M-48 規則の裏側に
「親方様ー、エスターズです。入りますね」
あの後三人揃って親方様の部屋に着き、代表でサファイアがドアをノックした。
「ん……ああ、分かったわ」
部屋にいるらしいハーブは、ちょっと沈んだような声で応対している。サファイア達はドアを開け、やけに綺麗でさっぱりとした親方部屋に進入する。
部屋の隅にはお決まりのようにマロンがふわふわと飛んでおり、四人のやりとりを見守っているようだ。
「親方様からの手紙を届ける依頼、無事(?)に完了しました」
「……そう、ありがと。まさか、エスターズも、もうこんなに強く……」
独り言のように、最後は消え入るようにハーブは呟く。
「……親方様?」
「そうだ、これ依頼の報酬。受けとって」
いつもと違って暗い雰囲気を纏っているハーブにサファイアは少しだけ違和感を覚えるが、すぐにハーブの方から話を進めた。
器用に蔓の鞭を使い集めてサファイアに渡したものは、3000ポケ(今回は親方の依頼なので報酬半減は無し)、聖なる種、癒しの種、復活の種、それに穴抜けの玉とやけに充実している。さすがは親方様直々の依頼といったところだろうか。
「親方様……いいんですか、こんなに……?」
「ええ。あなた達は知らないかも知れないけど、手紙を届けるって、すごく大変なことなのよ。戦闘で破れたり、盗賊に盗られたりする危険があるからね」
ハーブ曰く、このような街や村の長、それにギルド(フロールタウンのようなギルドがある街は、ギルドの親方が街への連絡も兼ねているらしい)間で交わされている手紙は、最近の大陸の情報や街村の動きについて詳しく書かれていることが多い。ましてや、ギルド同士で交わされる手紙は凶悪なお尋ね者の連絡や、お宝の情報について述べられていることがある。街村で交わされる手紙にも、それなりの機密事項が書いてあることも少なくない。
要するに、盗賊達にとっては喉から手が出るほど欲しいブツであるそうだ。
あんな今にもどこかへ飛んでいきそうなペラッペラの紙切れに、そんな重要事項が含まれているなどとは思いもしなかった。
「へ。へえ……そう考えると大変なんですね、ペリッパー郵便屋って」
「ええ。いつも依頼の手紙を運んでくれるペリッパー達には感謝しないとね。……ところで、もう一つだけ……あなた達にお願いしたいことがあるの。あ、依頼の類じゃないわ」
「え? 依頼以外で、私達に何か……?」
言い辛そうに話を切り出したハーブの様子に、サファイアはまたあの違和感が戻ってくるのを感じる。親方様が言うのを躊躇い、かつ依頼の件ではないとなると一体何があるのだろうか。
何だろうと少々身構えたサファイア達に、ハーブが発した言葉は……
「もう、あなた達は……世界樹の森に行かないで欲しいの。プライベートでも依頼でもね」
はっきりと、そう言い放った。
「……はい?」
サファイアはその返答にもならない間抜けな声を上げる。
特定のダンジョンに行かないで欲しいという不可解な、しかも親方様からの願い(命令)となると、一体どういうことだろうか。
そのサファイア達の疑問を見透かしたように、ハーブは答えていく。
「世界樹の森はね、確かに最近ポケモンが強くなっているような気がするけれど……それ以上に、厄介なものがあるの」
ハーブは時折ため息を挟みつつ、ゆっくりと理由を述べていく。
「世界樹の森の奥地……そこには、とても危険なものがあるから」
「え、でも親方様は、私達の最初の昇格試験の時……」
「行かせたこともあったけれど……あの頃は、サファイア達は奥地に行っても大丈夫だったの。"あれ"は動きを見せないから」
「???」
何だか頭が混乱してきたサファイアは、何とか整理の糸口を掴むべくハーブに疑問をぶつける。
「それはつまり、あの頃はまだその危険なものは存在しなかったってことですか?」
「違う。それは長い間世界樹の森に存在しているけれど……高い実力を持つ者にしか反応しないの。だから、まだそんなに強くないポケモン達にとっては、あそこは比較的安全なただのダンジョン奥地。けれど、熟練の探検隊が入った場合……一歩間違えれば、途端に死の入口と化すのよ」
「……死の……入口、ですか……」
その答えにサファイアはもちろん、エレッタやミラも複雑そうな顔をしている。
もちろん、世界樹の森に行くなと言われても、別にこちらとしても行く用もないので構わない。
が、そうエスターズに求める理由がいまいち分からない。強さに反応して姿を現す魔物だとかの類ならば何かのおとぎ話で伝わっていてもおかしくはないが、それが現実に存在するとは聞いたことがない。もしかしたら、熟練の探検隊故のプライドや好奇心にかられて云々という意味だろうか?
サファイアは軽く息を吐くと、顔を上げて言った。
「分かりました。別に親方様の言葉を振り切ってまであそこに行く理由もないし……近付かなければいいんですね?」
まだあまり納得は行かないものの、一応承諾ぐらいはしておこうとサファイアは思っていた。
詳しい理由を知りたければ、マロンあたりをつついてみれば少しは情報が得られるだろう。
「そう。関わらなければいい話よ。やっぱり探検隊をやっていると、好奇心が湧いたダンジョンには突っ込みたくなるとは思うけどね。けど、あなた達は十分分かっているとは思うけど……これだけは言わせて」
ハーブの声に若干含まれていた躊躇いの感情が、次の一言ではすっぱりと消えていた。
「……探検は楽しいものだけど、勇気と好奇心だけではダンジョン踏破はできない。それ相応の強さを持たないと、ダメなものはダメなの。万能なもの、いつまでも変わらないものなんて滅多にないことを、いつも覚えておいて」
ハーブはサファイア達を、真剣な表情で見つめながら言った。まるで母親のような優しく、それでいて有無を言わせない強い口調で――
「……親方様……」
サファイア達がしきりに首を傾げながら部屋から出ていくと、マロンがすかさずハーブに声をかけた。それはハーブのことを気遣っているようにもとれるが、ハーブの行いを少し咎めているようにも聞こえる。
「……マロン。これ以上は言わないで。私だって、そりゃ今は行けないけれど……世界樹の森の奥地に行きたいのよ。私がやり残したこと、まだ終わってないんだから」
〜★〜
ハーブの言葉に悶々としたものを抱えたまま、エスターズ三人は部屋に戻って寝て……夕方になるまで各自思う存分好きなことを楽しんだ。
そして、定時にはマロンがちょっと少なめに頼んでおいた夕食を運んできた。毎日ご苦労様なことだ。
「……あ! マロン! ちょっと待って!」
「……ん? 僕に何か用?」
忙しいというのに、呼び止めたサファイアを無視することもせずにマロンはちゃんと話を聞いてくれようとしている。
出来るだけマロンの時間を潰してしまわないように、サファイアは余計な前置きを切り捨てストレートに問い出した。
「ねえ、今日の親方様、何かおかしいように見えたけど……親方様は、世界樹の森に何か思い出か知識でもあるの?」
この大して難しくもなさそうな問いに、マロンは首を盛大に捻り……やがて何か迷っているのか苦しそうに答えた。
「……それは、僕が言える話じゃないかな。僕自身あんまり詳しく聞いている訳じゃないし、そういうのは直接本人に聞かないと上手く伝わらないよ。……けどね」
突然マロンが声のトーンを変えたため、夕方特有のだらだらした空気に半ば包まれていたサファイア達は一気に引き込まれるように目を覚ます。
「親方様はね、世界樹の森についての知識はかなり持っているんだ。そして、実際に行ってみたこともある。そして、そこで見て、聞いて、感じたこと……このギルド、いや今の親方様のポリシーは、その時の体験が基になっているんだよ。親方様でもなく、探検隊の一人としてね。このことくらいは、知っておいても損はない」
マロンはそれを言うと、逃げるように部屋のドアを開けて出て行った。そこまで詳しく知らないと言っていた通り、今の情報では明確な答えには辿り着けそうもない。
「う〜ん……マロンも知ってるのか知らないのか……よく分からないや……」
「あんまり他のポケモンに言いたくないってことじゃないの? 出来れば直接聞いてみたいところなんだけどね」
エレッタが釈然としない様子で夕食のグミを頬張る。確かにエレッタの言う通り、今の話を聞けば親方様に昔何があったのか聞きたいところではある。
だが無理に聞きだそうとすれば、それは元気のなさそうな親方への励ましなどではなく、記憶をえぐり取る鋭い刃と化すことがある。そうなることはなるべく避けたいサファイア達は、あまり深くは追求せずに経過を見ることしかできない。
もし、必要なときが来るのならば……その時、きっちりと話してくれるはずだ。
〜★〜
「親方様! またです!」
その日の深夜、探検隊のほとんどが寝静まったふらわーぽっとの親方部屋に、マロンが急いで入って来た。半分睡魔に白旗を上げかけていたハーブは、いつぞやのように豪快にバーンと扉を開けたマロンの姿に、眠ぼけ眼を蔓でこすって長い首を起こした。
「……何よ、マロン……もうこんな夜遅いんだから、もうちょっと静かに出来ないの……?」
「それがですね! たった今探検隊連盟から伝えられた情報なんですが……霧の湖に住む伝説のエスパーポケモン、ユクシーが突如姿を消してしまったようなんです!」
バンバンと机を叩くマロンの姿とその告げられた内容に、既に落ちかけていたハーブも目を覚まさざるを得ない。
「え? うそ。またあったの? 何度目よ、これで……時空の渦の件とか、まだ解決どころか進展すらしていない面倒な問題が山積みだってのに」
ハーブは渋々連絡用紙とペンを取り出し、マロンの話を聞く体勢に入った。
「話して」
「……まず、その時点の霧の湖の状況です。少し離れた地点ではバルビート達が出入りしていたのですが、バルビート達がちょうどいなくなっていたわずかな時間に、ユクシーは突然消えてしまったようなのです。そしてバルビート達が気付いた時、湖をぼうっと照らしていた明かりが消え、猛スピードでそこを去っていくポケモンが見えたようなのです……」
「ということは、ユクシーはそのポケモンと戦い、倒されて連れ去られたってことかしら? でも、割と防御面は強いと言われるユクシーがわずかな時間で倒されるとなると、相当の実力の持ち主ね」
ハーブは先程までの眠気は何処へやら、ばっちり目を覚まして話を聞いている。朝、探検隊にこのことを伝えるために。これ以上理由が分からない失踪(連れ去り)事件が発生して、世界が不安に包まれるのを防ぐために。
「そして、バルビート達の"蛍火"による情報では、そのポケモンは赤い色の身体を持っていたそうです。夜である上に速過ぎて、姿までは分からなかったようですが。そして、そのポケモンが去った後の湖の様子は……足跡等は殆ど無し、戦いがあったと思われる地点では、ぼんやりと幾つかの炎が燃えていたそうです。ユクシーは炎タイプの技を持っていなかったと聞きますし……おそらく、敵の技かと」
ハーブは蔓でペンを握り、書いたメモの一部を指し、このような推論を立てる。
「赤い身体、残り火、それにぼんやり湖を照らす光と考えると……犯人は炎タイプかしら?」
「その可能性は高いです。しかし、単独犯とは限りません」
「そうね。足跡はほぼ無いとすれば空中戦か余り地面に足を付けないポケモン……まあこれは"電磁浮遊"か"スキルスワップ"でも使えばいいんだけど――それでいて姿を認識できないほど素早く、かつユクシーに回復の隙を与えない決定力を持つとなると……」
「ええ。かなり厄介な敵であることは間違いないでしょう」
苦い顔でマロンは告げる。そんなマロンに今日は戻ってと伝え、ハーブはメモの情報を一目で理解できるよう分かりやすくまとめる。
いつの間にかハーブは、誰にも聞こえるはずのない独り言を呟いていた。
「……そう……ね。……久々だわ、こんなに変な事態が重なるなんて。……私の探検隊の血が、告げている。……きっと、何か重大なことがどこかで起きている。けれど……もう、時間がない」
親方部屋の窓に映る月は、時々雲に隠されながらもしっかり光を放っている。
その青白い穏やかな光が、今日は不気味な白さをもってハーブを照らし出していた――