E-07 決算日はハードモード(ミラ編)
サファイアはおろかエレッタさえも起きていない、朝早い時間帯のこと。
いつもの習慣で早めに起きてしまったミラは、完全に目覚めてから今日は休日にしたことを思い出した。
(今日、何しようかな……資料室にでも行って適当に何か読んで来ようかな)
特に今日の予定も考えていなかったミラは、何気なく窓から外の様子を覗く。
フロールタウンはさすがにまだ開いていない店が大半だが、この時間は探検隊ギルドの街とは思えないほど静かだ。
ぼんやり窓の外を眺めていたミラだが、部屋の扉がノックされる音に現実に引き戻され、扉に視線を向ける。
こんな朝早くの訪問は結構非常識だ、と考えたところで、ミラはあることを思い出す。
(あ、なんていうか……デジャヴ?)
前に、確かマロンがこのくらいかもう少し早い時間帯に訪ねてきたことがあった。
あの時はちゃっかり迷子の面倒見を押し付けられたが、今回は誰が何の用で訪ねてきたのだろうか。
厄介事を持ってくるようなら門前払いにしようと決めて、ミラは扉を開ける。
扉の間から覗いたマロンのものと思われる白い手に、またかと顔をしかめそうになり――
――口を開きかけたところで、扉を押さえていた腕を、その白い手に掴まれた。
それと同時にもう片方の手が扉にかけられ、予想通りのマロンの顔がにゅっと半分だけ覗く。
が、その顔はいつものにこやかなものではない。ミラに向けられている虚ろな片目は血走っており、何かに取り憑かれています、とか"呪い"をかけられました、と説明されても全く違和感がない。
「ミラさァん」
発した声からして既に普段のマロンのものではない。
反射的に扉を閉めようとしたミラの手は、マロンの"サイコキネシス"によって扉ごと止められ――
「……お願いします。決算の書類作るの、手伝って下さい」
「……えっ」
ここは、フロールタウンの探検隊ギルド、ふらわーぽっと。
珍しく、ミラが思考停止に陥った。
〜★〜
久しぶりの思考停止から復帰したミラは、とりあえずマロンの話を聞いてみる。
そして、予想外の事態に少しばかりマロンに同情することとなった。
今日は、一年に二回ある"決算日"という(ギルドマスター達にとって)特別な日だという。
探検隊ギルドには"探検隊連盟"と呼ばれる組織から、毎年一定の援助金が入る。それらはギルド運営の他に、ギルドから探検隊をサポートする施設に支給される。
そして探検隊ギルドは年に二回、その援助金の使い道やギルド内のポケの出入りの内訳を連盟に提出することが義務付けられているそうな。
それだけなら、いつも通りハーブとマロンが五日程かけて書類を完成させ、ペリッパー便で連盟に送るだけらしいのだが……
「親方様がっ! 昨日からっ! 外せない用事が出来たとか何とかで! 出掛けてるんだよー!!」
「はあ、それは大変だね」
うがー、と吹っ切れたように吠えるマロンと対照的に、ミラのテンションはどんどん下がっていく。
サファイア辺りならここで気を効かせて手伝おうだのと言い出すだろうが、あいにくミラはそこまで気前のいい性格はしていない。
「それ、わたしみたいな一般の探検隊メンバーが触っていいものなの?」
「普通ならマズいけどね! でもミラなら悪用しないし大丈夫でしょ! っていうか、もうエネコの手も借りたい!」
信頼されているのかそうでないのか分からない返答をされ、やっぱり扉を閉めようかな、と思うミラ。それを察したのか、マロンはあろうことかミラ本人にサイコキネシスをかけ、部屋から強引に引きずり出した。
「きゃっ!? ちょ、マロン!?」
「本気で頼むよ! 締め切り明日なのにこのままじゃ絶対終わらない! 終わらないと連盟の規定違反で援助金減らされる! 援助金減らされるとギルドの経営が苦しくなる! 経営苦しくなれば夕食費やら店の道具の値段やらが軒並み上がって探検隊にもしわ寄せが来る! つまりみんなアンハッピー! オーケー!?」
「うっ……それは……困るけど」
畳み掛けるように矢継ぎ早に繰り出されるマロンの正論に、ミラは返答に詰まる。確かに援助金とやらが減ると最終的には探検隊が困ることくらいは、ミラには簡単に分かるのだ。
「今日! 今日だけでいいから! 報酬もちゃんと出すから! ね!?」
じわじわと強まるサイコキネシスの圧力に加え、ここまで詳細を話されればいくらミラでも邪険には出来ない。
結局、彼女にはマロンに捕まった時点で手伝わないという選択肢など無かったのであった。
〜★〜
マロンに連れられてミラが向かった先は、資料室の一角にある机が並ぶスペースだった。
今は誰もいないそこの机には、うず高く積まれた書類の束がある。さすがのミラでも、この山には引いた。
「こ、この山は……!?」
「ぜぇ〜っんぶ! 領収書の束だよ! こっちの束は支出の項目が集めてあるから、食べ物とそれ以外で分けて合計金額を出してね!」
「ぜ、全部!? どうしてこんなに溜めてるの!? 毎日コツコツ処理していけば、ここまでは……」
「ギルドの食糧調達契約は、決算日の少し前にまとめてポケを払う決まりだから! だから決算日直前になってから領収書が来るのさ! これでも親方様と半分は片付けたんだよ!」
「…………」
予想を遥かに超えた量に思わず頭を抱えるミラ。これではマロンの頭がここまでおかしくなるのも納得出来る。
試しにミラが書類の数枚を見ると、青いグミが何個で何ポケ、オレンの実が何ポケと品物や仕入れ先ごとに領収書が分かれている。まずそういった領収書の書き方に問題がある気がしなくもない。
「あ、そーだ! これ飲んどいで!」
作業に手を付け始めたミラに、マロンは青色の液体の入ったカップを出した。煎れたてなのかカップからは湯気がふわふわと立ち上っている。
「これは?」
「カゴ茶! これがあればもう何日でも徹夜出来るね! ひゃっほう!」
目の下に極太のクマを作り、笑顔で書類を次々と片付けていくマロン。その処理のスピードたるや、まさに神業と呼んでいいレベルだ。
その姿や仕事ぶりは副親方の名に恥じないものがあるが、徹夜明けの謎のハイテンションに加え、クマや血走った目に不気味な笑顔、トドメのたまに漏れる意味不明な呟きという四点セットが全てを台無しにしている。
(……やっぱり、もうちょっと報酬交渉しとくんだったかな)
ため息ついでに渋いカゴ茶を飲み干し、ミラも改めて作業に入る。
一応、ミラはこういう細かい作業は得意なのだ。
〜★〜
……と、そう思っていた時期がミラにもあった。
何せこの作業、単純ではあるが恐ろしい勢いでストレスが溜まっていくのである。
まず食糧品関連の領収書はちまちまと細かい金額が大量に書かれているので、それを計算するだけで一苦労。
それ以外の金額については枚数こそ少ないが、金額が大きいので精神的に非常に疲れる。
副親方の頭をあそこまで沸かせるモノは伊達ではなかったらしい。
(……あ、あとどのくらい……?)
時間は過ぎ、昼になり。
小さな領収書に書かれている数字を紙に写し、今までの合計金額にプラス。ミラの身長ほども積まれていた山もあと三分の一くらいになったところで、ミラはぐったりしながらマロンの方を盗み見る。
――マロンは、朝の怪しげな雰囲気とは打って変わって、非常に爽やかな笑みを浮かべていた。どうやら何かを悟ったような状態になっているらしい。
ちなみにマロンが担当した束は既に一つなくなり、今は二つ目の山に手をつけ出していた。
(毎年二回もこんなことやってるんだ……)
確かにこんなことをやっていたら、ハーブが親方業務にウンザリするのも頷ける。これならまだ視界の狭い"濃霧の森"を探検している方がマシだ。
「……マロン、親方様が外出したのって、もしかして……」
「……それはないと思うけどね。何だかんだ言って、親方様はこういう重要な仕事は僕に完全に丸投げしたことはなかったから」
ミラの言葉を途中で遮り、朝のテンションよりは幾分落ち着いた声でマロンは返す。
「だから、サボりのために出掛けた訳じゃないと思うよ。多分。多分ね」
マロンはハーブのことを信じているが、性格が割と昔から奔放なため、後ろに多分を付けることも忘れない。
「……今日の夜には帰ってくるって言ってたんだよね?」
「うん。そこまで遠くではないみたいだから、何事もなければ」
どこか遠い目をしながら、新しく注いだカゴ茶を飲み干すマロン。
とりあえず今の二人に出来るのは、目の前に置かれた書類をどうにかすることだけであった。
ちなみに、支出の合計金額が三十万ポケを超えた辺りで、ミラも悟りの境地に至ったのはここだけの話。
〜★〜
「ただいまー……あれ、エレッタは帰ってたの?」
日が沈みかけ、辺りも暗くなってきた頃。
ルクスと特訓に出ていたサファイアが、ギルドに戻ってきた。
その部屋の中にはエレッタがいて、何やらハタキのようなもので掃除の真っ最中だった。
「あ、サファイアお帰り。疲れてなければ掃除を手伝ってくれると嬉しいんだけど」
「えー……まあ机を拭くくらいならいいけど……」
特訓でサファイアもそれなりに疲れているのだが、掃除を手伝える体力はある。自分達の使う部屋なので、掃除をすることに文句はない。
「そういえば、ミラはまだ帰ってきてないの?」
とりあえずその辺にゴミがないかチェックしながら、何となく尋ねるサファイア。その返答に、エレッタは少し困った表情になる。
「いや、さっき帰って来たっちゃ来たんだけど」
「けど?」
「ドリンクスタンドに行ってくる、ってフラフラしながら出てった」
なんとも返事に困る回答に、サファイアは苦笑した。
実際、マロンから解放されたミラはエレッタが掃除を始めた頃に部屋に戻ると、すぐにトレジャーバッグを持って出ていったそうな。
マロンから渡された報酬は、復活の種やおいしいミツ、金色グミが五つとかなり豪華なものだった。特に金色グミは、何故か店で売っていないかなりの貴重品である。
そこまで出しておいてポケを渡さなかったのは、また支出項目が増えるからだとか。
こうして、ミラを探検活動以上に疲弊させた名前だけの休日は、緩やかに終わりを告げたのだった。
〜★〜
「お〜や〜か〜た〜さ〜ま〜。随分と遅いお帰りでぇ……」
「分かったって、決算の書類放り投げたのは謝るから!」
深夜とまでは行かずとも、夜更けに帰ってきたハーブに、グロッキー気味の副親方が羽虫の如くまとわりつく。
ハーブとしても原因は分かっているため、うっとうしくてもあまり強くは言えなかったりする。
「何とかミラにも助力を頼んで大方片付けましたけど……理由くらいは聞かせてもらえますよね?」
ジト目で迫って来るマロンに対処するべく、ハーブは慌てて口を開いた。ハーブとしても、これ以上粘着されると地味に疲れる。
「ちょっとヘルメス神殿に行って、そこの管理人と話をつけてきたの。ほら、マロンなら理由は分かるでしょ?」
ヘルメス神殿、という単語を聞いた途端、ハーブの周囲をぐるぐる回っていたマロンがぴたりと動くのを止める。
「ああ、あそこですか……それなら確かに外せない用事にもなりますか……」
「そうそう! 良い返事ももらえたし、明日にも早速サファイア達に……」
そこで嫌な予感がよぎったハーブは言葉を切り、ゆっくりと後ろを振り向く。
そこには非常にいい笑みをたたえた副親方が、ふよふよと宙に浮かんでいる。
「ダメです。ミラが予想以上に頑張ってくれたお陰で大方片付いたといえど、明日の作業は残っています。まずはそれを片付けてくださいね」
この威圧感たっぷりのマロンの言葉に、上司であるはずのハーブはただ頷くしかなかったという。