M-56 気付かされた優しさ
「で、どうだい? 二人の容態は」
マロンはふわふわと宙に浮かびながら、目の前にいるピクシー、ティレンにそう聞いた。
ここはギルドの隅にある医療室。もう昼特有のぎらぎら輝く太陽の光が窓から差し込み、カーテンはフロールタウンから入り込む穏やかな風を受けてはためいている。
ティレンの視線の先には、ベッドの上でぐっすりと眠り込んでいる、イーブイとラルトスの姿があった。
「そうですね……今日の治療終了直後はちょっと危険な状態でしたが、もう大丈夫でしょう。ただ、今目覚めるとまだ激しい痛みを感じてしまうでしょうから……今日は眠ったままでいてもらいます。いくら針を抜いたことによる出血は少量だったとは言え、他にも戦闘で負ったと思われる傷が残っています。オレンの実の粉末だけでは、すぐに良くなる訳ではありませんし」
「そうか……分かった。それともしエレッタがここに来たら、何も言わずに中へ入れてあげて。二人に会いに来られるようなら、もうエレッタは大丈夫だから」
〜★〜
エスターズの部屋のベッドに突っ伏していたエレッタは、窓から入り込んだ赤色の光を感じて、閉ざしていた目を開けた。
「……あ……れ?」
エレッタはベッドの上できょろきょろと辺りを見回し、暫しの間固まった。
ベッドの下を見ると、いつの間に落としたのだろうか、例の銀の針が落ちているのが目に留まる。
そういえば、と思い出した。
昨日エレッタがこの部屋に帰ってきたのは、ギルドの門限も遥かに過ぎた真夜中、それもサファイアやミラ程ではないにせよ傷を負って疲れきった状態だった。
けれど、いくら夕方まで眠ったとしても、エレッタに課された銀の針の問題は解決しない。
「教えられること……か……」
エレッタは落としていた銀の針を広い、ぼうっと考え出した。
何か学べること――ハーブが自分にこれを渡した意味を考えないと、と思い、銀の針を見つめ続け……けれどやっぱり結論は出ないままだ。
本当なら思い出すのも嫌な記憶だが、あえてあの時のことを順に引っ張り出す。
サファイアとミラがあのサイクロン何とかという技を受けて、でも僅かに体力は残っていて、レイダーから目を離したばかりに、銀の針が二人に突き刺さって。
ここまで考えても、エレッタの考えは同じだった。
自分がレイダーに背を向けなければ、サファイアとミラに銀の針が突き刺さることはなかったかもしれない。
きっと自分に二本とも刺さって、その後に待っていた結末は……分からない。
けれど、そのミスが二人を傷付けてしまった。針に付いた血は、その最たる証拠……
頬を抓って、そんな負のループに再び陥りかけた思考を追い出した。
抓ったことでピンク色の頬袋から電気が溢れ、身体にびりびりと軽い電流が走るものの、そんなことは今のエレッタには気にならない。
(行き詰まってる……? 考え方を変えなきゃダメみたいだね……)
そこに気付いたエレッタは、まず先程挙げた事例を詳しく思い出した。
――サイクロン何とかというシザークロスに似た技は、もうどうしようもなかったと思う。あそこで何か技を出していれば、サファイアとミラをも巻き込んだのは確実だった。
そして、自分がレイダーではなくサファイア達の方に注意を向けてしまった……強敵と戦っているのに、レイダーそっちのけで怪我をした味方のことを心配して――
「……何が、おかしい?」
思わず、エレッタはそう口に出していた。
深く傷を負った仲間を無視しながら、レイダーに立ち向かい続けろと?
――出来る訳がない。
それに、サファイアはエレッタに針が迫っていることを教えてくれた。切羽詰まった必死な声で、避けろ、と叫んでいた。
サファイアが言わなければ、あたしに銀の針は刺さって、サファイアとミラに刺さることはなかっただろうけれど……
サファイアは、もしかしたらそれを望んでいなかったのかもしれない。
そうでなければ、普通、あんなに必死になってまで声をかけない。それが、例え自分達を傷付けることになったとしても。
何故?
「そっか……分かった……分かったよ! ハーブ!」
エレッタは意識せずにそう叫ぶと、銀の針を置いてチームの部屋を出ていった。
部屋の外では、もう赤い太陽が沈もうとしている。
エレッタは医療室まで走って、ドアをせわしなくノックする。早く早くと急かす気持ちを何とか抑えて、キィとドアを軋ませながら中に入った。
「……おや、エレッタ? 意外と早かったね」
サファイアとミラの様子を見ていたティレンは、突然の来訪者にも別段驚くわけでもなくこっちこっちと手招きをする。それにつられてティレンに近寄ったエレッタの背中に……ごすっと鈍い衝撃が走った。
背後からの奇襲(?)に危なくよろけて倒れそうになるものの、何とかエレッタは耐え凌いだ。
「えれね、ひさー!」
「誰!? ……って、ラクシィ!? どうしてここに?」
エレッタの背後には、少し前にギルドに来て、あの日以来一度も会うことがなかったププリンが引っ付いていた。
ティレンはエレッタからラクシィを引っぺがし、地面に優しく下ろす。
「そうそう。君達、ギルド門限ギリッギリに帰ってきたでしょ? 本来ならあの時間帯は最低限の治療器具以外はみんな片付けていて、治療に手間取ったはずだったんだ。……けどね、ラクシィが教えてくれたんだよ。まだ患者さんが来るから、片付けちゃいけないって」
「ラクシィが……?」
エレッタはラクシィの目を見る。その目は心から何かを楽しんでいるように見えるけれど……何を見通しているのか読み取ることはできない。
「おかげで僕らは治療を迅速に進められた。予知夢か何かは分からないけど、ラクシィに感謝しなきゃね。……さて、会いに来たんだよね? サファイアとミラは、この奥にいるから」
ティレンは奥のドアを指差すと、ついて来てと目で合図し一足先にドアの奥に入って行った。
サファイアとミラは、ハーブに言われた通り目を覚ます気配もなく深い眠りのただ中にいた。
ギルドに帰ってきたあの時と変わっているのは、怪我や銀の針の有無と……苦しそうに息をしていないことだろうか。
ティレンが言うには、ある程度怪我は回復しているので、もう起きても大丈夫なのだそうだ。
先程飲ませた睡眠薬の効果が切れれば、二人は直に目を覚ます。
サファイアとミラが気が付いたら……どうすればいいのか、エレッタはもう分かっている。
「……エレッタ。親方様からの問題、答えは見つかった?」
突然ティレンが、サファイアとミラの様子の確認がてらエレッタに聞いてきた。
「うん。ちょっとまだもやもやしてる部分はあるけど、でもそれでいいと思うんだ。重要なこと以外は、これから少しずつ分かっていけばいいんだし」
「……そうだね。親方様も喜ぶよ、きっと。親方様って突然意味不明な依頼や問題を持ってくるときがあるけど、それは気に入られてる証拠みたいなものだし……。あ、そろそろ片付け始めてもいい頃かな」
いつの間にかギルドの門限が過ぎていたらしく、ティレンは治療器具を棚に戻し始める。もうギルドの入口は閉じられているはずなので、昨日のエスターズのように探検隊がここに来ることは急患以外はない。エスターズが運び込まれることを知ってか知らずか騒いでいたというラクシィも、今日は椅子の上で大人しく眠っていた。
「さて、と。エレッタはチームの部屋に帰るか、ここで眠るか……どうする?」
ティレンはそう聞きつつも、椅子と毛布をエレッタに差し出した。きっとティレンはエレッタの選択を知っていて、それでもあえて聞いたのだろう。
「じゃあ……ここにいるよ。夕方まで眠ってたから、しばらくは寝付けないと思うけど」
ティレンはゆっくり頷き、エレッタが毛布を被ったのを見て部屋の明かりを消した。今夜は眠れるかどうかは分からない。けれど、努力はしてみるつもりだ。
〜★〜
暗い洞窟の奥に向かって、レイダーは軽くふらつきながらも急いで飛んでいた。
明かりのない道を感覚のみに頼って進むと、やがて蝋燭のものと思われる光が微かに見えてくる。それと同時にレイダーの目に入ってきたのは……
ここに残してきた相棒の“尻尾”だった。
――尻尾にしては、どこか様子がおかしい。いつもはピンと立っているのに、これは力無く地面に垂れ――
「ルクス!?」
相棒が倒れているのに気付いたレイダーは、さっと駆け寄りルクスを揺り起こす。
――敵襲か? いや外傷はない……となると――
「……う……レイダー?」
その揺さ振りが効いたのか、ルクスは閉じていた目をゆっくり開けた。レイダーの姿を確認し、ルクスは洞窟の奥を指差す。
その方向には、ルクスが作り出した赤く燃える炎の槍と、虹色に輝く球体が宙に浮かんでいた。それを見てレイダーの頭にとある可能性がよぎる。
「……まさか、成功、したのか?」
「ああ。見た感じ、お前はポケモンを連れて来るのに失敗したようだけど……でも、残りは僕の力で何とかなった。だから、もういいんだ。これさえ出来てしまえば、後は……」
ルクスは虹色の珠を取り、欠陥がないことを確認した。その珠の中には、小さな青い宝石が入っていて、動かすとからりと小さな音を立てた。
「……あ」
「どうした? レイダー」
突然、レイダーが何かに気付いた様な声を上げる。
「や、悪い。さっきガーネットらしき宝石を拾って持ってたんだが……ちょっと火の球新山の奥地で追い掛けてきた探検隊と戦った時に落としたらしい」
「……探検隊と……?」
ルクスはレイダーの言葉に首を傾げ、やがてその首を横に振った。
「……いや、落としたことは何の問題もない。 僕達は既に一つ持っているんだし、何より宝石が、自力で離れたんだろうね。その探検隊の中に、手にするに相応しいポケモンでもいたんじゃないのか?」
「そうかもな。そういえば、お前に伝えておかなきゃいけないことがあったな」
レイダーはルクスが振り向いたのを確認し、洞窟に響かない程度の音量で喋り出す。それを聞いたルクスがとある単語にぴくりと反応するのに、大した時間はかからなかった。
その頃、親方部屋にはハーブとマロンの二人が、こちらも同じく外に声が漏れないよう小さな声で何か話していた。
「そういえば親方様、昨日の件ですが……」
「昨日?」
「はい。親方様は昨日、エレッタが自分のことを責めている、と仰いましたよね? あれは、一体どのような……」
「……ああ、そういえばそんなこと言ったわね……」
ハーブはふうとため息をつくと、どこか物悲しそうな表情で話し出した。
「……そう。エレッタは、戦闘の結果起こってしまったことを後悔しているようだった。ティレンが持ってきた銀の針で説明がついたわ。でも、それを後悔してるだけでは、そこから得られるものは何もなし。むしろ、どうしてそんなことが起こってしまったのか……そこに気付けないと、ただ自分を嫌悪するだけで終わり。探検隊としての成長にはならないわ。けど、私は道しるべを立ててあげただけ。そこに気付けるかどうかはエレッタ次第ね」
ハーブは一度言葉を切り、ふと窓の外を見て付け足すように口を開く。
「あの子達には、私と同じ道は歩んで欲しくないの。私は昔……とある理由で道から逸れかけたことがあるの。けれど、ひょっこり現れた誰かさんのおかげで私は“あるべき姿”に引き戻された。だから……今度は私がエレッタに気付かせる番なのよ。傷付いた体験から学べることに」
ハーブは窓の外の景色から視線を落とし、長い首を俯かせた。
「道から、逸れかけた親方様を、引き戻した……? それは一体誰なのですか?」
「ふふ、誰かしらね?」
ハーブはその物悲しそうな雰囲気は変えず、しかし柔らかく微笑みながら、蔓を伸ばしマロンの頭を優しく撫でる。
マロンはそんなハーブの姿を見ながら、どこか複雑そうな表情を浮かべていた――
鳥ポケモンの朝の囀(さえず)りに誘われ、エレッタはその丸い目を開けた。
南向きに作られた窓からは、穏やかな日の光が差し込んでいる。夜の時点では眠れるかどうか怪しかったが、どうやら気付かないうちに壁にもたれてぐっすり眠っていたようだ。
エレッタは毛布を跳ね飛ばすように椅子から降り、落ちた毛布を軽く畳む。
サファイアとミラがまだ起きていないのを見て、エレッタはベッドに近付いて、サファイアの頭をそっと撫でた。
すると……
「……う……ん?」
サファイアの身体がもぞもぞと動き、ついにその目を開けた。
「……! サファイア! 起きた!?」
「……? エレッタ……?」
サファイアはその目にエレッタの姿を映し、とりあえずベッドから降りようと身体を持ち上げた。
だが、まだ戦闘で受けたダメージが回復しきっていないのか、それとも寝起きで頭のバランスコントロール機能が働いていなかったか、サファイアはベッドの上でバランスを崩してしまう。
「うわわ……痛っ!?」
そのバランスを修正しきれないまま、サファイアはベッドから転落。ベチャッと床に叩き付けられ、走った痛みを思わず身体を丸めて堪える。
「さ、サファイア! 大丈夫!?」
「う、うん……」
慌てて駆け寄ったエレッタに向かって、サファイアは無理矢理作った笑みを浮かべる。
「…………」
そして、そんなやりとりをベッドに腰掛けながら静かに眺めるポケモンがいた。二人はその視線に気付き、視線の主……ミラが起きていたことを知る。
「ミラ!? いつの間に? 身体は大丈夫なの?」
「サファイアが起きた直後。多少クラクラしたけど、この程度なら大丈夫」
ミラはベッドからひょいと降り、サファイアとエレッタのもとに寄ってきた。
「ところで……エレッタはあの後、大丈夫だった?」
サファイアは、あの時自分のしたことを思い出した。銀の針が投げられたことに気付いて、エレッタに傷付いて欲しくなくて、思わず声をかけた。その直後、一瞬だけ鋭い痛みが走り……その後のことは記憶にない。
「うん。あの後、レイダーは攻撃を止めたんだ。何か知らないけど、いきなり戦闘の構えを解いて、広場から出て行って、エムリットも無事に湖に帰ったみたい。それより! 銀の針のこと……ありがとう、二人とも!」
エレッタは満面の笑みをサファイアとミラに向けた。二人は何故ありがとうと言われるのか分からないようで、お互いに顔を見合わせている。
それでも、エレッタには分かっていた。サファイアは、エレッタが銀の針の餌食にならないように、咄嗟に声をかけたこと。そして、サファイアもミラも傷付いていたにも関わらず、エレッタの怪我の有無を心配していたこと。あのサファイアの短い叫びは、自分がどうなるか考える前の、味方を思いやっての行動だったことを。
「……ま、何にせよエレッタが無事でよかったよ。ね、ミラ?」
サファイアはエレッタの元気そうな姿を見て安心したのか、嬉しそうにミラにも話を振った。ミラもそんなサファイアに、無言ではあるがしっかりと頷いてくれた。
「そうだ、サファイア! 七つ目の宝石、ガーネットが見つかったよ!」
「本当!?」
エレッタは自分のバッグの中から、大事にしまっていた赤い宝石を取り出しサファイアに手渡した。サファイアは喜んで早速その宝石に力を込める。
「どこにあった? 奥地にでも落ちてた?」
「うん。でも、多分だけど、レイダーが落としていったんじゃないかって……」
「……!? レイダーが……!?」
サファイアが宝石を受け取り、意識をそちらに集中させる。その間にエレッタが宝石の出所について話すと、ミラは珍しく驚いたというよりも、むしろ困惑したような声を上げた。
エレッタはそのことを疑問に思うものの、頭に響くように聞こえてきた謎の声にその疑問は頭から追い出された。
やがて声は幾種類もの高さを持ち、はっきりと聞こえるようになり――
「ねえ、離して……お願い――っ!」
最初に聞こえてきたのは、例の懐かしい声……きっとニンゲン時代のサファイアのものだろう。
だが、その声は今まで聞いてきたような穏やかなものとは少し違う。何かに怯えているような、そんな声だ。
そのサファイアの声に反応するように、しっかりした男の子の声が聞こえる。
「へへ、お前って力強いんだろ? この街を滅ぼしにでも来たのかよ」
「違っ……! 私はただここに迷い込んで……」
「何言っても無駄だ。白の力を持つ奴がこんなところを訪れる理由なんてそれしかないだろ?」
男の子の声は、未だ少々幼さを留めているものの、それに合わない残酷な響きを持ち合わせていた。
「さあ、こっちへ来い!」
「嫌……! 離して……! 誰か……――」
サファイアの小さな叫び声の尾を引いたまま、頭の中に響いた声は次第に小さくなり、やがて途切れた。
サファイアは輝きを止めたガーネットから手を離し、エレッタとミラに恐る恐る視線を向ける。
「……サファイア。今のあたしにも聞こえたよ。でも、今のってどういうこと?」
エレッタはこう言いながらも、ある程度今の状況の予想はついていた。サファイアにも心当たりはあるらしく、暗い表情でガーネットを前足で掴む。
「今のは……もしかして、サファイアへの迫害かな……? テルル村やフィルス村と同じような」
エレッタの言葉に、サファイアはびくりと一瞬身を震わせ……暗い表情のまま、首を縦に振った。