M-39 白花の薬草
途中でアズマオウ達に囲まれ、サファイアがあわや大ダメージを受けそうになるという事態は起こったものの、七階と八階の階段があっさり見つかったこともあり、無事日が暮れる前に最奥部に到着することができた。
森の奥は様々な種類の木の実が生えていて、木の根元には色とりどりの花が咲いている。小さな花畑と言っても過言ではない。
「マロンが取ってこいって言っていたのは、白い花を咲かせる薬草だったよね?」
「うん。こんなにある花の中から、白い花を探すのはなかなか大変そうだけど……」
本当ならば緑の中では目立つ白い花は見つけやすそうな気がする。
しかしこの森は少々暗く、視界が悪い上に細かな色の判別が難しい。白かと思って近づいてみたら薄紫でした、というハズレを何回か経験した、その時だった。
――ズン……
地面が、明らかに揺れた。
「……え……え!? 何、今の!?」
エレッタがすぐさま顔を上げ、警戒姿勢に入る。電気タイプは地面の揺れには敏感である。ピチューのエレッタにとって、地面が揺れるというのは悪い兆候でしかない。
「さあ? ……誰かがこっちに来るかも」
さらりと嫌なことを言うミラも、何が出てきてもいいように技をいつでも出せる態勢になった。サファイアは音が聞こえた方向に耳を傾け、耳を澄ませる。
……ズン……ズン……ズン……
地響きは一定の間隔を空けて、次第に揺れを強めていく。
「やっぱ来るね。エレッタとミラは……こっちに来て」
出来るだけ三人は一カ所に固まり、突然の事態に備えた。可能性は低いものの、万が一の奇襲にも耐えられるように。
やがて何度かの地響きの後、地面を揺らしていた正体がこちらにゆっくりと姿を現した。そのポケモンは紫色の鎧で身体を覆い、太い尻尾と角を持ち、大きな耳や手を持ったポケモン、ニドキングだ。
ニドキングはサファイア達の姿を認めると、尻尾を地面に叩き付けた。その衝撃で、地面が揺れる。こちらを睨みつけている辺り、威嚇のつもりなのだろうか。しかし、まだ薬草を見つけていない以上、ここでたじろいで帰る訳にはいかない。サファイアは、バッジを取り出すこともなくその場から動かなかった。
尻尾での脅しが聞いていないことに気付き、ニドキングは口を開く。
「……今すぐ、ここから去れ。でなければ……力ずくで追い出す」
ダンジョンで出るポケモンの割には意外にもしっかりした口調でサファイアに言いながら、ニドキングは爪を振り上げた。
「もう少し待ってくれるなら、用が済み次第帰るけどさ……っと」
ニドキングは自身の爪を地面に深々と突き立てる。どうやら、薬草を見つけるまで待ってくれるという穏健派ではないようだ。
「仕方ないね……悪いけど、少しの間眠ってもらうよ!」
サファイアは溜めていた力を使い、地面を勢いよく蹴り、ニドキングの腹部に思い切りぶつかった。ニドキングの身体の中でも柔らかそうな部位を狙った攻撃は、電光石火のスピードも合間って高い威力を持っている。
一瞬痛みに顔を歪めたニドキングは、しかしすぐに手の爪でサファイアを引き剥がす。そのまま地面に叩き付けようとする力に負けず上手く着地したサファイアは、目の前に立ちはだかるニドキングを睨む。
この敵は、手強い。縄張りに入ってこられて狂気に取り付かれていたり、『何が何でも倒す!』という思考状態ではないようなので、突拍子もない一撃や瀕死になる以上のダメージは与えて来ないだろうが……単細胞ではない分、相手を挑発したり状態異常技でごまかすといった作戦は効きそうにない。
実際、エレッタのメロメロは性別上は効くものの、ニドキングの爪に根こそぎ薙ぎ払われてしまった。電磁波は相手が地面タイプである時点で無理である。
よってエレッタはアイアンテール、ミラはシャドーボールでひたすら攻撃してはいるものの、なかなか効果的なダメージを与えられない。向こうの攻撃スピードが若干遅く、"ヘドロ爆弾"や"シャドークロー"をかわしやすいのが救いだが、正直あれをまともに食らったら瀕死コースまっしぐらな気がするため、気を抜くことは許されない。
「エレッタ! 危ない!」
「うわっ!」
地面に降り立ったエレッタに、ニドキングの太い尻尾が振り下ろされる。
エレッタはさっと回避したが、尻尾が叩きつけられた地面からは砂埃が激しく舞い、晴れた後の地面が陥没していた。その穴の深さが、今の一撃の威力を物語る。
「うぇ。爪もまずいけど、尻尾も危険だね」
「ニドキングの尻尾は、木を簡単にへし折るって話だし……あれが最大の攻撃技かな」
ニドキングの"冷凍ビーム"をかわし、エレッタとミラは再びサファイアのもとに集まる。
「サファイア。あのニドキング、戦闘開始から全く動いてないよ?」
「え、そうだっけ?」
エレッタに指摘されて不思議に思ったサファイアは、地面をよく見た。爪が食い込んだ跡や尻尾のクレーターは、全てニドキングの周りについている。そういえば、ニドキングが移動するとそれだけで少々地面が揺れるものだが、戦闘中に歩行が原因の地響きが起こった覚えはない。
それなら。
サファイアから大まかに作戦を聞かされたエレッタとミラは、ニドキングの横に別々に回り込んだ。さっきからニドキングが撃ってくる攻撃は、単体を対象にしたものばかりだった。それはつまり、誰か一人に集中して技を繰り出すということ。
「メロメロ!」
「マジカルリーフ!」
それぞれ右と左に回り込んだエレッタとミラは、遠くからニドキングを撹乱するための技を放つ。しかし、これはあくまでニドキングを引き付けるための作戦。その間にサファイアが攻撃の準備を進め、効果的なダメージを与えられればなお良し、と思っていた。
しかし、ニドキングはそれぞれの手でそのエネルギーをあっさりと薙ぎ払い……別方向にいる二人をちらりと見た。
そして、にやりと笑った直後、尻尾をこれまでのどの技よりも高く振り上げた。
「……!? ミラ! 近くの木に上って! 早く!」
「……え?」
ニドキングの剣呑な様子にすぐに気付いたエレッタが近くの木の枝に上り、ミラが訳も分からないままそれに続いた、その瞬間。
グワンと視界が大きく揺れ動いた。二人は木から引き離されそうになり、思わずぐらぐらと揺れる木に捕まる手に力を込める。ニドキングの尻尾が力強く振り下ろされ、その衝撃は強い振動を引き起こす。
ニドキングの起こした"地震"は、木に上っていた二人までも大きく揺さぶった。
「……く……っ!」
「うああ! 無理無理、やっぱり地震だけはーーー!」
エレッタが上で喚いている中、ミラは閉じていた目をそっと開けた。そしてぐらぐらと激しく動く視界の端、とある一方向に伸びていく地割れを認める。
「……!! エレッタ!」
「ふえぇ……何? ……!?」
上にいるエレッタの足を引っ張り、地割れの方向を指差す。すっかり揺れに怯えてしまったエレッタまでもが、途端に黙り込んだ。
地割れはニドキングの足元から分岐することなく、一定の速さで伸びていく。
そして、その地割れの先からは……
「う……うああぁっ!!」
悲痛な叫び声を伴い、まるで地中から弾き出されるかのようにサファイアが崩れた地面から押し出された。その勢いのままサファイアは吹き飛ばされ、近くにあった岩に激突してしまう。
「サファイア!?」
揺れは弱まってはいるが、まだまだ収まったとは言えない。そんな状況にも関わらず、二人は思わず木から飛び降り、サファイアに駆け寄る。
ニドキングはすぐ近くにいたはずだが、焦って前を横切るエレッタに攻撃を加えようとはしなかった。ただ、ぐったりと横たわるサファイアと、焦って声をかけるエレッタをじっと見つめるだけで……
エレッタが近付くとサファイアは目を開け、ニドキングとエレッタの顔を見上げた。
「……エレッタ?」
「サファイア! 大丈夫、なわけないよね。こんなに傷を受けちゃ……」
地面に潜っている間に地震を食らえば、通常より更に多くのダメージを受けてしまう。二人が注意を引いているうちに"穴を掘る"で攻撃しようとしたのだが、それが裏目に出た。
一応、ギリギリ戦闘不能は免れるダメージではあったため、エレッタと話すくらいのことはできるが……技を出すのは難しそうだ。
ミラはサファイアの様子をちらちらと見ながらも、ニドキングの動きを警戒してエレッタのように側に寄ることは出来ない。
サファイアはニドキングの様子を一瞥し、近くにいたエレッタに囁く。
「エレッタ。私のことはいいから……出来るだけ頑張って……ニドキングを倒して……」
「……サファイア? ちょっと、何をするつもり……?」
サファイアの周りに、よく目にする青いエネルギーが集まった。それは徐々に光を強め、一カ所に固まっていく。
技を出すだけでも辛いはずなのだが、よりによってサファイアは、体力を消耗しやすい奥の手を使おうとしている。
「……二人とも、後は任せたよ……!」
サファイアは一カ所に固まったエネルギーを、地震で生じた地割れに投げ込んだ。それは一瞬姿を消したものの、ニドキングの足元に達するが早いか幾つもの巨大な氷柱と化し、がっちりとニドキングの動きを止めた。サファイアの技"トラップアイシクル"で固定してしまえば、ニドキングは地震は使えない。
しかし、今の技に相当の力を使ってしまい、サファイアは岩陰でへたり込む。エレッタはそんなサファイアに頷き、側を離れてすたすたとニドキングに向かって行った。
「分かったよ、サファイア。あたし達でこいつは倒すから、少し待ってて!」
誰に言うのでもなく呟くと、エレッタは尻尾を鋼のように硬くし、ニドキングの右腕を目掛けて振り下ろした。腕を氷柱で固定されたニドキングはそれをモロに受けるが、もともと腕は鎧で囲まれている部位であり、大したダメージは出ない。
そして、ミラはそんなエレッタの様子を見て……ふと、さっき地震を避けるために上っていた木を見上げる。その木には何かの実が山ほど実っていた。
(……これは)
あの実の名を思い出した時、ふとこの状況を打開する方法が頭に浮かぶ。これはやる価値はあるとすぐに判断し、ミラはマジカルリーフで実を幾つか落とす。
ボトボトと落ちてきた実を拾い、割って中のタネを取り出した。そのタネが完全に熟していることを確認し、ミラはタネをニドキングに向かって……思い切り投げ付けた。
「!?」
アイアンテールをちまちまと弾いていたニドキングは、口元に投げられたタネを思わず飲み込んでしまった。すると、今までアイアンテールを食らっても平然としていたニドキングが、アイアンテールを再度撃ち込まれた途端、悲鳴に近いような叫び声を上げた。
「……!? ミラ、何かしたの?」
「これを口に投げ込んだ。それだけ」
そう言ってミラがエレッタに渡したものは、禍々しい形の青い実。ミラが割ったと思われる実の中には、青とも紫とも分からないこれまた変な形のタネが数個入っていた。
「これは……"邪悪のタネ"だっけ?」
邪悪のタネは、食べると全ての攻撃に対する守りがペラッペラになってしまう、敵に飲み込ませる専用のタネ。稀にこれにそっくりな"じゃあなのタネ"が手に入ることもあるが、ミラはその辺はチェック済みである。
「氷塊に拘束されている今なら、ニドキングに攻撃も効くはず」
「分かった、今がチャンスってことだね!」
エレッタは、さっきまでの攻撃をことごとく薙ぎ払ってきた右腕を、尻尾で強打する。ニドキングは相変わらず相殺しようと頑張っていたが、防御力を下げられているせいで完全には抑え切れない。
だが、これは……罠だった。ニドキングの注意を、先ほどのようにエレッタに向けさせるため、そしてミラの移動に気付かせないための。
ニドキングは、いつまで経ってもエレッタの攻撃しか来ないことに疑問を持ち、ふと後ろを向いた。すると、ニドキングのすぐ真後ろには、いつもの何倍も大きなシャドーボールを作り出しているミラの姿があった。
「……おいおい! ちょ、ストップストップ!」
今あれを食らえばまずいのは誰が見ても明らかだ。慌ててニドキングは氷を割って防御姿勢をとろうとするものの、サファイアが作り出した氷柱は硬く、一向に溶ける気配がない。
「行くよ……シャドーボール」
ミラの手から空に向かって紫色の球が放たれ、一定の高さまで上昇すると……上空で細かく分裂し、ニドキングに雨のように降り注ぐ。
「え、だから待……ギャアアアア!」
ニドキングの悲鳴が森の広間に響いた。命中したシャドーボールはニドキングに纏わり付いた氷すら破壊して爆発を起こし、辺りを煙で埋め尽くす。
しばらくして煙が晴れると……広場の中央には、氷の拘束は無くなったものの、痛みを堪えているニドキングがいた。
「……まあ、これなら、いいか……」
ニドキングは意味ありげな言葉をエレッタ達に向けると、傷付いた身体を引きずり森の奥へと消えて行った。もしこれが何かの討伐依頼ならば追い掛けるところだが、今は薬草を持って帰ればいいだけなので追撃はしない。
「はぁ、はぁ……これで……落ち着いて薬草を……探せる……」
とは言え、サファイアは地震のダメージがまだ残っているし、ミラはさっきのシャドーボールにかなりの力を込めていたので疲労が激しい。つまり、今まともに薬草を探す気力が残っているのはエレッタのみだ。
「……早く見つけて、帰らなきゃ……」
エレッタは辺りを見回し、白そうな花を見つけては近付く、を繰り返す。薬草は1本あればいい。根気よく探せば、絶対に見つかる。
そして、そんなエレッタにもついに幸運が訪れた。木の陰にあって分かりにくかったが、真っ白い可憐な花を見つけ出したのだ。
「よかった……これを持って帰れば……!」
手を伸ばして花を一本取り、サファイアとミラのいる場所へ戻る。二人は残っていたオレンの実を食べ、普通に歩けるくらいには回復しているように見えた。
「エレッタ! 倒したんだね、あのニドキング……薬草は?」
サファイアに聞かれ、エレッタは満面の笑みで薬草を差し出す。サファイアはほっとため息をつき、バッジを高々と掲げた。
「それじゃ、ギルドへの帰還、行っきまーす!」
〜★〜
水鏡の森から帰ってきたサファイア達は、ハーブのいる部屋へと直行した。
「親方様ー? 入りますよ?」
コンコンとノックをするのもそこそこに、サファイアはドアを開けて中に入り……
「――っ!?」
サファイアは凄い勢いで後ずさり、部屋から出て来てしまう。
「は? どしたの?」
「エレッタ、ミラ、あれ、あれ……」
「あれ?」
首を傾げながら、二人で親方部屋を覗いてみる。そして、そこに見えた光景に、ミラは息を詰め、エレッタはびくりと身を震わせた。
親方部屋にいたのはハーブとマロンと――包帯を身体のあちこちに巻いた、さっきのニドキングだった。
「あら、エスターズじゃないの。ほら、入って入って!」
こちらに気付いているらしいハーブが、蔓の鞭を伸ばしておいでおいでと上下に振っている。
恐る恐るサファイア達三人が入っていくと、ハーブもマロンもくすくすと笑みを浮かべた。
――何なんだ、一体。
「おっかえりー。無事にこいつを倒し……じゃなかった、薬草取って来れたんだ。おめでとう!」
ハーブがころころと笑いながら言ってくれる。祝福してくれているのは確かだけど、今の台詞で全部バレたよ親方様、とサファイアは心の中で叫んだ。
「あの、親方様……そのニドキング……」
「ああ、こいつは私の友達。昇格試験の時、いつも手合わせって形で手伝ってもらってるんだよねぇ、感謝感謝」
「…………」
あんまりな種明かしに何も言えないでいる三人に、マロンが追加説明を加える。
「実はこの試験は、薬草をとってくるって名目にはなってるけど……実質、親方様のお友達……イグリスさんを倒せる実力があるか見るテストなんだよねぇ。勝ち方はどうであれ、イグリスさんに勝てるなら相当の作戦を立てながら戦えるってことだから。ま、イグリスさんにはそこそこ手を抜いてもらってるけど。あの人が本気出したら、親方様だって余裕には勝てないし」
「…………じゃあ、昇格試験がある度に、その……イグリスさんは引っ張り出されている、と……?」
「まあそういうことだ。こんぐらいの傷なら普通に完治するがな。にしてもお前達、ゴールドランクのくせになかなかやるじゃないか! いや、お前たちはもうダイヤモンドランク認定か!」
はっはっは、と豪快に笑うイグリス。どうやら傷が痛むとか、包帯がどうのとかなど全く気にしてないらしい。
「じゃ、薬草ってのは……」
「ま、もしイグリスさんを打ち負かした場合、協力してくれたポケモンを傷付いたまま放置って訳にもいかないでしょ?
じゃ、有り難く薬草は受け取るよ。今からイグリスさんの薬を作るから」
「オーーーイ!!」
エレッタが釈然としない抗議の声を上げた。
(確かにこっちをメッタメタにしようという意志は感じ取れなかったし、今考えればそれも納得いくけど! というか縄張り主張は嘘だったの!?)
サファイアの心の叫びは、親方達三人には届かない。
それからサファイアとエレッタはちょくちょく抗議してはみたものの、ハーブ達は全てのらりくらりとかわし、終始清々しいまでの笑顔を見せてくれた。ダイヤモンドランクのバッジを貰って親方部屋から出たサファイア達だったが、その日の夕食中はエレッタまでもが一言も喋らず黙り込み、いつものメニューを黙々と食べていた。
もちろん、そんなサファイア達は、ダイヤモンドランク以上限定のメニューが解禁されたことなど知るはずもない。