第10話:合格通知
「はい、OKです。役員も満場一致だったよ」
最終面接翌日の午後、総監室に呼ばれたワタルは総監から新四天王承認の書類を渡された。
「ありがとうございます」
彼は書類を受け取るなり、丁寧に頭を下げる。
「カリンちゃんがいいね。若いし美人だし、華がある!役員たちからも一番人気でした」
総監はとても嬉しそうに話す。キクコを持て余していた彼にとって、美女の獲得は最重要だったのだ。ワタルは苦笑しつつ受け流す。
「イツキくんの実力不足がちょっと気になるけど、まあそこは君やシバくんやキョウくんが何とかフォローしてくれると思ってるよ」
「もちろんです。それと、キョウさんと言えば、ジムの件で……」
「あ、その辺は大丈夫。こっちから手を回してるから」
総監は得意げな表情でワタルを見上げる。この様子ではキョウが採用されることを見越して動いていたらしい。ワタルは敬服しつつも、総監に対して言いようのない怖さを覚えた。
「……ありがとうございます」
「ま、バランスとれてるんじゃないかね。あとは君たち次第だ。発表は来週、会見は再来月。セキエイリーグの再開は3か月後。時間がないのは、チャンピオンくんの我儘を聞いてあげたから」
「申し訳ございません」
総監の重く厳しい口調が胸に刺さる。だがこれは自分で選んだ道。受け止める他はない。
「白いままの看板、そっぽを向いたスポンサー、罵詈雑言の世論に膨らむ赤字……。運営に関しては本部任せでなく、これからは君たち自身も協力してほしい。再開までポケモンの訓練に励んでいるだけじゃあ駄目だよ。それはファンを蔑ろにしていることと同じだ」
「承知しております。プロは、ファンがあってこその存在ですから。早速召集をかけ、動き出したいと思います」
ワタルは頭を下げると、踵を返して出入り口へと向かう。背広を纏ったその背中を、総監がすかさず引き止めた。
「あ、渡したいものがあるんだよ。君だけ、先に」
そう言いながら彼は机の引き出しから小さな箱を取出すと、ワタルの前に差し出した。了解を貰って蓋を開けると、そこに鎮座していたのは黒光りする一枚のカード。チャンピオンの地位を示す、プロトレーナー認定証だ。
「渡すの遅れてすまないね。これで堂々とチャンピオン面できるよ」
ずっと欲し続けていたブラックカード――ワタルは声を失い、しばらくうっとりとそれを眺めていた。珍しく興奮した様子を見せる彼に、総監も満足げだ。
「じゃ、前のプラチナは回収しよう」
「あ、ありがとうございます……」
ワタルは上着の裏ポケットから素早くパスケースを取り出すと、四天王であることを証明していたプラチナの古い認定証を総監に差し出した。これで彼の手中にはブラックカードのみが残されたことになる。改めて実感するトップの地位に、心が震え立った。
「とは言え、世の皆様は君がチャンピオンに相応しいのかまだ分からないわけだよ?公式試合すらしていない。完全にチャンピオンになった訳じゃないってことは理解しているかな」
「もちろんです……!」
「9割くらいはチャンピオンだけどね。あと残り1割は、君の試合を見て皆が決めるんだよ」
総監はワタルの目の前でプラチナカードを二つ折りにすると、挑戦的な笑みを浮かべながらそれをデスクの上に置いた。浮かれていた気持ちが、再び引き締まる。
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ポケモンセンターの私書箱に届いたその封筒を握りしめ、イツキはコガネシティの中央公園へと歩いてきた。空いたベンチに腰を下ろし、差出人を確認する。――ポケモンリーグ本部。
ついに、この時が来たのだ。
(審判の時が……!)
掌はたちまち汗ばみ、封筒がみるみる湿っていく。
「あっ、濡れる……!」
思わず手を放してしまい、宙へ舞い上がる封筒を見てさらに慌てた。パニックになっている傍らで、ネイティオが無表情のままそれを拾い上げる。
「……ネ、ネオ開けて!僕、怖くて無理!」
イツキは震えながら、ネイティオにおそるおそるペンケースを差し出した。相棒はあからさまに怪訝な表情をしていたが、この主人の動揺ぶり。とても封を開けられそうにもない。仕方ないので、ペンケースから物差しを取り出して器用に封筒の糊を剥がす。その間、イツキはベンチの上で丸くなって振動していた。これは傍から見るとかなり異様な光景で、二度見していく通行人が後を絶たない。そのうち封が解かれ、ネイティオが書類を取り出した。
「ギャー!!」
それだけの動作だというのにイツキは大げさに絶叫し、眼鏡の上から両目を塞ぐ。
さて、結果は……?
「……」
長い沈黙。
(……あれ、ネオって文字読めるんだっけ)
イツキはふと冷静になり、両手を離した。その瞬間、視界に『採用』の二文字が飛び込んでくる。
ネイティオが彼の眼前に書類を押し付けていたのだ。
「!!!!!!」
声にならない感動が、熱となって一気に押し寄せてきた。すぐにネイティオから書類を引ったくり、穴が開きそうなほど凝視する。堅苦しい文面を何度読み返しても結果は変わらない。自分は試験に合格したのだ。
硬直するイツキの前に、ネイティオが彼のスマートフォンを差し出した。
「そ、そうだ。お母さんとお父さんに連絡しないとね!」
ネイティオはポーカーフェイスを維持したまま頷いた。
「それとお祖母ちゃん!あと親戚のおじさんと……マツでしょ、それと……」
イツキはひどく震える指で電話帳をタップした。もはや登録している全員に報告をしたい衝動にさえ駆られてしまう。自分は四天王になったのだ!と声高らかに叫びたかったのだが、ネイティオが通知書の『家族以外に他言無用』の文言をしっかりとアピールしているため、彼はその興奮を何とか抑え込んだ。
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タマムシシティのコミュニティセンターでは、ジムリーダーの会議が行われていた。
つい先日月例会議は終わったばかりだが、カツラが急にチャリティイベントを実施したいと言い出し、彼らはまた時間を取って集まることになったのだ。しかしほぼノープランからのスタートでダラダラと進行する会議に、キョウは苛立ちを感じていた。
「時間かかりそうですねー」
隣でせっせと議事録用のメモを取っているエリカがキョウに向けて小声で呟く。
「ある程度プランを固めてから集めて欲しいんだが」
「ですよね」
すると彼の手元に置いてあるスマートフォンがメールの通知をサイレントモードで知らせた。一体これで何度目だろう。会議中ということでキョウはずっと無視しているのだが、それがあまりに多いので、うんざりしたエリカが眉をひそめて口を出す。
「何かトラブルが起きているんじゃないんですか?見た方がいいですよ」
「それなら電話が来るはずなんだが……」
彼はため息をつき、弟子たちの顔を思い浮かべながら、スマートフォンを手に取った。
(あいつらまた……)
そう思いながら確認すると、PC用のメールボックスばかり新着メールで埋まっている。不思議に思いながら机の下で内容をチェックしようとした時、だらだらと会議を進行していたカツラの調子が一変した。
「えー、ちなみにこのイベントはキョウ抜きでやりまーす!」
うんざりしていたジムリーダー達が一斉に顔を上げる。キョウも目を丸くした。望んだとおりの反応に、カツラは嬉しさを隠せない。
「なぜなら!彼は四天王になるからでーす!!……ねっ?」
あまりに現実離れしたサプライズに、会議室内の空気が凍りつく。カツラは禿げ上がった頭を傾げてキョウに同意を求めるが、まだ結果を知らない彼は呆然としていた。そこでリーダー長はようやく状況を理解する。
「あ、あれ!?合格通知来てないの?会議前に私のところに連絡が来たんだけど……」
それを聞き、キョウは慌てて自分の免許端末を開いた。ポケモンセンターから、ボックス(私書箱)に荷物が届いているとの通知が来ている。朝から多忙で、全く免許を確認していなかった。PC用のメールボックスも、彼の知り合いの本部関係者達からの祝辞メールで溢れている。
「ちょっ……、こまめに免許チェックしてくれよ!君、ジムリーダーから初めて出る四天王なんだよ!?」
やや妬みを込めた口調でプロのあるべき姿を語り始めるカツラに、キョウは次第に苛立ちを覚えていた。彼は乱暴に机を叩くと、立ち上がって先輩トレーナーを睨みつける。
「それだけ本来の業務から離れてたってことだよ、ハゲ!そもそもお前が面倒な仕事を押し付けるから……」
「い、いきなり上から目線!?大体ね、私は君の2年先輩で――」
「それはともかく!キョウさん、おめでとうございまーす!」
話を遮るようにエリカが起立して、率先して拍手を送る。他のリーダーたちからも大きな歓声が上がった。そこで頭を冷やすことができたキョウは、やや苦笑しながら仲間たちに軽く会釈して応えた。しかしまだこの目で採用通知書を確認していないうちは、全く実感が湧かない。何の疑いもなく祝福しているジムリーダー達に感心した。
「ところで君、辞めるのすごく大変だよ。後任はまず決まらないだろうし……今まで以上の激務は覚悟していてくれよ」
背後でカツラがぽつりと呟く。
「ああ、その辺は総監が手伝ってくれるとか」
「総監!?ちょ……そっちのパイプもあるのかい?」
思わず腰を抜かすカツラに、彼は「いや、そんなに……」と言葉を濁す。
「……いいな。四天王になったら、万が一失敗してもタマ大出てる君は本部役員コースじゃないか。上手く波に乗れたねぇ」
一流大卒のプロトレーナーはよほどの事がない限り、引退後はポケモンリーグ本部に入れる可能性が高い。重役とのパイプがあれば、将来役員になれることもあるだろう。
(俺が新人の頃は、エリート会社員の挫折とか散々見下してたくせに……よく言うなこのハゲは)
キョウはやや軽蔑した眼差しをリーダー長に向けながら、ゆっくりと椅子へ腰を下ろした。
+++
コガネシティ郊外にある墓地に、カリンはヘルガーを引き連れやって来た。
何度も来ているので、目的の墓石はすぐに見つかる。それは共同墓で、コガネシティのホームレス達が眠っているのだ。カリンは持参した菊の花を生け、カップ酒を供えた。
「おじさん、今日は報告に来たの」
墓石の前でしゃがみこんだカリンの傍に、ヘルガーがそっと座り込む。それを横目で確認した後、彼女は通知書を取り出して墓石の前に掲げた。
「じゃーん!見事、私は四天王になりました!おじさんのヘルガーのお陰よ」
目の前に野球帽を被った恩師がいるかのように、彼女はとても嬉しそうに語り出す。
「私、とても強くなったのよ。おじさん抜いちゃった」
ヘルガーがカリンに寄り添う。
彼女は安心したように微笑みながら、線香を上げた。
幼い頃、ビルの谷間にある公園で一日中座り込んでいたことを思い出す。
そこはホームレスが住み着いていて、周辺の人間はほとんど近寄らない。だから自分はいつも時間潰しにそこを選んでいた。それと理由はもう一つ……。
“彼”に寄り添っている凛としたデルビルが、とてもかっこよかったから。
「お嬢ちゃん、いつもこいつを見てるね」
野球帽を被った中年の男が、彼女に声をかけた。無表情で頷く。
「……かっこいいから」
男はそのか細い声を聞き取って、胸を張りながらデルビルを彼女に自慢する。
「だろ?こいつはな、おれの自慢の……無二のパートナーなんだ!」
とてもみすぼらしく悪臭さえ放っている男なのに、堂々としている姿は光輝いて見え、まるで――ヒーローの様だった。とても羨ましかった。
「お嬢ちゃん、いくつ?ポケモンに興味があったら、おれが教えてあげるよ」
「……7つ」
「ああ、じゃーあと3年我慢しないとなぁ。10歳からじゃないとポケモンは持てないから。……でも、おれのデルビルで今のうちに練習するか?大歓迎!どうだ?」
彼女は口元を緩ませて小さく頷くと、ベンチから降りて恐る恐るデルビルへと歩んでいった。
ヘルガーをそっと撫でながらカリンはぽつりと呟く。
「……おじさん、見ててね。私、四天王で成功してみせるから」
+++
所変わって、セキエイのショッピングモールにある飲食街。
この片隅にある焼肉店の個室で、ワタルとシバは中ジョッキを打ち鳴らして乾杯していた。
「シバ、四天王採用おめでとう!」
「うむ、ありがとう。戻ることができて良かった」
シバはジョッキのビールを一気に三分の二飲み干した。この飲みっぷりから察するに、よほど試験がプレッシャーだったらしい。ワタルは口元を綻ばせつつ、肉を網の上に乗せる。
「君ならやれると思っていたよ。ファイヤーも上手く捕獲できたようだし」
「……思いのほか手こずったがな。あの火傷治しは重宝した。が……おい、もっと焼いてくれよ」
焼き網の上に乗った数切れの肉を見て、シバは眉をひそめて苦情を告げる。
「あ、ごめん」
目を丸くするワタルをよそに、シバは一気に十数枚の牛肉を網に乗せていった。焼肉は彼の好物である。少し焼き目がついたところで三枚重ねて口に運び、舌鼓を打った。
「うまいな!焼肉は久々だ」
「うん、ここの肉はうまい。セキエイが休止してから、来れなかったからな……」
試合後はよく、二人で焼肉を食べに行っていたものだ。四天王解散の件からワタルはずっと多忙で、食事の機会を失っていた。
「これからまた焼肉が再開できるのは嬉しい。……ところでワタル。他の四天王はどういうやつが選ばれているんだ?」
シバは二杯目のビールを口にしながらワタルに問いかける。
「あー……、申し訳ないけどそれはまだ非公開だ」彼は苦い顔をしながら頭を下げた。
「そうか。仕方ないか」
「全体的に若くはなるかな。三日後に召集会議があって、そこで顔合わせする」
「ふむ、いよいよ新体制始動だな。お前もチャンピオンとして頑張れよ。なかなかトレーニングに時間を割けないだろうが……」
「いや、焼肉には来られなくなったが、訓練の時間は一応毎日数時間取っているんだ。繰り上がりと言わせないようにね、オレも頑張らないと」
胸を張って誇らしげに微笑むワタルを見て、シバは安心する。親友はすっかり仕事に忙殺されていたと思っていたからだ。
「さすが、お前らしい!時間が合ったらぜひ手合せ願う」
「もちろん。……あ、上ロース追加するけど他には?」
ワタルはメニュー表を見ながらシバに尋ねた。
「上カルビを!あとビールおかわり」
食事会はまだまだ長い。