、これはセキエイを潰すためには仕方のないことだと言い聞かせることにした。チャンピオンの方がもっと凶悪な罪を犯しているのだ。
(ポケモンバトルはどんな犯罪より重いんだ……)
再びPCに向き直ってインターネットの掲示板や動画サイトに中傷を書き込む作業に戻った。IDをいくつも使い分け、その上身元を特定されないように書き込む方法はアポロから伝授してもらった。
ふと、傍に置いていたスマートフォンが電話の着信を振動で知らせる。画面を一瞥すると、《カンナ》――“元”恋人だ。新生セキエイ発足以降、一方的に別れを告げ、傷心したのかあれから音沙汰なかったのだが。
彼は無言で電話に出る。
『……ランス?話があるの。私、やっと気を持ち直した。……だから、ちゃんと、話し合いたいの』
「やり直したいとでも?君はもう、用無しだ」
冷酷に告げる。罪悪感は感じなかった。
『……。あなたは昔の、四天王で発言権があった私が好きだったの?』
次第にカンナの声が掠れてくる。
「四天王は屑だ。辞めて正解だが、君は本部に何も言えなかった。従って、ただの用無しだ」
『わ、私は……あんなにあなたのために……』
「団体を支援してくれたことは嬉しいが、もう君は不要だ。これからはオレがセキエイを潰す。そして、ポケモンの未来を守るんだ」
『あなた……ちょっと、おかしいよ……・』
嗚咽する声を断ち切るように、ランスは静かにスマートフォンの終了ボタンをタップする。すぐに着信拒否の設定を施し、元恋人の電話帳データを削除して再度PCを向いた。
+++
翌日、カリンはセキエイのポケモンリーグ本部附属病院にやって来た。
まるでランウェイを歩くモデルのように颯爽と目的の病室へ突き進む彼女を、すれ違う誰もが振り返る。だが彼女は意に反さず、といった風にその視線をことごとく無視していた。その病室までやってくると、ノックもせずにドアを開け放つ。ベッドの上で携帯ゲームをしていたイツキが大袈裟に跳ね上がった。
「わああっ!!!……カ、カリン!」
「ゲームしてる暇があるほどに回復したんだ」
軽蔑する様なカリンの眼差しに、イツキは慌てて枕の下にゲームを隠した。
「あ、いや……、これからリハビ……」
彼が弁解するより早く、カリンはベッドまで駆け寄ると、飛び乗るように腰を下ろした。目の前で組まれた長い脚が刺激的だ。イツキの視線はそちらへ釘付けである。
「これ、読みなさい」
下品な視線を遮るように、彼女はホチキスで束ねられた書類をイツキに突きつけた。
「何これ。……み、見えない壁?」
「来月、設置するの」
要点を抑えながらさっと目を通すなり、イツキは驚きの声を上げる。
「えっ、何これ。こんなすごいのスタンドに取り付けるの?」
「そうよ。あなたのネイティオも、あのネットを気にせず縦横無尽に動けるってワケ」
「うわあ……科学の力ってすごい」
他人事のような間抜けな感想に、カリンは苛立ちを覚えた。
「……あなたがゲームしてる間に、皆前に進んでいるのよ。悔しいと思わないの?」
「く、悔しいけど……。でも、まだ歩けないし……無理して迷惑かけたら……」
イツキは俯いて、唇を噛みしめながら訥々と呟く。アポなしで現れたカリンはともかく、仲間たちの面会はなるべく断っていた。どういう顔をしていいのか分からなかったのだ。気持ちを整理しながら過ごしてきたものの、また現実に引き戻されて悔し涙が込み上げてくる。だがその弱気な姿を、カリンは容赦なく跳ね除けた。
「はあ?」
彼女はベッドに身を乗り上げると、イツキの前に顔を突き出した。少し動けば唇が触れてしまいそうな距離にある、秀麗な顔と鼻先をくすぐる薔薇の香り――彼の心臓が激しく早鐘を打つ。
「だから、何?甘えないで」
突き刺すような双眸が、胸の高鳴りを緩めた。
「あなた、プロのポケモントレーナーでしょう?バトルが仕事なのよ。それだけ喋れれば充分よ、指示さえできればあとはポケモンを勝利に導くだけでいい」
イツキの心に、杭を打たれたような強い衝撃が走る。
「ゲームしてポケモンを持て余す暇があったら、トレーニングさせなさい!でないと、あなただけ置いてけぼりよ」
カリンはきつい口調で吠えると、そのまま病室を出て行った。イツキはしばらく放心していたが、すぐに緊張は解れ、身体が疼くのを感じた。これまでうじうじと悩んでいた2週間がとても勿体なく、後悔する。何故つまらないことで立ち止まっていたのだろう。まだ夢の通過点すらクリアできていないじゃないか。
しばらくして病室のドアがノックされた。イツキは少し気持ちを整えた後、はっきりと答える。
「どうぞ」
ゆっくりとドアが引かれ、コンビニ袋を携えたシバが現れた。イツキは一瞬気まずくなって目を背けたが、思い直して口許を緩ませる。
「謹慎解けたんだ」
「ああ、今日な。これ、見舞いだ。……容態はどうだ?」
シバはベッド脇の荷物棚に袋を置いた。
「ありがと。傷は塞がって、あとはリハビリだけかな。……ところで、これ知ってる?」
礼を言いながらイツキは『見えない壁』の資料を見せる。
「ああ、ワタルから貰った。おれも早速、テストに参加するつもりだ。今は、それしかできることがない」
「……僕もだよ」
「お前は、リハビリが……」目を見張るシバの言葉を、イツキが遮る。「それは僕個人のことだよ」
眦を決し、彼はシバに深く頭を下げた。
「ポケモンは動ける。今度こそ、一緒にトレーニングしてください。僕だけ、足手まといになるのは嫌だ」
その姿勢からは秘めた熱意がひしひしと伝わってくる。シバは小さく息を吐くと、覚悟を受け止め、ゆっくりと口を開いた。
「……次に」
イツキの目の前に、大きな拳が伸びてくる。
「次に弱音を吐いたら承知せんぞ」
再び前を向いた少年は真剣な表情で頷くと、己の拳をそれに押し当てた。
+++
それから二日後。
セキチクジムでは朝から弟子を総動員して大掃除に追われていた。明後日にジムを閉めることになっているのだが、既に挑戦者の受け付けは終了しており、早めに片付けが始まっていた。強面の前科者達が真面目に掃除に取り組む姿は事情を知らない者から見れば異様であったが、ジムの前を通りかかる地元民は皆好意的に声をかけていく。
「ああ、もうすぐ終わりなんだねえ」
カートを引く老婆が、ジムの前を掃除する大柄な弟子の一人に声をかける。彼の捲り上げたシャツの袖からはギャラドスの入れ墨が覗き、唇の下には尖ったピアスをしていた。
「そうなんスよ、明後日までです!」
リングマ顔負けの体格を有する彼は、老婆に向けて親しみやすく破顔した。
「寂しいねぇ、次の人まだ決まってないの?」
「ええ……、おれらじゃなれませんからねぇ。ははは!でも、すぐに見つかると思いますよ」
前科者はどれほど実力があろうとも、ジムリーダーには就任することができない。弟子は苦笑しながら答えた。
「あなたは、これからどうするの?」
「おれは先月から車の整備会社で働いてるんスけど、そこでお世話になります。皆次は決まってるんスよ、オジキが紹介してくれたんで!」
「まあ!頑張ってね。……良かったらこれ、みんなで食べて」
と、言って老婆はカートからスーパーで買ったばかりと思われるりんごの袋と饅頭の箱を差し出した。
「いいんスか?」
「ええ、もちろん。キョウさんによろしくね」
老婆は微笑みながら、小さく頭を下げる。
「ざーっす!オジキに渡しときます!」
彼は満面の笑みを浮かべながら丁寧にお辞儀すると、その二つを抱えて軽やかな足取りで奥の事務所へと向かう。文献や書類などが散乱するその部屋では、キョウが缶コーヒーの空き缶を灰皿に煙草をふかしていた。
「オジキ、何堂々とさぼってるんスか!ここ火気厳禁だし」
弟子が壁に貼られた『小さな不始末 大きな火事に』のポスターを指さしながら注意する。キョウはすこぶる不機嫌そうな口調で答えた。
「休憩してんだよ……」
「あーあ、お嬢さんにチクっちゃお。オジキ隠れて煙草吸ってるって」
そっと携帯を取り出すふりをした弟子に、キョウはすかさず缶の中に煙草を押し込んだ。娘から禁煙を口うるさく言われていることは、弟子の全員が知っていた。
「調子こくんじゃねえ!……というか何の用だ?」
「これ、外でおばあちゃんに貰いました。差し入れっす」
そう言いながら弟子はキョウの前に、りんごの袋と饅頭の箱を置いた。彼は箱から饅頭を一つ取り出すと、齧りながら残りを弟子に突き返す。
「応接間に置いといてくれ。そこに溜めてる。……お、うまいな、この饅頭」
「書類整理終わるんスか?」
弟子は事務所を見回しながら怪訝そうに尋ねた。デスク上や足元は書類が散乱し、段ボールや書籍が山積みである。キョウは朝から資料の整理を担当していたというのに、進行具合は悪いようだ。
「夕方までに全部終わらす!」
彼は饅頭を食べながら書類を一瞥し、段ボール箱の中へ次々放り込んでいく。
「終わったら夜飲みに行きましょうぜー!」
「ざけんな、今夜は娘と四天王就任祝いなんだよ。久々に二人で食事なのにお前らと飲んでられるか!金やるから焼肉でも行って来い」
「やったー!オジキ太っ腹!お前らー、オジキが焼肉奢ってくれるってー」
弟子が道場に向かって声を張り上げると、野太い大歓声となって返ってきた。
「そういえばジョージのやつ、どこ行った?スコアブック片付けた場所が分からないんだが」
彼は書類を確認しながら弟子に問いかけた。ジョージは彼が留守中にジムを仕切らせている一番弟子である。両腕に入れ墨を施し、まるでプロレスラーの様な巨漢。加えて、このジムでも飛び抜けた強面であった。
「買い出しに行ってるんじゃねぇかなぁ。……ちょっと、探してきます」
「明日ジムリーダー会議でバッジと一緒に提出するから、急ぎで頼む。……あ、バッジ確認しないと」
彼は鞄からキーケースを取り出すと、デスクの鍵付き引き出しを開けて小型金庫を取り出した。本部支給のバッジ保管用の金庫である。手際よく蓋を開けるが――中を見るなり、指先から一瞬で血の気が引いていくのが分かった。
「……マスターがない」
「えっ!?」
部屋を出ていこうとした弟子が、愕然と呟く彼の声を耳にして立ち止まった。金庫の中には整然と並ぶ、ピンクバッジ。その中央には“マスター”と呼ばれる、世界に一つしかないオリジナルのジムバッジを置く窪みがある。それが、現在ぽっかりと空いているのだ。ジムリーダーはこのマスターバッジを常に携帯することを義務付けられているのだが、彼は挑戦者の受付を辞めてからそれを外し、金庫に保管していた。
「……おい、全員道場へ集めろ!」
彼は椅子を倒す勢いで立ち上がると、動揺を隠さず道場の方へ駆けていく。弟子はこれほど取り乱す師匠の姿を見たのは初めてだった。
+++
掃除は中断となり、全員総出でバッジのマスターを探すことになった。
並行して、キョウは弟子の一人一人に聴取を行った。差し入れが積み上げられた応接室に、買い出しから戻ったジョージが呼ばれる。部屋に入るなり、重々しい空気が彼を包み込んだ。
「……一昨日確認した時はあったはずなんだが。知らないか?」
「オレはこの二日、スコアレポートの整理してましたけどね、あとはコウキとトニー、シュンペイが荷物取りに来てたくらいで……。お、オレは金庫には触ってないッスよ。第一鍵もないし……」
とは言ったものの、窃盗と暴行罪で服役していた彼には説得力がない。弟子の三分の一は、ピッキングなどお手の物だからである。ジョージは引きつり笑いを浮かべながら懸命に弁解する。黙って話を聞くキョウの瞳は、恐ろしい程据わっており、まるで刃物の様だ。
「……や、やっぱりオジキはオレらのこと疑ってるんスか?」
「いや……?」
彼はメモを取りながら、極めて事務的に答えた。
「警察呼んだ方が……」
「それは待て。世間に知れたら大問題になる。もう少し様子を見てから通報の判断をする」
淡々と話すキョウの前に、ジョージはファイルを差し出した。
「わかりました……。あ、あとこれ。スコアまとめたレポートです」
「ありがとう」
レポートの間には写真のようなものが挟まっている。ジョージは無言で師匠を見つめると、そのまま席を立った。
結局、犯人は見つからないまま19時を回った。
キョウは互いに疑心暗鬼になっている弟子たちに差し入れを等分して手渡し、そのまま家に帰そうとするが全員に抵抗された。
「オジキ、俺たち協力しますよ!」
「誰か犯人、いるかもしれないし……このまま黙って帰れません」
彼は静かな口調で断りを入れた。
「大丈夫、俺はお前らを疑ってねぇよ。明日リーダー会議で報告する内容を考える」
全く目が笑っていない、極めて平淡な口調。その背後には底知れぬ闇を抱えている。弟子たちは何も言い返せず、そのまま頭を下げてジムを後にした。
キョウは雑然とした事務所に戻ってデスクの椅子に腰を下ろすと、スマートフォンを取り出して自宅に電話を掛けた。
「あ、俺だが」
『……お父さん?どうしたのー?』
家政婦のアキコが出ると思っていたのだが、受話器を取ったのは娘だった。彼はため息をつきながら謝罪する。
「悪いけど、仕事が立て込んで……今夜行けそうにない」
『……分かった』
アンズは少し掠れるような声で呟いた。
「ごめんな」
『いいよ、まだ帰ってこないからそんな気がしてたもん』
「迷惑かけてばっかりだな……」
『へーき、だってこれからお父さんは四天王になるんだもんね、仕方ないよね』
娘は明るい口調で父親を励ますが、その心遣いは余計に申し訳なく感じられた。
「……ありがとな」
『でも無理はしちゃだめだよ?煙草も吸っちゃいけません』
「はい」
彼は苦笑しながら、思わず頭を下げる。
『じゃあ、お仕事がんばってね!おやすみ』
「おやすみ」
そこで通話は途切れ、機械的な不通音が延々と耳元で鳴り響く。彼はそっとスマートフォンを手元に置くと、深く息を吐いて資料整理とマスターの捜索作業を再開した。一人きりのジムに、書類が擦れる音が虚しくこだまする。途中、口寂しくなってデスクの脇に置かれた煙草の箱に目が入るが――思い直して、引き出しに突っ込み、鍵をかけた。時計の時刻は、いつの間にか23時を回っていた。
+++
「マスター無くしたって……どういうこと?」
カントージムリーダー長のカツラは、キョウの報告をすぐに理解できないでいた。
何日も前から栄転する彼を気持ちよく見送ろうと、他のジムリーダーたちと色々話し合って会議のプログラムをほぼ送別会に変更、贈り物や花まで用意していた。だが会議が始まるなり、キョウの言葉から出てきたのはマスターバッジ紛失の報告。カントーきっての秀才ジムリーダー退職の悲しみが、一瞬で凍りつく。全員が血の気が引いたように青ざめていた。
「……どうも、盗難に遭ったらしい」
キョウはとても不服そうに答えていた。最後の最後で弟子に裏切られたのか――他のジムリーダーたちは、おそらくそんな風に彼を見る。カツラはエリカに議事録用のボイスレコーダーを切るように目配せした。
「け、警察には……」
「まだ。本部へも未連絡」
キョウは俯き気味に答える。カツラは引きつり笑いを浮かべた。
「ま、まあ……公になったら大ごとだよね。イツキさん負傷の件を軽く超える大スキャンダルに……」
「……それで、頼みがあるんだが」
「はい?」
「ギリギリまで、内密にしてほしい。5日ほど……その間に、探すから」
泣きそうになっているカツラを横目に、エリカが尋ねる。
「犯人の目星はついてるんですか?」
「いや……、全く」
キョウは足元に視線を落としながら答える。エリカは新人リーダー時代、彼が教育係として付いていたのだが、これほど陰鬱にしている師を見るのは初めてであった。まさか最後にこんな姿で送り出すことになるとは。尊敬していただけに、非常にショックだった。
「ま……、君にはだいぶ世話になったけどさ……。勘弁してよお……保護司なんて引き受けるからこんなになったんだよ」
「Hey! カツラサン、ソレ言い過ぎ!」あまりの落胆ぶりに口を滑らしたカツラをマチスが注意する。。
会議室に集まったタケシ、カスミ、マチス、エリカ、ナツメ、カツラの6名のリーダーたちは、様々な所でキョウの世話になっている。だから彼の栄転は手放しで喜ばしいことだし、このミスにもあまり強く言えないところがあった。
「……弟子がやったとは限らない」
キョウは唇を噛みしめながら、カツラを見据える。
彼は更に椅子に沈み込みながら、5年前にジムの運営資金を横領して大問題になった同僚サカキの件を思い出した。またカントージムリーダーが問題を起こすのか――そう考えると、やはり腹立たしいことに変わりはない。
「すまないね……。でも、それが世間の目だよ。前科者だしね。君、ちょっと油断してたんじゃないか?」
「そうかもしれない」
「……これ、使う?本部から借りてきたんだけど。ジムやお弟子さんの部屋で振り回せば反応したりしてね」
彼はテーブルの上にリモコン型の装置を置いた。この日のために本部から送られてきた、バッジの検査機である。返却されたバッジを本物か判断する装置だ。これを使って一つ一つチェックを行い、問題なければ送別会だったはずなのに。
「ああ、事務所で使ってみる。ありがとう」
キョウは想いのこもっていない口調で礼を言った。
「ほんと、勘弁してくれよ……」
カツラは深いため息をつく。これからどうしよう……。彼はただ絶望だけを感じていた。
+++
同日の深夜――ランスはセキチクシティの歓楽街を歩いていた。
彼は数日前からこの街に滞在し、ジムリーダーの動向を探っていたのである。今夜は浮き足立つ気持ちが抑えきれない。人もまばらな夜の街をしばらく往復し、時計を見ておもむろに路地裏へ入ると、とあるバーの手前で足を止めた。扉の前で、大男が立っている。
「あなたがジョージさん……?」
ランスは怖気づきながら声をかけた。自分より一回りほど大きな屈強な肉体。まるでプロレスラーの様だと、彼は思った。シャツの両腕には入れ墨が覗き、その手には刺々しい革手袋が嵌められている。こんな人間を見るのは初めてだった。
「依頼通り、無くなって困りそうな物を取ってきた」
「……バッジのマスター?」
ランスがぽつりと呟く。男は目を光らせながら彼を睨み据えた。
「盗聴もしてんのか?抜け目ねぇな」
猛獣のような視線に、ランスは思わずたじろいだ。
「……」
彼はジーンズのポケットから小さな布袋を取り出すと、そのまま彼に投げ渡す。とても軽い。中身を取り出すと、裏面が金色のピンクバッジが一つ。通常のバッジの裏は銀メッキ加工されているので、これはまさしくマスターである証だ。
「今日返す予定だったんだよ。明日には本部に報告が行って、大騒ぎになるだろ。もうなってるかもしれねぇが」
男は淡々と話す。ランスは思わず武者震いした。
「これがあれば……大変なことになる……」
「おい、金は?」
重々しい声で報酬を求められ、ランスは慌てて札束の入った封筒を手渡す。黙々とそれを数える男を見て、彼は湧いた疑問を漏らした。
「……師匠に、未練はないんだな」
「ないね」
男は無表情で答えながら札束を懐に突っ込み、踵を返した。このまま別れになるかと思いきや、男は少しだけ顔を向け、ランスに告げる。
「ああ……、それ。すげえんだぜ。普通のピンクバッジは『波乗り』の使用許可が降りるだけなんだが、マスターは持っとけばどんなポケモンも従うし、どんな技も使えるんだ。やばいだろ?売ったら即足がつくだろうけどな」
「どんなポケモンも従う……!」
それを聞き、ランスに興奮が押し寄せてくる。期待通りの反応に、男はにやりと下品な笑みを浮かべた。
「そ、そ。アンタみたいなバトルをさせないトレーナーはさ、どうせ手持ちにそっぽ向かれてんだろ」
「なんだと……」
「少しは戦わせないと、ストレスになるだろ。トレーナーの、基本」
「ポケモンバトルは野蛮だっ!」
ランスは声を荒げるが、すぐに男に睨み返され無言で萎縮した。
「はいはい。おー怖っ」
男は茶化すように笑い飛ばしながら闇へと消えていく。その姿を眺めながら、ランスは身体の震えが止まらないでいた。それは恐怖ではない。興奮である。先ほど男に指摘された言葉。まさに図星だった。自分の手持ちポケモンはここ数年ポケモンバトルを全くしておらず、それがストレスになって指示を聞いてくれない。理想を分かり合えないことが納得できず、悩みの種であったのだが、これがあればその問題が解決できる。彼はそれを握りしめると、上着のポケットに大切にしまいこんだ。