M-35 サファイアと宝石結晶
「……う……ん…………」
霧の湖に、柔らかな半月の光が差し込んでくる。うっすらと開けた目にその光は優しく届いた。
何故か身体はふわりと温かく、覚醒しかけた意識を再び眠りに引き戻そうとするかのように心地よい環境だった。
でも。
ふと違和感を感じ、眠気を振り払う。
サファイアは、バルビートの群れの攻撃を避けるために湖に飛び込み、溺れてしまったはずだ。それなら、何故こんなところで気持ち良く眠りこけていたのか、サファイアには分からなかった。
思い切って目を開けると、月の光に照らされきらきらと光る水面が見え、すぐ横にはエレッタがいた。つい先程までのサファイアのように、気持ち良さそうに眠りこけている。
そして……
「……あ、起きたんだ」
相変わらずぶっきらぼうに、だがその中に微かに心配の色を含む声がかけられた。
声の主は、ミラ。サファイアが起きたことで睡眠は十分足りているはずだとエレッタを揺すって無理矢理起こす。
エレッタもいつも通り眠そうに、半分ほど開いた目で仲間達を認め、首を振って目覚める。
「ふあぁ……あれ、私達……どうしたんだっけ?」
起きたばかりの頭で何が何だか分からないのだろう、エレッタは寝言のように呟いている。だが疑問をかけられたサファイアでさえ、今の状況を整理出来ていない。
サファイア達を湖から引き上げてくれたのは、一体誰なのだろうか。どう考えてもエレッタやミラではないし、バルビート達も絶対にない。
なら、他に誰がいるのだろう?
サファイアはミラにも聞いてみたが、誰が引き上げてくれたかは覚えてないらしい。ただ、気を失う直前に、湖の奥の方から念波のような何かが飛んできているのを感じたという。
となると、可能性としては――
「気が付かれましたか」
この問題に、自ら答えを示してくれたポケモンがいた。
姿は見えないが、明らかにサファイア達に話し掛けたと分かる。
「……え、この声は……?」
「君は……一体誰?」
サファイア達の呼び掛けに、見えない声の主は少し躊躇うように間を空けて答える。
「……私は、ユクシー……霧の湖に住むもの。あなた方はどうしてここへ?」
ユクシー。霧の湖に住む、伝説のポケモンだ。
「ユクシー……噂には聞いてたけど、本当に……」
「えっと、ちょっと探し物があってね。霧の湖にあるって話を聞いたから……」
サファイアの説明を聞いて、今まで心配と若干の警戒を含んでいた声がほんの少し和らぐ。
「探し物、ですか……どんなものであるか、教えていただけます?」
上から響いてきたはずの声が横から聞こえて来るようになり、ちょうどサファイアの顔より少し場所に光の玉が幾つか現れた。
それは見る間に一カ所に集まり……柔らかな光と共に、とあるポケモンの姿が現れた。
黄色い頭に薄い水色の身体、赤い石がついた二本の尻尾をもっている。噂に聞いていたユクシーの姿と同じだ。
「私達を助けてくれたのは、ユクシー?」
「ええ。いきなり湖に飛び込んで、出てこないので……せめてここを訪れた理由を聞きたいと思ったのです」
「そっか……助かったよ、ありがとう! そういえば、今までずっと姿を消していたの?」
「はい。前は時々探検隊の方々もいらしていましたが……最近この近くも物騒ですから、あまり警戒しないのも問題がありますからね」
周りに誰もいないことを確認して、ユクシーは続ける。やはりこのご時世、自分も危ないかもしれないと分かっているのだろう。
「それで、探し物とは?」
「そうだ、えっと……前に、宝石みたいなのがここに降って来なかった?」
エレッタは目を輝かせ、ユクシーに尋ねた。暫くユクシーは考え込み、おもむろに口を開く。
「宝石、ですか……確かにそうですが、あれは……一つ質問させて頂きますが、あなた方は、他の宝石を持っていらっしゃいます?」
訝しそうに首を傾げたユクシーだったが、どうやら宝石のことは知っているらしい。エレッタがサファイアのバッグから、宝石が五つ入った箱を取り出し、蓋を開けて見せた。
「うん。まだ五コしか見つけてないけどね」
ユクシーは、サファイア達の顔と箱の中で光り輝く宝石をじっと見つめると、やがてすっと湖に潜り、すぐに湖から出てきた。水の中にいたはずなのに、不思議なことに身体が全く濡れていない。
「これのことですね? 天空から降り注いだ宝石の1つ、オパールです」
ユクシーは、薄い青色に光り輝く宝石をサファイアに差し出した。
「そうそう! ありがとう、ユクシー!」
サファイアはそれを大事そうに受け取り、意識を集中させ始めた。今度は何が見えるのだろうかと宝石に期待を存分に込めて。
「ところで、どうしてあの宝石を集めているのです?」
ユクシーが、近くにいたエレッタに尋ねた。サファイアが何やら集中しているので、少し話し掛けづらかったようだ。
「ああ、あのイーブイ……サファイアって言うんだけど、どうやら元ニンゲンらしいんだよね」
「ニンゲン、ですか……」
懐かしい響きに、ユクシーは自分の記憶を引っ張り出した。七年前、この世界を救ったポケモンも元ニンゲンだった。今頃はどうしているだろうか。
「それで、ニンゲンの頃の記憶をほとんど無くしてるんだけど、あの宝石に触れるとちょっとだけ記憶が戻るみたいなんだよね。だから、宝石を全て集めれば、サファイアが何でポケモンになったのか分かるかなって」
そんなエレッタの話し声も聞こえないほどに集中しているサファイアの頭に、何かが響くように聞こえた。少女の声と、大人の女性の声。少女の方は、何度か聞いたことがあるような高さだ。
「で、その三つの宝石を"融合"させるにはどうしたらいいのですか?」
「三つの宝石を重ね合わせて、力を込めるだけよ。そうすれば自然に浮かび上がって、融合してくれるから……」
声はそこで途切れ、サファイアは目を開けた。今回は割と短めだったが、何やら重要そうな単語が聞き取れた。
(……融合って、一体何だろう……?)
話からして宝石に関することなのは間違いないが、三つと言われてもどの宝石なのか分からない。
一応、バッグから取り出した五つにオパールを加えて、六つの宝石を観察してみることにする。
すると、サファイア、オパール、トパーズの三つの石が……突然、ぼうっと光り出した。
「え!? ひ、光……!?」
「サファイア……その宝石は……!?」
これにはサファイアのみならず、近くのエレッタ、ミラ、ユクシーも気付き、何があってもいいように注意深く宝石を見ている。
サファイアは光った三つの宝石を握り締める。頭に響いた聞いたことのない、しかし懐かしい声の通りに力を込めて。
すると、三つの宝石が一層輝き、サファイアの手を離れ独りでに浮かび上がった。
深い青、淡い水色、きらびやかな黄色の光は宙で重なり合い、一つに集結したその時、火の玉のようなまばゆい光を放った。
一瞬、その眩しさに目を逸らしそうになったが、光が止み落ちてくる物体を落とすまいと慌ててサファイアは手を伸ばしてそれを受け止める。
手の中にあるものは、宝石ではなく……黄金色に輝くひとつの石。他の元の宝石よりも一回り大きい正八面体の結晶で、月光にかざすと一層きらきらと光っている。
「サファイア、その石は……?」
「くっついて、変化した……?」
エレッタもミラも、変わり果てた石に驚いて、距離を取り近寄ろうとしない。
そんな中、ふわりとユクシーがサファイアの前に飛んできて、黄色い石とサファイアの間で交互に視線を彷徨わせた。
「サファイアさん、これは……」
「ユクシーなら、これが何か分かる?」
「はい。これは、"黄雲の結晶"というものです。そして、もうひとつ分かったことがあります。あなたは、"珠玉の守護者(まもりびと)"ですね?」
ユクシーが発した単語に、エレッタは咄嗟に反応した。
「"珠玉の守護者"? それって、"白"の力を持つ偉い人だって聞いたことあるような……ないような」
エレッタが首を傾げる隣で、ミラがぼそりと呟いた。
「サファイアが"珠玉の守護者"? ニンゲンの? でも、それならどうしてこんなところに?」
一方のサファイアはユクシーの言葉の意味が分からず、その場で立ち尽くしている。ユクシーはサファイアから少し離れて話した。
「順番に説明します。まずは、"珠玉の守護者"。この方は、言い換えれば"世界を守る宝玉の護衛"、とでも言いますか」
「……私が?」
「はい。サファイアさんが元ニンゲンだとすれば……あなたはニンゲン界での守護者だったのでしょう。そして珠玉の守護者は、文字通りとある珠を守っています。その珠の名は、"彩色の珠玉"と言うのです」
「あ、それなら聞いたことある! 世界のバランスを保ってる綺麗な丸い珠だって……」
エレッタの反応に、ユクシーは軽く頷いた。
「そうです。そして、その"黄雲の結晶"は、"彩色の珠玉"の一部……更に、一つの結晶は三つの宝石で出来ています」
「それが、今私達が集めている宝石ってこと?」
「そうです。守護者が文字通り珠玉を守っているように、珠玉自身も守護者を守り、導く力を持っています。失った記憶が宝石に触れると戻るのも、欠片となり不完全ながらも、サファイアさんを助けようとする力が働いているからでしょう」
ユクシーが淡々と説明していく中、サファイアはまだ信じられないような顔で話を聞いている。まさかニンゲンだった自分がそんな重大な役をしているとは思っていなかった。
が、そんなニンゲンだった自分がポケモンになって、ふらふらと過ごしていてもいいのだろうか?
それよりも、世界を守るはずの珠玉の一部が、何故こんなところに散らばっているのか……
「ただし、その宝石は邪な思いを抱く者には扱えません。持つと宝石自ら弾け飛びますから」
ユクシーの説明を聞いて、三人はイルマスのことを思い出した。イルマスは何故か宝石を持つことは出来なかった。奪われかけた時、一瞬でサファイアの手の中に戻ってきたのだ。
思えばあれは、宝石の自己防衛だったのだろう。
が、今サファイアが聞きたいのはそこではない。
「ユクシー。その珠玉がなくなると、世界はどうなるの?」
サファイアの質問に、ユクシーは数秒黙り込んだ。
「実のところ、私にも分かりません。何せ前例がないので……今までこんなことはありませんでしたから。ただ、あまりよくないことが起きるのは確実でしょう。かつてここに隠されていた、時の歯車と同じように」
困ったようにユクシーは続け、ふと空を見上げる。数年前までは時の歯車を守護していたユクシーだからこそ、その言葉に説得力も感じられた。
「もしかしたら、神話の中にヒントが隠されているかも知れませんが……」
「神話?」
「世界の成り立ちについての言い伝えです。昔はかなりの方がご存じでしたが……もう今では一部の村でしか、しかもところどころ抜けていたりします。あなた方は聞いたことはあります?」
「うん。でも確かに、納得いかない部分もあったかなぁ……どこだっけ?」
「確か白黒か何やらが絡んだ戦争が終わって、そのあといきなり世界が平和になりましたー、チャンチャンで終わりだったよね?」
「それですと、彩色の珠玉についての言い伝えがゴッソリ抜け落ちていますね。あなた方に必要であれば、今からお話しますが……」
「あ、知ってるの!? じゃあ、簡潔にでいいからお願いしていい?」
サファイアは間髪入れずに頼んだ。エレッタやミラも興味はあるようで、抜け落ちた部分を聞きたいらしい。
どうやら今回は、予想以上の情報収集量になりそうだ。
白の力、黒の力が絡んだ戦争は、紫の力を持つ者達の働きにより終わりを告げた。
そして、時空の渦はあらかた消滅し、世界は再び平和になったかのように思えた……
しかし、それから数年後のこと。再び、戦争が始まった。
しかも、今度は共存していたはずの、ニンゲンとポケモンの間で。
ある意味でポケモンの反乱とも呼べるようなこの戦いは、ニンゲンは兵器を、ポケモンは自分の能力を使って互いを攻撃した。戦争は長引き、そしてついに白、黒、紫の血をひく者までも巻き込んだ。
見るに堪えない状態となった世界を嘆いた者達は、三色の力を持つニンゲンとポケモンから二人ずつ、計十二人の魔導士達に戦争の集結を託す。 選ばれた十二人は、その期待に応えるかのように力を全て放出し、自分達の命と引き換えに美しい丸い珠を作り出した。
後に、たまたまそれを見付けたニンゲンとポケモンが丸い珠を広い上げると、途端に戦火により荒れ果てた地は元の姿を取り戻し……双方の心を安定させ、戦争を集結させた。
ただ世界を元に戻し、平和をもたらしたその珠玉も、ニンゲンとポケモンの暮らす広大な地の全てを治める程の力はなかった。
そこで、珠玉はニンゲンの世界とポケモンの世界を分断し、自身は代わる代わる一方ずつの世界を治めるようにした。 そして、その営みは代々白の力を持つ"守護者"により、今も続けられている――
「と、だいたいこんな感じです。今も珠玉は千年ごとに、双方の守護者の力を借りてニンゲンとポケモンの世界を行き来しているのです。本来、今は珠玉はニンゲン界にあるはずで、こちらの世界に移るにはまだ早いと思いますが……大体、ただ世移りするだけで砕けたりはしません」
世界を守り、千年ごとに受け渡されてきた珠が、時期を満たさずに別の世界に飛んでしまう。それは、サファイアには何だかとてつもなく危険なことのように感じられた。
「何で、こっちの世界に来ちゃったんだろう……」
「それは分かりません。しかし……」
ユクシーは一度ふるふると首を振り、サファイアに焦点を合わせる。
「最近、時空の渦が増えているのもその影響なのかも知れません。ですから、あなたの記憶の為にも、全ての宝石を集めきって下さい」
ユクシーは、頼みますよ、と告げてサファイアから視線を離した。一応、伝えなければならないことは全て話し終えたらしい。
「……あ」
突然、エレッタが思い出したように声を上げた。
「どした?」
「時間! もうギルドの入口閉まってるかも」
「あ」
サファイアとミラは夜空を見上げた。満月が空高く上がっているあたり、どうやらもう深夜らしい。
ふらわーぽっとは、防犯の為に真夜中になると扉が閉まってしまい、バッジで帰っても建物に入れず朝まで入口で待つ羽目になる。一応、非常用にインターホンがついているが、緊急でもないのに入るためだけに担当者(主にマロン)を叩き起こすのも、何だか悪い。
「どうしようかな……夜明けまでここにいる?」
「それ、ユクシーの許可とらないと」
「それなら別に構いませんよ。ただ湖に落ちないでくださいね」
「……き、気をつけるよ」
ユクシーはサファイア達のもとを離れ湖の上に移動すると、その身体が光に包まれ、あっという間に姿を消してしまった。
「白の力、かぁ……」
サファイアは湖に映し出された月の光をぼんやりと見る。波の少ない水面は柔らかい月の光を受け止め、丸く描かれた月の絵を穏やかに揺らしていた――