M-79 一度限りの選択
ここは、大陸の南部にあるどこかの神殿内部。
その広い部屋の奥に置かれている存在感たっぷりの祭壇の前に、これまた重量感のあるポケモンが静かに立っている。
「もう5日間、変化は無し。もしや、このまま変化が訪れることは、ないのでは……いや、そうであっても監視は怠ることなかれ。それが私の役目、か……」
そのポケモンはゆっくりと身を翻し、静かにその場を去っていく。
誰もいなくなった部屋の中央には、小さいながらも膨大な力を蓄えた、あの黒く不気味な渦が――
〜★〜
次の日の、朝。
「じゃあ、オレンの実とリンゴを3つずつ。あと縛り玉を1つね」
「毎度ありがとうございま〜す!」
フロールタウンのカクレオン商店で、今日もお馴染みのやりとりが行われている。サファイアが探検必需品を買い足し、エレッタとミラは倉庫や銀行と行く先を分担しているので、探検準備が早く終わる。待ち合わせは、ふらわーぽっと前の広場。
「あ、サファイア。買い足しは終わった?」
「バッチリね。ところで今日の依頼はどこ?」
「えーと、あ、濃霧の森みたいだね。6Fでヤドランの救助をすれば成功みたい」
「了解! じゃ、さっさと終わらせちゃいますか」
サファイア達は3人揃ってフロールタウンを出発し、バッジを掲げてダンジョン入口へとワープした。
3人を包んだ光も散って見えなくなった頃、フロールタウンの出口に最も近い木の葉が、ガサリと揺れる。
「――追跡、開始」
それから殆ど間を置かずに、茂った葉の中から赤い何かが驚くべき速さで上空へと飛んでいった。
〜★〜
ここ濃霧の森6Fにて、サファイア達3人は救助依頼を出したヤドランを探し出し、バッジをトレジャーバッグから取り出し転送しようとしていた。
「じゃあ、今からふらわーぽっとに転送するよ。準備はいい?」
「はい、もちろんです」
ちなみにヤドランは救助が来たと思って大喜び。なんでもリンゴや種が尽きて空腹なのにも関わらず穴抜けの玉をどこかに落として来てしまったらしい。
そんなヤドランにバッジの光を当ててダンジョンから脱出させる。依頼はこれ1件のみだったので、もうこのダンジョンに用はない。
「じゃ、私達も帰ろっか〜。やり残したこととかないよね?」
一応転送前に確認を取るサファイア。頷いた2人の様子を見て、探検隊バッジを自分達の上へと高く掲げた。
――そのはずだった。
しかし。
「なっ!?」
サファイアの前足に収まっているバッジ目掛けて、どこからかいきなり銀の針が飛んできた。
それはサファイアを避けて正確にバッジにヒットし、その勢いもろともにバッジをサファイアから弾き落とした。バッジはサファイアの横に、およそ5歩ほど離れたところに転がり落ちる。
突然の出来事に、当然纏わり付き始めていた転送光は効果を発揮する前に散って消えてしまう。
そして、サファイアの足元に、バッジを弾き飛ばしたと思われる銀の針が深々と突き刺さった。
「……な、何、今の」
「……分からない。何か知らないけど突然針が飛んできて……」
「って、サファイアは大丈夫なの?」
「あ、うん、平気。バッジを正確に狙ってきたし……拾って来る」
サファイアは落ちたバッジを拾い上げ、どこにも傷一ついていないことにほっとした。ハーブの話だと、このバッジはポケモン最重量といわれるグラードンが踏み潰しても壊れない程の強度を誇るという。貰った当時はまさかと思っていたが、どうやらあながち嘘でもないのかもしれない。
「っ! サファイア!」
だがほっとしたのもつかの間、エレッタが警戒を含んだ鋭い声でサファイアに呼び掛ける。
同時に何かに気付いた時特有の警戒をし始めたミラの様子もあり、何事かと後ろを振り向いたサファイアの前には……
「あっ!?」
1人のハッサムが、ハサミの目玉模様を見せ付けるかのように、サファイアのことを静かに見下ろしていた。
「お前達は……俺に見覚えがあるよな?」
ハッサムはいきなり攻撃を加えることはせず、サファイア達の出方を静かに窺っている。
この声といい、放たれている雰囲気(オーラ)といい、このハッサムは間違いなく……
「……レイダー……だね?」
サファイアの言葉にハッサムは答えない。が、否定しないということはこのハッサムはやはりレイダーで確定だろう。
「……何しに、来たの? また私達に何か仕掛けて来るつもり?」
サファイアは勿論、サファイアの後ろにいたエレッタも自然と攻撃体勢に移る。特にエレッタの身体からは火花がパチパチと散っている辺り、やる気満々だということが目に見えて分かる。だがミラは、一応身構えてはいるもののあまり納得がいかなそうに小さく首を傾げている。
「……いや、違う。俺は今回はお前達に攻撃する気はない」
「……じゃ、何の用? 連れていったポケモンを解放して、自首しに来た? ……それにしちゃ行動がおかしいよね? 銀の針を飛ばしてきたのもレイダーの仕業?」
「そうだ」
レイダーはさっきギルドに帰ろうとしたサファイア達の行動を、銀の針をバッジに当てて弾き飛ばして妨害した。その行動からするに、ギルド前ではなくこの場で、サファイア達以外に知られたくない用でもあるのかもしれない。
「……俺にとって用があるのは、お前達だけだ。……俺と、一緒に来い。お前達にとって有益な情報を持ってきた」
「はあ? 有益な情報? 私達を何処かに連れていくってこと?」
エレッタはあくまでも強気な姿勢を崩さない。確かに前レイダーと戦闘になった時、唯一倒されなかったエレッタはかなりの精神的ダメージを受けることになった。
その記憶がある以上、彼に対して攻撃的になるのも仕方のないことかもしれない。
「まあそういうことになるな。もう1度言っておくが、俺は今回はお前達に危害を加えるつもりはない。攻撃や狭い場所に閉じ込めたり、な。まあ、お前達が攻撃してこなければの話だが」
「……じゃ、私達にとって有益な情報って何?」
「それを言ったら交渉にならんだろう。別に俺はお前達が拒否しようと構わないが、後で泣きを見るのは誰か、よく考えておくんだな」
「……む……」
サファイアは引き下がってエレッタとミラのいる場所まで戻ると、レイダーに聞こえないように小さな声で相談することにした。
「(どうしよう? レイダーはああ言ってるけど……罠って可能性も捨て切れないよね)」
「(そうだよ! 第一取引材料にしてる情報ってのも分からないし……レイダーはあたし達とは敵対してるんだよ!?)」
「…………」
少々怒りの混じったエレッタの主張を、サファイアとミラは黙って聞いている。やがて、サファイアはエレッタとミラに静かに問いを投げかけた。
「(じゃあ……エレッタはレイダーを完全に敵だって認識してるわけね?)」
「(そりゃ、ね。前に戦った時だって、完っ全に敵意剥き出しだったじゃん)」
「(それもそうか。じゃあミラはどう思う?)」
サファイアは未だに浮かない顔をして黙っているミラにも話題を振る。ミラはしばらく考え、やがて口を開いた。
「(……わたしは、そうは思わない、かな)」
「(ん? ……えぇ!? 何で!?)」
「(ミラは、どうしてそう思ったの?)」
これにはサファイアもエレッタも驚き、2人してミラに理由を尋ねた。
ミラはほんの少しの間無言で考え、その思考の理由を導き出す。
「(……昔、エレッタは言ったよね? 前に集めたガーネットは、わたし達との戦闘中に落としたんじゃないか、って)」
「(まあ、言ったけどさ。でもそれが一体何の関係があるの?)」
レイダーと戦った時、エレッタは火の玉新山の奥地でガーネットを手に入れた。確かに戦っていた時にはそんなものは見当たらなかったので、レイダーが落とした可能性が高い。
「(前、ユクシーが言ってたよね? あの宝石は……『その宝石は悪しき心の持ち主には扱えません』って)」
「(……あ)」
昔、オパールを手に入れた時にユクシーが言った言葉を、ミラはそのまま取り入れた。サファイアとエレッタは今更ながらそのことに気付き、口をぱくりと開けた。確かにユクシーは、前にそんなことを言っていた気がする。ということは、つまりレイダーは必ずしも敵だとか、悪意まみれでないことが証明されることになる。
「(……でも、レイダーはエスパータイプのポケモン達を次々に襲撃していたのに、ミラは、レイダーのことを信じるっていうの……?)」
「(信用はしない。ただ、前に言われた話を思い出して伝えただけ)」
このやり取りの中で、エレッタはガーネットを手に入れてサファイアが記憶を取り戻す直前のことを思い出していた。
あの時――ガーネットをレイダーが持っていたと知った時、ミラは今のように困惑しているようにも見えた。
もしかしたらミラはあの時点で、レイダーの悪意の有無に薄々気付いていたのかもしれない。
サファイアとエレッタは顔を見合わせ、お互いに目で意見のやりとり、もとい気持ちの探り合いを行った。
やがて2人で同時に頷いてミラにもアイコンタクトをとると、サファイア、エレッタ、ミラは揃ってレイダーの方へ向き直った。
「話し合いは終わったか?」
「うん……決めた。私達をどこに連れていくか知らないけど、ついていくよ。その代わり……」
そこで語気を強めたサファイアの様子から、言いたいことを読み取ったレイダーはサファイアを赤いハサミで制した。
「分かっている。情報はお前達を運んだ先で教えよう。それと、攻撃はするな、か……乗れ」
「……はい?」
「全員俺の背中に乗れ。そしてあの時――俺の羽を凍らせた時のように、しっかり捕まれ」
「……そう」
サファイア達はそのレイダーの背中に、警戒しつつも飛び乗った。3人も乗って大丈夫なのかと一瞬サファイアは思うものの、スペースも重量も思ったほど心配しなくてもいいようだ。
「……行くぞ。途中で振り落とされるなよ」
3人が背中に乗ったことを確認し、レイダーはさっと羽を広げて地を蹴った。
真紅の硬い甲殻の下に覆われていた、高速で動かされる透明な羽は周辺の濃霧をいとも簡単に蹴散らし、大気を切り裂くように青空を突き進んでいった。
〜★〜
「……ここだ」
何分程経った頃だろうか、レイダーを含む4人は濃霧の森を抜けフロールタウン上空を通過し、どこにあるとも分からない小さな洞窟へと辿り着いた。入口からあまり光が入らないのか、外から中の様子はほとんど見えない。
「ここは、トリス洞窟。中には100もの分かれ道があるが、奥まで続くのはただ1本のみ。他の分かれ道はいずれ入口に戻ってきてしまうため、あまり探索も進んでいないんだ」
「じゃ、レイダーはずっとこの洞窟を拠点にして……探検隊の捜査から逃れていたの?」
「そういうことだ。まあ俺の他にも、奥に相棒がいるが」
「相棒?」
レイダーの言う通り、洞窟の中は幾つもの分かれ道がある広間が連なっている。この内1回でも道を間違えれば再び入口に辿り着いてしまうらしいが、正解の道を知っているレイダーは迷うことなく滑らかに飛んでいく。
その間に交わされた何気ない雑談の中で、サファイア達は初めてレイダーに相棒がいることを知った。
「で、私達の時にはその相棒はいなかったけど。いつもは別行動なの?」
「いや、あの時はたまたまあいつが同行してなかっただけだ。ほら、奥地に着いたぞ」
レイダーは緩やかに減速すると、止まってサファイア達を降ろした。
そこから暗闇の中をレイダーに従って角らしき場所を曲がると……ろうそくでもあるのか、暗くも暖かい光が道の先から差し込んできた。
「ここが、奥地だ。……おい、お望み通り連れて来たぞ」
レイダーは、奥の広間にいるらしい相棒へと声をかけ、自分もそこへと歩いて行った。広間には沢山のろうそくが灯っており、洞窟の中の割には明るく感じる。
「ああ、レイダーか? おかえり…………って!!」
レイダーの呼び掛けに反応してか、広間の更に奥から小さなポケモンが向かってきた。
そのポケモンは、レイダーの姿を確認し、サファイア達に視線を滑らせて……ピタリと動きを止めた。
「……あ……!」
それとほぼ同時にこちらも動きを止めたのは、エレッタ。エレッタの目に映った"彼"の姿は、黄色の体色に赤い頬、長い黄色の耳とぎざぎざの尻尾を持ち、そして何よりも――首に巻いた、あちこちがほつれた闇に溶け込む黒いマフラー。
それが指し示すものは、たった1つだけ。
「ルクス兄ちゃん!!」
「エレッタ!!」
随分似通ったピチューとピカチュウが叫んだのは、殆ど同時だった――