M-62 ダンジョンの脅威
大湧泉群。
スイレン峠付近に位置するそのダンジョンは、奥地である谷底に位置する無数の泉と自然が美しいと有名なダンジョンである。
ただし、奥地へ続く道中に出現するポケモン達はバリエーションに富み、どれも一筋縄ではいかないのだそうだ。
次の朝、ギルドでゆっくりと睡眠をとったサファイア達は、大湧泉群の入口へと到着した。
道の両脇にある岩を被う緑の苔は、水をたっぷり含んで滑りやすそうだ。まだ道にはそんなにたくさんは生えていないのが救いだろう。
サファイア達は、ミラが本当にここにいるのか疑いたくなったが、チルムに自信たっぷりに『ミラさんはここにいます』と言われ、自分を無理矢理納得させていた。
「ここです。ここは昔から変わっていませんが……今までと同じようなら草タイプや岩タイプが多いはずです。気をつけて行きましょう」
チルムは自分の首に回復リボンを巻き、サファイア達を手招きする。サファイアは力強く頷き、エレッタは多少曖昧ながらも頷いてその後を追った。
……やっぱり、看板の小さな注意書きには気付かないまま。
大湧泉群 B1Fへ降り立ったサファイア達は、早速ポポッコ3体に囲まれるという事態に襲われた。
幸い絶対数がそこまで多いわけではない。1人1体ずつ倒せばいいのだ、今までバタフリーなど数の暴力に嫌というほど晒されてきたサファイア達にとっては恐るべきものではない。
「行くよ! 目覚めるパワー!」
「10万ボルト!」
「冷凍ビーム!」
サファイアは纏った青い球体を、エレッタは溜め込んだ電気を、そしてチルムは一瞬息を吸い込み、強い冷気を放つ。それぞれの技にポポッコはメガドレインで対抗したが、圧倒的に技の威力が足りないらしい。
押し切られて技を受け、大ダメージを負ったポポッコは、たまらずその場から逃げ出した。このくらいならまだまだ楽勝だ。
「ふう……良かったね、早めに気付けて」
「ええ、全くです。あのポポッコは眠り粉を使ってきましたから……先制されると多少危ないです。気をつけて行きましょう」
ポポッコが落としていったオレンの実を回収し、階段を見付けてさっさと下っていく。
チルム曰く、このダンジョンは13F、奥地は10Fまであるらしい。今までのダンジョンに比べればそこそこ深いダンジョンで鍛練には最適だが、フロア自体も広いのでどうやら中継地点に着くのは夜になることがほとんどらしい。
出来れば明日には奥地に着きたいのだが、ちょっと怪しいところだ。急げば何とかなるかもしれないが、焦って注意力を欠くのは本末転倒だろう。
けれど。
もう、時間がない。
明確な根拠は、全くない。ただのサファイアの勘だ。
それでも、その勘は……今回だけは絶対に当たっている気がする。
ダンジョン攻略に、そんなに多くの時間をかけてはいられない。
襲い掛かって来るポケモン達を次々と退け、サファイア達はついに奥地のすぐ手前、B13Fに降り立った。
もう空に輝く太陽に白さは残っておらず、今は地平線の下に沈む前の最後の輝きとばかりに、強く赤い光を絶やすことなく放っている。
このままチルムの言う通りだと中継地点に着くのは夜、奥地となると明日の夕方くらいに辿り着く、であろう、そんなペースだ。
そんなに時間をかけてはいけないのに、どんどん時間は過ぎていく……中継地点前の最下層にいて気が緩んだのか、サファイアはそんなことを思って人知れず焦っていた。
――だから……反応が遅れた。
「サファイアさん! 前を見て下さい!」
「サファイア、上に跳んで!」
突然後ろからエレッタとチルムの声を受け、いつの間にかふわふわと浮いていた意識は引き戻引き戻され、声の言うまま反射的に上へ高く跳んだ。
すると間を置かずに、サファイアのいた場所に刃が飛んできて……地面が、深くえぐれた。
「……え」
刃は地面に刺さったまま、消滅する。一瞬幻かとも思ったが、見事にえぐれた地面がその淡い期待を真っ向から否定してくれた。
着地したサファイアの前に、立ちはだかるようにフーディンが現れる。
フーディンの様子はやはりダンジョンの他のポケモンと同じように狂っているようで、しかし放つ威圧感が他のポケモンとは比べものにならない。
よくよく見ると、フーディンの肩の部分には攻撃か何かでついたらしい傷がある。もしかしてそれで気が立っているのかもしれない……なんて悠長にそう考えていると、またフーディンはサイコカッターをサファイアに繰り出してきた。とにかく形成からの攻撃が尋常じゃなく早い。
「うえぇ!? ま、守るぅ!?」
慌ててサファイアが守るを使った瞬間、フーディンのサイコカッターはバリアにぶつかった。
サファイアの力が足りないのか、はたまたフーディンのサイコカッターが強すぎるのか……バリアには段々とヒビが入っていく。
「サファイアさん、横に跳んでください!」
チルムの一声でサファイアは横に大きく跳び、何とかサイコカッターの餌食を免れた。そしてサイコカッターが再び地面に刺さって消えた直後、チルムは木立から跳び出して、サファイアに近寄るフーディンの前に立った。
「ち、チルムさん! 何する気!?」
「サファイアさん、エレッタさん! このフーディンは、今までのポケモンとは明らかに違う強敵……貴方達ではやられてしまいます! ここは……私1人に任せてください!」
チルムはそう言うと、フーディンが再び繰り出したサイコカッターを、自身の頭にある大アゴで噛み付いて受け止め……念の刃を、その鋭い牙で噛みちぎってしまった。
「逃げることは恐らく不可能……なら、私がこの場で倒します!」
〜★〜
大湧泉群 奥地B10Fの階段を下り、ミラはついに最奥部に辿り着いた。
階段を下りた後は少しだけ道が続き、その後に視界が開け、巨大な泉群が姿を現す。
それは、ダンジョンの終わりの美しい光景。だがミラにとっては、これ以上奥には行けない、つまりこれ以上逃げられない場所に着いてしまったことになる。後は食料を回収して脱出するか、少しの間ここに留まるか。
(……どうしよう……これから……)
自分が先に何をすべきか分からないミラは、考えを巡らせながら道を歩いていた。
その時だ。
「っ!?」
突然足に、何かが刺さったような痛みを覚え、思わずミラは1歩後ろへ下がった。だがそこに生えているのは草ばかり。特に何か尖った石などがあるわけではない。
葉に小さな刺のあるムラサキイバラソウでも踏ん付けてしまったのだろうか? そうぼんやりと考えた矢先に何かの気配を感じ、また1歩後ろへ下がった。
その場所に、ダァンと何かの爪が振り下ろされた。紫色の腕、エネルギーを持った爪。そして、腕を辿った先にあるのは、頭と巨大なサソリの形をした身体。
「ふん、また来たか。命知らずの探検隊が」
そのポケモン、ドラピオンは、爪を地面から引き抜いてミラを見下ろす。
自分の存在に驚く小さなラルトスの姿を捉えたその目には、若干の笑いが含まれているように見えた。
「……命知らずの、探検隊?」
ミラはその言葉に疑問を感じ、ゆっくりと聞き返す。
「そうだ。俺は探検隊から逃げ、ここに住み着いたお尋ね者。ここに何度も何度も探検隊が送り込まれてきたが……全部仕留めた。お前もまた、探検隊なんだろう?」
ドラピオンはミラのバッグに着いた探検隊バッジを目ざとく見つけ、爪で宣戦布告を示した。
自分からお尋ね者であることを暴露したということは、よっぽど自信があるのかただの馬鹿か。この場合は多分前者だろう……そこまで考えて、ふと足元に目が行った。
草に紛れてミラの足元に転がっていたものは、ボロ布のように千切れたスカーフと、輝きを失った探検隊バッジだった。
くすんだバッジの中心で微かに透明に光り輝く紋章が、このバッジの持ち主がダイヤモンドランクだったことを現している。
そして、探検隊はバッジを基本的に手放すことはない。探検隊にとっての生命線であるバッジがここまで汚れながらも残っているということは、則ち比較的最近に、バッジの持ち主がこの場で命を落としたということを意味する。
……それは、つまり……
「シザークロス!」
「!」
ドラピオンの爪にエネルギーが宿り、ミラを切り裂こうとまたも振り下ろされた。
ミラは紙一重でそれをかわし、一度ドラピオンから距離をとる。
――私は、ドラピオンに完全に探検隊と認識されてしまっている。多分、逃がしてなんてくれないよね……
ちょっと、いやかなりまずい気はするけど……戦うしか、ないのかな――
「逃げてばかりいる気か? ヘドロ爆弾!」
「シャドーボール!」
これ以上逃げ回るのも良くないと、ミラはヘドロの塊に狙いを定めてシャドーボールを放つ。
2つの技はぶつかって爆発を起こし、暫しの間付近は煙に包まれた。
「奥へ逃げる算段か……ヘドロ爆弾!」
ドラピオンはヘドロ爆弾を奥地へ続く道に敷き詰め、道を毒の煙で塞いでしまった。こうしてしまえば、ミラはこの技の効果が消えるまでの間、奥へ逃げることは出来ない。
が、ミラは奥へ逃げようとしていたわけではなかった。むしろ道を塞がれることを予想していたミラは、煙に紛れてドラピオンの懐に潜り込んでいた。
そして――
「チャージビームッ!」
ほぼ全力に近い電撃の光線が、ドラピオンの腹部に命中した。
「グアァ!」
それによりドラピオンは苦しそうな悲鳴を上げ、同時にミラを捕らえようと紫色の爪を伸ばした。それをミラはひょいと避け、後ろに跳んで……一瞬だけ足が縺れて転びそうになるものの、何とかバランスを保った。
(……急所を狙ったつもりだったけど……そっか、ドラピオンの特性は"スナイパー"と"カブトアーマー"か……)
ミラは冷静にそう判断し、ドラピオンにもう一度チャージビームを放とうと両手に電気の塊を作り出した。
その時。
ミラの視界が、ぐわんとぼやけた。
正確に言えば、ほんの一瞬……だが、確かにその一瞬、ドラピオンの姿が二重に見えた気がした。
それはすぐに元に戻り、ミラは今の視界に疑問を感じつつ、チャージビームをドラピオンに向けて放つ。ドラピオンはそれを緑色のバリアを張って吸収した。このドラピオンは、"守る"も使えるようだ。だが守るで防いだところで、チャージビームの追加効果を無視できる訳ではない。
「……さて、そろそろ来るか。悪いことは言わない、ここに来たことを後悔する準備でもしとけ」
「……誰が、そんなこと……」
ミラはドラピオンの挑発には乗らず、冷静にマジカルリーフを放つ。が、この時点で、ミラは既に何かがおかしいと踏んでいた。
――怠い。
あまり身体に力が入らないというか、何か知らないけれど重い。奥地へ一気に突っ走ってきたから、疲れがたまっているのだろうか?
「フッ、そうか。それなら、これをかわしてみろ……さっきの俊敏な動きでな!」
ドラピオンは腕を高く振り上げ……シザークロスではなく、ただの通常攻撃を繰り出した。
エネルギーを溜めていない分繰り出すのは早いかと思えば、むしろシザークロスより遅いくらいだ。
ミラはその遅さを不審に思いながらも、横に動いてそれを避けようとした……
「……っく!?」
だが、ミラが右へ移動しようと足を踏み出した直後、ミラの身体に異変が生じた。
まず、身体が動かない。それに加え、痺れるような痛みを感じ、ミラは思わずその場に蹲り、苦しそうに息を吸い込んだ。
「……きゃう!?」
そこにドラピオンの腕が振ってきて……ミラは俯せに突き飛ばされ、更に腕に押さえ付けられてしまった。目を開けてみると、視界がぼやけている。全てのモノが二重に見え、くらりと目眩が襲ってきた。
両脇にはドラピオンの爪の柱。そして、下は地面で、逃げ場はない。上からは腕がのしかかり、ミラを押し潰すかのように次第に力を強めている。
だが、痛むのは身体の表面だけではない。全身に痺れるような痛みが走り、身体に力が入らない。呼吸をするだけでも苦しく、上から押さえられていることもあって肺に空気がほとんど入らないような状態に陥っていた。
「……これ……い、ったい、いつ、から……」
やっとミラもこの痛みの正体に気が付いたのだろう、途切れ途切れに言葉を搾り出す。
「最初だ。お前が入ったこの奥地へ続く道……俺はそこに前もって、びっしりと“毒菱(どくびし)”を敷き詰めておいたのさ。それも、特別効力の強いものをな」
ドラピオンの目が、次第に細まる。その目のままミラを一瞥し、吐き捨てるように続ける。
「ここに俺を討伐しに来た幾つもの探検隊も、この草に紛れて見えない罠に引っ掛かり、猛毒に足掻きながら死んでいったさ。……愉快だったよ。それこそ“怖い顔”でも使ってんのかって程の物凄い形相で、呪詛の言葉を吐けるだけ吐いといてさ。散々そうしておきながら、最後には助けてくれ、財産を全部やるから命だけは、と力を振り絞って懇願し、縋り付いたまま動かなくなる。金(ポケ)を積めばお前達は見逃してくれるんだろう、とでも言いたそうにな。で、そいつらのお陰で、俺はこの猛毒がどれ程時間稼ぎをすれば効力を発揮するか、どの程度回れば抵抗出来なくなるかを知ったという訳さ。有り難いねぇ、本当に。馬鹿な探検隊様々だ」
ドラピオンは矢継ぎ早にそこまで言うと、ミラを押さえ付けていた腕を少しだけ浮かせる。
そして……もう片方の腕の爪が、ほぼ無抵抗なミラを浅く引っ掻いた。その攻撃は強い痛みを引き起こすわりに、大したダメージにはならない。
「だから、最近はびびって誰も討伐に来ないから……つまらなかった。お前は久し振りの獲物だ。楽しませてもらおうか……俺が満足するまで、何度でも」
ドラピオンはニタリと怪しげに笑うと、鋭く光る爪をミラに突き立てた。