M-27 微笑ましいを通り越して
エレッタの頬から飛び出す電気火花と、ミラの葉と冷たい雰囲気に押し負けたのだろう、ポッチャマは渋々といった感じで口を開く。
「まずは名前……だよね。ポッチャマ、君の名前は?」
「……ラムザ」
「おーけー、ラムザ君ね。で、質問。この斜面の先には何がある?」
エレッタはわざと一つ一つ質問を重ねることで、心理的にじわじわとラムザを追い詰めていく戦法を取った。にこにこと笑いながら質問しているが、裏で脅しをかけていることは明らかだ。
「ぐ……この先は僕達の村だ! な、何しに行くのさ!?」
「情報収集でね。それじゃ下に転がって行ったサファイアはやっぱりその村に突っ込んでたりするのかな?」
「変に方向、変わってなければ……」
村に突っ込んでいれば、まだ安全だ。少なくとも湖や崖に落ちるよりかはずっといい。
「で、次。何で君達はあたし達目掛けてあんな雪玉を転がしたの?」
「村の友達と遊んでたところにちょうどお前達がこっちに向かって来るのが見えたからな。自衛の訓練さ」
エレッタとミラは、すぐさま顔を見合わせる。ラムザの言うところによると、つまりあの雪玉は――
「概ね、高台にある基地を守るために……ってか」
基地ごっこにしては攻撃方法が凄まじいが、少なくとも敵か何かが襲来したわけではないことが判明しエレッタは少し安心する。リーダーと呼ばれていたラムザがこちらにいる限り、少なくとも雪玉が降って来ることはないだろうと思ったのだ。
――その時。
まだ尋問会が終わりを告げないうちに、『それ』は突然起きた。
ズウゥゥンと何やら地響きのような音が連続して聞こえ、呼応するように雪の大地もぐらりと揺れる。さっき感じた地震のようなものよりも、揺れは格段に大きい。
「ま……また地震!?」
「あわわ……こここ、これはまずい……」
その揺れを感じるや否や、ラムザの顔からさっと血の気が引いた。
あの不気味な音も微弱な振動も、止まる気配が全くない。
何も知らず足を滑せらないように必死なエレッタ達とは違い、ラムザはおろおろと近くに隠れるような場所がないかと探す。だが辺りは先程まで豊富に見かけられ岩や木が、この付近には少ない。
「まずいって……この揺れって、一体何なの?」
不思議そうな顔で自分の顔を見つめるエレッタに、ラムザは焦って叫び出す。
「これは、雪崩の前兆だ! ここは最近、暖かくて……とにかく、どこかに逃げなきゃ! 離せ!」
ラムザは必死に叫ぶとエレッタの手を強引に振り払い、斜面の下の方へ慌てて逃げていく。
そんなラムザを、エレッタ達は呆然と見送った。下の方向に逃げるということは、何か策でもあるのかただのバカなのか、それは分からない。だがいずれにしろ、ここにずっと突っ立っているのは危ない、というこだ。
「な、雪崩って……ミラ、どっちに逃げればいい!?」
「……上はダメ、左右……は確実とはいえない、下は……村まで辿り着けるならいいけど、それが無理なら……」
結局は、どっちに行こうと危険なことに変わりはないらしい。エレッタは上の様子を何気なく確認してから、今度は下を見た。そして下に他の場所と異なる色があることに気付き、急いで下に向かった。
エレッタが目指したその場所には、雪に覆われて見えにくかったものの……来るもの全てを飲み込もうと口をぱっくり開ける、"クレバス"が待ち構えていた。
中を恐る恐る覗いても、底は見えない。ただどこまで続いているか分からない闇が居座っているだけだ。
「ひゃ〜……隠れる場所がないかと思って来たけど、もしこの中に落ちたら、あたし達どうなっちゃうんだろうね……?」
多分いつまでも出られないよね、と冗談めかしてエレッタはミラに笑いかける。しかし、それでミラの態度は軟化することはなく、むしろ焦りの混じった言葉を返す。
「エレッタ! 雪崩、もうそこまで来てる!」
「え!? いくらなんでも早過ぎない!?」
嫌な予感はしていたものの、ミラの緊張した態度にエレッタも初めてそのことに気が付いたらしい。
上の方を見ると、エレッタ達のすぐ上の斜面で白い煙のようなものが上がっている。それと同時に何かが崩れるような轟音が響いて来る辺り、本当に雪崩で間違いなさそうだ。
「……もしかして、さっきのラムザが下に逃げたのも、始めから横方向が無理だと分かってたから!?」
「おそらくは……ね」
珍しく、ミラも不安そうに辺りをきょろきょろと見回している。けれど、隠れるに相応しい場所は、未だ見付からない。見付かったとしても、もう隠れる時間がない。
そうしているうちに、ついに来るであろうものが、来てしまった。
規模こそ小さいものの、スピードも早く広範囲にわたる、雪が斜面を駆け下る現象……
「ミラ! あたしに捕まって!」
「……え」
エレッタは、必死にミラに手を差し出した。クレバスの大きさは計り知れないが、雪崩からはどうせ逃げられない。どちらにしろ賭けになるのなら、少しでも見込みのある方を。
そして、これ以上二人がばらばらにならないように――と。
エレッタの考えを理解したのか、ミラは差し出された手を強く握った。
雪の塊が二人を突き飛ばしたのは、それからすぐ後のこと。
「きゃ!?」
「うわあぁっ!?」
自然の力となれば、二人に対抗手段などない。
雪崩に巻き込まれたエレッタとミラは、お互いの手をしっかりと握ったまま、みるみる暗い裂け目の奥底へと吸い込まれていった――
〜★〜
「(だ〜れ〜か〜止〜め〜て〜〜……)」
一方、こちらは守るの壁を維持したまま、ゴロゴロと斜面を下る雪玉サファイア。本能的に守るは解除してはいけないだろうと感じているものの、既に目が回ってクラクラしている。
これ以上このままでいるのはまずいと思い始めた、ちょうどそのタイミングで雪玉はいきなり止まった。
何かにぶつかったような強い衝撃が、雪玉の中にまで伝わったのだ。
「おっと!?」
ミシミシと何かが押される音がし、雪玉の中にも光が届いたかと思うと……雪玉はあっという間に内側からぐしゃりと崩れてしまった。
(……はあぁ……やっと新鮮な空気が……)
雪を掻き分けて出て来たサファイアは、千鳥足ながらも何とか立ち上がり、緑のバリアを解除して大きく息を吸った。
だが、その途端……激しい目眩がしたかと思うと、サファイアはその場に崩れ落ちてしまった。
「……はぁ……寒い……目が……回……」
サファイアは、雪の積もっているここにいてはいけないと分かってはいたが、もうどこかに歩いて行ける気力も体力も残っていなかった。それなりに長い間上下も分からず転がった上、さっきのバリアを長く維持したせいで予想以上に体力を消耗してしまったのだ。
つい気が緩み、雪の上に横たわったサファイアの目はゆっくり閉じられ、先程入ってきたばかりの光が再び消えたような気がした。
それからサファイアの記憶は途切れてしまい、暫く何があったのかは全く分からない。
ただ、誰かの話し声が少しばかり聞こえたような気がするだけで……
〜★〜
「あ、気が付かれました?」
僅かに開けられたサファイアの目にまず飛び込んできたのは、水色の丸い顔だった。
次第に視界がはっきりしてきて、改めてそれの正体を確認し、目の前にいるポケモンはトドグラーだと分かる。
「あれ、ここは……? 何で、ここに?」
サファイアは何が何だか分からず、何の気無しに寝かされていたらしいベッドから飛び降りた。
しかしその途端、前足に鋭い痛みが走る。まだあの目眩も完全には抜けきっていないのか、身体がふらついた。
「あの……動いても大丈夫ですか?」
「うん、多分……えっと、私一体どうなって……?」
まだよく回らない頭で、サファイアは必死に記憶の糸を辿っていった。それでも、雪の中で気を失った後のことは、どうしても思い出せない。
「貴方はこの村の入口に倒れていたんです。塀に雪塊がぶつかったような音がしたら、誰かが倒れてたのでびっくりしましたよ。凍傷になりかけていた位でしたから」
――あの何かにぶつかったような衝撃の元凶は、村の塀? との衝突だったらしい。
それに、足の痛みはどうやら凍傷のせいでもあったようだが、サファイアが注目した点は別にある。
「……村? あの、ここは一体どこなんですか?」
サファイアの質問に、トドグラーはにこやかに笑って答える。
「ここはイルク村。一面氷と雪の世界なので、観光客も昔は多かったのですが……今はいろいろ物騒で、あまり客が来ないんですよ。ところで、貴方は冒険者さん、ですか?」
「まあ……私は探検隊のリーダーです。そういえば、二人は……」
呟くようなサファイアの言葉を、トドグラーは聞き逃さなかった。途端、今まで明るかったその顔に陰りが浮かぶ。
「探検隊、ということはお仲間さんがいらっしゃるんですか? 私達が見た時には、近くには誰も……」
「……いないの? ここには」
サファイアはトドグラーの返答にしばらく黙っていたかと思うと、突然弾かれたかのように部屋を飛び出した。
「あ、どこへ行くんです!? まだ外に出るのは危険ですよ!」
トドグラーの制止も振り切り、ドアを開けて外へ出ようとしたサファイア。だが。
「痛っ!?」
次の瞬間、サファイアの頭を硬いもので殴られたような鈍い痛みが襲っていた。何が起きたのかも分からずその場にへたり込むと、またあの足の痛みもじんわりと戻ってくる。
「おっと……大丈夫か?」
サファイアを見下ろして声をかけたのは、鋼の翼を持ち、どこか威厳が漂うペンギン――エンペルトというポケモンだった。
前もろくに見ずに飛び出したサファイアは、エンペルトの鋼の身体に思い切りぶつかってしまったらしい。
「ゴメンな。で、なんでそんなに急いでるんだ?」
「……わ、私の……友達が……坂に……ッ!」
「友達? 坂? 坂が一体どうした?」
「坂を下ってここに来る途中で、はぐれて……!」
サファイアの必死な声を聞き、エンペルトはちらりと後ろに目をやる。そこには、雪道氷原から続く割と急な坂道が確かにある。
しかしエンペルトはなおも出ていこうとするサファイアの行く手を遮り、静かに首を振った。
「待て。お前はさっきここに運ばれた奴だな? ならまだこの村から出すわけにはいかねぇ」
「でも、私が行かなきゃ……」
エンペルトの忠告をも聞こうとしないサファイアに、エンペルトは何処か緊張した面持ちで言葉を続ける。
「さっき、あの坂道の途中で地震による雪崩があったらしいんだ」
「……雪崩!?」
サファイアのおうむ返しの叫びに頷きつつ、更にエンペルトは続ける。
「どうも、結構デカイ規模のようでな。捜索隊を出すって手もあるが、この時間じゃな……」
エンペルトは、サファイアに空を見上げるよう指示した。
青かったはずの空はいつの間にか赤くなっており、もう日が沈むのもそう遠くないはずだ。
日が沈んでしまえば、もし雪崩に巻き込まれていたとしても見つけることはほぼ不可能に近い。捜索隊にも数多の危険が降り懸かるだろう。
だが、例えあの二人が戦闘に長けていたとしても、もし雪崩に巻き込まれていたら、生き残れる保障など、どこにもない。
「とりあえずお前はもう少し寝てるんだ。また外に出て遭難されたら敵わんからな」
エンペルトは強引にベッドがある部屋にサファイアを連れ戻し、部屋の中央にサファイアを置いて扉をバタンと閉めていった。まだ寝ていろと暗に言っているのだろう。
仕方なくサファイアはベッドに潜り込み、近くに置いてあったバッグから適当なものを取り出してみる。
何かを掴んだサファイアの手に握られていたのは、青い液体が入った瓶。
少し前にカクレオンから貰ったもので、今は一人一本ずつバッグに入っている。
しばらく何も考えずに瓶を揺らし、ちゃぷちゃぷと液体が揺れるのを眺めていたが……やがて急いで瓶をバッグに突っ込み、ベッドに俯せになった。急に、視界がぐにゃりと曲がったような気がしたからだ。
液体が揺れる度に二人の声が聞こえて来るようで、思わずベッドに深く潜り込む。必死に孤独の涙を堪えながら、サファイアは心の中で祈っていた。
――どんなに酷い怪我でも、何も持っていなくても構わない。
だから……お願いだから、生きて帰ってきて、と。