M-77 気まぐれの宴
レオがこの中継地点から去ってから、一夜明け。
サファイア達は最奥地へ行くべく、断崖絶壁の中の細道を進んでいた。ところどころで見かけ、時には道となる紫色の浮遊石の存在に最初は驚いたサファイア達も、奥地とあってより強さを増した敵を相手にしているうちにもうすっかり慣れてしまった。
そして、滞りなく進んでB6Fの断崖道を通り抜けようとした時――不意にエレッタが歩みを止めた。
「うっわー……ここ、下に川が流れてるね」
「え、あ、本当だ」
エレッタが指差した方向を覗くと、確かに川が険しい谷を縫うように流れている。近くには滝があるのだろう、耳を澄ますと轟々と水が流れ落ちる音が届く。
水は綺麗だが、崖下の様子が真っ暗で分からなかったそれまでと違い、今は川がある……つまり、谷底が見えているということ。どのくらい深いのか分からないのは怖いが、どのくらいの深さか知ると余計に不安に駆られるように感じるのはどういうことだろうか。
ここで戦闘になるのは極力避けたいエレッタとミラは、さっさとそこを通り抜けようとして……サファイアが下を覗き込んだまま、全く動かないことに気付いた。
「サファイア? おーい、サファイアー? 電池切れた? 生きてるー?」
エレッタの呼びかけに対し、サファイアは一向に答えない。
吸い込まれるように崖下の川を見つめ続け……サファイアの頭の中に、微かにぼやけた映像と声が紛れ込んできた。
場所は、分からない。辺りが暗く、おまけに映像もぼやけていて何が何だか分からない。
だがその中ではっきり聞こえたのは――岩が崩れ落ちる、凄まじい音。大分昔、シェルヤ海食洞の奥地で崩落に巻き込まれた時にも聞いた、あんな音に混じって微かに響くのは、誰かの悲鳴。
映像に白い何かが現れ、岩の間を上から下に真っ直ぐ落ちて行き……崖下の、黒い水の塊――多分夜の海に転落した。
その後白い何かが浮き上がって来ることは、なかった。ただまばゆい青いレーザーのような縦光が、白いものの転落地点に差し込んだだけで――
「サファイアッ!! 敵襲ッ!!」
「!!?」
たったこれだけの言葉を聞いただけで、サファイアは我に返って跳び上がった。あのぼやけた映像が記憶の彼方に遠ざかっていくが、そんなことは気にしていられない。
「ど、どこに!? 敵はどこ!?」
「嘘」
「……へ?」
間の抜けた声を出し、サファイアはエレッタとミラのいる後ろを振り返った。
「今の、エレッタの嘘だから」
「だってー、サファイアずーっと意識すっ飛んでて動かないんだもーん。今は敵はいないけど、こんなところで固まってちゃそのうち本当に敵が来るよ」
「あー……それもそうだね……ゴメンゴメン、行こっか」
サファイア達にとって足場が悪いことこの上ない細道も、ここに住む飛べるポケモン達にとっては格好の狩場である。
狩りの的にされないよう祈りつつ、足早にサファイア達は道を抜け、階段を探す作業に戻った。
〜★〜
「ねえマローン。ジコギセーってどう思うー?」
こちらはふらわーぽっとの親方部屋。マロンがそこに入った瞬間、ハーブは何の前置きもなく質問をマロンに浴びせた。
突然こんなことを言われたものだから、勿論マロンは最初首を傾げた。頭をフル回転させてそんな音を持つ単語を脳内検索し、ようやくその意味が分かったのは場に変な空気が流れ始めた頃だった。そもそもこんな軽いノリの会話にしては、ネタがいささか重い気がするのだが。
「……えーっと……それってサクリファイスの意味の自己犠牲ですか?」
「そうよ。ていうか他に何があるってのよ」
きょとんとした顔でハーブはこう返してくれる。本人はこの単語がマロンの頭を混乱状態に陥れたなどとは思っていないらしい。
「自己犠牲……ですか……そうですね、その決意を尊敬はします。ですが、残された方の気持ちを考えると、何とも……」
「……あ、そう。分かったわ、ありがとう」
マロンの言葉を聞くが早いか、ハーブはいつものように親方業務に戻ってしまった。マロンの言葉に呆れたというわけではないらしいが、少し様子が変だ。
いつもならマロンに押し付けるような仕事を、物凄い早さで熟し始めたのだ。こういう場合、必ずハーブの心に何かしらの心配の種がある。長年ハーブと一緒にいるマロンが見付けた、例外無き確定事項だった。
「(親方様……何かあったんだろうか……?)」
マロンはそう心配こそすれど、このような時に自分から詳細を聞き出すようなことは、滅多にしない。結局は必要があれば話してくれるだろうと割り切って、今日も今日とて仕事に励むのだった。
〜★〜
大地の裂け目 最奥地は、川が流れている谷底の岩場だった。そこは広場のように平坦ではあるものの、何本か広場の中心を通っている川が少々鬱陶しい。特に問題なく飛び越えられる程度の幅だが、戦闘となると確実に攻撃の邪魔になることだろう。
ここにはボスがいるとの話なので、サファイア達はいきなり突入することはせずに岩陰から様子を見ることにする。
「(あー、いた。キノガッサとベトベトンだね)」
岩から顔だけ出したサファイアが、同じく隠れてボスやエメラルドを探す2人に小さな声で伝えた。
「(両方とも寝てる……今のうちに探したいけど、起きられたら厄介だね)」
「(……キノガッサは腕が伸びる、近距離戦だとかなり危ないけど離れてても安心できない。ベトベトンは溶けると攻撃が当たりにくい……)」
「(そっかー……どうする? このままじゃ落ち着いてエメラルドを探せないよ)」
「(コソッと探して見付けてあれが起きる前に逃げるか、或いは種を投げて動きを封じるか、寝ている今のうちに一気に切り込むか……)」
岩の陰に隠れながら、コソコソと密談を交わしていた……その時。
「ん?」
眠っているボス達を見張っていたサファイアが、警戒して岩に完全に身を隠した。
それから少し経って、眠っていたはずのキノガッサとベトベトンの目が開き、眠気を吹き飛ばしつつ立ち上がる。
そして――キノガッサがサファイア達の隠れている岩をちらりと見たかと思うと――
ピシリ、と岩に亀裂が入った。
突然の出来事に驚きつつも本能的に岩から離れたサファイア達の目の前で、岩は呆気なく崩れ無数の石ころに姿を変えてしまった。視界を塞ぐものがなくなって、今はお互いの姿がよく見える。
「いつの間に……あいつら、こっちに気付いてたんだね!」
今の"岩砕き"は、キノガッサが腕を伸ばして繰り出したものだ。繰り出しの早さ、威力共に最早警戒レベルを遥かに超えている。
「……何をしに、来た」
キノガッサが威厳すらも含んだ低い声で、サファイア達に尋ねる。ダンジョンボスの法則からして多分話を聞いてくれるはずはないだろうなぁ……と思いつつも、返答にサファイアは僅かな期待を乗せた。
「まあちょっと探し物をね……見付け次第バイバイするから、ちょっとの間時間を……」
「今すぐに立ち去れ。それか、今ここでボロボロになるか……選択肢はその2つのみだ」
サファイアの言葉を遮って、キノガッサは一歩前に踏み出し威嚇のポーズをとる。ベトベトンに至っては完全に戦闘体勢に移行していた。
「ですよねー……穏便に済ませたかったけど……仕方ないか。エレッタ、ミラ……準備はいい?」
「バッチリ。もういつでもかかってきてよ!」
エレッタがひょいとジャンプし、ミラはこくりと頷く。キノガッサ達にとって、それは交戦開始の合図となった。
「グヘヘ……"毒々"」
「神秘の守り」
まずはベトベトンが小手調べとばかりに、猛毒を含んだヘドロを辺りに撒き散らした。サファイアの"守る"よりもこちらの方が良いと判断したミラは神秘の守りを使って、直ぐさま3人に薄い青色のバリアを張った。
ヘドロはそのバリアに触れた瞬間に浄化され、サファイア達を毒状態にするには至らない。しかし四方八方に飛び散ったヘドロはキノガッサにも命中し、猛毒状態にしてしまった。
「まずいね……いきなり"ポイズンヒール"発動かー……」
キノガッサが負った毒は、特性ポイズンヒールを持つ彼を蝕むどころか少しずつ傷を治してしまう。猛毒は時間経過では消えないため、このキノガッサを倒すまで回復サイクルは持続してしまう。
――『だが、そこはダンジョンボス……キノガッサとベトベトンが共生している。奴らは狂暴で近付いただけで襲って来る。宝石を回収したいのなら、戦って勝つしかないぞ』――
レオの言葉が今更ながら蘇る。やはり、この2人を倒さずして宝石の回収は出来ないようだ。
「目覚めるパワー!」
サファイアはキノガッサに氷属性を持ったエネルギー体を発射するものの、キノガッサの岩砕きに簡単に撃ち破られてしまう。僅かについた掠り傷でさえ、ポイズンヒールで治ってしまう有様だ。
一方。
エレッタとミラも、ベトベトン相手に手こずっていた。相手が投げる"ヘドロ爆弾"はエレッタのアイアンテールで打ち返せば問題無いが、ベトベトンは案の定"溶ける"を使って地面に水溜まりのように攻撃を避けてしまうのだ。そうなった場合、エレッタが10万ボルトを地面に流してベトベトンを叩き出しているものの、タイミングを誤ればサファイアやミラにも電撃が流れてしまう。かといって接近を許すと、今度は至近距離からベトベトンが飛んでくる。ヘドロ爆弾どころの騒ぎではなくなってしまうのだ。
「ええい、電光石火!」
このままでは埒が明かないと判断し、サファイアは一歩踏み出し電光石火を繰り出す。
サファイアはキノガッサが迎撃に使う岩砕きを身軽にかわし、キノガッサの懐へ渾身の体当たりをかました。
「キアァ!」
「(よし、効いてる!)」
心の中でガッツポーズを浮かべつつ、追撃とばかりにサファイアはもう一度、よろけた背中を狙って電光石火を繰り出す。しかし、キノガッサの方とてそんなに単純ではなかった。
「食らえっ!」
「……うわっ!?」
突然、サファイアの視界が塞がれ、咄嗟に閉じた目がヒリヒリと痛みを訴えた。同時に身体が濡れ、長い耳の先から水が滴り落ちる。
キノガッサが振り向きざまに近くの川の水を爪で掬ってぶちまけたのだと気付くのに、大して時間はかからなかった。
当然目に水が入り、電光石火の勢いを消されたサファイアを"タネマシンガン"が襲う。
身体に大量にかかった水を払いのける隙など与えられずに、サファイアはそれを連続で受けて吹き飛ばされた。
「"スカイアッパー"!」
「……うわっ!! め、目覚めるパワー!」
開いたサファイアの目に、猛然とこちらに向かってくるキノガッサの姿が映る。
咄嗟にサファイアは身体の周りに氷塊を作り出し、それを迎え撃つ……はずだった。
だが。
「……つ、めたっ!?」
強い冷気を放つエネルギーを纏ったサファイアの身体は、キノガッサに向けて飛ばす前にサファイアの身体を一部凍らせてしまった。
さっきキノガッサにかけられた水を払わなかったせいで、濡れた部分が特に冷やされ凍り付いてしまったのだろう。
こんな状態で満足に迎撃出来るはずもなく、氷塊はキノガッサのスカイアッパーの威力を弱めるに留まり……
次の瞬間、サファイアは腹部に強い痛みを感じながら、宙へと突き上げられていた。
「サファイア!? 大丈夫!?」
隣でサファイアがキノガッサに吹っ飛ばされたのを見たエレッタは、ベトベトンを警戒しつつサファイアに駆け寄った。
「サファイア!?」
「……エレッタ……大丈夫、このくらいならまだいける」
エレッタが揺するまでもなく、サファイアは自力で立ち上がった。確かにサファイアが自ら言う通り傷がそこまで深いわけではないらしいが、そうはいっても格闘タイプの技を食らったのだ。目覚めるパワーで威力を落としていなければ、もっと手酷いダメージを受けていたことだろう。
「……! 守る!」
ベトベトンの攻撃動作を読んだサファイアはミラを近くに呼び寄せ、3人を包み込むように緑色のバリアを張った。
そのすぐ後には、ベトベトンから吐き出された灼熱の炎"火炎放射"がバリアを包み込んだ。それは"守る"によって遮断され熱すらも中に伝わらないものの、炎は緑色の壁を焼き切ろうとでも言わんばかりに燃え上がる。
そこまで威力が高いわけではないのが救いだが、もしヘドロ爆弾を撃ち落とした直後のエレッタの鋼化した尻尾に当たれば惨事が起こることは目に見えている。
「ねえエレッタ、ちょっと頼みがあるんだけど」
守るの壁を維持したまま、サファイアはベトベトンから目を離さずエレッタに話し掛けた。
「頼み?」
「ちょっとあいつらを状態異常にすることって出来ない?」
「状態異常……ねぇ……」
「今は防戦一方だけど、あっちが何らかの状態異常になればこっちも有利に戦えるんじゃないかな、って思って」
状態異常……おそらくサファイアは、電磁波かメロメロを使えと言っているのだろう。
だが、そのどちらも1人にターゲットを絞らなければいけない。分散させてしまえばそれだけ効力が低くなり、思うように効果が表れないからだ。そして一方に集中しすぎると、もう一方からの攻撃に対応できない。
……つまり、身体の自由を奪って動けなくなるような技を出来るだけ素早く双方にかけ、かつ、味方の隙間を縫うように敵に当てなければいけないということだ。
「出来そう?」
「頑張ってみる……だから、サファイアとミラはあいつらを引き付けておいてくれる?」
エレッタの言葉に頷き飛び出して行ったサファイアとミラを見ながら、エレッタは両手を高く掲げる。目を閉じて手に電気を集中させると、両手の間にバチバチと放電現象が起きた。
サファイアとミラが、レイシアの訓練場で暴走したこと、そして水鏡の森で、おかしな電磁波を放っていたとサファイアに指摘された時のことが頭の奥に蘇る。
あの時からたまに夜に起きて、眠っているサファイア達に気付かれないように外で練習していた、この技。
正直、出来るかどうか分からない。けれど、成功すれば戦闘は格段に楽になるだろう。
――全く、随分な大役を任せてくれたもんだね、サファイア――
敵を引き付けてくれている2人に感謝して、またこんな大物戦でこの技をお披露目出来ることに対する喜びと緊張を抑えて――
エレッタの身体から、激しく拡散する電撃が放出される。
それは攻撃としては些か物足りない、しかし威力を求めないのであれば大きな力を秘めた――
「――"疫雷乱舞(ヘルカプリース)"っ!!」
サファイアとミラが身を引いた直後、キノガッサとベトベトンにジグザグを描いた電撃が纏わり付く。
双方はお互いに得体の知れない電撃を振り払おうとするものの、雷はキノガッサとベトベトンの身体をゆっくりと拘束し……
キノガッサの隣で、ドサリ、と何かが倒れる音がした。音の発信源は、ベトベトン。突然彼は地面に突っ伏し、サファイア達への攻撃を止めてしまった。
だが身体が一定のリズムを保って上下している辺り――
「……眠ってる……」
サファイアが呆然と呟いた。ミラはこの状況に驚きつつも、キノガッサに視点を合わせ……
「キウアァァ……」
顔を左右に動かしながら、完全に身動きが取れなくなっているキノガッサを見て、今度こそミラも信じられないという目をしてエレッタのいる方を振り向いた。
「……エレッタ? これ、どういう……」
「相手全体に、状態異常をランダムで付与する技。この前の無意識に出していたっていう技に、黒の力を混ぜて改良したら、こうなったんだ」
エレッタがにやりと笑い、今度は普通の10万ボルトをキノガッサに浴びせた。キノガッサは目の焦点が合っておらず、どちらから攻撃が来るのかさえ分からないようだ。
どうやら『封印』に加え『惑わし』状態にされていたらしいキノガッサは、動くこともガードすることも出来ずそれを食らった。
「エレッタ、凄いね……いや、今はこっちの方が先決か、目覚めるパワー!」
「シャドーボール!」
眠り状態になっているベトベトンはひとまず無視し、身体の水分を払い落としたサファイアとミラはキノガッサを集中敵に狙う。2つの技を受けたキノガッサは吹き飛ばされ、川から遠く離れた岩に叩き付けられた。
ちょうどその頃、今まで眠っていたベトベトンが目を覚ました。ベトベトンは相方(パートナー)が集中的にダメージを受けたことに気付き、怒ってこちらに突進してきた。
……が、それもつかの間、ベトベトンが赤黒い不気味なオーラに包まれたかと思うと、またバタリと地面に突っ伏した。
しかも今度は眠っているのではない。つついて見ても動かず、小刻みに身体が上下しているわけではない。これは――
「『滅びの歌』……ベトベトンはもう暫くは動けそうにないね」