M-28 気遣い
――誰かに、身体をゆさゆさと激しく揺さ振られた。
その振動により、失われていたエレッタの意識も少しずつ戻って来る。
(……う……ミラ……?)
何かを考えられるまでに思考が回復したエレッタは、うっすら目を開けて周りの様子を確認しようとする……が。
「いい加減に起ーきーるーのーさ!」
目を少しだけ開けたエレッタの頭に、どこかで聞いた声――ポッチャマのラムザの"つつく"が刺さる。
寝起きのポケモンにとって、これはタイプ上効果が薄いエレッタにさえもかなり響いた。
「い、痛い痛い痛いってば! ストップ! ストーップ!!」
痛みに耐え兼ねて飛び起きたエレッタを見て、ラムザは一瞬にやりと笑ったように見える。どうも、最初に見た時から何かとふてぶてしい奴である。
「な、何すんの!? 普通に起こしてくれればいいじゃない!! っていうかなんで君がここにいるの!?」
「ふん、誰かさんのせいで雪崩に巻き込まれたに決まってるじゃないか! お前がなかなか起きないから起こしてやったのさ! そこにいる奴なんか、すぐに起きてくれたのに!」
ラムザの指す方向からは、ミラが少し離れてこちらのゴタゴタを傍観している。どうやら、雪崩には巻き込まれたが離れずに済んだようだ。
「あ、ミラ! 良かったぁ、離れずに済んだんだ!」
「……ん……一応……」
相変わらず冷たい態度で、駆け寄るエレッタをさらりと流し、視線を逸らす。いつもならこの一連のやりとりにサファイアが仲裁に入ってくれることも多いが、今はそれもない。
「ところで、どうやってここから出ようか……」
エレッタはふっと、自分達が落ちてきたであろう天井を見上げる。
上の隙間からかすかに光は入ってきているものの、自分達が抜け出せるような大きい隙間はなさそうだ。
たとえ隙間があったとしても、天井からクレバスをよじ登って出るなど不可能だが。
「ふん、簡単だ。抜け道を使えばいいのさ!」
「抜け道?」
ラムザの意外な答えに、二人は首を傾げる。この狭いクレバスに、抜け道なんて普通はない。
「昔、工事だか発掘だかで村のみんなが作ったのさ。道は何本にも分かれてるから多分お前達じゃ迷うけど……もしお前達が、僕についてくるのなら……」
ラムザは、二人を交互に眺めてにやりと笑う。その考えをおおよそ見抜いたエレッタは、聞こえない程度に軽く舌打ちしていた。
「僕について来るのなら、道を案内してやってもいいけど?」
ここでの"ついてくる"というのは、ラムザのことだ、どうせある程度自分の思い通りになることが条件なんだろうなと予想はつく。普段ならリーダー思考が抜けきれない子供についていくのはまっぴら御免なのだが、今回はさっさとここから出たい。
それなら、この地域に住んでいるポッチャマの協力も、何だかんだ言えども不可欠だろう。
「む〜……分かったよ! その代わりさっさと案内してよね! ここ、結構寒いんだから!」
苛立ったエレッタが、軽く電気の火花をちらつかせながら言う。ラムザはそれで満足したのか、胸を張って堂々と先頭をきって歩き始めた。
「ったく、いちいち人の気に障る……ミラ? ねえ、ちょっと聞いてる?」
エレッタが話し掛けているにも関わらず、ミラは首のマフラーをぐっと握ったまま下を向き、何も答えない。会話を無言で断ち切るのはいつものことだが、今回はどこか違う。
「ミーラ! どうしたの!?」
「……あ」
エレッタはミラの手をひっ掴み、前にぐっと引っ張る。それでミラも気付いたのか、やっと歩いていくラムザの方を向いた。
「ミラがぼーっとしてるなんて珍しいね。何かあった?」
「……ちょっと……寒くて」
「寒い? まあ、これからこの寒い中を歩く訳だけど……もし疲れて歩けなくなったら声かけてね?」
エレッタはサファイアなら言いそうな言葉を考えるが、いまいち浮かばず無難な言葉を選び出す。
クレバスの隅にあった小さな洞窟から、ラムザの文句が響いて来る。それに睨みで答えながら、二人は抜け道とやらに入って行った。
抜け道、というよりも岩と氷ばかりで出来た洞窟は、しんと静まりかえっていた。少しでも音を出すと、洞窟内に響き渡るが、ダンジョンのように襲って来るポケモンはいない。
「ここは、ポケモンが全然来ないけど……誰もいないの?」
「こんなところにいたって、暮らしていけるワケがないのさ。ここはダンジョンでもないし、いたとしても狂っちゃいないのさ」
エレッタとラムザは、たわいない話をしながらどんどん抜け道を進んでいく。ミラはそこから少し離れ、話に一切加わらずについて来ていた。
しかし、エレッタ達が曲がり角に達して姿が見えなくなると……ミラは壁の岩石に寄り掛かり、力を抜いた。
「……はぁ……寒……」
何とか荒い息を整えようとするも、吸い込む空気すら凍るように冷たい。それでも歩みを止めると、一時的ではあるが疲れも回復した。
ミラも、暖かい場所育ちのためサファイアと同じく寒い場所が苦手なのだ。さっきからずっと黙っていたのも、割と進みが速い二人についていくのが精一杯で、話に口を挟む余裕はなかったのもある。
それでも、今はラムザについていくしかない。こんな何もない道では、二人では迷うことは必至だ。
「ほら、いつまでものそのそ歩いてないで、早く来るのさ!」
ミラが来ていないことに気付いたラムザが、疲れを感じさせない声でミラを呼び立てる。それも、相手は基本的に寒いところで暮らすポッチャマだ。さすがのミラでもイラッとくる。
「分かった、今行く……って……」
急いで角を曲がり、待っている二人に追いついた。首を傾げるエレッタには、ここはそんなに寒くないのだろうか。
「本当に大丈夫なの? この辺でちょっと休む?」
エレッタは少し心配そうにミラの顔を覗き込む。それでもミラは平静を装い、いつものように首を振った。
この場所から一刻も早く抜けること。それしか生きるための道はないはずだ。
「まあ、それならいいんだけどね。あんまり無理しないでよ?」
エレッタはそう言うと、少し苛立っているラムザへ声をかける。止められていた進行が再開され、先程のような三人の配置が繰り返される。しかし、それもそう長くは続かなかった。
エレッタ達が洞窟を進んでいくと、やがて少し広い空間に出た。今まで抜け道が狭い箇所だらけだった為、ここはやたらと広く見える。
「うわっ、寒っ! 今までは平気だったけど、これは……」
その部屋は、前の通路と比べて格段に寒かった。冷たい風がどこかの隙間から入ってきているのだろう、寒さに慣れているエレッタでさえもかなり堪えた。
「この位普通なのさ、ここは折り返し地点だからあと半分歩けばいいのさ!」
「え、後半分!? まだそんなに歩くの!?」
割と長く歩いたように思っていたエレッタは、まだ折り返し地点だという事実を突き付けられ面食らう。探検といえども、ここまで長く歩くことはそう多くない。
「あれは深い裂け目だったし、村からも結構離れてるのさ。ほら、さっさと行くのさー!」
ラムザは疲れてきたエレッタを置いて、どんどん先に進んでいく。もちろん、後ろを振り返ることなく前へ一直線だ。
「はあぁ……あと半分か……あれ? ミラー?」
ふとエレッタが振り返ると、ミラは部屋の入口にじっと固まっていた。しかも、動き出す気配はない。これではラムザに置いて行かれてしまう。
「ミラ! 早く先へ行こうよ……あと半分、頑張ろう」
エレッタは普段通り明るい声を出し、ミラに近寄る。いつもなら、ミラはそれに頷き再び歩き出すはずだった。
しかしミラは、そんなエレッタの呼び掛けにも首を振る。そこで初めて、エレッタはミラの息がかなり上がっていることに気が付いた。
「……もしかして、もう歩けそうもない?」
「…………かも」
俯いたままのミラの手を試しに握り、その氷のような冷たさに内心エレッタは驚き、気付く。
エレッタは勿論疲れてはいるものの、もう暫くだったら歩ける体力くらいなら残っている。対してミラはエレッタほど体力がない上、慣れない寒さに体力をじわじわと奪われていた。それに加えて先頭がラムザということもあり、進みのペースが早かったのも疲れをより増長させたのだろう。
「随分、元気そうだけど……エレッタは、寒く……ないの?」
「まあ、寒くないとは言わないけど、あたしは結構寒さに慣れてるからね。それにしても、どうしてこんなに……」
疲労が溜まるまで声をかけてくれなかったんだ、と言いかけて、エレッタは口を閉じる。"歩けなくなったら"声をかけろと言ったのは自分なのだ。
エレッタは言いかけた言葉をごまかすようにバッグの中から小瓶を取り出す。中に青い液体が入った、あのカクレオンの店で貰った薬だ。
その栓を取った瓶をミラに差し出すと、ミラは首を傾げて瓶の中の薬を見つめた。
「……? これ……」
「飲んでみて。味は分からないけど、多分ある程度の体力は回復するよ。ほら、上向いて!」
「ちょ……っと!?」
エレッタはミラを近くの岩に寄り掛からせると、いきなりミラを押さえ付けて薬を口に流し込んだ。
予告も無しに一気に飲み込んだせいで変なところにひっかかったらしく、ミラは大きく咳き込んでしまう。
「けほけほっ! ……じ、自分で……飲めるって……」
「あー、あたしにどうこう言えるなら大丈夫そうだね」
エレッタは、まるで何も気にしていないかのようにけらけら笑っている。それを見ていると、咳が収まるのと同時進行で、張り詰めていたミラの心も次第に緩んでいった。
そんな時、暫し忘れていた厄介者が姿を現した。さっさと先に行った後、誰もそばにいないことに気付いて部屋に戻ってきたのだ。
「二人とも! 何そんなところでくつろいでるのさ! 休んでるヒマなんてないのさー!」
エレッタは、これを聞くとぴくりと耳を動かした。勿論、エレッタはミラを置いて先へ行く気はない。ついでに言えば、エレッタ自身も既に疲れている。ここら辺で少し休んでから、改めて出発したいと思っている。
「無理。今はもう夜になっただろうし……それに疲れたよ。今日はこの辺で休まない?」
「ダメダメダメーっ! さっさと先へ行くのさ!」
ラムザは足をぺしぺしと床に打ち付け、二人をせき立てる。休むなどという考えは、はなからラムザには無かったらしい。
「何を言われようと今日はもう動きたくないんだけど。この状況が分からないの?」
「あ、いいのー? 早くこっちに来ないとここに置いてっちゃうもんね!」
ラムザは、案内役という圧倒的に有利な権限を行使し、にやりと笑う。
確かに、この抜け道には思っていたより多くの分かれ道が存在していた。ラムザについて行かなければ、迷うのは確実だろう。下手をすれば途中で力尽きてしまうことも有り得る。
だがそれは、エレッタの気持ちを変えさせる理由にはならなかった。今のエレッタは、どんな言葉をかけられようと、自分やミラの疲れがとれるまでは動く気はないからだ。
「……そう。それなら別にいいし」
「……な!」
ラムザは驚きと不満の混じった声を上げる。あの切り札をこうもあっさり否定されるとは思っていなかったのだろう。
「ふ〜ん……じゃあここで大人しく氷漬けになるがいいさ! 僕はもう知らないもんね!」
ラムザは二人を置いて、すたすたと部屋を出て行ってしまった。もうこれで、道案内をしてくれるポケモンはいない。
「……いいの? 行かせても」
「構わないよ。最悪足跡とかを頼りにすれば何とかならない訳でもなさそうだし、もう休もう?」
エレッタはミラと同じ岩に寄り掛かり、冷たい風を遮るような場所に腰を落ち着ける。そしてバッグの中から日照り玉を取り出し起動させると、瞬時に刺すような空気の冷たさが少し和らいだ。本来ならば火を起こした方がいいのだが、湿っぽいこの洞窟に火を起こす材料はない。
ミラはエレッタの労るような行動に何も警戒するべき他意がないことを知り、安心したように目を閉じる。それとほぼ時を同じくして、小さな影が洞窟の小さな部屋に入り込んできた。
「うわあぁぁーーー!!」
「……な、何事!?」
眠りにつこうとしていた二人は、突然聞こえてきたラムザの声に思わず身を固くする。
ラムザは二人の前まで猛ダッシュで迫り来ると、乱れた息を整えることもせず一気にまくし立てる。
「ひっ、氷柱、氷柱が、とっ、とにかく、僕もここ、で、休んでやるのさ!」
あまりに一方的な上に説明不足な言葉だが、どちらにせよ案内役に置いて行かれないのならばこれ以上好ましいことはない。
エレッタはそんなラムザの様子を一瞥してにやりと笑うと、今度こそ疲れをとるために二つの目を閉じた。