M-60 矛盾を抱えた者
「おーい? サファイア? 聞いてるー? 燃料切れ? 弁慶? 立ち往生?」
サファイア達のついさっきまで……いや、今現在も続いているこの状況を知るはずもないマロンは、縛られの種でも食べたかのように微動だにしないサファイアの前で手を振った。
耳元で発せられた声と白い手にようやくサファイアは気付いて、マロンを反射的に見上げる。
「……マロン……?」
「はい、お帰りなさい……じゃなくて、どしたの? 何か元気ないよ? エレッタもミラも様子がおかしかったけど……サファイアもちょっとおかしくない?」
何事かと首を捻ったマロンは、サファイアの目が次第に潤んできたのに気が付いて、訳も分からず屋慌てて彼女を宥めようとする。
「さ、サファイア!? 本当にどうしたの!? 何かあったわけ!?」
サファイアはマロンの問いに無言で首を振ると、まるで電光石火を使ったのかと思えるような速さで部屋を飛び出して行った。
「あ、ちょっと! ……全く、本当に何があったのさ……」
〜★〜
一体どこをどうやって通り抜けてきたのか……いつの間にかミラはフロールタウンを抜け、若草が生い茂る道をひたすら前に進んでいた。
その目には、前へ続く道や風景のみを映しており、感情は一切読み取れそうもない。
やがてミラは足を止めると、近くに傾いた看板が立っているのに気付いてそれに近付く。何とか読める程度に掠れかけたものは、矢印と足型文字。
《←この先 大湧泉群》
《準備不足は死への最短経路》
――何故、こんなところに来てしまったのだろう。
このダンジョンは私にとって確かに思い出の詰まったダンジョンではあるが、それは幼い頃の楽しい記憶と同時に、暗闇に染め上げられた過去の始まりも含んでいる。
別に、ここに来たくて来た訳じゃないのに、どうして……? 私は、本当は大湧泉群に行こうとした訳ではなかったはず。ただ何も考えず歩いていたら、いつの間にかここへ辿り着いていただけ……もしかして、サファイアが最後に言ったあの言葉が、自分で思っている以上に心に響いたのかもしれない――
何にせよ、大湧泉群の奥地にはリンゴの木やらオレンの木やらがわんさか生えている。どんな道を選ぼうと、都合がいいのは確か。
ダンジョンの奥地に行けば、ゆっくり考えられるかもしれない。この先、あの2人とはどうしたらいいかを。そう考え、相変わらずの様子でまっすぐ進んでいく。
だが、ミラは気付くことが出来なかった。看板の下には同じく掠れかけた文字で、更に小さく付け足された文が書いてあったことに。
《近頃謎の強敵発生中。出会い次第逃げなくば即座にダンジョンの肥やしとなる》
〜★〜
サファイアはギルドの階段を素早く下り、フロールタウン広場で立ち止まった。特に行く当ても決めずに部屋を飛び出してしまったが……マロンに、出来ればハーブを始めギルドの誰かには知られたくない。
エレッタの行った場所は大体の見当はついているが、1人にしてと言われた以上今行った所でエレッタに追い返されるのが関の山だ。こちらとてエレッタの機嫌を損ねたくはない。
なら、一体どうすれば……堂々巡りを始めた思考を断ち切る手段を知らないサファイアは、その場をウロウロしながら解決策をひたすら考えていた。
すると、そのウロウロが目についたのか、サファイアに話し掛けてきたポケモンが、1人。
「……さ、サファイアさん? 一体何をしていらっしゃるのです?」
その聞き覚えのある声につられ、サファイアは声がした方を顔を上げて振り向く。そこには、予想通りあのクチート……チルムの姿があった。おらそく挙動不審なサファイアを見兼ねて声をかけてくれたのだろう。
たまらずサファイアはチルムに飛び付き、その勢いとは裏腹の小さな声で頼み込んだ。
「……チルムさん、私達を助けて……! このままじゃ、私達……」
今にも泣き出しそうに震えるサファイアに突然のことに驚きながらも頭を撫で、とりあえず、とチルムはサファイアに告げた。
「何があったのか……詳しく教えて下さい。エレッタさんとミラさんがこの場にいない……その理由も含めて」
〜★〜
「なるほど……つまり、今はエレッタさんとミラさんの間に深い溝がある状態という訳ですか?」
「うん……大体そんな感じだけど、エレッタはミラが悪いんじゃないって分かってるみたい……でも、それをミラが知っているのかどうかは分からない……」
広場で話すと誰かに聞かれるかも知れないと、サファイアが連れ込んだギルド内のチームの部屋で、サファイアはチルムに事情を話した。
チルムはサファイアの話を聞いている間ほとんど口を挟まず、最後に確認してからしばらくの間考え込んだ。
「……そうですね……今サファイアさんが話して下さった話は、あの一連の事件を語るにはあまりにも不十分です。ただ……ミラさんはその後の過程の多くをご存知ないようです。……私が、お話しましょう。あの後、私達がどう動いたのか……ですが、それには一つ条件があります」
話し終えてから下を向いていたサファイアは、チルムの言葉に耳をぴくりと動かした。
"条件"。その単語が、サファイアの頭に重い響きを持って何度も浮かび上がる。
「条件……? それって一体……?」
「私がサファイアさんに求めること……それは、エレッタさんをここに連れて来ることです」
――エレッタをここに連れて来る。簡単なことに思えるが、この状況では至難の技だ。
1人にしてと半分叫ぶように言い残し、部屋を飛び出していったエレッタ。そんなエレッタが、来てと言ったところで大人しくついて来るとは考えにくい。
「……エレッタを……?」
「はい。正直に言ってしまえば、これはエレッタさんとミラさんの問題……当事者が直接理解してくれないと、この件は解決出来ません。ですから、エレッタさんを部屋に連れ戻して下さい」
かなり無茶苦茶な条件に思えるが、チルムは本気らしく譲る気はないようだ。しかし、ミラの話ではまだまだ不十分だという事件の真相……それを知らなければ、きっとミラを連れ戻すことなど不可能な気がする。
「分かったよ……遅くなっちゃうかもしれないけど、それでもいい?」
「ええ。納得できるまで、ゆっくりお話をしてきて下さい。チームリーダーの腕の見せ所ですよ」
チルムはにっこり笑うと、サファイアに向かって手を振った。サファイアは部屋を飛び出し、走ってフロールタウンの外へ向かう。
目指す場所は……あの懐かしい海岸だ。
〜★〜
――ギルドを飛び出してここに来たはいいけど……よくよく考えてみたら、私は一体ここで何を考えればいいんだろう……?
エレッタは気が付けば初めてサファイアと会った、あの海岸まで来ていた。泳げないくせに海に近付きすぎなのか、時折波がエレッタの足元まで迫ってきて海に引っ張り込もうとして来ている。が、それは足を濡らしていくだけに留まっているし、正直今はそんなことはどうでもいい。
何故か再び身体に溜まっていた電気を海に逃がし、エレッタはぼんやり呟いた。
「……どうしようかな、これから」
これでも自分が何をしたか、分かっているつもりだった。
ミラが話した事実を聞いて、分かってはいたけれど両親が殺されたということを聞いて……つい、封印を放ったというミラに電撃を浴びせて……
あの電撃はほぼ何も考えずに放ったものだったけれど、気付いて止めようとしても電撃は止まらなかった。サファイアがミラを外へ逃がすまで、止まってはくれなかった。どうやら自分の犯人への憎しみは、思っている以上に根強く残っていたらしい。
じゃあ、どうする?
もしこのままミラに会ったところで、また攻撃してしまったら今度こそ取り返しがつかない。
でも、あの電撃は一瞬だけ沸き上がった憎しみに身体が反応して放たれたもの。だから、自分自身を抑えられる自信も全くなく……
――そこまで考えて、ふとエレッタにとある疑問が浮かんだ。
(……ん? 待って……"封印"? 封印は確か相手の動きをしばらく封じる、"エスパータイプ"の技……でも、ミラは……)
「……エレッタ! やっぱりここにいたんだね!」
そこまで考えが至った、ちょうどそのタイミングで後ろからサファイアの声が聞こえてきた。声のした方を振り向かずとも、砂を踏む音でサファイアが近付いてきていることは分かる。
サファイアはエレッタの数歩手前まで近付くと、そこで足を止めた。どうやら自分からエレッタの視界に入ることはしないようだ。
「……エレッタ?」
サファイアが短く名を呼ぶ。後に何も言葉を付けないからこそ、どんな風にでも解釈できる。
エレッタはサファイアのいる方を向かないまま、静かに口を開いた。
「……分かってるよ。いくら私だって、ミラが悪いんじゃないって、ちゃんと分かってる。そして、今ならまだ間に合うってことも……だから、もういいの、それは」
サファイアはエレッタの言葉に口を挟むことをせず、距離を置いたまま話をじっと聞く。エレッタが喋らない間は、海岸に打ち寄せる波の音が絶えることなく響いていた。
「けど……頭ではちゃんと分かってるのに、身体が思い通りにならないの! さっきの電撃だって、止めようとしても止まらなかった!」
エレッタの声は海に向かって叫ばれているが、反対方向にいるサファイアの心にも重く響いてくる。
「早くミラを追い掛けなきゃいけない、でも会ったらまた攻撃しちゃうかもしれない! もしそうなったら……今度こそ、もうミラは心を開いてはくれない…………分からないよ。どうしたらいいのか、分からない! 教えてよ、サファイア!」
エレッタは初めてサファイアの方を振り向くと、海岸に来てから溜まっていた思いを一気にサファイアにぶつけた。
サファイアは冷静を保ったままその声を受け止め、ゆっくりとエレッタに近付き、静かな柔らかい声で囁く。
「エレッタ。私さっきチルムさんに会って来て……話してくれるんだって。あの事件の、真相。それと、ミラ達の後日談」
サファイアの優しい言葉を聞いたエレッタは、つられてふと顔を上げた。
「……え? 真相……?」
「うん。ミラが話したことは、確かに事実と言えば事実だけど……まだまだ不十分なんだって。だから、それを知れば何か変わるかもしれない……それに」
一回そこで言葉を切り、サファイアの目はふと赤くなり始めた空へと向けられた。もしかしたら、次に続く言葉を探しているのだろうか?
「……例えそうでないとしたって、エレッタだって知りたいでしょ? 過去の転換点(ターニングポイント)になった、その事件のこと、もっと詳しく」
「…………」
エレッタはまだ憂いの残った目でサファイアを見つめた。
そしてやがて波打際から離れ、ふらわーぽっとのある方向へと視線を向ける。
「……そう、だね。頭に血が上ってたとは言っても、ミラにあんなことしちゃったし……聞かなくちゃ。やっぱり私も、本当のこと、知りたい」
「……本当だね!? よかった〜……首振られたらどうしようかと思った……」
サファイアはエレッタの言葉を聞くが早いか、今までの冷静さを保っていた態度は何処へやら、即座にエレッタの手を取って引っ張った。
「ちょ、サファイア……そんなに急がなくても……」
「善は急げって言うでしょ? もう夕方になるし、早くギルドに戻ってチルムさんに話を聞こう!」
サファイアはいつかの出会いの日とは逆に、エレッタをぐいぐいと引っ張ってギルドへ続く潮風の道を走っていく。
その道のりの途中で、さっき善は急げと反射的に言ったサファイアは、チルムさんの話が本当にエレッタにとって善になればいい、と心の中で密かに願っていた。
ふらわーぽっとのとある一室に、エレッタを連れたサファイアが戻ってきた。
部屋に残され本を読んでいたらしいチルムは、サファイア達の姿を見て本を閉じ、サファイア達に近付く。
「……エレッタさん、そしてサファイアさん。覚悟は出来ていますね?」
穏やかな、しかし強いチルムの声に、サファイア達は頷いた。例え真相がどんなに理不尽であろうとも……サファイア達2人は、耳を塞ぐことなく聞かなければならない。
そんなサファイア達の決意を受け取ったのだろう、チルムは再び丸くなった穏やかな声で言った。
「……分かりました。お話しましょうか。あの事件のこと、それに魔導士の持つ能力のこともね」