M-36 朝日の中の秘密
朝日が湖に差し込みかけ、光が山々の間からうっすらと漏れている中――
とあるポケモンが、霧の湖の水面を理由もなくつついていた。別に水面に波紋を作って、どうしようということはない。どちらかといえばほぼ無意識に手が動いている、そんな感じだ。
そんなことを繰り返していると、突然、湖の中からふわりと何が飛び出した。
水面をつついていたポケモンは手を休め、飛び出したものがこちらに近付くのを見、口を開いた。
「……ユクシー……」
湖から飛び出したポケモン、ユクシーは、岸にいたポケモンに言葉を返す。
「おや、おはようございます……ミラさんですね? もう起きられるのですか? まだ日が昇るまで時間がありますが」
「別に平気。そんなに眠くないから」
ミラは空で弱々しく瞬く星に視線を移し、ぼんやりと呟いた。どうやら何か考えているらしいが、自分からは口に出す気はないようで。
そんなミラを暫く見ていたユクシーは、何か決意した様子でミラに話し掛ける。
「……ミラさん。少し気になることがあるのですが、お聞きしてもよろしいですか?」
「……何?」
ミラはユクシーの声に微かな躊躇いが混じっていることに気付き、何か言いにくいことでもあるのかと少し警戒を強める。しかしそこへユクシーから飛んできた言葉は、そんなミラにも想定外のものだった。
「ミラさんは……エスパータイプの技を使うことが出来ますか?」
ユクシーの突然の質問に、ミラの視線が逸れた。
何か隠しておきたいことでもあるのか、ユクシーの方を見ようとせず……穏やかに揺れる水面に、もう一度波紋を作り出した。
「……何で、そんなこと聞くの……?」
「エスパータイプなら誰でも持っているはずのサイコパワーが、ミラさんからはほぼ感じられないので……嫌なら答えて頂かなくても」
「…………」
ミラは視線をユクシーから逸らしたまま、大きく溜息をついた。
「……正解。わたしは、エスパー技を使うことが出来ないの」
神話について少し喋った時とさほど変わらない雰囲気を纏い、ミラは淡々とユクシーに告げた。ただ、放たれた言葉の内容は、雰囲気に似合わずかなり衝撃的なものだ。
自身と同じエスパータイプの技を使うことは、同タイプのポケモンにとっては基本中の基本とも言える。が、ミラはそんなエスパータイプの技を、サファイア達の前で一度も使ったことがない。サファイア達も最初は疑問に思っていたが、何となく口に出さないままズルズルと時が過ぎてしまっていた。
ユクシーに詳しく問われる前に、ミラは自分から話し出した。
「……昔は、エスパー技を使うことに全く問題は無かった。けど、ちょっと事件があって……それ以来、からっきし」
「事件、ですか……?」
ユクシーが首を傾げても、ミラは目を一向に合わせようとしない。が、ユクシーはミラの様子から、僅かな"恐怖心"を感じ取った。それが何に向けられたものかまでは、分からない。
「な、なるほど……全く使えないということは、自力ではどうにもならないものなんですか?」
「まあ、これは呪いみたいなものだから……わたしの力じゃ、どうにもならない」
ミラはユクシーの質問に答えるが早いか、直ぐさまユクシーに向き直り話題を変えた。まるで、自分のことから注意の矛先を変える様に。
「……そういえば、わたしもユクシーに聞きたいことがあるんだけど、いい?」
ユクシーがこくりと頷いたのを見て、ミラは後ろを振り返った。サファイアとエレッタがぐっすり眠っていることを確認し、ほっと溜息をつき……ボソボソと小声でユクシーに何かを言い始めた。
朝の日差しが霧の湖にも本格的に差し込み、ムックルのさえずりが響き渡っている。
その元気な声に誘われるように目を覚ましたサファイアとエレッタは、カゴの実もフルに活用して残る眠気を払う。いつもならそんなことをしなくてもその内眠気は消えるのだが、昨日かなり体力を消耗したお陰で深く眠ってしまったようで、下手をすると二度寝の危険性もある。が、今回は出来れば早くギルドに帰った方がいいだろうと判断してのことだ。
サファイアはエレッタの隣で眠っていたはずのミラがいないことにすぐに気付き、いつものことながら苦笑いを浮かべている。
「あー、またミラいないや。どうせその辺歩いてるだろうけど」
「ミラ起きるの本当に早いよね。体力とか大丈夫なのかな?」
「いやまあ、確かにそうなんだけどさ。むしろエレッタはちょっとお寝坊さんすぎる気が……」
ぶつぶつ会話しながら、持ち物の確認のために自分のバッグから中身を取り出す。
サファイアは一足早く持ち物の確認を終え、エレッタの確認作業を何となく後ろから覗いてみる。
そして、エレッタが装備品の確認をしようとバッグからスカーフを取り出した時――エレッタのスカーフの畳まれていた部分から、オレンジ色の何かがコロンと転がり落ちた。
「……え?」
サファイアが反射的に手を伸ばしてそれをキャッチし、掴んだものを見る。
それは、サファイア達が集めている宝石に少し似ていて、しかし全く違うものだった。
サファイアの宝石なら中は完全に透き通り、何も含まれていない。しかし、サファイアの手の中にある、濃い黄色の石は……その中で、オレンジ色の炎が絶えず燃えている。
不思議なことに、燃えている物もないのに炎はいつまで経っても消えず、触っても全く熱くない。
そして、何よりも気になるのが……宝石を掴んでいるサファイアの手が、ビリビリと痺れてきたこと。エレッタの静電気とは少し違う、宝石から滲み出るようなその力は、サファイアにとっては不快に感じられるものだった。
サファイアは首を傾げてから、エレッタにそれを差し出す。
「ありがとう、サファイア。それ、結構綺麗な石でしょ?」
サファイアの不思議そうな視線を受け、エレッタは軽く笑って差し出された石を受け取った。
「あーうん、確かに綺麗だね」
「これ、あたしの宝物なんだ。唯一あたしと家族を繋いでくれるものだからね」
エレッタは意味ありげなことをさらりと言い、バッグに石をしまう。もちろん、サファイアがその言葉に食いつかないはずはない。
「……唯一、繋ぐ?」
サファイアは、食いついておいて何だが思わず我が耳を疑った。
"唯一"、"自分と家族"、"繋ぐ物"。一つ一つ切り離されて宙に浮かびそうになる単語を何とかまとめて、出来たものはとある結論だった。
「……エレッタ、もしかして……家族、いないの?」
後悔を募らせながらも、恐る恐るサファイアは聞いてみた。エレッタにはいつものように首を振って、否定して欲しかった。
なのにエレッタはにこりと笑みを浮かべたまま、さらさらと言葉を並べていく。まるでこちらの思いなど、気にも留めていないように。
「うん。両親は三年前に死んじゃった"みたい"だからね。お兄ちゃんもいるけど……行方不明。連絡手段がないからどこにいるかも分からないし、そもそも生きてるか死んでるかすらも分からない」
サファイアは、そっとエレッタの表情を盗み見て……背筋が、一瞬凍り付いた。
――目が、笑っていない。
相変わらずエレッタは笑みを浮かべているけれど、二つのくりくりした丸い目は……おそらく、エレッタの気持ちをそのまま映していたのだろう。
それは、家族をなくした寂しさでも、その原因とやらを止められなかった自虐の念でも、まして昔の思い出を懐かんでいるのでもない。
では、このエレッタに似つかわしくないような黒く暗い感情は、一体何なのだろうか。
サファイアは何とかそれを読み取ろうと粘ったが、エレッタはそれを知ってか知らずか、いつもの目にすっと戻してしまった。
いつも仲間達に向けるような、幾つもの豊かな感情を含んだいつも通りの目に。
「サファイア? おーい? 大丈夫?」
すっかり冷え切った空気を吹き飛ばすかのように、エレッタはサファイアの目の前で手を振った。
心ここにあらず、といったサファイアの目が光を取り戻した瞬間、それは強く閉じられてしまう。
「……っ! その、ゴメン! 変なこと聞いちゃって、私……!」
「へ? なんでサファイアが謝るの? あたしは事実を話しただけだし、どうせいつか話さなきゃいけないって思ってたし」
エレッタは手を伸ばし、力無く垂れ下がったサファイアの長い耳を優しく撫でた。ただそれだけのことなのに、半分どこかに飛んでしまっていたサファイアの意識が戻って来る。
「別に、誰かに打ち明けてスッキリ……とかはないけどさ。サファイアだってあたし達のこと、もっと知りたいでしょ? まあミラは……そういう訳でもないかもしれないけどさ」
そこまで言うと、エレッタはまるで今の話などなかったかのように、ごく自然に自身の電気袋からパチリと微量の火花を出す。
よし、今日も健康、と一人呟いて、エレッタは湖のほとりをすたすたと歩いていった。
だが、サファイアはしばらくその場から動けなかった。頭では、早く追いつかなければとわかってはいるのに。
やっと足が思い通りに動くようになったのは、先に歩いて行ったエレッタの後ろ姿が完全に岩陰に消えてからだった。
二人はユクシーと何らかの会話をしていたミラと合流してお礼を言い、エスターズ三人はバッジを使って湖からふらわーぽっとに帰ってきた。今はまだ日が高く上ってはいないような、まだ十分に朝と呼べる時刻だった。
一応霧の湖で疲れくらいはとれていたサファイア達は、その日は簡単な依頼だけをこなし、翌日からは普通のサイクルに戻そうと話し合いで決めていた。
その取り決めは、ハーブからのとある伝言によって早速狂うことになる。伝言を告げるために、マロンは依頼を終えて帰ってきているはずのエスターズの部屋を訪れた。