M-31 ハーブと世界樹
世界樹の森から無事に帰って来たサファイア達だったが、普通なら良くなるはずの気分はどうしても晴れなかった。
原因は言うまでもなく、あの最後の捜索依頼だ。結局どこにも依頼主を見つけられないまま帰ってきてしまったのだ。
依頼主がフロアにいなかった以上、依頼失敗にはなるものの責任を問われることはない。遭難は元はといえば自分の責任であり助けてもらえたらラッキーで、もしそうでなくてもそれは仕方がなかった、という理由があるからだ。
それでも、依頼主を見つけられなかったという事実は、サファイア達の上に重くのしかかっていた。
「友達を助けてくれてありがとうございます!」
達成した他の三件の依頼主がお礼を述べ、報酬を渡していく。そんな状況でも、サファイアとエレッタは無理に作った笑いを顔に貼付けたまま。ミラだけはどうでもよさそうに無言・無表情を貫き通していたが。
そして、四件目――依頼主のニドリーナが、姿を現した。
微かに浮かべている苦笑いは、サファイア達に何を伝えようとしているのか……
「あの、依頼を受けてくださった、エスターズさん、ですよね……?」
ニドリーナは困った様子で言葉を紡ぎ、そして……サファイア達が何も言わず、いや言えないでいると、ニドリーナはいきなり頭を下げた。展開が急なせいでサファイア達の理解が追いついていない。
「あの、ごめんなさい!」
「な!?」
深々と頭を下げるニドリーナの横に、いつの間に来たのかニドリーノが並ぶ。
(ん? ニドリーノ? 確か依頼に、ニドリーノを救助して下さい、と書いてあったような……)
サファイアは依頼の紙に書いてあった情報と目の前の状況を照らし合わせる。そして導き出した答えに、ニドリーナが大きな赤マルをつけた。
「実は、ニドリーノったら……自分で穴抜けの玉を見つけて帰ってきてしまったんです……」
「……え、と……」
ちょっと待て、とサファイアは心の中で思考を止めた。
普通、救助依頼というものは、ダンジョン内で力尽きたから出すものだ。その辺を自力でへこへこと歩ける冒険者なら、依頼を出す必要がない。
ここから先はニドリーノが詳しく続ける。
「実は、救助依頼を出した直後にオレンの実を拾ってしまい……少し休んだ後、自力で脱出できる道はないかと近くをうろついて、小部屋で穴抜けの玉を拾ったんです」
「……じゃあ、あの刈り取られた草は……」
「僕が付けた道しるべのような物です。迷うと困るんで、通った道の草を爪でバッサリと」
どうやらこのニドリーノは余程運が良かったらしい。倒れた後にたまたまオレンの実を広い、小部屋を出て新たに倒れることなく帰って来れたのだ。
それに、あそこまであからさまに草が伐られていて敵が寄って来ないというのも相当なものだ。ダンジョン内の敵は基本的に単細胞たがバカではない。
「でも! 私のニドリーノが帰ってきてくれたんだし、ここはまあ一つ……」
「君、ここでカミングアウトするのかい? まあ隠す必要もないけどさ〜」
まさかの事態に絶句しているサファイア達を尻目に、ニドリーノとニドリーナはベタベタくっつきあっている。
ギルドのそこだけが平和な雰囲気で、サファイア達は呆然とし、他の探検隊は何事だとこちらに注目している。近くを通り掛かったマロンに至っては、二人を軽く睨みつけていた。
「とにかく、依頼したからには報酬を渡さないといけませんから、これをもらって下さい!」
「今度からダンジョンに入る時は気をつけますね!」
目の前に実質違約金扱いらしきグミとポケが置かれ、二人は仲睦まじくギルドを出て行った。
サファイアは無言のまま、バッグから紙切れを二枚取り出した。出発前、マロンが誤って破いた依頼の紙だ。それが、今のお騒がせ依頼主達の依頼だった。
「まあ、これで……解決……だよね?」
「い、いいのかなぁ……一件落着扱いで」
もしかしたらマロンには、依頼選別能力があるのかもしれないとこっそり思いながら、エスターズ三人はハーブがいる部屋に向かった。親方部屋の扉は夕日が差し込み、綺麗なオレンジ色に染め上げられていた。
「で、これが分け前ね。お疲れ様〜」
エスターズから依頼達成の報告を受け、ハーブは半額のポケを返す。
三人が部屋を出て行ったのを確認して、ハーブは傍らでふわふわ飛んでいるマロンに話し掛けた。
「ねえ、あの子達……世界樹の森に行ったのよね?」
「ええ。依頼の関係で十階までだったらしいですが……ただ」
マロンはハーブに近付き、やはり親方様のご想像通りだったんですよ、と断って話を続ける。
「以前親方様が、エスターズを世界樹の森に行かせた時とは、やはり住んでいるポケモンの顔触れや凶暴性が変わっていたようです」
ハーブの顔に、いつものにこやかな笑みはなく、真剣にマロンの話に耳を傾けている。
「それだけではなく、棲息ポケモンの強さも、かなり上がったようですよ。世界樹の森で救助依頼が頻発したのも、おそらくその影響かと」
「じゃ、その原因はやっぱり……強い探検隊か何かが世界樹の森に入ったって認識でいいのよね?」
「はい。ただ、ふらわーぽっとの探検隊ではありませんよ。皆、このギルドの規則を破ってはいないようですからね」
ハーブは少しの間マロンから目を逸らす。いつもなら明るく輝く黄色い瞳は、今は少し沈んだ暗い色に変わっている気がした。
「……そう、ね。世界樹の森……あそこは、特に宝も何もない、普通のポケモンにとってはただの危険な場所だものね……」
ハーブは自らが決めた、このギルドの規則を頭に浮かべた。
――親方の試験に合格した探検隊は、以後特別な場合を除き、世界樹の森 奥地に足を踏み入れてはならない――
ハーブ自身、本当はこんなことを規則化したくはなかった。ギルドに所属する探検隊にはある程度の自由が与えられているため、ギルドの親方にはここのダンジョンには行ってはいけない、あっちならOK、なんてものを縛る権利はない。
まだ弱い探検隊が危ないダンジョンに向かおうとした時には、忠告する。そのダンジョンがどれ程危険か教えて、それでも向かおうとするならば、それは止めない。
あらゆるダンジョンで生き残ることができる探検隊というのは、大概は人の話をよく聞くという共通点がある。己の実力を見誤り、忠告を無視するような探検隊であれば、その後の既に結果は見えているというものだ。
それでも。
ハーブには、この規則を取り消す気は全くなかった。例え権利の拡大濫用と言われても。他のギルドや探検隊から非難を浴びても。
世界樹に何のしがらみもない、ただ強いだけの探検隊を奥地に行かせることは、一つの結果しか生まない。
その世界樹の仕組みを知る数少ない者としても、"聖地"とも"禁地"とも呼ばれるあの場所に、むやみに普通のポケモンを入れさせる気は、ハーブにはなかった。
「あの、親方様? どうされました?」
横からマロンの心配そうな声が聞こえて、ハーブははっと我に返った。いつの間にかぐちゃぐちゃと考え込んでしまっていたらしい。
ハーブはいつもの笑顔を取り戻し、依頼達成リストのエスターズの依頼達成数に4をプラスして――また呟いた。
「マロン。どうやらこのままでいくと、また忙しくなりそうよ。例の依頼を、あの子達に回して。それが達成されたら、しばらく親方代理として雑務よろしくね」
マロンが声にならないため息を吐いた。雑務などいつも押し付けられているようなものだが、こうハーブが明言するときは大抵、ハーブがどこかに出掛けるとき。
そして、今のシチュエーションで行くと、その目的は――
「依頼が達成されたようなら、その五日後。エスターズの、試験を行うわ」
一方、親方部屋での会話をさっぱり知らないサファイア達は、夕食時にマロンが渡して行った紙を読んでいた。どうやらたまには探検隊らしく、ダンジョンの調査をやってきてくれということらしい。
場所は、"急流の湖"というダンジョンだ。湖のくせに川のように激しく水が流れ、循環していることから付けられている。
その水流が鬱陶しく、普通の探検隊なら早々に投げ出すために資料が少ないが、出て来る敵自体はそんなに強くないらしい。
が、エスターズにとってその探検は、なかなかに気が重いものだった。原因は至極単純である。
「ん〜……参ったな……私もエレッタもミラも泳げないってどうすればいいの?」
そう、実は三人とも今まで知らなかったが、なんとエスターズはカナヅチの集まりだったようだ。
水が多いだけのダンジョンなら、全く問題ない。そんなのはシェルヤ海食洞でとっくに慣れている。
問題は、ダンジョンの構造にある。どうやらダンジョンには水流がそこそこ多いらしく、階段が流された先にありました、なんてことはザラらしい。
しかしエスターズの誰かが万が一水流に落ちて飲まれた場合、どうしたら溺れずに済むというのだろうか。
第一、水流というからには当然のことながら一方通行。下手に流されて閉じ込められようものなら、穴抜けの玉を使う以外に方法はない。
ならいっそ断れば……という発想も、サファイアは打ち消してしまった。まだ中級レベルの探検隊とはいえ、さほど難しくはない指名依頼を覆せないくらいのプライドは持っている。というか、ここまで来ると自然と持たざるを得ない。
「船を何かで作るっていうのは?」
「途中でバラバラになったら、どうする気?」
「それもそうか……じゃあ、水が平気な仲間を新しく加入、とか」
「却下。これ以上騒がしくなるのは嫌」
「ちょ、これ以上……って……」
深く考えずポンポンと出されていくエレッタの案を、ミラが一つずつバッサリ斬っていく。本人達はこのやりとりを少なからず楽しんではいるかもしれないが、任せていたらいつまでも結論なんて出やしないだろう。
「えっと……二人とも、フロールタウンで情報収集してこない? 何か分かるかもしれないし!」
結局待ち切れなくなったリーダーの一言で、二人は素直に街に向かうことにした。
結局あの2人の言い合いのような何かは、そこで強制中断させられたのだった。