M-51 赤に染められた槍のように
翌朝、太陽がすっかり昇りきって大分経った頃のこと。
エレッタがいつもの通り遅めに目を覚ますと、ベッドの横からぽつぽつと二人の話し声が聞こえてきた。
「ふわぅ……おはよう……サファイア、ミラ……」
一応挨拶くらいはするエレッタだったが、そこにいるらしいサファイアとミラは気付いていない。
二人とも昨日サファイアとエレッタが資料室から借りてきた本を開いて、何かこそこそと話し合っていた。
昨日サファイアは、神話に語り継がれている宝石、そしてその宝石が合体した姿である結晶について書かれている本をついに見つけ出したのだ。早速サファイアは他の資料も合わせて合計三冊を借りてきて、昨日からずっと読み耽っている。
エレッタもちらっと覗いてはみたものの、内容が難しすぎて頭がパンクしそうだったため放置していた。が、ミラはすらすらと読み進め、サファイアは自分に関係することだからと足型文字も頑張って読み解き、時々ミラに内容説明を求めている。
二人とも真面目だなぁ、と軽ーく呆れながらも、エレッタは近くにあった本を手にとった。これは確かまだ読んでいないはず。
「あー、エレッタ起きてたんだー、おはよ」
手を伸ばしたエレッタに気付き、サファイアは今さらながら顔を上げた。隣にいたミラはちらっとエレッタの方を見て、逃げるように視線を逸らす。
「あれ? そういえば二人ともやけに悠長に本読んでるけど、今日は依頼受けてダンジョンに行かなくていいの?」
「あー、それが私達もさっき知ったんだけど……今日は掲示板含むギルドの設備のメンテナンス日なんだって。だから依頼張り出しは無し、それに合わせてフロールタウンの店もこぞって休業日。ふらわーぽっとの血気盛んな探検隊は殆どが自主探検に出掛けたけど、私達は今日はいいかなって思ったんだ」
サファイアが窓の外を指差し、見てとエレッタを促した。
エレッタが窓ごしにフロールタウンの様子を確認すると、なるほど確かにタウンの店はきっちり閉まっている。カクレオンの店もガルーラおばちゃんの倉庫もいつの間にか開店していたライボルトの連結店、それにヨルノズクの銀行も全て閉まっている。道場はここからは見えないが、この様子ならどうせ閉まっていることだろう。
「メンテナンスねぇ……そんなのあったんだ……ま、いっか。今日はギルドでのんびり過ごすのもいいかもね」
エレッタは窓から離れ、脇に抱え持っていた本を開いて読み始める。
(う〜……やっぱ活字がずらっと並んでて分かりにくいなぁ……)
心の中でエレッタはぶつくさ文句を言いながらも本を読み進めようと目次を開く。
(えっと、あの宝石や彩色の珠玉について〜……あ、あったあった)
それについて書いてあるという196ページを開き、文章を解読してみる。
(えっとー、『彩色の珠玉はニンゲン界とポケモン界を千年ごとに行き来し、珠玉の守護者を導き守ると言われている』って、こんなのあたし達もう知ってるよ! それよりもっと他にないの!?)
その後の文も読んではみたものの、神話に関する記述がつらつらと続いているばかり。しかも全て、既にエレッタ達がユクシーから聞いていたものだ。やはり知識の神は偉大ということか。
「あーーもうっ! 全然見ーつーかーらーなーいーーッ!!」
「あちゃー……ダメだ、こっちもあんまり収穫ないや。エレッタ、気分転換にフロールタウン内でも回ってみない?」
「いいね、行く! ミラも一緒に外行かない? あんまり部屋にこもってばっかりだと身体にも悪いしさ」
諦めの色を含んだサファイアの誘いに早速乗ったエレッタは、本をポイと放り投げて目を輝かせた。ついでにミラも、さすがにこれだけ黙られているといつものこととはいえど心配なので誘ってみる。
やっぱり断られるかな、と薄々思っていると、ミラは少し考えた後、首を小さく縦に振った。やはり一日中読書浸けというのはいくら何でもヒマなのだろう。
「ん、じゃタウンにレッツゴー!」
サファイア達も本を閉じて重ね置くと、部屋の鍵を持ってフロールタウンの広場へと向かって行った。
やはりタウン内はシーンと静まり返っていて、いつも朝や夕方に流れるガヤガヤとした空気は微塵も感じられなかった。
「ふう〜。たまにはこういうフロールタウンもいいもんだね」
もちろん店はしっかり閉まっているし、ポケモンの気配がほとんど感じられない。ただ穏やかな風が吹き、木々や草花の緑を揺らしている。それだけでも、サファイア達には新鮮な光景のように思えた。いつもの依頼で忙しい状況であれば、こんな草花の揺れなど気にするはずもないからだ。
「十分気分転換出来た? それじゃそろそろギルドに帰ろうかね」
サファイアはリラックスしたらしい二人の様子を見て、ギルドへ帰る方へと身体の向きを変える。
だが、三人がギルドに入ろうと、入口へ続く階段を上りかけた時。
「……んぬ? 何だろう……あれ?」
エレッタが何かに気付いて、一足先に階段を駆け上がった。
「エレッタ? どうしたの? 何か見つけた?」
「ん〜……何かがこっちに近付いて来るような……来ないような……」
エレッタは階段の中腹辺りで足を止め、ギルドに向かって左方面をじっと見つめた。
……すると。
「うっわぉ!?」
ビュッと風を切る音と共に、ものすごいスピードで何かがエレッタのすぐ隣を飛んで行った。
「な、何今の!?」
「……あの、姿……まさか……エムリット?」
サファイアが突然の展開に固まっている間に、ミラが驚いたような困惑したような声を上げる。
「……エムリット? 誰、それ?」
「湖に住むと言われる、エスパータイプの三つ子の一人。つまり、ユクシーと同じ」
「はぇ!?」
確かにミラに言われて思い出せば、さっき飛んで行ったポケモンはピンク色であることを除けばユクシーに似ていたような似ていないような……いくら速いとは言っても、遠ざかる姿を見れば何となく種族くらいは分かる。
もっとも、そのポケモンが何であるか知らなければ意味がないけれど。
すると、また。
「わーーー!?」
再び、エレッタの隣を今度は赤い何かがやはり猛スピードで通り過ぎた。
そのさっきとは比にならない程の、空気を撹拌するような勢いに巻き込まれ、まるでエレッタは駒のようにそこでぐるぐると回転した。
サファイアとミラはその正体を見極めようとしたが、今度は突風が当たって目を閉じてしまったため、種族は分からず仕舞いとなってしまう。
「……え!? 今度は何……赤?」
「……!」
「ふえぇ〜……何が起こったのぉ〜……」
駒になったエレッタはやがて回る勢いを無くすと、目を回しながら倒れて階段からゴロゴロと転げ落ちた。
だがそんなエレッタを気にする間もなく、サファイアとミラは思考を巡らせる。
「エムリットって、確かエスパータイプなんでしょ? 伝説の」
「……うん……」
「で、さっきそのエムリットとやらを追い掛けて行ったのは、紛れも無く赤かった……」
サファイアは、昨日ギルドに張り出されていたお知らせの紙の内容を思い出した。
『目撃情報によるとその犯人は赤い身体で素早く動き回っていたといい、探検隊連盟の推測では空中戦にもある程度強く――』
以下省略。
「……今のっ! まさか…例のお尋ね者!?」
「……可能性は高い……親方様に伝えなきゃ……!」
サファイアとミラは結論を出すと、まだ目を回してくたばっているエレッタを引きずってすぐさまギルドに入って行った。
「親、方、様! 入りますよー!」
サファイア、ミラ、途中で事情を知ったエレッタは急いで親方部屋のドアを開けた。
……が。
「嘘でしょ!? こんな時に限って誰もいないっ!?」
サファイアの言う通り、部屋にはマロンはおろか肝心のハーブすらいなかった。いつもハーブは何かなければ、ここにいるのに。
「そうだ、今日は設備のメンテナンス……ギルドのどこかにいるはずだけど、探している時間なんてないよ!?」
「……どうするの? サファイア」
ミラが、サファイアの決断を求めた。やはりこういう非常事態の時には、決定権はサファイア一人にある。
赤いポケモンを放置してハーブ達に報告し、あとは誰かが何とかしてくれるのを待つか。
それとも……少しでも自分達が動いて、例え傷付いたとしても何かの手掛かりを掴むか。
サファイアが選ぶ方は、既に決まっていた。
今までは、誰かがいなくなっても何も出来なかった。ユクシーがいなくなったとしても、何も出来ずに経過を見守るしかなかった。
けれど、もうこんな思いはしたくない。ずっと外で指をくわえて、後で後悔したくない。
サファイアは、はっきりと二人に告げた。
「これ以上、事態を放っておくわけにはいかないよ! 行こう、エレッタ、ミラ!」
サファイアは唯一肌身離さず持っていたバッジを掲げ、すぐに自分達の部屋へ帰る。そして各自必要最低限の道具が入ったトレジャーバッグを引ったくるように持ち出し、バッジを改めて掲げてギルドの外へ出て、あの二人が行った方向を確認する。
「あの方向だと、地図には『火の球新山』しかない。その先は海だし、まっすぐ行ったからあの山の中に入って行った可能性が高いよね」
「火の球新山……それなら近道があったはず! 早く行こう!」
サファイア達はギルド付近にある抜け道に入り、狭い森の中を走り出した。
早く行かないと、手遅れになりかねない……そう思って、サファイアは地を蹴る足に力を込めた。
〜★〜
七年前、星の停止の進行によりマグマの流れが滞った場所が、とある海辺にある。そして、それが防がれた影響で再び動き出した溶岩が噴き出て、結果新しく形作られた山がある。
その山――ポケモン達は『火の球新山』と呼んでいる――はしきりに噴火を起こした後、ポケモン達によりたくさんの温泉が開発されたおかげで今は一大観光地ともなっている。ギルドからの近道があったのもそのためだ。
ただし、洞窟を有する山の内部には溜まりに溜まったマグマが常に流れており、不用意に近付くものを凄まじい熱気で追い返している。
内部に出来たダンジョンは厳しく、探検隊の間にはこんな話が広く伝わっていた。
"あの火山を踏破しようとする者は、煮えたぎる溶岩を味方につけなければならない"と。
その内部へと続く入口とて、例外ではない。
大地の裂け目のような崖の隙間に、真っ赤な溶岩がちらほら覗く。そこからは白い煙がもくもくと、時々シューッと激しく噴き出し、進入者が裂け目へ近付くのを拒んでいる。
そこで、エレッタは暑さに早くも辟易していた。
「うぅ〜……中は暑そうだね……」
「本当だね。あの蒸気とかにうっかり触れたら、火傷しそう……」
「うぇ……暑いのは苦手だけど……でも早く行かなきゃ……」
高い山の上で生まれ育ち、また山の中腹にあるフィルス村にしばらく住んでいたエレッタは、寒いのには強いが暑さには弱い。エレッタが熱気でのびる前にと、サファイア達はダンジョンの中に入って中の状態を確認してみる。
「うーん……中も変わらず暑いや。エレッタ、水とか飲んで我慢して」
「えー……分かったよ……」
エレッタはしぶしぶダンジョンの中に入り、階段を探し始める。
サファイア達三人は、時折流れ来る溶岩を踏まないように気をつけながら、火の球新山の一階を急いで歩いて行った。
サファイア達が通って行った通路の両脇から、どろりと高温の溶岩が流れ出す。
それはここへ足を踏み入れた探検隊の歓迎か、はたまた拒絶や警告か――それは、誰にも分からない。