M-78 夜の海とサファイア
とりあえず、ベトベトンは倒した。
後はキノガッサ……倒れてくれればよかったのだが、多少手間取りながらもキノガッサは立ち上がった。さすがはダンジョンボス、どうやらそう簡単に倒れてくれる訳ではないらしい。
「あぁ、まだやるのか……まあ1vs3だし、さっさと片付けちゃおう」
サファイア達はキノガッサとの距離を詰めながら、飛んでくるタネマシンガンを避けた。
するとキノガッサはタネマシンガンの軌道を変え、今までのような直線ではなく広く放射状に、広範囲を薙ぎ払うように使ってきた。単純に跳んだだけでは、これは避けられそうにない。
「むー……守る!」
サファイアは2人に側に集まるよう合図し、全員を緑色のバリアで包み込む。幾つもの種はそのバリアに全て弾き返された……それは、いい。
だが、キノガッサは……
「あれは……"剣の舞"?」
バリア越しに奇妙な踊りを披露するキノガッサに、サファイア達は妙な危機感を覚え……ミラの言葉で、それは確信に変わった。
サファイアはこのままバリアを持続させて様子を見ようと思ったが、サファイアの意に反してバリアは光の粒子となりいきなり崩れ去った――原因は、タイムアップ。それもタネマシンガンを受けていたせいで、耐久力が落ちていたらしい。
キノガッサがその隙を狙って繰り出したタネマシンガンは、先程よりも大幅に威力が上がっていた。
バリアの状況をいち早く察したサファイアと、元々素早いエレッタは何とか避けられた。だが突然のバリア消滅に反応出来ずエレッタほど素早くもないミラは、2、3粒の種の餌食となってしまう。
回避行動を取るには時間が足りず、反射的にトレジャーバッグを盾さながらに構えたその時――ミラにタネマシンガンが当たった。
いくら受け身を取っているとはいっても、剣の舞で強化されたタネマシンガンは強烈だった。大きく跳ね飛ばされ、近くの岩に叩き付けられる結果となる。
「み、ミラ! 大丈夫だった!?」
一応自力で立ち上がったミラに、サファイアはすぐ駆け寄った。特に大きな外傷はないようで、ある程度の受け身くらいは取れたらしい。
それでも心配して自分のバッグの中を漁るサファイアを、ミラは静かに止めた。
「……いい。オレンの実くらい、自分で取り出せるから」
でも、と心配そうに接するサファイアに示すように、ミラは自分のバッグの蓋を開け……
……妙な違和感を感じ、きのみの入った場所でない所――薬品入れ場にあった1つの瓶を取り出した。
それは、ミラが作ったあの爆弾もどきこと『爆裂の種 改』が3つ入っている瓶だ。だが、今は少し様子がおかしい。
「……あ、これ……!」
もしもの時のために、と頑丈な作りにしてあった瓶に、大きなヒビが入っている。さっきバッグをクッションにした際にタネマシンガンが直撃したせいだろう、 もしクッション無しで当たっていたらどうなっていたことやら……そんな悠長な考えがふと頭を過ぎる。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。完全に砕けてはいない瓶は、しかし中のガラスが一部細かく割れ、種の近くに尖った破片が入り込んでいる。このまま大きな振動が加わろうものならば、3つの種が連鎖的に爆ぜ――読んで字の如く、自爆コースまっしぐらだ。
「……離れて」
「え?」
「わたしから、離れて」
最初はミラが何を言い出したのか分からず、サファイアは相変わらず心配しつつも首を傾げ……その目が瓶の様子と中の種の色を捉えた途端、さっと顔から血の気が引いていった。
そんなサファイアを横目で見つつ、慎重に別の瓶から反応促進剤を取り出し割れた瓶の中に入れる。一歩間違えれば即自爆の作業を無事に終え、キノガッサを引き付けに行っているエレッタに向かって……
「エレッタ! こっちに来て!」
エレッタが振り向くと同時に、ミラはその瓶を余計に力が加わらないように静かに投げた。
エレッタはその言葉を聞いてサファイア達の方へ戻り始め、続いてスカイアッパーの構えを取りつつキノガッサが追ってくる。こちらに来るエレッタの位置を予測しつつ投げた薬瓶はややぎこちない弧を描くも、エレッタとキノガッサの間にあった川べりの岩に当てることに成功する。
キノガッサはそれを気にもとめなかったが、岩に激突したヒビ持ちの瓶は更に大きな亀裂が入り、粉々に砕けてしまう。
ガラスの破片と触れ合い刺激を蓄えた種は、川の水面に落ちることで小爆発を起こし、この爆風が反応促進剤によって他の種を一気に誘爆し――
――閃光。
思わず身を縮めたサファイア達の隣を、水飛沫を含んだ爆風と凄まじい音が通り過ぎていった。
何とか吹き飛ばされることなく風圧をやり過ごしたサファイア達の目に最初に映ったものは――キノガッサが目を回して伸びている姿だった。
おそらく爆発に巻き込まれた挙げ句、地面に叩き付けられたのだろう。だが対して傷が多く見られない辺り、少し経てば目を覚ましてしまいそうだ。
「……ミラ、今の……何?」
爆発が何によってもたらされたのかよく分かっていないエレッタは、呆気にとられながらもミラに聞いた。だが、爆発を起こした張本人はというと……
「サファイア、今のうちに」
「え、あ、うん……そうだね、ベトベトンとキノガッサが起きる前にさっさと見付けないとね」
エレッタの質問を見事にスルーし、サファイアにエメラルドを探すよう促したのだった。
「え、待ってあたしの質も」
「じゃあ、私は川の向こう側を探すね。エレッタとミラは入口付近をお願い」
「了解」
「うぉい!」
結局、エレッタの質問はことごとくスルーされミラに届くことはなかった――のだが、後にサファイアから爆発の元凶を聞かされたエレッタは今後もミラの薬瓶には絶対に触れないと固く誓うことになるのだった。
「あ、あった!」
岩石広場の一番奥、大きな岩で出来た高台に9つ目の宝石、エメラルドは落ちていた。サファイアが出した声がよほどよく通ったらしい、入口付近にいたエレッタとミラはすぐに奥へ寄ってきた。
サファイアが持ち上げている宝石は、緑色に透き通り太陽の光を反射している。間違いなく珠玉のカケラの1つ、エメラルドだろう。
「良かった〜……じゃ、早速意識を集中してみなよ。あいつらが起きる前に」
エレッタの言葉にサファイアは頷き、意識を宝石へと集中させる。
すると狙い通り頭の中に映像が流れ込んできた――
背丈の長い草を掻き分けて、暗闇から何かが飛び出してきた。
やはり姿そのものは暗いせいでよく分からないけれど、明らかにポケモンとは違う体格……おそらく、ニンゲンだ。
その少女は心配そうに周りをぐるりと見渡し、近くに誰もいないことを確認してほっとため息をつく。そして、強く握っていたらしい片手を開き、中から出て来た青い石をもう片方の手に持ち替える。
(……あの青い石……! 私が最初に持っていた、あのサファイアだ……)
サファイアは少女が握る石に、見覚えがあった。あの光の反射、形からして、サファイアがエレッタと出会った時に持っていた石そのものだ。
少女はそのまま辺りを警戒するような仕草をとりつつ、早足で道なりに歩みを進め……ある時ピタリと足を止めた。
少女の道の先にあるものは、切り立った崖。下には海があり、黒い波が絶えず打ち付けている。崖から海まではそこまで離れていない。だが道が細く、視界が悪い。暗闇の中の今なら尚更だ。
少女は一瞬戸惑ったように後ろを振り向き、やがて決心したのか崖の道を進んでいく。
(……あああ……そんなに焦って踏み外したらどうするの……!)
少女は早足で断崖の細い道を伝っていく。だが明らかに注意力散漫で、何を警戒しているのか知らないが周りの様子ばかり気にしている。
――それが、少女にとって命取りとなることも知らずに。
急いで足元をよく踏み締めていなかったせいだろう、少女は片足を踏み外し、バランスを崩して崖下へと滑り込むように落ちてしまった。しかし少女はギリギリで手頃な岩を掴み、足を引っ掛け何とか転落を免れた。
だが、一歩間違えれば下は荒れ狂う海。おまけに片手で宝石を大事そうに掴んでいるせいで、片方の手を器用に使うということはできないように思える。
少女はおっかなびっくりという様子で上の岩に手をかけ、身体を持ち上げる。岩が少し崩れ、小さな石ころが下へと落ちていく。
それは明らかに素人のロッククライミングだ。軸が安定せず、非常に危なっかしい。
少女はもう片方の手を、宝石を落とさないように岩にかけ、そちらに体重をかけた――
その途端、岩が崖から剥がれ落ち、ボロリと砕けた。その岩に重心を移動させていた少女は、大きくのけ反り……未だ岩を掴んでいた手を、離してしまった。
少女を重心から救いうるものはなく、数個の岩に挟まれて少女は夜の海へと落ちていく……暗闇に微かな悲鳴を残して。
黒い海へと転落した少女は、しばらく息を止め浮上の機会を待っていたものの、崖から落ちて深く潜ってしまったことが災いしいつまで経っても水面へ辿り着けない。
やがて息を止めることにも限界が来たのだろう、少女の口からは空気の泡が浮かび……代わりに入ってくるのは、大量の海水のみ。
少女はやがて動きを止め、宝石を固く握ったまま海の底へと沈んでいく。
――変化が起きたのは、そのすぐ後。
少女が握っていた宝石から青い光が零れ、少女の身体を優しく包む。
次の瞬間――少女の全身に纏わり付いた光がより一層強くなったかと思うと、光が落ち着いた時には少女の姿は跡形もなく消え去っていた。
それと同時に……少女にくっついていたであろう泡が、水面へ向かってふわりと浮かんでいった。
---------------
僅かに目を開けたサファイアに、エレッタは首を傾げながら早速質問を浴びせる。
「サファイア、大丈夫? ちょっと辛そうだったけど……何か見えた?」
サファイアは少々重い口調で、エレッタとミラに少々の推測を混ぜて内容を告げる。
青い宝石を持っていた、あの少女は――多分サファイアだったのだろう。海に落ちて溺れたサファイアは、握っていたあの宝石が放った光に包まれ、消えてしまった。
サファイアがポケモンになったのも、ニンゲン時代の記憶を失ってしまったのも、あの光に包まれたことが原因と見るのが妥当だろうか。
「そっか……この宝石がサファイアを助けてくれた……いや、きっとこっちの世界にサファイアを移したんだね……」
「……かもね。残りの宝石はあと3つ……それを早く手に入れられれば、もう少し詳しく分かるかもしれないけど……」
いつも陽気なエレッタまでもが落ち着いて意見を述べるような、重苦しい雰囲気が漂う。しばらくそうやってぽつぽつとめいめいが思ったことを述べる状態が続いていたが、やがてその状態にも終止符を打つ物音が聞こえた。
「……ん?」
背後から微かに聞こえた物音に反応し、エレッタとミラは広場中心部を振り返った。
すると――広場中央ではさっき倒したはずのキノガッサとベトベトンが目覚め、ふらつきつつ起き上がろうとしている。
そこまで叩きのめした訳ではないので近いうちに起き上がるとは思っていたが、これは予想以上に早い。だが幸いなことに、2人はまだこちらに気付いていない。
(サファイア! 探検隊バッジを!)
(え、どしたの?)
(キノガッサとベトベトンが起きた! もうここに用はないし、さっさと立ち去ろう!)
(嘘っ!? 分かった、いくよ……!)
サファイアはトレジャーバッグの中から探検隊バッジを取り出し、3人を転送用の光で包んで脱出させた。
全ての宝石が揃うまで……残り、3つ。
〜★〜
皆がすっかり寝静まった、その日の夜のこと。
フロールタウンの中心地にあるふらわーぽっとの周りを、1人のポケモンがゆっくりと飛び回っていた。
「ふむ、ここがあいつらがいるという"ふらわーぽっと"か……なんつーふざけた名前だ」
彼はぶつくさ言いながらも自分の地図にふらわーぽっとの場所を示す印をつけ、来た時と同じ動作でその場をゆっくりと後にする。
太陽のような刺々しさを持たない柔らかな月の光は、飛び去る彼の身体を、鮮やかな深紅の色に照らし出していた──