M-57 顔見知りの来訪者
〜☆〜
わたしとサファイア、エレッタは医療室からギルドのチーム部屋にさっき帰ってきた。でも、――当然と言えば当然だけど――暗い表情をしたサファイアは、さっきから黙りこくって口を開かない。
どちらにせよ今日までは安静にしておいてとティレンに言われているし、探検に出るつもりなどないけれど。
そう思った時、サファイアは自分のベッドからひょいと飛び降り、一人で部屋の外にでも出る気なのかドアを開ける。
「……ん? サファイア? どこに行くの?」
沈黙が続いていて居心地が悪そうにしていたエレッタは、サファイアに心配そうに声をかける。
エレッタだって、今のサファイアの気持ちぐらい分かっているでしょうに、何でそんなことを聞くんだろう。
「……ごめん。ちょっと外の空気を吸って気分転換して来る」
エレッタの顔を見ないまま、サファイアは一人で部屋の外へ出てしまう。
嘘だ。
サファイアは、外の空気に当たるだけで気分がスッキリするような、そんなあっけらかんとした性格ではなかったはず。きっと『一人になってゆっくり考えたい』とか、本心はそんな所だろうと大体の検討はつく。
こんなの一人で考えて、どうにかなる問題じゃないのに。一体サファイアは何を考える気なんだろう。
変なことを考えて身を滅ぼさなければいいけど、こればっかりはわたしにもどうにもならない。
……さっきから、エレッタがわたしに送って来る視線が痛い。
わたしにどうしろと?
わたし達とてテルル村やフィルス村に行けば、同じ扱いを受けるのに。サファイアとわたし達二人の違いは、このような反応に対する免役を持っているか持っていないか、それだけしかないのだから。
〜☆〜
サファイアが何を考えているかは大体分かるけれど……何と言えばいいか分からなくて、あたしはミラに視線を移した。
ミラなら何か分かるかな、と思っての行動だったけど、ミラも何を言えばいいのか分からないようで小さく首を振った。
自然と小さなため息がこぼれる。
あの神話に出てくる三つの力は、それぞれ対立して一つの力が強くなりすぎないように監視し合っている、そんな関係だ。
ただし使える能力はかなり異なっていて、もし対峙した時相手がどんな技を持っているか分からず、なおかつ自分を押さえ付ける能力を持つとすれば……
当然、怖いと思う。こちらからすれば、相手がどんな手を使って来るか分からない。
だから、各地に住む力の所有者の共同体は、異なる力を持つ者を忌み嫌い、時には害を加えてでも自分達を守ってきた。畏怖と憎悪は紙一重――この力の所有者なら、誰でも知っている。
でも、恐らくサファイアはそれを知らなかった。というより、きっと覚えていなかった。
知らない方が幸福なのだっただろうけど、宝石に触れて思い出してしまったのだから仕方がない。
そこまで考えた時、目の前……というか部屋の窓の外を、何かの黒い影が横切った。
……あれ、何故だろう?
何か、嫌な予感がするような……。
「……ミラ。サファイアを探しに行こう」
ふと、口からそんな言葉が漏れていた。ミラはそんなあたしを見ながら、『いいの?』と聞いてくる。
でも、さっき感じたあの嫌な予感は、時間が経つにつれ、薄れるどころかむしろ増幅していく。
一刻も早く見つけないと、何か大変なことに巻き込まれるかもしれない。
〜☆〜
私はエレッタとミラの二人に軽い嘘をついて、誰にも見付からないようにギルドからさっと抜け出した。
途中でマロンに出くわしたけど、声をかけられる前に全力で外へ逃げた。もしかしたら、怪しまれたかもしれない……と今更すぎることが頭に浮かぶ。
――迫害、か――
前にテルル村とフィルス村で見たことがある。
ミラは結構毅然とした態度をとっていたし、エレッタはしばらくは怒っていたものの、結局はそんなものだと割り切った。
けれど、実際に直面し、その記憶を思い出すのは想像以上に辛いものだった。
赤い宝石をじっと見つめ、じっくりとその後の記憶を頭に呼び出す。
あの後、私は神殿のような建物の中に閉じ込められて……確か命の危険を感じ、慌てて住人達の隙をついて慌てて逃げ出したんだ。
ニンゲン界でもこの世界でも、やっていることは同じ。何も、変わらない。
「……私は、ニンゲン界で……どんな生活をしていたのかな……」
ぽつりと声が零れる。
珠玉の守護者なんて呼ばれていても、所詮他よりもちょっと多くの力を持っただけのニンゲンだ。当然、別の力を持つ者達からは、その所有する力が多ければ多いほど、強い嫌悪感を覚えられる。
たとえ仕方がないことだとしても、自分の知らないところで敵視され、狙われるのは怖い。
あんなものを思い出してしまったからには、他にもこんなことがあったのではないかと疑いたくなってしまう。
――私、どうすればいいんだろう――
一人になりたくて思わずギルドの外……フロールタウンのはずれまで来てしまったものの、むしろ逆効果だったかもしれない。
これからどうしよう……本気でそう考えた時、聞き覚えのある声が風に乗って流れてきた。
「サファイア! どこに行ったの!? サファイアーー!?」
私はそれをすぐさまエレッタの声だと気付く。どうやらエレッタはこっちに近付いてきているようで、声は段々大きくなっていく。
一人でいるのは寂しいけれど、今顔を合わせるのは気まずい……よね? 何故か私の足は本能的に逃げるように走り出そうとしていたものの、既に時遅し。木の間から、エレッタとミラの姿がひょっこり飛び出したのだった。
「あー、いた! サファイアっ!」
エレッタは私の姿を見つけるや否や、一直線にサファイアのもとへ向かってきた。
「やっと見つけた……もう、一人で何してるの!?」
「あ、いや、別に」
エレッタの持つ剣幕に押され、私は目を逸らしながらも辛うじて声を出す。ま、まずい。エレッタの声とミラの視線が非常に冷たい。
「……バレバレだから。あの嘘」
「え……そうだったの?」
あの時はさらりと言ったつもりだったのに、やっぱりこの程度なら分かっちゃうのかね。
それとも、もしかしたらエレッタやミラも、私と同じ行動をとったことがあるのかもしれない。
「サファイア。気持ちは痛いほど分かるけどさ、もう仕方ないんだよ、この問題は……」
「……でも……」
「サファイアも見てきた通り、テルル村やフィルス村はこういう習慣あってこその共同体なんだ。共通の敵を作れば、ポケモン達の団結力も深まるでしょ?」
エレッタは淡々と、しかしどこか辛そうな様子を時折見せながら話をする。エレッタだって、迫害されるのは決して快い訳ではないのに。そんなことを受け入れちゃって、本当にいいの……?
「でも……」
何か言い返さなければいけないような気がして、私は適切な言葉を探しながら口を開く。
――と、その時。
「っ!?」
突如、自然のものとはとても思えない突風が、ゴオッと唸りながら私達に吹き付けた。
思わず吹き飛ばされるんじゃないかと身の危険すら感じ、足をしっかり地面につけ、目を閉じて姿勢を低く保つ。
突風はやがて収まり、もう大丈夫かなと思い突風の風上を見る。
そこには、空からゆっくり羽ばたきながら舞い降りて来る黒い影……ドンカラスがこっちに向かって来ていた。
……気のせいかな? あのドンカラス、どこかで見たことがあるような気が……
〜☆〜
ドンカラスはサファイア達の前の地面すれすれまで飛ぶ高度を下げ、しかし地面に降りることはしなかった。
サファイア達をはっきり映したその目が細められたかと思うと、ドンカラスは意外にも明るい口調でこう告げた。
「久し振りだな、サファイア。探したぞ」
と――
暗闇色に染められた羽を上下に動かしながら、ドンカラスはサファイア達に話しかけた。その衝撃的な発言な内容に、サファイアは我が耳を疑う。それはエレッタやミラも同じだ。
「久……し、振り? サファイア、知り合いなの?」
「……分からない……ポケモンになってから会った覚えはないから……ニンゲンだった頃の、かな……?」
サファイアは必死で記憶を探り出すが、イーブイになった後にこのドンカラスに会った覚えはない上、ニンゲンだった頃の記憶はすっかり飛んでしまった上に宝石に触れても思い出した訳ではないと思う。多分。
「そうか、ニンゲン時代の記憶はないのか。確かに俺は、ニンゲンだった頃のサファイアをよく知っているし、会ったことも何回かある」
「……やっぱり?」
どうやらこのドンカラスは、ニンゲンだった時点でのサファイアと会ったことがあるらしい。となると、ドンカラスはつまり、 ニンゲンだった頃のサファイアのことを知っているのだろうか?
その前に、このドンカラスはサファイアとどういう繋がりがあったのだろう?
「ねえ! 私と貴方は……どんな関係だったの!?」
思わず詰め寄るように強い口調で尋ねるサファイアに、しかしドンカラスは引く訳でもなく先程と同じように余裕の表情で話を続ける。
「……そうだな、それは想像に任せる。……しかし、記憶を失うと性格も変わるものだな。あんなに臆病者だったサファイアが……」
最後の二言はサファイア達に聞こえないよう、小さな声でそっと呟いた。ドンカラスはサファイア達の不思議な視線を感じ、再び意識をそちらに向ける。
「……それで? ニンゲン界で顔見知り? だった貴方が、ポケモンになった私に何か用が……?」
「……これを届けるためだ。受け取るがいい」
ドンカラスは自分の羽の中に隠し持っていた小さな何かを、ひょいっとサファイア目掛けて軽く投げた。それはサファイアのすぐ手前に落ちて、転がることもなくその場で止まり……木で覆われたここにも差し込む太陽光を反射して、キラキラと輝いている。
「……!! これは……」
「ペリドット。その宝石を集めているんだろう?」
「え、うん……そうだけど……あ、ありがとう……」
ドンカラスは自分のペースを保ったまま、お見通しだとでも言うようにふっと笑った。やがて自身の羽を大きく動かし、再び空高くまで上昇を始める。
「今は俺の言いたいことはそれだけだ。見付けられて良かったよ。じゃあな」
ドンカラスは長居は無用とばかりに飛び立ち、ぐんぐん高度を上げていく。サファイアは慌てて口を開き……最後に一つ、聞きたかったことを叫ぶ。
「待って! 貴方の名前を……教えて!」
もしかしたら、聞こえていないのではないか……一瞬ちらっと思ったが、ドンカラスは上昇を一旦中断し、サファイア達に再び視線を落とした。
「……俺の名は、レオ。覚えておいて損はないだろう」
そのドンカラス……レオはそう告げると、もうサファイア達には目もくれずに、木の葉の傘を突き破って姿を消してしまった。