M-73 プロテアの事情
プロテアの中央本塔の1Fは、巨大なドラッグマーケット……とでも言うべきだろうか、とにかく様々な種類の薬が置いてあった。
勿論そのほとんどは護身用か体力回復用であり、 大体は瓶詰にして売られている。値段はそこそこ安めだ。
「エレッタ、何か買った方がいいものってある?」
「そうだねぇ……まあせっかく来たんだし、効果が高い傷薬くらいは買っておいた方がいいかも。後はサファイアに任せるよ」
エレッタは数本の薬瓶をサファイアに渡し、他にも様々な薬品が置いてある棚を見回り始めた。ちなみにエレッタが選んだ薬は1人を完全回復させる液体薬が3つと、近くにいる味方全員の体力を回復させるミストタイプの薬が2つ。地味に良いチョイスをしてくれる。
「そうだねぇ、後は部屋の敵全体に縛り効果の薬とか、部屋の敵に惑わしの異常付与とか……」
サファイアは棚から薬品を取り出し、ラベルを見る。前者は不思議玉に似たようなものがあるが、この薬は不思議玉より30ポケ安いのだ。
「……お、何かお買い上げかい?」
……と、サファイアがラベルを読んでいる隣から、誰かがぬっと姿を現した。存在に気付くことが出来ず、驚いたサファイアは持っていた薬瓶を取り落としそうになってしまう。
「わっ、とと!?」
「あー、大丈夫かい?」
慌てたサファイアに、そのポケモンは優しく声をかける。水色ベースの身体に空気をためる頬の袋、頭にレーダーのような大きなヒレを持つポケモン、ヌマクローだ。
「はい、私達は探検隊なもので……何か探検時の護身用薬はありませんか?」
「護身用……と言ったら……例えばこういうのかな」
ヌマクローはとある棚から色とりどりの巾着袋を4つ取り出してきた。色はそれぞれ赤、青、水色、緑色の4色で、袋を開けると不思議玉をそのまま縮小して色を変えたような、丸い透き通った玉が幾つか転がり出て来た。
「これは……?」
「まあ、技を出す道具っていうのかな、部屋の敵全員にダメージを与える玉だよ。赤なら炎タイプの、青なら水タイプ、水色は氷に緑は飛行。例えば草タイプメインのチームで炎タイプとかの苦手な敵に対抗したい時とか、モンスターハウスに入った時とか……威力もそこそこあるし、用途は広いんだ。使い捨てだけどね」
「なるほど……確かに便利かも」
何故こんなものがプロテアで売られているのか気にはなったものの、サファイアはその小さな玉を買うものリストに加えた。ちなみに15個入って300ポケである。不思議玉と比較すると、大分安い部類だ。
「ねえ、一つ気になったんですけど……プロテアの薬品は、どうして安いんですか?」
サファイアのなんでもない質問に、ヌマクローはにんまりと笑った。
「全てプロテアの研究者達の自作品だからさ。 似たような薬が多いから必然的に安くなるし、材料自体も安いから研究者達もあまり気にしない」
「へぇ……そうなんですか?」
「気になるんだったら、上のフロアを覗いてみなよ。この薬の材料がいっぱい売られている」
ヌマクローは一通り話しておいてから、営業スマイルを浮かべつつ"お会計は以上でよろしいですか"とサファイアに問い掛けた。
1Fフロアでの買い物を済ませ、サファイアとエレッタは2Fへ上った。
2Fは、1Fと違ってもっぱら薬の材料となる薬草のみを取り扱っているようだ。
「……あら、君達……」
サファイア達がささっとフロアを通過して階段に向かおうとすると、どうやら薬草を管理しているらしいコドラに止められた。
思わずサファイア達の足が、ぴたりと停止する。
「……紫の魔導士じゃないのね。白と黒の匂いがする……」
コドラの鋭い視線に、2人はその場で硬直してしまう。もしかしたら……サファイアの顔に、冷や汗がだらだらと流れる。こんなことを聞いて、悪い予感がしない方がおかしい。
だがコドラは口を開き、叫んで仲間を呼ぶのでも攻撃を仕掛けるわけでもなく……
「へぇ、どっちも久し振りに見たわ〜。ゆっくりしていってね」
穏やかな声で、こう告げた。
サファイアとエレッタは顔を見合わせ……すぐにプロテアに入った直後のミラの言葉を思い出す。
『……この街では、迫害禁止』
……その司祭とやらが命じているのか、暗黙の規律なのかは知らないが、とりあえずそういうのがないというだけですごくほっとする。
(やっぱりエレッタの言った通り、村はこの街と違ってそういうことは出来ないのかな……)
サファイアは、ついこのような事を考えてしまう癖があるらしい。エレッタのこと、ミラのこと、自分自身の記憶……それを知るサファイアだからこそだろう。
一方で。
「ねえ、この赤いヤツデみたいなのは何なの? 面白い形だねぇ」
「それはねぇ、"ハチマタアカヤツデ"の葉だよ。薬に即効性を持たせるために良く使われるのさ」
「へえ、じゃあミラの即効麻痺薬とかもこれを使ってるのかな?」
……和気あいあいと何だか微笑ましい会話が成立していた。店員と通りすがり、という関係ではなくもう好奇心旺盛な子供とそれを見守る優しい母親の類である。会話の内容はアレだが。
「……ん? これ、何だろ……」
サファイアがふと横を向くと、何やら小さな球根が山積みされているのが目にとまった。
1つつまんで、持ち上げてみる。見た目は緑色の普通の球根だ。
だが――
「うわあぁっ!? 気持ち悪いっ!!」
サファイアにつままれた球根が、突然うにうにと動いたのだ。その様子はまるで中に生き物が入っているようで、サファイアは思わず球根を上に放り投げてしまう。
それをすんでのところでキャッチしたエレッタの手の中で、球根はなおもうぞうぞと踊り続ける。正直、気色悪い。
エレッタは、青ざめた顔で球根を売場に戻した。すると球根の動きはぴたりと止まり、先程のように小さな何の変哲もない球根に戻る。が、サファイアは全身の毛を逆立てて、何歩か後ずさった。
「……こ……これも、薬の材料なんですか……?」
恐る恐るコドラに聞いたサファイア達に、コドラはしっかりと頷く。
「そう、それは"ソクマキツル"の球根で、治療薬に使われるのよ。火を通せば動きも止まるし、滋養強壮の効果もあるから病人の薬に最適ね。プロテアでは料理の材料として使われることがあるわ」
「ひっ…………」
グミやリンゴで作られた炒め物に球根がでーんとトッピングとして乗っかっている様を想像し、サファイア達は身震いする。プロテアの住人達やミラは、これが入っていても平気で食べられるのだろうか……もっとも、動きが止まればただの野菜そのものだが、あの球根ダンスがいけない。あれを見てからでは、とてもじゃないが食べようとは思えない。
「……プロテアって、いろいろと不思議な街だよね……」
エレッタがぽつりと零した言葉に、全力でサファイアは頷きたくなった。不思議、と言っても若干皮肉要素が混じっているのだが。
これ以上このフロアにいる意味もないので、サファイアとエレッタは塔の最上階へと向かった。
……ちなみに、司祭がいるという最上階は、8Fだ。少しでも空に近い場所を選ぶという心理は分かるが、当然そこへ行くには階段をひたすらトコトコ上って行かなければいけない。
息切れしないといいんだけど、とため息をつきながら、サファイアは2Fフロアから逃げるように階段の1段目に足をかけた。
〜★〜
そのころ、先に薬草を買って最上階へ行ったミラはと言うと……
「……司祭様」
塔内の喧騒も爆発音も届かないこの"祈りの間"の中央に、そのポケモンは背を向けて立っていた。天窓から差し込む光は穏やかに、優しく彼を照らしている。
「……ミラか。久しいな……2年ぶりか」
そのポケモン――ネイティオはそう言ってから、入口の方を振り向いて小さなラルトスの姿を認める。司祭と呼ばれたネイティオは、声だけで入って来たポケモンが誰なのかを当てたのだ。
「探検活動をしていると聞いたときは驚いたが……どうやら、上手くやっているそうじゃないか」
「……はい。今日はそのことで、尋ねたいことがあるのです」
ミラは、ほんの少し顔を上げた。今までのミラの目に浮かんでいた、サファイア達の前では滅多に見せない穏やかさが抜け、すっと真剣な表情になる。
「水鏡の森で、時空の渦が発達した――"虚空の崖"を見たと言う話を聞いたのです」
ぴくりとネイティオが反応した。ミラは司祭の反応に気付きつつも、話を続けていく。
「その原因が何なのか……分からないのです」
ネイティオは黙ったまま、何か考えているのかミラから視線を逸らす。やがて結論が出たのか、視線を再びミラに戻しゆっくりと話し始めた。
「……それは、おそらく『珠玉』の影響だ。今、ニンゲン界にあるはずの珠玉は、12に分かれてこちらの世界に来ているのは知っているだろう?」
「……はい」
その話なら、ミラもよーく知っている。現にこの世界に散らばった宝石、いや珠玉のカケラをこれまでに8つ回収している元ニンゲンが、ミラのいる探検隊のチームリーダーだ。そして、今は宝石の情報を求めて、聞き込みを地道に続けている。
「この世界とニンゲン界は、等しくエネルギーの釣り合いを保っていた。しかし、珠玉がカケラとはいえこちらの世界に来てしまったことで、世界のエネルギー量のバランスが崩れつつある。そして、エネルギーが足りなくなったニンゲンの世界は、空間を無理矢理広げてエネルギー量のバランスを取ろうとする。……これが何を意味するか、お前なら分かるだろう」
ネイティオは真剣な表情でミラに問い掛ける。
「……つまり、こちらの世界から対世界へと、『空間が移動している』わけですね……?」
「そうだ。時空の渦は僅かなエネルギー、それに加え物質を移動させるが、虚空の崖は空間を移す。取り去られた空間には光が届かないために、影のように黒く見えているのだ」
ネイティオは詳しい説明を終え、ふと疑問を持ったらしい。
「……そういえば、お前達の所属するギルドの親方は、確かハーブ殿と言ったか。そちらに聞けばよかろうに……どうしてわざわざ私に質問したのだ?」
「……?」
ネイティオの発した言葉の意味が分からず、ミラは困ったように首を傾げる。
ちょうどその頃、サファイアとエレッタは8Fまでの長い長い階段を上りきって部屋のすぐ前にいたが、2人はミラとネイティオが会話していることに気付いて祈りの間に入っていかなかった。
ミラの様子を見て、ネイティオは告げる。
「ミラは知らないのか? ハーブという名の親方は、あのエルテス殿の妹君だ」
ネイティオは、当然のことだとでも言うように、さらりと話す。だが、事実を知らないミラは、驚きの声を上げた。
「な!? ……親方様が……まさか、エルテス様の……!?」
この話を耳をそばだてて聞いていたサファイアは、"エルテス"という聞き慣れない名前にまたも首を傾げる。一方のエレッタは、こっちもかなり驚いているのか口をパクパクさせているようだ。
「ねえエレッタ、エルテスって誰なの?」
「……ふぇ!? えっとぉ、エライ方っていうか、何ていうか……でも種族なんて知らないし、本当にハーブは……」
サファイアは尋ねるも、エレッタは上手く言えないのか混乱しているのか微妙にぼかしてきた。サファイアは相変わらず頭の上にクエスチョンマークを浮かべたままだ。
「それじゃ分かんないよ……はっきり言って」
「はあ。……んじゃ、単刀直入に言うよ?」
エレッタは、小さく息を吐いて、サファイアを指差した。勿論サファイアにとって、こんなことで分かる訳がない――のだが。
「エルテス様ってのは、こっちの世界の珠玉の守護者(まもりびと)なの。つまり、サファイアと同職。今の話が本当なら、ハーブは珠玉の守護者の実妹」
「……は?」
……そりゃ、はっきり言えとは言ったが、
「嘘っ!?」
これには、サファイアでさえも驚きを隠すことが出来なかった。