M-61 気遣う者たちの想い
「……始めましょう。3年前に起こった、あの事件の話を」
チルムはそこで言葉を一度切り、話すスピードを少し落とした。
〜☆〜
まず、始めに……そうですね、あの事件があった直後の、ミラさんの様子から話し始めるのが妥当でしょうか。
その日――私とミラさんが大湧泉群からの帰り道ではぐれたあの日――夕方、まだ森の中でミラさんを探していた私の前に、突然酷く傷付いたミラさんが現れたのです。
何があったのか聞こうとしたのですが……ミラさんは私に寄り掛かるとすぐに意識を失ってしまって……慌てて連れ帰ったのを覚えています。
その後、ミラさんは2日間ずっと眠りっぱなしで、悪夢でも見ているかのように荒い息を立てながらも、目を覚ますことはなかったのです。
2日経ち、やっと目を開けてくれてほっとしたのも束の間、体力の消耗が激しかったミラさんはすぐにまた眠ってしまい、話を聞くことは出来ませんでした。
……その次の日から、ミラさんは変わってしまったのです。
食事は殆ど取らない、起きている間はずっと何か思い詰めたような雰囲気を纏って、眠ったかと思えば気付くとうなされ、日によっては真夜中に突然泣き叫んで飛び起きる……そんな日々の連続でした。
嬉しいことがあったりすると時折浮かべていた笑顔も、全く見せなくなって……いつも無表情で何かを考えているようでした。
それに加え、更に数日経った後にとある事実を知りました。
それは……ミラさんが使えたはずの、"念力"と"封印"が使えなくなっていることです。
あの事件が起こる直前の大湧泉群内でも……ミラさんはごくごく普通にエスパー技を使っていたはずです。それなのに、何故かサイコパワーを思うように操れていない様子で、その2つの技を再び使えるようにはならなかったのです。他のタイプの技は、何の問題もなく使えているのに……
ちょうどその頃、ミラさんが何があったのか話してくれて……初めて、あんなことがあったことを知ったんです。ですが、エスパータイプの技だけが使えなくなった原因は、まだまだその頃は分かりませんでした。
そのこともあってか、ミラさんは自然と外にも出なくなり、ずっと部屋の中で本ばかり読むようになりました。ですが、本を読むのも何かの薬を調合するのも、以前は楽しそうに行っていたのに……あの頃は表情一つ変えず、のめり込んでいったのです。
きっと、そうしている一時だけは……あの事件の記憶から逃れることが出来ていたのかもしれません。
しかし、それから1年後くらい……そうですね、ミラさんの様子もそこそこ落ち着いてきた頃の夜……ミラさんは、何の前触れもなく突然プロテアから姿を消してしまったのです。
朝になってからそのことに気付いた私には、ミラさんがどこにいるのか知る術はありませんでした。大湧泉群にも何度か行って探しましたが、ついに見付けることは出来なかったのです。
ただ、母であるアクシアさんだけは……ミラさんの居場所を、きっと知っていたのだと思います。ですが、私が聞いても、ミラさんの行方を心配していた妹さんが聞いても……教えてはくれなかったのです。自分の意思で出て行ったのなら連れ戻す必要もない、放っておくといいと素っ気なく……。
それから、半年くらい経った後のこと……あのブーピッグが、窃盗を働いた容疑のお尋ね者としてとある探検隊に逮捕されたのです。
ブーピッグはジバコイル保安官から取り調べを受け、その途中であの事件を起こしたことを認めたのです。
その後の調べによると、ブーピッグはかなり排他的な思考を持つ紫の魔導士の1人で……集落から離れて暮らしていた黒の魔導士の一族――そう、エレッタさんの家族です――を邪魔だと、排除したいと……そう思っていたようなのです。ですが、自分から手を下すのは避けたいと思っていたようで……だから、紫の力を使って近くを通ったポケモンを介し、黒の魔導士を討ったのです。もっとも、彼は彼で何年も前に黒の魔導士に家族を奪われていたようですが……
その時、たまたま側を通ってしまったのが、ミラさんだったのです。紫の力を引き継ぐ一族が持つ、相手を操る能力を使って。
結果的に、あの最後の雷、エレッタさんのご両親が放った雷を受けたのはミラさんでしたから……ブーピッグの目論みは見事成功してしまったわけです――
〜☆〜
「……それじゃあ、あの雷って、まさか……」
サファイアは合点がいった時の、確認を求めるような声でチルムに聞いた。
「そうです。ミラさんがエスパー技を使えなくなってしまった原因……それは、あの雷です。黒の力を知り尽くしたポケモンが放てる力を乗せた雷……それには受けたポケモンの感覚や神経をしばらく破壊してしまう力があるのです。そして……」
チルムは的確な言葉を探して、暫しの間黙り込んだ。この部屋に響く音は、ただタウンに吹く風が窓を揺らす音、ただそれだけだ。
「あの時の雷は……残された力を全て使って放ったものだったのでしょう。それを受けてしまったミラさんは、サイコパワーを使うために必要な神経を封じられてしまい、自分の思うままにサイコパワーを使えなくなっているようなのです……」
チルムはサファイア達とは目を合わせず、若干下を向きながら話し終えた。それからふと顔を上げ、エレッタに問い掛ける。
「……そうだ、エレッタさん」
チルムの突然の指名を受け、半分呆然としていたらしいエレッタは我に返ったようだ。
「なぜエレッタさんのご家族は、集落を離れ、名もない山に住んでいたのか……何か、聞いていませんか?」
再びしばらくの間、静寂がその場を支配した。
「……確か……集落にいるよりも、こっちの方が私達の成長に良いって。集落にいると、どうしても異なる一族に対する反感が根付くから、あえてそんな思想の手が伸びない、拓けていない地に移り住んだって……」
エレッタは一生懸命記憶の糸を辿り、言葉を探し出す。
まだ小さかった頃、何の気無しに聞いたその質問に、両親がにっこりと笑って答えてくれたことを。
しかし、あの2人はもういない。エレッタを守っていた兄でさえ、生きているのか死んでいるのかも分からない。
この理不尽な事件に怒りをぶつけようにも、ミラはただ操られただけで、張本人のブーピッグは既に逮捕されている。 ……もう、この暗い感情はいい加減捨てるべきなのかもしれない。
「そういえば、さ」
急にサファイアは、何か思い出したように呟いた。
「話を聞く限り、事件が起こる前のミラってもっと明るかったりしたの? 楽しそうだったとか、笑わなくなったとか……」
チルムはサファイアの質問に、首を縦に振った。
「そうです。確かに元から感情を表に出さない方でしたが……それでも見ず知らずのポケモンにも優しく接することくらいはあったんです。ですが……あの事件に巻き込まれたのも、ブーピッグに関わってしまったから。そう判断したのか、以降はかなりの無口で冷めた性格に変わってしまったのです……いえ、変わったのは性格だけではありません。行動も、雰囲気も、ほとんど全て」
その言葉を聞いて、サファイアは思い出した。ミラと初めて会ったスイレン峠の奥地で、お尋ね者モジャンボにとどめを刺した後のミラの言葉を。
『あなた達を助けるためじゃない』と――。
「サファイアさん、エレッタさん。ミラさんを、助けてあげて下さい」
突然のチルムの言葉に意識を引っ張り戻されたサファイアは、おうむ返しに聞き返した。
「……助ける?」
「はい。今のミラさんは、あの事件の記憶から目を逸らしています。でも、そうもしていられなくなった今……放っておけば、また心を閉ざしてしまいます。今なら、まだ間に合いますから……ミラさんを、過去の呪縛から解いて欲しいのです」
チルムの言葉を要約すれば、大湧泉群に行って仲直りしてこい、ということだろう。
確かにエレッタは怒っているわけではないし、完全に不可能という訳ではない。だが……
「……でも、大丈夫かな……私達に、本当に出来るの?」
「はい。私には出来ませんでしたが……サファイアさん達なら可能なはずです。これは、『お願い』ではなく……私からの『依頼』です。受理して下さいますか? サファイアさん、エレッタさん」
サファイアは自然とエレッタの方を向いていた。エレッタは今言われたことに少々驚いてはいるものの、多分大丈夫だと頷いた。
「……分かった。今日は日も暮れたし、明日受けるよ、その依頼」
サファイアが言うと、チルムの顔がほっとしたように綻んだ。
「……ありがとうございます。私も、出来る限り手伝いますから……よろしくお願いします」
〜★☆〜
次々と襲い掛かって来るしつこいゴローン達を、マジカルリーフで次々と沈めていく。他のゴローンが怯んだ隙に、見えていた階段にさっと乗り移った。
大湧泉群は、一言で言えば谷のダンジョンだ。緩やかな渓谷を下っていくと、谷底に涌き水が作り出した無数の湖がある。ただし、谷は深い。谷底に行こうとすれば中継地点を挟んでおよそ2日かかる。朝に出発して、暗くなるまでに中継地点に辿り着けばまあまあといった所だ。今私がいるのは、中継地点の1F上……一歩手前といった所。
襲い掛かって来るのはゴローンにポポッコ、アメモースやユンゲラー等だけど……襲来に気付けば、遅れをとることはほとんどない。
完全に夕日が沈むまでに階段を下りようと、とある部屋に入ろうとすると……
「キイィ!」
ポポッコが、私が今入ろうとした部屋から飛び出してきた。
けど、あれ……? ポポッコは私に気付いていないのか、急いで部屋から逃げていく。
……何か部屋にあるのかな、と思って、少し警戒して木立の間から様子を見ることにした、けど……!
――嘘、でしょ……!?
どうして、フーディンがこのダンジョンにいるの……!?
部屋の中にはフーディンが、運の悪いことに階段の周りを狂ったように何周も回り続けている。
フーディンはこのダンジョンには元からいないはずで……おまけにあのフーディンは、私とは実力の差がありすぎる。見ただけでそう分かるほどの、強そうな外見を持って近付いたポケモンを追い払っている。
けれど、階段を下れば中継地点……こちらとしては下りない訳にはいかない。幸いフーディンは、こっちに気付いてはいないらしい。このまま息を潜めて、後ろに回り込めば……
そう思って慎重に1歩踏み出した――その矢先。
突然フーディンが射抜くような目でこちらを振り向き、鋭い声を上げた。
一体いつから気付かれて……いや、今はそれどころじゃない!
このままここにいるのは無意味だと判断して、私は木立から階段へ向けて走り出した。一方のフーディンは……ピンク色の刃を作り出した……あれは多分サイコカッター。
一応それは予想済みだったし、私はシャドーボールを作り出し、サイコカッターを迎え撃つ準備をする。普通に考えればエスパータイプの技とゴーストタイプの技、どちらが相性的に有利かは当然分かる。
――なはずだったけど、サイコカッターの威力が尋常ではないのか、凄いスピードで飛んできたサイコカッターはシャドーボールをいとも簡単に切り裂いて……え!?
「……やっ!?」
咄嗟にその場で受け身を取ったにも関わらず、サイコカッターが直撃した私は大きく吹っ飛ばされた。
何とか転ばずに体勢を保てたのはいいけれど……このフーディン、思っていた以上の超強敵みたい……。シャドーボールで威力を多少落として受け身も取って、加えてタイプ相性のこともあってダメージは少なくなっているはず。
なのに、これだ。
正直転ばずに踏み止まれたのが奇跡なくらいで、思念の刃で切り付けられた身体がズキズキと痛んでいる。
フーディンは更に階段の上に居座り、私を下へ行かせまいとしている。その目から殺意しか読み取れないのは気のせいだと思いたい。
けれど、階段に居座ってくれたのはこちらにとっては好都合。後はタイミングさえ間違えなければ……そう思って私はバッグから不思議玉を取り出した。
いつもの探検ではバッグの肥やしどころか邪魔になっているこの不思議玉に、今は心から感謝したいと思う。
『キュイィィィ!!』
最早狂ったとしか言いようのない雄叫び(?)を上げて、フーディンはシャドーボールを作り出した。多分あのシャドーボールを食らえば、戦闘不能(オーバーキル)は避けられない。でも、今だ!!
手の中の不思議玉を起動させると、私とフーディンの身体は一瞬のうちに煙に包まれ、それからガクッと身体が強制移動させられた。それは、フーディンも同じ。
そして、気が付くとフーディンは私がさっきまでいた場所にいて、そして私は――階段へ。
『ギャアァ!!』
一瞬遅れて、後ろからフーディンの悲鳴が響いてきた。私がさっきの"場所替え玉"を使ったのは、フーディンがシャドーボールを放った直後。つまり、場所を入れ替えたフーディンは、背中に自分のシャドーボールが直撃したというわけで。
……ご愁傷様。
そう呟いて、私は急いで階段を下った。
その先にあったのは、夕日に照らされた湖と、風に揺れる木々の葉。それを何気なく眺めているうちに、フロールタウンであったことを思い出してしまった。
「……エレッタ……」
今頃、どうしているんだろう。まだ怒ってるかもしれない。
……当然だ。
あの10万ボルトだって、相当の威力と怒りが込められていた。簡単に許してくれるはずなんてないし、そもそも許してくれるかどうかすら分からない。
でも、エレッタが望むなら……それでもいい。必要があれば、フロールタウンから姿を消すという選択肢だってある。
エレッタはいつもはっちゃけているけど……繊細さもしっかり持ち合わせている。そんなに簡単に納得してなんてくれないはず。
そもそも、あれは私自身あまり思い出したくもないこと……まだ、気持ちの整理がついていない。
でも、いずれはきっちりと整理しないといけないかもしれない……そう思いながら、私は近くの木にゆっくりもたれ掛かっていた。