M-34 宝石を求めてダイブ
「霧の、湖に?」
「そう。七年前までは時の歯車があった場所だよ」
ライルは地図を指しながら説明を続ける。
「あの辺は、昔から霧が濃かったんだ。だからまず濃霧の森を抜けなきゃいけなかったんだけど、今は直接行ける道が発見されてるからそんな面倒臭いことはしなくていい。けど、ちょっと注意しなきゃいけないことが幾つかある」
ライルは一呼吸置くと、地図をじっと睨む。
「まず、湖に行くには"熱水の洞窟"ってダンジョンを抜けなきゃいけない。暑いから水分はこまめにとってね。それと、出て来る敵は単体だとそんなに怖くないけど、集まると厄介だから、出来るだけ早く片付けないとダメ」
ライルもヨウナも地図からは目を離し、窓の外にある光を見つめる。今日も霧の湖は、バルビートやイルミーゼの出す光でライトアップされている。
「そして、霧の湖には……ユクシーって名前の、伝説のポケモンがいる」
「ユクシー? どこかで聞いたような」
「皆に知識を与えたって伝えられてる、"元"時の門番?」
「正解。ユクシーはあの星の停止が起こるまで時の歯車を守っていて、時の歯車がなくなった今でも、ずっとあそこにいたはずよ。もっとも、会えるかどうかは別にしてね」
少しの沈黙の後、サファイア達はヨウナの言いたいことに気付いた。知識ポケモンとも呼ばれるユクシーなら、宝石のことを知っているかもしれない。
もしかしたら、サファイアが何故ニンゲンからポケモンになったのか、どうして触れると記憶が戻るのか、そもそも宝石は一体何なのか。ユクシーに会うことが出来れば、それが分かるかもしれない。
ただし、もちろん懸念はある。
「だけど、今霧の湖に行ったって、ユクシーが簡単に君達の前に姿を現すとは、とても思えない。この世の中だから……そうならないことを信じたいけど、最悪、問答無用で侵入者を排除してくる可能性だってある」
そう、最近はなりを潜めているようだが、今この世では、伝説のエスパーポケモンが謎の失踪を遂げる事件が相次いでいる。詳しい情報は、未だ入っていない。
ユクシーだってエスパータイプ、警戒心は絶対に強くなっているはず。むしろのうのうとしていたらそっちの方が異常なのだ。
「まあユクシーは、攻撃的な性格じゃないらしいから……きちんと話せば分かってくれると思うけど、十分気をつけて」
「わ、分かった」
サファイアは、バッグに手を入れて中を探り、箱に触れた。その箱の中には、五つの宝石が入っている。
もしユクシーに会えなくとも、宝石だけでも回収出来れば十分。もし襲われたら……あまり考えたくはないけれど、穴抜けの玉でも何でも使って、とにかく脱出すればいい。話を聞かないダンジョンボスのような、無用な戦闘は御免だ。
「じゃあ、僕達はこれで失礼するよ。また情報が入ったら来るね!」
ライルとヨウナは話を終わらせ、すたすたと部屋から出ていった。サファイアは二人を見送ると部屋に戻り、エレッタとミラを呼び寄せて攻略の計画を練り始めた。
〜★〜
サファイア達が訪れたダンジョンは、さすがに熱水の洞窟と呼ばれるだけあって、壁の穴からはシューシューと水蒸気が噴き出していた。
しかし、結構暑いダンジョンだというのに、炎タイプの数は控え目で、虫タイプが多いというのは一体何事なのか。
むしむしと纏わり付くような暑さを我慢して、三人は黙々と道を塞ぐポケモンを蹴散らしていく。
気を抜くと時々出て来るブビィに火傷にされそうになったり、ドンメルのマグニチュードやコロトックの連続斬りを何回も受けるとエレッタやミラの体力が危ないので、あまり喋っている余裕がないのも理由だ。
中継地点を挟んだ上部も、それはほとんど変わらず。そんな中でも、かなりやっかいなのが……
「サファイア、右!」
「はいはいっと!」
ヤンヤンマの電光石火での奇襲を、サファイアは間一髪かわしていく。このダンジョンに出るヤンヤンマは、サファイア達が入れない水路からいきなり襲って来る。おまけに動きが早いので、気付くのが遅れるとなかなかかわせない。
ただ、時々うっかりエレッタに突撃して、特性の静電気を貰ってくれるドジも中にはいるのだが。
集まってきたヤンヤンマを十万ボルトで一掃し、エレッタは回りを警戒する。この部屋に残った敵がいないのを確認して、サファイアはゆっくりオレンの実をかじった。
「ふぅ……皆大丈夫?」
「今はね。ただグランブルに出くわしたら危ないかも」
グランブルは、このダンジョンに済むポケモンの中でもかなり危険な部類に入るらしい。威張るを使って混乱を狙い、地味に体当たりの威力も高い、噛み付くで怯みを狙ってくる等。特に物理技が多いサファイアが混乱させられた場合、治るまでの間手痛い同士討ちが発生しないとも限らないわけで。
そんなグランブルに加え、ブーバーも中々厄介だ。下手に攻撃を仕掛けると、特性"炎の体"で火傷させられてしまう。ミラの"シンクロ"も効かず、サファイアが火傷になると電光石火の威力も下がるので結構危険なのだ。
そんな危険ポケモン達を時には力押しで、時には種などの道具を使って避けつつ、サファイア達はどんどん進んで行った。
熱水の洞窟の最上階は、洞窟の外に出たので明るかった。おそらく霧の湖もすぐそこだろう。
とは言えしばらく歩かなくてはいけないようで、岩だらけな上に曲がりくねって見通しが悪い道を三人は進む。
すると……目の前に、単独でバルビートが現れた。
通路の真ん中に立ち塞がり、ここから先は通さないぞとでも言いたそうにこちらを羽音で威嚇している。
「どうする? 無理矢理突破しちゃう?」
「だね。話し合いとか応じてくれそうにないし」
サファイアが戦闘の意思を見せると、殺気を持ったバルビートがじりじりと近寄り、体当たりを仕掛けてきた。
「遅いよ! 電光石火!」
サファイアはバルビートの動きを見極め、電光石火で迎え撃つ。サファイア達は洞窟内でそれなりに腕を磨いているので、そんじょそこらの体当たりに負けたりなどしない。
バルビートが体勢を崩したところで、サファイアが素早く離脱しエレッタの十万ボルトとミラのチャージビームを浴びせる。
バルビートは今の電撃に麻痺したのか、その場に崩れ落ちた。
「なんだ……単身で特攻してくるぐらいから、てっきり強いのかと思ってたけど……別にそうでもなかったね」
「ね。さて、先に進もうか!」
「ちょっと待って。まだ向かってくる」
気を取り直して意気揚々と歩き始めた二人を、ミラが止めた。ミラが示す方向には……痺れた身体を引きずり、再びサファイア達に攻撃しようとしているバルビートがいる。
「んー、必要以上に叩きのめすのはこっちとしても嫌なんだけどなぁ。まあもうちょっと体力を削ればいいかね」
そう判断し、サファイアはバルビートに近寄る。これ以上攻撃を加えて来るようなら、"トラップアイシクル"で封じ込めるつもりだった。
が、バルビートはこちらをきっと睨むと、ぶいんと特徴的な羽音を鳴らした。
するとそれに共鳴するように、あらゆる方向からぶわっと同じ羽音が連続で響いてきた。
「っは!?」
「まさか……」
「……囲まれてる!?」
三人の一致した嫌な予感は見事に的中してしまう。見る間に隠れていたバルビートやイルミーゼが一斉に姿を現し、サファイア達を取り囲んだのだ。
「うっわ〜……どうしよ、これ」
「戦って勝てる数じゃ……ないか」
呼ばれたバルビートやイルミーゼは、縄張りを荒らされたことに加え群れの仲間を傷つけられたことに怒っているらしい。素直に逃がしてくれるとは思えないが、こんな大群と戦っていたら、PPが尽きる――それよりもまず体力がそんなに持たない。
ミラやエレッタの範囲攻撃で何とかなりそうな数でもなく、サファイアのトラップアイシクルは高いところを飛んでいるポケモンには無力だ。
バルビートとイルミーゼはある程度の数で群れを作り、揃ってサファイア達に体当たりを仕掛けた。
「ちょっ、待った待った! 守る!」
サファイアの緑の壁によって、体当たりは無事に阻まれた。ただし数が半端じゃない上、威力もへなちょこではないらしい。何度も攻撃を受けていたら、そのうち壁も壊れてしまう。そうなる前に、ここをどうにかして抜け出さなければ。
「エレッタ! ミラ! 湖まで走るよ!」
「走る!?」
「抜け出せるの?」
「私の目覚めるパワー、エレッタの十万ボルト、ミラのマジカルリーフを同時発射すれば多分いける! 早く!」
サファイアは言うが早いか水色のエネルギーの塊を身体の回りに漂わせ、それにつられるようにエレッタやミラも範囲攻撃の下準備をすぐに終える。
サファイアが合わせて守りのバリアを消すと、障害がなくなったとばかりにバルビートが総力戦で体当たりを仕掛けてきた。イルミーゼは後ろで援護をするらしく、遠距離から"蛍火"か何かを出している。照明弾のつもりだろうか。
「――今だッ!」
サファイアの声が鋭く響くのと同時に、三種の技が囲んでいたバルビートの群れを襲った。あるものは凍らされたり痺れたり撃ち落とされたりし、それを逃れた者も怯んだのか暫し動きが止まる。
その隙をついて、サファイアは頂上の湖へ向けて走り出した。エレッタやミラも急いでついていき、一時の騒ぎから立ち直ったバルビートやイルミーゼが追い掛ける。後方の的は道を曲がる必要がないためか、次第に両者の距離は縮まっていく。
「ええい、しつこい!」
なかなか離れないバルビート達にいらついたエレッタは、群れに向けて十万ボルトを打ち上げた。
エレッタにしてみれば威嚇のようなものだが、これはバルビート達にとっては挑発ともとれた。ただ、今の電撃の直撃を受けた幾らかは脱落したようで、群れを維持しなくてはならないバルビートは少々その場でまごつきながら群れの再編成を行っている。ここで一気に引き離してしまえば、何とかなるかもしれない。
だが、やっとのことで霧の湖に到着して……サファイア達は気付いてしまった。
ここには、身を隠せるような場所がないことに。
既に結構な距離を引き離してはいるものの、依然としてバルビートの群れはこちらを追跡している。もし捕まって取り囲まれたら、個々は大したことがなくても数が数だけに、無事にギルドに帰れるかどうか怪しいレベルだ。
ただ、ここまで苦労して来た以上、簡単にバッジで帰還するわけにもいかない。その前に、今バッジを使ってもバルビート達が来る前に帰還機能が作動する可能性は正直にいって低い。バッジに備わっているダンジョン最深部からの脱出機能は、近くにこちらへの敵意を持ったポケモンがいると作動しない。探検隊の拠点に敵まで一緒くたにワープさせないための配慮だ。
となれば、とれる行動は――
「皆! 湖に……飛び込もう!」
「……は!?」
サファイアの提案に、慌ててエレッタは首を振る。三人とも泳げないのは、昨日の探索でよーく知っているはずだ。
その時、ブワンとバルビート達の羽音が響いた。おそらくもうすぐそこまで追い付いてきているのだろう。
「そこまでしないと、捕まる! 早く! 息を止めて……しばらく待ってて!」
サファイアはきっぱりとそう言い放ち、息を大きく吸って……湖の中に、飛び込んだ。
エレッタ達もサファイアを残しておくことは出来ず、渋々とだが湖の中に飛び込む。 バルビート達が気付かずに、離れてくれることを期待しながら。
サファイアの予想通りだ。
水面上のバルビートやイルミーゼの群れは、しばらく近くをさまよった後、何処か別の場所に隠れたと踏んだようでどこかに飛んで行った。
それを、水が染みて痛む両目で辛うじて確認し、エレッタやミラに何とかして告げようと顔を下に向けて……
途端に、止めていた息が一気に苦しくなった。
下には、苦しそうに息を止め、ゆっくりと沈んでいく二人がいた。
コポリ、コポリと少しずつ水中を上っていく泡は、既に二人の息が限界に近いことを意味している。
――泳げない三人にとって、サファイアがやったことはあまりにも無謀だった。
バルビート達から逃れることに精一杯で、飛び込んだ後どう上がればいいか等は全く考えていなかった。
後のことを考えずに動くことは、ダンジョンの中では命取りになる。チームリーダーとして、そんなことは分かっていたはずなのに、こんな無謀なことに、大事な友達をも巻き込んだ。それに、今更ながら気付かされた。
かと言ってどうすれば良かったかなど分かるはずもない。それでも後悔に浸るサファイアにも、遂に限界が訪れた。
息の苦しさと共に閉じていた口から大きな泡が零れ、身体の感覚が次第にぼやけていく。それに伴って、頭もくらりと回り、段々意識が薄れていくのを感じた。
その頭に、微かに声が響く。
『――誰か、助けて――』
……誰の声だろうか?
薄れていく意識を繋ぎ止め、思わず考えさせてしまうような、心の底から助けを願う声。だがその声の中に、サファイアは僅かな諦めの念を感じ取った。
エレッタでもミラでもなく、少なくともギルドの知っている仲間の声ではない。
それなら、この声の主は。どのような状況で、そんな言葉が紡がれたのか。
それを考える間もなくして、サファイアの思考は、ふわりと緩やかに閉じられた。