M-38 休まらない心
水鏡の森に住むポケモンの状態異常を絡めた猛攻をくぐり抜け、サファイア達は無事(?)に中継地点に到着した。
三人ともかなり疲れているようで、これ以上進もうという気は起こらない。奥地での戦闘に備え、オレンの実やピーピーマックスを出来るだけ使わずにいたので、まともな回復が出来ていなかった。
それに、ダンジョン探索に割と時間がかかり、マロンの言っていた通り辺りは既に真っ暗になっていた。襲われる危険のあまりない中継地点で休めば、体力も全快とは行かずとも、ある程度は回復するだろう。
と、サファイアが試験用に支給された小型テントを張る準備をしていると、遠くでエレッタとミラが小声で話しているのが聞き取れた。
「……本当に…………るの……?」
「大丈……だって! これを……して……っと」
「……に……いけど、使…………ないで」
「……ってるってば。……よっし、習……完了!」
こんな言葉が途切れ途切れに聞こえてきたが、小声なためサファイアにはどうしても全ては聞き取れなかった。そちらに意識を集中させたくても、今テントのバランスが危機的な状況に陥っているので無理というものである。
まあ、後で聞けばいいかと思いつつ、何とかテントを上手く張れたサファイアはバッグから夕飯用のリンゴを取り出し、ランプに火を燈してエレッタとミラを呼んだ。
北の地域特有の寒さを感じ、サファイアは毛布に深く潜り込む。サファイアの隣からは、既に眠ったらしいエレッタの寝息が聞こえて来る。余程疲れていたのだろう、ランプの火を消して間もなくこんな感じになった。
そして、サファイアのもう一方の隣には……
「……ねえ、ミラ……一つ聞いていい?」
ミラが起きていることを薄々感じていたサファイアは、何となく声をかけてしまった。
もし返ってくる声が眠そうなら『何でもない』で終わらせようと思っていたが、『何?』と案外しっかりした声で返されてしまったため、サファイアは慌てて次にかける言葉を探した。
そういえば、もし『ちょっと話してみたかっただけ』とでも言おうものなら、『そう、別にわたしから話すことはない』と冷たい反応が返ってくる。となると、大した用もないのに話しかけたのはまずかったなぁ、と口を閉じたが、もう後の祭りである。
だから……出来るだけ、ミラが乗ってきそうな話題を選んで、聞いてみた。
「あのさ、時空の渦って……一体何なの?」
ただ消すべき対象、とでもあっさり返されるとサファイアは思っていたが、ミラの答えは意外なものだった。
「簡潔に言えば……世界のバランスを保つもの、かな」
「……え?」
肯定的な言葉に、サファイアは思わず耳を疑った。
その割には、星クズ草原で初めて見た時も、テルル村で発生していた時も、まるで厄介者と接するかのように、シャドーボールで消滅させていたのに。
「本当は、あれは世界になくてはならないもの。わたしは、"暴走した"ものを消しているだけ」
「暴走したって……あれが基本形じゃないの?」
ブラックホールのようにモノやポケモンを吸い込む。サファイアには、あの不吉そうな渦に、そんなイメージしか持つことは出来ない。
「違う。暴走していないものは、目には見えるけど何もしない。何かを吸い込むこともなく、上に乗ったとしても擦り抜け……いずれ自然消滅する」
「……じゃあ、私達がこれまで見てきたものは……」
「全部、暴走したもの。あの渦、本当はニンゲン界とポケモン界のエネルギーの釣り合いを保っているから」
つまり、その後のミラの話をざっと要約すると、こういうことになった。
このポケモンが住む世界は、ニンゲン界と対になって存在している。
時空の渦は、何らかの影響で両方の持つエネルギーのバランスが崩れた時、余ったエネルギーをもう一方の世界に逃がす役割を持っているらしい。
そして、その状態であればポケモンを飲み込むことはなく、放っておけば自然に消滅する。
……しかし……
「最近、暴走したものがやたら増えているの……」
「もしかしてそれは、彩色の珠玉がなくなったから?」
「さあ? 関連はあるかもしれないけど、何故かはまだ分からない。これ以上、増えなければいいけど……」
ミラはそこまで話すと、もう言うことはないとばかりに口を閉じた。
サファイアも話を聞いているうちに少々眠くなっていたのが分かっているのか、おやすみと一言言うとそれきり話しかけてはくれなかった。
(……暴走、か……早く、宝石を全部集めなくちゃね……)
次第に閉じていく意識の中、ぼんやりとサファイアはそう思った。
〜☆〜
閉じていた目をゆっくり開けて、最初に見えたものは……ひたすら、どこまでも続く闇。正確に言えば、暗くて何も見えない状態だ。
この闇がどこまで続いているのか、自分が今どこにいるのか、ここから脱出できる出口があるか……分からない。
――ここから、逃げなきゃ。でないと――何をされる? どうやって――
ポケモンの世界に来てから身についたのか、はたまた元から持っていたのか……私の勘が、逃げろと告げている。
倒れ伏していた身体を無理矢理持ち上げ、あてもなく歩き出した。相変わらず辺りは真っ暗闇で、自分がどっちを向いているかさえも分からない。
しばらく歩くと、急に前からばさりと何かが羽ばたく音が聞こえた。同時に、大きさも形も色も分からないものが頭の上にふわりと落ちてくる。触れた手に伝わる感触からして、何かの羽だ、というのは推測できた。
思わず頭の羽を取った、その時だった。ばさばさばさと、さっきよりも激しい羽ばたきの音が辺りに響く。
(……逃げなくちゃ……!)
何かの気配は、全方向から読み取れる。それはつまり、自分は今正体不明の何かに囲まれているということを意味している。それも、本能で危険度を感じ取れるレベルの凶悪そうなものに。
包囲されているのは分かりきっていたが、意地でも強行突破するつもりで闇雲に走り出した。それを逃がすまいと、後ろからばさばさと鳥が飛ぶような音が追ってくる。
元々重く感じていた身体を無理矢理動かしていたからだろう、何かにつまずいたと分かっていても、自分にはどうすることも出来なかった。地面に全身を思い切り叩き付けられ、自分の位置も特定出来ない暗闇のただ中に横たわる。
痛みは感じないが、立とうとしても身体が重くて立ち上がれない。その前に、手足が言うことを全く聞いてくれない。
そして……一度は引き離したはずの羽ばたく音がすぐ近くで聞こえたかと思うと、間もなくそれはひゅっと風を切る音に変わる。
気配から察しても、彼我の距離はもう遠くない。ここがどこかは分からないけれど、逃げたものを追ってきて……そして、自分が追うものが前に横たわっているとすれば。
――次に取る行動は、何?
「っ!」
音をたてているものが近付いたことを知り、思わず開けていた目を強く閉じる。
姿も分からない相手は無抵抗な自分に狙いを定めて近付くと……空気の刃のようなものを作り出し、放つ。
空気の渦を纏った刃は、動けない私を切り裂こうと、ごうっとうなり声のようなものを上げて――
〜☆〜
「――っ!」
眠っていたはずのサファイアは思わず、固く閉じていた目を開けた。一瞬呆然としてからしばらく様子を見回し、ここがテントの中であると気付くのにしばらく時間を要した。
「…………夢、だったのかな……」
気が付かないうちに乱れていた息を、大きく吐いて荒い呼吸を鎮める。
ランプがないせいかテントの中は暗いままだが、外は月の光に照らされある程度の明るさを保っている。
隣には、エレッタとミラがぐっすり眠っている。エレッタはともかくミラが眠っているということは、まだまだ起きる時間にはほど遠いということを示している。
疲れもまだ抜けきったわけではないので、二度寝でもしようかと毛布にくるまったところまではいいが、どうしても目を閉じることが出来なかった。
眠ってしまえば、また同じ悪夢に襲われないとも限らない。自分の手元すら見えないような、暗闇のただ中。そんな中で自分の身体すら思い通りに動かない。そして、動く気力を無くした身体を取り囲まれ、相手の意図を掴めないまま容赦なく襲われる――
――正直に言えば、怖かった。
まるで、極秘の儀式の生贄に選ばれた者達が、抵抗することすら叶わず避けられない運命の訪れを待つようで――
サファイアは思わず首を振った。頭の中に形作ろうとしていた、黒雲のような何かを意識から追い出す。
全く、気持ちが沈んでいるとろくな例えが浮かばない、とサファイアは力無く笑い、テントの外に出た。
森の中間地点は、ダンジョンのただ中にあるとはいえかなり安全なポイントになっている。茂る葉の切れ目から見える空は、今日も輝く星をランダムにちりばめ、雲一つ見当たらない快晴だ。
チカチカと光る星空を見て、元気が出た、とは言わない。子供だったら有り得るかもしれないが、残念ながらサファイアの思考はそこまで単純ではないのだ。
――いつも、そうだ。人が落ち込んでいる時は、決まって夜空に星が一層輝く。励ましているのか皮肉のつもりなのか分かったものではない。
ただ、この空の色は、何も考えない時には同じ黒だと認識されるけれど……さっきの悪夢――全てを飲み込むような暗闇の色とは、違う。誰かを不安にさせる黒と、誰かに安心感を与える黒。何が違うのかと言われて上手く答えられる自信はないが、なんとなく雰囲気が違うような気がする――
「……サファイア? 何してんの?」
「……あ」
そう思考に耽っていた時、テントの入口から明らかに眠り足りていないエレッタの顔が覗いた。
「ん……ちょっと目覚めちゃって。まさかエレッタ、もう起きるんじゃ……ないよね?」
「まさか。何か起きたらサファイアがいなかったからね。まだミラも寝てるし、もう一度ゆっくり寝るよ」
「分かった。私もそろそろ戻るから、先に眠っててくれる?」
「りょ〜かいー……」
エレッタは今にも眠り出しそうな声を出し、テントの中に戻る。それに続くように、サファイアはもう一度星空を見上げ……ほっと息をついてから、テントの中の毛布に潜り込んだ。
いつもより長く感じられた夜がやっと明け、サファイア達は水鏡の森 奥地へと歩みを進めていた。
やはりと言うべきか、奥地の敵は下よりも更に強くなっている。それでいて、状態異常という搦め手を使うところは変わらないので、もう戦況は言わずもがなとなっていた。
おまけに、サファイア達は今、サンドパンにぐるりと囲まれている。
もとはと言えば、通路に丸まって進行を邪魔していたサンドに攻撃しただけの話だったのだが、中途半端に体力を削り損ねてしまった結果、親をご丁寧に群れで召喚してくれて現在に至る。
じり、とサンドパンが近寄って来る。鋭い爪は、下手に特攻を仕掛けようものなら切り裂くぞ、と脅しをかけているかのようにきらりと光っている。
「どうしよっか……いくらなんでも私の目覚めるパワーとミラのマジカルリーフだけじゃ倒しきれないし……」
「……エレッタ、使ってみれば?」
「そーだね。やってみるよ!」
が、サファイアが正攻法での突破を考えている横では、エレッタがサンドパンを見て頷いている。どうやら、いい考えがあるらしい。
「サファイア。大丈夫、心配ないから。あたしが何とかするよ!」
エレッタはサファイアに大丈夫と笑いかけ、近くの一段高い岩に跳び移る。サンドパン達もそれにつられ、動いたエレッタを補足しようと上を見上げた。
「いっくよー!」
エレッタは周りを囲むサンドパンに向け、にこりと片目をつむった。
すると、エレッタの身体の周りにピンク色のエネルギーが集まり、それはハートの形をとってサンドパンに向かっていった。
「は!? エレッタ、そんな技、いつの間に……」
「昨日の夜、覚えた。『状態異常には状態異常で対抗だね♪』って言って……」
"メロメロ"。
異性を篭絡するエネルギーを放つその技は、昨日エレッタがいつの間にか拾っていた技マシンを使って覚えたらしい。
サファイアが昨日テントを張っていた時、エレッタとミラはコソコソと何かをやっていた。今思えば、あの時にメロメロを覚えるやら何やらと話していたのだろう。
ちなみに、サファイア達がいるのは、ダンジョンの一階。三人を包囲しているのは、オスのサンドパンのみの集まりだった。サファイアがこんなことを考えている間に、すっかり動けなくなったサンドパンに葉っぱが次々飛ばされた。
そんな訳で。
目を回したサンドパンをどかし、サファイア達は次の階に突入した。次は偶数階なのでエレッタのメロメロは効かないはずだ。
「よーし、電光石火!」
サファイアの一撃に、トサキントが崩れ落ちる。ところどころにある水場を通って来るのは厄介だが、ツノに気をつければそこまで脅威ではない。
スピアーとサンドパンを相手にしていたエレッタとミラも、状態異常を警戒して電磁波やチャージビームを多用している。サンドパンの毒針をエレッタが避け、ミラがマジカルリーフを撃ち込む流れももう見慣れていた。サンドパンは身体を丸めて防御姿勢をとったものの、チャージビームの効果で威力が上がっているミラの攻撃にとっては焼け石に水である。水鏡の森へ入った時より、少し戦闘が楽になっているのを実感できた。
「ふう……少し、休憩しようか……」
階段が運よく見つかり、五階へ辿り着くことが出来たサファイア達は、これまた敵の気配のない広場の中央でオレンの実をかじった。
ついでにバッグの中身を覗き、サファイアが顔を引き攣らせた。残っているオレンの実は、各自二つずつ。癒しの種は毒にかかった時にしか使っていないので、拾ったのも合わせ三つずつはあるのだが……あと三階上らなければいけない状況の中、オレンの実二つでやっていけるのか非常に心配なのだ。
「サファイア。オレンの実……足りるかな?」
どうやらエレッタも同じことを思っていたらしい。サファイアは曖昧に笑い、もし見つけたら何が何でも取って行こうと返した。
この広場は、いやに静かだ。つい先程モンジャラの群れを倒したので、恐れをなして近づいて来ないのか、ただ単にこちらの様子を伺っているのか……おそらく後者だろう。
ダンジョンでは、気を抜いた途端に襲われる。こんな休息の時間にだって、襲われる可能性は十分にある。
「そろそろ出発しよう。準備はいい?」
「ばっちりだよ!」
「構わない」
あまりうかうかしてもいられないので、休憩時間を早めに切り上げて探検に戻ることにする。
状態異常への立ち回りは、大体分かってきた。後は出来るだけ周りを警戒して、敵の不意打ちを防ぐことが何よりも肝心だ。
もし戦闘が長引いてまた最奥部に着くのが夜になってしまえば、まともに花など探せはしないのだから。