M-55 銀の針の重さ
場所は変わって、ここはふらわーぽっとの医療室。
本来この場所は、ダンジョンの中で傷付いた探検隊や依頼主達を治療する場所なのだが、今日はメンテナンスのせいでしばらくその機能を失っていた。
しかしそのメンテナンスも先程終わり、今はいつ誰が来ても治療できるようにはしてある。
けれど、もうギルドの門限が迫っている。
このギルドが閉まる直前の時間帯に探検隊が運び込まれることは、めったにないと言っていい。
「そろそろ、片付けてもいいですかね。ほら、君もそろそろ寝てよ、ラクシィ」
医療室担当のピクシー、皆からティレンと呼ばれ慕われている治療主任は、しばらくここに置いて欲しいとマロンに言われ治療の傍ら面倒を見ているラクシィの頭を撫でると、治療に使うオレンの実などの粉末を棚に仕舞い始める。
「……! だめっ!」
すると……薬が棚に仕舞われたのと時を同じくして、ラクシィは弾かれるように声を上げた。
作業を続けようとしたティレンもその声に驚き、片付けの手を止める。
「ラクシィ、もうこんな時間に来る探検隊はほとんどいないんだよ。今日はもう二、三チーム以外の探検隊が、ここに帰ってきている。一応最低限の道具は出しておくし、別に……」
「だめー! まだ、くる!」
「いや、だからさ……」
ティレンがラクシィをどれほど説得しても、ラクシィは取り憑かれでもしたかのように首を降り続け、ティレンに纏わり付いた。
もちろんこんな言い合いを続けていれば、折れるのは当然ティレンなわけで。
「はぁ……分かったよ。出していればいいんだね? その来るっていう患者さんのために」
〜★〜
エレッタは身を縮こませ、最小限に技のダメージを抑えようと目を閉じている。
だが……来るべき衝撃は、いつまで経っても訪れない。
不審に思ったエレッタは、うっすらと目を開け前を見て……
エレッタのすぐ手前で、バレットパンチを繰り出そうとする姿勢のまま、フリーズしているレイダーの姿を見た。
「……え、な、何?」
しばらく、お互いが全く動かない状況が続く。
その後エレッタが後ずさり一定の距離をとっても、レイダーはエレッタを攻撃する素振りは見せず……逆に銀色に光っていたハサミを元の赤色に戻し、ゆっくりと下ろした。
首を傾げるエレッタに、何かに驚いたようにその場から動かないレイダー。両者とも何の行動も起こさず、ただ時間が過ぎていくのみ。
――あたし、何かしたっけ?
今までの激しさなど無かったかのように大人しくなったレイダーに、ふとそう思わざるを得ない。
「……そうか……お前は……」
レイダーは驚きを隠さない、エレッタにも辛うじて聞こえるような声で呟いた。
そして動かずにいるエレッタから視線を離しくるりと踵を返すと、レイダーは再び空中に浮かび広場から出て行ってしまった。
「あ! ちょっと……!」
エレッタがやっと動けるようになった時には、レイダーの姿はもう見えなくなっていた。それと入れ代わりのように、エレッタは重大なことを思い出す。
「……そうだ! サファイアとミラは……!?」
エレッタは、完全に意識を失ってぴくりとも動かない二人に再度向き直り、すぐに駆け寄った。
二人の傷だらけの身体には、不釣り合いなほどに眩しく光る銀の針が深々と突き刺さっている。
――出血していないだけ、まだいいのかな? いや、全然良くないっ!!
「二人とも……目を覚ましてよ……」
――まだ、大丈夫だよね? あたしを置いて、いなくなったりなんてしないよね?
……もう、たくさんだよ……また、一人ぼっちになりたくないよ……!
エレッタの頭の中に、いなくなってしまった者達の姿が浮かび、また消える。
そんな幻想を無理矢理振り払い、エレッタは二人に刺さった銀の針に、思わず手をかけて――
「……それ、抜かない方がいいんじゃない」
突然エレッタの後ろから、幾分か落ち着いた声がかけられた。
「……え?」
エレッタが後ろを振り向くと、そこには一人のポケモンが宙をふわふわと浮いていた。外見はユクシーに似ていて、ピンク色の頭を持つ。外傷は見当たらないけれど、この熱にばてているのか若干具合が悪そうだ。
「エムリット……?」
ここに来る直前に、ミラが言っていたことを思い出す。
「そう。でも、そんなことより……その銀の針、まだ抜かない方がいいと思うけど」
「……っ! どうして!?」
半分パニックになった頭をどうにか抑え、エレッタはエムリットに尋ねる。
「針、大分深くまで刺さっているんでしょ? 飛び道具の中でも銀の針は特に鋭いし、今それ抜いたら……最悪、出血多量からのショック死かな」
「……!!」
いよいよエレッタの頭の八割程が、パニックというものに占領される。
しかしまだ理性の残っている二割が、エムリットの言い分が正しいことを告げている。
「……全員、専門の誰かに、しっかり手当してもらうといい。それと……」
エムリットはすっと宙を移動し、広場の入口付近で一度高度を下げ、再びエレッタのもとに戻ってきた。
「これ、集めてるんでしょ? ユクシーから聞いている」
そう言いながらエムリットは、エレッタの手にあるものを握らせる。エレッタが手を開くと……そこには、深紅の石が握られていた。確か、ガーネットと呼ばれている十二個の宝石のうちの一つだ。
「あ! これ、元からここにあったの!?」
「違う。さっきまでは無かったはず。きっとあのハッサムが落としていったんじゃない?」
「レイダーが……?」
エレッタは、自身の手の中で赤く光る宝石をじっと見つめた。ガーネットはマグマの光をも取り込み、まるで生きているかのように輝いている。
「さて、もうここに用はない。早くここから出るといい。……そして……ありがとう」
最後に感謝の言葉を告げ、エムリットはふっと姿を消してしまった。残されたエレッタは探検隊バッジを高く掲げ、緑色の優しい光で自分と仲間を包む。
「……ふらわーぽっとに……帰らなくちゃ……」
〜★〜
「さて、門限になりました〜っと。ドア閉めなくちゃ」
ふらわーぽっとの入口で、マロンはギルドの扉を閉めようとしていた。もう辺りはすっかり暗くなっていて、ギルドの入口扉を閉める時間帯となっている。
マロンが扉に手をかけた、その時。
ギルド入口のすぐ前に、緑色の光が集まった。
「あれ、ギリギリ間に合った……誰だろう?」
マロンが最後まで呟く間に光は消え、ダンジョンからワープしてきた張本人達の姿が現れる。光が完全に消えないうちに……その張本人、エレッタはマロンの姿を認め、思い切り飛び付いた。
「あ、マロン! 良かった……サファイアとミラを助けてっ!」
「え、助? ……っ!」
マロンはただならぬエレッタの様子に若干慌てるものの、後ろで倒れている二人の姿を見、すぐに気を取り直す。
「分かった、今から至急医療室に運ぶ。エレッタはどうする? 君も大分傷付いているみたいだけど」
「……大丈夫。医療室に行って待ってる」
「分かった。行くよ! "サイコキネシス"!」
マロンの目が青く光ったかと思うと、サファイアとミラはサイコキネシスにより宙に浮かび上がり、マロンの動きに合わせふらわーぽっとの中へ運ばれていく。エレッタもそれに続いて、誰もいないギルドの中を医療室に向かって駆け出した。
「さて……こんな所で悪いけど、何があったか話してくれる?」
医療室の部屋の一つの中で、マロンは俯いているエレッタに優しく声をかけた。その黄色の身体には、ところどころに包帯が巻かれている。
ここから更に奥の部屋には、たった今サファイアとミラが運び込まれている。ティレンと呼ばれるピクシーと、他に数人の治療士達が深夜にも関わらずすぐに治療を引き受けてくれたのだ。
「……分かったんだ……エスパーポケモン達を捕らえてきた、犯人が」
「ほ、本当に!? 種族は何だった?」
「ハッサム。エムリットを追い掛けているのを見つけて、すぐに親方様に報告しようとしたけど……」
「……そっか。今日はメンテナンスだったからね」
エレッタは、さっきからずっと下を向いたまま顔を上げない。マロンと目を合わせないまま、感情を込めずに言葉を繋いていく。
「で、仕方ないからそいつを追って……火の球新山の奥地で戦ったの。最初、あいつはあまり攻撃してこなかったし、比較的有利に戦えた……けど、"虫の知らせ"が発動してから…銀緑の刃っぽい攻撃で、サファイアとミラは戦闘不能寸前にまで追い込まれて……でも、あたしには何故か、トドメを刺すことなくあいつは去った……!」
「……そっか……」
マロンもエレッタも黙り込み、しばらく気まずい静寂が辺りを支配する。
そんな空気を打ち破ったのは、突然エレッタの頭に伸びてきた、緑色の蔓だった。
「ん……? ハーブ……?」
「親方様? いつからそこにいらしたのです?」
優しくエレッタの頭を撫でる蔓に気付いた二人は、緑の続く方向……医療室の入口ドア方向を見た。
それと時を同じくして、ハーブがドアの向こうから姿を現す。
「エレッタが話し始めた直後からかな。それより、サファイアとミラ、勿論あなたもそうだけど……結構こっぴどくやられちゃったみたいね」
うっ、とエレッタは言葉に詰まる。
「でも、誰だってそういうことはあるわよ。私は今でこそギルドの親方なんて言われてるけど……まだしがない1探検隊のリーダーだった頃は、探検途中にほうほうの体で逃げ帰るようなことなんてままあったし。更に言えば……ダンジョンに行ったまま、二度と帰ってこない探検隊だって世の中にはいる……それこそ腐るほどね。だから、そんなに自分のこと責める必要なんて、どこにもないじゃない」
ハーブの最後の言葉で、はっとマロンはエレッタに視線を戻した。
――エレッタが、自分を責めている?
どうしてだろう? エレッタがバッジを使って連れ帰ってきたからこそ、今サファイアとミラはここにいる。
もしエレッタまでが倒され、灼熱の火の球新山の奥地で傷だらけのまま放置されていれば……もしかしたら、サファイア達ももう二度と帰ってこなかったかもしれないのに。
「……親方様、自分を責めるというのは一体……」
「それは……」
ハーブはマロンの問いに答えようと言葉を紡ぎかけたが、ガチャリと医療室奥の扉が開く音にそれは中断される。
ティレンが、医療室の奥から出て来たのだ。手に、白い布に包まれた何かを持っている。
「親方様……」
「どう? 順調?」
「はい。もう少しで無事に終わりそうです。それと……これを」
ティレンは手に持った布をハーブに差し出す。
ハーブはそれを蔓で中に包まれている物を確認し、ゆっくりと頷く。
「……分かった。これはエレッタに渡しておくわ」
「え!? 親方様、お言葉ですが……それは」
「いいのよ。こんな物から目を背けているようじゃ、探検隊なんてやってられないわ。あなたも早く治療に戻ってあげて」
「……分かりました」
ティレンはハーブに一礼し、医療室の扉の奥へと戻って行った。ハーブは再びエレッタの方へ戻って来て、心配そうな顔をしている二人に笑いかける。
「大丈夫。治療、もう少しで終わるみたい」
ハーブにもマロンにも、エレッタの緊張がふわりと緩んだのがはっきりと分かった。
「……ただ、まだ目覚めるまでは大分時間がかかるようだし、チームの部屋に帰って、ゆっくり眠るといいわ。それと、これ。ティレンから」
ハーブはティレンから渡された白い布を、エレッタに蔓で渡した。
「これは……?」
「それ、自分の部屋に帰ってから、開けてみて。……そうね、サファイアとミラには治療で強力な睡眠薬を使っているみたいだから、あと一晩は目を覚ますことはなさそうよ。それまで、一人でゆっくり考えてみて。その布に包まれている物が教えてくれること……沢山あるはずよ」
〜★〜
ハーブとマロンに言われるがまま、エレッタは白い包みを抱えてチームの部屋に帰ってきた。当然、サファイアとミラはこの部屋にはいない。
今はギルドの門限も大分過ぎた深夜――丑三つ時、と呼ばれる時間だろう。
疲れと不安がごちゃまぜの状態のまま、エレッタは自分のベッドに潜り込んだ。
一人になっただけなのに、どうしてこんなに寂しいのだろう?
兄がいなくなってしまった後……サファイアと出会う前は、いつだって1人だったのに。
もう、一人でいることなんて慣れたと思っていたのに――
ぐるぐると負の方向にループを始めた思考を、エレッタは首を振って無理矢理断ち切った。
そして傍らに置いていた、あの白い包みを取って何気ない動作で開く。
白い布の中から滑り出て来たのは……あの、サファイアとミラの体力を奪った二本の銀の針だった。
その証拠として、銀の針の尖端から半分は、普通の銀色ではなく、深い赤色に染まっている。
「……!」
エレッタは二本の銀の針を持ったまま、まるで石像になったかのように硬直する。思わず震える手で針の赤い部分を撫で……その鋭く冷たい感触に思わず手を引っ込める。
銀の針自体に重さはほとんどないはずなのに、大切な仲間の血を吸った針の重さは、身体ではなく心にずしりとのしかかる。
――その布に包まれている物が教えてくれること……沢山あるはずよ――
ハーブの言葉がフラッシュバックし、ふと身体の力が抜けていくような感覚に襲われる。気が付くと、エレッタのベッドの上には……丸い水滴が幾つも落ちていた。
「……う……うぅ……っ!」
エレッタはぽろぽろと涙を零しながら、自分のベッドに倒れ込む。
「……サファイア、ミラ……ごめんなさい……っ!」
うわ言のように何度も何度も呟きながら、エレッタはベッドに顔を埋める。
エレッタの手に握られていた銀の針が、一本その手から抜け落ち……床に当たって、カランと無機質な音を立てて跳ね返った。