M-63 別次元の激闘と翻弄
睨み合うフーディンとチルムが動いたのは、ほぼ同時だった。
フーディンは、己のメインウェポンである、"サイコカッター"を放つ。このサイコカッターは他のポケモンが放つそれの倍以上の大きさを誇り、かつ繰り出しも早い。
――大湧泉群にこんなポケモンが住み着いているなんて、聞いてない――
そう思いながらも、チルムは冷静に"アイアンヘッド"で大アゴを鈍く光らせる。そうして、飛んできたサイコカッターに再びその自慢の牙で噛み付いて、ギリギリと食い込ませる。
サファイアやエレッタなら一瞬にして戦闘不能に陥るであろう刃は、歯がその身を貫いた瞬間光の粒子となり姿を消す。
フーディンがサイコカッターを繰り出してから、まだ5秒。フーディンはサイコカッターを出した直後のため、若干出だしが遅れた。
チルムは息を小さく吸い込み、体内に循環させてから一まとめに吐き出す。
その息は強い冷気を帯び、すぐさま氷の小さな粒へと変わる。
それを巧みにコントロールして初めて、ただの吐息は“冷凍ビーム”へと変化する。
凍てつく冷気を操るのは、簡単なことではない。考えなければならないことはたくさんある。
技を出している自分が凍り付かないように注意を払いながら、どうすれば相手に効果的にダメージを与えられるかを始め、距離、高度、重力による沈み込み、風向や天気。
それらの要素を考慮し、多少の威力調整を加えなければならない。チルムの頭の中で、瞬く間にその計算式が組み上がる。
全ての技に言えることだが、あらゆる条件を満たしたベストコンディションで的確にダメージを与えるのは、熟練のポケモンでもかなり難しい。
だが、それを全て満たした時の見返りもまた、凄まじく大きいのだ。決め手は、感覚と経験(レベル)のみ。たった、2つ。
傷付いた肩を狙った冷凍ビームは、フーディンのそこを見事に凍り付かせた。フーディンは苦しそうに呻き、テレポートを使ってチルムの前から姿を消す。
再び攻撃を交えたのは、その直後。
フーディンはテレポートで逃げるでもなく、チルムの横へと瞬時に回り込み、同時に"シャドーボール"を放っていた。
サファイアやエレッタがいつもダンジョンで見てきたものより大きい、濃紫の球体。チルムは無駄のない動きでそれを避けると、フーディンにアイアンヘッドを――今度は大アゴを叩き付けるように、振り回す。
しかし、相手もそれを黙って食らう程馬鹿ではない。すぐにテレポートを使い、またチルムの視界から消えたのだ。標的を見失った大アゴは、しかし空振りすることはなくすぐさまエネルギーを発散した。
――どこから来る?
横からの奇襲は、私には通じない。けれど、後ろはあまりにもスタンダードすぎる。
そして、フーディンはエスパータイプ、なら――
チルムは脇目も振らずすぐにその場から跳び退いてこの場から出来るだけ離れた。
すると――上からまるで雨のように、大量のエネルギー弾“気合い球”が降り注ぐ。
フーディンは空高く浮かび上がっていた。つまり、使いようによっては空にも浮くことのできるサイコパワーを上手く使いながら、こんなにもたくさんの気合い球を作り出したということ――
気は、一瞬たりとも抜けない。
空に向けて牽制用の手抜き冷凍ビームを撃ち出すと、フーディンはまたもテレポートを使ってその場から逃げる。
フーディンはすぐにチルムの後ろに姿を現し、サイコカッターを今度はじっくりと練り上げ、今までの技の中でも最高に切れ味の良さそうな刃を形成した。
フーディンがその刃を撃ち出すのと、気付いたチルムがフーディンに向かって駆け出したのは、ほぼ同時。
チルムは素早くフーディンに駆け寄り、アイアンヘッドの準備とばかりに大アゴの口をぱくりと開いた。
だが、チルムがサイコカッターをかわそうと横に身体を反らせたその瞬間、サイコカッターは僅かに幅を広げ、チルムの指先を襲う。
チルムは怯むことなく走ってアイアンヘッドでフーディンを殴りつけたものの、すぐにフーディンから十分な距離をとったチルムは顔を僅かに歪ませ、サイコカッターが掠った指先を軽く押さえている。
あのフーディンは、やはり只者ではない。サイコカッターをピンポイントで横に広げるのはかなりの技術が必要である上、掠っただけで鋼タイプのチルムに目に見えて分かるダメージを負わせたことからも明らかだ。
ふと、チルムはほんの少しだけフーディンから目を逸らし、空の様子を確認した。
晴れ。無風。そして何よりも――日の入り直前。
早く、蹴りをつけなければならない。
先に動いたのは、フーディンだった。
手に気合い球のエネルギーを溜め込んでいる辺り、一気にカタをつけようと踏んだのだろう。
チルムはその一瞬の隙をついて、フーディンの横……サファイア達からは見えない位置へと回り込んだ。そして、フーディンの後ろへと移動したのが見える――だが、これはフーディンにとっては予想済み、むしろチルムにとっては自殺行為だ。
充填が終わったばかりの気合い球をフーディンは投げ付け……素早く動いていたチルムに、当ててしまった。
効果抜群の大技を受け、ただでさえフーディンと比べて小さな身体のチルムは吹き飛ばされ、近くの木にぶつかってしまう。
手酷い傷を負ったチルムの姿に、思わずサファイア達は自らの危険を顧みることもなく足を踏み出そうとし――だがその足は、茂みを突っ切る一歩手前でぴたりと止まる。
チルムの姿が、急に消えたのだ。テレポートと似ているが少し違う、身体が光の粒子と変わり周囲に拡散する。
そこでやっと、このマジックの決定的な証拠に気付く。
サファイアもエレッタも、あのフーディンでさえも――チルムが派手にぶつかった幹が、全くへこんですらいないことに。
フーディンが辺りを見回した時には、既に手遅れに近かった。
フーディンが気合い球を命中させた相手は、ただのまやかし――それも、"身代わり"によって生み出された、分身だった。
そして本体は、サファイアの視界に入らない位置に立ったまま、この瞬間にも沈み行く夕日を背に余るほど受けている。
そして、大きく開いた大アゴの中に……莫大な量のエネルギーを溜め込んでいた。エネルギーを固めた白く丸い光の球は、今にも爆発しそうなほど膨れ上がり、やがて合図のようにキラキラと星を散りばめたように輝く。
――発射準備、完了。
フーディンはテレポートを使ってどこかへ逃げようとするが、もう遅い。
チルムの限界までエネルギーを溜め込み繰り出された"ソーラービーム"は、傷を負ったフーディンに容赦なく牙を向く。
フーディンの空気を震わせるような叫び声が、静かな谷のダンジョンに木霊する。それと時を同じくして、最後の夕日の欠片が今――地平線の下へと姿を消した。
〜★〜
身体中に刻まれた浅い爪痕が、あちこちから痛みを訴える。
同時に、表面だけでなく身体の内側からもまた然り。猛毒により身体の末端からじわじわと身を削られていく不快感を覚える。
それと外傷は同じくらい痛むのに、別々の性質を持ち、独立して襲い掛かるのだからたちが悪い。
先程までほんの少しだけ、ミラを傷付けやすいように浮かせられていたドラピオンの腕が、再び降ろされる。
今までドラピオンはミラを逃がさないように、爪でしっかりとミラの身体を地面に固定していた。だが、普通のラルトスよりも小柄なミラを捕らえ置くには、横から挟み込むのでは少々安定性に欠けるらしい。
――だから――次に狙われたのは、首元。
立派な爪はミラの首を囲むように打ち込まれ、完全に窒息しない程度の高さにまで調整された。その精密さは、忌ま忌ましくも感心するほどのもの。この手の拘束には慣れているのが窺える。
同時に、これは万が一のことに対する警告でもあった。
今、ミラは抵抗することを許されず、ドラピオンの意のままに傷付けられる存在と成り果てている。
もし、この体勢のまま刃向かえば?
……分かっている。もう、どうしようもない。ミラに出来るのは、受け身すらも取れないこの状況下で、ひたすら痛みに耐えること、だけ。
「……っ!」
ドラピオンが、ま
た1つ爪痕を刻み込んだ。これで何度目か、数える気力は残っていない。
それでも身体を引き裂かれる痛みに対して――悲鳴は上げなかった。ただその目を固く閉じ、歯を食いしばってひたすら堪える。
このドラピオンは、強い。
ドラピオンがその気になれば、毒にやられてろくに動けないミラなどあっさりと片付けることが出来るだろう。
けれど、ドラピオンは――ミラをいたぶることを楽しむかのように、わざと1つ、また1つと浅い傷を幾つも重ねていく。
今ミラの肩にかかっているトレジャーバッグには、確かモモンの実のストックが2、3個貯まっている。
だが首を固定され、頭がくらくらしているこの状況で、モモンの実を口に出来るはずもない。
――時間が経つにつれて、次第に痛みの感覚が無くなってきた気がする。ドラピオンが作った引っ掻き傷は今までよりも鈍い痛みを生み、怠さが頂点に達する――その先にあるのは、無気力。
もう、何も考えられない。考えたくもない。
何も行動を起こさずにこのまま、横たわっていれば、確実に殺される。けれど行動を起こしたところで、どうにかなる可能性はとんでもなく低い。
だったら、もう、いい。
抵抗する際のリスクは、大きい。でも、それがもたらすものは……一体何だというのだろう。
――眠ってしまえ。
そうすれば、楽になる。
心のどこかから、そんな声が聞こえる。いつもならそんな誘いには乗らないミラだが、毒に侵された頭では正常に思考が働かない。
誘いの声に言われるがまま、ミラは辛うじて繋いでいた意識を手放してしまった。
こうなるしかないのなら、もう、どうにでもなれ――ミラの心の中では、確かにそんな声が響いていた。
ミラの様子がおかしいことに気付いたドラピオンは、首を絞めていた爪で身体を挟み、自分の目の高さへ持ち上げた。
意識のないミラの顔は青白く、手はだらりと力無く垂れている。首への拘束を解いても、呼吸は先程と同じく浅いまま。だが毒はまだ消え去ってはいないようで、時々痙攣したようにぴくりと動く腕からもそのことが読み取れた。
「……つまんねぇの」
ドラピオンはミラをつまんだまま、もう片方の自由な腕を動かし、自分の後ろに置いてあったぼろぼろのバッグの中に爪を入れた。
――正直、物足りない。
毒菱を踏み、弱った獲物の身体を軽くとはいえ引き裂く感触は、しっかり味わわせてもらった。
だがこのラルトスは、助けを求めることも、反撃を試みることも、それどころか悲鳴の1つすら上げなかった。
面白くない。
だったら、やることは1つだ。
今自分は好き放題に振る舞える。ここで殺すことも出来るし……その逆もまた然り――
後ろに置いてあったバッグから、青い実を1個つまみ出す。
それを爪で適度な大きさに砕いて……ドラピオンは、実をミラの口へ無理矢理押し込んだ。