M-65 猛毒フェスティバル
明くる日にサファイア達が目を覚ましたのは、日の出から間もない頃だった。
まず最初にチルムが目を覚まし、サファイアとエレッタを起こしてくれた。
いつもはそんな優しい(生温い)のでは起きないエレッタも、どういうことか1発で飛び起きた。話を聞いてみると、考え事をしていたせいであまりよく眠れていないらしい。
とりあえずサファイアはぐるりと辺りを見回す。異常は、ない。
視界の中にわずかにドラピオンが入ったが、相変わらず操られているようでこちらには見向きもしない。
もしミラが目を覚ましていたら、このドラピオンは何者なのか聞いてみよう、そう思ってサファイアは身を起こし、木立の間を抜け出した。
そして――
「……ミラが、いない」
木立に戻ってきたサファイアは、自分の身繕いをしているチルムとエレッタに心底心配そうな声で告げた。
「な……いない!? ……そうなるともう起きてどこか……大湧泉群 最深部のどこかにいらっしゃるのかも知れません。もう日も上っていますし……」
チルムはさっと支度を調え、エレッタは多少ぼーっとしながらも顔を上げた。
チルムは奥に大きく存在している泉をじっと見つめ、やがて口を開く。
「早く探さないと……でもどうすればいい?」
「……あの泉の手前で道が分かれていますから、手分けして見つけ出しましょう。私は左に行きますから、サファイアさん達は右をお願い出来ますか? この道は泉群を囲むように円型の一本道になっていますから、そのまま歩けば落ち合えるはずです」
「……分かった。じっくり見回してみる」
サファイアは未だ心ここにあらずといった状態のエレッタの手を引き、右へ一目散に走っていった。
そんなわけで、サファイアとエレッタはチルムと一旦別れ、ミラのいそうな場所を探っていた。
探すと言っても、名前を呼んで自分から出てくるのを待ったり、動いた茂みの中をチェックしてみるだとか、そんな消極的なもの。サファイアは、全ての茂みを入念に探してミラを見つけ出すという手荒な手段は取りたくなかったのだ。
しかし、サファイアの期待も虚しくミラは一向に姿を現さない。
サファイアの不安は、いつしかミラにだけでなく……さっきから常にぼんやりしているエレッタにも向けられた。
「ねえエレッタ、一体どうしたの? さっきからずーーっとそんな調子だけど」
サファイアの問いかけに、エレッタはぽつりと答える。
それは、エレッタの身をずっと案じていたサファイアでさえも知り得なかったこと――
「……怖いんだよ。……ミラと会うのが」
「は……い?」
サファイアは思わず我が耳を疑った。一瞬、エレッタの発した言葉の意味が掴めず、それを頭の中で反芻する。
――コワイ、こわい、怖い……ミラと、会うのが?
どういうこと?
サファイアの気持ちを汲み取って、エレッタは沈んだ声で話し出す。
「……私達が昨日、傷付いたミラに触れようとしてチルムさんに止められた時に――バチッと。電気が、身体の中を駆け巡った」
「…………」
エレッタの言ったことを言い換えると、つまりこうなる。
エレッタ自身は、ミラに対する攻撃の意思は全く持っていなかった、そのはずだった。
それなのに。
ミラに触れようと手を伸ばした時、エレッタは前と同じように電気をいつの間にか作り出して――危うく放出するところだった。
もちろんエレッタは、ミラに害を加えようとは思っていない。それなのに、また身体が言うことを聞かなくなっている。
チルムに話を聞く前の、あの夜の時のように――
「あの時と、同じ。だから、今会ったらまたミラを傷つけちゃいそうで……怖いんだ。もう、元に戻れないんじゃないかって」
「……そう……まだ、ダメなのかな……もうちょっと、冷静に……とりあえず頭を冷やして、それからもう1度考えてみよう、か」
サファイアとエレッタはこの場に漂う気まずさを振り飛ばすように横を向いて、初めて泉をまともに見た。
泉は1つの大きな湖のように存在している訳ではなく、谷特有の僅かな高低差によって隔てられた幾つもの泉が連なっている。そして、全てが無色な訳ではなく、水がうっすらとではあるが茶色や青色、緑色などの多くの色で染め分けられている。
遠くから見るとまるで水で薄めた様々な色とりどりの絵の具を並べたようで美しい――本当に、今更な感想だが。
風景として見るのにはいいが、果たして色つきの水が飲めるのかどうかはちょっと怪しいものがある。結局は無難な無色透明な水の方がいいだろうという結論に達し、サファイア達は遠くの方まで見渡して――
「んー? どうもあっちから甘ーい匂いが漂ってくるような……」
「……甘い?」
サファイアの発言に、エレッタは疑問に少々疑いを混ぜて返す。
「とにかくなんか甘いような……行ってみれば分かるんじゃないかな?」
好奇心につられ、サファイアは匂いの漂って来る方へと歩いて行った。最初は不審そうにサファイアのことを見ていたエレッタも、そちらに近づくにつれて"甘い匂い"をキャッチしたのか、次第にその不審そうな表情は消えていく。
「……甘い……?」
一方で、茂みの中に隠れていたミラも、サファイア達のこの一連の会話を聞いていた。
エレッタの発言は分かっていたこととはいえやはりショックではあった。しかし、サファイア達の発した"甘い"というワードが引っ掛かって、他のことは思考から転げ落ちていた。
(……甘い、っていうと……もしかして……)
ミラは何とか音を立てないように食べ終えたリンゴの芯を地面に置くと、サファイア達に気付かれないよう茂みからそっと抜け出した。
そしてサファイア達の後を追って、ゆっくりと、しかし出来る限り速めのスピードで歩き始める。
サファイア達が甘い匂いに引き寄せられて着いたのは、無色透明な泉だった。
水自体が甘い匂いを放っているらしく、水面に鼻を近付けるとより匂いも強まる。
サファイアは試しにとこの泉の水を口に含む。
「どう? 飲めそう?」
「……うん。何か……水自体が甘い。砂糖水を飲んでるって感じかな……エレッタも飲んでみたら分かるって」
サファイアに勧められるまま、エレッタも泉の水を掬って飲んだ。
サファイアの言う通り、確かにほんのりと甘く感じる。モモンの実のようなあのべたつくような甘さとは違う。一言で言えば、美味しい。
2人は喉が渇いていたこともあってか、本能が求めるままに水を飲みつづけた。
――そして。
「ふう、何か生き返ったような気がする……大湧泉群って、こんなにいい水が流れ込ん……あれ、サファイア?」
水を飲み終え大きく伸びをしたエレッタは、隣のサファイアが何か浮かない表情をしていることに気付く。
「いや、何かさ……呼吸が、ちょっと、苦しい……ような、気がして」
サファイアの言葉自体が、変に区切れている。
一体どうしたんだろう、と首を傾げた矢先、エレッタも喉に何かが詰まったような息苦しさを覚える。
2人共が同じ息苦しさを感じていることを変に思いつつも、サファイア達は息苦しさを解消しようと大きく息を吸った。
肺に多量の空気を取り込んだ、その瞬間――まるで麻痺にでもかかったかのように、全身に激しい痺れが襲い掛かる。
電磁波のようなビリビリではない。神経の末端からじわりと異物に侵されていくような……そう、言い換えるとすればたちが悪いタイプの"毒"だ。
その場に立っていることも叶わず、崩れるようにして蹲る。
「……ね、ねぇ、サファイア……もしかして、この水……」
『毒水なんじゃないか』。
皆まで言わずとも、サファイアにはエレッタの言いたいことは伝わった。
バッグの中に、モモンの実や解毒剤は入っていない。ここへ来る途中、毒針スイッチを続けざまに踏んだせいで手持ちの実を全て使ってしまったのだ。
エレッタがふと顔を上げると、既にサファイアはぐったりと横たわっていた。普通に比べて毒の回りが早過ぎる。この状況では声をかけても答えてくれるかどうか分からない。
それに、いずれ自分もサファイアと同じ状態に陥る。毒水だと知らずに、大量の水を飲んでしまったのだから。
息が詰まって、苦しい。少しでも多くの空気を吸い込もうと身体を反らせると、バランスを崩して横向きに倒れてしまう。
(……ねえ、サファ、イア……私、達……死ぬ、の……?)
沸き上がる不安に押し潰されないようにと、エレッタは動かない手を無理矢理に伸ばしてサファイアの耳に触れる。
それが、限界だった。
何時しかエレッタの意識も、サファイアと同じように――毒に埋もれて消えていった。
〜☆〜
『……アさん、……レ……さん!?』
……どこからか、声が聞こえる。結構近いから、多分私の耳元近くで叫ばれてるんだろうけど、あんまりはっきりとは聞こえない。
『サファイアさん、エレッタさん!! 起きてください!!』
あぁ、今度ははっきり聞こえた。声の主は多分、チルム。今ので私達を急いで起こそうとしていることは何となく分かる。隣にはサファイアもいるしね……。
でも、出来ることならば正直このまま眠らせておいて欲しい。春野でひなたぼっこしているような感じで、暖かくて気持ちいい……
けど、何か切羽詰まってるっぽいし、起きようか……そう思い直して、私は目を開けた。
チルムの心配そうな表情と、空が見える。今日もいい天気……なんて能天気にも思っていたら、急にチルムから声をかけられた。
「エレッタさん! よかった、無事だったんですね……」
チルムは何故かめちゃくちゃほっとしたような表情をしている。え、私達、何かしたっけ……?
そこまで考えた時、隣でずっと眠っていたサファイアも目を覚ました。
それとチルムの安心したらしいリアクションを見て、やっと思い出す。
――そうだ。
確か私達は、泉の毒水を飲んで倒れたんだっけ。
でもあの時は全身に毒の痺れが回っていた。それなのに、今はあの時の痺れは全く感じない。もしかして、時間経過で効果が消えたとか? ……それってあり得るの?
「……あ、れ? チルムさん……一体どうしたの?」
サファイアはまだあまり状況を理解してないみたい。まあ、私だって何で毒が抜けてるのか分かってないしね……
「2人とも、ここで倒れていたんですよ。もしかして、この泉の水を飲んでしまったんですか?」
「うん。ここら辺の泉って色付きが多いけど、色水って飲めるのか分からなくて……で、無色透明かつ甘いこの泉に引き寄せられたんだけど」
事情をありのままに話すと、チルムは少々考え込み……やがて申し訳なさそうに言った。
「そうですか……ごめんなさい。ここの泉のことについて話すのを完全に忘れていましたね……ここの泉は、花の色素や樹液が溶け込んだ水が流れ込んで作られているのです。ですから色付き水は大抵無害で、この水程ではありませんがちょっと甘いのです。しかし、この無色の水だけは……近くの山から天然の有害物質が溶け込んでしまっているんです。強い毒性を持つ上に甘い香りを持ち、過剰摂取すれば死の危険すらもある水なのです」
うわぁ、なんつー迷惑な有害物質! ……ん? 今やっぱり死の危険って言った?
「そ、そうだったんだ……でもさ、確かに私達は毒で倒れたけど、もう毒の痺れは感じない……チルムさん、私達に何かした?」
状況が飲み込めたらしいサファイアは、私も疑問に思っていることを聞いてくれた。
けどチルムは首を横に振る。どうやら何か考えているようにも見えるけど。
「……いえ、私はここに来たばかりです。サファイアさん達を見付けた時には、既に2人とも倒れていましたよ」
じゃあ、何故毒が消えたんだろう? サファイアと私は顔を見合わせたけど、チルムは違った。
「……おそらく、ミラさんでしょうね……」
まるで独り言でも呟くように、ぼそりと零した。けれど、私達がこれを聞き逃す訳がない。
「……ミラが? まさか……」
私にとって、それはなかなか信じ難い推察だった。
だって……私は、ミラに酷いことをしている。それに、確かに起きてはいるみたいだけど……ミラ、大分傷付いていたし、誰かを看病出来るような様子じゃ……なかったよね?
「では、ちょっと口の中を軽くなめて下さい。先程とは違う味がしませんか?」
なめる? ……ああ、確かにあのほんのり甘い毒水とは違う味がする。
何て言うか……やたら甘い。粘っこい甘さ……って言えば分かるかな?
モモンの実とはちょっと違う、もっとべっとりした感じ。
「それがミラさんの調合する解毒薬の味です。結構ベタッと甘くて、後々まで味が残るんですが……解毒効果は抜群です」
「…………」
……嘘、でしょ……?
サファイアは、まだ分かる。あの時ミラを庇ったんだもんね。
けど、私は……一瞬沸き上がった怒りに任せてミラに10万ボルトを浴びせて、結果的にギルドから追い出した。
おまけに、頭では分かっているのにまた電撃を放出しようとした。しかも、苦しそうに眠っているミラに対して、だ。
最後のはミラは知らないとしても――そんなことをした私に対してまで、解毒薬を飲ませて助けてくれたの……?
何で、そこまでして……
「……サファイア、チルム」
私はこれからのことを考える前に、サファイア達に話し掛けた。何でだろう、声が若干震える。
「ミラに、謝らなきゃ……でも、そうするには一体、どうすればいい?」
私はミラに酷いことをした。……けど、ミラは私を助けてくれた。
ミラの気持ち、痛いほど分かったから……だから、もうミラに会っても攻撃なんてしない。絶対に――断言出来る。
「エレッタ……」
サファイアも、私の気持ちに気付いてくれたみたい……後はミラだけだ!
「……そうですね……今、ミラさんは何をしていると思いますか?」
チルムはあることを思い付いたようで、私達に話を振ってきた。
「う〜ん……私達に解毒薬を飲ませて、それからここを離れるとすれば……」
「おそらくですが、オレンの実でも採りに行っているのでしょう。ですから……」
チルムはここまで言うと急に声を小さくして作戦を話してくれた。
私達がそれに頷くと、チルムはあともう少しですよ、と言い残し、ここを去って行った。多分この近くの木の陰か茂みにでも隠れたんだろうね。
そして、私達は……
〜☆〜
その頃ミラはサファイア達から少し離れた場所で、オレンの実を4つ、マジカルリーフで撃ち落とした。
ボトボトと落ちて転がって来る青い実を受け止め、ミラはそれをバッグに入れる。
今、バッグに入っているオレンの実は5つ。さっきまでは1つしかバッグに入っておらず、とてもあの2人に分けることなど出来なかったのだ。
傷の治らない身体を引きずるようにしながら、ゆっくりゆっくり倒れているサファイア達のもとへ戻る。
本来休むべきこの状況下で無理矢理身体を動かしているからか、何度も木に寄り掛かっては荒い息を上げる。時々視界がぐにゃりと曲がって倒れそうになるのは、気のせいだと思いたい。
急がなくても大丈夫だと、ミラは自分によく言い聞かせた。
サファイア達があの毒泉の水を飲んで倒れているのを見付けた時、すぐに精一杯の速さで駆け寄って解毒薬を飲ませた。だから、あれ以上身体に毒が回っているということは考えにくい。
けれど、あの解毒薬に体力回復効果はない。モモンの実の汁を濃縮して解毒性を高めたはいいものの、あそこにオレンの汁を加えようものならこの世のものとは思えない凄まじい味になるからだ。
だから、もし体力が減っていればオレンの実も必要だ。そう思って歩いているうちに、倒れたままのサファイア達の姿が見えてきた。
基本的に立っていること自体が辛いので、ミラはエレッタの隣に座り、随分と荒くなった呼吸を何とか整える。
そして、よく眠っているらしいエレッタの隣でオレンの実をバッグから取り出そうと視線をエレッタから外し――
――ガシッと左腕を掴まれる感触に一瞬びくりと震え、慌ててそちらを振り返る。
そこにはミラの腕を、傷がない所を狙って掴んでいる……眠っていたはずのエレッタの姿が――
「えへへ……やっと、捕まえた」
最大限、心底楽しそうに笑っていた。