M-37 試験要綱とダンジョン
これは、霧の湖での出来事から数日経った後のこと。
エスターズが依頼報告を終えギルドの部屋に戻り、夕食を食べているちょうどその時、コンコンと扉が静かにノックされた。サファイアが扉を開けると、入るよと声がして、マロンが部屋の中に入って来る。
口に入っているオレンのシチューを慌てて飲み込み、サファイアが三人を代表して尋ねた。
「マロン? また何か連絡事項でも?」
「うん。それも、とびっきり重要なことね。親方様からの連絡だし」
「ハーブから?」
マロンは三人の様子を見、これなら大丈夫、と頷いた。
「実はね、明日……エスターズのランクアップ試験を行うって。その説明をするから、注意して聞いてね」
途端、探検が終わって微妙にだれていた空気がまた引き締まった。
「え!? でも、ランクアップって……えっと、ダイヤモンドランクに、ってことでしょ? 早くない?」
「まあね。でもゴールドランクまでは依頼を普通にこなしていればそこそこの早さでランクアップできるから。ただ、ダイヤモンド以上になるとかなり依頼をこなさなきゃダメだけど」
マロンの言葉に、サファイアはイルマスのことを思い浮かべた。
そういえば、あいつらは自分達が入った時から今まで、ランクアップや昇格はしていないはずだ。
サファイア達からしてみれば、イルマスの言動を知る限り、真面目に沢山依頼をこなしているとも思えないが。
「ただ、エスターズはよく探検依頼とか行ってくれるでしょ? ああいう難しい依頼や特定の探検隊指名の依頼って、普通のものよりポイント高いんだよね。それにフィールドワークもいい結果を残してくれたようだし、親方様もダイヤモンドに上げても大丈夫って判断したんだろう」
手に持った手帳を開き、マロンはとあるページで手を止めた。
「あと、今回の試験は強制だから、受けないって選択肢は無し。例え疲れていてもそういうのは一切考慮せず、予定通り実施するよ。体調管理も探検隊の仕事の内っていうしね」
だからいきなり明日なのかとサファイアも納得した。サファイア達も疲れていない訳ではないが、今日ゆっくり休めば体力はしっかり回復するはずだ。
「それで、明日はここから北にあるダンジョン"水鏡の森"へ行ってもらう。最奥部には他の場所では育たない珍しい薬草があるから、それを持って帰れば試験は合格。薬草は白い花をつけてるから、すぐに分かると思う。ただあの辺は強いポケモンがたくさん住んでるから、戦闘時には十分気をつけて。以上、何か質問はある?」
サファイアは地図を取り出し、水鏡の森の位置を確かめた。ここからそう遠くはないので、ダンジョンに着いたら夜になってました、なんてことにはならなそうだ。しかし。
「その水鏡の森って、何階まであるの?」
「確か、十階の階段を昇ると中継地点があって、更に深部が八階。フロア自体が大きいから、大抵中継地点まで行く頃には夜になっちゃうけどね」
「じゃ、リンゴは多めに持参ってことね。後は特に何もないかな? また聞きたいことがあったらその時に聞いておくよ」
「分かった。ただ親方様はしばらく出掛けられているから、僕は親方部屋にいるよ。じゃ、頑張ってね〜!」
マロンは手帳を閉じると、ふわりと浮かんで部屋から出ていった。
「珍しいね、親方様がしばらく外出なんて」
「何かの仕事かな? 試験が終わる頃には、帰ってりゃいいんだけど」
エレッタはオレンジュースを飲み干し、窓の外の風景を眺めた。
「明日も晴れ、と。水鏡の森って……どんな場所だろう?」
次の日の朝、探検の支度を終えたサファイア達は、水鏡の森にやってきた。
あちらこちらに小さな池のような水たまりがあり、鬱蒼と生い茂る木々を水面に映し出している。
「さて、マロンはダンジョンのポケモンが強いって言ってたけど……その真偽はいかに?」
エレッタが辺りを見回すと、スピアーとユンゲラーが飛び出してきた。見敵必殺とばかりに繰り出されたミサイル針と念力をかわし、三人はすぐに攻撃に移る。
「電光石火!」
サファイアはスピアーの背後に回り込み、思い切りぶつかった。スピアーは吹っ飛ばされてユンゲラーにぶつかり、体勢を崩している。
「よーし、十万ボルト!」
「シャドーボール!」
控えていたエレッタとミラは、固まっているスピアー達に電気と影のエネルギーを放つ。この攻撃はかなり効いたようで、スピアーもユンゲラーを目を回して気絶していた。
「よーし、今日も絶好調! マロンは強いって言ってたけど、これならまだまだ行けるよー!」
エレッタは力を余らせているのか、身体から時々火花を走らせている。これが普通のピチューならば即痺れて倒れるだろうが、エレッタは痺れることなくむしろピンピンしている。
「まあ、確かに……今の調子なら、そんなに苦戦はしないかもね」
「どうだか。ミサイル針、結構威力高そうだし」
「え、本当に?」
ミラは地面に刺さっていたスピアーのミサイル針を一本抜き取り、サファイアに差し出した。よく見ると針の半分くらいまでは土で汚れている。ここの地面はそれなりに固いので、少なくとも針を打ち込むパワーは強いらしい。
「全部、避けられればいいけど」
ミラはぼそっと呟き、敵の出て来そうな茂みを注意深く見ている。ミサイル針は、虫タイプの連続攻撃技。エスパータイプのミラに当たれば体力もかなり削られる。奇襲でもされてまともに食らえば危険だ。
「なるほどね。技の威力はそこそこ高い、と……気をつけて進もうか……って、エレッタ! 一人で先に行かないで!」
サファイアとミラが話しているうちに、エレッタは前の通路に入り込んでしまった。慌てて二人が追い掛け、通路の中で合流する。
この森に出てくるのは、スピアーとユンゲラーだけではないはずだ。これでも昇格試験なのだから、誰かが倒されないように注意しなければ。
一階にいる時はまだまだ余裕を持って敵を倒せたが、五階程にもなると流石に苦戦を強いられるようになってきた。
まず、敵の攻撃力がかなり高い。ミラの予想通り、敵に遅れを取るとすかさず技を撃ち込まれ、当たるとかなりの体力を持って行かれてしまう。
それに、状態異常を引き起こす技を使うポケモンがやたらと多い。スピアーは"ダブルニードル"の毒、ユンゲラーは"封印"、上階に行くにつれ徐々に姿を現してきたエレブーの"電磁波"、モンジャラの"眠り粉"などなど。ミラが神秘の守りを使ってある程度は防いでいるが、如何せん敵の数が多く、効果が弱まってしまうのがいつもより早かった。
更に言えば、敵ポケモンのタイプが統一されていないので、弱点がばらけてしまいあまり効率よくダメージが与えられない。一つの技のPPだけが減らないのはいいが、肝心な時に眠らされたり痺れたりと、これまでのダンジョンよりも厄介な敵が多い。
「い、今はここで回復しよ……っか……」
こんな調子ではオレンの実が幾らあっても足りないので、サファイア達は仕方なく敵の気配がない広場を見つけてはこまめに休息し、自己回復に努めていた。
一応、まだ各自のバッグの奥底に一コずつ眠っている復活の種を使わずに済んでいるだけマシかもしれないのだ。
「さすが親方様。ランクアップ試験は伊達じゃないね……」
疲れた表情で、エレッタが呟いた。今は五階だが、森の中継地点からすればまだ半分だ。更に、その先には八階分の奥地のダンジョンが待っている。
「……! 近くにいる!」
「え、こんな時に!?」
ミラが茂みが動く音を聞き付け、いつでも技を出せる体勢になった。サファイアやエレッタも立ち上がり、敵の襲来に備える。
すると予想通りというべきか、エレブー、モンジャラ、サンドがチームを組んで襲い掛かってきた。
「……来た!」
「エレッタはモンジャラ、ミラはエレブーを何とかして!」
サファイアは作戦を簡潔に伝えると、穴を掘ってサンドの前から姿を消した。地震を使われる可能性を考慮し、早めに地上に出て目覚めるパワーで背後をつく。
だがサンドは氷の塊を、自身の爪で引っ掻いて壊した。そのまま身体を丸めてサファイアに突撃し、押し潰そうとしてくる。
「おっと! 守る!」
サンドの"転がる"をサファイアは緑の壁で防ぎ、勢いを殺す。ふとサンドのいる方向を覗くと、モンジャラの眠り粉を受けて気持ちよさそうに眠っているエレッタと、エレブーの電磁波を食らったものの、特性"シンクロ"の効果でも発動したのかお互いに麻痺しているミラとエレブーの姿が目に入る。
ここで戦闘を長引かせるのもまずいと判断し、サファイアは緑の壁を取っ払いサンドに突っ込んだ。既に勢いをなくしていたサンドは電光石火の威力に負け、そこに倒れ込む。
起き上がってこないのを確認して、サファイアは二人のもとに駆け寄った。
「エレッタ、ミラ! 大丈夫!?」
「わたしは平気! サファイアは先に、モンジャラを倒して!」
ミラは身体に纏わり付く痺れを発散させ、少しずつ正常状態に戻りつつある。
それよりもまだ眠っているエレッタやピンピンしているモンジャラをどうにかするため、サファイアはそちらに目覚めるパワーの標的を向ける。
「いっけー! 目覚めるパワー!」
モンジャラの身体の中心を目掛けて、サファイアは思い切り氷塊をぶつけた。モンジャラは自身の蔦でそれを受け止めたが、盾代わりに使われた蔦はパキパキと凍り付いていく。
それに気付いたモンジャラは必死に凍った蔦を解かそうと粘っているが、複雑に絡み付いた蔦に付着した氷は簡単にはとれない。
モンジャラがしばらくしてふっと我に返ると、目の前には高速でこちらに向かって来るサファイアの姿があった。
サファイアがモンジャラを倒したのとほぼ時を同じくして、先に麻痺が治ったミラはシャドーボールを当ててエレブーを倒した。
敵が他にいないことを確かめ、サファイアはまだ平和な顔ですやすや眠っているエレッタを起こすために身体をぐらぐらと揺すった。
「ムニャ……ふぇ……月が丸いなぁ……」
「いや、ムニャ、じゃなくてね。戦闘も終わったし、そろそろ目を覚ましたら?」
根気よくゆさゆさと揺するサファイアに遂に折れたのか、エレッタは黒くて丸い目を開けた。
「ん〜? あれぇ? モンジャラとかは?」
「さっき片付けたよ。敵に見つかった以上、ここにいるとまた襲われるかもね。早く次のフロアへ行っちゃおう!」
まだ眠気が残っているらしいエレッタを無理矢理引きずるようにして、サファイアはまだ行っていない通路に入った。
これから先のフロアでも、こんなに厄介な戦いが続くのだろうか。
正直勘弁してほしいと思いつつ、三人はやっと見つけた階段をささっと上っていった。
中継地点まで、もう少し。