M-64 その技の名は
〜★〜
大湧泉群最奥部にて、次の日の夕方ごろのこと――
サファイア、エレッタ、チルムの3人が、ようやくここへ到着した。
もちろん急いで来るつもりだったのだが、階段がなかなか見つけられず広いフロアをさ迷ったり、サファイアやエレッタが罠にかかっておたおたしているうちに時間を食ってしまったのだ。
「……本当に、ミラはここにいるの?」
「ここに来て今更何を仰るのですか。大丈夫、ミラさんは必ずいらっしゃいます……この最奥部のどこかに」
チルムの言い分に頷きつつ、けれどやっぱりもやもやした気分を抱えこみ、サファイア達は奥へ歩いていく。
一番最初に"それ"を発見したのは、よそ見をして周りの風景を眺めていたエレッタだった。
「み、ミラ!? 何なの、どうしたのッ!?」
エレッタは木にもたれているミラを発見し、すぐさまそちらへ駆けていく。若干遅れて、サファイアとチルムもそちらへと続いた。
眠っているミラの身体には、引き裂かれたような無数の傷があった。傷は見ただけで浅いと分かるが、傷の数からすると洒落にならないダメージが蓄積されていそうだ。
「ミラ!? ミラーー!? ねえ、どうしたの!? 起きてってば!!」
ミラの状態は、かなり悪いらしい。荒い息をしきりに立てながら、けれど一向に目を覚ます気配はない。
サファイアとエレッタは眠っていると分かっていても返事が返ってこないことに耐えられず、つい揺すって起こそうと、ミラに手を乗せようとして――
「待ってください! 無闇に、動かさないで下さい!」
チルムの、昨日のフーディンと接触した時に発したような、有無を言わせない強い声を聞いて、サファイア達は思わず手を引っ込めた。
チルムは2人の代わりに前へ進み出て、慎重にミラの手を握る。
「……一応、脈は……正常にありますね。他には……あれ?」
ミラの腕を軽く握っていたはずのチルムの手に、紫色の静電気のようなものが纏わり付いた。それを疑問に思いながらもミラの手を離し、静電気を振り払って負荷がかからないと思われる場所にそっと戻す。
一方のサファイア達は、ふと横を向いて……あのドラピオンを見つける。
「え、あれ? あれは確かドラピオンってポケモンだよね?」
サファイアがドラピオンを見て首を傾げたちょうどその時、のっそりとドラピオンが動き出した。
その様子に思わずサファイアは身構えるも、目に光を宿していないドラピオンは腕を伸ばし、近くになっていたリンゴをもぎ取って食べ始める。
それは、傍から見れば至って普通の光景だ。だが、何かがおかしい。
リンゴを食べる……つまり食事は、命を繋ぐ大切な行動にして、誰にでも備わっている本能だ。
それにしては、ドラピオンの様子がおかしい。動作がぎこちないのだ。が、ドラピオンに目立った怪我は見られない。
ただ普通と違うのは、その目に光が点っていないこと。サファイア達を見ても、まるで興味がないとばかりに首を背けた。
「……サファイアさん、エレッタさん。あのドラピオンは……一体何でしょう?」
いつの間にかチルムもドラピオンを見ており、不思議な動作に首を傾げている。
傷付いたミラと、"心を持たない"ドラピオン。どうも何かしらの関係があるとしか思えない。
「……"ウィル、ベリシアル"……そういうことだったんですね……」
ふと、チルムは口を開いてそう呟いた。いろいろと考えていたサファイア達は、そんなチルムの言葉の一部を聞き逃してしまった。
「……え? ウィル……?」
「"ウィルベリシアル"。多分それが……ミラさんが使った技の名前です。あの、ドラピオンに」
「え? え……どういうこと?」
突然そんなことを聞かされても、2人には訳が分からない。
チルムもそれを知っているのだろう、まずは、と前置きをして説明を始めた。
「お2人は、ミラさんが3年前の事件でブーピッグに操られたことはご存知ですね?」
その話なら、ミラとチルムから聞いた。忘れるはずがない――それが、あの事件のカギだったのだから。
「あの"他者を強引に操る力"は、紫の魔導士のみが使える技……だから、前提条件として"紫の魔導士である"ブーピッグはこの技を使えたのです。つまり……これはどういうことを意味しますか?」
それを聞いたサファイア達は、急にはっとした顔付きになる。今までどうして、こんな重要なことに――気が付けなったのだろう。
「……そうです。ミラさんも、紫の魔導士の1人……それも、かなりの力を持っていらっしゃる方です。ですから、条件が揃えばミラさんでも使うことが可能なのですよ」
それから、とチルムは付け加えるように言った。
「まだ技の説明をしていませんでしたね。この技は、一定期間相手の心を縛り、意志を奪って操ってしまう技です。操られているポケモンは、食事や睡眠等の生物学的本能の行動を除いて……ほぼ全ての行動を、技の使用者の命令(リクエスト)により行うようになるのです。もっとも、操られている間に攻撃を受けると解放されますがね。……そう考えると、ミラさんが負った裂傷はドラピオンがつくり……ピンチになったミラさんが技を出して操っているということでしょう」
チルムは昔アクシアから告げられた、この技の効果を記憶から探し、その一方で自分のカバンの中から別の回復リボンを出してスペシャルリボンと取り替えてミラの首に緩く巻いた。
「それと、条件が揃えばって? 条件って一体……?」
「使用者の体力が、減っていることです。残りの力が少なければ少ないほど……より確実に、相手を操ることができるのです。ですから、体力が減っていなければ失敗することも多い……この技は護身術なんですよ、本当は」
護身術。自分の身を守る技が、簡単に命を奪ってしまう技になりうる――
そういえば、ミラを操ったあのブーピッグは、傷だらけだったくせにオレンの実を食べなかったという。そういう理由があるのなら、あの行動の説明もつく。
「そして、この技は弊害も多くて……主なものは、誰かを操っている間は技や道具での体力の回復が出来ないのです。自然回復しかしないので、どれだけ自力で持ち直すかは本人の生命力次第です」
――チルムはさっき、ミラに回復リボンをつけていた。回復リボンは疲れた身体に働きかけて自然治癒力を高める効果があるため、これなら多少なりとも回復が早まるらしい。もっとも、付けているとお腹が空くが。
「そして、相手は操られている間……その中で起こったことは全て覚えています。だから、操りから解放された時に、余計に技使用者への恨みが募ります。……あれは記憶までも封じる技ではないのです」
「…………」
しんと静まっている空気が、ひどく重苦しい。エレッタは聞いているのか聞いていないのか分からないような表情で下を向きっぱなしで、サファイアはサファイアで出す言葉が見付からない。
「……何にせよ、この技はミラさんにとって鬼門であることは間違いないです。……目を覚ますまでは、そっとしてあげた方がよろしいかと」
チルムはそれを言うと、ミラからは見えないような木立に身を隠し、サファイア達もそれに続いた。
「……さて……眠りましょうか。いろいろあって疲れているでしょう?」
実際、チルムの言う通りだった。広いフロアを歩き回り、敵ポケモンとの戦闘を繰り広げ、また罠にかかって爆発したり吹っ飛ばされたりして大変だったのだ。
だが、そう言われてもあんなミラを見てしまえば、心配になるのは当たり前で。
「ねえ、チルムさん……もし、ミラが目を覚ますにドラピオンが元に戻って……ミラをまた攻撃しようとしたら……?」
最悪の予想が頭に浮かび、思わず首を振りながらサファイアはチルムに尋ねた。
するとチルムは――そんなサファイアの様子に気付いたのか、はっきりとこう答える。
「……その時は、私がドラピオンを意地でも止めてみせます。これ以上、ミラさんに手を出すならば……私も、黙ってはいられませんから」
〜☆★〜
夢を、見ていた。
――消えて、しまえ。
この場から、去れ。
そして、これ以降、二度と“子供達”の前に姿を見せるな――
そんな言葉が聞こえてきて、私は眠りの世界から目を覚ます。
今までずっと眠っていたせいか剣呑な言葉の意味を咄嗟に理解出来るはずもなく、閉じていた目を開く。
そして、その声を発した――目の前にいるポケモン達の姿を見た瞬間、心臓が凍り付きそうな感覚に襲われた。
そのポケモン達は……傷付いたエネコロロとライチュウ。
2人とも、憎しみの色が表情に出ていて……その鋭く光る目を見てしまった私は、恐怖のあまり動けなくなってしまう。
私は、この2人のポケモンを――知っている。
このポケモン達が言う"子供達"の意味も、ちゃんと分かっている。
だから……
早く、ここから去らなければ行けない。
それなのに、私は馬鹿みたいにそこに突っ立ったまま、動かなかった。動けなかったと言った方が正しいのかもしれない。
しばらくそのまま立ち尽くした後、エネコロロとライチュウはそれぞれ電撃のようなものを空に放った。
同時に2人の傷付いた身体は崩れ落ち、何が何だか分からないまま、私は1歩後退りして――
――直後、世界は黒と赤に染まった。
〜☆〜
夢から覚めたはずのミラは、目の前が真っ暗なことに気付いて……危うく悲鳴を上げるところだった。
けれど、ギリギリのところで出かかったその声を噛み殺す。
自分が、またあの夢を見ていたこと、そして夜――夜明け前の今ならば辺りが暗いのは当たり前だということに気が付いたからだ。
最初のうちは、眠っていたのはせいぜい夕方から夜明け前までの数時間の間だと思っていた。けれど、多分同じ姿勢で眠っていたためか固まっている身体の調子やその他諸々のことから、眠っていたのは数時間程度のことではなく――丸一日以上である、ということに気付く。
ミラはふらりとその場を立ち、近くにいたドラピオンの様子を確認する。
ドラピオンの首に入れたマジカルリーフの傷は、もう無くなっていた。けれどドラピオンの様子はまだまだ大人しく、ミラに襲い掛かってくる気配はない。
ふと首に手を伸ばすと、スカーフらしきものに触れる。が、それはあの戦いでボロボロになっているであろうスペシャルリボンではなく、買ったばかりの感触を持つ何か。疑問に思ってそれを外してみると、あまり見慣れないリボンが目に入った。
(回復、リボン……そっか、だからここまで動けるんだ)
毒と無数の外傷に体力を限界まで削られた割には、やけに回復が早い。普通なら丸一日眠ったところで、せいぜい身を起こして食事が出来るかどうかというところだ。しかし回復リボンを付けているなら、少し辺りを歩き回るくらいは出来るはず。
そういえば、やけにお腹が空いたように感じるのはそのためか……そこまで考えを巡らせた時、ふと思う。
一体誰が、リボンをすり替えたのだろうか?
ミラは取り替えた覚えはないし、ドラピオンにもそんな指示は出していない。そして、この状況で考えられるのは……
回復が早いといっても、それは普通の状態に比べると、という条件がつく。足を引きずるようにしてミラは近くの木立の間を歩いて探して。
見付けるのに、そう時間はかからなかった。
「……サファイア、エレッタ……チルム……? どうして……どうしてこんな場所に……?」
木の根元で、3人はぐっすりと眠り込んでいた。どうも疲れているらしく、起きる気配は今のところない。が、エレッタはともかく他の2人の寝起きは早い。
ここにいては、いけない。
とりあえず、しばらく何も口にしなかったためエネルギー不足になりかけている身体をどうにかして、その後は……
状況に身を任せることに決めた。
〜大湧泉群 最深部〜
ミラはまだ傷が癒えない重い身体を引きずって、最深部に広がる湿原地帯へと入った。
そこは、ミラがずっとここへ来なかった3年間のうちにもあまり変わることがなく、以前の風景をそのままに保っていた。
強いて変わったところといえば、前は弱々しい枝を伸ばしていた若木が、大きく立派に成長していることくらいだろうか。
ほとんど何も変わっていない。その事実が、余計にミラの心に重しを乗せる。
溜まった思いを振り払うように、ミラは近くの泉の水を手で掬って飲む。
それから思い出して草地にその水を吐き出すと、予想通りその水は赤く染まっていた。
何度かそれを繰り返し、ようやくミラは泉の水を飲み込んだ。
やはりどうしても喉を通るため、傷口に水が染み込んで痛むことに変わりはない。それでも何も飲まないよりはマシだった。
今は、太陽がもう大分顔を見せている。ミラがゆっくりゆっくり、しかし必死に歩いている間に日は上って、朝の訪れを告げている。
ミラはマジカルリーフを1枚作り、泉の近くに生えていたリンゴを撃ち落とした。
転がってきたリンゴを手で受け止め、傷がないか確かめる。傷は目立たない。腐っているわけでもないし、食い荒らされた跡ももちろんない。
近くの茂みの隙間に身を隠し、ミラがリンゴにかじりついた、その時。
小さな小さな話し声が遠くから聞こえてきた。
思わず、そちらに注意を向ける。声の正体は不明、大きさからしてまだここからは、遠い。
だがいくら遠くのこととはいっても、そのうちこの付近まで来ることは十分に考えられる。
ミラは茂みの葉の隙間から話し声のする方に目を凝らし、一方では出来る限り音を立てないようにリンゴを食べていく。
隠れていてもつい身を固くしてしまうのは、もう癖のようなものだった。